立憲主義2017年10月19日 01:45

 予定とは異なり、立憲主義について、考えてみます。

 まず、前提として、私は、憲法の改正そのものを、何が何でも絶対にするべきではないという主張には違和感を覚えます。時代の価値観にそぐわなくなった部分については改正が考えられて当然だと思います。憲法と法の規定する手続に従い、必要な改正が有り得べきです。

 また、安保法制そのものについても、国の安全保障のあり方そのものの議論としては、どうしてもこれに反対する必然がある。それがリベラルだとするのは、論理の飛躍です。

 次に立憲主義がリベラルの試金石でしょうか?
 そうだとすると、まだ日本は明治維新のころと変わらないことになります。
憲法を制定して、その下に、国家を建設するべきかが、議論されていた頃です。

 わが国の政府が憲法を無視するとは到底思えません。与党・自民党もそうでしょう。例えば、自衛隊が憲法に反しないとする法解釈論を営々と行ってきたのですし、安保法制にしても、合憲としての法解釈を主張しているのです。その意味で、立憲主義に拠っているのは間違いがありません。

 但し、法解釈というのは、いかなる結論をも導き出す、論理の単なる技術でしかありません。「規範的議論」とされる、厳密な解釈原則に則っている推論である限り、解釈としては正当であると主張できます。

 例を挙げて、私の考えを説明しましょう。

 憲法第九条と自衛隊の問題です。30年ほど前までは、憲法学者の中では、自衛隊が九条に反しており、違憲であるとする学説が圧倒的通説でありました。憲法学者は、憲法の解釈を専門に研究する人達です。条文を文言に則して率直に読めば違憲という結論に至るのは自明です。

 ところが、知人の憲法学者に聞くところ、最近は、解釈改憲説が相当に有力ないし多数説であるというのです。解釈改憲によって、自衛隊が合憲になったというのはどういうことでしょう。

 警察予備隊から自衛隊が創設され随分と長い年月が経ちました。政府は最初から合憲としての解釈論を展開していたのですが、仮に、違憲だったとしても、自衛隊の存在という既成事実により、憲法が明示的な改正手続によらず、改正されてしまったということです。すなわち、国会議員の多数により構成される内閣=政府の解釈と国会の容認により、言い換えれば、国会議員の単純多数によって、憲法が改正されてしまった。

 現在ある政党の公約や党首・代表の言明などを前提に、憲法改正の要否についての立場を別にすると、既に国会議員の3分の2以上は、自衛隊合憲説です。

 もう一度、繰り返すと、自衛隊の存在そのものに限ると、憲法がその改正手続によらず、すなわち国民投票を経ずして、国会議員の多数決により、改正されたのです。

 既成事実によって、憲法が改正された!

 その上で、更に安保法制が制定されたのです。これについて、憲法学者の多くが未だに違憲説であるのは、よく知られていますよね。

 解釈改憲をいつまで続けるつもりなのでしょうか!!
 その範囲が一層拡大されたのです。

 これはいくら何でもおかしい。この意味で、真の意味で、日本が立憲主義なのか疑いたくなります。

 このことは、私の意見では、リベラルかどうかには関係がありません。単純に、法の手続が無視されている。日本において法の支配が完成していない。法の発展途上国であると言うしかない。

 本来、最高裁判所が、法の有権的で最終的な解釈機関であると、憲法上そう定められています。そうすると、例えば、自衛隊が違憲か否か、安保法制が違憲か否かは、裁判所が決めることであり、裁判所がそう判断したなら、国家の仕組みとしてその判断が最終的なものとなるはずです。

 ところが、わが国は、裁判所の憲法審査について間接審査制を取ると解されています。直接、自衛隊が違憲ですか?、安保法制が違憲ですか?とは聞けないのです。何らかの民事的な事件において、その前提問題として、裁判所に持っていくしかない。そして、そうしても、この種の問題について、裁判所は、「高度な政治問題」であるとか、あるいは手続的な技術的問題に依拠して、門前払いをしてしまいます。

 すると、わが国において、自衛隊が違憲であるか否かというような重要な問題について、政府や政治家、学者、評論家などの、合憲なり違憲なりという「意見」のみがあふれかえり、いつまで経ってもどちらか決まらないということになりました。最終的に解釈を決定するべき裁判所が沈黙を守るからです。

 ここで、アメリカ合衆国の事例を思い起こします。トランプ大統領が移民の入国を禁止した大統領令に署名し、全国の税関でこの命令が実行された、あの事件です。空港内が、アメリカに入国できない中東出身の米国居住者などで溢れかえりました。

 そのとき、連邦憲法に反するとして、大統領令の執行を差し止める決定(正確には仮処分)が裁判所によって下されると、大統領の命令が即日執行停止され、その日のうちに空港の混乱も終息しました。

 日本の裁判所は、行政府に弱すぎるのではないでしょうか。現在の制度では無理である以上、憲法裁判所の創設が必要である様に思われます。

 結論。
1,立憲主義は当然であって、リベラルか否かに関わらない。
2,解釈改憲の積み重ねが問題であって、法の手続に従わなければならない。
3,憲法裁判所の創設が急務である。

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