憲法改正と護憲 ― 2017年11月17日 02:59
憲法9条の解釈については、憲法学において議論の蓄積が十二分にあります。
筆者は憲法学者ではないので、これに立ち入りません。
外から見る限り、少なくとも30年前までは、違憲説が圧倒的に強かったという印象を持ちます。
個別自衛権は有するが武力を行使することができない。
9条の文言からは、率直な解釈かと思います。
しかし、自衛隊の存在が許容されるか否かというような、「高度に政治的な問題」は、裁判所が判断するべきではない、民主的なプロセスに委ねるべきであるとするなら、
政府と国会に委ねられるという趣旨でしょう。
この場合、この問題は内閣・行政府の決定と、国会の単純多数で、「有権的最終的」な判断? が下されます。
この間、自衛隊の存在が既成事実となり、日本は立派な軍隊を有するに至りました。
自衛隊を軍隊でないというのは妄言でしょう。
現在の憲法学説では、この現実と規範の乖離を埋めるべく、自衛隊合憲説が有力化したようです。しかし、未だに違憲説を唱える憲法学者が多数います。
朝日新聞のアンケートによると、合憲説と違憲説がどうやら拮抗しています。
合憲説は、集団的自衛権を認めないという点で、本来違憲であったものの、更なる拡張解釈に歯止めをかけていたとも言えます。
門外漢にも、解釈学として合憲説を導くことがいかに大変かは、容易に想像が付きます。
次に、日本には米軍が駐留しています。安保条約に基づきます。
米軍の駐留が合憲かが争われた砂川事件最高裁判決では、かの有名な統治行為論により、この判断を避けました。本来、「法律上の争訟」として、裁判所として司法審査の対象となるものであっても、上のような高度な政治問題は、司法審査の埒外に置くというのです。
裁判所が審査不能であるとすると、聞こえの良い説明は、民主的プロセスに委ねるということです。
裁判所が判断を全く放棄してしまった、以上の問題について、現在の状況を見てみましょう。
政府と国会の容認により、個別自衛権=自衛隊に安保条約=米軍駐留が加えられて、現在に至りました。
これに最近の安保法制により、集団的自衛権が加えられたのです。
「 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、 国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」には、自衛隊の出動が認められる。
もともと、日本に武力攻撃が加えられた場合、安保条約の下で、駐留米軍が出動するとき、自衛隊が行動を共にするのは当たり前でしょう。協同して軍事行動に及ぶのは必然です。
更に、日本領域外にある米軍に攻撃が加えられて、日本の存立にも危機が及んでいると判断したら、自衛隊が出動するのです。
憲法の条文です。
「第九条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
「国際紛争」って何でしょうね?
当初、政府の説明は、
「日本は個別自衛権は有するが、武力行使を許されない」であったのです。
もうここまで来ると、憲法の「解釈」とは言えない、というのが率直な感想です。解釈というのは、条文の文言を前提として、その言葉の意味を確定することです。起草資料や憲法全体の文脈を踏まえることもできるでしょう。
それ以上に、言葉の意味を越える「解釈」は許されない。
このことはどうしても譲れません。政府がどのようにでも憲法を「解釈」してしまえるとしたら、政府の手を縛るという重要な憲法の役割を果たすことができません。
仮に、憲法9条を越える必然があるとしたら、
民主的なプロセスというのは、
憲法の規定する改正手続きにより、法に則り、改正することを意味するでしょう。
筆者は、ここまで来たら、以上の事態をどうするか、直裁に国民に問うべきであると考えます。
本来、裁判所が判断するべきですが、全くその気がない。重大な任務を放棄したままである以上、致し方がない。
司法積極主義と消極主義の対立において、アメリカは積極主義であり、日本は消極主義であると言われます。
消極的に過ぎる!
もはや集団的自衛権か、あるいは個別自衛権の延長かという概念論での対立は無意味ではないでしょうか。
自衛隊が必要であるとしたら、アメリカ軍との協同が必然であるとしたら、どのような場合に、何ができて、何が出来ないかを明確にするべきでしょう。
各党が、そうあるべきと考える範囲を明白に主張しつつ、憲法改正手続きにおいて、その是非を直截に、国民に問うべきであると思います。
国民が否と答えたら止める、肯と答えたらそれで良し。
仮に、改憲があるとしたら、今度こそ、どうしてもその憲法を護らせる仕組みが、
国家システムの変更を伴うとしても、どうしてもそのことが必要である、と考えます。
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