移民政策2017年11月26日 01:59

先日、東京出張のときに、飛行機待ちの時間が長かったので、二つの美術展を見に行きました。

東京駅の近くに二つの美術館があって、歩いて2箇所に行けます。便利ですね。

1箇所目が三菱第一美術館で、印象派の版画家を中心とした展覧会をやっていました。いつもは、窓に吊した布製のプリントで見ているロートレックの版画ですが、実物を見る機会に恵まれました。

次に、相田みつを美術館にも行きました。故相田みつをは、書家ですが、自分で作った詩を題材にします。文字と文字の間隔、文字の配置、線の太さ、筆遣いのリズム、墨の濃淡、筆のかすれ、一つの書全体の輪郭全てによって表現されたまるで絵画のようです。それは陶芸のように、二度と同じものを作ることのできない、計算された奇跡の産物でしょう。

フランス印象派の画家達は日本画の影響を強く受けたことが知られています。フランスは、世界の文化先進国として思想、文芸、絵画、映画、服飾、食文化等において敬意を払われている国ですね。多様な文化の影響を受け入れながら、伝統から革新が生まれ、更に現代的に発展させて行きます。

アメリカの経済力が衰えないのは、自国内における文化や価値観の多様性を重んじて、イノベーションが自由に生じる文化的「伝統」があるからであるという議論をよく耳にします。

同様に、ヨーロッパが、その域内や周辺の多様な文化と伝統を融合させながら、文化的発展の止まない地域であるように思います。

前置きが長くなりましたが、移民のお話をしようと思います。


1,国境管理と主権の委譲

イギリスにおける移民排斥運動と、EU規制の押し付けや拠出金などの問題が、イギリスのEU 離脱の原因だとされています。そこで、イギリスの移民の問題から始めます。

イギリスの移民「問題」としては、EUが2004年に東欧など10ヵ国を新規加盟させて以降に急増した、ルーマニアやポーランドからの移民の問題を説明する必要があります。

 「2016年における英国(人口6400万人)の純移民増は36万人にも及ぶ。うち、EU域内からの移民は18万4000人」。

【ゼロからわかる】イギリス国民はなぜ「EU離脱」を決めたのか-露わになるグローバル化の「歪み」 (元毎日新聞社記者で長崎県立大学教授の笠原 敏彦氏のブログ。)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50639

ここで、EU域内と域外の区別が重要です。旧宗主国として、かつて植民地であった国々から英語のできる人々を移民として受け入れています。これは域外からの移民です。そしてIT技術者・プログラマーとなるべき人材としてはインド人が多いようです。インドは、世界一、数学の得意な人々の多い国で有名です。

ちなみに、世界的なIT技術者不足が人材獲得競争に発展しており、日本もご多分に漏れないのですが、前回も言及したように余り人気がないようなので、負け組?でしょうね。

そして、ポーランドやルーマニアなど東欧諸国から来た単純労働者としての移民達がイギリスのEU離脱の象徴的な存在です。これらの国々の生活水準が先進諸国には遠く及ばないので、EUにおいて、東欧から先進地域への人の移動の大きな流れが生じています。

ところで、EUは、ヒト、モノ、カネの域内における自由移動を保証して全体で単一市場を創設することを根本目的としています。シェンゲン協定の締結国間では、まさに国境の垣根が無くなり、関税のみならず面倒な出入国手続も不要です。国境付近に住む人は、毎日、朝には隣国の会社に出勤して、夕方にはハイウェイを飛ばして、国境を越えて自宅に戻るということも可能になります。

笠原氏の上述のブログに「国境管理という主権の委譲」という表現が出てきます。

通常は、国境に関門があり、パスポートとビザのチェックをして、人の移動を管理しています。日本は海に囲まれていますから、航空機や船で外国からやってくる人々を、空港や港湾における、税関で人に関する国境管理を行っています。

日本では、一定の在留資格毎に在留期間が定められていて、その資格外の仕事をすると、不法滞在となり、収容の上、強制送還の対象となります。外国人の入国・在留について、法務大臣の許可が必要とされます。

EUでは、特に、シェンゲン協定の締結国間では、まさにこの国境管理という主権を、EUに委譲してしまって、原則として各国独自の管理を行わないのです。ヒトの自由移動のためです。

従って、EU構成国の住民はEU市民として、構成国間における移動が基本的に自由です。どこの国に住んで、どこの国で働いても構わないのです。イギリスはシェンゲン協定には加入していないので、一定の国境管理を行っていますが、構成国間におけるヒトの移動の自由に関しては受容せざるを得ないようです。

そのために、貧しい国々からの移住者を排斥できない。

経済成長期には、単純労働力の不足を補うために歓迎されるとしても、経済停滞期には、自国の低所得者層の仕事を奪う存在となり得るということになります。

もっとも、イギリスにおいても、もともと単純労働力の不足があり、それは従来から居るイギリス人が職に就くことを嫌っているために、その働き手がなく、下手をすると、その産業が潰れかねないほどの深刻さであった場合があり得ます。

すると、域内からの移民が減っても、その需要を域外からの移民が埋めるだけだという主張もあります。低賃金の労働力を大量に消費する必要があるとしたら、供給元を他に求めるのが経済の法則でしょう。

あるいは、可能であれば労働力の安い国でそれを賄う産業の空洞化が進むだけでしょう。

???どこの国のことでしょう。

フランスやドイツはシェンゲン協定の締結国ですから、以上の影響を強く受けるのは必定です。どの国も、単純労働力の国内的な需要を充たすために、歴史的にも長く移民を受容してきたのです。その上に、EU域内の問題を抱えるに至ったと言って良いでしょう。


2,外国人労働者を受け入れるコスト・ベネフィットの計算

 わが国の政府は、外国人労働者を受け入れる場合の、
 
外国人労働者に対する公共サービスや社会保障の必要に伴う支出と、その生み出す生産性の向上との、コスト・ベネフィット(費用対効果)について、研究を始めています。
 
このことをごく単純化して言うと、次の通りです。説明のためにその一例を呈示してみます。筆者が結論的に賛成しているという訳ではありません。

 「高度人材外国人がわが国の必要な技能等の労働者であるとすると、わが国の生産性の向上に役立つし、一定の収入を得ることも可能であるので、社会保障費の増大には繋がりにくい。若年層であれば、わが国の人口増にも通じるし、将来的な年金支出を考えても、その間の経済成長への貢献からすれば、効用が優る。」

 「しかし、単純労働者については、外国で低収入であった相当の年齢の者であることが多く、家族を連れて長期的に移住する場合、言語の習得も困難であり、やはり低収入の労働者で終わることが予想される。わが国の生産性向上への貢献に比して、本人や子供を含めた言語教育や、公共住宅の提供などの支出、将来的な社会保障・年金支出を勘案すると、その問題が上回る。特に、子孫が親の代の経済的理由で教育機会を十分に受けられないために、生活保護受給などの社会保障・公共住宅等のサービス受給者となるかもしれない。そうすると、一層損失が優る。

 また、この層は、わが国の低所得者層と労働市場での競争者となる。」

 「しかし、更に長期的にみると、人口増加に通じ、「社会的な統合」にも成功するならば、年金制度を支えられる労働人口を生み出し、総体で効用が上回るかもしれない。」

以上のような議論です。

経済学者が既に幾通りかの研究を発表しているようですし、日本政府も各国における移民政策の経済分析等について、研究を行っています。

次に示しているのは、外国人労働者に対する公共サービスや社会保障の必要に伴う支出と、その生み出す生産性の向上との、コスト・ベネフィット(費用対効果)の評価を行う各国調査に基づく資料です。

「諸外国における外国人受け入れ制度の概要と影響をめぐる各種議論に関する調査」 2015年の政府調査(独立行政法人労働政策研究・研修機構)
http://www.jil.go.jp/institute/siryo/2015/153.html

この資料によると、

 「各国における外国人労働者の受け入れに伴う経済・財政、労働市場、公共サービス等への影響は、・・・その時々の景気動向や社会状況、あるいは政治情勢によっても左右され、その評価は一意に定まるものではない」。また、受け入れ労働者のスキルや年齢にも関係するとしています。

どうでしょうか。説得力がありましたか?
どこまでもそろばん勘定です。筆者は、どうも違和感を感じます。そのような経済分析も必要でしょう。しかし、それだけで移民の是非という問題には結論が出ません。

経済分析というのも、採集したデータを、例えば採集期間や種類を、どのように分類し、どのような分析視点によるかという理論的な観点から、あらゆる結論を説明可能とするもののように、思われます。

筆者自身の結論は、後に述べます。


3,外国人労働者数の「管理」と社会統合

二つ目の政府機関の資料です。

「欧州における外国人労働者受入れ制度と社会統合―独・仏・英・伊・蘭5ヵ国比較調査―」 2006年の政府調査(独立行政法人労働政策研究・研修機構)
http://www.jil.go.jp/institute/reports/2006/059.html

ヨーロッパ5カ国の、外国人受け入れ制度に関する比較調査です。各国制度の詳細や実情が分かります。

この調査では、外国人労働者については、「いかに管理できるのか」というスキームで考えなければならない。そして、「多くの外国人労働者を受入れると、長いタイムラグをもって必ず社会統合の問題が起こり、その解決には膨大なコストがかかることを認識する必要がある」としています。

これが2006年の資料なので、前記資料はそれから10年ほど経っている点にも注意が必要です。このような資料が政府の政策決定に影響を与えているとも考えられます。

政府は、5年毎の出入国管理計画を策定しており、外国人移民の問題もこれに従い、政策が遂行されます。むしろ、実際の政府の政策については、これを見れば明白となります。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan40.html

また、統計資料や現在の政策について、法務省が『出入国管理』という白書を出しています。

これらの資料を見ていると、高度経済成長期にはわが国が移民排斥主義を採っていたことが分かります。第2次高度経済成長期には、わが国は未だ貧しいアジアの発展途上国に囲まれていたので、移民を受け入れるとすると、一気に流入して、わが国社会や経済に混乱を生じる恐れがあると、考えたからです。

これが、まずバブル期に転機を迎えます。単純労働力の不足が危機的であったからです。「3K」と呼ばれるような職場には、日本人の若者の就職が見込めなかったのです。

そこで考案されたのが、海外に居住する日系人に、最初から定住資格を与えて、門戸を開放することです。中南米に移民した日本人の子孫です。日系人の場合には、資格外の就労が制限されると言うことも無いので、日本人や永住者と同様にどのような職業にも就くことができます。

「文化的にも親近性がある」とか、「容姿も日本人に似ていて定着しやすいだろう」という理由付けも見られます。しかし、人種的に混血が進んで、白人としか見えないような場合や、日本語を全く理解しないとしても、日系人であるという理由で、受け入れたのです。

想像するに、在外日系人の人口からして、わが国への流入数にちょうど良い枠をはめられるという思惑があったのではないでしょうか。

その後、バブルがはじけて真っ先に首を切られたのが、これら外国人(日系人)労働者でした。帰国費用の無い者は在留を継続せざるを得ませんし、経済的問題から、子弟の教育も公的教育に依存することになります。言葉に不自由な子供達が容易に落ちこぼれてしまいます。

更に、現在は、移民排斥主義を捨て、「高度人材外国人」については受け入れ政策に転じています。

移民受け入れ政策への、歴史的転換が既になされているのです。

IT技術者を含めた国際的な人材獲得競争に日本も参入しています。イギリス等に倣ってポイント制を導入し、高度人材については、永住資格の条件を緩和するという政策を取っています。

これと区別しないといけないのが、単純労働者の受け入れ問題です。日本は、この定住化を認めていません。

平成28年版の『出入国管理』によると、昨年末現在の中長期在留者数は188万3,563人、特別永住者数(第二次世界大戦終結以前から在住の朝鮮半島及び台湾出身者及び子孫)は34万8,626人で、これらを合わせた在留外国人数は223万2,189人です。この内、特別永住者以外の永住者は70万人ほどいます。

この長中期在留者には20万人近くいる技能実習生が含まれます。

技能実習制度というのは、開発途上国の労働者が一定の技能を修得するために日本に一時的に在留できる、日本の国際貢献を目的とした制度です。すなわち、例えば日本の板金技術は世界に冠たるものがあるので、町工場などに一定期間働きながらその技術を習得し、母国の経済開発のために、それを役立たせるというものです。

国際協調主義に適った素晴らしい制度ではありませんか!

と・・・。

実は、これを隠れ蓑にして、単純労働者の受入れをしているのです。わが国の単純労働力不足をその場しのぎにやり過ごす、そういう制度となっています。確かに、本当の国際貢献となる例もありますが、全体から見るとごく僅かでしょう。

例えば、母国では山に囲まれた地域で畑作農家を営む人が、広島県の牡蠣養殖場に配置されて、牡蠣養殖の技術を習得して帰国するのです。わが国でクリーニング業の技術を習得しても、帰国して、同じ職業に就くということも無い。

母国で活かせる技術の習得とは全く無関係に、在留外国人の希望とも関係せず、わが国企業の必要に応じて配置されているのが実情です。

兎に角、「国際貢献」の衣を一刻も早く脱ぎ捨てて、単純労働の資格とするべきでしょう。何とも体裁が悪いではありませんか?

技能実習は、最長3年まで、日本に在留可能ですが、外国人にとって一生に一度だけ認められる制度です。同じ人物が、技能実習資格では再度来日できません。

以上が、わが国の外国人労働者受け入れに関する現在の「管理」の一端です。

単純労働の受け入れについて、経済界からのニーズがあります。

2004年に経団連の提言がありました。また、先日(2017年11月16日)、日本商工会議所が政府に検討を要請するという報道がありました。

経団連の方は、安価な労働力を外国人労働者に求めるような糊塗的手段によることなく、日本の構造改革の進展に重点を置きながら、安価な労働力は外国生産に切り替えることで達成するという趣旨を含むものだったので、日商とは若干おもむきが違います。

日商は、むしろ傘下の企業が労働力不足のために倒産を余儀なくされるという危機感を背景にしているようです。中小企業の団体と、大企業の団体との違いでしょうね。

もし単純労働の移民を認めるとしたら、日本語や日本の社会制度・習慣の教育、その子弟の公的教育における受け入れ問題、公共住宅の提供等の手当てなど、初期費用が掛かります。

後で再論しますが、それでも受入れが必至であるというのがこの筆者の結論です。国家の短期的不利益と長期的利益の衡量が必要でしょう。

その場合に、最も重要なことの一つが、移民の社会統合の問題です。
日本社会への編入を行うために、まず、前述のような教育の必要があります。非民主的国家の出身者であれば、民主制の意味と、生活レベルでの民主的決定(自治会など)への参加の方法を伝えなければなりません。また、環境意識の低い国から来た人々には、例えばゴミ出しルールの徹底など、当然には理解されないのです。

更に、様々な公的行事への参加、例えば地域の「祭り」への参加や地域住民の抱える問題を解決するための公開討論会の開催などが必要になるでしょう。在日外国人と地域住民が理解し合えるようにするための多様な機会を提供する公的機関が主導する活動です。

日本は第二次世界大戦中に、朝鮮半島や台湾で、その国の人々に日本「式」への同化の強制を行った過去を有します。

同化の、決して強制に陥らない、しかし、移民が日本社会に定着し、この共同体の構成員として、母国文化を維持しながらも自ら同化に向かう方法を講じる必要があります。

当初は財政的な負担が増しても、公的な経済的支援が欠かせないでしょう。受け入れた外国人達が、決してその中からは抜け出ることのできないスラムを形成してしまうとしたら、その出自によって低所得者階層を脱することができない彼ら独自のコミュニティーを創り出してしまったら。

ヨーロッパの失敗を繰り返すでしょう。社会の分断と階級の出現によって、犯罪者の温床となってしまいます。

それは外国人だからでは無いでしょう?

外国人犯罪が心配だとする意見を散見しますね。しかし、犯罪率が特に外国人において高くなるということはないという統計もあります。同じ所得層で比べると、日本人と変わらないというものです。

特に凶悪犯罪が取り上げられ、それがたまたま外国人であると、日本人「コミュニティー」に緊張が走ります。印象的です。

まだまだ、我々の側の心の障壁に気づく方が先決である段階にあるのでしょう。内面化されて、当たり前なので、その存在にすら気づかないような障壁です。従って、移民受け入れのための、学校教育や広報により、このことの深い理解を広めてゆく努力も大切です。

移民達と、受け入れる日本社会の双方からのアプローチが必要です。

社会統合に関わる具体例については、またいずれブログでお話しします。

移民政策22017年11月26日 02:00

4,移民の受け入れ

日本は、少子高齢化がますます進み、本格的な人口減少社会に突入したと言われています。

特に、年金・社会保障を支える労働人口の減少が深刻です。

各種の予測によると、日本全体の生産性に関わるほどの重大な労働力不足です。

保育所を作って、子育てと仕事の両立ができるようする。女性と高齢者の労働力を活用すると言います。日本は専業主婦層の労働力も調達して、何とかやりくりする国になりました。年金受給年齢になったら老後を楽しもうというのももはや夢でしょうか。

また、ロボットの活用も考えられます。近未来の日本は、ロボットだらけの国になるのでしょうか。

仮に、少子化対策が成功して今の日本人の若者が多少増加したとして、必要な単純労働力の不足が補えるとも思えません。

運送、流通、製造の各部門で人出が足りません。外食作業やコンビニなどでは外国人留学生で何とか首が繋がっています。

もっと深刻なのは、地方の地場産業を支える人材の不足です。更に、日本の農林水産業の全般に渉り労働力が足りません。農村の高齢化が社会問題化して久しいです。林業も漁業も後継者がなかなか見つかりません。

村が無くなる、地方の自治体が消滅する現実の危機が迫っているのです。

このマイナスを補う切り札が外国人労働者であることはもう誰もが認めてはいます。それでも受入れを躊躇するのは、前述した初期投資とその失敗を恐れるためでしょうか。特に、社会統合の失敗が心配なのでしょうか。あるいは、日本のむら社会に特有のよそ者に対する警戒心なのでしょうか。

単純労働に分類されませんが、看護士・介護士の慢性的な人手不足があります。看護士や介護士については、インドネシア・フィリピン・ベトナムの3カ国とのEPAの中で日本が受入れを約束し、現実に受け入れています。但し、看護士は3年以内に日本の国家試験に合格しないと、継続して日本に定住できません。

母国で看護士資格を取得しているとしても、3年内に日本語を習得し、漢字仮名交じり文の国家試験に合格するというのは極めて厳しい条件ですね。ほとんど合格者が無かったそうです。近年ようやく、漢字にルビを振ることにしました。母国語による試験やローマ字表記の試験は要望があっても認めていません。

ちなみに、来年より新たな外国人在留資格として、介護職資格を創設します。これも一定年限以内に、介護福祉士試験に合格しないといけないようです。この資格創設によって、介護士については、3カ国以外の国々からの外国人移民を受け入れ可能となります。

土地が空いているなら、余所から人に来て貰う。

高度人材外国人の獲得競争に日本が勝てない理由は、言葉の問題以外にも、法や制度に存在する見えない外国人に対する参入障壁が存在するからかもしれません。単純労働を受け入れる度量こそ、このような障壁に気づくきっかけとなるでしょう。

マイナスを補うだけではありません。日本は、古来より外国人の持ってきた文化を受容し、伝統との融合により、日本の文化が発展したという歴史を有します。

多様性を許容し、共生することによる融合が新たな文化の創造・発展に通じます。多文化共生社会はまた、社会を進展させるイノベーションの媒体ともなり得ます。

ここで更に、持論を述べます。

日本が長く移民排斥主義であったのは、広域的なアジア地域において、日本だけが繁栄すれば良い、豊かになれば良いという独善が支配していたからではないでしょうか。

こんなに金持ちの国が、この地域において果たす役割を再認識するべきであるように思われます。

何もカネだけの問題ではありません。円借款やノウハウを与えて、その国の経済開発を促すことは随分して来たかもしれない。それでけではなく、この地域の貧困を多少なりとも分け持つという意識があったでしょうか。移民の受け入れは、そのような国際貢献でもあります。その意識こそが、国家連合の形成に通じる礎となるでしょう。

EUの経験と重なるところがありますが、ある意味で反面教師とすることが可能です。

相手が本当に困っている事について、自分も大変だけれども手を貸してあげる隣組みを、東アジアを含む広域的な世界的地域において形成するリーダーシップを、日本が担う心構えをする時期に来ていると思います。そして、この地域全体が発展し、その一員として日本もその恩恵に浴するのです。繰り返しますが、そのためには、カネだけでは足りません。

移民の受け入れがそんなに容易いことであるとは言いません。前述したように社会的、経済的な負担がとても大きいです。しかし、将来の日本のためには、ここに暮らす人々のために、今現在の困難を引き受ける勇気を持つことと、着実な計画が喫緊の課題です。それがわが国の長期的利益に適うのです。