唐ゆきさんから、じゃぱゆきさん2017年12月15日 13:46

「サンダカン八番娼館 望郷」という1974年の日本映画があります。田中絹代の演技が絶賛されました。「唐ゆきさん」の生涯を描いた映画です。

明治時代日本は、後発開発途上国から出発しました。まだ貧しかった日本では、飢饉のときには、「姥捨て」が行われ、一家の食い扶持を減らした地方もあると言われています。そうしないと、生きていけない。家族と本人が、食うために、子女の身売りも行われました。唐ゆきさんというのは、東アジアの国々に身売りされ、当地で娼婦にされた女性たちのことです。

日本の海外移民は明治期より始まり、次第に本格化しました。日本から遥か遠く、太平洋の荒波の中、中南米に渡った人々はどんな気持ちだったでしょう。散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする〽︎。一気に西欧の文化が流れ込んだ都会では、こんな文句が流行った。明治初期には、日本の寒村にはまだ文明開化の音はしていなかったでしょう。ちょんまげの男性、髷を結った女性、日本の着物を着ています。船底で長い航海を経て、新天地を求めたのです。荒野を切り開き、農園を開発した人々です。この地であれば食っていける。

この頃、日本政府が日本人の海外移民を奨励した時期があります。政府によると、夢の新天地だという触れ込みだったのに、行ってみれば、大きな木の切り株が幾つも植わったまま、岩がゴロゴロ転がっているような荒地であったというようなこともあったそうです。

食えない時代の日本が食えない人々のために外国に救いを求めたのでしょう。

話が飛びますが、第二次世界大戦後、再び日本は、いわば途上国から再出発しましたね。この二回目の高度経済成長期には、相対的に貧しかった東北地方から、東京が季節労働者を掻き集め、「出稼ぎ」という言葉が定着しました。出稼ぎに出た夫・父親が失踪してしまうことがあり、社会問題化しました。また、地方からの集団就職をする少年たちを歌った「あゝ上野駅」という歌謡があります。昭和39年の、井沢八郎が歌ったヒット曲です。就職列車から上野駅に降りた若者の人生がここから新たに出発するという内容です。

現在、世界でも有数の豊かな国になった日本では、土地が余り、人が足りない状況になっています。金があっても、土地があっても、製造業も農業もままならない。人が居ない。

この人手不足を補うために、外国人を既に一定数受け入れています。

古代より、中世にかけて、日本は中国や朝鮮半島から人を招き、日本の科学技術や文化の発展の基礎となりました。また、明治以降、西洋から招いた「高度人材外国人」は、用が済むと大金を手にして母国に帰りましたが、中国大陸や朝鮮半島から日本に移住した人々はこの国に定着し、その文化に同化し、また、文化的独自性を維持しながら、この国の文化を豊かにしました。よく知られているのは食文化ですが、これに留まりません。

単純労働者について、戦後の日本は定住政策を取っていません。現在は、技能実習生として、海外貢献の名目で、その外国人にとって、一生に一度だけ、3年間を上限に受け入れているのみです。もちろん、在留資格を変更できれば良いのですが、単純労働としては、これ以上は居られません。技能実習制度については、以前、このブログで取り上げていますので、そちらを参照してください。

開国以来、わが国の貧しさを外国に分け持ってもらった日本が、今、特に、この国際的地域社会において、他国の貧しさを分け持つ必要があるのではないでしょうか。そのような人的な繋がりによって、平和への強い思いを日本と近隣諸国の人々との間で共有することができ、お互いに、他国のこと、そこに住む人々のことが他人事ではない感覚を醸成できるように思います。それぞれの文化の独自性を競いつつ、多文化が融合し、また衝突すること。そうして文化的な爆発を招来することが新しい文化の芽生えに通じる。そのようにしてのみ考えられるイノベーションが日本の文化・社会を発展させるでしょう。

太平洋戦争以前及び戦中、旧植民地から受け入れた移民の時代から、移民についてもニューカマーの時代になりました。中南米から、日系人に限って、定住資格を与えつつ、単純労働の担い手として「募集し」、受け入れました。帰って来てもらったのですね。バブルが弾けて、真っ先に首を切られたのも、この外国人労働者でした。遠いブラジルへの飛行機代は高いです。払えないと、帰るに帰れません。子供達は分からない言葉で、慣れない日本の義務教育を受け、落ちこぼれます。

「サンダカン八番娼館」では、年老いた娼婦が、夕陽の落ちる海の、水平線に向かって叫びます。異郷にあって、その水平線の向こうにある遠い故国を思い、叫ぶのです。

今の日本は、唐ゆきさんの時代から、ジャパゆきさんの時代になりました。(日本に行く人=ジャパンに行く人から、ニューカマーとしての出稼ぎ移民をジャパゆきさんと呼ぶことがあります)。

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