皇室アルバム特別編2017年12月31日 08:54

論文準備のために、難解な英文と取っ組みあっているところです。

気がつけば夜明け。眠れないし、酒を飲みながら、何となくテレビをつけてみると、

皇室アルバム特別編という年末の特番を放映していました。
皇室のこの数十年の歩みを編集したものです。

その中で、1970年の大阪万国博覧会を、当時の皇太子一家が訪問した場面がありました。昭和天皇の頃ですから、退位される現在の天皇が若い頃のことです。三波春夫という歌手の「こんにちは〜、こんにちは〜。1970年のこんにちは〜」という歌詞が記憶に残る万博音頭がヒットしました。

当時、小学生だった筆者は、学校の社会見学や親と一緒に見に行った思い出があります。アメリカ館の「月の石」を見るために、他の国のパビリオンに比べても一際大きなパビリオンを、何重にも取り巻いた見物人が、何時間も待たされました。アメリカの宇宙飛行士が人類として始めて月面から持ち帰った「石」です。今でいうと、ディズニーランドやユニバーサルスタジオの人気アトラクションが3時間待ちになるみたいな感じです。大阪の小学生は特別扱いだったようで、特に待つこともなく、しかし、ゆっくり見ることは許されず、駆け足でその前を通り過ぎたのを覚えています。これも今でいうと、パンダの赤ちゃんですね。パンダと異なり、「月の石」は何の変哲も無いただの石でした。

皇室アルバムの特番では、当時の皇太子の皇子である幼い兄弟(現在の皇太子)がパビリオンを訪問する様子が放映されていました。どんな人気パビリオンでも待ち時間無しに見ることができたでしょう。二人のお好みは、子供らしく、エキスポランドの乗り物だったというナレーションが入っていました。エキスポランドにはその頃は珍しかった新型のジェットコースターが設置されていて、大変人気がありました。

世界各国の公式パビリオンは様々な国の文物を展示していたのですが、面白いのは建物だけで、特に発展途上国の場合、展示物はパネルとパンフレットと、そのほかはその国の土産物が主たる展示物でした。実際に人気を博したのは、わが国企業の出展したパビリオンです。各社が意を尽くした展示物やアトラクションは、むしろ今のユニバーサルスタジオのそれに近いもので、近未来の日本の姿を先取りしていました。当時の筆者には、SFの世界のおとぎ話のように感じられたのですが、携帯電話や、現在では、もうIoTによって実現されているような世界観を示す展示でした。

1970年代といえば、発展途上国が旧宗主国である西欧各国から独立し、漸く勢揃いした時期にあたります。パソコンとインターネットの普及はまだありません。日本では、その後約20年を要しました。そしてジャンボ機のような大型航空機の開発と導入により、ヒトの国境を超えた大規模な移動も、いよいよ本格化しました。

今現在の日本の社会は、まさに万国博覧会で描き出された未来社会そのものです。科学技術や産業の発展は目を見張るばかりです。第三次産業革命が起こったと言う人もいます。

その間、社会科学はどのような変化を社会にもたらし得たのでしょうか。自分が社会科学の研究に従事しているのに、あまり良く分かりません。内心忸怩たる思いに駆られます。日本にとって、他の先進国と比較して最も遅れているものの一つが、この分野ではないかと感じます。

ところで、皇室の話に戻りますが、女性天皇の誕生、女系宮家の創設など、盛んに問題とされているわりに、実現に向けた議論が一向に進まないように思えます。日本国民の統合の象徴である天皇の家は、未だに、男尊女卑なんでしょうか。日本社会の、庶民が「仰ぎ見るような」、そんなところで、女は男子たるお世継ぎを産む道具なんでしょうか。以前のブログで取り上げた雅子皇太子妃のご病気ですが、「適応障害」が公式発表です。精神的な病です。うつ病であれば、最近は薬物療法により通常の社会生活や仕事を熟すことができるようになっています。但し、完治は困難なようです。雅子妃も、この後、何とかお元気に皇后としての仕事を遂行されるよう祈ります。皇太子妃よりも遥かに重要な役割であり、一層の激務でしょう。

秋篠宮家、真子内親王の婚姻が予定されていますね。婚礼儀式の費用や皇室離脱の一時金が莫大であるという憶測が飛び交っています。日本市民の税金で賄われます。

ここで筆者の疑問は、どうしてもっと皇室の自助努力が求められないのかということです。皇太子婚姻のときには、平安貴族のような装束の皇太子と、十二単を纏った妃の、典雅な挙式のほんの一部が公開されました。このような婚礼の費用も、例えば、婚礼儀式の一部始終ないし相当部分の放映権をテレビ局に販売すれば、巨額の放映権料が手に入る可能性があるでしょう。この儀式自体に国民が大きな関心を持っています。日本国民・市民や世界中の人々が日本の文化・伝統の真髄に接する機会となるでしょう。

また、皇居庭園の公開にしても、天皇のご好意から、その美しい日本庭園を鑑賞させていただけるというよりも、観覧料を取って、恒例の行事にすればどうでしょう。その他の不動産や資産にしても、真に必要な範囲を超えていないのかという観点からの見直しはどうして行われないのでしょう。

天皇陵の発掘調査がなされれば、わが国の歴史学の重要な発展に寄与することは疑いを入れません。しかし、宮内庁見解によると、天皇家という個人のお墓だから、これを荒らすようなことは認められないというのです。筆者には、この理屈がどうにも飲み込めません。

もちろん、憲法や法令上の要請もあるでしょう。しかし、このような議論が十分行われているとは思えないのです。日本社会のタブーなんでしょうか。

以前に述べたように、筆者は、天皇制廃止論者ではありません。日本の伝来的習俗の継承者として、中世以来の文化・伝統を内外の人々に伝え、いわば文化・親善の外交使節として、国家機関であるとすると、その役割を十分はたしてもらいたいと考えています。これも国民の総意、関心に十二分に即するための、現実的かつ真正の検証を絶えず行うことが必然です。

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