ハナミズキ ― 2018年01月12日 01:22
5月ごろに、白色や薄ピンクの花をつけて、街路樹にもよく使われます。
「日本における植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカ合衆国ワシントンD.C.へサクラ(ソメイヨシノ)を贈った際、1915年にその返礼として贈られたのが始まり」だそうです。(ウィキペディアより)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%82%AD
その後、太平洋戦争が起きて、日米が敵国となり、壮絶な殺し合いとなりました。どちらの国にも多大な犠牲を生じました。
日本よりアメリカに桜が送られたエピソードは有名です。アメリカの首都ワシントンのポトマック河岸は、全米で著名な桜の名所となっています。
ハナミズキがその返礼であったということは、日本人にあまり知られていないようです。筆者も寡聞にして知りませんでした。
待ち遠しい暖かな春を、沈丁花の香りと木蓮の可憐な花が連れて来てくれます。その後、桜が散ると、ハナミズキの季節です。
晩春から初夏にかけて、とても心地よい風の中に、地味なハナミズキの花が咲きます。自己主張の少ないこの花が昔から好きでした。
一青窈のハナミズキという歌が有ります。男性から親しい人に向けて送られる花の歌です。
サビの部分です。
「ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ
薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように
僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君と好きな人が
百年続きますように」
以外に知られていない、ハナミズキの歌詞の意味まとめ。
https://matome.naver.jp/odai/2140316640183955001
筆者もよく歌います。披露宴の定番のようです。片思いの男性が好きな女性への純愛を歌い上げているのだと思っていました。
実は、9.11テロのことを知って、一青窈が、涙を流しながら書き上げた歌だったそうです。筆者も同様の経験をしました。
詩というものは、読み手の好きなように解釈して構わないものです。テロで亡くなった夫、父、恋人が、天国から、地上のかけがえのない人に送った歌なんですね。遺体さえ見つからない。遺族は、せめて遺体だけでも探し出して、弔いたい。自分の身体のすぐそばに置いておきたいと、心からそう願ったでしょう。
「待たなくてもいいよ、知らなくてもいいよ。君と好きな人が百年続きますように」。
口ずさみながら、思わず涙ぐみました。
ところで、一青窈は、台湾人の父と日本人の母の間の子供です。幼くして父を亡くし、亡き父親に会いたいと思ったことがあったそうです。
アメリカによるイスラムへの攻撃と、その反撃としてのテロ。怨嗟と力による報復の連鎖があります。この連鎖を断ち切るにはどうすれば良いのでしょう。
国境の壁が、人々の交流を阻み、国境の壁で取り囲まれた領域の中で、ナショナリズムが高揚すると、もう自分の国のことしか考えられなくなって、他の国の人はどうなっても良い、「殺しても良い」!!!というふうに考えるのでしょう?
私は血が嫌いだ
他人の血をみることが嫌いだ
血をみると たまらなく胸くそが悪くなる。
血が嫌いだから
戦争が嫌だ
世界中の戦争が嫌だ
この世の中から戦争が無くなれば良い
もしも
もしも
この国で戦争が始まりそうになったら
何が何でも
戦争は嫌だ
喉から血を流しても
そう叫びたい
赤ワインをグラスで二杯飲んで、酔っています。
テロで亡くなった人の気持ちを考えると
泣き出しそうになります。
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