クローン猿だ!2018年01月26日 03:26

中国科学院がクローン猿を造った!という報道がありました。テレビ・ニュースでも、カニクイザルの赤ちゃんの映像が放映されていましたね。個体差のない二匹のサルの赤ちゃんでした。

例えば、次の日経新聞記事にも出ています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26084340U8A120C1CR8000/

類人猿でクローンを造ったのは、世界で初めてだそうです。今までに、クローン羊やクローン牛の成功というニュースは耳にしたことがありました。クローン羊のドリーは、衝撃的でした。

クローンサルを造るため、大量のサルが必要だそうです。換言すれば、それだけのサルが殺されたということです。TBS系のニュースによると、日本では動物愛護の観点から問題視されており、そのような実験が行われていないといいます。

同じ番組で放映された記者会見で、中国の技術者が、ヒトクローンは決して造ることがないと強調していました。

クローン人間を造ることが技術的には可能であると、その技術者も言っていました。日本の生殖補助医療、特に、ips 細胞や es 細胞の研究の発達は顕著であり、異なる技術であっても、日本でもヒトクローンの創造が可能であることは当然でしょう。

ところで、「フランケン・シュタイン」は人造人間です。小説から、数多くの映画やドラマになりました。死体を、雷の強力な電力で蘇らせるというものです。

ヒトクローンは死体を蘇らせるのではなく、あるヒトの細胞から元のヒトと同じ個体を造りだすというものです。例えば、子供を不慮の事故で亡くした親が、もう一度、その子供を抱きしめたい。そのために、亡き子の細胞から、その子供を再現することができるかもしれません。

単性の一個の生殖細胞から、全く同じ遺伝情報を持つ生殖細胞を造り出し、これが母胎内で分裂すれば良いのです。

2005年米映画「アイランド」があります。ユアン・マクレガーとスカーレット・ヨハンソンが主演しました。クローン人間の製造工場を描くSF映画です。リンカーン・6・エコー は、トム・リンカーンの、ジョーダン・2・デルタはサラ・ジョーダンのクローン人間です。依頼主が大金と引き換えに、クローン人間を作らせて、自分に事故や病気があったときに、損傷を受けた臓器や器官をクローン人間のもの取り替えるのです。臓器や器官を取り出した後のクローン人間は死を迎えます。クローン人間が家畜のように扱われています。

日本を始め多くの国で、ヒトクローンの研究が規制されています。クローン人間の創造を禁止するのです。

ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律(以下、クローン人間禁止法)
(平成十二年法律第百四十六号)
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=412AC0000000146&openerCode=1

同法第三条 何人も、人クローン胚、ヒト動物交雑胚、ヒト性融合胚又はヒト性集合胚を人又は動物の胎内に移植してはならない。

禁止に違反すると、刑事罰に処せられます。

ヒトの卵子を受精させると、胚になります。これが子宮内に着床すると胎盤を形成し、胎児となります。胎児は女性のお腹の中で、やがて赤ちゃんとして誕生する、人として誕生する以前の状態です。

法的には、出産と同時に、胎児が人となり、法的権利を享受することのできる主体となります。また、この後、その人の命を奪うと刑法上の殺人罪に当たりますが、胎児のときには、堕胎により、殺人罪に問われることはありません。しかし、堕胎罪に該当する場合があります。また、人として誕生した場合に、胎児のときに遡り相続権が与えられます。母親のお腹の中にいるときに、父親が死亡した場合、その子が誕生したら、父の財産相続ができるということです。

このように、やがて人となる胎児にも一定の法的な保護が与えられています。それでは胚はどうでしょう。試験管内で受精卵を造り出すことができます。これを母体内に移植することが不妊治療においてよく行われています。母体に移植する以前の状態が胚です。

胚も、人に繋がる、命の萌芽として尊重しなければならないとする考え方があります。人間の尊厳を守る必要があるからです。

クローン人間禁止法は、ヒトクローン胚(不妊治療の前提となるような男女間の受精卵ではない)を女性や動物の胎内に移植することを禁止しています。わが国社会の「生命倫理」を、法が体現し、科学技術の進展を規制しているのです。

クローン人間禁止法!

そもそもどれほど多くの国民がその法の存在を知っているのでしょうか。

短期間に、政党間の合意に基づき、党議拘束の下で可決されました。元々の法案が、政府の専門委員会や審議会での議論を踏まえたものですが、その構成メンバーは、医学研究者、法学者、その他の識者でした。
田村 充代「クローン人間禁止法の政治過程 : 生命倫理問題の決定の選択肢を探る」 Cinii 論文オープンアクセス
https://ci.nii.ac.jp/naid/110004632020/

多くの国民の関心を引かず、政府により任命された「専門家」により検討された後に、国会議員のおざなりの議論を経て、制定されたわけです。

このような法律は結構あります。クローン人間禁止法もそうだと言えます。新聞に記事が掲載されて、ああそういう法律ができたんだなと、お上の言うことに間違いがないと、ただそう思うのでしょうか。

生殖補助医療やゲノム解析、臓器移植のための ips 細胞等の研究は、人類に明るい未来をもたらす可能性を秘めており、同時に、ビジネスとしても成立し、このような科学技術の発展した国家に多大な利益をもたらすでしょう。人間の命、尊厳のために、新しい科学技術が貢献すると同時に、功利主義的な計算が存在し、「国」という「会社」が利潤追求に走ると、後者の暴走が止まらなくなるかもしれません。

これを食い止める生命倫理とは何でしょうか?

一万人の命を救えるなら、一人が犠牲になっても良い。仮に、答えが肯であるとすると、一千人に一人なら、更に、百人に一人ならどうでしょう。致死率の高い感染病予防のために、重篤な副作用があるワクチンが開発されたとして、現実的な問題が生起する可能性があります。

その程度の犠牲は、科学技術の進歩のためにはやむを得ないという考え方と、一人の命こそ大切であるという考え方が対立します。何人生きることができるなら、その犠牲が正当化されるのか。これを決めるものが生命倫理だとすると、時代や国により、また、扱われる問題によって、異なるとしか言えません。

上の論文によると、クローン研究に関するカトリックの態度は明確です。カトリック教国であるフランスの法的態度が厳格なのは、そのせいかも知れません。宗教的な規範が問題であるなら、その宗教を信仰しない多数の人々にとって、あまり意味がありません。アメリカやイギリスの立場からは、より功利主義的なアプローチが取られているようです。容認されるべきだとする社会的合意の無い部分を禁止して、それ以外は許容することで、科学技術の発展に寛容です。日本法の立場でもあります。

日本でも、法律を作るとき、法を解釈する際に、社会通念ないし社会的合意を基準にします。国会や裁判所が、日本における社会的合意の在り処を測るために、政府委員会の結論や医師会などの専門家集団の議論に依拠しています。

ここで言いたい事は、その「法」に関する問題について、政府が分かり易い形で国民に情報提供し周知した上で、積極的に議論を誘発しているか、ということです。官公庁でも、最近は図版入りのパンフレットやインターネットを通じた方法によることがあり、分かり易いと言えばそう言えるものもあります。また、公聴に付する手続があると、官僚や政治家は胸を張っていうかもしれません。しかしこれすら、おざなりで、形式的です。どんな意見を一個人や団体が述べても、結局、政府方針のままに決定されるのが常態ではありませんか。

批判をいかにかわして、政府案を通過させることが、担当官の手腕とされているとすら思えます。

そこでは、一部専門家などの、高齢かも知れない、お偉いさん方の、ひょっとしたら日本的決定過程を経た多数決が、社会的「合意」として擬制されてはいないか、ということです。

全国民的議論が、先のような問題についても必要でありませんか?

お上に従順な国民性なんでしょうか。国民の側も、どのようなことにも問題意識を持って、社会的な運動にまで発展するかも知れない大きな議論の渦を引き起こす態度、そういう自覚が必要ではありませんか?

次回も、生殖補助医療と社会的合意の問題を扱います。

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