シリアへの巡航ミサイル攻撃と国際法2018年05月06日 00:51

1,米英仏軍によるシリア・ミサイル攻撃

少々前の事ですが、本年4月14日午前、米英仏軍がシリアにおいて、ミサイル攻撃を行いました。

シリア内戦や難民の問題を以前、このブログでも取り上げたことがあります。

これまでの新聞報道をまとめてみます。シリアの首都ダマスカス近郊にある東グータ地区は、アサド政権に対立する反政府軍の拠点であるため、政府軍の熾烈な攻撃の対象となってきました。非人道的な殺人兵器(タル爆弾やクラスター爆弾等)により、シリア内戦による死者数は30万~40万人を超えるとされています。

道の両側は、建物の壁が崩れ落ちた瓦礫の山となり、その間の細い歪曲した路地を、子供たちがとぼとぼと歩いて行く姿が、日本のニュース報道でも放映されていました。大怪我をした幼い子供が泥とほこりにまみれて、泣きながら抱きかかえられて行く姿は衝撃的です。そこに暮らす人々のすぐそばで、そのような爆弾が日常的に爆発している。化学兵器が使用されたとも言われます。

米英仏軍は、巡航ミサイルによって、政府軍の化学兵器製造拠点等をピンポイントで狙い撃ちしたと主張しています。まだ多くの人々が寝静まっている夜明けに、ミサイルが飛来する耳をつんざくような音、炸裂する爆音と地響き、驚いて窓の外をみるとその閃光が当たりを一瞬のうちに真昼の明るさに照らす。米国等の軍隊は安全な場所から、ミサイルを発射しているだけなので犠牲は生じないのです。

ロシアは、米国の軍事攻撃に対して反発して、最新鋭兵器によりそのミサイルを迎撃すると主張していたのですが、米軍らがロシア軍への犠牲を生じない範囲に攻撃を抑制したので、そのような対立は回避されました。

アサド政権、反政府勢力、ISらによる内戦は、米国とロシア、イランとサウジアラビやイスラエルという外国勢が、それぞれのシリア国内勢力を支援しつつ、泥沼化したのです。中東のいつもの方程式でしょうか。いつまでも続く戦争に、シリア市民は声を震わせ、必死に平和を祈っているでしょう。

2,国連安全保障理事会とアサド政権による化学兵器使用疑惑

アサド政権が東グータ地区で化学兵器を再度使用したとの疑惑が生じたのは、今月の7日のことでした。昨年にも国連と化学兵器禁止機関(OPCW)の共同調査機関が化学兵器使用の有無を調査していたのですが、ロシアが反発して活動停止に追い込まれていたのです。

14日に米国を中心とする攻撃が開始されるまでに、安保理ではぎりぎりの攻防が続いていました。10日には、独立調査機関の新設を求める米国の決議案が否決されています。安保理15カ国のうち12カ国が賛成し、常任理事国のロシアのほかボリビアが反対したのです。逆に、ロシアの提案した独立調査機関は、「ロシアに調査員を選択する機会を与え、報告書が公開される前に安保理が調査結果を査定するという内容で、独立した公平な調査とは全くいえない」(米国のヘイリー国連大使)と欧米が反対し、廃案となりました。かくて、米ロの対立と、双方の拒否権の応酬により、安保理が機能不全に陥ってしまいました。
(「シリアの国連調査否決 化学兵器疑惑 米ロ、拒否権の応酬」2018/4/11付 日経新聞電子版より)

安保理の理事国による拒否権というのはよく知られていますね。安保理決議や国連総会決議に基づき、今の例のように、化学兵器使用調査のための独立機関の設立が「決議」で認められ、その結果、アサド政権側の化学兵器使用が確定すれば、更に、複数国軍から構成される国連軍による軍事行動が同様に「決議」されることになるでしょう。化学兵器使用が明確に国際法違反だからです。そうすれば、先のようなミサイル攻撃が国際法に適ったものとして、正当化されます。

しかし、このような決議が拒否権により、よく阻まれるのです。安保理15カ国の賛成多数で、すなわち多数決で決議が成立するのであれば、国際機関によるより迅速な行動が可能になるかもしれません。しかし、これが多数決ではないのです。全員一致がここでの決定方法なのです。

国際機関での決定方法の原則型が、全員一致、すなわちコンセンサス方式なのです。ここでいう国際機関は、主権国家から構成されるものです。それぞれ独立の主権を有する国家が集まって、一定の結論をだそうとするのですから、全員一致を原則とする訳です。この場合、当然、いずれか一カ国が反対すると、その決議は成立しないことになります。その国には拒否権があることになります。

米国とロシアという常任理事国が相互に対立し、同じ問題について、異なる決議案を提出し合い、拒否権の応酬となると、いかなる決議も成立しなくなります。すなわち、安保理の機能不全です。これがかつて、米ソの冷戦時代には良く見られた光景でした。最近の国際社会が新たな冷戦時代に入ったとするような見方もあるようです。

余談ですが、コンセンサス方式の反対をネガティブ・コンセンサス方式と言って、いずれか一カ国でも賛成すれば決議が成立するという方法もあります。その例が、WTOの紛争解決機関による決議です。以前のブログで言及したようなWTO上の紛争に関係します。パネルないし上級委員会のようないわば裁判機関の決定した報告書を、全加盟国によって構成される紛争解決機関が採択するかを決めるとき、ネガティブ・コンセンサス方式によります。従って、勝訴した国は必ず賛成するので、報告書の採択が確実なのです。法に従った国際的な経済紛争の解決が確実に行えることになりました。

安保理決議に話を戻します。

シリアの化学兵器使用疑惑については、アサド政権がこれを否定しており、後見であるロシアが支持しているのです。昨年の、国連と化学兵器禁止機関(OPCW)の共同調査の結果、アサド政権も化学兵器を使用したと断定したのですが、ロシアがこれに反発したのです。

結局、業を煮やしたトランプ大統領が、イギリス及びフランスと共同で、軍事行動に出たということになります。シリア・アサド政権が化学兵器を使用したという国際法違反を犯したのであるから、超えてはならない一線を越えたというのです。

トランプ大統領は、得意げに「mission accomplished(ミッション達成)」とつぶやいているようです。しかし、化学兵器の使用だけを止めても、既に多くの命が失われ、今なお、殺戮が続いているのです。

ところで、この言葉は、ブッシュ大統領がイラク攻撃の際に述べたものです。このとき、アメリカは大量破壊兵器がイラクにあると言っていたのに、最後まで発見されなかったですね。その後、米軍による、イラク人への拷問(アブグレイブ刑務所やグアンタナモ収容所の事件)が組織的であり、隠蔽されていたことが発覚し、国際的非難を受け、国内的にも窮地に陥りました。

安保理決議の存在しない他国領域内への軍事攻撃は、多分に国際法違反の恐れがあります。実際、今回のシリアへのミサイル攻撃について、ロシアや中国を初めとして、国際法違反であるとする厳しい非難が米国等に加えられています。他方、ドイツなど他のEU諸国など、軍事攻撃を国際法上正当化できるとする国々も多く、日本でも、安倍首相がいち早く支持を表明しました。

3,国際法というもの

一つの考え方。「化学兵器使用が国際法違反であるから、その使用を阻止することが、軍事的攻撃を伴うとしても国際法上正当化される」。

異なる考え方。「国連憲章の明文規定のない限り、他国領域内への軍事攻撃は、いかなる理由があっても認められないので、国際法違反となる」。

非常に大雑把にいうと、上のような二つの考え方が対立しているのです。確かに、化学兵器、たとえばサリンなんかを軍事上使用すると悲惨な結果を招くので、どのようなことをしても阻止するべきでしょう。今現在及び未来の国際社会において、どの国も、化学兵器を使用してはならないという「法」が必要です。核兵器を持てる国を固定していることと同じです。

しかし、国連憲章が国際社会の憲法なら、どのような場合に他国の領域に軍事的攻撃を加えることが許されるのかを規定している以上、それに違反すべきではないとも言えます。

筆者は、国際関係法を専門とするとはいっても、この問題は国際公法の問題となり、専門分野が少々異なりますので、軽々に結論することは避けます。

そこで、ここでは国際「法」というものについて、私なりに、ちょっと考察しておきたいと思います。

国際法と言っても、完備された一個の国際法典があるという訳ではありません。多くの条約や国際慣習法の中にある諸々のルールの集合であり、そこに含まれる原則やルールそれ自体が矛盾し対立し得るものなのです。むしろ、国際間に存在するルールそれ自体を発見する営みとも言えます。国際「法」の解釈を各国家が行い、その解釈に従い行動することが国家実行と呼ばれます。逆に、今度は、この国家実行を証拠として、その内容の国際法があると主張されることになります。多くの国々の国際「法」解釈が、一定の趨勢をなすようになると、有力な国際法解釈とされ、そこから新たな国際法の形成があったと考えられる場合を生じます。

なんだか外延のはっきりしない、曖昧模糊としたもののように見えます。こんな風にいうと国際法の研究者からはお叱りを受けるかもしれません。ある時点における、国際的趨勢や諸国家の態度を切り取るなら、一定の決まった内容を持ったものとは言えるでしょう。しかし、国際法解釈ないし、国際法そのものが常に流動的であり、次の時点にはその趨勢が移り変わるかもしれないのです。

それでは、国際法なんか存在しないのでしょうか。そのように考える国際政治学者も居ます。しかし、私は、確かに国際法があると考えています。むしろ、国際社会にも「法」があると主張し続けることが重要なのです。そして、その「法」がどのようなものであるかを、解釈し続けるのです。それを止めた途端、国際社会には「法」が無くなってしまいます。

4,安保理の機能不全と国際法の限界

シリア問題について言えば、安保理における大国の拒否権発動により、安保理が機能不全に陥り、なんら有効な決定を下すことができなくなったのです。これを国際法の限界という論調があります。

しかし、米英仏軍の軍事攻撃が国際法に違反するかしないか、シリアが化学兵器を使用したのなら、それが国際法違反かという形で、既に、議論しているのです。そして、各国が各々に、国際「法」があることを前提にして、その内容を解釈し、互いに非難の応酬に至っている。これ自体が、このことこそが国際法の営みなのです。

先の、一つの考え方と、もう一方の考え方の、どちらを採るか、国際社会の考え方が分かれ、国際機関での議論を生じるのです。例えば、ロシアが米英仏軍の行動を国連憲章違反であるとして非難する決議案を安保理に提出し、否決されています。もっとも筆者は、ロシアの反対の結論が正解であるとしているのでもありません。

国際の「法」が確かに存在するじゃないですか?

確かに、シリア問題について、何が法であるか、その結論を出してくれる「裁判所」はありません。しかし、そのような場合にも存在する「法」としてあるのです。

法解釈は営々として続けなければならないとして、戦禍で国土が荒れ放題となっているシリアの人々はどのように救済されるのでしょう? 筆者は何の答えも持ち合わせていません。一刻も早く、その地の人々が平和に暮らせる日が来ることを願います。

よしんば政権側の化学兵器が無くなったとしても、残酷な通常兵器や拷問の嵐がなお止むことがないのです。テレビで放映されたような、子供達が自分たちで撮影したとされるビデオでの訴えは、国際救助隊の出動を心待ちにしているようでした。現在の国際法は、このことを直ちに可能とはしてくれません。

朝鮮半島の非核化と経済制裁2018年05月12日 16:25

1、経済制裁と国連決議

北朝鮮の核実験及び弾道ミサイル開発については、北朝鮮が1993年に核兵器不拡散条約から脱退を表明して以来、長きに渡り国連安全保障理事会で問題とされてきました。北朝鮮に対して核兵器不拡散条約の体制に戻ることを求め、経済制裁を実施する複数の国連安全保障理事会決議が存在します。

最近の決議として、昨年採択されたものがあります。
「北朝鮮が11月29日に新型とみられるICBM級の弾道ミサイルを発射したこと等を受け、北朝鮮に対する制裁措置を前例のないレベルにまで一層高める強力な国連安保理決議第2397号が、我が国が議長を務める国連安保理において全会一致で採択された」、とされています。
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/northkorea_sochi201603.html(首相官邸HP)

更に、本年2018年3月30日、国連安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会が1個人と21団体等を資産凍結などの制裁対象に追加しました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kp/page23_002478.html(外務省HP)

このほか、わが国独自の制裁措置を実施しています。国連安保理や制裁委員会の決定した強制措置に加えて、内容及び対象範囲を拡大するものです。(前記、首相官邸HP参照)

国際法上の根拠としては、国連憲章第7章に基づく措置です。国連安保理は、「国際の平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為」に該当する事態が生じているときに、「国際の平和と安全を維持し回復する」ために必要な措置を決定することができます。これに国連の全加盟国が拘束されます。そのような強制措置のうち、非軍事的なものが経済制裁と呼ばれるものです。

北朝鮮の核実験や弾道ミサイル発射という事態に対して、上のような決定が行われたわけです。各国独自の経済制裁も、国際法に反しない限り行うことができます。イランにおける大量破壊兵器開発の関係では、アメリカ主導で有志国連合による国際協調に基づく経済制裁がなされていました。わが国も参加しましたね。これは安保理決議に基づくもの以外を含みます。

ここでは、この経済制裁について、考察します。

2、経済制裁の意味

国際社会は、経済的な相互依存を深めています。その国企業との一切の輸出入が行えないことにして、完全に孤立させるなら、産業用及び家庭用の燃料や食糧、原材料及び工業製品、あるいは医薬品まで、輸入に頼っている全ての品目がその国から無くなってしまうか、著しく欠乏するでしょうし、その国で作られる全ての生産物の輸出ができないので外貨を稼ぐことができません。

仮に、完全にこれが実施できるなら、その国は破綻国家となり、その国に暮らす全ての市民が日々の生活に困窮することになってしまいます。これを避けて、国連の下では、その状況に応じて必要な強制措置の内容と範囲を安保理が決定することになっています。

例えば、核爆弾や弾道ミサイルの開発に必要な資材や技術情報の取引を北朝鮮との間で行うことを禁止したり、このことに関係する送金を禁じ、資産を凍結するなどのことが行われます。そのための、制裁リストが作成され、世界の国々がそのリストに従って、各国の国内法に従い、輸出入の禁止や資産凍結・送金禁止の措置を実施するのです。その実施方法は各国に委ねられます。

わが国においては、これを行うための法律が「外国為替及び外国貿易法」です。

わが国法・規則が改正され、政令により決定、追加されると、安保理の決定したリストの通りの措置が実施されると共に、わが国独自の追加制裁が実行されます。

まず、輸出入の禁止は、税関において、北朝鮮からの輸入品および北朝鮮向け輸出物品があれば、チェックされ、その物品が没収され、わが国の事業者は行政処分や刑事罰の対象となります。第三国を経由する取引も規制されます。

送金禁止や資産凍結は、前述した法律に基づく、わが国の外国為替規制によります。わが国の金融機関は、リストに記載されている個人及び国家機関及び民間企業がわが国に預金口座を有していても、預金の出入金が当然には行えないことになります。これは、核開発等に関わる機関・企業の資金源を断つことを意味します。

すなわち、核爆弾やミサイル開発のために必要な資材等を調達しようとしても、代金を支払えないことになります。国際取引では、代金をドルで支払うことが多いのですが、アメリカ以外の国にあるドル預金をユーロ・ドルと呼びます。同じように、ユーロ・円、ユーロ・ユーロ、ユーロ・ポンドなど、自国通貨がその国の領域外において取引される場合があります。国連加盟国において、リストに掲載された者のいかなる資産、その国の通貨であれ、ユーロ・ドルであれ、ユーロ・円であれ、その預金が凍結されることになります。

イランの場合であれば、イラン中央銀行の資産が凍結されたことがあるのですが、これはわが国の日本銀行に相当します。従って、イランのいずれかの行政機関が他国企業と取引しても、仮に他の先進国領域内にある銀行の支店に預金があったとしても、その国が経済制裁に参加している限り、代金の支払いが行えないので、イランは国家としては、いかなる貿易取引も行えないということになります。例えば、ロンドンにあるアメリカの銀行の支店に巨額のドル預金があったとしても、イギリスが経済制裁に参加する限りは、これを引き出すことも、送金することもできなくなるのです。北朝鮮のリストについても同様に考えられます。リストに載っている団体や個人の円やドル預金がわが国金融機関にあっても、これが凍結されます。

同時に、北朝鮮を含む他国の金融機関にある北朝鮮に関係する企業・個人名義の口座への送金が禁止されるので、完全に実施されると、次第に外貨が乏しくなっていくでしょう。

この例からも分かるように、資産凍結や送金禁止は全ての国、特に主要国が全て参加する国際協調においてのみ意味があるわけです。いずれかの国に、北朝鮮の核開発関連会社と他国企業の口座があり、その間で資金の送金が可能であれば、その国が抜け道として利用されてしまうからです。

従来、中国と北朝鮮との国境貿易が行われていたので、中国が国連決議を完全に実施していないと、わが国やアメリカが主張していました。国境貿易の内容によっては、このことが言えそうですが、国連決議も全ての貿易取引を禁じているわけではありません。

いずれにせよ、貧しい北朝鮮という国家が、限られた国家財政の中で、核実験及びミサイル開発を含む軍事費用に莫大な支出を行い、遂には所期の目的を完遂したとすれば、少なくともその意味で経済制裁は失敗したとは言えます。

しかし、外国の銀行口座を管理するコンピューターをハッキングしたり、わが国で問題となった仮想通貨の流出にも関係すると言われているように、詐欺や窃盗を行いながら、他方では、兵器輸出を行って、死に物狂いで核開発等のための外貨を捻出したとしても、いよいよ底を突いきてしまったようです。石油の不足が、深刻な電力不足を招いていると言われます。経済的には恐らく破綻しているに違いないでしょう。

日本海沿岸の各地に、不審船が数多く漂流した事件が記憶に新しいですね。北朝鮮東海岸の漁民を駆り立てて、盗賊船団を繰り出したとも考えらえます。安普請の船で、日本海の荒波を渡り、あの程度の生活必需品や食糧などを盗みにやってきたのでしょうか。どうやら組織的犯罪であるように思われます。

3、朝鮮半島の非核化?

日本やアメリカは北朝鮮の非核化に向けて、経済制裁を更に継続することでしょう。しかし、金正恩委員長が韓国との会談で合意したのは、「朝鮮半島」の非核化です。在韓米軍の撤退ないし非核化が前提である可能性があります。トランプ大統領とどのような約束が交わされるのでしょうか。

先日、北朝鮮から、アメリカ人拉致被害者の返還が行われました。その模様が全米に放映されたようです。彼らが飛行機からアメリカの土を踏む、その瞬間がスローモーションとなる、まるでハリウッド映画の演出のようなあざとさに呆れたのは私だけでしょうか? トランプ大統領一流の派手な演出ですが、三人の帰還を偉業として、国民的人気を博するつもりでしょう。

来たる米朝会談が、必ず「成功」の約束されたものであるように思えます。鳴物入りで設定された国際的ショウを、ノーベル平和賞を狙っているあのトランプ氏が全く採算もなく行うとは考え難いです。全米が固唾を飲んで見守る中、トランプ氏が失敗する訳には行かないでしょう。中国は金委員長との緊密な関係を誇示しつつ、積極的に介入することでしょう。早速、北朝鮮の言い分も聞くべきであると言っています。

双方に利益のある解決が模索されるのではないですか。アメリカ・ファーストのトランプ氏が納得できる内容であれば、北朝鮮への譲歩も当然あり得るので、どのような「非核化」が合意されるのか注視する必要がありそうです。北朝鮮にとって、格好だけの非核化で済むのか。いずれにせよ、核開発とミサイル発射の成功は、少なくともその技術と経験という形では温存されることでしょう。

前々回にも述べたように、北朝鮮のどこかにあるかもしれない核弾頭を前提に、相当程度になあなあな解決もあり得るように思えます。わが国とロシアが、背後から、その様子を伺っています。わが国は、この問題でどこまで100%アメリカと共に、行動できるのでしょうか。

貿易戦争-宣戦布告されたよ32018年05月19日 19:44

1,GATT・WTOにおける安全保障例外

3月25日付けブログ「貿易戦争-宣戦布告されたよ ―」において、次のように述べました。

「日本が関係する、鉄鋼製品やアルミニウムの輸入制限は、GATT・WTO上存在する安全保障の例外条項を使って行うということですので、不公正貿易の一方的手続とは異なります。しかし、トランプ大統領は、安倍首相を名指しして、日本にもう騙されないと言っているそうです。対日貿易赤字をあからさまに問題視しているので、安全保障というのは、ほんの形式的理由付けに過ぎません。」。

更に、4月22日付けブログ「貿易戦争-2002年 ―」で、次の様に述べました。

「この事例を理解するために、WTO協定という国際法があり、その条文を解釈しつつ、結論するという、法の支配の下での司法的解決が前提となります。

WTOを脱退していないアメリカは、国際法遵守義務が国内法としても確立されているので、その内容を無視できません。国際的にも極めて優秀なWTO専門家としての法律家を多く抱えているアメリカです。そのルールに則った主張を繰り出してくるのが必定です。

今回のアメリカによる、鉄鋼製品・アルミニウムの輸入制限も、WTO上、許される安全保障の例外を根拠としています。アメリカ国内法上は合法であっても、必ずしもWTO協定の例外要件を充たすとは限りません。

まずは、日米の二国間協議の場で、このことが問題とされるでしょう。その後、日本がWTO提訴するかもしれません。」

以上をもう少し敷衍して説明しておきます。

アメリカによる鉄鋼・アルミニウムに関する関税の引き上げは、1962年通商拡大法第232条に基づくものです。アメリカの安全保障に対する障害となる場合に、大統領が決定できる措置です。
(通商拡大法232条について、独立行政法人経済産業研究所の川瀬剛志氏が解説しています。
https://www.rieti.go.jp/jp/special/special_report/095.html

安全保障に対する脅威となる場合の貿易管理は従来より行われてきました。日本も、北朝鮮向け輸出を禁止しています。国連の安保理決議に基づく経済制裁と独自制裁のための措置です。WTO上も、GATT21条により、貿易制限が例外的に認められています。北朝鮮に対するわが国の措置もGATT21条(b)(c)に基づき許容されます。

安保を理由とする場合に、WTO加盟国に広い裁量が認められることは事実であり、GATT21条においても、GATT20条柱書のような制限が課せられていません。GATT20条は、安保を理由とする例外ではない、一般的な例外、WTO上の義務を回避できる一般的な例外規定ですが、GATT20条の柱書というのは次の文言を指します。

「それらの措置を、同様の条件の下にある諸国の間において・・差別待遇の手段となるような方法で、又は国際貿易の偽装された制限となるような方法で、適用しないことを条件とする」。

GATT21条の方にはこれがないのです。アメリカは、安保を理由とする場合の貿易制限が、GATT21条を充たす限りWTO上の審査の対象とならないと主張するでしょう。しかし、川瀬氏の上掲HPによると、アメリカの通商拡大法232条の安全保障上の必要という要件が曖昧であり、安保を理由とすれば何でも良いとすることには疑問があります。GATT21条との整合性がやはり問題となります。

以上、もう少し前提より始めて、かみ砕いて説明します。

① まず、法治国家である全ての国において、一切の行政上の措置はその国の国内法に基づきます。法の根拠の無いことを行政府が行い得ません。アメリカの安保上の関税引き上げも、国内法である通商拡大法232条に基づきます。

② 次に、WTO協定は、国際法です。これに加盟している国々において、法としての効力を有します。国際法ですので、国家を義務付けます。具体的には政府機関を拘束します。政府機関の行為、国内法を作り適用すること、法に基づき決定し、法を執行することなどの一切です。

③ いずれかの国の国内法に基づいた行為が、WTOという国際法に違反するか否かが問題となります。安保上の理由に基づく貿易制限も、WTO協定に反する場合が有り得、その場合に、その国は国際法違反を犯していることになります。WTO違反であることが、WTOの紛争解決手続で確定されると、WTO上認められる、対抗措置が許されることになります。アメリカの安保を理由とする貿易制限もこの観点から、WTO上、紛争となり得ます。

④ 他方、私のブログで述べた不公正貿易に対する一方的措置というのは、通商法スーパー301条に代表されるような、相手国の何らかの不公正な貿易措置に対して、アメリカがGATT・WTO上の紛争解決手続によらずに、その国内法に基づき、一方的に認定し、制裁として対抗的な貿易制限措置を採ることを指します。
 自国の安保を理由とする場合、相手国の不公正貿易に関わらないので、これとは異なります。この点で、中国による国家的な知財侵害を理由とする措置とは異なるわけです。

⑤ いかなる国内法に基づく措置がWTO違反となるかは当初より明らかとなっているわけではありませんが、WTOが法である以上、自覚していなくても常に適用されているのです。アメリカが安全保障上の貿易制限を国内法に基づき行う場合、当然、WTO上の例外を意識していると考えられます。安保を言う以上、裁量余地の広い、GATT21条を念頭においていると考えるのが常套でしょう。

2,セーフガード措置

相手国の不公正貿易に関わらず、WTO上関税引き上げが例外的に許される場合として、安保を理由とするほかに、セーフガード措置があります。緊急輸入制限とも言います。GATT・WTO上、関税を大幅に引き下げてきたのですが、その際には予見されなかったような事情を生じたために、ある品目の輸入量が急増し、国内産業を保護する必要のある場合に発動できます。

これもWTO上、厳格な要件が規定されており、その要件に該当する場合にのみ許されます。セーフガード発動国がWTOにこれを通知し、セーフガードによる損害を被る国との協議が開始され、発動国が代償措置をとること(関税引き上げの代わりに相手国の要求に従い、他の品目について関税を引き下げるなど)、相手国が対抗措置を採ること(発動国からの輸入品について関税を引き上げるなど)について交渉されます。

3,日本の対抗措置?

5月18日に、アメリカによる鉄鋼・アルミ関税引き上げに対して、日本が対抗措置の予告をWTOに対して行ったとする報道がありました。

鉄鋼・アルミニウム関税引き上げ措置に対して、日本がこれをセーフガードであるとみなして、対抗措置を採ることをWTOに通告したというものです。

この対抗措置は、上述したように、セーフガード措置に対してWTO協定(セーフガード協定)上、認められるものですが、直ちに、対抗措置を採るというものではなく、その権利を通告したというものです。アメリカによる鉄鋼・アルミ関税引上げに相当する金額の関税引上げを、アメリカからの輸入品に対して行うとしているようです。品目も未定であるとしており、実際に発動するかは、慎重に判断するとされています。
(NHKwebニュース5月18日 22時17分、毎日新聞電子版2018年5月18日 23時43分)

セーフガードと「みなす」という点に法的には大いに疑問があります。アメリカは、鉄鋼・アルミの関税引き上げをセーフガードと呼んでいないのですから。アメリカが「国内法上の」セーフガード発動の手続に入っているわけでもなく、もちろん「WTO上の「国際的な」」発動手続を行った訳でもないし、そういう主張もしていないのに、相手国が勝手にそれをセーフガードとみなすことが、WTO上許されるか、到底不分明であると言わざるを得ません(上掲、川瀬氏のHPも同旨)。

もっとも、鉄鋼・アルミがアメリカの軍需産業によって、武器弾薬の製造に用いられるから、鉄鋼・アルミの輸入を制限して、国内の鉄鋼・アルミ製造業を保護することが、アメリカの安保のために必要であるというのも、言いがかりも良いところでしょう。全く暴論であるように思えます。

日本がアメリカの貿易制限をセーフガードとみなしたのはEUの主張に追随したようです。しかし、EUは暫定的に関税引き上げから外されています。アメリカの言いがかりに対して、日本が詭弁で返したのでしょうか?

日本からアメリカに輸出している鉄鋼製品などは高付加価値製品であるそうです。

「米国への輸出は原油・天然ガス採掘用のパイプなど米国メーカーが生産するのが困難な高付加価値の製品に限っている。このため日本鉄鋼連盟は「日本から輸出する鉄鋼製品は米国経済に不可欠なもので、安全保障の脅威にはなっていない」。(「米鉄鋼輸入制限 日本企業困惑広がる「世界貿易に悪影響」」毎日新聞電子版2018年3月3日 08時30分)

GAT・WTOの安全保障例外において、日本製品がアメリカにおいて兵器製造に用いられていることの立証を、アメリカ側が求められるので、日本からの輸出品が兵器製造には用いられていないのであれば、これを紛争解決手続で争うことが論理的です。

4,鉄鋼・アルミに関する日米貿易摩擦の真意

私のブログで指摘したように、紛争解決手続の終了を待って、対抗措置を繰り出したのでは、とても時間がかかり、その間にわが国産業が多大な損害を被ってしまうので、手遅れとなる可能性があります。

この点で、セーフガードに関する対抗措置に利点があります。セーフガードに対するものであれば、WTO違反に対する一般的手続による場合と異なり、相手国による発動段階で、迅速に対抗措置を採ることができるからです。

そもそもアメリカのいう安保上の理由は、単なる口実であり、日本とのFTA交渉で有利な立場に立つための手段に過ぎないと考えられます。トランプ大統領一流の、ディールのための手札とするつもりでしょう。

逆に、日本は、世界の鉄鋼・アルミ市場における供給過剰により、安価な製品の輸入増に通じたことが、アメリカによる関税引き上げの原因であるとして、これはセーフガードに他ならないと難癖をつけておいたということかもしれません。法的にはよくわかりませんが、法廷戦術と考えれば、この程度のいちゃもんは、わが国内における裁判手続でも有り得るところでしょう。

アメリカと本気で貿易戦争を行うことは避けるでしょう。中国が対抗的な関税引き上げを実施したのとは対照的に、関税引き上げの品目も未決定のままWTOへの通告を行ったのです。慎重なアプローチです。あくまでもWTOに基づく法的な議論を尽くす態度で臨むようです。法的な貿易戦争は論理の戦争です。しっかりと、戦い抜いて欲しいと思います。

鉄鋼・アルミの関税引き上げをめぐるWTO上の争いは、アメリカによる安保上の例外を根拠とした主張を巡る日米の攻防と、発動されるとすれば即時的な日本のセーフガード対抗措置を巡る攻防が、並行して進行すると仮定すれば、双方痛み分けとなる可能性があります。このような状況を背景として、鉄鋼・アルミの関税引き上げに対する日本の適用除外を求めつつ、日米のFTA等に関する経済協議が行われるのです。

ガンガレ(゚Д゚,,)

日大アメフト部問題2018年05月26日 03:51

ユーチューブに動画がアップされて以来、大きな反響を呼び、社会的な問題となりました。被害学生の所属する関西学院大学チームの監督の抗議や父親の記者会見、加害学生の緊急記者会見、日大前監督・コーチによる記者会見と続き、遂に、日大学長の記者会見が開かれました。テレビでも連日報道されています。

1、反則行為と20歳の記者会見

問題となる行為は、ボールを持たず、集団から離れてゆっくり歩いているQBに対する猛タックルでした。被害者は全治3週間の怪我を負いました。

被害選手が後ろからタックルを受けて、もんどり打ってひっくり返る様子が、ユーチューブにアップされ、大きな反響を呼んだのです。あれで全治3週間で済むというのが信じられないくらいでした。脊髄損傷で麻痺が残る恐れのある危険行為です。

フットボールは大男が身体をぶつけあう激しいスポーツですね。フィールドの格闘技とも言われます。ゲームの最中には、ボールを持っている相手選手が怪我をするかもしれないと心配して躊躇していることは許されないでしょう。実際、フットボールの試合で、半身不随の後遺症を残すような怪我をするような例があります。

法律上も、本来なら、暴行・傷害に問われる行為でもそれがスポーツのルールに従う、正当な行為である限り、罪には問われません。例えば、ボクシングで殴り合っても、犯罪には該当しません。日大アメフト部の選手の行為にしても、意図的に相手に傷害を与えるのでない限り、ゲーム中の不幸な事故であったとされたでしょう。

しかし、加害学生が意図的に怪我をさせる行為であったことを記者会見で明らかにしました。しかも、監督やコーチの指示に従ったと言うのです。

加害学生が陳述書を読み上げていた様子からは、その内容が真実であるように思われましたが、監督・コーチの指示があったかについては、当事者同士で対立があります。

冒頭、加害学生の弁護士が、未成年に近い学生が実名を明かして、顔を出して記者会見に臨むことがどのように危険なことか、そのことを認識しつつ会見を行う旨説明があり、その点を理解して欲しいと述べていました。日本全国でこの記者会見の模様が放映されたのです。

実際、学生スポーツを巡る不祥事で、20歳の学生が会見を行うなど前代未聞のことです。大方の同情を買ったと言えるでしょう。自身の責任を自覚し、深く反省していることが窺われ、もうアメフトをやる資格もないと、うな垂れる姿は痛々しく真情が溢れていました。

日大側が事実を公表することを怠っている間に、大きな社会問題となる過程で、被害学生側が被害届を提出し、加害学生が異例の緊急記者会見に追い込まれたのです。監督・コーチが一刻も早く真実を語り、大学が適切な対処を行なっていたとすれば加害学生をここまで追い詰めることが無かったはずです。

2、加害学生による記者会見の意図

ここで、加害学生による記者会見の意図が何であったかを考えてみます。

まず、加害学生が相手選手に傷害を与えようとする意図を有していた、故意の行為であることは、ユーチューブの動画を見る限り疑うことのできないものです。複数の動画が残されており、故意行為であることを否定することが可能ではなかったと思われます。最初のあの危険プレーは、下半身へのタックルなので、ルール上、即刻退場とはならないようです。プレーを継続した加害選手が、相手チームの、怪我をしたQBと交代したQBにも、同様の危険なタックルを行い、漸く退場になった点も、最初の行為が故意であったことを裏付けています。

この行為は、先に述べたように、法律上、傷害罪に問われるべき行為です。実際に刑事事件化しました。被害届が受理されたのです。20歳のこの学生は、警察の取り調べを受けた後、裁判で傷害罪の有罪が確定する可能性が十分あります。そうなると社会的にも傷害罪の前科があるという受け止め方をされるでしょう。通常は大学として、退学処分が考えられますし、仮に卒業できたとしても、その後の就職にも支障を生じるでしょう。

日大学長は、記者会見で、加害学生の大学への復帰と卒業後の就職までのフォローを考えていると述べていました。加害学生の会見は、大変勇気のある行為です。彼が述べた通り、真実を明らかにすることが、償いの第一歩であると決意したのでしょう。監督やコーチの強制的な指示に従ったのであれば、大学の責任として、大学で授業を受けることのできる環境を整えてあげることもあり得るように思えます。この学生の言うように、どのように言われたとしても自分で、そのような反則行為を止めるという判断をするべき責任があったと言えるのみだからです。そして、退学処分というのも、その事情に鑑みて罪一等を減じることもあるでしょう。

しかし、この学生がコーチの叱咤激励を勘違いしたのであれば、それはやはりその学生の責任だとも言えます。監督・コーチは相手方QBに怪我をさせる指示をしていないと否定しており、当初、大学もこれを支持しているようでした。大学側が、これだけの騒動となって慌てて、世論の動向に従い、加害学生に寄り添うような対応を考えたようにもみえます。

被害者側に十分な謝罪を伝えて、真実を公表することで、処罰感情を抑制してもらうということも考えられます。被害学生の父親が記者会見で怒りを露わにしていました。大切な息子が関西学院大学のアメフト部という強豪チームに入り、しかもQBというポジションで先発メンバーとなっているのです。その子が半身不随の重傷を負ったかもしれないので、当然です。傷害罪に該当すると言っても、犯情によっては、情状酌量により罪が軽くなる筈です。

加害学生の陳述書は具体的な状況を克明に記述しており、先に述べたように記者会見の様子からは、その内容が真実であると思えます。それが真実であったとすれば、この学生をこのような事態に追い込んだものは、後悔して真実を述べて謝罪しようとする者を押しとどめ、部の体面や監督の威光を維持しようとしたアメフト部や、ひいて大学の曖昧な態度です。

もっとも、具体的な指示を下したコーチとコーチを通じて選手に指示したとされる監督は、相手選手に傷害を与える意図を有していたとすれば、加害学生に対する教唆、あるいは共同正犯に当たる共犯ということになり、刑事犯罪人になります。否定するのが当然でしょう。

加害学生によると、試合後のハドルで監督が次のように言ったとされています。

「監督から「こいつのは自分がやらせた。こいつが成長してくれるんならそれでいい。相手のことを考える必要はない。」という話がありました。その後、着替えて全員が集まるハドルでも、監督から「周りに聞かれたら、俺がやらせたんだと言え」という話がありました」(陳述書より)。
危険タックルで退場になったことについて、「俺がやらせんたんだと言え」と言ったということはどういうことでしょう。「〜と言え」というのは、実は違うけれど、自分がかばってやるという風に聞こえます。しかし、記者会見では、指示について明確に否定しています。実際に、前監督が傷害の全体計画を練って、コーチに指示していたのだとすれば、実は違うという虚偽の証拠を作出するための卑劣な行為なのかもしれません。

3、相手QBを潰せ!

報道を見ていると、大学スポーツに詳しい解説者の見解に、加害学生の指示の受け止め方の勘違いを指摘するものが幾つかありました。フットボールでは、「相手選手を潰せ」というのは、そのぐらいの気持ちで当たれという意味で普通に使うというのです。激しいスポーツで勝ち抜くためには、そのぐらいの厳しい言葉が必要であるようです。実際、その趣旨の説明を問題の日大アメフト部コーチがしています。

しかし、その学生とコーチの師弟関係は、日大系列の高校アメフト部時代から続いていたそうです。普通の「アメフト用語」を、親密な関係のあるコーチが通常の意味に用いている場合に、大学生となった選手が聞き違える、意味を取り違えるということがあり得ないのではないでしょうか。あのような極端な行為を、誰の指示もなく、学生選手が行える訳がないと、素人には思えます。アメフトのように心身の鍛錬の必要な、臨機応変の判断と高度な頭脳プレーを要するスポーツの強豪チームの選手が、そんな判断ミスをするでしょうか。監督は、記者会見で、加害学生が、代表チーム入りするに相応しい優秀な選手であったとしているのです。

先に述べたように、陳述書に書かれた状況が十分具体性のあるものであり、やはり学生の主張が事実に即しているように思われます。

4、日大アメフト部の文化?

内田前監督が、人事担当の常務理事でした。大学トップが理事長であり、学長がナンバー2ですが、内田氏が実質ナンバー2であったとする報道もありました。理事というのは、大学の経営陣です。理事長や学長の信頼も厚かったといいます。

甲子園ボウルとは、毎年開催されるアメフトの大学日本一を決定する大会です。歴代の優勝校をみると、関西学院大学と日本大学がライバル校であることがわかります。昨年は、日本大学が関西学院大学から優勝を奪回しました。

現役部員や部のOBだけではなく、在校生や卒業生一般にとっても非常に大切な対戦です。甲子園球場には多数の在校生やOB、それに父兄らが応援に詰めかけます。その期待と熱狂は強烈なプレッシャーとなります。

内田監督は、チームを甲子園ボウルの勝利に導いた監督です。多くのコーチを率いて、実際の練習はコーチ陣に委ねていたそうです。大学の要職にも就いており、コーチに対して絶対の支配権を持っていたのでしょう。具体的な指示をした井上コーチは学生のときに、内田前監督の下で日大アメフト部員であり、日大コーチとなったのも、監督の縁故によるのです。前監督は、選手にとっては話をすることもできない雲の上の人でした。

そのような監督、コーチと選手の間のコミュニケーションの問題が指摘されています。しかし、私には、加害学生が叱咤激励を取り違えたコミュニケーションの問題であるとは思えないのです。

いずれにせよこの問題は、学生スポーツに存在する勝利至上主義がもたらしたものです。

5、学生スポーツと勝利至上主義

昨年の覇者である日本大学が連覇を狙っていました。近年は関西学院が優勢で、なかなか勝てなかった日本大学アメフト部にとって、関西学院大学が最大のライバルです。定期戦の勝敗など大したことはない。そのQBを潰すことができれば、甲子園ボウルの連覇も近づくでしょう。

勝利至上主義がもたらした組織的な犯罪ではないでしょうか?このことは、当事者が否定しています。日大の第三者機関による調査も予定されているし、捜査機関による捜査も開始されるでしょう。これら調査・捜査の結果をみるまで真相は分かりません。

しかし、それほどの勝利至上主義があっても不思議がない状況が大学スポーツを巡る環境としてあるのではないでしょうか。

ちょっと話が飛びますが、高校野球部の不祥事が絶えませんね。特に、上級生による下級生に対する暴力事件が起きて、公式戦出場辞退に至る例があります。新設校は、まず野球やサッカーなど、一般に普及しているスポーツの運動部を育成し、全国的な大会での優勝を目指します。よく知られていることですが、全国大会で実績を残す強豪校となることが良い宣伝効果をもたらし、生徒の募集に通じるのです。多くの生徒を集めて、受験料・入学金が学校の収入に直結します。(このことが軌道に乗ると、次は進学校となることを目標とする高校があります。大学進学において有名校・難関校への実績が上がると、これが宣伝となり、受験生を集めることができるようになるからです。)

そこで、そのような高校であると、全国の中学生のスポーツ大会にスカウトが向かいます。ある程度才能のある生徒に声をかけて、入学費用や授業料も学校もちで、全寮制の高校に入れるのです。もちろん寮の費用も出してくれます。そうしてかき集めた子供達が、親元を遠く離れて、学業もそこそこに、毎日昼頃から練習に明け暮れるのです。前述した意味で軌道に乗ると、強豪校を目指して来る子を合わせて、学校の規模にもよるでしょうが、毎年、例えば百人ほどの生徒が同一の運動部に所属することになります。出身地ではある程度成績を残していたような生徒を互いに競争させて、その中から更に選ばれた者がレギュラー入りを果たし、大きな大会に出場することができます。

そうした高校では、先の事情から、勝利への執念は相当なものであり、「教育」といっても、人格形成のためのスポーツ教育というよりも、競技のための競技として、エリート選手を育成することに力点が置かれることもあるようです。もちろん、真に子供の成長を目的とする優れた指導者がいることも本当でしょう。いずれが原則で例外かは容易には知りえません。

そうした人格的教育をそっちのけにした、勝利至上主義の下で競技のための過当競争の中で、暴力事件が起こることがあるわけです。

スポーツ選手養成のこのようなシステム自体がそんなに悪いことであるとも言いません。スポーツで培われるべき様々な能力を身につけることが、その人間の成長であり、優れたスポーツ選手が人格的にも優れた人物である例も、我々はよく知っています。

勉強偏差値とは別に、スポーツ偏差値による、子供の選別もあり得るし、その競争の中で問題を生じる場合があるということを指摘しているのです。

大学についても、よく似た例があるようです。新設大学が学生募集で軌道に乗るために、まず、全国大会で実績を残せるような運動部の育成に向かう例があります。このことは何も新設校に限りません。私立大学の場合、一般に、運動部を目指す学生を集めることが、大学のために必要不可欠なのです。高校スポーツの優秀な選手を特待生として、入学金、授業料、寮費免除で集めることが良く行われています。そうしてその大学の運動部が全国大会で活躍することが、大学の宣伝に通じ、学生募集に役立つのです。結局、トータルで大学が儲かる仕組みです。

そこで、運動部向けに、カリキュラムの特別メニューが用意されることもあります。筆者の知人が務めている大学では、アメフト部専用の憲法の授業があるそうです。講義を受けているのが、全員アメフト部員なのです。なぜ、憲法かというと、教員免許を取る前提として大学の憲法の単位が必要だからです。

また、運動部員専用の、勉強お助けデスクなるものを設けて、教員が常駐しているという大学もあるという話を聞きました。授業についていけない学生のための手助けを引き受けるようです。勉強に自信のない体育会系学生が安心して大学に入学できるように、このことを入試パンフレットにうたっています。

大学が力を入れている運動部の部員は、一般学生に比べて特別扱いがなされており、特別カリキュラムが用意されたり、授業出席や単位取得の面で工夫がある場合があります。もっとも全部の私立大学がそうだというのではなく、一部の大学ではそのようなことがあるということです。こうなると、運動部員は大学の授業はそっちのけに、先に高校運動部の例として述べたのと同じように、昼頃から、専用グランドに繰り出し、練習に明け暮れます。

こうして、そのスポーツについて才能をひめた学生らが集まって、その中での競争が行われます。かくて、そのスポーツ種目について、種目別人口の全国的ヒエラルキーの最上部に属するスポーツエリートが集まることになります。彼らは、主としてそのスポーツをするために大学に入ったのであり、給料さえでませんが、学費等免除の上、生活費も保証されており、セミプロのような存在です。

このようなスポーツ・エリートの養成システムについても、それ自体が必ずしも悪いとも言えないでしょう。社会主義国のスポーツ選手の育成を国家が担うように、わが国のような資本主義国におけるスポーツ選手の育成は市場に委ねられているですから。

もっとも大学スポーツの全国大会で活躍できる選手はごく一握りです。プロ選手になれるような学生は更に限られるでしょう。スポーツ・エリートと言っても、この一握りの学生たちをさすのではなく、スポーツ推薦枠に入るとスポーツで大学に入学できるという学生を指すとすると、裾野はぐっと広がります。

さて、学費免除、全寮制の寮費免除の学生は、入学する際に、特定の運動部に入部することが条件となります。そして、大学生活において、その運動部に所属する限りにおいて、その特権が約束されているのです。従って、部を辞めることが、大学を辞めることに繋がる場合があります。その時点で、特権が剥奪され、金がかかることになるからです。

郷里で優秀な成績を残してきた学生が、そのスポーツで身を立てることを夢見、またはただその競技が好きで、競技を続けたい一心で、憧れの強豪校に特待生入学を果たしたとすると、本人だけではなく、親の期待も一身に担うことになるでしょう。

その競技に才能のある学生たちの競争の中にあって、監督・コーチの指導の下、その部の文化、価値観を内面化して行くでしょう。毎日続けられる厳しい練習は、その年頃の若者にとって体力の限界に近いかもしれません。競技で勝つための精神的修練も欠かせません。精神的に追い込んで行くという指導もあり得るように思われます。

スポーツで「勝つ」ことを目指すこと、それ自体が悪かろうはずがありません。単なる遊びではない真剣勝負のスポーツでこそ養われるものが多いはずです。大学スポーツの担い手である者は、大学生です。大学が教育機関であること自体は忘れるべきではないでしょう。その教育は、必ずしも学問である必要はありません。

しかし、先に述べたような大学の組織的要請やOBを含めた大学関係者の期待が、大学スポーツの指導者の肩に重く伸し掛かり、その結果、勝つことに異常に執着してしまってはならないのです。スポーツマンシップとフェアプレイの精神は、スポーツの重要な価値でしょう?そのような価値を十二分に身につけた人材をこそ、大学は社会に送り出すべきです。

なぜ、日大アメフト部の加害学生は、あのような反則行為を仮に強制されたとしても、自ら引き返すことができなかったのでしょう?

実戦練習から外され、重要な大会に出場させてくれないというプレッシャーの中で、何も考えられなくなったのは、なぜでしょう?

以下は、想像です。

スポーツ特待生としての身分から、部を辞めることは考えられない。高校時代からの恩師であるコーチの言葉が極端な重みを持ったので、お前のためだというお為ごかしに説得されてしまった。とにかく自分の将来がその試合に掛かっているという思い込みがあった。そして何より、部の価値観が、勝利への執念と連帯が内面化されていて、これが監督・コーチによって反則行為も辞さないということにすり替えられてしまった。

何事も「部」のためには正当化されるのです。

強迫観念のようなものに突き動かされて、フェアで無いことを自分がしてしまったことに、冷静になって気づいた学生は、涙を流して泣いたのです。自分の過ちは、神聖なアメフトというスポーツを汚してしまったことでしょう。取り返しのつかない思いに駆られたに違いありません。

「相手のことを考えているのだろう。それがお前の弱さだ」、という言葉は、それが事実なら、スポーツの指導者として、言語道断ではありませんか?