部品カルテル型の設例2018年08月03日 23:55

競争法のケンカ

各国競争法が抵触する場合の設例について、今日が最後となります。

1、ブラウン管テレビ事件

 ブラウン管テレビ事件というのは、昨年下された最高裁判決の事件です(最判平成29年12月12日・民集71巻10号1958頁)。

 簡略化して説明します。まず、東南アジアの複数国に所在するブラウン管製造会社らが価格カルテルを締結しました。そして、これをわが国のテレビ製造販売業者の現地製造子会社が購入し、カルテル対象ブラウン管を組み込んだブラウン管テレビを製造した上、わが国のテレビ製造販売業者がそのテレビを購入した事件です。

 最高裁判決の前提となる事件に焦点を当てますと、ブラウン管のカルテルが締結された後、マレーシアにあるブラウン管製造会社Z1から、そのブラウン管を購入したテレビ製造会社X1が完成品を組み立て、X2という日本のブラウン管テレビ製造販売業者がこれを購入しました。マレーシア企業X1は日本企業X2の完全子会社でした。X1がX2の現地製造子会社ということになります。

 事件の背景として、ブラウン管の製造販売に係る継続的な取引関係があると伺えるのですが、Z1(マレーシア企業)の親会社である韓国企業Z2を含めて、ブラウン管製造メーカー側と、日本のX2との間で、予め、ブラウン管の価格、数量や仕様など重要条件の交渉がありました。その交渉で決定された価格等に従い、X2の指示の通りに現地製造子会社X1がZ1にブラウン管を注文し、購入したのです。

 部品カルテルとしては東南アジア諸国の複数のブラウン管製造会社と、日本や韓国に所在するその親会社らが締結したものです。従って、日本企業のブラウン管製造子会社から、日本企業のテレビ製造子会社が購入したものを含みます。現地製造子会社というのは、東南アジアの国々においてその国の法に基づき設立された会社であり、日本企業の子会社と言っても、親会社とは別個の会社であり、設立された国の企業です。実際の事件では、ブラウン管製造メーカーの側は、日本、韓国、台湾、マレーシア、インドネシア、タイの企業であり、テレビの製造地はマレーシア、インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナムの各国に渉ります。そのテレビを、日本の複数の企業が購入しました。

 完成品のブラウン管テレビとして、わが国内に流通したのは僅少であり、多くは、そのまま国外に転売されています。

 わが国の公正取引委員会が、わが国企業を含む複数国のカルテル参加企業に対して、独占禁止法を適用し、課徴金を課しました。このようなわが国独禁法の適用を容認したのが、最高裁判決です。

 最高裁判決のポイントとして、X1とX2が完全親子会社として経済的に一体であるという点と、X2が部品製造者側と重要条件の交渉を行いその合意に従い、現地製造子会社に購入させたという点が重視されました。このような取引には、わが国の独禁法が適用されて良いというのです。

 前回もお話ししたように、原材料や部品調達のサプライチェーンが高度にグローバル化されている今日、完成品を購入する企業・消費者が部品カルテルの被害を受けることが容易に予想されます。わが国に所在する完成品購入企業や消費者を保護するために、このような国外で締結されたカルテルに対して、わが国独禁法が対処する必要性があるとも考えられます。そこで、上記ブラウン管テレビ事件でのわが国独禁法の適用について、わが国の経済法学説上も、多くがその結論には肯定的であるようです。


2、モトローラ事件

 モトローラ事件というのは、2014年に下された、アメリカの第7巡回区連邦控訴裁判所の判決です。

 アメリカの携帯電話の製造販売会社であるモトローラが原告となり、外国で締結された携帯電話用液晶パネルの価格カルテルによって、これを購入したモトローラが損害を被ったとして、カルテル参加企業である液晶パネル製造者ら(日本、韓国等の企業)を被告として、損害賠償請求訴訟を提起しました。

 ①アメリカ企業であるモトローラが液晶パネルの引渡しを受け、アメリカ国内で携帯電話を製造したのは、全体の1%に過ぎません。この部分に対して、アメリカの反トラスト法が適用されるというのはほぼ問題がないでしょう。

しかし、多くはモトローラの現地(主として中国及びシンガポール)製造子会社らが購入し、現地で完成品が組み立てられた上、完成品である携帯電話をモトローラが購入し、②アメリカ国内において流通させたか、または、③そのまま国外に転売しました。

 ②と③の場合、部品である液晶パネルの直接購入者はモトローラの現地製造子会社であり、完成品の購入者であるモトローラは、部品に対しては間接購入者であるということになります。判決は結論的に、間接購入の部分(②と③の双方)について、モトローラの請求を否定しました。

 モトローラは、価格等を現地製造子会社に指示し、その指示に従い現地製造子会社が、液晶パネルメーカーらに発注したのであり、また、モトローラと現地製造子会社は経済的に一体であると主張しました。また、モトローラの携帯電話に特化された用途を有する液晶パネルについて、液晶パネルのメーカーらは、これが組み込まれた携帯電話がモトローラによって購入され、アメリカ国内に流通することを知っていたはずです。これを知りつつ価格カルテルを締結したことが、アメリカの市場に影響したのであるとモトローラが主張しました。

 しかし、第7巡回区控訴裁判所の判決は、次のような二つの理由により、モトローラの主張を排斥しています。

 まず、第7巡回区の民事損害賠償に関する先例として、間接購入者理論が確立されています。判決から若干離れて、この考え方を説明しておきます。

 商品が転売される途中でその商品を最初に購入した者を直接購入者と呼び、その者からその商品を購入した者を間接購入者と呼ぶとします。その商品のカルテルがあったとき、カルテル参加者に対して損害賠償を請求できる資格があるのは、直接購入者のみであるとする考え方です。最初に、カルテル対象商品を購入した者のみが反トラスト法上の損害賠償請求が可能であるとします。最終の購入者が消費者であるという場合には、消費者が3倍額賠償を求めて提訴することができません。

 これに対して、損害転嫁の抗弁を認めるという考え方があります。上の例で、カルテルによる損害を最初に被るのは直接購入者ですが、その分を価格に上乗せして、転売して行くなら、最終の購入者が最終的にその損害を被ることになります。中間者は、カルテルによる価格高騰の分、高く買っても、その分、価格を高くして次に転売するのだから、プラス・マイナス・ゼロになるはずです。従って、中間者が競争法上の損害賠償を請求すると、次の購入者に損害が転嫁されているのだから、むしろ中間者には損害賠償請求をする権利がないと言えることになります。これが損害転嫁の抗弁です。競争法上の賠償請求をされた相手方にそのような主張を認めるものです。

 カルテルに基づく損害という同一の損害について賠償請求が可能であるのが、直接購入者か、最終の購入者かという問題に関して、法の立場が国によって異なるのです。

 第7巡回区は間接購入者理論によっています。部品カルテルの場合、部品を直接購入した者のみが反トラスト法上の賠償請求が可能であり、間接購入者である完成品購入者はこれができないことになります。

 第二に、判決は次のように述べました。親子会社は別個の法人であり、子会社は現地の法に基づき設立され、その法に服する。従って、子会社が損害賠償を必要とするなら、その国でその国の法に基づき請求すれば良い、その国の競争法の執行が不十分だとか、競争法自体が存在しないとしても、モトローラは子会社をその国に設立することを自ら選択したのだから仕方がない、とするのです。

 但し、重要なことは、モトローラ控訴裁判所判決は、競争法当局(司法省)が罰金を科する場合と、裁判所で民事の損害賠償を請求する場合とを区別していることです。この事件で、アメリカの競争法当局は、反トラス法を適用するべきであると主張しました。判決でも、前者の問題については、別個の基準があり得るとして、間接購入者理論は民事賠償にのみ存在する先例であるとしています。


3、ブラウン管テレビ事件とモトローラ事件との比較

 ここで、日本のブラウン管テレビ事件と、アメリカのモトローラ事件を比較しておきましょう。前者は、公取委が課徴金を課した事件なので、行政制裁の問題で有り、後者は私人と私人の間の、民事賠償請求事件なので、基準が同一である必要はないと、私は考えています。

しかし、法の適用範囲の比較をしておくことは有益でしょう。

 カルテルの締結地が国外である場合に、カルテル対象商品(部品a)の直接購入者X1の所在地と完成品bの購入者X2の所在地が異なるときに、対象商品の現実の引渡地、完成品の現実の引渡地について、次のような設例を用います。
(なお、「引渡し」の語が、現実の引渡とは異なり、法的な意味におけるそれを指すことがあります。ここでは引渡地は、契約により決定される事項となり、一般的には本船渡しの契約が多いと考えられるので、この場合のみを例としています。)
 
 ①X2がaの引渡しを現地で受け、X2の所在地に持ち帰り、その国で転売するか、bを製造し、流通させる。
 ②X1がaを組み込んだbを現地で製造し、X2がbの引渡しを現地で受け、X2の所在地に持ち帰り、その国内で流通させる。
 ③X1がaを組み込んだbを現地で製造し、X2がbの引渡しを現地で受け、そのまま他国に転売する場合。X2の所在地国内では流通させない。

 以上の設例を前提に、モトローラ事件は、①にのみ、反トラスト法を適用し、ブラウン管テレビ事件は、①から③までの全てに対して、日本の独禁法を適用しました。一見すると、日本法の域外適用の範囲が広いように思われます。

 しかし、わが国最高裁判決の事実認定によると、完成品購入者である親会社が、部品メーカー側と取引の重要条件について、直接交渉しており、その合意に従い、子会社に購入させたとされています。この部分が、モトローラ事件とは異なります。


4、設例について。

 次に、以前のブログに挙げた設例を再掲します。

「部品カルテル型(ブラウン管テレビ事件・モトローラ事件)

ある製品(完成品a)の部品に関する価格カルテルが、A国企業Y1(日本企業Y2の子会社)を含む複数の部品メーカーによりA国で締結された場合で、A国企業X1がカルテル対象部品を購入し、A国において対象部品を組み込んだ完成品aを組み立て、その完成品aを日本の企業であるX2が購入(輸入)したとする。この部品カルテルが、部品の市場であるA国市場に競争制限的効果を生じるのは当然である。

同時に、X1とX2に一定の関係がある場合などの条件を充たせば、日本の最高裁判決によると、当該のカルテルが、aという完成品の輸入市場に影響を及ぼしたとき、日本が競争制限的効果を生じる市場の一つであるとして、日本の公取委が独禁法を適用して課徴金(行政罰)を課し得る。

従って、この部品カルテルに対して、A国競争法が適用され、同時に、日本の独禁法が適用されることがある。

設例1
日本の独禁法が当該部品カルテルを規制し、A国競争法もまた規制する。

設例2
日本の独禁法が当該部品カルテルを規制し、A国競争法は明示的に許容する。

以上の条件を前提にして、次の問題を考察することができる。

①課徴金の問題として、A国競争法の立場は、わが国独禁法の解釈に影響するか。

仮に、公的執行について、わが国の独禁法の適用があるとして、

②次に、X1のY1及びY2に対する損害賠償請求の問題としては、裁判所は、わが国独禁法の適用範囲について、抑制的に解し得るか。 」



設例1-①について。

 A国に競争法があるとき、部品カルテルの締結地であり、対象商品の市場があり、A国の企業が、実際に対象商品を購入した事件であれば、A国が自国競争法を適用するのはほぼ必然です。他方、ブラウン管テレビ最高裁判決に従うと、X1とX2に一定の関係があり、上述の要件を充たすなら、わが国の独禁法を適用することになりそうです。

 わが国独禁法の解釈として、X1の部品の直接取引を対象としてX2もその需用者(購入者)であるとする考え方や、X1とX2が一体であり、X2が部品取引の交渉者であるなどの事情に基づき独禁法が適用されるとする考え方などがあります。

 この場合は、刑罰ないし行政制裁の二重処罰に類する問題を生じます。わが国独禁法の適用を抑制する必要は必ずしもないでしょう。しかし、事件当事者と、わが国及びA国との関係の強さの比較や、X1及びX2の関係の態様など、事実関係によっては、行政庁である公取委が外国政府の立場も勘案しながら、柔軟にわが国独禁法の適用を調整することもあり得べきではないでしょうか?

 課徴金算定の問題としては、ブラウン管テレビ判決では、X1の損害を算定の基礎としました。経済法学説として、柔軟な制裁金制度を立法論として主張する立場があります。

 なお、X1とX2が親子会社であっても、別個の法人であり、それぞれ設立された国の法に従うというのは、日本もアメリカと同じように大前提となります。


設例1-②について。

 A国の部品購入者であるX1がわが国で、カルテル参加者であるわが国企業を相手取って損害賠償請求をした場合です。

 前回のブログでお話ししたように、X1の損害賠償請求については、A国に生じた競争制限効果に基づきA国で発生した損害なので、A国法が準拠法となります。競争法を含めてA国法に従い、損害賠償を肯定すれば足りるでしょう。

 他方、わが国の独禁法の「市場のルール」がこの場合にも適用されるというのが、設例1-①の結論でした。そうすると、少なくとも理論的には、わが国独禁法が準拠法のいかんに関わらず適用される絶対的強行規定とならないか否かというのが、私の学会報告の主旨でした。

 設例1-①に対して、わが国独禁法における「一定の取引分野」の解釈として、わが国独禁法が適用される場合です。わが国の公取委審決が前提として存在し得ます。その場合の民事賠償であり、X2ではなく、X1が原告となっています。

 結論的には、この場合には、わが国独禁法(市場のルール)の適用は抑制されるべきであると解します。その際に、アメリカの統治利益分析論を応用するのですが、わが国独禁法の実質的解釈に抵触法原則としての解釈原則を付け加えるというものです。この点は、ブログを読まれる皆さんには難解ですので、これ以上は止めておきます。


設例2-①

 基本的には、法の適用原則の解釈として、設例1-①と同様の問題です。

 しかし、設例1と異なり、本来、部品カルテルについて、A国が競争法を執行するべきであるのに、してくれないので、わが国独禁法の適用がなされるという場合です。しかし、設例1の場合と同様に、事件当事者と、わが国及びA国との関係の強さの比較や、X1及びX2の関係の態様など、事実関係によっては、行政庁である公取委が、外国競争法がこの場合を明示的に許容している点をも勘案しながら、柔軟にわが国独禁法の適用を調整することもあり得ると解するべきです。


設例2-②

 設例1-②と同じように、準拠法はA国法となります。A国の競争法も適用されます。そこで、X1の賠償請求は否定されることに一応なります。

 しかし、ここでも、設例2-①の問題として、わが国独禁法の適用可能性があることを前提しています。すると、市場のルールとしてのわが国独禁法が、準拠法のいかんに関わらず適用される絶対的強行法規とはならないかという疑問を生じます。

 特に、X1及びX2の関わる取引を前提に課徴金を課するという公取委の審決が先行する場合に、X1の損害賠償請求につき、わが国独禁法25条(無過失責任)の適用が問題となり得ます。

 私は行為の禁止(市場のルール)と損害賠償の問題について、統一的に準拠法選択を行うべきであるとしますが、行為規範(行為の禁止を定める法規範=市場のルール)について、絶対的強行法規となると解しているのです。その場合、準拠法であるA国の競争法が損害賠償を否定し、わが国の独禁法が損害賠償を肯定することになります。

 この辺り、大変難しい問題で、必ずしも定説がありません。

 更に、間接購入者理論ないし損害転嫁の抗弁の問題が関係します。術語を使うと、前者は、競争法民事賠償の、原告適格ないし請求権者の範囲の問題です。A国が損害転嫁の抗弁を肯定し、従ってX2の請求を認め、X1の請求を否定する場合に、仮に、わが国法の解釈として、X1の請求もX2の請求も原告適格としては肯定するとき、X1に対しては、部品カルテルによる損害という同一の損害について、わが国法が請求を認め、A国法が請求を否定することになります。

 原告適格とか、請求権者の範囲というと、損害賠償の争点であるとも考えられますが、問題の性質がそう明らかであるようにも思えません。間接購入者理論などの解釈が絶対的強行法規の性質を帯びないか否かも、別途考察する必要がありそうです。

 いずれにせよ、外国競争法が準拠法として(準拠法と共に)適用されるとき、わが国の独禁法が絶対的強行法規となるなら、カルテルにより生じる同一の損害に対して、結論が正反対となります。この場合に、わが国独禁法の解釈として、適用を抑制するべきかについて、やはりアメリカの統治利益分析論を応用しようとしています。わが国独禁法の実質的解釈に抵触法原則としての解釈原則を付け加えるというものです。



フー。 ( ̄Д ̄つかれたー


11/05 3の文章を手直し。

移民と二重国籍2018年08月12日 15:10

次のスポーツ選手に共通の属性は何でしょう?
ダルビッシュ有、大坂なおみ、ケンブリッジ飛鳥、五十嵐カノア。
野球。テニス。陸上。サーフィン。

皆が認める一流アスリート達です。

答えは、・・・・






二重国籍の保有者である(あった?)ことです。

ダルビッシュ有選手がイラン人の父親と日本人の母親の間に誕生した二重国籍者であることは有名ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%9C%89(Wikipedia)

大坂なおみ選手は、日本人母とハイチ系アメリカ人の父親に生まれた子です。
http://www.naomiosaka.com/profile/(公式HP)

ケンブリッジ飛鳥選手は、日本人母とジャマイカ人父の子。
https://www.nihon-u.ac.jp/sports/interview/vol_19/(日本大学 アスリートインタビューVol.019)

五十嵐カノア選手は、日本生まれ日本育ちの両親の間の子供です。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13615584.html?_requesturl=articles%2FDA3S13615584.html&rm=150(「(ひと)五十嵐カノアさん 東京五輪に挑む米国育ちのサーファー」朝日新聞Digital)

??? 上の三人は分かるけれど、五十嵐選手はどうして?


1,国籍取得の要件と二重国籍

まず、それぞれの国がその法によって、どのような場合に、自国の国籍を与え、失わせるかを決定します。例えば、ダルビッシュ選手の場合、日本の国籍がどうなるかは、日本の国籍法が決定し、イランの国籍がどうなるかはイランの国籍法が決定します。

生まれたときの国籍取得のための要件として、諸国の法において、血統主義と生地主義が存在します。血統主義は親の国籍が子に承継されるとする立場です。子の誕生のときに親がどこに住んでいようとも関係しません。血統主義には、更に、父系優先主義と父母両系主義があります。前者は父親の国籍が子に承継され、母の国籍は無関係であるとするものです。後者は、父と母のいずれが自国民であっても、その国籍が承継されるというものです。

日本は、以前は父系優生主義であったのですが、女子差別撤廃条約が日本にいて効力が発生することを契機に、国籍法を改正し、現在は父母両系主義によっています。イランは、父系優先主義でした。

そこで、ダルビッシュ選手は、父の国籍も、母の国籍も、それぞれの国籍法により与えられることになります。誕生のときに、日本とイランの二重国籍者となるのです。

次に、生地主義は、子が生まれたときに所在していた国の国籍が与えられるとする立場です。

五十嵐選手の両親は日本生まれの日本人なのですが、両親がアメリカに移住した後、アメリカで生まれたのです。そこで、日本の国籍法により親の国籍が子に与えられ、生まれた国であるアメリカの国籍がその法により与えられます。血統主義と生地主義の国籍法により、生まれたときに日本とアメリカの国籍を取得することになります。

なお、前記記事によると、五十嵐選手が生まれ育ったのは、カリフォルニア州のハンティントンビーチで、幼い頃よりアメリカの強化育成チームに入った「天才サーファー」で、アメリカ国内の主要大会で優勝経験のある、アメリカでは有名なアスリートです。現在、日本の企業と契約し、日本代表で東京五輪をめざすそうです。

なぜ、わざわざそんなことが記事になるかというと、アメリカ国籍も持っているのであれば、アメリカのナショナルチームで活躍し、メダル候補となることが可能だからです。そこで、五十嵐選手が日本を選んだことで、アメリカ国内のサーファーからは怨嗟の声も聞かれるようです。


2,国籍選択に悩む17才

2015年8月28付け毎日新聞のオピニオン欄に掲載された記事を紹介します。日本で生まれた二重国籍の高校生が、日本の法制度について意見を述べています。

「 私は17才、日本人の母とフランス人の父を持つ。
  日本で生まれ育った私にとって、日本は、飛行機を降りた時に「ただいま」と、一安心する大好きな故郷である。同時に、フランスも自分のルーツの国である。私の中で日仏は、黄色と青が混ざって緑色をなすように一つになっている。そんなことも気にせず、政府は5年後までに、私に「国籍選択制度」によって、一方を、切り捨てるよう命じる。・・・容赦なく一つを切り捨てさせる。・・・「国籍選択制度」が、重国籍者にとって、どれほど、自分のアイデンティティーを否定されているようで苦しいか。」

少し引用が長くなってしまいましたが、この高校生の切実な訴えが胸に迫ります。


3,外国籍放棄義務―国籍選択制度、国籍留保制度、帰化要件

日本法は二重国籍が生じることに対して消極的な立場をとっています。

国籍法上、日本で生まれた二重国籍者は、22才になるまでに国籍選択宣言をしなければ日本国籍を失うことが規定されています。しかも、このときに、外国国籍を放棄する義務があるのです。

また、外国で生まれた日本国籍をも有する二重国籍者について、出生の時に国籍留保をしなければ日本国籍を喪失します。出生後間もない赤ちゃんがこれをすることができませんから、親が行うことになります。そして、その子が22才になるまでに、やはり国籍選択宣言をしなければ、日本国籍を失うことになります。

更に、生まれた後で日本国籍を取得する帰化の場合にも、従来保有していた外国国籍を放棄する義務があります。

国籍が国に対する忠誠義務を発生させるものであることから、かつて二重国籍に対して否定的な態度がとられていた時代があります。忠誠義務といっても内面の良心や態度を指すわけではないので、重要なのは兵役義務ということになります。二重に兵役を課される個人にとって重大な負担となるからです。

しかし、わが国には、兵役義務はありません。自衛隊への入隊を募集するポスターを見たことがあるでしょう。若い男女の自衛官が格好良い制服を着て、微笑んでいるものです。彼ら・彼女らは国家公務員である自衛官を、自ら希望して給料をもらっている人々です。

また、先進各国においては、兵役義務が廃止される傾向にあります。

そのほか、実定的に困難があるとされてきたことは、現在ではほぼ解決済みですので、問題が無いのです。むしろ、複数の国籍を保持するメリットの方が大きいとも言えます。そこで、個人のアイデンティティーに関する無慈悲な選択を避けるために、先進国では、二重国籍に寛容な法制度を採用する国が大多数となっています。

二重国籍者にとって、現在生活をしている本拠地である国、生まれ育ったとすればまさに故郷である国の国籍を実効的な国籍として、他方の形骸的な国籍も、心理的アイデンティティーの一として保持することを認める寛容さが必要でしょう。

最近次の記事を目にしました。

菅野 泰夫「W杯が浮き彫りにする日本の国籍放棄問題-「移民大国」日本は二重国籍を議論する時期に」
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/185821/070500017/

「成人の二重国籍保有を認めていない国はG7の中では日本のみである(G20まで拡大しても、日本は少数派に属する)。同様に二重国籍を認めていなかったお隣の韓国でも2010年に国籍法が一部改正され、対象範囲を限定した上で韓国籍取得者の外国籍放棄義務が緩和された。
・・・・
経済協力開発機構(OECD)の外国人移住者データを見ると、2016年の移民流入数のトップはドイツの172.0万人、2位の米国118.3万人、3位の英国45.4万人に次ぎ、日本は4位で42.7万人に及んでいる(日本への移住者の定義は、有効なビザを保有しかつ90日以上滞在する外国人)」

ますます外国人が増加する日本において、国籍放棄義務について、もう一度考え直してみて、二重国籍に関する国籍法改正を考えるべきではないか。このブログの筆者も、その基本的趣旨には同感です。


4,わが国の人口問題と外国人

2017年4月11日付け日経新聞朝刊の記事です。
「人口、2053年に1億人割れ-厚労省推計、50年後8808万人 働き手は4割減」
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の発表した推計です。

厚生労働省の「平成30年 わが国の人口動態」という政府統計資料によると、年々わが国の出生数が低下し、最新の出生率統計でも1.44です。出生数から死亡数を引いた自然増減数は、10年連続マイナスであり、よく言われるように本格的な人口減少社会である傾向は変わりません。全体に男女とも晩婚化の傾向も続いています。

他方、在留外国人の数は、平成28年末で、238万2822人で、総人口に占める割合が1.88%(入国管理局白書より)です。福島原発事故のときに一次的に減少したものの、全体として一貫して増加しています。

また、夫婦の一方が外国人である国際結婚の件数は、平成28年の一年間で、2万1180組です。もっと多かった年もあるのですが、この4年ほどこの辺りの件数で推移しています。

平成27年に実施された国税調査の結果(「総人口,日本人人口及び外国人人口の推移-全国(昭和50年~平成27年)という表)によると、日本人の人口が減少して行くのに対して、外国人人口は、年に数%程度増加を続けています。移住者のみならず、日本で誕生した子供の数も増加していることが予想されます。ちなみに、平成25年の一年間に日本で誕生した子供の総数104,2813人に対して、夫婦の一方が外国人である場合、19,532人であり、夫婦とも外国人である場合、10,695人の子供が生まれています(非嫡出子を除く)。この年に、日本の国籍をも有する二重国籍者ではなく、外国の国籍のみを有する外国人が12,997人、日本で生まれています(非嫡出子を含む)。

以前のブログでもお話ししたように、日本は単純労働者を正式には受け入れてきませんでした。技能実習という国際貢献を隠れ蓑として、年々その数を増やしてきたのです。この在留資格は、その外国人にとって一生に一度だけ、従来は最長3年、新制度によって場合により最長5年を限度に、日本で働けるという資格です。農業や介護など(単純労働とは言えないかもしれませんが)、以前は認められていなかった職種においても技能実習生を受け入れ可能とします。もう背に腹は代えられない、ということでしょう。

高度人材外国人については、すなわち単純労働に当たらない在留資格については、ポイント制により永住資格を早期に取得できるとするなど、わが国は積極的な受け入れ政策を採っています。技能実習以外の資格については、更新が可能なので、更新を繰り返すことで、わが国に定住する、ないし永住することもできます。

もっとも、調理師などを「技能」という資格で受け入れることは行われているので、技能実習とは紙一重の側面もありそうです。もともと技能実習の資格保有者が、他の在留資格の資格要件を備えると、そちらの資格に転換すれば、定住化が可能なのです。

先日、政府が発表した外国人材の受け入れ政策は技能実習制度の拡充が主で、技能実習生が他の資格を取得することを可能とするというものでしたが、恐らくはそのことを容易化するという意味であると考えられます。

この点で、政府の施策が移民政策とは一線を画するという説明がなされているようです。上の日経ビジネス・オンラインの記事では、以上を含めて「移民」と呼ぶので、政府の説明は違和感があります。いずれにせよ移民の言葉の定義の問題なので、むしろ実態を踏まえた実質的な議論が必要でしょう。

ちなみに、私は、一生に一度の単純労働の資格に留まる限り、移民とは呼ばず、それ以上の定住、永住の可能な場合を移民と呼ぶのが分かりやすいと考えています。

その上で、政府の政策を全体としてみると、高度人材の「移民」は大歓迎であるし、単純労働者の資格転換を促進するとすれば、これも移民化させるということなので、既に移民の受け入れ政策に転じていると見ています。

世界の先進国、金持ちの国々との間で、高度人材は言うに及ばず、単純労働者についても、獲得競争が始まっています。外国人労働者から見て、日本が選ばれる国とならなければ、この競争に勝ち残れません。近隣の、韓国や台湾の施策が先行しているのです。


5,二重国籍に寛容な国へ

以上の、国際情勢や、わが国の人口問題及び在日外国人の現況に鑑みると、二重国籍に寛容である法制度に改正することが有り得る選択肢であるように思われます。

高度人材やわが国にとって必要な人材を獲得するためには、生まれ育った母国であった国の国籍をアイデンティティーの一つとして認めつつ、わが国の国籍取得を容易にすることが重要です。その意味で、帰化の際の従来国籍の放棄義務を緩和する必要もあります。

また、わが国で生まれた二重国籍者、わが国の国籍を留保する二重国籍者についても同様です。母の国と父の国の間で引き裂かれるような思いを、そのような若者に抱かせることは無用でしょう。

二重国籍を認めると言っても、二つの祖国に仕えることを強いるという意味ではありません。その国に暮らし、生計を営み、税金を納め、家族や多くの友人知人の居る国、一生その国に住み続けるであろう、その意味で生活の本拠である国の国籍を保有して、その文化や習慣に同化するべきはしつつ、社会の構成員となり、法制度上、今も残る外国人の区別を回避する、特に公民権の関係での不利益を避けることができます。

もとより権力の集中する公職に就く場合には一定の考慮をしなければならないとしても、選挙権を有することで、真の意味で、その社会の構成員となると言えるのです。

朝鮮半島に出自を有するいわゆる在日の人々のドキュメンタリーを見ていたとき、大阪の生野区にあるキムチ屋の若主人が次のように述べていたのが印象的でした。結婚や就職差別がなお残るこの国にあって、父や母のことを思うと、帰化にはためらいがあったが、選挙権を行使してみて、「ああ、やっとこの国の一員になれた」と実感したと言うのです。

著名な政治学者である姜尚中氏は、自伝である『在日』(集英社)の中で、日本に生まれ育った在日2世として、朝鮮半島にアイデンティティーを持つ選択を敢えてするとします。

日本の社会の中にあり、この国の教育を受け、その文化的伝統に同化しつつも、なお父や母の国への思いを抱き続けることを、日本という国は許すことができないのでしょうか。心理的アイデンティティーの一である国籍を保持しつつ、自分の暮らす国の実効的な国籍を持ち、選挙権を行使することで、自分の属する社会のことを真剣に考えることが可能となるのではありませんか。

益々、外国人が日本に暮らす(一定程度の)移民受入国となるにつれて、日本国籍を保持しない外国人の集団が増えるなら、その人達は国に代表を送っていないのに、その法の適用を受けるという集団を、ひょとすると日本の社会的決定や政治に無関心な集団を、大きくしてしまいます。

公のこと、「祭り」に参加することが、定住者自身の社会への参加であると感じられ、定着と同化を自然に促すことで、その社会の統合が図られるのだと思います。

国籍の効果と、帰化2018年08月17日 21:31

台風がどこかを進んでいるのでしょう。強い風が吹いて、今日は随分涼しくて、良い心地。前回に続いて、国籍のお話です。

1、タイ洞窟奇跡の救出と国籍?

次のニュースをご存知の方も多いでしょう。

「タイ洞窟、救出の少年ら4人無国籍 付与の手続き進める」(朝日新聞Digital 2018.7.20付け)

「タイ 無国籍者問題に光 洞窟生還4人に付与 なお48万人」(日経新聞電子版朝刊2018.8.17付け)

「タイ洞窟救出の4人は無国籍 移動の自由なく、国内に同情論も」(西日本新聞電子版 2018.7.18付け)

上の三つの記事をまとめてみます。

少年サッカーチームの選手達が雨のため洞窟に閉じ込められ、無事救出されたニュースに、世界中の人々が安心しました。その選手らとコーチの4人が無国籍であったことが判明したのです。

ミャンマーとの国境付近のその地域には多くの無国籍者が居るそうです。朝日新聞の記事によると、タイ国籍法は、前回のブログでお話しした血統主義と生地主義の双方を採用しているので、親がタイ人であるか、タイで生まれた場合に、タイの国籍が与えられます。

しかし、親が出生届出でを怠っていたり、出生証明書が不明確である、タイで生まれた証明ができないなどの理由で、タイの国籍が与えられないことがあるようです。タイ北部山岳地帯の少数民族の中で、50万人近い人々が無国籍であると云います。ミャンマー北東部のいわゆる「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」は麻薬密造で有名な地域で、武装勢力とミャンマー国軍との武力衝突もあり、タイに逃れる人々も多いようです。

救出された選手の両親がタイ人でなく、タイで生まれたのでもないのであれば、国籍法上の要件を充たさないので、本来、無国籍者とならざるを得ないはずです。

しかし、タイ政府は、多くの国籍申請者の中で、その4人の手続を優先して国籍を付与しました。タイの報道の中には、国籍取得を決定するのは法の要件であるとして、国籍付与自体は評価しながら、このことに批判的な記事もあったようです。

なぜ、タイ政府が国籍付与の手続を急いだかというと、サッカーのイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドから招待されていたからです。タイを出国して、イギリスに行くためには、パスポートが必要です。そのために国籍がないと、外国に行けない可能性があり、国内外から同上の声が上がったのです。

日経新聞の記事によると、タイにおいて、国籍の取得により、教育や福祉サービスを受けることが容易になり、国内外への移動の自由が与えられる。しかし、なお多くの無国籍者がタイ国籍の取得を求めており、行政手続の不公平性が浮かび上がったとしています。


2、日本における外国人の地位

(1) 国際法上の国籍

まず、国際法上、国籍がどのように扱われるかについて解説します。

ある国の国籍はその国の国籍法が決定する、と前回のブログで述べました。他の国は、そのことを承認するのが原則です。自国の国籍の取得や喪失についてその国が決定しますが、他の国の国籍の得喪を勝手に決定することはできないし、文句を付けることも原則的にできません。内政干渉になります。

従って、二重国籍や場合によっては三重国籍、逆に、無国籍を生じます。

また、国籍国への入国の自由が認められます。世界に一国だけは、無条件で自由に入国が認められる国がある、それが本国です。

更に、自国民が外国領域内で危難に遭遇した時に、自国民の人権を救済するための措置を講じることができる権利が、その本国に認められます。これが外交保護権です。

(2)国内法上の外国人の地位―公的側面

次に、日本の国内法上、国籍がどのような意味をもつかをみます。

公的な側面と私的な側面に分けて考えると分かりやすいです。

公的な側面は、市民権とよばれることもあります。憲法の保障する基本的人権を外国人も保障されるかという問題です。参政権を含みます。

最高裁マクリーン事件判決(昭和53年10月4日)という有名な判決があります。
これによると、「憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ・・・」とされているので、原則として、人権保障が及ぶということになります。

しかし、制限される権利もあるわけで、その「性質上日本国民のみを対象としていると解されるもの」が何かが重要です。

その一が、参政権です。現在のところ、選挙権と被選挙権の双方について、国政及び地方の参政権が外国人には認められていません。憲法が、日本国の主権は国民に存するという国民主権の原理に拠っていることから、主権の主たる作用である参政権は、日本国籍を持たない人には認められないとされています。もっとも、地方参政権については議論があります。

また、公務就任権といって、公権力を行使することになる公務員になる権利を制限されます。更に、入国の自由を制限されます。これは出入国管理法が規定しています。

現在、わが国の社会保障制度において、国籍によって受給資格を制限することが、ほとんどなくなっていますが、かつては児童手当、児童扶養手当などの社会手当三法、国民年金法、国民保険法上、国籍要件がありました。外国人にはこれらの給付が認められず、国民年金や国民健康保険への加入もできない時代がありました。

民間企業に勤める場合、雇用保険や労災、企業年金、社会保険については、その企業と労働者が原資を提供するものですから、当時から、そもそも内外人の差別はありません。

従って、自営業者は、例えば、公的な健康保険制度にも加入できないということです。私保険以外に、病気になったときの保障がないことになります。そう裕福ではない外国人がわが国に定住している場合、将来の生活保障もないし、日本はとっても住みにくい国だったでしょう。

しかし、ILO102号条約(社会保障の最低基準に関する条約)(1976)、国際人権規約(社会権規約)(1979)、難民の地位に関する条約(1981)、の各条約をわが国が括弧書きの年に批准し、これら諸条約が社会保障制度の内外人平等を規定しているので、これに併せて、上の諸法にあった国籍要件を撤廃したのです。

なお、本論から外れますが、私の疑問は、社会保障制度の平等があるべきなら、わが国が条約に加入したので、条約に反すると国際法違反となるから国内法を改正するという以前に、条約に無関係に、社会保障に関する内外人平等を実現できたはずではないか、ということです。

健康で文化的な最低限度の生活を保障する生存権については、わが国の最高裁判決によって、外国人については立法府に広い裁量が認められています。限られた財政の中で、日本人を優先することも有り得るということです。

もっとも、わが国の行政実務において、生活保護について外国人も日本人と同様の条件で給付が行われているようです。争われているのは不法滞在者への生活保護給付があるべきかという点です。これを否定しても憲法違反の問題を生じないといのが判例だということになります。従って、行き倒れの(特に不法滞在の)外国人を救済すると、そのための医療費等支出しても、その人からは返してもらえないことになりそうです。

これについても、わが国に暮らす外国人一般に税金納付の義務があるので、社会権についても「外国人」に対する不平等が不当であるとする見解もあります。

(3)国内法上の外国人の地位―私的側面

私法上認められる個人の権利を「私権」と呼びます。わが国の民法3条には、次の様に規定されています。

1項 私権の享有は、出生に始まる。
2項 外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。

すなわち、人は生まれると権利を享有することのできる存在となるということで、ここにその根拠となる法規定があります。外国人についても、憲法の範囲内で、権利を享受できることになります。

ここでも法令により外国人の権利制限が可能とされています。

例えば、外国人の鉱業権、漁業権、船舶・航空機の登録が制限されています。
なお、外国人の土地所有について現在わが国の法令上制限がありません。しかし、大正14年にできた外国人土地法という法律がまだ廃止されておらず、土地所有の制限が可能であるとする法自体は存在するのですが、そのために必要な政令が施行されていません。

更に、法人の私権については、民法35条2項が規定しています。

「外国法人は、日本において成立する同種の法人と同一の私権を有する。ただし、外国人が享有することのできない権利及び法律又は条約中に特別の規定がある権利については、この限りでない」。

外国企業の権利についても内外人平等が原則です。

しかし、外国企業がわが国で事業を行うときに、多様な制限が課されることがあります。上に述べた制限等のほかに、例えば、サービス貿易を行う外国企業による事業に対して多くの制限を設けています。

例えば、電気通信会社や放送会社については、外国人の持株比率が制限されています。外国企業が外国政府と結び付き、わが国の電気通信事業を支配したり、テレビ・ラジオ放送において宣伝することが、国の安全保障に関わると考えられているからです。このことは、外国為替及び外国貿易法に規定されています。

国際法であるWTOはわが国が加入している多国間条約ですが、サービス貿易については、WTO協定の一つであるGATSにおいて、内国民待遇が一般的な義務とされていません。内国民待遇というのは、内国企業と外国企業を差別しないという原則です。GATSでは、加盟している国が自由化を約束する項目をリストに載せて、これに拘束されるという方式を採ります。自由化を約束するか否か、何をどの程度約束するかも、その国が自由に決定できるのです。しかし、約束した以上は、WTO上それに義務付けられます。

そこで、電気通信事業や放送事業について、わが国が法令に規定する限度で自由化を約束しておけるのです。


以上、国籍には様々な法的効果が存在します。


3、帰化

外国人が日本に住む場合、上のような権利制限を被ることになります。

帰化というのは、後天的にある国の国籍をその意思に従い取得することです。外国人が日本国に帰化することももちろん可能です。多くの芸能人やスポーツ選手で帰化した人達が活躍していますね。

帰化の条件が国籍法5条等に規定されています。

①5年以上日本に居住していること、②年齢20才以上で行為能力があること、③素行が善良であること、④生計を営むことができること、及び⑤従来の国籍放棄義務等です。

なお、もともとの国籍を放棄する義務については、本人が真摯に努力しても、その国が国籍を放棄させてくれない場合に、法務大臣が帰化を認めることができます(5条2項)。

法的に言うと、帰化による国籍付与は、法務大臣の許可処分に係ります。しかも、羈束行為ではなく、自由裁量行為です。従って、国籍法5条の条件を満たしたとしても、帰化の申請を行った者の権利として帰化が認められるということになりません。条件を充足しても、法務大臣が、理由は必要ですが自由に拒否できるのです。帰化を拒絶された場合、裁判所に訴えることができると解されるようになりましたが、法務大臣の決定を覆すことは極めて難しいのです。

素行条件や生計条件に関して、法務省のお役人が、申請者の生活状況をその住居において検分する実務があります。そのときに、「靴を脱いで家に上がる」、「日本語ができる」などを確認していたようです。随分ハードルが高いことが伺えます。

日本文化・伝統への定着、同化を帰化に優先させるべきかについては、私は反対です。国籍は法的な権利義務の基準に過ぎないと考えると、刑事犯罪等に問われていない、定職があり一定の収入要件を充たす、ことで足りると解するべきです。わが国に暮らす外国人が帰化を希望するなら、公的生活においてわが国に組み込まれることで、わが国社会への同化は自然に促されるでしょう。

国籍放棄義務とともに、法務大臣の自由裁量に係る許可処分であることが、在日外国人にとって、わが国に生まれ育った3世4世であっても、帰化を躊躇させる要因となっています。相当の時間を要する、随分面倒な手続きなのです。

以下、立法論です。

私は、帰化を一層、容易化することが望ましいと考えます。そのために、帰化の際の国籍放棄義務の廃止、二重国籍の容認、権利帰化と手続の簡易化などの方策が有り得ます。

なお、帰化ではありませんが、生地主義の範囲を拡大することも国民の範囲を増加させる手段となります。ちなみに、アメリカやオーストラリアなどの移民受入国に生地主義が多いのは、その国民を増加させる必要があったからです。

わが国が一定程度、移民を受け入れる時代になれば、国民と外国人の共同体が対立するような事態を避け、社会統合が適切になされるために、外国人がその意思を有するなら、条件を満たす限り国籍を与えて、公的生活において平等に扱い、特に参政権を与えて、社会的決定に参加させる必要があると思います。

自分たちの住む国の構成員として、その社会をより良くすることを真剣に考えるために必要なことです。

しかし、帰化の容易化と二重国籍の容認が実現されるとして、その場合に国籍の取得により完全な市民権を一挙に取得すると考える必要もないでしょう。例えば、居住年数に従い一定の市民権について留保されるとか、二重国籍者については国政の被選挙権がないなど、居住年数や他国の国籍放棄などの条件を充足するにつれて獲得する権利が増えてゆき、最終的に完全な市民権を取得するというような制度設計も可能なのではないでしょうか?

日米貿易協議2018年08月24日 19:27

台風が二つ日本列島を通り過ぎてゆきます。あんなに暑かったのに、殺人的な酷暑であったのに、なんとなく、風に、秋の気配を感じます。

日米貿易協議の初会合が今月10日に終了しました。新聞記事によると、日本がTPPへの復帰を促したのに対して、アメリカは二国間FTAの締結を迫ったことで折り合わず、9月に次回協議を行うことで合意したとのことです。

「貿易促進で一致 9月に次回会合 日米貿易協議が終了」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34079010R10C18A8000000/(日経新聞電子版)

今日は、貿易戦争なり貿易協議と、国際的な通商法ルールの関係について、考えてみます。


1,貿易戦争とWTO

トランプ大統領はWTOの脱退に言及するなど、WTOを無視するかのような対外経済政策を遂行しています。米中貿易戦争のまっただ中ですね。双方の関税引き上げ合戦が、WTO上いかなる根拠の下に正当化されるのか、未だに全く不明です。国際法であるWTOという多国間条約にいずれも加盟しているのに、その法的義務に従わないのを当然のように振る舞うのは、国際法を軽視するにも甚だしい所業です。

国際法は平時国際法と戦時国際法に分類可能です。国際経済法の戦時国際法が発動されるべきなんでしょうかね?(ジョークです。)

もっとも、双方とも国内法上の根拠に基づいた国内的には合法の行為を行政府が行っているには違いありません。しかし、その行為が国際法違反であれば、損害を被る国からWTO提訴が可能となります。

戦争を仕掛けておいて、あるいはその遂行中にも、法廷闘争をその「戦争」の方法の一として取り組むことが充分あるべきでしょう。特に、アメリカは法の国であり、多民族国家アメリカにとって、コミュニケーションの第一歩が対話というより「議論」であり、法を巡る紛争で有り得ます。民族間あるいは人種間で非常に大きな価値観の相違があり、そもそも対話が成立しない可能性があります。法が、ひとまずはその共同体の意思を示すルール集であるので、そのルールの意味解釈と適用を求めて、裁判所を活用する。その論理の争いの方が、どこまでも解決のつかない価値を巡る闘争よりも容易に結論を導くことができ、紛争の当事者がその解決に納得することまでが社会の大まかな合意でありさえすれば、その方が簡便であり、遺恨を残さないからです。

このあたり、腹芸と空気を読む必要のある忖度の得意な日本の「和」の文化とは対照的ですね。

アメリカの対外経済戦争の遂行も国内法上の根拠を有するので、戦争を仕掛けられた場合、国際法に訴えると同時に、アメリカ国内において、アメリカ通商法等の国内法に基づく、法廷闘争を仕掛けることも方法の一つかもしれません。

そもそも、米中の貿易戦争では、いずれの国も表面的には一歩も引かない構えです。経済的覇権を賭けた戦争でしょう。かつて日本がいずれアメリカを抜いて世界一の経済大国になるのではないかなどと、夢想されたバブルの時代がありました。その前後の時代にも、日米の貿易紛争が次々と引き起こされました。その結果、日米構造協議において相互に内政干渉を行い、両国が注文を付け合う指向性を有したのです。そして多角的なWTO体制においては、関税や通商ルールに関して、加盟する国々が互いに内政干渉を行い会う大がかりな仕組みができたと言えます。

トランプ政権がこの国際的潮流に逆行し、時計の針を逆回転させた、WTO以前の状態、すなわち「法」ではなく、むしろ外交交渉による解決を志向していることは憂慮すべきです。ディール=取引は、交渉力の大きな方が常に勝つことのできる、強い者に有利な手法です。

どうやら米国連邦議会選挙の年に、トランプ政権が有権者ないし支持者向けに(ラスターベルト向け(^_^))、経済戦争を鼓舞し、どこまでも戦い抜く姿勢を示して、支持をつなぎ止める作戦に出ているように思われます。

短期的な国家利益を目指すのではなく、国際共同体に属する全ての国の利益が向上する、そのような長期的な利益を指向すること、限られたリソースの中での持続的な発展を目指すというのがWTOの目的であったのです。


2、日米貿易協定と通商ルール

さて、日米貿易協議については、次のブログが目に留まりました。

細川昌彦「「米欧休戦」から読む、日米貿易協議の行方―TPPベースの「日米EPA」を目指せ」
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/062500226/073000003/?P=1(日経ビジネス・オンライン)

トランプ政権があくまでも日米FTA締結に固執するとすれば、やがては日本がその点の譲歩を迫られることでしょう。TPPに復帰してくれるとは思えません。結局二国間の協定に留まるのなら、関税の引き下げとモノの輸入拡大に止まるFTAではなく、米国が加入していたときのTPPの水準と内容で、投資、知財や競争政策などの通商ルールを含めて、EPAを締結すべきだとする主張です。

この筆者も同感です。

また、米欧貿易戦争は一応終息したのですが、前述のブログは、米国からする自動車関税の追加関税発動は、脅しのツールに過ぎず、本丸は農業であり、日米貿易協議にも応用可能であるとしています。


3,日米農業交渉と農産品の自由化

トランプ政権が、高関税で保護されている農業分野で、日本に譲歩を迫ることは必定です。牛肉に関する更なる自由化が求められているという報道があります。

日米の農業交渉について、少し時代を遡り、前史をみることにしましょう。

牛肉・オレンジの自由化を巡る日米の貿易交渉は、少なくとも1971年に遡ります。その後、GATTウルグアイラウンド(1986~1994)の交渉を経て、1991年以降、自由化されています。

更に、1993年にはアメリカ産リンゴが自由化されました。リンゴについて、輸入自由化はそれ以前から行われていたのですが、病虫害の問題から、アメリカ産リンゴは輸入されていなかったのです。

農業の自由化を巡っては、国内的に激しい反対論が巻き起こされるのが常です。農業関係の諸団体がそれを支持母体とする国会議員を動かすことや、国会議事堂前で反対のシュプレヒコールによるデモンストレーションがあったのが記憶に蘇ります。産地選出の議員が日の丸柄の鉢巻きをして、そのデモ隊に入っていたり・・・。

例えばコメの自由化の際も、自由化を進める政府・与党関係者と反対の農業団体との間で、熾烈な論争が繰り広げられましたが、結局は、反対派がグローバル化の浪に打ち勝つことができませんでした。現在、わが国は、コメについては、とてつもない高関税の下、国家管理貿易を行って輸入を統制していますが、ともかくも自由化されました。自由化は、WTO交渉の中で、全体で他国とのウィンウィンの果実を求めた結果、免れないことでした。その関税も、ドーハラウンドが妥結していたら、次期WTOの体制においては、関税の大幅下げが必至の状況にありました。しかし、これが上手くいかなかったために、従前の関税水準に止まっています。

牛肉や、オレンジ・リンゴの生果実・果汁についても、産地農家や生産県の議員の多くが猛反対をしても、押し切られるという歴史を繰り返しています。もちろん自由化との駆け引きの中で一定の優遇政策が採られることが通常でしょう。

ここで考えたいのは、あれだけの国内的な、特に産地の猛反対があっても自由化した結果、どうなっているのかということです。

まず、消費者目線で考えたいと思います。

よくスーパーに買い物に出かけます。子供の頃には、アメリカ産やオーストラリア産の牛肉なんか売っていませんでした。自由化されていなかったからです。その結果、牛肉は高止まりしたままで、中流家庭ですき焼きなんか、特別の日のごちそうか、あるいは庶民には高嶺の花でした。いまでも牛肉は高い方ですが、少々安く済ませるためには国産でなくても、外国産牛肉があります。以前は、その選択肢自体がなかったのです。

ただ、日本は豊かになりましたね。その日本の家庭に育った大学生達に聞くと、アメリカ産やオーストラリア産の牛肉はあまり買わないそうです。うまくて柔らかな国産牛を選ぶといいます。売り場を見ても、国産牛のスペースの方が大きいように思いますが、どうでしょう?日本の消費者の嗜好を捕らえているのは、「和牛」なのかもしれません。

ミカンやリンゴについては、どうですか?

オレンジや外国産リンゴは日本人の嗜好に合っているでしょうか。

皮を剥く果物の消費量が全体に低下傾向にあるため、ミカンの生産量が減少しているそうです。しかし、筆者の暮らす愛媛県では、温州ミカンの季節が早々と終わると、次々と品種改良された様々な晩柑類が出回ります。いよかん、清美、ポンカン、デコポン、せとか、紅マドンナ、はるみ等々の晩柑類です。いずれも味や香りに特色が有ります。

スーパーでは、オレンジの売り場がこれらの国産柑橘類の片隅に追いやられています。

リンゴはどうでしょう。国産の多様な品種のリンゴが年中、スーパーの売り場にならんでいます。あれだけ騒ぎになったアメリカ産リンゴはどこに行ったのでしょう?

調べてみますと、対日輸出はもはやなされていないとのことです。

ちなみに、わが国のリンゴの輸出入状況について。
https://www.pref.aomori.lg.jp/sangyo/agri/ringo-data04.html(青森県庁HP)

少なくとも、ミカンやリンゴについて、オレンジ等外国産果実の自由化の影響が顕著には感じられません。政府の政策や農家の努力により、外国産品との競争に打ち勝ったようにも思えます。

農業経営の視点からは、「和牛」ブランドの確立による輸出機会が増えていることが夙に指摘されています。高級な和牛のイメージを維持発展させることで、輸出が増えることも予想されます。そのためには、原産地表示を保護する通商ルールが、各国間で確立されていることが必要になります。低品質の偽和牛が出回ることで、その国のブランド・イメージが損なわれてしまうからです。自由化と多国間での通商ルールの確立が農産物の輸出に役立つのです。

台湾では、日本産高級リンゴが引き出物として重宝されており、輸出が伸びています。様々な柑橘についても、低温保存技術の確立と輸送方法の発達により、近隣のアジア諸国向けを中心とした輸出産品として発展する可能性があるでしょう。

外食産業や食品加工業の観点からは、安価で高品質の外国農産品によることができることが好都合であることは自明です。

狂牛病がアメリカで発生したとき、アメリカ産牛肉の輸入をわが国が制限したことがあります。WTOの例外ルールに基づく措置です。ところで、牛丼の吉野屋は、ご存知でしょう。吉野屋を経営する吉野家ホールディングスは、その価格と味を維持するためには、どうしてもアメリカ産牛肉でなければならない。オーストラリア産ではまかなえないとして、牛丼の提供を取りやめたことが、一時話題になりました。

また、ミカン・ジュースで有名な愛媛飲料のポン・ジュースですが、温州ミカン100%では必ずしもありません。オレンジ・ジュースを混和させています。甘味と酸味の調整上、ミカン100%よりも一般の消費嗜好に合うという理由です。価格的にも低価に維持する意味合いがありそうです。

鉱工業製品の関税引き下げの際にも、その産品を生産する国内産業が一次的に衰退することがあります。しかし、まず同業生産者が、その国からの輸入に対して関税の引き下げられた低賃金の国に生産拠点を設け、逆輸入や三国間貿易を行って利益を上げることはよく知られています。商社にしても、単なる利益獲得の機会が多様化すると考えるに過ぎません。そして、国内に留まる事業者は、業態転換を含む構造調整を進めることで、生き残りを図ることになります。日本の繊維産業がその代表でしょう。イノベーションによる新たな製品や産業の創生がその鍵となります。

農業産品についても、同様に考える余地がありそうです。


4,リンゴの火傷病に対する検疫とWTOルール

ところで、リンゴの火傷病という、リンゴの幼果期に発生する特有の病気があります。日本には自然発生の無い病気です。アメリカ産リンゴの輸入が、当初なされなかった理由は、日本にないこのような病原菌が輸入リンゴに付着しており、日本のリンゴの木にパンデミックを引き起こしてはいけないという考慮からでした。

先に述べたようにアメリカ産リンゴの自由化のとき、極めて厳格な検疫措置を実施しました。

この検疫措置に対して、アメリカがわが国をWTO提訴して、わが国が敗訴した事件があります。この事件を通して、国際的な通商法ルールの意義を考えてみようと思います。

まず、WTO上、GATT11条1項により、輸入数量制限が一般的に禁止されています。加盟国は、特定産品を輸入禁止や関税割当制にすることを禁じられ、国内産業保護は全て関税の方法によらなければなりません。農業協定により農産品についても例外ではありません。しかし、例外的に輸入制限を行える場合が規定されています。

GATT20条によると、麻薬やわいせつ物などの禁制品の輸入禁止や、人・動物・植物の生命・健康の保護のために必要な輸入制限や禁止が認められます。狂牛病や鳥インフルエンザの発症した国からの、牛肉や鶏肉の禁輸が許されます。

輸入品が税関で検疫措置を受ける場合があります。外国産の農産品に日本には存在しないような病害虫が付着ないし汚染されていないことを確認する措置です。この方法について、規定するのが、衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)です。これによると、検疫措置を採る国に対して、次の様に義務付けています。

1.必要な限度において、科学的な原則に基づいた措置をとること
2.十分な科学的証拠が存在すること
3.加盟国間及び国内外で不当な差別をしないこと
4.国際貿易に対する偽装した制限となるような態様で行わないこと

アメリカ産リンゴの輸入解禁に際して、わが国は、次の検疫措置を実施しました。

アメリカの産地において、火傷病の完全無病園地を対日輸出用に指定し、その輸出園地の周囲に500m幅の緩衝地帯を設置することなど、厳格な園地検査の実施を求めたのです。輸出用リンゴ園地に対して、園地を取り囲むように500メートルもの幅で農産品を産出しない土地を設けろと要求しているわけです。幾ら国土の広いアメリカでもリンゴの対日輸出をする農家が表れるのだろうかと疑いたくなりますね。

2002年から2005年に掛けて、アメリカは、わが国のリンゴ検疫措置がSPS協定に反しているとしてWTO提訴しました。その結果、この検疫措置は科学的根拠が無くて、隠された貿易制限に当たるとして、わが国が敗訴したのです。これを受けてわが国はこの検疫措置を廃止しました。

仮に、この措置が隠された貿易制限であったとして、ここまでして国産リンゴを米国産リンゴから守る必要がなかったことは、先に述べたとおりです。

WTOが前述した目的から、自由貿易を擁護するものであり、加盟国がその規定するルールに基づき、モノやサービス、及び情報の交易を行い、加盟国の全てが自由貿易の恩恵を受けるようにする。そのために、貿易を巡る紛争を生じたら、WTOの法的ルールを解釈し、事例に適用して、法の専門家が解決する。これが司法的解決です。日米の関係には当てはまりませんが、途上国がアメリカに勝訴することも実際にある「小よく大を制す」方法です。


トランプ大統領はこれがお嫌いなようです。

多国籍企業と児童労働2018年08月31日 18:48

今日のテーマは、多国籍企業のサプライチェーンと児童労働の問題です。

1,オレンジと太陽

児童労働との関係で、「オレンジと太陽」という映画があります。

上のパンフレット参照。

2010年のイギリス・オーストラリア合作、ジム・ローチ監督の作品です。

私は見ていませんが、イギリスの、孤児など貧困層の子供達をオーストラリアに移住させ、強制労働に従事させたという問題を告発した女性の活動を描いた映画です。次のブログに紹介されています。

「オレンジと太陽 ~児童移民について~」
http://blogos.com/article/39395/

児童移民の数は、1920年から1970年代まで、13万人の上り、児童移民が組織的に行われ、政府レベルでも合意があったというのです。このことが明るみにでたのが、ようやく2009年のことで、英国及びオーストラリア政府が正式に謝罪しているそうです。


2,多国籍企業と児童労働

多国籍企業が、原材料を購入し、あるいは部品を製造、購入し、最終製品を販売するという場合、原材料の調達先、部品等の製造拠点、購入先、最終製品の販売拠点をどの国に置くかは、その国の労働法制、環境規制等の法規制を考慮しつつ、低賃金であることや技術的観点から設置する国を選び、運送の利便・運賃や関税の観点から販売拠点を設ける国を選びます。最も利益が多くなるようにサプライチェーンを組み立て、販売拠点を選ぶ訳です。要するに、安く作り、高く売ることができるように心がけます。企業として、利潤を最大にすることを第一に優先することは必定でしょう。

ここで労働法制を取り上げてみると、製品を安価に製造することができるということは、もっとも費用のかかる人件費を抑制できることが早道です。日本のように労働法制が完備されていない発展途上国では、例えば、最低賃金や、1日当たり労働時間規制、週当たり労働時間規制がないかもしれません。また、労働契約を締結できる年齢の下限が規定されていない場合があります。

単に生活水準が低いために賃金が安いというのであれば良いのですが、日本もかつてそうであった「女工哀史」の描くような社会で、半強制的に働かされる子女の低賃金を、グローバルに展開する大企業が利用すると道義的な問題を生じるでしょう。

そのような安価な労働力として、児童労働があるわけです。例えば、西アフリカ地方のカカオ栽培においては、農園から遠く離れた国から誘拐され、人身売買が伴われることもある、そのような環境で、全く訳も分からず働かされる子供達がいるのです。父や母と住んでいた家から引き離された子供が教育も受けさせてもらえないまま、劣悪な環境で酷使されます。子供は文句を言いません。力も弱く、容易に支配されます。自分たちで組織を形成して反抗することもできないでしょう。

国際労働機関(ILO)の発表によれば、世界には1億5200万人の子どもが児童労働をしています。
羽生田 慶介「「児童労働1億5200万人」という暴力-“フェアな貿易”の後進国、日本」(2018.8.24)より。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/070600051/082100014/

日本のスーパーでチョコレートを買うとき、このチョコレートの原材料となったカカオが、コートジボワールで奴隷のように働く児童労働を用いて栽培されたのではないだろうか。ホームセンターで買うこのレンガは、インドで強制労働に従事させられた幼い子供が作ったものではないだろうか。そんなに安価である理由は適正なのだろうかと、疑ったことがあるでしょうか。

世界的な食品メーカーであるネスレは、「サプライチェーンにおける児童労働を防止し根絶します」と宣言しています。(「児童労働を根絶」ネスレ日本のHP)
https://www.nestle.co.jp/csv/old/people-compliance/childlabor

あの有名なチョコレート菓子のキットカットには、児童労働を用いて栽培されたカカオ豆を使用しないそうです。


3,国際的な批判に曝される多国籍企業

ネスレを始めとするチョコレートメーカーやカカオ豆商社などの、多国籍企業が児童労働を認識しながら、そのようなカカオ豆を購入していたとして、国際的な批判に曝されています。

その嚆矢となったのが、2000年にイギリスで公表されたドキュメンタリーです。イギリスのジャーナリストが西アフリカでの児童労働の実態を独自に取材したものです。これが大きな反響を呼び、イギリスやアメリカの世論を喚起しました。

ネスレ、カーギル、ADMが、2005年に、カリフォルニアの連邦地裁に訴えられた事件があります。原告らは、マリからコートジボワールに連れ去られ、強制的にカカオ豆栽培に従事させられていたと主張しています。アメリカの外国人不法行為法(Alien Tort Statute)に基づき、差し止めと損害賠償を求めており、この訴訟が、提訴より12年を経過した2017年に、外国人不法行為法の適用の要件を充たさない、具体的にはアメリカとの関係が薄いという理由で、却下されました。しかし、この訴訟を支援しているアメリカの国際人権団体らが控訴を行うとしているようです。
”Nestlé, Cargill and ADM cocoa child slavery lawsuit dismissed”(15-Mar-2017 By Oliver Nieburg.)
HTTPS://WWW.CONFECTIONERYNEWS.COM/ARTICLE/2017/03/15/NESTLE-CARGILL-AND-ADM-COCOA-CHILD-SLAVERY-LAW


次のブログで紹介されている事例は、投資家から、企業が訴えられたものです。アメリカで、年金基金によって、ハーシーという有数のチョコレートメーカーが訴えられています。
「進展する児童労働撲滅に向けた動き 〜企業が新たな担い手に〜」(Sustainable Japan のHP)
https://sustainablejapan.jp/2014/08/30/child-labour/11782

多国籍企業が、原産地における児童労働の存在に気付きながら問題にすることなく、安価であることを良いことにその商品を購入していることが、鋭い社会的批判を招き、不買運動や訴訟に直面しているのです。

児童労働の被害者が外国で被った被害について、もしそれがわが国の企業が関係するとしたら、わが国でも提訴する余地はあります。しかし、わが国では、不法行為がなされたのが外国であると、その国の法が適用されるので、損害賠償が認められるかには疑問の余地があります。アメリカは、そのような場合にも賠償を可能とする国内法が存在する世界でも珍しい国なのです。

また、投資家の立場から、投資先企業の不法な行為に関心を有し、資料を提供させることや何らかの告発を行う方法も、アメリカ法ではより充実していることが予想されます。


4,児童労働と国際法

児童労働を禁止する条約があります。児童労働に関するILO条約です。これは幾つかの条約と基準からなります。
https://www.ilo.org/tokyo/areas-of-work/WCMS_239915/lang--ja/index.htm

就業の最低年齢に関する条約 (第138号条約、1973年)の批准国が2018年5月時点で、171カ国、最悪の形態の児童労働に関する条約(第182号、1999年)の批准国が同じく181カ国です。批准の観点からは、極めて成功している条約であるとは言えます。条約であるので、批准している国以外には国際慣習法とならない限り、法とならず、拘束力を生じません。また、国際法は原則として国家を義務付けます。児童労働を禁止する措置を講じるように加盟国を義務付けるのですが、その国が有効な対策を行わない限り、その目的が実現されません。

条約の中に、各国がその内容を実施するための仕組みを組み込んではいるのですが、基本的には加盟国が自主的に従うしか実効的な方法がないのです。具体的な措置の基準を定める勧告も、加盟国にその内容を奨励するものであり、決して法的義務であるとはしていません。

国内的な何らかの措置・法令により取り締まることが唯一の方法であるのに、児童労働が行われている国が有効な取り締まりを行わない限り、野放しとなります。内政干渉に当たるので、他国がその国の労働法制に口出しができないのです。加盟国が上記条約に違反することが明確であると、国際法違反であるとして非難をすることは可能なのですが。

そこで、国際法に違反するような違法な児童労働を看過して、世界中で儲けているとすれば、そのような多国籍企業が、その経済力からしても、自ら有効な対策を講じることを求められるのです。

次に、FTAやEPAのような国際法としての通商ルールにおける労働問題の扱いについて、前述の羽生田氏のブログに言及されています。

「2019年に発効予定のTPP(環太平洋パートナーシップ協定)においては、「強制労働(児童の強制労働を含む)によって生産された物品を他の輸入源から輸入しないよう奨励する」という言葉が盛り込まれたことは特筆に値する。が、これも「自国が適当と認める自発的活動を通じ」という前提だ」と、しています。

アメリカ抜きのTPP11ですが、国際通商法の内容として、例えばWTOにおいても労働問題を取り上げるべきだとして、従来からアメリカが強力に主張していたのです。労働法制を完備しない国が、労働者を劣悪な労働環境の下に置き、低賃金で安価な製品を製造することで、国際的な競争を歪めているというのです。そこで、労働基準の最低限をWTOにおいても規定するべきだとするのです。現在これは実現されていません。

違反に対する強力な対抗手段があり、WTOの実施方法が他の国際法に比べて明確なので、そのような強力な義務づけを、主として途上国側が嫌っているからです。労働問題はILOでするべきだという立場に立っています。

WTOに比べて、その枠内で締結されるFTAやEPAは、少数の国々の間で労度基準の保護の最低基準を合意できる可能性がより高いとは言えるのですが、労働問題が伝統的に内政干渉を嫌う国内問題であり、途上国が入る場合、中々肯んずることがないとは思えます。

それでも、羽生田氏のブログは、「まず日本から世界に「提案」してみてほしい。」「途上国との「フェアトレード」についてリーダーシップを発揮する国が必要なのだ。」と主張しています。


5,まとめ

外国における児童労働に対処するために、消費者として、企業として、それぞれできることに分けて、考えてみます。

まず、われわれ消費者自身の意識を高めることが必要でしょう。最近の賢明な消費者は、ただ安ければ良いという選好をする訳では無く、高くても品質の良いものを求めるようです。特に、安心・安全の観点から、農薬の心配のある外国産より、国産品を好む傾向があるように思われます。消費者の健康志向に乗って、有機栽培の農産品が見かけられるようになりましたし、特殊の栄養成分の割合を高めた機能性農産品と言えそうなものもありますね。

ここで高くても良いものの中に、農産物のグローバルな取引における公正さという価値観を加えてみてはどうでしょう。児童労働による原材料を用いていない食品をできれば買ってみる。そのために、少々高くても、フェア・トレード・マークを掲げた食品を求めるのです。フェア・トレード・マークは、国際的認証機関によって、原産地における児童労働などの違法性のないことが確認されている商品にのみ付けることが許されるものです。

グローバルな企業が購入するから児童労働を使用した商品が無くならないというのが、原産地国の人々の、あるいは先進的消費地国の人々の主張でした。その企業の商品を買うのが消費者なのです。消費者が最終の責任を負うとも言えます。児童労働を用いたことの明らかな商品を買わないことが、まず消費者としてできる第一のことでしょう。

次に、企業としては、その社会的責任を自覚することが必要です。そうはいっても利潤の獲得こそが企業使命であると言われるかもしれません。日本では、少々高くても良いものが売れるとすると、前述した価値観、すなわち取引の公正さが値段に入っていることのブランド価値を消費者に訴えることができるかもしれません。フェア・トレード・マークがブランドの証しなのです。企業として児童労働撲滅のために取り組んでいることを、その商品自体の価値として積極的に消費者に訴えることで、商品の付加価値を高める、そのためにその価値観自体の宣伝・広告を展開し、社会の意識を改革することがあっても良いように思えます。ただ消費者の指向に併せるばかりではなく、新たな価値の創造に携わることも、企業の社会的責任の発露ではないでしょうか。

サプライチェーンを見直して、児童労働に関与する可能性を排除して行くこと、あるいは第三者機関の認証を受けることをしていかないと、グローバルに展開する日本企業が、日本や、あるいはどこかの国で、消費者の抗議を受け、前述したような訴訟などの法的問題に直面しないとも限りません。

最後に、国として、わが国政府は、わが国社会において、上のような価値観の醸成に努めること、ILOなどの国際機関において重要な役割を占めながら、価値観の国際的な発信を行うこと、セーブ・ザ・チルドレンなどの国際的NGOに対する支援を行うことなどが考えられます。また、労働基準を組み込んだ国際的な通商法ルールを形成することも、少なくとも、その努力を行うことが有り得るでしょう。

国際経済の持続的な発展に与することが日本として求められるとも言えます。世界中の全ての人々に、充分、パンが行き渡ることが、戦争を無くすこと、テロを無くすこと、そして、子供達が悲惨な状況に遭遇しないことに通じるのです。