日本版クラスアクション2018年09月09日 00:08

1,東芝に対するアメリカのクラスアクション提起

昨年末、東芝がサウスカロライナ州住民から、損害賠償を求めるクラスアクションを提起されました。同州で原子力発電所が建設されるプロジェクトがあったのですが、建設を請け負う東芝の子会社であるウエスチングハウス社が経営破綻し、建設が中止されたからです。原発を発注していた電力会社が、9年間に渉り建設コストを電気料金に上乗せしていたため、建設中止により、その上乗せ分の損害を被ったとして、ウエスチングハウス社の親会社である東芝を訴えたのです。
(東芝、米住民から集団訴訟 原発事業巡り(2017/12/27 12:11 日経新聞電子版))

クラスアクションとすることを求めているとする記事です。クラスアクションとは、アメリカ法上特有の集団訴訟制度のことです。東芝の訴訟では、代表者2人が訴訟を提起していますが、クラスアクションとして認められると、同じ電力会社から電気の供給を受けていた住民が原告となります。訴訟提起時点では、原告が特定されておらず、最終的な損害額も決まっていません。上の条件に合致する住民の全てが対象となります。相当の人数となる可能性はあります。

原告の名前も人数も確定しないまま訴訟が始まるし、従って、請求額も決まっていないというのは、日本の訴訟制度では原則として認められません。日本の集団訴訟は、少々多くなっても、原告となる者の一覧表が最初から訴状に添付され、請求する損害額も決まっています。特定の原告と被告との間の、確定した損害に関する紛争が開始されるのです。


2,福島原発事故とクラスアクション?

福島原発事故を巡る住民の署名活動があるというweb記事がありました(少し古い記事なので、経過を調査する必要はあります)。訴訟ではありませんが、アメリカにおける東芝の事件と少々似ています。この署名は、福島原発事故の後処理のために莫大な費用がかかっており、その費用が電気料金に転嫁されようとしているというのです。
経産省が、「原発を保有している大手電力会社の送配電網を利用している消費者全てに転嫁する考えを明らかにしており、東電管内の消費者は福島第1原発の廃炉費用の追加負担も強いられることになると予想され、賠償や処理費用の総額は数兆円に上るとされている。」反対運動を展開する市民団体が昨年2月8日、1万8318人分の反対署名を経産省に提出したそうです。
(原発事故費転嫁の阻止を!
http://blog.livedoor.jp/inakakisya/archives/52651300.html

政府の方針として、2020年度から40年間の間、全国の電気料金に上乗せして、標準的な家庭で年間に252円の負担になると言います。
(スマートジャパンのHP
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1702/10/news108.html

消費者に負担を求めるのではなく、本来、電力会社の自己負担によるべきだとする意見もあります。

電力会社の過失に基づき、この総額を損害額として、わが国の消費者が損害賠償請求訴訟を提起したとするとどうなるでしょう。わが国訴訟制度の本則によれば、原告として名乗りを上げる人を名簿に載せて、その人数×252×40円が電気料金の超過負担分となります。

更に、先の記事によると、「大量の電力を使用する企業になると負担額は膨大である。たとえば年間に20億kWh以上の電力を購入しているJR東日本の負担額は1億円を超える見通しだ。その費用は電車の運賃を上昇させる要因になり、われわれ消費者の負担が拡大する」。電車運賃の上昇分も消費者の損害となります。

これらを何とか計算して、仮に、一人当たり、1万円程度として、

一体何人の人が、是非原告となりたいと、手を上げるでしょうか?

もしも日本で、米国のようなオプト・アウト型のクラスアクションが認められるとするなら、上の訴訟原因に基づき、まず代表となる者が、ほんの数人でも大丈夫です、原告として訴えを提起することになります。そして、クラスアクションとして相応しいと裁判所に認められると、このことにより損害を被る人の全員を原告として、すなわち電気を使用する消費者の全てを原告として、損害額は、電力会社負担部分のみで、政府見積もりの約2.4兆円ということになりそうです。この賠償を求める訴訟を、原発を保有する電力会社、少なくとも福島原発を保有する東京電力を被告として提起するということになるでしょう。

仮に、損害賠償が認められるとすると、企業から支払われた損害賠償金(分割払いもある)を、裁判所が基金としてプールしつつ、これを運用して、損害賠償を受ける条件を備えた人に、一定の証明を要件として、支払うということになります。この費用、人件費を含めて、これも裁判所が賠償金から支払いながら事務処理を行うのです。

東京電力は恐らく倒産するでしょうね。アメリカはそれでも構わないと考えるのです。

もっとも、これはおとぎ話でして、アメリカでも、クラスアクションの認証要件が厳密であること、また、上記の場合には地震による不可抗力の抗弁が電力会社から提出されるでしょうから、実際に、そのような巨額の賠償が認められるかは不分明です。

また、先の日本の事例では、政府決定に基づくので、電気料金の値上げが、必ずしも企業自体の責任と結びつかない可能性があります。従って、電力会社の自己負担によるべきであるし、それが可能であったとすると、政府の決定によらず、電力会社が独自に、それにも関わらず値上げしたとすると、そのようなクラスアクションがあってもおかしくないように思えます。


3,日本とアメリカのアスベスト訴訟

なお、アメリカのクラスアクションは、大企業を相手取り巨額の賠償請求がなされるので有名です。アスベスト(石綿)訴訟では、1980年代に、ジョンズ・マンビル社が相次ぐ大規模クラスアクションと賠償によって、倒産に追い込まれました。長年にわたり、危険性を認識しながら製造販売を継続していた責任を問われたものです。そして、実際に、上記のような基金方式が採用されています。

日本の集団訴訟では、例えば、薬害訴訟等では、政府の薬剤承認における過失を問いつつ、製薬会社の他、共同被告として政府を巻き込むことが良くあります。被害者にとって過酷な数次にわたる薬害訴訟の結果、社会保険的な医薬品副作用被害救済制度の制定に至りました。

同様に、わが国のアスベスト事件については、多くの集団訴訟が国及びメーカー等を相手取って提起されています。国の関係について、法務省のHPがよくまとまっています。http://www.moj.go.jp/shoumu/shoumukouhou/shoumu01_00026.html

これによると、工場労働者型と建設労働者型の区別があります。

そして、工場労働者型については、一定の解決方法が示されています。
工場内で作業に従事する場合、アスベスト粉塵を排出する装置を設置するべきであり、その危険を認識することができたはずなのに、そのような装置の設置を義務付ける規制を行わなかった国の過失が、最高裁判決によって認めらたからです。

その結果、国は、アスベスト被害を被った元工場労働者や遺族に対して、一旦、国を相手取り訴訟を提起させた上で、迅速に和解を行う方針を示しています。

「アスベスト(石綿)訴訟の和解手続について」(厚生労働省HP)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000075130.html

和解の要件は、次のとおりです。
昭和 33 年 5 月 26 日から昭和 46 年 4 月 28 日までの間に、局所排気装置を設置すべき石綿工場内において、石綿粉じんに、ばく露する作業に従事したこと。その結果、石綿肺、肺がん、中皮腫、びまん性胸膜肥厚など石綿による健康被害を被ったこと等です。

そして、被害者が訴訟を提起した後、前記の要件を満たすことについて、「日本年金機構発行の「被保険者記録照会回答票」、都道府県労働局長発行の「じん肺管理区分決定通知書」、労働基準監督署長発行の「労災保険給付支給決定通知書」、医師の発行する「診断書」などの証拠によって確認できることを条件として、和解手続を進めることになります」とされています。

建設労働者型の場合、今なお、国や建材メーカーとの集団訴訟の渦中にあります。

「2審も国の責任認定 東京高裁判決」
毎日新聞2018年3月14日 21時10分(最終更新 3月14日 21時33分)
https://mainichi.jp/articles/20180315/k00/00m/040/089000c

「元建設作業員と遺族計354人が国と建材メーカー42社に総額約120億円の賠償を求めたもので、327人に約22億8000万円を支払うよう命じ」ました。

この記事によると、14の同種訴訟の内、高裁判決が2件目であり、国が連敗を続けているそうです。


4,愛媛県のアスベスト訴訟が日本で最初のアスベスト訴訟だった!

日本で最初に、石綿労災事故について訴訟が提起されたのが、愛媛県でした。

愛媛労働安全衛生センター編『石綿曝露―四国電力労災死事件訴訟』(2001)
この書籍は、
日本初の石綿労災事故死を巡る、遺族と四国電力との訴訟の記録です。

この訴訟の当時、日本ではその種類の石綿が健康被害に通じることが認識されておらず、四国電力は過失を認めませんでした。中皮腫というのは、呼吸が困難になる非常に苦しい病気だそうです。その夫を看病し、死を見とった妻が、雇用主を訴えた事件です。当時はまだ労災認定もなされませんでした。長年月の裁判の間、「裁判なんか起こす」ことにむしろ批判の目を向ける人々も居たそうです。親戚からは村八分のような状況に追い込まれたこともあったと言います。

日本人は裁判嫌いのようです。自らが裁判提起を躊躇するだけではなく、他人が裁判を起こすことをも、白眼視する気風があるようにも見受けられます。

すでに、アメリカではアスベストの大規模訴訟が頻発しており、多くの判決によって、企業の責任が肯定されていたころです。

その後、2005年には、農機具メーカーとして有名なクボタ社が、大阪の工場周辺住民に石綿による健康被害が発生していることを公表しました。随分、驚いたことを覚えています。
2005年06月30日付け クボタ社HP「アスベスト(石綿)健康被害に関する当社の取組みについて」
その後、自主的に救済基金を設けています。
https://www.kubota.co.jp/kanren/index1.html

このことが社会問題化して、2006年には石綿健康被害救済法が成立しています。石綿を扱う事業者から徴集した金銭をプールして、石綿被害の認定を受けた被害者に対して、医療費などの一定の給付がなされます。労災保険による補償が優先されるので、労災保険を受けられない場合の、補助的性質を有します。労災を含めて、国が行う事業として、社会保険的な仕組みであると言えます。

石綿曝露から、疾病の顕現までの期間が非常に長いことが石綿被害の特徴であり、時限爆弾のようなものなので、労災給付の可能な期限を過ぎて、症状が顕現する場合に備えて、石綿被害に関しては5年間延長が認められています。

しかし、その後も、前述のような集団訴訟が継続しているのです。

上記の法が社会保険的仕組みを備えるとしても、上手く被害の補償をまかなえていないからでしょう。被害の全体像を把握することが困難な石綿被害ですから、制度設計が難しかったとは言えるでしょう。

ちなみに、日米の、訴訟に対する考え方が異なります。ここで少し言及しておきます。

法文化の相違と言えます。アメリカは、基本的に事後的に訴訟によって解決する。そのための訴訟制度が整備されており、クラスアクションとその他のアメリカ独特の手続制度を併せて、社会の裏側にあるかもしれない巨悪を許さない、そのために訴訟に大きなインセンティブをもたせています。大企業の意図的な悪行がある場合に、その組織内にある証拠資料を、強力な証拠開示手続(ディスカバリ)によって引きずり出すことも可能です。個人・住民が大企業相手に互角に立ち回ることを可能にします。

もっとも、その代わり乱訴による企業活動への悪影響が問題視されています。また、大規模クラスアクションは、一攫千金を夢見る弁護士の方途ともなり得るのですが、他方で、大企業相手の訴訟準備に相当の費用がかかるので、失敗すると破産するという大勝負ともなります。

日本とヨーロッパの法は、このようなアメリカの法とは異なるのです。アメリカのクラスアクションは個人対私企業の争いとなるのが通常ですが、日本の集団訴訟では先にも述べたように国を被告として引き込みます。事実解明や補償についても、むしろ国に期待していると言えるでしょう。そして、社会全体の解決方法として、大規模訴訟の頻発によるのではなく、社会保障的な給付によって、利益を得ている企業等から徴集した金銭により、広く浅く補償するという方法を好みます。

社会保障的方法による方が、社会全体でのコスト・パフォーマンスに優るというのが、法と経済という学問分野では定説となっているようです。訴訟というのは、当事者にも裁判所という国家機関、弁護士にとって、時間、労力、費用のとても係る非効率な方法だからです。行政的な機関が、一定の定型的要件を認定して、定額を直ちに給付するという仕組みを早期に作り上げる方が、安上がりだとは言えるでしょう。


5,日本版クラスアクション

クラスアクションの利点は、少額多数の被害の救済に向くということです。最初に取り上げた電気料金の例を思い出して下さい。

原発事故というような特異な事例ではなく、企業努力により、電気料をもっと低額にできるはずだという場合、公開を求めた資料等を証拠として、電気料金が高すぎる分を、損害として、消費者が賠償を求めるようなことも可能となります。個人で訴えると、弁護士費用等を考えるなら、全く割に合わないとしても、少額の被害を多数併せることで訴訟が可能となるかもしれないのです。

もっとも、ただ集団訴訟が可能となれば足りるというのではありません。この例の場合も、電力会社にある会計資料の詳細など、組織内にある資料を引き出すことを可能とする強力な開示手続が、消費者側に与えられてなければ、証明が困難となり、絵に描いた餅に終わります。

「全国の地方公共団体や独立行政法人国民生活センターが行っている消費生活相談窓口があります。には、年間90万件を超える数の消費生活相談が寄せられています。消費者は、購入した物・サービスについて、多くの不満・苦情を抱え、さらには被害を訴えているのです。しかし、企業に対する損害賠償請求の裁判にまで発展する例はそのうちごくわずかです。一人一人の被害額が少額にとどまるため、勝つか負けるか分からない裁判のために高い弁護士費用と手間暇をかけるという消費者はほとんどいませんでした。こうして、精神的にも経済的にも消費者は裁判から遠ざけられてきました。」

https://bdti.or.jp/2016/11/07/classaction/(公益社団法人会社役員育成機構(BDTI)のHP)

しかし、2016年に、消費者団体訴訟制度が施行されました。

「消費者団体訴訟制度」の活用を!(政府広報のHP 2018.08.10)
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201401/3.html

アメリカのクラスアクションとの比較について、既に多くの研究があるようです。アメリカのクラスアクションは一般的に誰もが代表者となり得るのですが、日本版は、国により認められた特定の消費者団体が提起できるだけです。そして、アメリカのものは不法行為事件の損害賠償請求も可能なのですが、日本版は、契約事件に限定され、消費者に一方的に不利な条項や詐欺的な商法に対する、差止を求めることと、差止の場合よりも更に限定された数の消費者団体のみが、賠償請求まで可能とされます。

現在まで、そのような訴訟は提起されていないようです。一瞥したところ、日本版の方は、消費者団体の要件が厳密であり、集団訴訟の手続が煩雑で、むしろ乱訴の心配が優先されたように思われます。

なお、先の民事訴訟法改正により導入された、一般的クラスアクションの代替策としての選定当事者制度や、ディスカバリ制度の代わりの文書提出命令についても、実際の所、あまり活用されていません。当事者にとって要件等が加重であったり、裁判所が使いたがらない制度となっているようです。

最近、面白い試みを発見しました。
https://enjin-classaction.com/ というホームページです。
「被害者が救われる社会に 馴染みのない集団訴訟制度をもっと多くの人に知って欲しい。少しでも多くの人が救われるように、より良い社会を創っていくために」と、あります。

詐欺消費者問題、医療問題、個人情報漏洩問題、その他のカテゴリー別に、集団訴訟となるべきプロジェクトを作り、そのようなプロジェクトに参加する原告を募集するというホームページです。このような試みが、消費者団体や弁護士と連携して、社会に埋もれている問題を掘り起こし、集団訴訟として明るみにだすことで、この社会がより良くなるということであれば、アメリカのクラスアクションの理念に通じるものがあります。

せっかくできた日本版クラスアクションが積極的に活用されるように、もう一段の手続法的な工夫と、民間のイノベーションが求められています。

移民問題?2018年09月15日 17:09

大型の台風がまた日本を通り過ぎて行きました。地震、未だかつて経験したことのないような豪雨、100年ぶりぐらいの大型の台風と、今年はどうしてしまったのでしょう。もはや天変地異です。

でも漸くしのぎやすくなってきました。( ^ω^)


1,EU諸国の移民問題と日本の移民受入問題は性質が異なる。

単純労働力の受け入れ(2018年06月23日)のブログ記事で、単純労働の受入れに伴い、わが国の支出すべき費用が増加すること、それでも受入れが必至であり、将来的には移民の受け入れが必要であることを主張しました。

それ以前にも何回か同様の主張を行いましたが、再度、言及しておきますと、日本における移民の受入れという問題の性質が、EUやアメリカにおける、移民問題とは全く異なります。

EUにおける移民排斥運動と、社会の分断や移民社会のスラム化とテロの頻発といった問題は、経済成長期に不足した単純労働をほぼ無制限に受け入れ、かつ、社会政策も不十分なまま放置したことが原因です。

「フランスでは、イスラム系だけで450~500万人で、全体では700万近い移民がいるといわれています」。全人口の10%を占めるとされています。
(細谷雄一「フランス共和国が誇る「社会統合」の限界」)(月刊Wedge 2015年3月号)
https://ironna.jp/article/1018

ドイツでは、移民の背景をもつ住民が全人口の19%(1556万7000人(2008年))とされています。
(ドイツ・ニュースダイジェスト「移民問題とドイツの課題」(2010年10月)
http://www.newsdigest.de/newsde/news/featured/3074-840.html

イギリスに住む外国出身者は860万人で、全人口の13%弱(2008年)だそうです。
「【統計で見る】イギリスにイギリス人は何人いる?8人に1人が外国出身者(2017年3月13日)」
https://japanesewriterinuk.com/article/nationality.html

これだけの外国出身者(2世3世を含む)が国内に暮らし、一部の人々の生活圏がスラム化したのです。どのようにあがいてもそこから抜け出すことの出来ない階級を出現させたわけです。低賃金重労働に喘ぎながら劣悪な環境に置かれる人達が想像できます。低賃金ゆえに市営住宅にしか住めず、その区画一帯が移民層で占められ、ドラッグや過激思想の温床となることもあるのです。スラムで生まれる子が将来に絶望して、テロ組織の一員となるとすると、アメリカにあるイタリア系やアイルランド系の白人や、黒人達の住区に生じるギャング組織を想起させます。もともと西欧社会は日本よりも明確な階級社会です。


2,わが国に居住する外国人

他方、わが国では、出入国管理という法務省の白書によると、「我が国における平成28年末現在の中長期在留者数は204万3,872人,特別永住者数は33万8,950人で,これらを合わせた在留外国人数は238万2,822人であり,27年末現在と比べ15万633人(6.7%)増加してい」ます。

特別永住者というのは、戦前からわが国に暮らす朝鮮半島出身者を含む在日外国人であり、その数は継続的に漸減しているので、現在、増加している人々はニューカマーの外国人達です。

政府統計のよると、平成29年のわが国の総人口が約1億2670万6千人なので、これとの比較で、外国人の割合が、約1.9%となります。

また、注意が必要なのは、この統計は在日外国人の人口なので、帰化した人達は含まれません。全体で外国出身の定住、永住者はもっと増えることになります。どこからを移民と捉えるべきかは別途問題となりそうです。3世まで?4世や5世はどうでしょう。

特別永住者である朝鮮半島出身者は既にその世代となっています。ちなみに朝鮮半島が第二次世界大戦前にわが国の領土であった時代、そこに住む人々は大日本帝国臣民でした。その人達が、サンフランシスコ平和条約の発効と同時に、韓国ないし朝鮮籍になったのですが、わが国に住む、これら外地戸籍に編入されていた人々が、その途端、在日外国人になったという経緯のある人達です。

余談ですが、朝鮮半島出身者と結婚した日本人女性が、戸主である男性の在籍する外地戸籍に編入されていたのです。この女性達がどうなったか分かりますか? サンフラシスコ平和条約が発効すると、外国人となったのです。

元々、日本で暮らす日本人女性が日本で朝鮮半島出身者と結婚して、そのまま日本に生活しながら、ある日、突然、外国人となる。想像を絶します。

話を元に戻します。先の在日外国人の統計の中には、約22万8千600人の技能実習生が含まれます。以前も言及したように、この資格は、同一人に対して、一生に一度だけ認められるものです。他の資格に転換できない限り、更新が認められないのです。3年ないし5年(新制度)を過ぎると必ず帰国し、その後は技能実習生としては、日本で就労できません。

技能実習生は家族の帯同が認められないので、日本で子を設けるということもありませんし、子弟の教育という問題も生じません。

その外国人にとっては、3年ないし5年間、家族と離れて暮らすのです。真の意味の技能実習、すなわちわが国の技術を習得して、その国の経済開発に役立てるという場合が、逆に少数派であるとすると、その他は、単身やってくる日本への出稼ぎ労働者であるということになります。

また、話が飛びますが、わが国の高度経済誌長期、昭和30年代以降、地方出身の出稼労働者が東京など大都市圏で蒸発するということが社会問題化したことがあります。単身で、3年、5年と、都会で働く一家の大黒柱が、仕送りを止めて蒸発してしまうのですから、残された家族も大変でしょう。

在日外国人である技能実習生の場合、母国に帰国する必然があるので(期間を超過すると不法滞在となり強制送還の対象となります)、わが国で蒸発することはなかなか困難だろうと思われます。日本人ですら、長期間家族と離れて、都会で暮らす孤独に苛まれ、自暴自棄になりかねないのですから、その心中はどのようなものでしょう。

わが国で、比較的長期間働く外国人達が、母国で暮らす家族に手紙を書きながら、仕送りを続ける様子が目に浮かびます。せっかく一定の技術を身につけて、日本の生活にも慣れ親しんだとしても、帰国しなければならず、そして受入事業者にとっても、研修等の手間と費用をかけて育てた働き手が、技術の継承すら危ぶまれるのに、その人を手放す必要があるのです。また一から新人(外国人)の研修から始める必要があります。

もちろん、資格を「技能」などの他の資格に転換できれば良いのですが、現在の所、その可能な職種は相当に高度な技術や知識を提供する業務に限定されるので、ハードルが高いのです。この間の政府の政策をみると、そのハードルを下げる議論があるように推察されますが、具体的にはまだよく分かりません。

例えば、町工場の旋盤職人はどうでしょう、牡蠣など魚介類の養殖業はどうでしょう。日本の優秀な技術の継承者がなかなか見つからないので、日本の製造業の基盤が揺らぎ、地方の地場産業が立ちゆかない。技能実習で来た人達が、とても良い人達で、熱心に働き、せっかく技能技術やノウハウを身につけたのに、それぞれの事業所はその人材を手放すことになります。


3,移民受入れの提言

単純労働について、将来的に必ず帰国する人達(外国人材)をこのまま増やし続けるのでしょうか。わが国に対する帰属意識ももちろん希薄でしょうし、ここで暮らすために、その文化やモラルに同調する必要も感じられないかもしれません。このような外国人材のみがどんどん増え続けるのでは、決して、より良い社会が形成されるとは言えないように思います。

それでは、人口減少に対処するために、高齢者ないし女性の労働を活用し、AIとロボット技術に頼ることで足りると言うべきでしょうか。前者の限界は明らかでしょうし、後者について、技術的発展が更に飛躍的に見込まれたとしても、社会の構成として、少数の人とロボットだけで良いかは、思想的、根本的な議論が必要です。

私は、上述の資格転換によって、単純労働者としての定住者を、正規に受入れる余地を更に認めるべきであると考えます。

そのために、技能実習制度の目的として、真正の国際貢献の目的を有する制度を別途設けた上で、単純労働の受入れという目的に焦点を合わせなければなりません。現在も労働法規制の対象となっており、管理体制の強化も図られているところですが、これを更に発展させ、違法な事業所の取締を進めることも必要です。

同時に、将来的に資格転換の余地があることを大前提とした制度設計とする。そして、外国人に対する受入説明において、このことを明記し、わが国における労働意欲の向上を図り、技術習得と、日本の文化的価値観や道徳意識の涵養に向けた自己啓発を促す。かくて、技能的な資格を取得できれば、「準」高度人材外国人として定住してもらう。その資格は一世の外国人が真面目に技術習得に努めれば、5年内に取得可能な、比較的ハードルの低いものにしなければ、これも絵に描いた餅になります。

日本語教育や公民教育、一世である子弟の初等、中等教育の負担増などの初期投資が必要であるとしても、これらの人々の社会保障の費用負担については、人口増に伴うものとして、ある程度予測可能な範囲に留まるのではないでしょうか。

西欧諸国は、長い歴史の中で、無軌道に単純労働者を受入れ、居住区のスラム化と精神的荒廃を招いたという移民問題です。また膨大な難民の受入れは特殊事情によるものです。いずれにせよ、既存の住民社会と、急激に増加した移民社会の分断を来しました。

反対に、わが国の単純労働者の移民受入れは、これから始まろうとしています。現在まで、単純労働の移民受入は拒絶してきたのです。0からの出発なのです。どのような労働者に、どの程度来てもらい、どの範囲で定住化を図るか。その移民の制度設計をこれから進めるという問題なのです。

以前、言及したように、高度人材外国人の定住化、永住化の政策は既に取られています。政府は否定していますが、この意味では、わが国は既に移民政策に転換していると、考えています。高度人材には来て欲しいが、言語や風習、社会制度の相違から、むしろ外国人がこれを嫌い中々進まないとすれば、上のような準高度人材から始めることにも一考の余地があるでしょう。定収のある人々がわが国で家庭を持ち、子弟を育て、日本の社会構成員となって行くのです。

また、逆に、単純労働者が生活しやすい社会に、わが国がなるなら、生活上必要な施設の説明や災害時情報の連絡における多言語化や、そのほか外国人に必要な社会インフラの整備が進むことを意味します。その人口増がこれを促すというのが必然です。そのことでまた、高度人材の住みやすい国となり、これら外国人も集まりやすくなるのではないでしょうか。留学生にもっと来てもらうことにも通じるでしょう。

経済グローバル化の奔流が国家(法規制)を翻弄する2018年09月23日 20:36

朝晩は、随分秋めいてきました。食卓に、薄紫の大きなポピーのような花を、ビーフィーターの細い角張った空き瓶の中にさしてあります。空き瓶のラベルの裏には、赤い模様が書いてあって、それが水を透過して写っています。表では、赤い制服を着た門番が、大きな花弁を仰いでいます。


1,リーマン危機10年

最近次の記事が目に留まりました。

「リーマン危機10年 データで読む 中間層の所得、中国2.3倍 米は横ばい」
日経電子版 2018/9/21 2:00

記事は、アメリカと中国の、2007年と2017年の国内総生産(GDP)を比較しています。2007年がリーマンショックと金融危機を生じる直前の年であり、その後の10年間で世界の経済がどのように変わったかを考察する内容です。これによると、米中のGDPが接近しつつあります。やがて中国がアメリカに並ぶ日もそう遠くない将来に実現するかもしれません。

そして、記事によると、中国における中間層の所得は2.3倍に増加したのに、アメリカのそれが横ばいであった。先進各国において所得格差が拡大し国民の分断を招いた、とする内容です。2008年9月のリーマンショックのあと、アメリカの中間層はバブルで手に入れた豪華な家を失いました。中間層の低落により、大衆の不満が高まり、アメリカや西欧各国において、移民排斥運動と反グローバルのポピュリズムに通じたとしています。


2,日本の中間層の低落? と、反グローバリズム

最近、野党が上の記事とよく似た議論を展開しています。日本の中間層が低落し、所得の格差が拡大している。ぶ厚い、豊かな中間層を取り戻そうと言うのです。その念頭にあるのが、日本の高度経済成長期です。その時代、確かに、中間層は所得倍増を実感していました。株価も土地もほぼ右肩上がりで、山師でなければ、証券取引によって確実に財をなし得たし、購入した土地やマンションが値下がりするということも、思いもよらない。各家庭には、ボーナスで購入した新製品の家電製品が増えて行きました。

どうやら現在の中国が、少なくとも沿海部の庶民がそのような生活を満喫しているようです。ちなみに、経済開放前の中国が低劣な生産性の故に、押し並べて生活水準が低く、庶民がそんな豊かさを経験することがなかったことはよく知られています。

現在の日本の資本主義経済は既に老成しています。高度経済成長期のような、豊かさの倍増という実感が再び訪れるということは考えにくいでしょう。しかし、よく考えてみると、今のところ、日本の雇用状況は実に安定的です。失業者が町に溢れかえるというような事態にはなっていません。むしろ、どの産業を見ても、人出不足に喘いでいる、雇用が有り余っているのではありませんか。そして、中間層に属する多くの人々は、高度経済成長期に経験した豊かさを温存し得ているのです。

すなわち、中間層に属する人達の経済状況が、相当に高い水準にまで至った後、この数十年間、横ばいなのではないか、ということです。

日本の格差の拡大という問題は、資本主義経済に必然的に生じ得る生活困窮者の問題をひとまず置くとすると、中間層の没落ではなく、恐らく、より高位層に富が偏在しているという不満ではないでしょうか。

先ほどの記事に戻ると、先進国一般について、「中間層の停滞は、人手のかかる労働集約からアイデアで勝負する知識集約へと産業構造が急変したことに根源がある。IT(情報技術)化の進展は優れたアイデアを持つ一部の知識労働者に成長の果実を集中させる」、と分析しています。

中国の企業家にジャック・マーという人がいますね。中国企業アリババ・グループの会長です。アリババ・グループは、電子商取引サイト、検索サイト、電子マネーサービス、ソフトウェア開発などを行うIT企業です。ジャック・マー氏は、アメリカのトランプ大統領に対して、アリババ・グループとして、アメリカ国内に100万人の雇用を創出すると約束していました。

もっとも、米中貿易戦争で、アメリカが2000億ドル(約22兆5000億円)相当の中国製品に更なる関税をかけると発表した2日後、この約束を撤回することを表明しました。中国政府の圧力によるともされていますが、アメリカ国内に雇用を産み出すことに熱心なトランプ大統領に対して、雇用のお土産を用意していたのですが、貿易戦争のおかげでこれを失うかもしれません。

トランプ大統領が、経済政策の内、なぜ雇用にのみ、それも鉄鋼・自動車などの重厚長大型の製造業の雇用にのみ、そんなに執着があるのか、自身の支持層なのかもしれませんが、よく分かりません。ここで注目したいのは、IT産業の産み出す雇用です。

同大統領がIT産業を攻撃したときに、アマゾンUSが、いかにアメリカ経済に貢献し、国内に雇用を生んでいるかを説明していました。電子商取引により、輸入した外国製品を販売しているとしても、電子商取引にまつわる顧客対応の他にも、例えば、巨大な倉庫の建造、在庫管理や配送業務、商品の運送など、流通に関わる膨大な雇用と経済の波及効果を産み出していることは容易に想像できます。

日本の産業構造にも、このような変化が生じているようです。

GATT時代から継続し、1995年のWTO成立以来、更に飛躍的に進展した経済のグローバル化が、世界中の国々において、産業構造の転換を半強制的にもたらしました。2001年12月には、中国がWTOに加盟しています。自由貿易の恩恵を被りながら、中国が世界の工場と化し、高度経済成長を果たしたのです。

モノの交易の観点からは、モノを産み出す製造業についてみれば、先進各国の製造業者が安価な労働力を求めて製造拠点を他国に移転させ、これら国々において、サプライチェーンを構築したため、先進各国において、製造業の空洞化を来しました。

そして、アメリカや西欧諸国は、経済成長に伴う労働力の不足を、安価な外国人労働力に依存し、安易に膨大な数の移民を受け入れたのです。そのため、主として構造転換を余儀なくされる製造業において、既存の住民・国民が、移民に職を奪われ、あるいは移民同様の劣悪な労働条件を飲まざるを得なくなった。その不満につけ込んだ移民排斥運動が、反グローバリズムの標語の下で、ポピュリズムとして隆盛しているという状況にあります。

しかし、日本の現状はこれと異なります。確かに、製造業の空洞化を生み出しましたが、一次的に衰退した製造業についても、異なる製品の開発と業態の転換により生き残り、国際競争力を獲得するに至る企業も現れるのです。

例えば、日本の繊維製品は一時、中国等の開発途上国の後塵を拝しました。現在でも安価な製品群は途上国に依存しているとしても、高付加価値の日本製品は、メイド・イン・ジャパンのブランド価値を獲得しています。また、繊維製品から、機械や航空機の部品、建材に使用する素材の産業として、劇的に復活した企業もあるわけです。

そして、電子商取引の隆盛は、配送業の、恒常的な人出不足を産み出しました。このブログで何度も言及しているように、製造業を含めて、様々な業種で、労働力不足が顕著なのです。

ちなみに、筆者の時代に習った中学高校の「地理」の教科書には、インドやタイなど、第三世界の国々が植民地時代のプランテーションの影響からどうしても抜け出せない、極貧の発展途上国として描かれていました。それらの国々に、現在、経済開発と豊かさがもたらされつつあります。その時代を知っている者からすれば、驚愕するような発展です。

WTOの根本理念は、自由貿易主義を推進して、世界の経済厚生を最大にすること、その恩恵を世界中の国々に及ぼし、世界経済の持続的な発展を期することです。WTOはそのために必要な通商法ルールの体系であり、なお、発展を止めていません。更に、TPPその他の、メガFTA・EPAがその系譜に属します。日本は、その中にあってこそ、その長期的な国家利益に適うのです。

自由貿易主義の評価も多様であることは、この筆者も知っています。しかし、第二次世界大戦以前の経済ナショナリズムが悲惨な戦争の惨禍をもたらし、焼け野原となった国土を前にした人々が世界を再建するために、GATTを生み出したこと、その後も、繰り返し生じる経済ナショナリズムと闘いながら、その障壁を打ち破り、現在の豊かさを多くの国々にもたらしたことは、確かなのです。

世界中の貧しい人々にパンが行き渡ること、これが世界平和への道です。そのために最も効率の良い、実現可能な方法を見出さなければなりません。


3,モノの取引から、サービスの取引(投資)への、グローバル化

先進国経済の発展段階において、既に、モノの交易中心の時代から、投資の時代へと進展しています。一つの国が原材料を輸入して、製品に加工して輸出するという単純な形態ではなくなっています。製造拠点や販売拠点を、世界中のどの国において事業活動を展開するかは、その時点における各国の法制や経済水準などにより、利潤の最大化のために、一にかかってその企業の決定に依存します。

サプライチェーンを複数国に跨がり構築する多国籍企業が、その子会社や関連会社を、それぞれの国に設立するのです。これが対外直接投資です。その他国に対する技術の移転を引き起こし、雇用を生み出し、経済発展に役立ちます。そして、ある国で製造した製品を、どの国に輸出し、販売するのかについても最適な国を選択します。

日本の優れた製造技術は、部品産業として生き残っています。日本製部品を中国などに輸出し、やはり日本企業の子会社がその国で組み立てた完成品を、日本に輸入する場合も有り、更に第三国に輸出する場合もあります。

国際的なM&Aにより、企業規模を拡大させ、世界的企業となる企業も現れます。日本企業がそのような多国籍企業として、国外で儲けた利益を日本に送金することで、日本の経済が潤うという仕組みです。

日本の金融機関が、世界中の証券・金融市場に投資して、売買差益や配当により、金儲けをすることも日常的に行っています。

かくて、日本経済の中心がモノ自体の交易から、投資の時代へと移り変わって、もう既に相当の期間が経過しました。

但し、重要なことは、投資が出超であることです。世界の優良企業が日本市場に投資して、日本に先進的技術やノウハウをもたらし、更なる雇用と経済の成長を促すことが、まだ充分達成できていないのです。

なお、製造業の多国籍化のみならず、現在は、サービス業のグローバル化が顕著です。宅急便を例にとると、他国で宅配事業を展開するためには、その国で子会社を設立するなり、同業者を買収することが必要となります。日本で培ったノウハウを基に、その事業所で配送業を営む人員を雇い入れ、事業を展開することが必然だからです。あらゆる形態のサービス業が海外進出しています。銀行等金融業、デパート・スーパーマーケットなど流通業、食品加工業や外食産業、ホテルなどの観光業などなど。進出先国で稼いだカネが日本に送金されます。

このような経済のグローバル化は必然的に生じるのです。いずれか一国の抵抗によって妨げることのできないこのグローバル化の奔流に巻き込まれ、各国の経済と法規制が翻弄されます。いずれか一国ではもはや制御できません。多国間の枠組みでこそ、なんとかコントロールする試みが可能です。

それがWTOであり、FTA・EPAなのです。


4,労働市場の流動性に関する、アメリカ型と日本型

各国の労働市場も、上のようなグローバル化を避けられないようです。

先進各国において、高度人材外国人の獲得競争が激化しています。研究者、技術者、特にIT技術者については、わが国の人手不足が深刻です。経営者や高度な金融知識をもったディーラー、外国の法律知識を持ったアドバイザーなど、益々、必要な人材となるでしょう。そのような獲得競争に、わが国が負けないようにしなければなりません。

そのために必要な法制度の整備や日本人コミュニティーの物的、心理的障壁を取り除くことが急務と思われます。

一定の技能者や単純労働者の受入れについても、既に何度か取り上げていますが、わが国の受け入れ問題は、アメリカやEUにおける、難民問題や移民問題とは性質が異なります。早急に、しかし堅実に行うべきです。

ここで労働市場の流動性について、言及しておきます。わが国の労働市場の在り方はアメリカのそれとは大きく異なります。アメリカは、解雇自由の原則が徹底している国であり、簡単に首が切れるけれども、セーフティー・ネットが準備されていて、失業保険で食いつないでいる間に、次の職場を捜すことができ、かつ、労働市場も流動性にあふれている国です。次の仕事が、前の仕事に見劣りするということは必ずしもなく、そのときの経済情勢と本人の能力次第です。

企業としては、そのときに必要な部門に必要な人材を獲得し、不要となれば容易に他に変えられるので、都合が良いでしょう。労働側も、不当な差別的処遇でない限り、成果主義を受け入れつつ、他のより良い職場に容易に移籍できるのです。アメリカの労働者はその自由の方を、規制よりも好むのでしょう。アメリカについて、よく思うのですが、ここまでの自由競争社会は、日本人には不向きです。

日本の労働市場は、よく知られているように、終身雇用制が本則ですね。最近は、人手不足、企業にとっての人材難を反映して、若干これが崩れつつあり、転職市場の拡大がみられるようです。しかし、終身雇用制が基本であることには間違いないでしょう。一つの企業に就職したら、定年になるまでその企業で働き、転職しようとしても、ほぼ必然的に賃金等の労働条件の切り下げに繋がります。流動性の乏しい国です。

そこで、法制度としても、解雇自由の原則の下で、解雇権濫用の法理が発達し、企業からは相当に解雇の手が縛られています。簡単に首を切られても、流動性がないので、容易に転職できないという日本社会の特殊事情を汲んだものです。

将来的に、更に日本の労働人口が確実に減少するという予測の下、企業の人材難が深刻化して行くとも考えられます。従って、企業の側に、今少し労働市場の流動化に向けた欲求が生まれているようです。解雇権濫用については、労働法規制が確固たるものですので、その大枠の中で、国内的な人材の獲得競争に向けて、あるいはグローバルな高度人材の獲得競争に向けて、労働市場の流動性を惹起する試みが求められていると思われます。

労働者側からは、突然、首を切られるということではなく、そちらは法規制の枠があり、むしろその職場が嫌であれば、他の企業からのより有利な条件でのオファーを受け入れるということはできるでしょう。

そのために、企業側として、労働条件の多様なメニューを呈示できるようにする。この文脈で、先の国会で随分議論のあった、「高度プロフェッショナル制度」や「裁量労働制の拡張」というのも理解できます。先に述べた、労働市場のアメリカ型と日本型の間に、従来のような硬直な法規制に縛られた日本型ではない、ほどよいところにこれを定位させることはできないか。この意味で、労働の対価を必ずしも、労働時間のみで図るのではなく、労働者側のニーズも汲みながら、労働時間による規制の在り方を見直す必要もありそうです。

もっとも、野党の批判は、制度の悪用や転用に向けられていました。そのあたりは充分注意を要するでしょう。従って、その要件化を慎重に、明確に規定すると共に、悪用を阻む具体的な方法を考案するなり、労基署による取り締まりがいかに促進されるかを、同時に議論して欲しかったと思います。

どのような法制度にも、悪用はつきものです。制度の弊害が、たとえ一人の命でも、人の生命を犠牲にするようなものであれば、その制度はあってはならない。しかし、その大前提の下で、利点が弊害を上回るように制度設計し、法制度を経済、社会の現実に即したものとするような進展を促してもらいたいものです。

GATT・WTO/EU/TPP/RCEP2018年09月30日 16:19

また大型の台風が通過しようとしています。今年は本当にどうしたのでしょう。

2018年は、欧州連合(EU)の原加盟国が関税同盟を完成させてから50周年目に当たります。
http://image.jp/feature/b0718/ (駐日欧州連合代表部公式)

そこで、今回は、国際的共同体とわが国との関係について考えようと思います。


1、GATT

1945年に第二次世界大戦が終結したのち、GATTが1947年に調印されました(日本は1955年に加盟)。GATTは、最恵国待遇、内国民待遇、関税引下げ、数量制限の禁止の、4つの原則を規定しています。この4つの原則について、簡単に説明しておきます。

最恵国待遇の原則とは、GATT加盟国間で差別をしない原則のことで、ある国に対して約束したある品目の関税率を、加盟国の全てに適用しなければなりません。特定国を特別扱いすることが禁じられます。

そして、他国からの輸入品が、国境を超えて国内に入ったら、輸入産品と国内産品の差別をしてはいけないというのが、内国民待遇の原則です。

GATTの多角的貿易交渉(ラウンド)により、継続的に着々と加盟国間の関税を引き下げ、その結果、世界の貿易が目覚ましい発展を遂げたのです。1963年の世界貿易総額が1547億ドルであったものが、1964年から67年にかけて開催されたケネディ・ラウンドにより、各国が関税を引き下げた結果、1973年の貿易額が5743億ドルに達し、1973年から79年の東京ラウンドの結果、1984年には、世界貿易額が1兆9154億ドル、WTOを設立した1986年から93年のウルグアイ・ラウンドの結果、2008年の世界貿易総額が30兆ドルを超えています。

自国産業を保護する方法としては関税のみが許され、輸出入の数量制限は原則として禁止されています。ある程度の関税であれば、その関税が価格に上乗せされても、安価で高品質な製品を輸出することで克服可能ですが、他国がその製品の輸入制限を行うとすると、いかようにもこれを克服できないからです。

GATT―WTOは、国際的な市場における商品の競争条件を規定しています。各国が自国優先主義による恣意的な規制により、国際的な市場における自由で公正な競争を歪めようとすることを、可能な限り抑制する。どの国であれ、安価で品質の良い物を作れば、他国への輸出により利益を挙げられる。そのことを無差別に保証するのです。第二次世界大戦前に、宗主国を中心とした植民地間のブロック経済化が進行し、遅れて経済発展を遂げた、日本、ドイツ、イタリアを締め出した結果、第二次世界大戦に至ったという反省を踏まえています。
GATTは最恵国待遇を規定しているのですが、同時に24条で、関税同盟や自由貿易地域の設立を許容しています。GATT―WTOの水準を下回らない、貿易の自由化を一層促進するものに限り、一定の要件の下で認められるのです。

このような関税同盟の一つが、欧州共同体、後の欧州連合(EU)です。


2、欧州共同体―欧州連合

1957年に欧州共同体(EEC)設立条約が調印され、1968年 ベルギー、西ドイツ(当時)、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダの原加盟国6カ国が関税同盟を完成させました。

EEC設立条約は、関税同盟と貿易の数量制限の禁止を中心とします。

関税同盟は、域内の関税を全廃すると共に、域外の第三国との間の関税を共通にします。従って、例えば、フランスが日本から輸入する場合にオランダの港で陸揚げして、ベルギーを通過し、フランスに到着するとすると、輸入品に対する関税が共同体の対外共通関税として一度課されると、域内を通過する際には何らの関税も課されません。関税はいずれかの加盟国の収入ではなく、共同体の共通財源に組み込まれます。EECの加盟国は、第三国に対する共通関税を課する権限を、EECに移譲しているのです。

現行のEU機能条約でも、関税同盟と数量制限の禁止を中核として、EU全体で単一市場を創設し、非関税障壁を削減しつつ大市場のスケールメリットを生かして、全体として発展することが目的となっています。

ヒト・モノ・カネ・サービスの、加盟国間の国境を超えた自由移動が更に徹底され、EU市民であれば、どの国で会社を設立し、事業活動を行うこともでき、またどの国において労働を行うとしても自由です。EUのいわば憲法のようなもので、加盟国がこれに違反して制限を課することができません。

EUが拡大して、現在28カ国が加盟しているのですが、その拡大に伴い域内において後発国々に経済発展がもたらされました。イギリス、ドイツ、フランスの経済の高度に発達した地域から、スペイン、ポルトガルや、中東欧の低開発国へと、経済発展が及んだのです。関税がないから、人件費の安いこれらの国々で製造し、イギリス・ドイツ・フランスなどの大消費国で販売することができるから、先進地域の企業が挙って、後発の国々に工場を建設したのです。先進国企業が技術を移転した結果、チェコにOEM生産のための大企業が誕生したという例もあるのです。

EU構成国間の経済格差はなお大きなもので、特に東欧諸国の生活水準は低く、これらの国から、相対的に高賃金である先進地域に移民が流入しています。イギリスがEU離脱を決めたのも、徹底したヒトの移動の自由のおかげで、とりわけポーランドなど域内の後発国からの単純労働の移民を規制できないことへの不満が、不況期には反移民運動に繋がったことが重要な理由の一つです。

EU単一市場の創設という目的は、環境規制や消費者保護ルールその他の法の統一という側面にも及び、更に深化し続けています。


3、メガFTA・EPA

WTO上(GATT24条)、自由貿易地域は関税同盟とは区別されます。自由貿易地域の場合、域内の関税を実質撤廃するとしても、域外の第三国との関係においては、加盟国が独自に関税を課することができます。域外との間で共同体共通関税というものがありません。

日本が現在締結しているFTA・EPAの状況については、外務省のHPが便利です。
それによると、TPP11や日本・EU間のEPAなど、発行済み、署名済みのものが、18あります。交渉中のものとして、コロンビア、日中韓、RCEP、トルコとのFTA等があげられています。

世界の国々の間でFTAの締結競争が起きています。前述したように多角的貿易交渉によって、世界の貿易が拡大してきたのに、WTOの貿易交渉が今のところ頓挫してしており、一定の進展も見られるものの、めぼしい成果が得られていないからです。

多角的な貿易交渉が困難となった理由として、一つは、WTO加盟国が増加し、多国間条約をめぐる南北問題を生じたためです。発展途上国が先進国のように、自由貿易の恩恵を被っていないという不満が存在します。他は、世界貿易の発展に伴い生まれた新興国の存在です。すなわちBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)等です。新興国の利害は、先進国や途上国の利害とも異なり、三つ巴の争いとなります。

前回の貿易交渉であるドーハ・ラウンドは、あと一歩で妥結するところだったのですが、インドと中国が、途上国向けのセーフガード条項を強化することを求めて、アメリカがこれに反対したため、土壇場で合意案が破棄されました。日本はこのときも、農産物の大幅自由化を要求され、相当程度の譲歩を示していたという経緯があります。これがご破算となりました。

多国間の枠組みにおける更なる自由化が達成されなかったことで、各国が二国間、複数国間のFTA締結競争に至ったのです。その先陣を切っているのが、中国や韓国です。日本は多国間の枠組みを重視していたため、この競争に少々、遅れ気味だったのですが、ASEANやEUといった地域とのFTAのほか、TPPの締結がありました。

TPP11では、日本、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナムの、人口合計5億人、GDP合計10兆ドル、貿易総額5兆ドルの自由貿易地域が創設されることになります。

TPPというと、関税の引き下げの側面が注目されがちですが、貿易円滑化や電子商取引に関するルールが含まれており、特に、中国との関係で重要なのは、投資、国有企業支援、知財保護に関する規定です。

投資先国が投資企業に先端的技術の移転を要求することの禁止や、国有企業に対する補助金に対する制限、知財侵害に対する厳格な規制を行うことを、構成国に求めています。いずれもトランプ大統領が中国に対して要求していることです。もともと国家資本主義である中国を念頭に置いた規定だったのです。今の中国がとても飲めない規律内容で、アメリカを含む環太平洋と東南アジア諸国が、TPPにより中国包囲網を敷く作戦であったと思われます。これが成功していれば、中国の一帯一路政策にも十分対抗し得たでしょう。ところが、元々アメリカが旗振り役であったTPPから離脱して、アメリカは中国に対して貿易戦争を仕掛けています。

TPPは、モノ・カネ(投資)・サービスの移動の自由に向けた高レベルの通商法ルールを含むわけです。

そのほか、FTA・EPAには、ヒトの移動に関する取り決めがなされる場合があります。日本とインドネシアやフィリピンとのEPAにおいては、看護士・介護士について、日本が一定数の人員を受けいれることを約束しています。もっとも当初、3年以内の、日本語表記の看護士等資格取得のための試験合格を要件としたため、日本に定住することが困難な状況です。

4、安倍総理の国連一般討論演説

先日行われた第73回国連総会での一般討論演説で、トランプ大統領が反グローバリズムを掲げ、愛国主義(patriotism)を標榜しました。トランプ大統領の保護主義政策とナショナリズムに対して、安倍総理は日本が自由貿易主義の旗手であることを宣言したのです。そして、このことに関して、具体的には、次の3点を取り上げています。WTOへのコミットと、RCEP交渉、そして、アメリカとの貿易交渉です。

トランプ大統領はWTOに不満を抱いており、WTO脱退も辞さないとしています。アメリカをこの多国間の枠組みに繫ぎ止めるためには、日米欧の共同提案にかかるWTO改革が成功する必要があるかもしれません。中国を念頭に置いた、補助金規制や知財保護に関するWTO改革には、総会における全員一致が必要です。つまり、中国が拒否権を有することになります。先に述べた理由で、途上国や他の新興国との関係もあり、極めて厳しい課題となるでしょう。

RCEPとは、外務省の発出している文書「東アジア地域包括的経済連携(RCEP)(概要)」(外務省HPに掲載)によると、交渉参加国がASEAN10か国と日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インドの6か国であり、世界人口の約半分、世界のGDP及び貿易総額の約3割を占める巨大な経済圏です。

RCEPが重要なのは、日本が多国間主義の下で、地域全体の発展の中に日本を位置づけ、国際主義の長期的利益を指向するという観点からです。この国際的地域には、多くのわが国企業が、大企業も中小企業も含めて既に進出し、サプライチェーンを構築し、また多様な市場に参入しています。この地域における国境による障壁を可能な限り除去し、互恵的な関係を築いて行くことができるなら、将来において、EUや北米大陸に優位するほどの経済成長を遂げる可能性を十分有しています。

関税のみならず、非関税障壁を含む、包括的、野心的な協定を締結するとすれば、国家資本主義を取る中国や、地域大国であり特有の文化を有するインドの説得が鍵となるでしょう。中国は一帯一路政策という独自の国際戦略により、シルクロード経済圏への経済的進出を国家として推し進めています。中華思想の下、帝国主義的発展を目指すのであれば、RCEPは余計なものでしょう。筆者には、アメリカも中国も、いずれもとてもわがままな国に見えます。日中韓や日中の二国間のみの枠組みよりも、インドを引き込む多国間の枠組みが、対米戦略と同様の意味において、好ましいと思われます。そして、中国がそれを嫌うなら、残りの国々で、新世紀通商法ルールを策定した経済共同体の形成に向けて努力することが可能ではないでしょうか。

安倍総理は、RCEPに向けて全力を傾注すると、国連総会で宣言したのです。そして、アジア・太平洋からインド洋に至る広域の、自由で公正な通商法ルールを有する経済圏システムを構築することができれば、中国の一帯一路政策に対抗できる壮大な国家戦略となるでしょう。

更に、将来的には、民主主義、人権の尊重や環境保護といった価値観を、友好国とともに、この地域全体に広めることができれば、EUに匹敵する文化的な共同体にもなり得る、少なくともその可能性は留保したいと思います。

アメリカとの関係については、少なくとも首脳同士の友好関係が極めて良好であることが重要です。規範的価値には無頓着であるように見えるトランプ大統領には、特にこの点が有意味であると思われます。ビジネスのパートナーとして、ウィンウィンの関係を作り上げる。そのためのディールが全てであるようです。これほどのナショナリズムに走るアメリカの大統領を何とか凌がなければならないでしょう。

FTAほどの包括性を持たないTAGとして、TPPの内容を盛り込むのが日本の狙いであると思います。そして、将来、アメリカの大統領がその意義を再認識したときに、TPPに引き込むことができれば、RCEPと共にTPPが一層の重要性を獲得するでしょう。