紛争下性暴力と戦うノーベル平和賞2018年10月06日 16:52

11月に学会報告があります。また少し忙しくなってきたので、ブログの更新をしばらく休みます。学会が終わった頃に再開したいと思います。そのとき、またよろしくお願いします。<(_ _)>


1,ノーベル平和賞

コンゴ民主共和国の婦人科医師、デニ・ムクウェゲ氏(63)と、イラクの宗教的少数派ヤジディー教徒の女性、ナディア・ムラド氏(25)の2人が、ノーベル平和賞を受賞しました。

「性暴力と闘う2人に平和賞 国内からもたたえる声」
日経電子版 2018年10月5日 22時30分

「平和賞にムクウェゲ氏とムラド氏 性暴力防止」
毎日新聞 2018年10月5日 18時09分(最終更新 10月5日 22時50分)


コンゴ内戦でレイプ被害にあった女性達の救済に当たっている医師と、イスラム国で人身売買の上、性奴隷にされた被害を国際社会に訴える活動家です。

「戦時下の性暴力を白日の下にさらし、犯罪者への責任追及を可能にした」というのが、受賞理由です。(上掲、毎日新聞)性暴力が安価な武器であり、また、拷問の手段となるのです。

また、一般に、非力な女性が、紛争状態という異常事態において、戦闘を遂行する男性から、性暴力・被害に会うことが有り得ることは容易に想像できます。

今現在、この世界に、紛争・戦争が存在し、爆撃や銃弾の脅威に曝されながら生活し、兵士達に性的に蹂躙される人々がいます。多くの人がこの問題に無関心であり、その実情を知りません。平和賞を受賞した二人は、このことを明るみに出して、救済への可能性を開いた功績が大きいのです。その国に留まる限り、決して解決のなされない、その試みさえ無意味で、救済を訴える者に身の危険が生じるような問題です。

しかし、国際社会は、これを国内問題だとして放置することをせず、国際法上の犯罪として断罪しています。2002年に発効した国際刑事裁判所(ICC)に関するローマ規程(ICC規定)において、そのような性暴力が人道に対する犯罪及び戦争犯罪とされているのです。


紛争下における性暴力の被害が世界中に現に存在し、人類の歴史上も、このことが絶えたことがありません。このことは、欧州や日本も免れないでしょう。しかし、文明の発展とともに、先進地域では克服されてきたとも言えそうです。ノーベル平和賞の二人の出身地が、無政府状態に陥るような内戦の生じたアフリカと中東であることが象徴的であるように思えます。また、1990年代の、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において性暴力が民族浄化の手段とされたことは記憶に新しいです。

無政府状態の混乱と法秩序の破綻の下では、腕力のない女性や子供が、その被害者となります。戦争を遂行する上でこのことが常態化すると、それぞれの領土の一部を占領する互換性がある場合に、その後、そこに生活するコミュニティーに身体的・心理的な深い傷跡を残します。そこで、このことを国際法として禁止する方向性を生じると考えられます。

また、このことは生物学的、生理学的に、戦闘行為を遂行する男性の性処理の問題が関係するでしょう。

一方で禁欲的な軍隊の規律があり、他方で、生死をかけた強烈な精神的ストレスを抱えるわけで、性暴力に至らないように一定の秩序化をはかるためにも、公娼が用いられるということがありそうです。

もっとも、決して、これを肯定的に捕らえるとか、その理由で正当化するということではありません。更に文明の進展とともに、倫理的規範的要請の下で、自己抑制の方法によることも可能になります。平和を享受している先進国地域では、その克服の過程に生じる歴史的悲劇です。


2,「慰安婦」問題

日本でも公娼が廃止されたのが、第二次世界大戦後のことであったことを思いださなければなりません。ちなみに、第二次世界大戦終結時、米軍に占領されるとき、米軍兵士による性暴力の脅威から日本人女性を保護するために、公娼を用いることが必要視されたという議論もあるようです。

この公娼を従軍させたのがここで取り上げる「慰安婦」なのではないでしょうか。第二次世界大戦中、日本軍に「従軍」させる形で行われたものです。公娼自体が違法化される過程で、それ自体が歴史上の汚点とされるようになります。もっとも、兵士の性処理の問題が、「軍」運営における重大な職制上の要素となるということが、日本のみならず西欧各国を含めて、普遍性を有するということは付け加えておきます。

従って、慰安婦自体の問題と、ノーベル平和賞の受賞対象となった無秩序な性暴力とは区別が必要です。問題は、慰安婦としての募集と継続について、強制の契機があるか否かということになります。国家的、組織的な強制が法制度としてあるなら、国家としての犯罪に等しいのですが、そうではなく経済的社会的必然として、「強制」されたという場合、再度強調しますが、そのこと自体を決して正当化しませんが、法的意味で国家自体の問題であったかは微妙です。

慰安婦とされた女性にも様々な事情があり、いわば「徴用」の際に、暴力的に強制された場合も含まれると考えられます。そのような状況に置かれた女性達が確かに存在したことを、1993年の日本政府自体の調査結果として認め、政府として心からのお詫びと反省を表明しています(いわゆる河野談話)。ここではこの問題に焦点を当てます。

経済的事情によって公娼という職業を選択せざるを得ないという女性に対して、当時の社会的状況の問題として気の毒に思いますが、特に後者の場合、筆者自身、同情を禁じ得ません。その被害者の憤りと悲しみを是非、共有したいと思います。


3,戦後補償と請求権問題

これらの女性達からする補償の要求について検討します。慰安婦問題は、戦争捕虜、元徴用工等と並ぶ、戦後補償問題の一環です。第二次大戦において、他国の一般人が戦闘や理不尽な暴力に巻き込まれ、その国や社会にとって必要な財産が破壊されたことを、日本が補償や謝罪をするという問題です。

戦後補償について、日本は、サンフランシスコ平和条約(1951年)やその他、各国との協定等の締結により、戦後処理を進めてきました。その一つとして、日韓請求権協定(1965年)があります。日本と韓国との国家間で、日本が3億ドル分の生産物と役務の提供を行い、加えて2億ドルの長期低利貸付を提供することを約束し、この経済協力と引き換えに、国及び国民の間の財産や請求権の問題が完全かつ最終的に解決されたと規定されたのです。

そして、両国国家と国民に対する、協定締結以前の全ての請求権をお互いに主張しないこととされています。

日本は、大戦前に朝鮮半島を併合しており、自国領域としてインフラ整備や公共建物を建築するなどの投資を行ない、民間の財産も存在したのですが、これを放棄したことになります。

これを一括処理方式と言い、各国国民に生じた個別の損害については、それぞれの国が国内手続に従い補償の提供を受けることになります。それが不十分である可能性はありますが、戦争という異常事態において双方に生じた莫大な損害を埋め合わせるために、国同士でこのような約束を行い、処理するわけです。破産時の精算にも似ています。

慰安婦の個別的な損害賠償についても、日韓請求権協定に含まれているというのが、日本の立場です。

これに対して、交渉の経緯と慰安婦問題の特殊性から、請求権協定で処理される対象とされていないとするのが、韓国政府の立場です。

同じ条約について、日本と韓国の間で、協定の対象となる範囲について、解釈の相違を生じたということになります。

条約=国際法について、当事国間で解釈が相違することはよくあることです。条約は国家間の契約になぞらえられますが、契約の当事者間で解釈が異なる場合、国内法の問題であれば、その国の裁判所に行って解決することができます。これが国際法であると、客観的中立的な第三者として裁定する機関を考えにくくなります。日韓請求権協定の場合、その条項に、国際仲裁委員会に解決を委ねる方法が規定されているのですが、両当事国が合意するのでなければこれが開始されません。今のところ、いずれの政府もその気がないようです。

国際関係法の専門家として、元慰安婦の個人的な賠償の請求が法的に根拠付け得るかについては疑問があります。国際法及び国内法上、相当困難な解釈上の問題を生じます。法的にはこれが困難であるとして、次に、道義的な責任の問題として、何らかの解決が模索されるのではないかを考えます。


4,日本政府の行動と、慰安婦像

この間、韓国内の世論としては、日本政府の態度を非難するものが目に付きます。民間団体が慰安婦像をこの女性達の抗議の象徴として、ソウルにある駐韓日本大使館前に設置し、日本政府が抗議したことはよく知られています。

日本政府は、1993年の河野談話の後、1995年に女性のためのアジア平和基金を設立し、その事業として、元慰安婦の女性達に償い金と総理大臣の手紙を手渡すことにしました。その手紙において、わが国が「道義的責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳にかかわる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」としているのです。

アジア平和基金の事業は、2007年に終了し、基金も解散したのですが、韓国では、この事業も必ずしも成功していません。この事業を日本政府の責任回避であるとする韓国内の運動体と韓国政府の態度に起因します。この事業による金銭と手紙を受領しようとする女性に対しては、民間の団体による圧力がかかったようです。
(慰安婦問題アジア女性基金デジタル記念館よりhttp://www.awf.or.jp/ )


2015年12月28日に、日韓慰安婦合意が締結されました。
そこでは、日本が、日本軍の関与の下で大戦終結までに、慰安婦として多くの韓国人女性の名誉と尊厳を傷つけたことを認め、責任の痛感と、心からのお詫びと反省の気持ちを示しています。

そして、元慰安婦の女性達のための事業を行う、韓国政府が設立する財団に、日本政府が10億円ほどの資金を提供することにしたのです。

同時に、これをもって慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に」解決されたものとし、両国が国際社会において互いに非難することを控えることにしました。

ところが、韓国内においては、この日韓慰安婦合意が甚だ不評です。文政権は、この合意を反古にしようとしています。慰安婦像の撤去もなされていません。撤去しようとすると、むしろ厳しい反対運動に遭遇し、世論も反対論が強いようです。

日本政府が提供した10億円が、韓国政府の設立した財団を通じて、多くの元慰安婦達の手に渡っているのですが、極めて高齢となった女性達の救済が漸くはかられたことを喜びたいと思います。

韓国内の世論や現政権の反発はどこから生じるのでしょうか。金銭を提供した根拠として、法的責任か、道義的責任かの相違は、純粋に法技術論として理解できます。この一点にそこまでの執着を示す理由は何でしょう?

私には、韓国における朝鮮民族としてのナショナリズムが背景にあるように思われます。日韓併合と日本への同化政策により、民族の誇りを剥ぎ取られ、その間に被った同胞の屈辱的な苦痛が忘れられない、ということでしょう。日本がいくら謝罪を口にしても、その気持ちの表れとして金銭を提供してもどうにもならない、民族としての悲憤の共有が存在するのです。

日本としては、法的責任は、無いのだから無いというほか無い。謝罪の気持ちを信用しないと言われても、その気持ちは言葉を通じてより他に示しようがありません。お隣の国として未来志向の良好な関係を更に発展させるべきであることには、どちらの国も同意しています。日本として、彼の国の過激なナショナリズムに過剰に反応することなく、その国の人々の気持ちにも思いをはせ、お互いに仲良くしようという機運がもっと生まれるまでゆっくりと待つという態度で良いのではないでしょうか。

日韓合意の遂行を求めつつ、他の側面での協力関係を進展して行くことが肝要であると思います。


5,世界中の、紛争下性暴力の被害者と、日本

2015年8月14日に、安倍総理による戦後70年の談話によって、次の通り表明されています。これが同年末の日韓慰安婦合意に通じました。

「私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性達の尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」。

冒頭に示したノーベル平和賞が、世界中の、紛争下性暴力被害者に勇気を与え、その救済に向けた努力に報いるものでした。誰も見向きもしないと、受賞者の1人が語っています。そこに光を当てた受賞でした。そのような被害の抑止と救済に対して、日本としてもっと何かできることは無いでしょうか?

受賞者が武装勢力に対する資金提供に繋がる取引の禁止を求めていました。また、日本が中東における平和に貢献し、世界で苦しむ紛争地域の性被害者への援助を行う人的、物的な貢献を行う方策がないかを検討することができるように思います。

他方、足元の国内に目を転じると、実は、日本が人身取引の受入国として、また児童ポルノの供給国として、国際的に評判の悪い国であるという事実があります。このような違法行為の抑止を適切に行い、取締り実績を上げていくことがいかに重要であるか。紛争下の問題ではありませんが、そのような身の毛のよだつ性被害の重要な供給国とならないようにすべきです。

以上のような取り組みを通じて、日本のこの分野におけるリーダーシップを国際的に発信していくことができるでしょう。


※全般に参照。岩月直樹「日本に求められる「戦後補償」とは?―「慰安婦」問題における「法的責任」をめぐる難しさ」『国際法で世界がわかる』322頁以下

外国人材受入れ法案の審議2018年10月30日 01:40

学会報告が終わるまでは更新を行わない予定だったのですが、

昨日(10月29日)の国会における代表質問を聴いていて、いつもブログを読んでくださっている皆さんに、どうしても一言したいことができてしまいました。

外国人材受入れ法案についてです。


1、わが国における在留外国人の現状-もう既にこうなっている。

法務省の白書である「出入国管理」(平成29年版)によると、平成28年末の中長期在留社数は204万3872人、特別永住者数は33万8950人でした。

特別永住者というのは、サンフランシスコ平和条約によって、わが国に在留する朝鮮半島出身者が在日外国人となったという経緯を有する人達です。日韓併合によりわが国の領土の一部となった朝鮮半島の出身者が、わが国の国民として外地戸籍に編入されていたもので(本土の出身者は内地戸籍に編編入されていた)、日本の海外領土の放棄により朝鮮半島が独立したときに、当時わが国に在留していた(外地戸籍に編入された)人達が、突然、その日以来外国人となったという人達です。

白書によると、これらを合わせた在留外国人数は238万2,822人となります。27年末現在と比べ15万633人(6.7%)増加しています。

また、平成28年末現在における在留外国人数の我が国の総人口に占める割合は、我が国の総人口1億2,693万人に対し1.88%となっており、27年末の1.76%と比べ0.12ポイント高くなっています。

日本が本格的な人口減少社会となるにつれ、在留外国人数及び総人口比の割合が、東日本大震災により漸減した以外は、毎年、増加しています。

そもそも日本の外国人の在留制度は、在留資格毎に職種を限定し、在留を認められる期間内においてのみ、その職種においてのみ就労を認めるものであり、移民として一括して受け入れ、自由に就労を認める移民政策とは異なります。

もっとも、先の特別永住者と、「永住者」(平成28年末727,111人)という資格を保有する場合に、職種の限定を受けずに、自由にわが国で就労可能です。

また、「定住者」という資格があります。これは海外に居住する日系人である外国人が、日本に働きに来ることができる資格で、平成28年
末で、168,830人です。これも職種の限定を受けません。バブル期における特に単純労働の人手不足の時代に新たに設けられた資格です。

定住者資格は、従って、かつて貧しい途上国であったわが国から、海外に移民をした人々の子孫が、富める先進国となったわが国に里帰りした人達を含みます(もっとも他国で3世4世となった外国国籍保有者です)。唐ゆきさんの時代から、じゃぱ行きさんの時代に、移り変わったのです。

その他、日本人の配偶者等である外国人が139,327人、永住者の配偶者等である外国人が30,972人で、これらの人々も職種限定を受けません。

これらの人々を除き、在留資格毎に決められた期限内に、限定された職種にのみ就くことができます。

一般企業の外国人社員や企業内転勤の外国人達は、その企業に勤める人達ですが、これが、「技術・人文知識・国際業務」及び「企業内転勤」という資格の下で、わが国で在留を認められています。

わが国はIT技術者の慢性的な人手不足です。このような人達が、上記の資格でわが国に暮らしています。わが国産業のイノベーションに欠かせないこれらの専門的技能を有する人達について、国際的な獲得競争となっており、どうやらわが国が負け気味なのです。

そこで、政府は、高度人材外国人に対して、ポイント制の下で(学歴、職歴、年収などに基づきポイントを付与する)、永住資格獲得の年数など優遇策を講じています。

その他、技能という資格は、外国料理の調理人や宝石の研磨技師など、外国特有の産業の熟練した技能を有する人達がわが国で、その職業に就く場合の資格です。

また、興業という資格は、外国人ダンサーなどが、わが国でその職業に就労するための資格です。

そのほか、細かく限定された職種毎に、在留期間が決められています。

もっとも、在留資格の更新が可能であると、定住できることになるが、更新は法務大臣の許可処分にかかることになり、これが自由裁量行為です。


2,わが国の単純労働の担い手

上の在留資格の中に

技能実習(22万8588人)と、留学(27万7,331人)という資格があります。

これが、わが国における単純労働の担い手となっています。

外食産業やコンビニは、もはや留学生無しにはなりたちません。本来わが国で勉学を納めるはずの留学生ですが、この人達は一定の決められた時間内でのみ、アルバイトが認められているのです。

もっとも、わが国の大学や専門学校の留学生が卒業後、わが国企業に就職できれば(従来狭き門)、上の「技術・人文知識・国際業務」という資格に移行できますので、高度人材外国人の候補となると言えるでしょう。

技能実習という資格が独特の制度です。以前のブログに述べたように、外国の産業発展のための国際貢献を目的とした資格でしたが、一部を除き、全く、単純労働の人手不足を解消するために用いられています。そして、この資格については、最長5年の在留のみ認められ、更新が可能ではありません。家族帯同も認められません。

既に、大企業ないし中小企業の製造現場や地方の地場産業など、この資格による外国人無しには全く立ちゆかない状況となっています。


3,特定技能

現在、国会において議論されている外国人材の受入れですが、創設される特定技能という資格は、相当程度以上の技能を有する単純労働分野の特定の職種毎に、一定数を受け入れるものです。

建設、宿泊、農業、介護、造船の5分野等での受入れを予定しています。*

上に述べた他の資格と同様に、自由にいかなる職業にも就労可能という制度ではありません。そして、特定1号は在留期間が上限5年であり、更新が認められないのです。また、家族帯同が認められません。

受け入れ人数など、厳密な政府の管理に置かれ、必要に応じて制限ないし停止できるものとされます。

思うに、技能実習制度と同様に、産業分野毎に、わが国の受入団体と登録支援団体を通じて、わが国事業者のニーズを基にして、労働力の需給をマッチングさせることも可能になるのではないでしょうか。

従って、技能実習制度の、専門的・技術的分野における拡張という意味合いを有します。

また、特定技能1号について、必要な生活支援を行い、就労上必要な研修や日本語研修を行うとされます。

例えば、建設現場におけるコンクリート技術者などが容易に想像できます。日本において、この技術者が圧倒的に不足しており、法令上、存置を要求されているので、限られた人数の技術者が各現場を回っているような状況では、その技術者を待っている間、工事が停滞し、そのため工期が伸びるので、その分費用が嵩むということも生じています。そのような技術者が外国人労働者として供給されると、ことにオリンピック関係で建設工事が増加している東京において有用でしょう。


3、特定技能2号

特定2号については、家族帯同を認め、更新可能とされるようです。イメージとしては、1号資格の外国人について、優秀な人材のみ、更に所管省庁による技能試験により選抜され、2号資格に移行できるというものです。

2号資格の外国人について、私は、次の様な人達をイメージしています。

1号で日本にやってきた外国人のうち、定住を目指して懸命に働き、2号資格に移行するための技能を身につけるほど勤勉である者であり、職場や居住地域において親しまれ、上手く日本社会に定着できた者です。現在就労している事業所において定収があり、労働力としてのならず、少なくとも相当期間、納税者として、日本の社会保障制度を下支えすることが見込まれるのです。

1号資格者を5年毎に総替えして行くとすると、その都度、日本語研修や職業訓練等を一から繰り返すということになるので、一層コストがかかります。技能実習制度でも有り得たそのような問題点を払拭し、日本で優秀な技能を身に付けた外国人がむしろ定住し、将来的にも日本の構成員として活躍できるものとした方がはるかに効率的でしょう。

優秀な技能を有する人達がわが国に定住することで、特定技能1号の新たな募集数を減らすことができるということが予想されます。

また、大黒柱となる家族の一員が定収を得られる職を確保した上、日本社会にある程度定着した段階で家族を呼び寄せることができれば、その子弟についても日本社会への定着が迅速になされ得る。その意味で同化政策が極めて重要です。

日本人との賃金格差を無くし、待遇差別を無くし、労働契約の内容についても規制が及ぶならば、日本人労働者の生活を圧迫することを防ぐことが可能です。

政府は、出入国管理庁という新設の官庁を設ける予定です。このような監督官庁がとても重要となります。

同化政策と社会政策の失敗をしないことが、犯罪抑止に有効です。実は、同程度の所得層で比較すれば、外国人であることが有為な犯罪率の差を生まないという統計もあるのです。

同化政策として、決して強制に陥らない、地域住民との交流と、地域の祭りへの参加が重要です。また、地域のルールや習慣を習熟するための研修の機会を是非設けるべきです。これらのことは、地方公共団体の役割でしょう。

付言すると、このような2号資格に移行可能であることが、1号資格者の労働意欲と技術習得に対するインセンティブを与え、その5年の労働生産性が向上するのではないでしょうか。

更に、2号資格者となり、やがて家族を呼び寄せることができるという日本における成功者をロールモデルとすることで、特定技能の在日外国人社会のモラル向上に役立つでしょう。



4,まとめ

以上のように、わが国で、現在計画されている外国人材の受入政策は、受入れ分野と職種を限定し、その限られた範囲の専門的技能を有する即戦力となる労働者について、受入人数を調整した上で、外国人のための支援体制も整えるというものです。

単純労働分野においても、分野を限らず。無条件に極めて多くの人数を一括して受け入れ、社会政策上の失敗から貧困層を生み出し、社会の分断を招いた欧州の移民政策とは区別されます。

次の三点が、わが国とEUとの区別をする点で重要です。

まず、EU構成国は、EUの共同体としての法規制があり、EU市民たるヒトの移動の自由が徹底されており、構成国に対してこの義務づけがあるので、EU市民である限りいかなる「移民」も拒めないのです。

旧宗主国として、旧植民地であった国々との関係上、そのような国からの移民を容易に受け入れました。

次に、膨大な数のシリア難民が発生し、人道上、そのような人々を移民として受け入れざるを得なかったので、その分担が必須となりました。

繰り返しますが、以上の意味で、わが国の外国人材受入れ政策は、移民政策とは一線を画するものです。

以前のブログでは、用語法の分かりやすさを優先して、定住を、移民のメルクマールとしましたが、

そもそも、定住をいう限り、わが国には既に多くの外国人が定住しています。この点で、専門的技能を有する高度人材外国人の定住政策への政策転換がなされて、既に相当の年月を経ています。

従来は単純労働分野に分類されていた範疇においても、専門的技能を有する特定の限られた職種について、5年内に在留を認める範囲を拡張しつつ、更に、その中から熟練技能者を選抜して、定住化を認めることで、この日本の社会のむしろ安定化を図るものです。

必ず5年で帰る人達が、真剣に社会のことを考え、同化できるとは考えられません。定住可能な人達こそが、その住む社会をより良くするために働き、取り巻く住民社会とも親しみ、良い構成員となり、その社会の発展に貢献することができるでしょう。

人手不足倒産が増加して、後継者難からも中小企業の大廃業時代を迎えている今日、地方では地場産業が人手不足の悲鳴を上げ、地方自治体が消えゆく(廃村)状況に至っているのです。

AIとロボットによる技術発展を待っているような悠長なことを言っていられますか?

また、中小の町工場が無くなり、限られた大企業の工場内でロボットが働き、地方に人が居なくなる中、AIのおかげで何とか生きていけるというような世界観と、民族的多様性を受容しながら、ヒトに囲まれて暮らしていく世界観との、価値選択がいずれ必要になるのではないでしょうか?


*10/31 22:37 追加

介護、ビルクリーニング、素形材産業、産業機械製造、電気・電子関連産業、建設、造船・船用工業、自動車整備、航空(空港グランドハンドリング・航空機整備)、宿泊、農業、漁業、飲食料品製造(水産加工業含む)、外食の14業種で適用が検討されている。
「自民、外国人拡大を了承 見直し条項導入条件に」日経電子版 10/30 23:00 より。