思いが重なるその前に・・・国際法と国内法2019年03月02日 23:57

今日は、国際法と国内法の関係について、考えてみます。

最近、日本が韓国の国家としての行動を国際法違反であるとして非難することが増えています。

元徴用工の賠償請求事件では、同じ条件下の原告が日本企業を訴える日本での裁判で過去に敗訴していたのですが、韓国国内の裁判で損害賠償を認められました。韓国政府は韓国国内の三権分立により、政府は司法の判断を蔑ろには出来ないということを、日本政府が理解すべきだとしています。韓国裁判所が韓国憲法に従い判断したことを、政府として尊重しなければならないとするのです。日本政府は、このような韓国の国家としての行動が、行政府にせよ、司法府にせよ、日韓請求権協定という国際法(二国間条約)違反であるとして非難しています。

また、先日の報道によると、韓国の外務大臣が国連人権理事会において、慰安婦問題に言及し、紛争下性暴力の問題というトピカルなキーワードを持ち出し、日本が個人の救済という観点から行動するべきだと、批判しました。元徴用工裁判と慰安婦問題は、問題の性質が若干異なりますが、これに対しても、日本は、日韓の政府間における慰安婦問題の合意を、韓国が一方的に破棄したものであり、韓国政府が誠実に履行するべきだとしています。


国際法と国内法の関係といっても、いつものように随分遠回りをします。法学的な緻密な議論というのではなく、多分に感覚的な、イメージのお話しをしたいと思います。中々、法の話になりません。いうなれば私小説的法学? ファンタジーです。
ちょっとお付き合い下さい。

私は生きています。 ??? (ここから始まります。)

私たちの体、人間の体は、一個の器官系として、自律的に意味ある行動を行います。
歩いたり、走ったり、物を持ち上げたり、下ろしたり、食べて、飲んで。
寝て、起きて・・・。
ひとりの人間として、生きるために必要な営みを行っています。
人の器官は、幾つかの臓器から成ります。
臓器は、無数の細胞の塊です。
一個一個の細胞は、それぞれが、自律的に活動しています。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)という日本の宇宙開発を担う政府機関が、小惑星探査機はやぶさ2号によって、小惑星リュウグウの表面にある物質の採集に成功したという報道がありましたね。来年、地球に帰還する予定だそうです。地球誕生の秘密に迫ることが期待されています。また、生命の起源となる有機物の採集にも成功しているかもしれないのです。(話が逸れた!!!)

小惑星探査機はやぶさ2プロジェクト特設サイト
http://fanfun.jaxa.jp/countdown/hayabusa2/overview.html#1993ju3

地球がどのように誕生したかについては、諸説あるようです。私は宇宙物理学者でも、地学の研究者でもないのですが、このお話はとてもロマンチックに感じます。とにかく無機物(鉱物?)の塊であった地球に雨が降り、海が誕生したところから、生命も始まるとされています。無機物の組合せにより、有機物が生まれ、何らかの要因に基づく必然と偶然により、一個の生命体が誕生したのです。それは、生物体を構成するような小さな一個の細胞のような存在だったのです。裸の細胞が、やがて結合しつつ、もう少し大きな生物へと進化した。これが、現在、地球上にある全ての動植物の起源となります。

だから、地球上の全ての生物が、花や木、昆虫や、は虫類や哺乳類など、根本的な構造と機能が同一の細胞の集積として存在するのです。地球上の無機物から、有機物が生まれ、やがて生命体が誕生したので、地球上にある、ありとあらゆる存在が、限りある元素の幾通りかの組合せであり、すべての生物の基本構造が細胞としては同一なのです。神秘的で、何かとても不思議な感じがします。

人はとても複雑な生物です。10の器官系から成ります。ここら辺、インターネットからの請け売りです。骨格系、筋系、循環器系、呼吸器系、消化器系、泌尿器系、生殖器系、内分泌系、脳神経系、感覚器系です。(まだです!!!)

例えば消化器と言えば、胃、小腸、大腸・・・などの多くの臓器からなります。
この臓器達は、私たちが意識するとしないとに関わらず、生きるために必要な活動を行います。ものを食べると、胃が収縮運動をして消化の活動が始まります。私が、胃に、収縮せよとか、消化液を分泌せよなどと、命じる必要はありません。

循環器に属する心臓もそうですよね。いちいち動けと言わないといけないと大変です。

臓器は、私たちの意識とは関係がないかのように、各々自律的に活動しています。

歩いたり、走ったり、運動するときは、一見、私たちの意識に従い、骨格系や筋系が連動して、その命令に従って動いているようです。しかし、これも、視覚、聴覚、皮膚感覚など、これを司る器官から受容した刺激を脳に伝達し、他方、脳から、神経系を通じて、特定の物質が神経細胞間に伝えられて、その相互の情報交換によって骨や筋肉を活動させるのです。

人の体は、各臓器から分泌されるホルモン等の特定物質の相互的なやり取りによって、私たちの生命活動にとって意味のある、統一的な活動を行うことができる、一個の複雑系なのです。

意識というのは、私たちの脳のどこかの部位によって生み出され、どこかの部位に蓄積される情報が、どこかに引き出され、新たな情報として組み合わされ、また新しいものとして生み出される繰り返しだとすると、脳という臓器そのものとは異なります。

これらの一切が、時折、不具合も生じさせながら、しかし、とにかく統一されているのです。

人の臓器は、多様な細胞の集積です。地球の最初の海で誕生した一個の細胞と同種の、これから進化した細胞の集積です。それぞれの細胞は、自分が生きるために、自律的に活動しています。誰に命じられるわけでもなく生命活動を営んでいるのです。一個一個の細胞が、必要な栄養となる物質を取り込み、老廃物を排斥しています。

心臓の心膜や心臓弁や心筋がそれを形成する細胞の塊であり、脳という臓器も、脳細胞や脳神経細胞や、人の体のすべてが、自律的に生命活動を営む一個一個の細胞の塊です。

繰り返しますが、人は、自律的に活動する個々の細胞の集合として理解でき、各細胞ないし器官による、ホルモンなどの物質の規則性をもったやり取りにより、少なくとも人という生物として、生命活動を営んでいるのです。

漸く、国際社会とこれを構成する各国家の関係についてです。

人の体を構成する細胞を国とすると、国は、その生命のために、一定の法則に従い活動しています。そして、ひとりの人の体の全体集合は、細胞間の特定物質やホルモンのやり取り、これが規則性を持ったものであり、その規則に従ってこそ、意味のある統一的な生命体として生命を維持することができます。この人の体としての全体集合が、国の集合である国際社会なのです。

国際法と国内法の関係に関する考え方として、国際法優位の一元論と国内法優位の一元論の争いがあります。国際法一元論は、まず国際法があり、その授権により、国内法が効力を有し得るとするのですし、国内法一元論を私流に表現すると、各国家の実行の集積を単に国際法と呼ぶので、まず国内法が存在し、国際法とは各国がそれを法として承認して始めて存在し得るのである。もっと言ってしまえば国際法というのは単なる幻想に過ぎないという政治学立場もこれに属するかもしれません。

極論すれば、鶏が先か、卵が先かの議論であり無用だとも思えます。もっとも現在、わが国の国際法学説上は、国際法と国内法の二元論的理解が多数のようで、国際法は国際の場において、国内法は国内の場において、それぞれ至高の存在であるとします。各国の行動がその国の国内法に従う限り、国際法に違反するとしても、直ちに無効であるとはされません。国内的には完全に合法だからです。ただ、両者は無関連では有り得ず、国内的に調整の契機が存在すると説明しています。

国際法というのが、ある時代の、その国際社会の条件を前提として成立する、各国の国家実行(ないし国際機関の行為)の趨勢であるとして、動態的にこれを捉えることもできるでしょう。各国の国家実行に法則性が生じるのです。これが各国にとって、「法」であり、遵守しなければならないと認識されることがあるのです。法的確信などと呼ばれます。

多くの国にとって国家間の「法」であるべきルールに、ある国が反するとすると、他国がこぞって批判を始めます。国際法に反するとして、国際的な批判にさらされるのです。国際法と言っても、二国間条約、多国間条約、国際慣習法と、法の存在形式が異なるので、法としての実施方法も一概には言えません。ルールの形が明文であり、その意義が相当程度に明確であるものから、不文であるものまで有り得るのだからですし、多国間条約の中には、それ自体の実施方法を規定するものもあるのです。また、場合によると、国連の制裁決議の下で、世界の国々による経済制裁を被ることがあるでしょう。しかし、最も重要な強制の契機の一つが国際的批判であることは疑いがありません。

ある国の国家としての行動はその国内法に従い遂行されます。その国は、国際法に抵触する可能性があると考えるなら、その行動が国際法に反しないものであると主張するでしょう。国際的批判を回避する必要があるからです。国際法も法として解釈の対象となります。

一国の憲法は相矛盾するかもしれない複数の法原則から成り、どのような政府の決定も、そのような法原則の組合せによる憲法解釈により、合憲であると説明されるでしょう。同じように、ある国の行動が、複数の国際法原則の組合せによる国際法解釈に従い、国際法に違反しないとする説明が可能となります。解釈者の立場や解釈態度により、主観的な国際法解釈と客観的な国際法解釈が有り得るとすると、国際裁判所や国際法学者が行う中立的で公平な規範的態度に基づき解釈するものが客観的国際法解釈です。幾つかの既存の国際法原則を特定し、多くの国の国家実行の趨勢を確定します。もっとも、これすら複数の解釈が可能とはなり得ます。

ここで、人と、人体の細胞との関係に戻ります。人を国際社会とし、その人体の細胞を国とすると、各国は、細胞のように自律的にのみ、それ自身の生命活動として行動します。国際社会は、単にその集合体であり、しかし、一個の人として、器官系により、また単体として、お互いに情報をやり取りしながら、全体として意味ある機能を遂行しているとみることができます。各細胞の生命維持がその規則に従い行い得るように、国家にとって国内法が存在し、細胞間の情報のやり取りにみられる法則性が、人としての生命活動に必須であるように、国際社会にとって国際法が存在します。

各細胞間、器官や系の間で、その情報の解釈の対立を生じると、その人は病気になるかもしれません。国際社会も同様なのです。通常はルーティンの解釈で済むのですが、ときとして、困難な条件を生じ、解釈の抵触が生まれるのです。人が生きていくためには、そのような解釈の対立は解消されなければなりません。予定調和として対立の解消が必然なのです。半自動的に、その調整が行われるはずです。そうしないと、細胞が死滅し、人の生命が途切れるように、人類が滅亡し、国際社会も無くなります。

・・・!

そういえば、人は死ぬ生き物でした?


目の前にいる恋人が死の病に取り憑かれています。
ただ見ているだけで、何もできません。
もう僕にはできることがない。
もう僕の事も分からなくなる。

遠くを見つめるあの人を
見ているだけで....
見ているだけで....

そっと手を取って
その手を握れば
柔らかな掌
血管の浮き出た
柔らかな 手のひら
温もりを感じ
温もりが伝わる

静かに思いが
重なる

思いが重なる
その前に....

元慰安婦の損害賠償訴訟と、韓国の三権分立2019年03月26日 14:38

梅は咲いたかぁ〜 桜はまだかいなぁ〜

もう直ぐですね。漸く休暇を取って、これを書いています。これから新学期の雑務に加えて、当分、論文執筆に専念する必要があるので、不定期に更新します。更新しているのを見つけられたら、読んでみてください。


日韓関係に新たな火種 元慰安婦の損賠訴訟へ
https://www.fnn.jp/posts/00414070CX

2015年の日韓合意に反発した元慰安婦と遺族の20人が、翌年、日本政府を相手取り約3億円の損害賠償を求める訴訟を韓国の裁判所に提起しました。上記のURL は、ソウル央地裁が、本年3月8日、日本政府に対して訴訟開始を公示したため、5月から審理が開始される見込みとなった、という記事です。

1、このことの法的な意味を説明します。

(1)一般市民である私人が、国家を訴えることができる。

国家が私人と、売買やサービスに関する契約を締結することは良くあることで、仮に国家が債務不履行に陥ったとしたら、契約の当事者である私人が、履行や損害賠償を求めて損害賠償を求めることができても当然だと感じるでしょう。

国家、具体的には公権力を行使する公務員が、私人に対して不法行為を行ったとして、私人が損害賠償訴訟を提起することも良くあります。例えば、公害や薬害訴訟を思い出せば分かると思います。国の誤った許認可や監督・監視を怠ったことに基づき、多数の市民が損害を被ったとして、国を訴えます。日本においては、これが国家賠償法に基づき行われます。

契約にしろ、不法行為にしろ、民主的な国家であれば、その国の法に従い、私人が自分の国を相手取り、その国の中で民事の訴えを提起することができることが通常です。

(2)私人が外国国家を訴えることができる。

わが国においては、「外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律」に基づき、民事の訴えについて外国が主権免除を受けない限り、国際民事訴訟法を含めて、通常の民事手続きにより裁判することになります。

不法行為については、法10条により、外国の行為により損害を被った場合に、その行為の一部または全部がわが国領域内においてなされ、行為を行った者が行為のときわが国に所在した場合に限り、その外国は裁判を免除されないと規定されています。

国家が他国の私人から訴えられても、一切の民事裁判権を免除されるという絶対免除主義が克服されています。もっとも、完全に私人と同一ではなく、一定の制限は有ります。その範囲が国により異なるので、国際法である「国及びその財産の裁判権からの免除に関する国際連合条約」が成立しました。わが国はこの条約を批准しているので、この条約が発効すると、締約国との間では、その内容が法として効力を有します。

わが国の国内法である前述の主権免除に関する法律は、この条約に準拠して、締約国と非締約国とに関わらず、わが国において、外国国家を訴える場合の制限の範囲を明確化したものです。

前述の記事は、韓国国内における裁判ですから、韓国が締結している条約や韓国の国内法が問題となります。元慰安婦が提訴したのは、当時のわが国が彼女らに行った行為が不法行為に当たるとした損害賠償請求です。韓国が加盟していないとすると、前記国連条約は韓国を拘束しませんが、国際慣習法の重要な徴憑として参照すると、日韓併合により、わが国の統治下にあった当時の朝鮮半島において、原告らが慰安婦として従事させられ、そのことにより損害を被ったとするなら、一応、その基準に該当するようです。

なお、時効も気になるところですが、韓国国内法の解釈により、これを回避するのでしょう。

(3)訴訟を始めるために、訴状の送達が必要である。

民事の裁判では、相手型に訴訟が開始されたことを通知する手続きが必須です。そうしないと、裁判が始まったことも知らないで、従って、十分の法的な防御を行うこともできず、欠席裁判で敗訴してしまいます。これが訴状の相手方への送達という手続きです。原告がどういう相手に対して、どのような理由で、裁判で何を求めるかを明確に記載した文書が訴状です。これを被告に届ける手続きが送達です。

外国に居る相手方に訴状を送達するためには、その外国の協力が必要になります。裁判所の吏員が無断で外国に行って、相手方に訴状を渡したら、その国の主権を侵害したことになってしまいます。外国公務員の公権力行使に当たるからです。

国際的訴訟の度に、訴状の送達について、一々、外交ルートを通じて外国当局にお伺いを立てていては面倒だし、断られる可能性も高いのです。そこで、グローバル化の進展に伴い、訴状送達について条約が締結されています。「民事又は商事に関する裁判上及び裁判外の文書の外国における送達及び告知に関する条約」(略称、ハーグ送達条約)です。条約で約束した国内当局を経由した、条約の条件の通りの訴状であれば、裁判を行う国の裁判所等に代わって、相手方の居る国の裁判所等が送達を行うことを義務付けられます。

日本も韓国も送達条約の締約国ですから、条約が法として両国を拘束します。元慰安婦が提起した、日本を相手取った損害賠償請求訴訟の訴状を、韓国の裁判所が受理した場合、裁判の審理のために、その訴状を日本の政府機関に送達しなければなりません。ハーグ条約に則り、わが国の外務大臣に協力要請があったら、わが国は本来これを拒むことができません。しかし、この裁判については、日韓請求権協定や、慰安婦問題についての政府間合意などに反して提起された韓国国内における裁判に、国家としてわが国の出廷を求めるものなので、条約13条に基づき、わが国の主権侵害に当たることを理由に、送達を拒絶したもようです。

この場合に、韓国裁判所としては、条約15条に基づき一定期間の経過の後、裁判を行うことを宣言できます。

(4)韓国国内における裁判の公示?

前述の記事は、韓国裁判所が裁判を公示したので、自動的に審理が開始されるとしています。国内の裁判であっても、被告が行方不明であるような場合に、訴状の送達ができないと、公示送達が行われます。わが国の場合、裁判所前の掲示板に、訴状が一定期間、張り出され、そのことによって訴状の送達があったとみなされるのです。被告が出頭しないときに、欠席裁判になり、原告がほぼ100%勝訴します。韓国裁判所は、何らかの理由で、公示送達に類似の手続きを用いたようです。

外国国家に対する国内の裁判で、外国が訴状の受け取りを拒絶している場合に、公示送達の方法によるというのが、元慰安婦問題に関する裁判では、日本の主張に相応の根拠があると考えざるを得ないことからして、随分と不可思議な手続きを行なっているように見えます。

そこで韓国で、自動的に審理が始まったとしても、日本政府が裁判に出頭するとも考え難いですし、仮に、原告勝訴の判決が下されたとしても、日本が任意にこれを支払うとも考えられません。それでは、韓国にある日本政府の財産に強制執行が可能かというと、主権免除に関する前述の条約によると、在外公館の財産等は強制執行を免れることが規定されています。条約の発効や締約国か否かに関わらず、そのような強硬な措置に出ることは無いだろうと予想します。

更に、以前のブログで説明した外国判決の承認執行の制度があります。実質的再審査禁止の原則の下で、全ての手続きを再度行うことなく、一定の要件があれば、外国判決に自国判決と同様の効力を与える制度です。これについても、原告勝訴の韓国判決は、わが国公序に反するという理由で、日本の裁判所が承認・執行を拒絶する蓋然性が高いです。

以上、韓国内における元慰安婦訴訟は、たとえ勝訴しても、その判決の実現可能性が法的には乏しいと言わざるを得ません。単に、名目的、政治的意図に基づくものであると思えます。

2、韓国における三権分立

韓国は日本と同様に、憲法に基づき立法、司法、行政の三権分立が確立した民主的国家です。普通選挙に基づく国民の代表である議会を頂点としつつ、三権の独立と相互の抑制により権力の独走を抑止する、西欧由来の民主主義システムです。この社会体制が、戦後の途上国が独立して行くに伴い、国際社会に広く行き渡った、グローバルスタンダードです。しかし、殊に、裁判所の権力がどれほど強いかは、国により大きく異なります。

例えば、アメリカでは、トランプ大統領が裁判所の判決により、大統領命令の修正を余儀なくされることがしばしばあるように、司法積極主義で知られる、非常に裁判所の強い国です。政府と裁判所の対立が極端にまで現れることがあり、しかも政府が裁判所の判断に屈することが間々あるので、「法」特に憲法の存在感が際立ちます。これに対して、途上国では司法より政府の優位が明らかである国が多くあります。軍事政権下の裁判所の機能を考えれば容易に理解できるでしょう。中国はもはや途上国ではありませんが、三権分立については、以前のブログで触れたように、独特の位置付けがあります。共産党の一党独裁の下、党幹部が行政及び司法部門の責任者になるもので、相互の関係がより密接です。法制度の態様と共に、実際の運用を含めて検討が必要でしょう。

韓国も経済的には途上国を既に卒業して久しい国です。しかし、かつての軍事政権下において、過酷な人権侵害を経験し、新たな憲法の制定と人権意識の高揚と共に、個人の幸福追求権を尊重する法意識を持った国へと進展したのです。伝統的な家父長制的封建制度の克服にも、日本と比べて極めて長い時間を要していますが、少なくとも法制度の側面では、これも近年ようやく実現しつつあるようです。

三権分立についても、法制度としては、確立されているのです。元徴用工の裁判では、日本が韓国政府に対処を求めたのに対して、韓国の文大統領は、裁判所の判断を尊重しなければならない、韓国は三権分立の確立された国であることを理解してほしい、としていました。行政府であれ、司法府であれ、国際法を遵守するべきであるので、韓国が国として、これに違反しているというのが日本の立場です。国際法からは、政府であれ、裁判所であれ、その行為が国家実行として評価される点で異なりません。

ここで少し視点を変えて、韓国の三権分立について考えてみます。韓国の裁判所は、政権が変わると、その政権に協力的な判断をすることで知られています。裁判所という機関は、その良心にのみ従うとされる個々の独立した裁判官から構成されます。裁判官も一個の人間でしかない。孤独で、実は現実の権力、あるいは実力に対して弱い存在でもあり得るのです。法解釈の客観性の隠れ蓑の下で、優れて政治的な判断を迫られる、脆弱な権力機関です。裁判所が現実の政治や世論からの批判を回避するためにするのが、判断を下さないという方法なのです。「政治問題」であり、司法判断を超越するという口実を使います。

この方法は、日本でも、西欧諸国でも一般的に存在するのであり、アメリカでも用いられます。口実というのが言い過ぎかもしれません。軍事、安全保障、外交に関わる事項については、行政府の行為について、司法判断を回避することが妥当な場合があります。これが妥当であれば、憲法上も問題視されません。横道に逸れますが、日本の裁判所が自衛隊と憲法9条の関係について、高度に政治的な問題であるとして判断を回避しています。憲法9条が世界の中で日本国憲法に特有の条項であり、真正面から規定されている内容について、裁判所が判断を避けることできるかは、日本に固有の事象です。しかし、必要を超えて、口実でもあり得ることは確かです。

孤独で脆弱な国家機関である裁判所が、法の権威にのみ従い、他の権力と対立できるのですが、先にも述べたように、その態様は国によって様々です。政治・外交問題に関わる場合に判断を回避するという窮余の一策を講じることができることは、司法の独立と維持のために、必要なことでもあるでしょう。実のところ、法の解釈という法特有のレトリックを用いてその政治的意図を隠すことが通常の方法なのです。法原則は必ず例外則と組み合わせられます。例外のない原則は、法の世界に有りません。裁判所には相当の裁量的な解釈の余地が与えられています。更に、裁判所は手続事項について、極めて大きな裁量を有しているので、その裁判をいつまでにどのように審理するかについて、裁判所自身が決定できるのです。

三権分立の問題に戻ります。裁判所が、現実の政治や世論に抗する方法として、判断回避を行うこと、法解釈や手続の裁量を行使することが有り得るということを指摘しておきます。裁判所が、政府の言い成りになる、政府の好む結論をのみ述べる、すなわち政府の口になってはならないのです。判断回避にせよ、裁判所独自の判断を示す必要があるのに、韓国の裁判所はこのことがどうやら苦手のようです。この点で、外からは窺い知れないのですが、韓国の裁判所が、時の政府や世論にただ同調しているように見えるとしたら、三権分立が実現されているとは言い難いでしょう。

3、韓国の世論

ここで目を転じて、韓国内の世論について考察します。

テレビの情報番組で、あの優しそうなお婆さんが、涙ながらに昔の思い出を語っています。民族衣装に意義をただした高齢の女性がとつとつと、時として激しながら述べるのです。大日本帝国の植民地と化した祖国で、普通に暮らしていた女の子が、慰安婦とされた辛い日々のことです。

その当時、先祖伝来の大切な民族固有の名前を剥ぎ取られ、日本風の名前を名乗らされる。学校では朝鮮半島の言葉ではなく日本語を教えられる。その一切が、拭い去りたいけれど、忘れらてはならない記憶として、学校教育やマスメディアを通じて、繰り返し追体験されるわけです。現在の韓国政府は、韓国の独立の礎となったこのときの独立運動の継承者とされます。大日本帝国からの独立、民族主義、日本の政治的影響の払拭、これらが憲法的な価値観としての個人の幸福追求権の尊重に結びつくのが、韓国リベラルではありませんか。慰安婦への補償がその象徴なのです。

親日の徹底的な排斥が現在の政権のスローガンのようです。親日排斥といっても、大日本帝国時代から、戦後韓国の軍事政権に温存された日本の政治や考え方の影響の払拭のことです。旧日帝時代に植えられた公的施設の植物まで目の敵にする様子は、明治維新のときの廃仏毀釈を想わせます。この国は、未だに国内的な戦後処理、戦犯追放をやっているのでしょう。慰安婦問題にしても、過去における、日本からの償いの言葉やお詫び、補償の申し出も受け入れることができない程で、慰安婦合意にしても、お前の言い方が悪いから受け入れられないとするようです。もっとも、それが正に個人の法的權利の実現として、正当であることを真正面から認めよ、それこそすなわち正義であるとする視点があります。

政治運動としての側面も見逃せません。韓国の保守的政党が、日本を経済的には利用しつつ、韓国経済の発展を促したことに対抗して、リベラル政党が個人の人権保護と日帝時代の協力者や遺物の払拭を主張し、民族主義的運動を引き起こしているとも考えられます。

4、思いを重ねるために

日本の一般市民の意識と、韓国の人々の意識とが大きく乖離しています。第一に征服者と被征服者の相違があるでしょう。日本の戦後、征服者はアメリカでした。日本とアメリカは友好国となりましたが、第2次世界大戦における沖縄の悲劇や被爆体験については、今でも繰り返し語られます。殴った方はすぐ忘れても、殴られた方は一生覚えているのかもしれません。しかし、戦争の犠牲者を深く悼む気持ちが、世界平和への飽くなき希求と、核廃絶への強い運動に繋がったのです。朝鮮半島については、日本が加害者として現れるのですが、日本の人々はこの体験をどのように昇華すれば良いでしょう。

もちろん、国際社会に日本の立場を訴え続けることは必要です。国際法の論理を主張し、韓国をただ非難するのではなく、償いの気持ちとこれを受け入れてもらえないことを訴えるべきです。同時に、東アジア及び東南アジアを中心としつつ、広く世界の国々に対する人権擁護の側面での国際貢献、特に女性差別を根絶させるためにする貢献についての実績と展望について、理解を深めて行くべきです。

政府間の外交関係が冷え切ったときに、民間の交流こそが大切であるというのは、言い古されたことですが、現在の日韓の関係を見ると、当面、その他に解決の糸口が見つからないようです。韓国の若者の多くは、経済発展に関するコンプレックスも無くて、日本の文化、特に、和食やアニメ、カワイイ・ファッション、JPOPなどに随分興味のある、日本の若者が韓流文化に興味を持っているのと変わらない存在です。大人が口出ししないで、成り行きを見守ることがあっても良いでしょう。

こんなに近い国です。観光で多くの人々が直接お互いに触れ合い、そして何より商売を発展させるなら、良い商売相手を徒らに陥れることはしません。これを更に促進させるための条件整備、特に経済連携協定の締結や、TPPへの韓国加盟への働きかけと便宜の供与など、政府にできることがあります。