年金と少子高齢化-金融庁報告書は正しい2019年06月25日 15:17

学会出張と重なっていたので、予告よりも少々遅くなってしまいました。
_(._.)_

いよいよ暑くなってきました。こちらの地方はまだ梅雨入りしていません。


国連によると、日本の人口が2058年に1億人を下回り、2100年には7500万人になるとしています。。良く耳にしますが、世界の国々の中で、少子高齢化が際立っている国なのです。65歳以上1人あたりの25~64歳の「現役世代」は、現在1・8人で50年には1・1人に減るというのです。現役世代一人が、その稼ぎで、おおよそ一人のお年寄りを支えることになるということです。ただし、国の人口推計は、より一層人口減少が進むとしていて2100年が6千万人としているので、もっと深刻です。(朝日新聞デジタル6月18日の記事より)

国会における先日の党首討論は、金融庁の報告書が一つの中心的争点となっていました。マスコミにしても、年金100年安心が神話だったとする論調が多かったようです。老後、年金だけでは暮らしてゆけず、亡くなるまでに、夫婦二人の世帯で2000万円不足するというものでした。しかし、これが報告書の前文のような部分に記載された、いわば枕詞のようなものであり、その全体の趣旨は、ことに若い世代が、老後の生活を考えて早くから準備するべきであると、国民を啓蒙するものであったようです。

年金制度の「安心」を巡る議論のために、二つの視点が重要だと考えます。一つは、高度経済成長期と現在の日本の社会や経済の在り方が異なるという点であり、他の一つは、人それぞれの条件の相違を踏まえた人生設計は自己決定の産物であるという点です。在り来たりではあっても、この間の与野党の議論や情報番組を見聞きしていると、もう一度確認しておく必要があるように思えます。

先に、後者について、簡単に言及しておきます。現役世代の収入に即して、年金資金としての払込額が異なり、これに応じて年金額が人それぞれに異なるのです。金融庁の問題視された報告書が、平均なり、標準なりを示すとしても、万人に適したものでないことは当然でしょう。年金額がもっと少ない人たちも多いのです。現役時代の生活水準を目途に、どの程度これを維持できるか、あるいは切り詰めるべきかは、各世帯ごとに違います。将来の年金額の予測に基づき、自ら準備するべき額も、その家庭毎に計算せざるを得ず、しかも、いくらを将来の貯蓄に回し、あるいは現在の生活を楽しみながら、老後はむしろ切り詰めるなど、一に掛かって各個人の自己決定に委ねられている問題であるはずです。

そこで、一つ目の問題です。

一昔前には、60歳で定年を迎え退職金をもらえば、相当の年金を得ることができました。ある程度の生活を維持しながら、70歳から80歳ぐらいの平均寿命に到達して死ぬまで、安楽に暮らしていけると、一般的には考えられたのかもしれません。これから年金をもらい老後を迎えようとする世代は、親や祖父母の世代が悠々自適に生活している様子が原体験としてあるので、年金とはそうあるべきものであると思い込んでいるのでしょう。しかし、少子高齢化の進展による本格的な人口減少社会となることを「国難」とまで言って、政府が喧伝しているのです。

現在の60歳は、親の世代ほどの年金額を期待できません。老後を支えてくれる現役世代の人口が減ったのだから。しかも、平均寿命は年々昂進しつつあり、今60歳の人が10年後、70歳になったとき一体、平均寿命が何歳になっていることやら。再生医療の進歩、遺伝子解析による先進医療の開発など、その10年の医学の発展を考えると、全く予測もできないように思えます。更に、その先の10年後はどうなるのでしょう。まさに人生100年時代の到来です。少子化と高齢化のダブルパンチです。親の世代に影響されて、のほほんと生きてきた者にとって、この現実は余りに残酷です。住宅ローンに、教育ローン、それでも生活を切り詰めて、無いに等しい利息でも、何とか貯蓄してきたのにと、嘆いていても始まりません。退職金でローンの返済を終えて、幾ばくかの貯蓄が残されるとしても、2000万円には足りないという人も多いのではないでしょうか。政府は70歳まで働けという。私個人は大歓迎です。一刻も早く、全ての国民が、働きたいなら、少なくとも70歳までは働ける環境を整えて貰わなければなりません。

日本人は貯蓄好きであるのに対して、アメリカ人は消費性向が強く、貯蓄より投資を好むと良く言われます。アメリカの年金基金は株式等による資金運用を行っています。日本の公的な年金基金は、貯蓄に相当するような安全な運用のみを行っていたのを、一部改めています。また、個人型確定拠出年金(iDeCo)という制度が創設されましたね。個人でも、将来の年金のために資金を積み立てて、運用会社と運用方法を選択できるというものです。個人の資産が投資に向かうために、NISAのような税制上の優遇措置を用意しています。私は、FPではありませんし、素人の立場でこのような資産運用をお勧めしようとしているのではありません。ここで言いたいことは、年金の不足を補うためには貯蓄では足りず、投資による運用も必要であるとする、警告めいた情報提供が、ようやく今、国民に提示されたということです。ああ、もっと早く気づけばよかった。無知な自分を恥じよということでしょうか。少なくとも、若い世代が、老後を含めたより良い青写真を描くことができるようにすることは、政治の責任でしょう。

この意味で、政府は先の報告書を引っ込めるべきではなかったのではないでしょうか。

「ゆり籠から墓場まで」の社会保障制度は高度経済成長期に、自民党が主導し、55年体制の下、野党も共同して作り出したものです。アメリカのような自由競争を信奉する国からは、日本がまるで社会主義国家に見えるでしょう。その大前提となっていた日本の社会・経済が根本的に異なるものになったのです。国家財政が累積赤字により破綻の危機にあり、このままでは年金制度が瓦解する恐れがあるとして、早くから警鐘を鳴らしたのは、ほかならぬ日本の政府です。そのときから年金不安が社会不安を惹起したようです。国民は冬眠前のクマのように、働いて得られた給料を消費に回さず、一層、貯蓄に走りました。これが個人消費の回復を遅らせ、不況を招いた要因の一つでもあるように思えてなりません。年金不安が払しょくされるまで、大多数の国民にとって、個人消費の本格的回復は見込めないのではないのでしょうか。

高度経済成長期の成功体験が社会の固定観念となってしまっていた日本において、この固定観念を打破するべく、新たな社会経済の情勢を前提にした年金制度の見通しを、真っ正直に晒す必要があります。どうすればどの程度の年金制度を維持できるかという確実な予測を示すことができれば、国民の疑念を払しょくすることに通じるでしょう。これこそが経済対策ではありませんか。どうしても生じる年金の不足には自助努力により備えるしか方法がないのです。しかし、どの程度備えれば足りるかの、明確な指針が必要です。

例えば、こうです。行政改革による財政支出の1%減と消費税の引き上げ1%を、何年間にわたり継続すれば、最終的に、消費税が何%となり、財政赤字が解消され、どの程度の年金給付額を維持できるかを、政府が宣言するのです。1%という数字は必ずしも根拠があるわけではありませんが、そのような明確性と、実行の確実性が必要です。もとより現在実施されつつある少子高齢化対策としての諸政策を、不断に遂行することが肝要です。女性の社会進出の促進、高齢者の労働力の活用、AIやロボット技術の汎用化による生産性の向上等の政策を更に深化させていく必要があるでしょう。

これらはいずれも、箱ものではない、民間の活力を引き出すような経済政策、人への公共投資を前提とします。女性、高齢者への投資、多様な高等教育の機会の提供、イノベーションを引き起こす発明、起業の環境整備です。その一環として、外国人労働力の活用も考えられるでしょう。

同時に、外国人の移民化政策を押しすすめるべきであると思います。既に、地方からは、特定技能制度を拡充することが求められています。外国人が熟練の技術・技能を身に着け、折角、日本の生活・文化に馴染んできたのに、その時点で帰国させる必要があるでしょうか。その人たちは、自分自身で余裕をもって生計を営むことができ、税金を納めているのです。

技能、教育について選別をせず、入国した当初から、単純労働を含めた一切の職種に就くことができるものとして外国人を大量に受け入れることを移民政策というとすると、日本はこの政策を採っていません。細かく職種を限定して在留資格を設け、在留資格ごとに、必要な要件と在留期間が決まっており、法務大臣の許可決定が必要な制度となっています。そして、高等教育を受けており、相当程度の知識、経験、技能を有する高度人材外国人については、排斥ではなく、従来より受け入れ政策に転じているのです。在留資格は期間を過ぎても、何度でも更新可能であり、5年ないし10年の定住により、永住資格に転換も可能ですので、もうこれは移民受け入れ政策であるとしか言えないでしょう。政府の弁明は強弁ないし言葉の遊戯でしかありません。

しかし、単純労働については、戦後一貫して移民政策を採用していません。日本が高度経済成長を遂げたアジアで唯一の富める国であった時代には、まだまだ生活水準の低い開発途上国に周囲を囲まれていたので、移民の受け入れをすると、一気に多くの移民が押し寄せ、日本の社会が大混乱に陥ると心配されたからです。しかし、特にバブル期には、3Kと呼ばれるような職種を日本人が敬遠したため、単純労働力が不足し、在外日系人に、就職できる職種の限定のない特別の在留資格を与えて急場を凌ぎました。しかし、労働力不足が常態となったのです。技能実習や留学生ではもはや足りないので、名実ともに外国人単純労働者の受け入れを認めたのが、先般の出入国管理法改正でした。

これについても、日本の産業界において労働力不足が顕著な業種を選び、業種毎に不足数の予測をはるかに下回る外国人を、能力試験を経て入国させるというものです。技能実習制度により受け入れた外国人が、在日中、偶然に身に付けた技術・技能を基に、在留期間を過ぎても特定技能資格者として滞在を延長することが考えられます。これが一つの典型例です。その長い在日期間中、家族の呼び寄せも適わず、これを経過すると特定技能1号については必ず母国に帰国させるのです。極めて限定的な2号については、在留期間が10年を超えれば、永住資格に転換が可能ではあります。もっとも、1号資格者でも、技能を身に付けた結果、そのほかの高度人材としての在留資格に転換することができればやはり永住も夢ではありません。そこで、私の提案は、2号資格を与える職種を拡大してゆくことと、1号資格者が他の在留資格に転換可能だとする実務を積み重ね、このルートを一層拡張し、確実なものとすることです。

還暦と呼ばれる、昔なら老後を迎えていた年齢に至り、自分の青年期とは激変した日本を目の当たりにし、根底から社会の制度設計が変わらざるを得ない現実に、途方に暮れる。
親の年金で、親の介護を賄える幸せ。でもね。
ε=( ̄。 ̄;)フゥ
・・・・・あぁ

次回更新は7月6日ごろを予定してます。
・・・・・あぁ

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