日韓請求権協定と、日本の解釈・韓国の解釈ー国際法と国内法22019年08月28日 14:46

以前、「思いが重なるその前に・・・国際法と国内法」というテーマでブログを書きました。その続編です。「元徴用工訴訟」も参照して下さい。

日韓請求権協定という条約の解釈について、日韓が対立しています。

1、条約解釈について

条約法条約31条3項(b) 「条約の適用につき後に生じた慣行であつて、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの」。この意義について、各国の国際法学者や外交官・実務家の間で最も争いのある論点の一つです。

大まかに言うと、条約を文言に従って厳密に解釈する、あるいは条約を締結した当事国間の締結時における合意内容に拘束されるのであるか、後の国際社会の発展を考慮した目的的な解釈が許されるのかの争いです。後者は条約の文言、特に、一般的な用語、抽象的で曖昧な用語を柔軟に解釈することを許容します。しかし、例外的場合を除いて、後者の考え方を明確に一般国際法として確定できるような、国家実行の趨勢や、国際司法裁判所を含む国際機関の明示的な先例が存在するとは言えません。むしろ、印象として、文言解釈、及び条約締結時の当事国間の合意内容に拘束されるというのが国際的な多数派です。

第一に、国家実行や国際機関の判断も、一つあれば足りるというような解釈態度は国際法認識の方法として正しくありません。行政府の措置や政府の宣明、国内裁判所の判決などを、国際法を認識するための国家実行と呼びます。あるルールが国際法であるためには、そのルールを法として遵守するべきであるとする法的確信を各国家が有していることが必要であるので、そのことを国家実行により確認します。国家実行の大勢がいずれにあるかを確かめるのです。また、国際機関の示す解釈も国際法認識のための重要な要素となります。

仮に、発展的解釈を許容する場合にも、後の解釈が「当事国の合意を確立する」ものでなければならないので、当事国の意思が明白であるか、当事国を拘束し得るほどに、国際慣習法が確立されていることが立証されなければならないでしょう。その立証はそう容易ではありません。

第二に、国際司法裁判所の先例で、発展的な解釈を行うとする一般論を有するものがあるとしても、その部分のみを取り出して恣意的に一般化してしまうことは避けなければなりません。裁判所の判断というのは、常に、その時代、その当事者、その事実関係の下で、目の前の紛争を解決するもので、当該の事実的文脈において結論を理由づける性質を有します。

日本やドイツはどちらも、第二次世界大戦の敗戦国として、戦争被害者による個人的請求権の「放棄」に関する条約・協定があり、しかも後の国際人権・国際人道法の発展を踏まえた個人的請求がなされた困難な問題を有する国です。

ドイツについては国際司法裁判所の判決が下されたことがあります。しかし、個人的請求権の放棄が定められた二国間条約があり、かつ、条約締結後の国際人道法上の発展が国際公序として作用するので、被害者個人の賠償請求が認められるとした、国際司法裁判所の判決はないのです。とにかく結論的には、賠償を肯定した国の国内裁判が国際法違反として否定されています。

日韓の問題は、日本と韓国の間に締結された日韓請求権協定を前提として、その解釈をしなければなりません。日韓の問題について、日本政府が国際司法裁判所に提訴したとしても、韓国が応じない限り、強制管轄がないので、裁判が始まりません。仮に、韓国が応訴したとしても、日韓請求権協定という二国間の法が国際法としてあり、その通常の解釈手段によって確定された結論を覆すことができるほどの、国際慣習法が存在すると直ちに断定できるものではなく、この段階で、韓国の方に勝ち目がすこぶる大きいとは到底言えません。筆者の得られる情報からは、日本の方が有利であると思われます。


2、韓国大法院判決

韓国の最高裁判所に当たる大法院判決について、詳細を知りませんが、大日本帝国による朝鮮半島の植民地支配を国際法の観点から違法と断じて、その判決の理由の一つにしているようです。日本による朝鮮半島併合についての解釈も、日韓で相違しています。しかし、その違法か合法かは、直接、日韓請求権協定の解釈には関係しません。例えこれが違法であっても、第二次世界大戦後、その戦後処理のために締結された日韓請求権協定は、そのことを前提としているとも言えるからです。いずれにせよ賠償の問題は、国家間及び個人的請求の問題を含めて、一括して解決したというのが国家間の条約締結当時の意思であれば、その旨の条約を締結したわけです。

現行の韓国憲法は、日本による植民地支配が違法であることを出発点とします。朝鮮半島を併合した日韓併合条約は国際法に違反しているので無効であり、従って、この間の日本による統治も違法、無効であるとします。第二次世界大戦の終結により解放された後に成立した現在の韓国政府が、中国に亡命した独立運動の正統な継承者であるとしています。

遡って明治維新の頃、日本が西欧列強による植民地となることを恐れていました。地球のほとんど全ての領域がこれら列強の植民地と化していたのです。そのとき、日本が低開発途上国として、列強を中心とする国際社会に現れたのです。その後、富国強兵政策により、経済開発を進展させた日本が、日清日露戦争に勝利し、西欧列強がかつてそうしたように、朝鮮半島と台湾を植民地化し、中国大陸に侵出したのは歴史的事実です。

国連憲章が武力による国際紛争の解決を違法とし、領土的野心に基づき、他国を侵略する行為は禁止されました。現代の国際法規範として、植民地政策が違法とされるのは間違いがありません。韓国は、ここでも国際法のその後の発展を踏まえ、そのような国際法規範の確立される以前の日韓併合条約及び条約の下で現出した状態の全てを違法、無効と断じるのです。ここで、その是非を論じるつもりはありません。しかし、次の点を指摘しておきます。

日本の海外における支配領域が第二次世界大戦終結により解放されたのですが、連合国側の戦勝国を宗主国とする植民地が独立したのは、更に遅れて、そのほぼ全てが独立したのは漸く1970年代に入ってからのことです。この間、世界で、先進国による植民地住民に対する抑圧が継続していたのです。思うに、武力による他国侵略及び植民地政策を禁止する国際法規範は、国際政治の現実の中で、現在まで破られることの多い法です。しかも、これを行う国が正面から国際法に違反するというはずがなく、そのことが合法であるとする何らかの国際法上の理由づけを伴うのが通常です。このことは最近の、クリミア半島へのロシア軍の侵攻を見ても明らかです。

しかし、破られることが多く、即時的な実効性を欠く場合があるとしても、重要な国際法規範であることを全く否定しません。また、以前のブログに述べたように、国際人権法及び国際人道法の現代的発展が、まごう事なくあったと言えるでしょう。

但し、仮に、日韓併合条約が無効であったとしても、日韓請求権協定における個人請求権の「放棄」が決して許されないものではない。先に述べたように、この両者は論理的には無関係であるというのです。

語弊があるので、戦争被害者による個人請求権の「放棄」という言葉を説明しておく必要があるでしょう。請求権協定により、戦争被害者に対する賠償が全くなされないことと決められた、日本がその権利を剥奪したということではありません。その人達の賠償問題を含めて、多額の金銭と便益を日本が韓国政府に支払うことにより、解決したということです。戦争被害者の個人的賠償については、韓国政府が責任を負います。

もっとも、大日本帝国による統治時代に、非人道的な行為を、日本の政府ないし政府関係者らが行ったとして、その統治自体が無効であれば、その行為の国内法的違法性が一層高まるという理屈はあり得るように思われます。先に言及した韓国憲法の下、韓国国内法秩序において、日本統治時代の被害は払拭されなければならない。これが韓国の公序であるとする、韓国法の価値観に基づくのです。従って、日本国憲法の下、日韓併合条約を合法とすることを前提とする、日本の裁判所の下した判決の効力は、韓国内において否定されるとするのでしょう。しかし、何度も繰り返しますが、日本の裁判所が日韓請求権協定に基づき、個人的請求を否定するために、日韓併合条約が合法であることを必要としません。


3、日本の最高裁判決(西松建設事件)

最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷・民集61巻3号1188頁)は、広島高裁平成16年7月9日判決を破棄しました。高裁判決をひっくり返したのです。

中国国民が、第二次世界大戦時において、強制連行及び強制労働により損害を被ったとして、日本企業に対して損害賠償を請求した事件です。最高裁判決も、原告と被告企業との関係において、高裁判決が認定した強制連行及び強制労働の事実を前提としています。この原告らは、中国大陸において日常生活を送っていたところ、軍隊によって、貨物船に乗せられて日本に連行され、強制的に労働をさせられました。過酷な労働により、多くの中国人の人命が失われ、また重大な傷害を負った事実が認定されています。

そして、昭和26年に締結されたサンフランシスコ平和条約の「枠組み」の下で、「個人請求権の放棄」という言葉の意味を、「請求権を実体的に消滅させることを意味するものではなく・・・・裁判上訴求する権能を失わせる」ことと解しています。

実体権としては消滅しないが、裁判上訴求できないというのは、法技術的な表現であり、難解ですが、要するに権利があっても裁判に訴えることができないということです。

わが国の国内法上、自然債務という概念があります。これに対する権利と同じ存在ということになります。例えば当該の契約が公序良俗に反して無効なので、お互いの契約上の義務は自然債務であり、任意に履行しても構わないけれど、裁判上は請求できないとされる場合です。実際の裁判例があります。

そして、サンフランシスコ平和条約の枠組みの下で、日華平和条約が締結され、日中共同声明が発出されたのであり、中国との関係においても、個人請求権の処理について同様に解されるとしたのです。この部分がこの判決の中核をなすものであり、判例として効力を有します。すなわち、中国(及び台湾)との関係において、日華平和条約及び日中共同声明により、個人請求権は放棄されたのであり、実体権としては失われないが、裁判上は訴求できないとされました。

同じ日付の最高裁判決(第一小法廷)は、中国人慰安婦が日本国に対してした損害賠償請求訴訟です。この判決も第二小法廷の上記判決とほぼ同趣旨です。こちらは東京高裁の判断を維持しました。

なお、第二小法廷判決は、最後の部分で、日本企業(西松建設)が「自発的な対応をすることは妨げられない」と判示しています。これは上述したように裁判上は請求できないということを繰り返したに過ぎません。任意に対応することを希望するという判示は裁判所の罪滅ぼしでしょう。法の問題ではありません。

もっとも、この日本企業は一定の補償を政府より得ていたこともあり、最高裁判決の後に、原告側と和解しました。

日本の最高裁以下の裁判所及び、行政府の解釈を総合すると、わが国は、平和条約等にいう「個人請求権の放棄」の意味を、戦争被害者の権利(実体権)自体は失われないが、双方の政府が自国民に対する外交保護権を行使することを放棄し、かつ、裁判上請求が許されなくなるという意味に解しているということになります。

繰り返しますが、正確には「個人請求権の放棄」を規定したのではなく、自国及び他国の、国及び国民相互間の請求権を一括して処理したのであり、日本が相手国に対して、その双方を併せて賠償等を支払ったのです。個人的な請求の問題は、日本としては、相手国が国として被害者に補償することを期待していると言って良いでしょう。

自国民が、他国領域において被った人権侵害に対して原状回復を図る国際法上の国家の権利を、外交保護権と称します。請求権協定により、当事国がこれを放棄したことは争われていません。日本及び韓国が、第二次世界大戦時に被った自国民に対する人権侵害等の被害について、外交保護権を行使することは許されません。しかし、第二次世界大戦後に締結された条約としての日韓請求権協定に、当事国が違反して、その国の領域内において損害を被る自国企業に対して外交保護権を行使することは別論です。


4、国際法と国内法

上記最高裁判決は中国国民との関係についてのものです。従って、日華平和条約と日中共同声明が問題とされました。韓国国民との関係については、日韓請求権協定があります。この解釈をしなければなりません。個人請求権の放棄についての日本の解釈は、中国との関係と同じものであると考えられます。

韓国政府も、元徴用工については、個人請求権の放棄について、日韓請求権協定が規定していると解していたのです。ところが、韓国の大法院が、同趣旨の下級審判決を覆したのです。韓国国内裁判において、韓国人被害者から日本企業に対する請求を認めました。韓国の裁判所は韓国憲法の価値観に従い、その法体系の下で結論を正当化しています。条約の解釈について、行政府と裁判所が対立した場合、憲法がその解決方法を決めています。韓国国内法において、大法院判決が最終的であるとするなら、条約の解釈が韓国国内法的に決定されたのです。

日韓請求権協定という条約について、日本の国としての解釈と韓国の解釈が相違するという事態を生じました。それぞれの解釈が国内法的には至高であり、当事国双方の解釈が対立しています。

日本は、韓国を条約違反、すなわち国際法違反であると非難しています。この場合、まず第一に、当該の条約に規定された紛争解決の方法によることが必要です。条約の解釈について、当事国間で争いを生じた場合に、どのようにこれを解決するかを、条約において、予め規定しておく場合があります。日韓請求権協定には、国際仲裁によるべきことが規定されています。日本が再三再四、韓国に対して国際仲裁に応じるように要請し、条約に規定される期間内に仲裁人を選任するように要求したのに対して、韓国が無視したのです。

ある報道によると、戦略的無視であるとされていました。「日本が一方的に設定した期間に従う必要がない」との声が韓国側から聞かれましたが、条約に基づく手続きの開始を通知し、所定の期間内に韓国として行うべき手続きを履践するように要求したに過ぎません。なぜ、韓国が国際仲裁を殊更に拒むのでしょう。これは憶測に過ぎませんが、日韓請求権協定について、通常の条約解釈の手順に従う場合に、上記に触れたような意味で、韓国には自信がないからではないでしょうか。

日韓請求権協定の解釈について、対立が解消されない限り、日本企業が裁判上の請求に応じるべきではありません。これを認めると、韓国側の条約違反を追認することになります。

また、戦争ないし占領に伴う個人的請求に関して、たとえ請求権を一括的に処理する条約等があっても、他国や他国企業に請求できるという先例を与えることにもなります。韓国のみならず、第二次世界大戦終結後に平和条約を締結し、請求権処理を行った全ての国の国民との間に、同様の訴訟を生じる恐れがあります。

日本としては、国際司法裁判所への提訴が考えられます。しかし、この場合も、韓国が応じない限り、裁判が始まりません。たとえそうであったとしても、日本が提訴するべきです。これに対して、実際に韓国が応訴しない場合、そのことを国際社会に対してアピールできます。


5、ドラえもんのポケットは存在しない

現実の国際社会の紛争を、直ちに解決してくれる魔法の道具はありません。

過去に締結した条約も、法的効力のある限り、法は法として筋を通すべきです。

しかし、同時に、国際人権法ないし国際人道法の現代的発展も考慮する必要があるでしょう。私には全く見当もつきませんが、徴用工をめぐる日韓の問題を解決するための何か良い知恵は無いものでしょうか。

直接的な解決策ではありませんが、日本は戦争を引き起こす国にはならないということが何度も確認されると共に、国際法の現代的展開を踏まえて、他国の争乱において、積極的に発言を行うべきであると思います。現在、この地球上で強制労働等の国際人道法違反があってはならないのです。また、世界における紛争下性暴力の被害を食い止め、被害者に対して救済の手を差し伸べるための何らかの方途を、日本が提供することがあり得ます。日本は、韓国慰安婦問題の解決の一環としてアジア諸国の女性のための基金を創設し、一定の給付を行うなどの事業を行った経験があります。この事業は終了しているのですが、むしろこれを継承発展させ、世界中の紛争下性暴力被害の根絶と救済のための基金とすれば良かった。

日韓の問題を直ちに解決するドラえもんの道具はありません。但し、両国の国民が、特に若者達が「政治は政治、文化は文化」と言いながら、文化交流を継続している姿に感動を覚えます。互いの国の人々が、相手国の文物を好む風潮を遮ってはならないでしょう。


少し早めに更新しました。(^_^)

次回は、9月14日ごろ更新の予定です。

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