covid-19のPCR検査と救える命2020年05月18日 01:50

 先日、やむを得ない事情があって大阪に行ったので、大学に届け、現在、二週間の自宅待機中です。しかし、大学の授業は遠隔授業で行っているので、時間割通りに継続しますから、生活は以前と変わりません。元々、全学的に出勤停止である上に、特定感染地域に旅行した結果、就業禁止二週間ということで、制裁ではないのですが、何か悪いことをしたような(>_<)。会議もインターネット経由の遠隔会議ですし、欠席する理由がありません。結局、在宅の業務は全く変わりなく遂行せざるを得ません。


 PCR検査と救える命

 PCR検査を行うための、「発熱、症状、高齢、妊娠、基礎疾患や透析」という厚生労働省のガイドラインが変更され、このことについて加藤厚労相が「誤解」であったと発言したことに批判が集中しました。ガイドラインは、厳密な基準とは異なります。厚労省は、これが当初より一定の目安でしかなく、厳密な基準ではなかったとしています。確かに、基礎疾患がなく、65才以上でない人は、37.5度以上の発熱が4日以上続くときにPGR検査が妥当とする「基準」が、一般の人々にとってあたかも厳密な基準であるかのように受け止められました。その部分のみが新聞やテレビの情報番組など各種メディアによって盛んに喧伝された結果でしょう。大臣の発言からは、厚労省から、地域の実情に応じて柔軟に対応するという方針が、実施機関に対して伝えられていたとされます。

 実際に、「基準」の運用が保健所により相当の幅があったようです。「現代ビジネスプレミアムの記事「中原一歩「保健所職員の告白「検査も人員も何もかも足りない」あまりに過酷な現場-「公衆衛生」を軽んじてきたツケ」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72125?page=2」この記事によると、むしろ、厚労省の基準を最低基準として、地域によっては更に厳格な基準によっていました。東京都のある保健所では、38.5°以上の発熱がなければPCR検査の可能な外来に繋ぐことがなかったそうです。

 このブログを書いているのが5月17日なので、上の記事はもっと早い段階のことであり、しかも東京都の事例です。日本はPCR検査が他国の検査数に比べて余りに少ない。このことがよく報道されているし、国会でも政府が追及されています。なぜでしょう。安倍首相も、検査数の少なさを認め、目詰まりを起こしているとしていました。筆者は、公衆衛生の専門家ではありませんが、報道されているところをまとめてみます。

 PCR検査により陽性の結果が出る場合の手順から考えます。まず、①保健所を中心として設けられた帰国者接触者相談センターを窓口として、PCR検査が妥当であるかを判断し、②指定された検査機関においてPCR検査が実施されます。次に、陽性という結果であると、③感染症法上の指定感染症に指定された後は、感染症治療のための指定された医療機関・施設に入院することになります。いわゆる隔離されるのです。

 この手順の内、②のPCR検査について、指定されたPCR検査機関が限られていて、検査能力が足りないとされています。そして、③のコロナ陽性の患者を受け入れる医療機関・施設における病床数が、少なくとも当初、圧倒的に不足しているとされていました。保健所というのは、原則として都道府県が設置し運営している機関です。政令指定都市など、市町村がこれを行う場合もあります。そこで、①のPCR検査の適合性については、保健所等、地方自治体の機関が判断を行っているので、その地域毎の実情、すなわち上の、②検査能力と③病床数に応じて、物理的な可能性を加味した判断とならざるを得ないはずです。重症者が出た場合、救急搬送の可能な病院の手配までしなければならない。ここで、東京や大阪などの大都市および周辺地域と、地方との区別が必要でしょう。検査能力および受入病床数の逼迫という状況が、地方にはまだないとも考えられるからです。従って、東京等大都市圏の保健所では、検査数を限定するような判断基準を用いる必然があったと言えます。まさに、「無い袖は振れない」です。

 更に、①の保健所についての、人的資源が不足していたことも明らかになっています。皆さんも保健所に行かれた事があるでしょう。典型的な保健所は、ワンフロアーのカウンターの中に、三つほどの机の島が並んでいます。庶務業務、保健業務、環境・食品衛生業務を行う各部署です。保健業務は医師および保健師が行い、予防接種、健康診断・相談、精神的疾患に関する業務があり、母子手帳の交付や、原爆医療など各種給付事業もあります。その他、公害防止等の環境関係や、野犬処理、犬猫の引き取り、狂犬病予防接種、飲食店等の営業許可、看護師免許交付、病院・医院等の監督業務など多様の日常的業務を行っています。これを大都市圏の保健所であれば、30~40人ほどの職員が分担しているのです。PGR検査適合性の判断は、当然、保健師が行うと考えられます。保健師は、看護師の上位免許を持つ専門職です。ところが、単純に、保健師が保健所職員の総人数の3分の1に相当するとしても、現在のPCR検査相談業務を行うのに、その人数だけでは足りません。しかも、保健師と言ってもcovid-19の専門家でもないので、ごく単純な基準に従い、機械的に決めることしかできないでしょう。あるいは、健康相談の専門でもない保健所職員も含めるしかないということになっていないでしょうか。実際にどうしているかを聞いた訳でもないのですが、PCR検査適合性の判断を健康相談の経験を持たない、ずぶの素人が行うことになります。しかも、その他の保健所の業務も、市民の生活に欠かせない重要な業務であり、休むわけにもいきませんね。一日中、電話が鳴り続けて、てんてこ舞いしている様子が目に浮かびます。

 PCR検査ができないボトルネックが、①~③の全てに存在していたことになります。最近は、PGR適合性の相談窓口が拡充されたり、かかりつけ医の判断で可能とされるようになりました(①)。また、検査能力(②)については、行政検査に頼らず、民間の検査機関を十分活用しない理由が分からないという見解もありましたが、これも一部、拡充されつつあるようです。保険適用とした上で、かかりつけ医の判断で、検体を採取し、民間の検査機関に回せるというのであれば、通常のインフルエンザ等と同等であり、簡便、迅速にできたでしょうに。医師の側の感染防御対策を講じることが可能であることが前提となります。大病院では自前のPCR検査に踏み切るところもあります。山梨大学の学長の辛辣な批判が話題になっています。何故、大学等の研究機関の余剰の検査能力を活用しないかというものです。地域によれば、研究機関等の同意の下、これを可能としています。PCR検査陽性者の病床(③)については、都道府県知事の要請に従い、無症状ないし軽症者について、民間宿泊業者の協力が得られたところもあります。むしろ、その場合の医療従事者の確保が難しいようです。徐々に克服されているようですが、国民の不満の多くは、ボトルネックの解消に政府が強力なリーダーシップをとっていないように見えると言う点にあります。

 感染症法の指定感染症となると、陽性者は必ず、入院・隔離が必要になるので、そのとき以降は、必要病床を確保できていることを前提としてのみ、検査するのでなければ必然的に医療崩壊を生じたでしょう。十分な病床確保が見込めない限り、PCR検査の増加は、それでも医療崩壊を生じないという賭けになります。政府の方針が、当初、PCR検査数を抑制することであったようにも考えられます。いくら何でも国民の命を犠牲にして、東京五輪を延期ないし中止させないことが理由であるとは思えません。

 「救えるはずの命を救う」。

 国境なき医師団における海外派遣の経験のある医師の言葉です。Covid-19が日本で蔓延した初期において、この医師が今後は救える命を救うというアプローチこそが必要となると、テレビのインタビューで答えていたことを覚えています。医療崩壊を防ぎつつ、重症に至る人を必ず捕捉して、現在の日本において可能な医療水準を提供する。政府や地方自治体の首長が、刻々と移り変わる情勢の下で、上のような賭けを強いられてきたと言えるでしょう。この点で、covid-19による死亡者数が他国に比べても圧倒的に少ないことは評価して良いと思います。

 何人の犠牲の上に、何人の命を救うかという、功利主義的正義論を私は好みません。たとえたった一人の命であってもかけがえのないものに違いないからです。PCR検査を待ちながら、一気に重症化し、亡くなるという痛ましい事件がありました。遺族の気持ちを思うと、胸が塞がります。しかし、為政者が上のような崖っぷちの判断を繰り返さざるを得ないという非常時であることは忘れないようにしたい。PCR検査数の増加と隔離体制の確立が、両翼として、今後は、加速度的にこれが達成されることを望みます。これに加え、新薬の承認やワクチンの開発があれば、covid-19の蔓延が収束します。日本が、他国、特に開発途上国に対して、新薬の供与や検査体制の構築に協力することにより、世界おける蔓延の収束に貢献できれば、全世界に東京五輪の祝祭の鐘が鳴り響くでしょう。

 ここで、視点を変えてみます。

 行政は法の下にのみ行われます。中央政府にせよ、地方自治体にせよ、行政を行うためには必ず法の根拠が必要であり、法の根拠の無いかぎり何もできません。このことは極めて重要な原則です。法は国会が作るものです。三権分立の一翼を担う、国会と行政府ですが、国会が法を制定し、政府はそれに従うという仕組みは、直接的に選挙で選ばれた国民の代表である国会が優位にあることを意味し、特に強大な権力機関である政府の手を縛り、国民主権の原理を実現するために重要なのです。民主主義の根本原理の一です。

 憲法に緊急事態条項を設けるべきであるという憲法改正論が関わります。大規模災害や、新たな感染症の蔓延という事態に対処するために、総理大臣に、広範な裁量権を与えるという立法を可能とするものです。このことについては、様々な議論があり、最後にごく簡単に触れるに留めますが、少なくとも現在はそのような法がありません。感染症に対処するためには、検疫法と感染症法が重要です。以下には、感染症法をみてみます。

 Covid-19が感染症法の指定感染症に指定されました。感染症法の目的が前文に規定されています。
「人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言えるものである。
医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。
・・・・(省略)感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。
ここに、このような視点に立って、・・・(略)感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。」

 感染症法によると、国すなわち厚労大臣は、基本指針を決定することができるだけであり、基本指針に即して、具体的な予防計画を策定実施するのは都道府県知事です。法第9条によると、国が、例えば、「感染症に係る医療を提供する体制の確保に関する事項」や「病原体等の検査の実施体制及び検査能力の向上に関する事項」について、基本指針を策定すると、法第10条に従い、都道府県知事が、「地域の実情に即した感染症の発生の予防及びまん延の防止のための施策に関する事項」や、「地域における感染症に係る医療を提供する体制の確保に関する事項」などについて、予防計画を策定することとされています。

 関係する政省令も重要であり、このあたりが、PCR検査のボトルネックに関係する可能性がありますが、筆者は詳らかではありません。無症状、軽症、重症を含めた医療体制の構築や検査態勢の拡充については、地域の実情に応じた具体策を講じる都道府県知事の役割が極めて大きいとは言えそうです。東京の小池知事や大阪の吉村知事が、連日、メディアを賑わしています。国と地方が、相互に、責任転嫁を行っている暇がありません。国の策定した基本指針の下で、地方が、具体的な施策を実行するのです。国と地方がしっかりとした協力関係を築き、一体となった行動が是非とも必要です。

 全てを、要請と合意を基にして遂行して行くしかないないのです。感染症法によっても、法の強制力に基づき、大学に検査実施を義務付けることはできず、空き地を借用するのではなく、いきなり国がいずれかのホテルを収用することは困難です。憲法上の営業の自由の侵害であり、それが可能としても十分の補償が必然となります。合意ベースにして、時間がかかるのもある程度うなずけるでしょう。

 これだけの非常時にそのようなことができない! 日本は民主主義の国であり、憲法の基本的人権を守る国だからに違いありません。一般市民の外出自粛や民間事業の休業要請も、法の強制力、罰則もなく遂行されました。そのような法が無いからです。もっとも、今後、一定程度これを可能とする立法が議論される余地はあるでしょう。韓国において、感染拡大の第二波を心配するべき事態が生じました。感染者のクラスターが同性愛者の集まるナイトクラブで発生しのです。文化的には封建的な伝統が色濃く残る韓国ですから、ゲイであることのカムアウトは相当に勇気のいることでしょう。性的指向がウイルス感染者の行動追跡を通じて明らかにされ、実名が公表されているという報道がありました。行動の追跡と公表を政府が行っているので、日本であれば、プライバシー権の侵害であり憲法違反であるとされるでしょう。感染症法にも感染者の人権保障がうたわれています。日本が、戦後、戦前の反省に立って、現行憲法の下、人権をよく保障する国となった証左です。追跡アプリの実装が日本でも議論されていますが、このような結果を来すことは有り得ません。

 日本という国は、繰り返しますが、法の強力な強制力もなく、市民が政府の要請に従い、ウイルスの蔓延を抑制してきました。ひとまずは相当程度に成功したようです。世界にもまれな国民性です。公共性として美徳でもありますが、悪く言えば附和雷同、他の人達の様子をみながら、それに合わせることを極端に好む文化の賜です。仮に、声の大きな勢力に扇動される世論の流れが生じたときに、これを押しとどめる個性の尊重が危ぶまれます。日本という国でこそ、徹底した議論と対話の結果としての選択であることを常に確実なものとして行く努力を積み重ねる必要があります。ナチスドイツは、ワイマール憲法下、成立しました。戦前の日本が歩んだ軍国主義は願い下げです。政府に大幅な裁量権を与えることの危険性を十分理解しながら、しかし、どのような形で、新たな感染症に立ち向かって行くのか、阪神淡路大震災や東日本大震災と福島原発事故などの大災害を克服するのか、徹底的な議論が必要です。緊急事態条項をめぐる憲法改正も、この議論の結果としての国民の選択としてのみ有り得ます。