グローバル化と法の支配2020年06月16日 01:04

 コロナの災厄が、特にヒトの国境を越えた移動の自由を極端に制限しました。ウイルス蔓延を防止するために、国が工場における出勤制限を行い、あるいは物流が滞ることによって、複数の国に跨がるサプライチェーンが分断され、多くの国の経済活動に支障を来しました。

 また、わが国などのマスク不足から、「国際分業」が問題視されています。国の防疫に関わり、人の健康に影響する製品の国産化のためには、安価な外国製品の輸入制限が必要であるとする趣旨でしょう。

 保健所職員の削減など公務員の削減が、新自由主義の産物として、揶揄されることもあるようです。

 新自由主義ー国際分業ーグローバル化というキーワードによって繋げられるるのですが、私は、コロナによって、グローバル化が押しとどめられるとは思いません。グローバル化という言葉に対する正確な理解が必要であるようです。

 その何が悪であり、何を問題とするべきか。

 コロナ禍の遺す教訓は、むしろ「更に一層の法の支配を、この国際社会にも!」ということではないでしょうか。




1,レーガノミクスと新自由主義

 レーガノミクスは、減税と政府支出の抑制を組合せ、小さな政府を志向し、財政出動によるよりは、自由競争の下、市場の手に委ねる方が国の経済がより一層発展するとした。新自由主義に基づくとされます。

 レーガノミクスは現実の政策であり、思想としての新自由主義そのものではありません。それは経済学および社会理論であり、新自由主義に属するとされる個々の経済学者や思想家の主張が完全に一致するわけではありません。中でも、著名なノーベル経済学賞を受賞したハイエクは、法の支配の下での自由を主張しました。

 第二次世界大戦後の世界経済がグローバル化の一途を辿ったとされています。もっとも、世界経済のグローバル化が、いつから始まったのか、自明とは言えないでしょう。世界的な交易は、例えば有名なところで、古代ローマ帝国の時代に盛んであった地中海貿易や、中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの交易があり、近代以降は、欧米列強の重商主義と結びつく、宗主国と植民地間の貿易があります。特に、後者は現代の世界経済の原型かもしれません。

 ここでは、第二次世界大戦後の世界経済の発展と国際経済社会の法発展の関係を、手短に説明します。


2,ブレトンウッズ体制の成立と世界貿易の南北問題

 第二次世界大戦は甚大な戦禍を国際社会にもたらし、夫や妻、子供、兄弟姉妹、親友、多大な人命が失われました。アメリカを除く先進国を含め、まさに焼け野原となった国土に立って、二度とこのような戦争が起こらない世界を築くことを強く祈ったです。そのための法的枠組みが、戦後間もなく成立したブレトンウッズ体制でした。

 ブレトンウッズ体制はGATTおよびIMF協定を基礎とします。その目的は、大戦を招いた主因の一つであるブロック経済化を防止するために、各国ごとの関税や貿易制限を可能な限り抑制し、同時に、通貨の切り下げ競争を回避しつつ、送金の自由を確保することです。かくて、自由貿易主義に基づき、地球上の全ての国にとって、持続可能な経済発展と富の最大化がもたらされるという根本理念を有します。

 戦後、1970年代になると、ようやく旧植民地諸国が世界の表舞台に独立国家として勢揃いしました。このころ、国際法に関する南北問題も生じるようになりました。18世紀以来、欧州列強が作り上げてきた国際法の枠組み自体が、そのころには国際法的に国家として存在しなかった植民地諸国に不利であるとして、開発途上国が共同して国際法の改正を要求するようになったのです。

 GATTの下で、自由貿易主義の恩恵を被り、奇跡的な経済発展を遂げたのが日本でした。他方で、植民地時代のプランテーションの遺物である社会経済的限界によって、多くの開発途上国が貧困のままに、世界経済の発展から取り残されました。発展途上国にとっては、先進国企業の投資が、経済的に一定の潤いと雇用をもたらし、工業化を図る唯一の方途でした。

 しかし、結局、先進国企業が低賃金の下で得た利潤を母国に送金するばかりで、投資先国での再投資と技術移転が一向に進まない時期がありました。途上国側は、投資企業の母国への送金を制限したり、一方的に先進国企業の権益となる施設等を接収しました。これに対して、OECDが資本移動自由の原則を打ち出し、また、企業と途上国との間の国際投資紛争に介入することで対抗しました。


3,アメリカ通商法の不公正貿易の観念とGATT=WTO

 貿易の自由の側面からみると、GATTが継承されて、1995年にWTOが成立しました。もともと資本主義の最先端を行くアメリカが、世界で最も強力な独占禁止法と証券規制に関する法を有し、市場における規律ある自由競争を確保するための規制を有していたのですが、通商法としても、自由競争による市場を歪曲する不公正な行為を規制する強力な法を成立させていたのです。

 戦後、世界経済の覇権を握ったアメリカが、あるいはアメリカ企業が、追随する国々の企業に対して、自国のこれらの国内法に基づき規制を及ぼそうとしました。他国の企業がその国の緩い法規制の下で、アメリカ法の立場からは不公正な行為により大きな利益を上げていると、自国企業が世界市場において競争上不利な立場に置かれることに我慢ならなかったのです。

 悪名高いアメリカ通商法スーパー301条を用いた貿易制限による恫喝によって、他国産業界に輸出自主規制を呑ませるという、GATTの観点からは灰色措置と呼ばれる脱法行為をしばしば行いました。アメリカ通商法の手続を真似て作ったWTOの紛争処理手続は、アメリカ法における幅の広い不公正貿易の観念を、国際法としてGATT=WTOの中に取り込む代わりに、アメリカによる灰色措置を禁止したものです。


4,世界の相互依存性の進展と行き過ぎたグローバル化

 GATT=WTOの下、累次の貿易交渉の成果として、世界の関税が劇的に引き下げられ、農産物を含む輸出入の数量制限が撤廃されると、加速度的に世界経済が相互依存性を強めてゆきました。インターネットやジャンボ・ジェット機の就航など、技術的革新もあいまって、交易の観点からは、どんどん国境の壁が低くなり、ヒト、モノ、カネが国境を越えて自由に移動するようになりました。

 行き過ぎたグローバル化として糾弾されるような事態も生じます。巨大な投資ファンドが一国の通貨を売り浴びせて、その国を国家破産させたことがあり、国際的通貨危機の引き金になりました。最近のリーマン・ショックもそうでしょう。製造業のサプライ・チェーンが途上国を含めて構築されると、製造業の国際的分業が確立しました。このことが、従来、経済発展から取り残されていた国の経済開発に通じ、極端な貧困から脱却する国、および新興国と呼ばれる更に発展した国を生じ、途上国間の格差を生みました。他方、先進国における産業の空洞化が進んだのです。


5,行き過ぎたグローバル化とWTO

 よく、経済は生き物だと言われます。世界経済は国境を越えて一体的なものです。企業は単純に利潤を求めて貪欲に、利己的に行為します。いずれかの国が、一国の法規制によってその流れを押しとどめようとしても、経済活動は容易に法規制をすり抜け、一国の努力もその奔流に押し流されるだけです。

 上述のような国際分業の確立と、それに伴う先進国における産業の空洞化、他方、貧困を免れる国を生じることは、むしろGATT=WTOの根本的理念の中に織り込み済みであるとも言えます。WTO体制による貿易自由の原則の下で、各国が構造転換を繰り返してゆくこと、そうして、世界全体の持続的な経済発展に繋げることが予定されているからです。

 例えば、インドは、筆者が中学、高校で使った頃の地理の教科書には、かつてのプランテーションのせいで、その他の産物の生産が不可能であり、工業化もできず、貧困に喘ぐ国であるされていました。それが、現在は新興国として更に発展することが約束されています。東南アジア諸国には、日本、韓国、中国の企業のサプライチェーンが互いに組み合わされており、確かに、近時、経済発展がめざましい国があります。そうして、他方、日本のような先進国の製造業はその国でしかできないことに特化し、また新たな産業を生み出し、構造転換を果たしてゆくべきなのです。

 その点で、反グローバリズムを信奉する人々から、WTOがグローバリズムの権化としてやり玉に挙げられることがあります。実は、WTOにも南北問題があります。自由貿易の恩恵が一部の国に留まり、多くの開発途上国が更なる発展の段階を迎えていないという不満を背景とし、最近は、むしろ、先進国、新興国、途上国の三つ巴の抗争という様相を呈しています。

 ドーハ・アジェンダと呼ばれるラウンド交渉が頓挫した直接の原因は、新興国であるインドが、自国産業を保護するための特別セーフガードの発動基準を緩和することを強行に主張し、中国がこれに賛同したのですが、アメリカ、欧州等の先進国が反対したことでした。まさに、加盟国が大幅に関税を引き下げる交渉が大筋合意されており、最終的に妥結する前夜のことです。

 WTO上、途上国に対してWTOの様々な義務を猶予する条項が用意されています。また、実際の運用上も、途上国には甘いというダブルスタンダードがあるとされます。


6,グローバル経済と法の支配

 WTOが自由貿易主義一辺倒かというと、決してそうではありません。原則規定と例外規定が組み合わされており、その国に不可欠の資源、その国の人々の生命、健康に関わるもの、安全保障に関するものについての貿易制限が可能です。

 また、地球環境保護や生物多様性の保護、あるいは労働者保護などの、自由貿易以外の価値が、自由貿易主義との関係でWTOの解釈問題として争われています。これらの価値と自由貿易主義との抵触については、それらの価値を扱う専門的な諸条約と、WTOという、レジームを形成するような多国間条約間の関係という新たな問題領域を生み出しています。自由貿易主義と、国際社会において実現すべきこれらの価値の、衡量の場として、WTOが機能しているのです。

 金融取引の規制についても、一言のみしておきましょう。自国通貨以外の通貨を取引することをユーロ取引といいます。欧州の単一通貨であるユーロのことではありません。オフショア市場で取引される、日本円をユーロ円、ドルをユーロ・ドルと呼び、欧州通貨のユーロであれば、ユーロ・ユーロとなります。

 イギリスがもともと法規制の外に置くことで、ロンドンのシティで発達したものであり、今では、世界中で取引されています。基本的に法規制の及ばない自由な取引市場です。その法規制を、いくら一国で懸命に行おうとしても、カネはどの国の国境をも自由に超えて行くものなので、その国の手の中からいとも簡単にすり抜けて行ってしまいます。国際的金融取引の規制は、諸国が協働して行わなければ無意味なのです。

 要するに、経済グローバル化に対抗し得るものは、決して、一国中心主義や偏狭な経済ナショナリズムではなく、国際社会における法の支配の確立こそが必要なことであり、更に言えば、EUのような多様な価値を共有する単一市場であるところの、国際的な地域共同体の成立に向けて努力することです。この点からは、更なるグローバル化こそが、その弊害に対処できる唯一の方法であるということになります。