グローバル化と法の支配2020年06月16日 01:04

 コロナの災厄が、特にヒトの国境を越えた移動の自由を極端に制限しました。ウイルス蔓延を防止するために、国が工場における出勤制限を行い、あるいは物流が滞ることによって、複数の国に跨がるサプライチェーンが分断され、多くの国の経済活動に支障を来しました。

 また、わが国などのマスク不足から、「国際分業」が問題視されています。国の防疫に関わり、人の健康に影響する製品の国産化のためには、安価な外国製品の輸入制限が必要であるとする趣旨でしょう。

 保健所職員の削減など公務員の削減が、新自由主義の産物として、揶揄されることもあるようです。

 新自由主義ー国際分業ーグローバル化というキーワードによって繋げられるるのですが、私は、コロナによって、グローバル化が押しとどめられるとは思いません。グローバル化という言葉に対する正確な理解が必要であるようです。

 その何が悪であり、何を問題とするべきか。

 コロナ禍の遺す教訓は、むしろ「更に一層の法の支配を、この国際社会にも!」ということではないでしょうか。




1,レーガノミクスと新自由主義

 レーガノミクスは、減税と政府支出の抑制を組合せ、小さな政府を志向し、財政出動によるよりは、自由競争の下、市場の手に委ねる方が国の経済がより一層発展するとした。新自由主義に基づくとされます。

 レーガノミクスは現実の政策であり、思想としての新自由主義そのものではありません。それは経済学および社会理論であり、新自由主義に属するとされる個々の経済学者や思想家の主張が完全に一致するわけではありません。中でも、著名なノーベル経済学賞を受賞したハイエクは、法の支配の下での自由を主張しました。

 第二次世界大戦後の世界経済がグローバル化の一途を辿ったとされています。もっとも、世界経済のグローバル化が、いつから始まったのか、自明とは言えないでしょう。世界的な交易は、例えば有名なところで、古代ローマ帝国の時代に盛んであった地中海貿易や、中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの交易があり、近代以降は、欧米列強の重商主義と結びつく、宗主国と植民地間の貿易があります。特に、後者は現代の世界経済の原型かもしれません。

 ここでは、第二次世界大戦後の世界経済の発展と国際経済社会の法発展の関係を、手短に説明します。


2,ブレトンウッズ体制の成立と世界貿易の南北問題

 第二次世界大戦は甚大な戦禍を国際社会にもたらし、夫や妻、子供、兄弟姉妹、親友、多大な人命が失われました。アメリカを除く先進国を含め、まさに焼け野原となった国土に立って、二度とこのような戦争が起こらない世界を築くことを強く祈ったです。そのための法的枠組みが、戦後間もなく成立したブレトンウッズ体制でした。

 ブレトンウッズ体制はGATTおよびIMF協定を基礎とします。その目的は、大戦を招いた主因の一つであるブロック経済化を防止するために、各国ごとの関税や貿易制限を可能な限り抑制し、同時に、通貨の切り下げ競争を回避しつつ、送金の自由を確保することです。かくて、自由貿易主義に基づき、地球上の全ての国にとって、持続可能な経済発展と富の最大化がもたらされるという根本理念を有します。

 戦後、1970年代になると、ようやく旧植民地諸国が世界の表舞台に独立国家として勢揃いしました。このころ、国際法に関する南北問題も生じるようになりました。18世紀以来、欧州列強が作り上げてきた国際法の枠組み自体が、そのころには国際法的に国家として存在しなかった植民地諸国に不利であるとして、開発途上国が共同して国際法の改正を要求するようになったのです。

 GATTの下で、自由貿易主義の恩恵を被り、奇跡的な経済発展を遂げたのが日本でした。他方で、植民地時代のプランテーションの遺物である社会経済的限界によって、多くの開発途上国が貧困のままに、世界経済の発展から取り残されました。発展途上国にとっては、先進国企業の投資が、経済的に一定の潤いと雇用をもたらし、工業化を図る唯一の方途でした。

 しかし、結局、先進国企業が低賃金の下で得た利潤を母国に送金するばかりで、投資先国での再投資と技術移転が一向に進まない時期がありました。途上国側は、投資企業の母国への送金を制限したり、一方的に先進国企業の権益となる施設等を接収しました。これに対して、OECDが資本移動自由の原則を打ち出し、また、企業と途上国との間の国際投資紛争に介入することで対抗しました。


3,アメリカ通商法の不公正貿易の観念とGATT=WTO

 貿易の自由の側面からみると、GATTが継承されて、1995年にWTOが成立しました。もともと資本主義の最先端を行くアメリカが、世界で最も強力な独占禁止法と証券規制に関する法を有し、市場における規律ある自由競争を確保するための規制を有していたのですが、通商法としても、自由競争による市場を歪曲する不公正な行為を規制する強力な法を成立させていたのです。

 戦後、世界経済の覇権を握ったアメリカが、あるいはアメリカ企業が、追随する国々の企業に対して、自国のこれらの国内法に基づき規制を及ぼそうとしました。他国の企業がその国の緩い法規制の下で、アメリカ法の立場からは不公正な行為により大きな利益を上げていると、自国企業が世界市場において競争上不利な立場に置かれることに我慢ならなかったのです。

 悪名高いアメリカ通商法スーパー301条を用いた貿易制限による恫喝によって、他国産業界に輸出自主規制を呑ませるという、GATTの観点からは灰色措置と呼ばれる脱法行為をしばしば行いました。アメリカ通商法の手続を真似て作ったWTOの紛争処理手続は、アメリカ法における幅の広い不公正貿易の観念を、国際法としてGATT=WTOの中に取り込む代わりに、アメリカによる灰色措置を禁止したものです。


4,世界の相互依存性の進展と行き過ぎたグローバル化

 GATT=WTOの下、累次の貿易交渉の成果として、世界の関税が劇的に引き下げられ、農産物を含む輸出入の数量制限が撤廃されると、加速度的に世界経済が相互依存性を強めてゆきました。インターネットやジャンボ・ジェット機の就航など、技術的革新もあいまって、交易の観点からは、どんどん国境の壁が低くなり、ヒト、モノ、カネが国境を越えて自由に移動するようになりました。

 行き過ぎたグローバル化として糾弾されるような事態も生じます。巨大な投資ファンドが一国の通貨を売り浴びせて、その国を国家破産させたことがあり、国際的通貨危機の引き金になりました。最近のリーマン・ショックもそうでしょう。製造業のサプライ・チェーンが途上国を含めて構築されると、製造業の国際的分業が確立しました。このことが、従来、経済発展から取り残されていた国の経済開発に通じ、極端な貧困から脱却する国、および新興国と呼ばれる更に発展した国を生じ、途上国間の格差を生みました。他方、先進国における産業の空洞化が進んだのです。


5,行き過ぎたグローバル化とWTO

 よく、経済は生き物だと言われます。世界経済は国境を越えて一体的なものです。企業は単純に利潤を求めて貪欲に、利己的に行為します。いずれかの国が、一国の法規制によってその流れを押しとどめようとしても、経済活動は容易に法規制をすり抜け、一国の努力もその奔流に押し流されるだけです。

 上述のような国際分業の確立と、それに伴う先進国における産業の空洞化、他方、貧困を免れる国を生じることは、むしろGATT=WTOの根本的理念の中に織り込み済みであるとも言えます。WTO体制による貿易自由の原則の下で、各国が構造転換を繰り返してゆくこと、そうして、世界全体の持続的な経済発展に繋げることが予定されているからです。

 例えば、インドは、筆者が中学、高校で使った頃の地理の教科書には、かつてのプランテーションのせいで、その他の産物の生産が不可能であり、工業化もできず、貧困に喘ぐ国であるされていました。それが、現在は新興国として更に発展することが約束されています。東南アジア諸国には、日本、韓国、中国の企業のサプライチェーンが互いに組み合わされており、確かに、近時、経済発展がめざましい国があります。そうして、他方、日本のような先進国の製造業はその国でしかできないことに特化し、また新たな産業を生み出し、構造転換を果たしてゆくべきなのです。

 その点で、反グローバリズムを信奉する人々から、WTOがグローバリズムの権化としてやり玉に挙げられることがあります。実は、WTOにも南北問題があります。自由貿易の恩恵が一部の国に留まり、多くの開発途上国が更なる発展の段階を迎えていないという不満を背景とし、最近は、むしろ、先進国、新興国、途上国の三つ巴の抗争という様相を呈しています。

 ドーハ・アジェンダと呼ばれるラウンド交渉が頓挫した直接の原因は、新興国であるインドが、自国産業を保護するための特別セーフガードの発動基準を緩和することを強行に主張し、中国がこれに賛同したのですが、アメリカ、欧州等の先進国が反対したことでした。まさに、加盟国が大幅に関税を引き下げる交渉が大筋合意されており、最終的に妥結する前夜のことです。

 WTO上、途上国に対してWTOの様々な義務を猶予する条項が用意されています。また、実際の運用上も、途上国には甘いというダブルスタンダードがあるとされます。


6,グローバル経済と法の支配

 WTOが自由貿易主義一辺倒かというと、決してそうではありません。原則規定と例外規定が組み合わされており、その国に不可欠の資源、その国の人々の生命、健康に関わるもの、安全保障に関するものについての貿易制限が可能です。

 また、地球環境保護や生物多様性の保護、あるいは労働者保護などの、自由貿易以外の価値が、自由貿易主義との関係でWTOの解釈問題として争われています。これらの価値と自由貿易主義との抵触については、それらの価値を扱う専門的な諸条約と、WTOという、レジームを形成するような多国間条約間の関係という新たな問題領域を生み出しています。自由貿易主義と、国際社会において実現すべきこれらの価値の、衡量の場として、WTOが機能しているのです。

 金融取引の規制についても、一言のみしておきましょう。自国通貨以外の通貨を取引することをユーロ取引といいます。欧州の単一通貨であるユーロのことではありません。オフショア市場で取引される、日本円をユーロ円、ドルをユーロ・ドルと呼び、欧州通貨のユーロであれば、ユーロ・ユーロとなります。

 イギリスがもともと法規制の外に置くことで、ロンドンのシティで発達したものであり、今では、世界中で取引されています。基本的に法規制の及ばない自由な取引市場です。その法規制を、いくら一国で懸命に行おうとしても、カネはどの国の国境をも自由に超えて行くものなので、その国の手の中からいとも簡単にすり抜けて行ってしまいます。国際的金融取引の規制は、諸国が協働して行わなければ無意味なのです。

 要するに、経済グローバル化に対抗し得るものは、決して、一国中心主義や偏狭な経済ナショナリズムではなく、国際社会における法の支配の確立こそが必要なことであり、更に言えば、EUのような多様な価値を共有する単一市場であるところの、国際的な地域共同体の成立に向けて努力することです。この点からは、更なるグローバル化こそが、その弊害に対処できる唯一の方法であるということになります。

GSOMIA延長拒否と撤回ー輸出管理と国際法2019年11月25日 20:17

 筆者の勤める大学に、学生が公園と呼んでいるスペースがあります。図書館と講義棟の間の狭いものですが、人工的な瀬生らぎがあり、世界的に著名な彫刻家の造形したもので、古代の船をイメージした彫刻が噴水と組み合わされています。そこには落葉樹が植栽されており、もう終わりましたが、夜になると、紅葉のライトアップが綺麗です。


1、GSOMIAの延長拒否と維持決定

 日本の輸出管理規制において、韓国をホワイト国から除外したことが、韓国政府にとって、宣戦布告と同様の意義を有したようです。大統領が「韓国は二度と負けない」と宣言したのです。日本の輸出管理規制に対抗する手段として、韓国が、同様の輸出管理規制を日本に適用すると共に、GSOMIAの破棄を通告していました。韓国政府の様子から、ほぼ確実だと思われていたのですが、昨日の報道によると、韓国は土壇場でGSOMIA継続を決定し、日韓の当局がこれを発表しました。

 日本とアメリカ、及び韓国とアメリカとの間の安全保障条約に基づき、両国にアメリカ軍が駐留し、軍事情報の交換がなされているのですが、日本と韓国の間には、日米安全保障条約と同様の意味における安全保障に関わる条約がありません。韓国には戦前、植民地化されていたこともあり日本とのいわば軍事同盟には警戒が強いと言われていますが、日本から言っても日韓の「軍事」同盟は可能ではないでしょう。日本の自衛隊は軍隊ではなく、専守防衛の大前提の下、集団にせよ、個別にせよ自衛権の発動のみが許されるというのが、日本国憲法の要請であることが共通認識です。従って、仮に韓国との間の安全保障条約を締結するとしても、アメリカとの関係と同様に片面的なものとならざるを得ません。すなわち、日本の存立に関わるような危難、日本が正に攻撃を受ける事態が存在することを前提として、日本の自衛権行使が許されるということになるでしょう。韓国のみの安全が脅かされるような状況では自衛隊は発動することが無いのです。韓国が日本を守るためだけの条約を締結するはずがないし、日本にとっても、不安定な朝鮮半島の有事の際に、直ちにこれに巻き込まれることが得策では無いとも言えます。

 そこで、日米韓の安全保障に関して、日米、米韓の結びつきがあっても、日韓の関係が無く、完全なトライアングルは完成されないのですが、アメリカを介してのみ、間接的ではあっても緊密な関係を構築することが肝要となります。そのような枠組みの中で、日韓の軍事情報の交換を迅速に行い得ることにしたのがGSOMIAです。もともとアメリカを介して、国家機密である軍事情報のやり取りがある程度可能であったところ、北朝鮮の弾道弾ミサイル開発を受けて、日韓が、直接に当然のこととしてこれを行うことが重要であったのです。もっとも、北朝鮮のミサイルについて考えてみると、韓国よりも、日本及びアメリカにとって一層意味があったとも言えそうです。アメリカにとって、大陸間弾道ミサイルが北朝鮮から発射された場合、日韓の連携によりアメリカのミサイル警戒レーダー・システムの間隙を無くすことが可能となるからです。GSOMIA維持に対するアメリカ側の圧力が極めて強硬であったことも、頷けます。

 日本政府は、GSOMIAの問題は、日本の安全保障に関わる輸出管理とは別次元の問題であるとしています。仮に、安全保障に関わるとされる輸出管理規制が、日韓請求権協定をめぐる国際間の紛争を契機とする政治的動機に基づくのであるとすると、韓国からしてみれば、輸出規制が真に安全保障に関わる懸念に基づくのでは無く、恣意的であり、WTOという国際法の違反であるということになります。これに対抗する手段として、GSOMIAという二国間の協定を期限に従い延長をしないことにしたというので、これ自体は決して国際法に抵触するものではなく、非友好的ではあっても、国際法上、許容されるいわゆる「報復」という事になります。


2、輸出管理と国際法ーワッセナー・アレンジメント

 他方、輸出管理規制が純粋に国内問題であるかというと、そうとも言い切れません。高度な通常兵器に用いることが可能な物資及び技術を、北朝鮮、イランなどの懸念国や紛争地域に対して輸出することを規制する国際的枠組みがあります。ワッセナー・アレンジメントと呼びます(山本武彦『輸出管理ー制度と実践』(浅田正彦編)第1部第4章「通常兵器の輸出管理」参照)。もともとココムという、冷戦下における共産圏への武器輸出を規制する国際機構が存在したのですが、冷戦終結と共に解散した後、これに代わるものとして輸出規制を行う新たな機構として構想されました。特に、9.11同時多発テロを契機として、国際公序に反するテロ行為を支援する国や大量破壊兵器を開発・製造する国、懸念地域への輸出管理を行うものとして注目されます。ココムと異なり、西側諸国に加え、ロシアや中東欧を含めた国際機構です。現在、日本を含めた多くの国で、武器兵器それ自体及びその部品等のみならず、高度兵器に転用可能な汎用製品や汎用技術を含めたキャッチオール規制が導入されています(木原晋一・矢野剛史・前傾書第2部第1章「日本」参照)。輸出に際して、輸出業者が経産大臣に対して輸出許可申請を行わなければなりません。

 わが国が、ワッセナー・アレンジメントのルールを前提として、外国為替及び外国貿易法に基づき、直接の輸出先国のみならず、最終的な移転先までを問題として、わが国の輸出管理の方法を規定しています。日本は、韓国向け半導体部材となる3品目について、輸出管理を厳格化したことに続けて、韓国をホワイト国から除外する措置をとりました。ホワイト国というのは、キャッチーオール規制を回避して輸出許可申請が不要であったり、包括許可が受けられる範囲が広いなどの優遇措置を受けられる国のことです。韓国を含めて27か国が指定されていたのですが、ここから韓国のみを除外したのです。わが国から輸出された製品が韓国を経由して、懸念国・地域に輸出されることを心配したということになります。

 ワッセナー・アレンジメントは、上述のような輸出管理を行うべきであるという基本目的と、輸出規制について参加国に対する事後的な通知を行うことによる透明性を確保することに合意しているに過ぎないものです。紳士協定的なものとして、もともと制度としての内容が相当に希薄であると言わざるを得ません。輸出管理の方法について、基本的に各国の裁量に委ねられています。同アレンジメントにより、輸出管理を厳密に行ってはならない義務づけが生じるという性質のものでは到底ありません。


3、輸出管理と国際法ーWTO

 従って、日本の輸出管理規制の厳密化が国際法上問題となり得るとしたら、やはりWTOということになるでしょう。韓国がWTOの基本原則である最恵国待遇違反を主張しているので、日本としては、その例外条項である安全保障上の例外を主張することになるでしょう(なお、韓国がWTO提訴手続きの中断を発表しました)。日本の輸出管理の厳密化は、韓国にとって関心の大きな品目について、経産大臣の許可を要することとしたので、その許可が恣意的になる恐れや、不必要に遅延する恐れがあると心配しているのです。ワッセナー・アレンジメントに従って行う輸出管理の厳密化であるから、全くWTOの問題とならないとは言えないでしょう。全く政治的動機に基づく不当な貿易制限措置であると主張されているのです。安全保障上の懸念材料もないのに、これを偽装し、自由競争を歪曲する措置であるとすれば、WTO違反を免れないとするべきです。もっとも、WTO上の安全保障における例外については、発動国の裁量余地が広いので、日本としては、韓国向け輸出がテロ支援国等の第三国向け輸出に通じる懸念についての一定の立証を行えば足りるでしょう。これに対して、韓国は、自国が輸出管理を適切に行なっており、そのような懸念を生じる余地がないというのです。

 日本の外国為替及び外国貿易法に基づく輸出管理の方法としては、ホワイト国から除外したとしても、一括して輸出許可を行う他の便法がいくつか用意されているので、韓国企業に実際の損害を生じるとは直ちには言えません。また、日本はホワイト国の次順位である枠をわざわざ設けて、韓国をその中に入れたのであり、例えば、中国や東南アジア諸国など日本との貿易上の繋がりの深い国々が更にその下位に属します。それに対して韓国が、日本をホワイト国から除外する全く同等の措置を行ったのです。日本の措置がWTO上、審査の対象とはなり得ても、韓国の方に勝ち目があるとは思えません。


4、日韓請求権協定違反と対抗措置

 もっとも、私は、日本の輸出管理規制上の措置が、日韓請求権協定違反に対する対抗措置であるという見方をしています。対抗措置とは、相手国の国際法違反に対して、国際法違反により対抗することを認める国際法上の概念です。この場合、日本の措置が国際法違反であるとしても一定要件の下で容認されます。報道によると、元徴用工に関する韓国大法院判決と日本企業に対する強制執行、及びこれを放置する韓国政府の態度が、日韓請求権協定に違反するとして、わが国の麻生財務大臣が貿易制限措置などの対抗措置を示唆していました。日本政府が韓国をホワイト国から除外すると発表した当初、複数の政府高官が、日韓請求権協定の違反を理由としていたようでもあります。これが一転して、両者が無関係であると説明されるようになったのです。また、現在でも、安倍総理は、日韓請求権協定という国と国との基本的な約束を守らない国であるとして韓国を非難し、これが輸出管理厳密化と共に語られるようです。

 このように考えると、次の二つの考え方の筋道があります。

 一つ目が、韓国による日韓請求権協定の違反という国際法違反に対する日本の対抗措置が韓国のホワイト国除外である。その場合、ホワイト国除外がWTOに違反するきらいがあるとしても国際法上、対抗措置として正当化される。これに対する韓国による日本のホワイト国除外がWTO違反である。二つ目が、韓国の日韓請求権協定の解釈が正当であり、この事にまつわる韓国の行為は国際法違反に当たらない。その場合、日本による韓国のホワイト国除外が、その他の理由が無い限り、WTO違反となる。これに対する韓国による日本のホワイト国除外は、一般国際法上の対抗措置であり正当化される。

 上述したところに対して、二点ほど、私の考えを述べておきます。まず、二つ目の解釈が成り立つとしても、韓国による日本のホワイト国除外は、日本のWTO違反を理由とする以上、WTOの紛争解決手続を遂行して初めて可能とされるべき対抗措置であるのに、韓国が一方的に発動しているので、この点でWTO違反となります。次に、一般国際法上の対抗措置としての経済規制が、国際共同体の集団的利益に悖る行為に対するものとして、国際法上、明確に正当化されるものを除き、WTOとの関係は必ずしも明らかではありません。上に述べたのは、あくまでも私の試論に過ぎません。従って、日本政府が、韓国に対する輸出管理厳密化をもっぱら安全保障上の理由に基づくとしていることは、戦略的に賢明でしょう。

 一般国際法上の対抗措置とWTOとの関係について、次のサイトでも述べているので、ご関心のある方は参照して下さい。

http://www.gentosha-academy.com/serial/fuwa-2/

外国人受入れと同化の強制ー日韓貿易戦争のある側面2019年11月04日 00:05

 法務省の「出入国管理」(平成30年版)によると、平成29年におけるわが国への外国人入国者数は、2742万8782人です。第二次世界大戦終結直後の昭和25年には、約1万8千人でした。このときはサンフランシスコ平和条約の発効前であるので、連合国軍の占領下にあり、わが国が未だ主権を回復していないときです。

 その十数年後、私が幼かったころ見ていた番組の中で、特に思い出に残っているのは、「ベン・ケイシー」という若い医師の活躍するアメリカのテレビドラマです。大きな病院の廊下を、白衣を着て颯爽と歩くテレビの中の主人公を気取って、歩き回ったものでした。

 当初、日本は、外国映像作品の輸入割当制を取っていて、年間の総上映時間に法令上の上限がありました。わが国のテレビ放送産業にとって、自主制作作品の数が限られていたので、極めて貴重なコンテンツだったはずです。輸入割当制は、映画やドラマ作品のフィルムの輸入数量の制限です。その理由を推測してみます。まず、戦火によって焼け野原となった日本が、途上国として再出発した、その時代に、輸入品のために支払う外貨が十分に無かったのではないかと考えられます。次に、幼稚産業であった日本の放送産業や、再出発した映画産業を育成する政策が取られたのかもしれません。このことは、日本独自の文化を守り、発展させることにも関わります。テレビのドラマやアニメなどの映像作品や映画は重要な輸出品ともなります。現在でも、ハリウッド映画など、アメリカの映像作品が日本で巨額の収益を上げています。このことは、これらのコンテンツがアメリカの重要な輸出品目であるということも意味します。

 韓流ブームに沸く日本で、韓国のテレビ・ドラマや韓国映画が好んで放映、上映されています。他方、日本のアニメ作品である「天気の子」が韓国で大ヒットしているそうです。日本製品不買運動が巻き起こっている社会的風潮の中で、「日本製ビールやユニクロは買わないけれど、これは別」なのだそうです。

 そう言えば、戦後、長らく、韓国では日本の大衆歌謡、テレビドラマ、映画等の放映、上映が禁じられていました。日本の植民地政策の下で、朝鮮半島に住む人々は、創氏改名により元の民族名から、日本風の名前に変えさせられました。儒教文化の影響の強い韓国では、今の日本以上に、祖先を大切にするので、祖先に通じる名前を捨てなければならないことがとても辛いことだったのです。また、日本語が公用語とされ、学校では日本語が教えられていました。学校の先生が、「今日からは、ハングルを使うことができなくなった」と言って、日本語による授業を始めたのでしょうか。韓国の人々は、このことを民族の恥辱として記憶しています。一個一個の人の記憶というよりは、社会的記憶として深く刻まれているのです。日本の大衆文化の禁止政策は、戦前の教育のお陰で日本語に堪能な人が多い朝鮮半島を、日本文化の侵略から守るという意味も持っていたのです。ところが、表向きは禁止されていても、隣国である韓国には日本から放送電波の届くところがあり、年末には、韓国に住む多くの韓国人が、あの「紅白歌合戦」を視聴していました。

 日本の映像作品を含む大衆文化が韓国内で解禁されたのは相当最近のことです。金大中大統領のとき、1998年の「日韓共同宣言 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」が発表されて以来、漸次、開放されてきました(「日韓共同宣言か20年韓国の日本文化開放はどこまで進んだ?」ニューズウィーク日本版2018年11月28日の記事https://newsweekjapan.jp/stories/world/2018/11/20-57.php)。経済発展が進み、工業製品の一部の輸出では日本を遥かに追い越し、韓国の歌謡や映像作品が、日本だけではなく、アジア圏全体で流行しています。日本の大衆文化の解放は、もはや途上国を卒業した韓国の人々が自信を持ったことの証左です。

 平成29年末までの、わが国への観光客の1番のお得意さんが韓国人でした。日本観光一位の座を中国と争っていたのですが、この年には断トツでトップとなっていました。恐らく、韓国でも日本旅行ブームが起きていたのでしょう。しかし、現在、韓国からの観光客は激減しています。よく知られているように、韓国における政治的な自粛運動が原因です。日韓の輸出規制の応酬は経済的戦争の様相を呈しています。観光客の日本旅行は、韓国にとってサービス貿易の輸入に当たります。日本に二度と負けないと大統領が宣言した韓国が、政治的運動の形でこのカードを切ったとも言えるでしょう。民間の人的あるいは文化交流にまで影響を及ぼす方策も辞さないとすれば、経済規模でまだまだ日本に及ばない韓国が、持てるカードのありったけを使って、精一杯に戦っているのかもしれません。しかし、この戦争は自由貿易主義を根本的理念とせざるを得ない国同志の貿易戦争である点が、米中のそれとは様子が異なります。どちらも 自由貿易主義の旗印を下ろすわけにはいかないのです。どちらの国も国際法の根拠を十分に準備し、国際紛争も法の下に解決するという姿勢を貫いていると言えそうです。

 前記白書によると、平成29年末のわが国における在留外国人数は256万1,848人で、日本の全人口の約2%弱を占めています。外国人として、仕事や観光のために、わが国を短期間訪れたのではなく、中長期間わが国に暮らす人々です。その内、約32万人が、特別永住者です。在留外国人の数が通常の永住者を含めて、大方、右肩上がりに増加の一途を辿っているのに対して、特別永住者の数は漸減傾向にあります。特別永住者というのは、戦前のわが国の植民地出身者であって、サンフランシスコ平和条約の発効に伴い、わが国に居住する「外国人」となった人たち及びその子孫です。朝鮮半島出身者も、それまでは外地戸籍に編入され(本土出身者は内地戸籍に編入されていた)、日本(大日本帝国)の国籍を有していたのですが、平和条約発効と同時に、日本が海外領土を放棄した法的効果として、日本の国籍を失ったのです。日本に仕事があり、戦前より生活していた人たちです。戦後しばらくは、日本における在日外国人の問題と言えばこの人たちのことでした。

 戦後復興により、高度経済成長を遂げた日本は、外国人受け入れについては長く排外的政策を取っていました。ほとんど鎖国政策と言っても良いほどです。当時の周辺アジア諸国の生活水準からして、豊かな日本に一気に移民が押し寄せることを心配していたのです。そこで、日本に居住する外国人が必然的に限られました。世界で有数の経済大国であり、少子高齢化が進行して、本格的な人口減少社会を迎えた日本が、近年、外国人材受入れ政策に転じており、旧植民地出身者及びその子孫のみならず、ニューカマーの外国人が増加しています。特別永住者の漸減傾向は帰化がある程度進んでいることも一因でしょう。

 外国人を受け入れるということは、他の国に生まれ住んでいた人々を、自分の暮らす共同体の中に受け入れることです。異なる文化、風習、習慣、信仰を持った人たちです。日系人なら別ですが、東アジア出身の場合、人種的に同じで、顔貌や髪の毛、目の色が同じであっても、民族的には異なり、異なる背景を有します。ゴミ捨てのルールなど、最低限の行政的規則は守ってもらう必要があり、以前からその地域に住む日本人と共に生活するために、生活態度や習慣など、調整しなければいけないことがたくさんあります。日本人には常識であっても、外国人の母国では必ずしもそうではないかもしれません。日本人社会は、腹芸、空気を読む、忖度する、一を聞いて十を知るなど、何でも口に出して言わない文化です。同質の文化的、民族的背景を持つ者のみで構成された社会が有する特有の文化です。外国出身の人たちとは、一から、話し合いをして決めていかないといけないという前提を、行政も含めて、そこに暮らす全ての人々が持たなければ上手く行かないでしょう。

 お互いの文化や風習を、絶対のものとして、押し付けることになってはいないでしょうか。日本に暮らす外国人が、日本の社会に同化するための政策が是非必要ですが、同化の強制は、反感を誘発するだけです。もっとも、どこまでの価値観を共有するべきか、判断の困難な場合があります。例えば、日本には少ないですが、厳格なイスラム教徒は女性が公道で髪の毛や肌を露出させることを教義の問題として禁じます。スカーフで髪の毛を覆っていないと、ふしだらな女性であることになります。また、小学校や中学校で女子が体育の授業を行うことも、女性が運動を行うことを宗教上禁じられるのでできません。これらの問題がフランスで実際に生じました。フランスは、憲法の根本理念である男女平等の原則に反するとして、公的空間で、ニカブなど顔全体を覆うようなベールの着用を禁じ、女子が公教育における体育の授業に参加することも必須としています。ヨーロッパ諸国の中でも対応が分かれています。

 ここで強調しておきたいのは、そのような困難が予想されるので、「移民」の受け入れは、そもそもやめるべきであるという後ろ向きの思考回路に陥ることなく、むしろ、わが国社会が多様性を許容する真の意味で多文化共生社会へと脱皮するために、議論を開始するべきであり、既にわが国に居る外国籍の人たちや異なる背景を有する人たちとの、真剣な話し合いを始めるべきだということです。同化の強制には決して陥らない、同化政策のあり方は対話から始まるのです。長い目で見て、わが国の経済的な発展のためにも、また文化的に大きな成果を得るためにも、現在必要な社会的コストであると思います。