移民と二重国籍2018年08月12日 15:10

次のスポーツ選手に共通の属性は何でしょう?
ダルビッシュ有、大坂なおみ、ケンブリッジ飛鳥、五十嵐カノア。
野球。テニス。陸上。サーフィン。

皆が認める一流アスリート達です。

答えは、・・・・






二重国籍の保有者である(あった?)ことです。

ダルビッシュ有選手がイラン人の父親と日本人の母親の間に誕生した二重国籍者であることは有名ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%9C%89(Wikipedia)

大坂なおみ選手は、日本人母とハイチ系アメリカ人の父親に生まれた子です。
http://www.naomiosaka.com/profile/(公式HP)

ケンブリッジ飛鳥選手は、日本人母とジャマイカ人父の子。
https://www.nihon-u.ac.jp/sports/interview/vol_19/(日本大学 アスリートインタビューVol.019)

五十嵐カノア選手は、日本生まれ日本育ちの両親の間の子供です。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13615584.html?_requesturl=articles%2FDA3S13615584.html&rm=150(「(ひと)五十嵐カノアさん 東京五輪に挑む米国育ちのサーファー」朝日新聞Digital)

??? 上の三人は分かるけれど、五十嵐選手はどうして?


1,国籍取得の要件と二重国籍

まず、それぞれの国がその法によって、どのような場合に、自国の国籍を与え、失わせるかを決定します。例えば、ダルビッシュ選手の場合、日本の国籍がどうなるかは、日本の国籍法が決定し、イランの国籍がどうなるかはイランの国籍法が決定します。

生まれたときの国籍取得のための要件として、諸国の法において、血統主義と生地主義が存在します。血統主義は親の国籍が子に承継されるとする立場です。子の誕生のときに親がどこに住んでいようとも関係しません。血統主義には、更に、父系優先主義と父母両系主義があります。前者は父親の国籍が子に承継され、母の国籍は無関係であるとするものです。後者は、父と母のいずれが自国民であっても、その国籍が承継されるというものです。

日本は、以前は父系優生主義であったのですが、女子差別撤廃条約が日本にいて効力が発生することを契機に、国籍法を改正し、現在は父母両系主義によっています。イランは、父系優先主義でした。

そこで、ダルビッシュ選手は、父の国籍も、母の国籍も、それぞれの国籍法により与えられることになります。誕生のときに、日本とイランの二重国籍者となるのです。

次に、生地主義は、子が生まれたときに所在していた国の国籍が与えられるとする立場です。

五十嵐選手の両親は日本生まれの日本人なのですが、両親がアメリカに移住した後、アメリカで生まれたのです。そこで、日本の国籍法により親の国籍が子に与えられ、生まれた国であるアメリカの国籍がその法により与えられます。血統主義と生地主義の国籍法により、生まれたときに日本とアメリカの国籍を取得することになります。

なお、前記記事によると、五十嵐選手が生まれ育ったのは、カリフォルニア州のハンティントンビーチで、幼い頃よりアメリカの強化育成チームに入った「天才サーファー」で、アメリカ国内の主要大会で優勝経験のある、アメリカでは有名なアスリートです。現在、日本の企業と契約し、日本代表で東京五輪をめざすそうです。

なぜ、わざわざそんなことが記事になるかというと、アメリカ国籍も持っているのであれば、アメリカのナショナルチームで活躍し、メダル候補となることが可能だからです。そこで、五十嵐選手が日本を選んだことで、アメリカ国内のサーファーからは怨嗟の声も聞かれるようです。


2,国籍選択に悩む17才

2015年8月28付け毎日新聞のオピニオン欄に掲載された記事を紹介します。日本で生まれた二重国籍の高校生が、日本の法制度について意見を述べています。

「 私は17才、日本人の母とフランス人の父を持つ。
  日本で生まれ育った私にとって、日本は、飛行機を降りた時に「ただいま」と、一安心する大好きな故郷である。同時に、フランスも自分のルーツの国である。私の中で日仏は、黄色と青が混ざって緑色をなすように一つになっている。そんなことも気にせず、政府は5年後までに、私に「国籍選択制度」によって、一方を、切り捨てるよう命じる。・・・容赦なく一つを切り捨てさせる。・・・「国籍選択制度」が、重国籍者にとって、どれほど、自分のアイデンティティーを否定されているようで苦しいか。」

少し引用が長くなってしまいましたが、この高校生の切実な訴えが胸に迫ります。


3,外国籍放棄義務―国籍選択制度、国籍留保制度、帰化要件

日本法は二重国籍が生じることに対して消極的な立場をとっています。

国籍法上、日本で生まれた二重国籍者は、22才になるまでに国籍選択宣言をしなければ日本国籍を失うことが規定されています。しかも、このときに、外国国籍を放棄する義務があるのです。

また、外国で生まれた日本国籍をも有する二重国籍者について、出生の時に国籍留保をしなければ日本国籍を喪失します。出生後間もない赤ちゃんがこれをすることができませんから、親が行うことになります。そして、その子が22才になるまでに、やはり国籍選択宣言をしなければ、日本国籍を失うことになります。

更に、生まれた後で日本国籍を取得する帰化の場合にも、従来保有していた外国国籍を放棄する義務があります。

国籍が国に対する忠誠義務を発生させるものであることから、かつて二重国籍に対して否定的な態度がとられていた時代があります。忠誠義務といっても内面の良心や態度を指すわけではないので、重要なのは兵役義務ということになります。二重に兵役を課される個人にとって重大な負担となるからです。

しかし、わが国には、兵役義務はありません。自衛隊への入隊を募集するポスターを見たことがあるでしょう。若い男女の自衛官が格好良い制服を着て、微笑んでいるものです。彼ら・彼女らは国家公務員である自衛官を、自ら希望して給料をもらっている人々です。

また、先進各国においては、兵役義務が廃止される傾向にあります。

そのほか、実定的に困難があるとされてきたことは、現在ではほぼ解決済みですので、問題が無いのです。むしろ、複数の国籍を保持するメリットの方が大きいとも言えます。そこで、個人のアイデンティティーに関する無慈悲な選択を避けるために、先進国では、二重国籍に寛容な法制度を採用する国が大多数となっています。

二重国籍者にとって、現在生活をしている本拠地である国、生まれ育ったとすればまさに故郷である国の国籍を実効的な国籍として、他方の形骸的な国籍も、心理的アイデンティティーの一として保持することを認める寛容さが必要でしょう。

最近次の記事を目にしました。

菅野 泰夫「W杯が浮き彫りにする日本の国籍放棄問題-「移民大国」日本は二重国籍を議論する時期に」
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/185821/070500017/

「成人の二重国籍保有を認めていない国はG7の中では日本のみである(G20まで拡大しても、日本は少数派に属する)。同様に二重国籍を認めていなかったお隣の韓国でも2010年に国籍法が一部改正され、対象範囲を限定した上で韓国籍取得者の外国籍放棄義務が緩和された。
・・・・
経済協力開発機構(OECD)の外国人移住者データを見ると、2016年の移民流入数のトップはドイツの172.0万人、2位の米国118.3万人、3位の英国45.4万人に次ぎ、日本は4位で42.7万人に及んでいる(日本への移住者の定義は、有効なビザを保有しかつ90日以上滞在する外国人)」

ますます外国人が増加する日本において、国籍放棄義務について、もう一度考え直してみて、二重国籍に関する国籍法改正を考えるべきではないか。このブログの筆者も、その基本的趣旨には同感です。


4,わが国の人口問題と外国人

2017年4月11日付け日経新聞朝刊の記事です。
「人口、2053年に1億人割れ-厚労省推計、50年後8808万人 働き手は4割減」
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の発表した推計です。

厚生労働省の「平成30年 わが国の人口動態」という政府統計資料によると、年々わが国の出生数が低下し、最新の出生率統計でも1.44です。出生数から死亡数を引いた自然増減数は、10年連続マイナスであり、よく言われるように本格的な人口減少社会である傾向は変わりません。全体に男女とも晩婚化の傾向も続いています。

他方、在留外国人の数は、平成28年末で、238万2822人で、総人口に占める割合が1.88%(入国管理局白書より)です。福島原発事故のときに一次的に減少したものの、全体として一貫して増加しています。

また、夫婦の一方が外国人である国際結婚の件数は、平成28年の一年間で、2万1180組です。もっと多かった年もあるのですが、この4年ほどこの辺りの件数で推移しています。

平成27年に実施された国税調査の結果(「総人口,日本人人口及び外国人人口の推移-全国(昭和50年~平成27年)という表)によると、日本人の人口が減少して行くのに対して、外国人人口は、年に数%程度増加を続けています。移住者のみならず、日本で誕生した子供の数も増加していることが予想されます。ちなみに、平成25年の一年間に日本で誕生した子供の総数104,2813人に対して、夫婦の一方が外国人である場合、19,532人であり、夫婦とも外国人である場合、10,695人の子供が生まれています(非嫡出子を除く)。この年に、日本の国籍をも有する二重国籍者ではなく、外国の国籍のみを有する外国人が12,997人、日本で生まれています(非嫡出子を含む)。

以前のブログでもお話ししたように、日本は単純労働者を正式には受け入れてきませんでした。技能実習という国際貢献を隠れ蓑として、年々その数を増やしてきたのです。この在留資格は、その外国人にとって一生に一度だけ、従来は最長3年、新制度によって場合により最長5年を限度に、日本で働けるという資格です。農業や介護など(単純労働とは言えないかもしれませんが)、以前は認められていなかった職種においても技能実習生を受け入れ可能とします。もう背に腹は代えられない、ということでしょう。

高度人材外国人については、すなわち単純労働に当たらない在留資格については、ポイント制により永住資格を早期に取得できるとするなど、わが国は積極的な受け入れ政策を採っています。技能実習以外の資格については、更新が可能なので、更新を繰り返すことで、わが国に定住する、ないし永住することもできます。

もっとも、調理師などを「技能」という資格で受け入れることは行われているので、技能実習とは紙一重の側面もありそうです。もともと技能実習の資格保有者が、他の在留資格の資格要件を備えると、そちらの資格に転換すれば、定住化が可能なのです。

先日、政府が発表した外国人材の受け入れ政策は技能実習制度の拡充が主で、技能実習生が他の資格を取得することを可能とするというものでしたが、恐らくはそのことを容易化するという意味であると考えられます。

この点で、政府の施策が移民政策とは一線を画するという説明がなされているようです。上の日経ビジネス・オンラインの記事では、以上を含めて「移民」と呼ぶので、政府の説明は違和感があります。いずれにせよ移民の言葉の定義の問題なので、むしろ実態を踏まえた実質的な議論が必要でしょう。

ちなみに、私は、一生に一度の単純労働の資格に留まる限り、移民とは呼ばず、それ以上の定住、永住の可能な場合を移民と呼ぶのが分かりやすいと考えています。

その上で、政府の政策を全体としてみると、高度人材の「移民」は大歓迎であるし、単純労働者の資格転換を促進するとすれば、これも移民化させるということなので、既に移民の受け入れ政策に転じていると見ています。

世界の先進国、金持ちの国々との間で、高度人材は言うに及ばず、単純労働者についても、獲得競争が始まっています。外国人労働者から見て、日本が選ばれる国とならなければ、この競争に勝ち残れません。近隣の、韓国や台湾の施策が先行しているのです。


5,二重国籍に寛容な国へ

以上の、国際情勢や、わが国の人口問題及び在日外国人の現況に鑑みると、二重国籍に寛容である法制度に改正することが有り得る選択肢であるように思われます。

高度人材やわが国にとって必要な人材を獲得するためには、生まれ育った母国であった国の国籍をアイデンティティーの一つとして認めつつ、わが国の国籍取得を容易にすることが重要です。その意味で、帰化の際の従来国籍の放棄義務を緩和する必要もあります。

また、わが国で生まれた二重国籍者、わが国の国籍を留保する二重国籍者についても同様です。母の国と父の国の間で引き裂かれるような思いを、そのような若者に抱かせることは無用でしょう。

二重国籍を認めると言っても、二つの祖国に仕えることを強いるという意味ではありません。その国に暮らし、生計を営み、税金を納め、家族や多くの友人知人の居る国、一生その国に住み続けるであろう、その意味で生活の本拠である国の国籍を保有して、その文化や習慣に同化するべきはしつつ、社会の構成員となり、法制度上、今も残る外国人の区別を回避する、特に公民権の関係での不利益を避けることができます。

もとより権力の集中する公職に就く場合には一定の考慮をしなければならないとしても、選挙権を有することで、真の意味で、その社会の構成員となると言えるのです。

朝鮮半島に出自を有するいわゆる在日の人々のドキュメンタリーを見ていたとき、大阪の生野区にあるキムチ屋の若主人が次のように述べていたのが印象的でした。結婚や就職差別がなお残るこの国にあって、父や母のことを思うと、帰化にはためらいがあったが、選挙権を行使してみて、「ああ、やっとこの国の一員になれた」と実感したと言うのです。

著名な政治学者である姜尚中氏は、自伝である『在日』(集英社)の中で、日本に生まれ育った在日2世として、朝鮮半島にアイデンティティーを持つ選択を敢えてするとします。

日本の社会の中にあり、この国の教育を受け、その文化的伝統に同化しつつも、なお父や母の国への思いを抱き続けることを、日本という国は許すことができないのでしょうか。心理的アイデンティティーの一である国籍を保持しつつ、自分の暮らす国の実効的な国籍を持ち、選挙権を行使することで、自分の属する社会のことを真剣に考えることが可能となるのではありませんか。

益々、外国人が日本に暮らす(一定程度の)移民受入国となるにつれて、日本国籍を保持しない外国人の集団が増えるなら、その人達は国に代表を送っていないのに、その法の適用を受けるという集団を、ひょとすると日本の社会的決定や政治に無関心な集団を、大きくしてしまいます。

公のこと、「祭り」に参加することが、定住者自身の社会への参加であると感じられ、定着と同化を自然に促すことで、その社会の統合が図られるのだと思います。

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