国際法違反に対する対抗立法-元徴用工裁判 ― 2019年07月20日 15:34
半導体材料などの韓国向け輸出規制の厳格化については、前のブログで扱いました。日本政府は、表向きは元徴用工裁判とは直接の関係がないとしていますが、その他の問題を含めた韓国政府の対応により、信頼関係が損なわれたことを背景とすると説明されています。
元徴用工が損害賠償を求めた民事裁判が確定し、その強制執行手続として、日本企業の財産が韓国内において差し押さえられているのですが、原告団が換金手続に移行するよう裁判所に申し立てました。日本企業側の財産が、競売により換金され、被害者に分配されるということです。これに対して、韓国国内法に基づく、法執行が日韓請求権協定という国際法に違反するとして、日本政府が強く抗議し、国際仲裁を要求しています。韓国政府が仲裁に応じないので、国際司法裁判所への提訴が検討されています。
実際に、判決の強制執行があり、日本企業に実際の損害が発生した場合、日本としては次の対抗的措置を考慮しています。日本が外交保護権を行使して、韓国国内で損害を被った企業の損害の回復を図るというものだと報道されています。まだ、このことについて、詳細を承知していないので、外交保護権の行使とは異なりますが、国際法違反の外国国家の行為に対する、日本の最初の対抗立法について、紹介します。アメリカの国内通商法が問題とされました。
1,1916年アンチダンピング法
1916年アンチダンピング法は、アメリカ国内法で、貿易上のダンピング行為によって被害を受けた者が、ダンピング企業に対して賠償金を請求可能とする法律でした(2004年廃止)。過料、拘留などの刑事罰を含みます。原告は、一企業でも良いのですが、損害賠償を認められるためには、加害者(ダンピング企業)側に、アメリカの国内産業に損害を与える意図が必要です。そして、私人が、相手方企業に対して、実損害の3倍の懲罰的な損害賠償を請求できます。
この法律に基づき、1997年及び98年に、日本及びヨーロッパの企業が高額の損害賠償を請求されました。アメリカの製鉄会社が、アメリカ国内の輸入者、特に、外国企業子会社を相手取り、1916年法に基づき、損害賠償請求を行ったアメリカの国内裁判です(ジュネーブ・スチール社事件、及びホイーリング・ピッツバーグ・スチール社対日本商社(三井物産、丸紅、伊藤忠の米国子会社)。
80年代から90年代に巻き起こされた鉄鋼業の熾烈な国際競争を背景に、殊に、90年代半ばに鉄鋼の国際的な余剰を生じたので、アメリカが国内鉄鋼業を守るために、輸入鉄鋼に対して、ダンピング税を課していました。WTO上も、不公正なダンピングを行う外国企業に対して、国家がダンピング防止税を課することは認められています。ここでの問題は、アメリカの関税ではなく、1916年法が、私人がダンピング企業に対して、懲罰的な損害賠償を請求できるとする点です。上記の裁判は、外国製鉄会社が製造した鉄鋼をアメリカに輸入した、外国企業の米国子会社である輸入者に対して提起されました。
この1916年法がWTO協定に違反するとして、日本及びEUはWTOに提訴し、2000年9月には、上級委員会の報告書が紛争解決機関において採択され、1916年法のWTO協定違反が確定しました。WTO協定(ダンピング防止協定)が、協定に規定する厳密な要件と、厳格な調査手続に基づき、ガットの規定する効果、すなわちダンピング・マージンを最大限とするダンピング税を賦課することのみを認めているのであり、私人による民事請求により、3倍額賠償を認める1916年法自体が、WTO協定に違反しているとされました。アメリカ国内法が国際法であるWTO協定に違反するとされたのです。
アメリカは、2001年12月末の、WTOの是正勧告の履行期限を過ぎても、1916年法を廃止していませんでしたので、勝訴国に対抗措置が認められました。この点が、多くのWTOという国際法の特色のある所です。国内裁判であれば、強制執行などを通じて、裁判所によってその判決を強制的に実現してもらえるので、国内法を遵守させる制度が完備されていると言えるのですが、国際法の場合、国際法に違反している国に対して、その法を遵守させる方法が一般に限られるのです。ところが、WTO提訴によりWTO違反が確定すると、違反国はその是正を命じられ、是正勧告が適切に履行されないときに、WTOにより承認されると、対抗措置が可能となります。例えば、対抗的に、違反国からの輸入品に対して、WTO上譲許している以上の加重的な関税を賦課するなどのことができます。
日本は、2002年1月に、WTOの紛争解決機関に、対抗措置の承認を申請した。これは1916年法と同様の内容を持つ「ミラー法」を日本も制定するとするものでした。これに対して、アメリカが、対抗措置の規模・内容に異議を唱え、その後、2002年3月に、1916年法の廃止を行う方向での日米合意が成立しました。EUについても、2004年2月に、EUに対抗措置が認められました。1916年法のような既得権に関わる国内法を廃止する国内手続には時間がかかるものです。漸く、2004年12月3日、合衆国議会により廃止法案が通過し、1916年法が廃止されました。
アメリカの国内通商法がWTOに違反するとされ、WTO上、対抗措置まで認められたのであり、その結果、アメリカがその国内法を廃止したという画期的な事件でした。日本とEUによるアメリカ包囲網が奏功した形です。WTOにおいて、アメリカは結構、敗訴しています。
しかし、1916年法には、遡及効が認められていませんでした。遡及効というのは、廃止時点から遡って、廃止前に提訴された事件にも、その効果が及ぶというものです。このことが特に日本には重要でした。日本政府は、この間にも、1916年法に基づく訴訟に日本企業が巻き込まれ、多額の損害を被り続ける事態が継続していたことを問題視していたのです。後述のように、2000年3月には、東京機械製作所他の日本企業が1916年法に基づき提訴されていたのです。1916年法の廃止法に、遡及効が規定されることで、この事件にも適用され、日本企業が1916年法に基づき、3倍額賠償を請求されることを阻止しようとしていました。
WTO上の紛争は、国際的なフォーラムにより、国際法であるWTO協定を適用して裁定されるのですが、以下では、国内の裁判所が国内法を適用する国内事件のお話しをします。
2,ゴス社対東京機械製作所-米国事件
アメリカ企業であるゴス・インターナショナル・コーポレーション(ゴス社)は新聞印刷用の輪転機の製造及びメンテナンスを行う企業です。このゴス社が2000年3月に米国裁判所に提訴した事件です。
輪転機の外国製造者及び輸入会社が、外国で製造された輪転機及び付属品について、アメリカ国内において不法にダンピング販売を行ったとして、日本及びドイツの製造者及び米国の輸入子会社を訴えました。日本の製造者には東京機械製作所(東京機械)が含まれます。
東京機械が敗訴し、2004年5月、アイオワ連邦地裁は約3162万ドルの損害賠償および、約350万ドルの弁護士報酬を確定しました。ゴス社による1916年法の下での提訴以前に、合衆国政府による、ダンピング調査が行われ、1930年関税法に基づく関税が被告らに課せられていたのですが、それ以降もダンピングが継続していたとされました。これに対して東京機械側が控訴したのですが、2006年1月に第8巡回区控訴裁判所でも、控訴棄却の判決が下されました。
連邦控訴裁判所によると、ゴス社というのが、アメリカ国内の新聞輪転機産業における唯一の製造者であったので、ゴス社に損害を与える、または、ゴス社を破壊する意図を有するということで、米国の新聞輪転機産業に対する、損害を与える意図、ないし破壊する意図を有すると言える。そして東京機械はダンピング価格で販売していたので、ゴス社は、これにより新聞社との契約を失い、また、これに対抗するために価格を下げざるを得なかった。これにより、損害を被ったのであると、されました。
控訴審の係属中に1916年法が廃止されたのですが、廃止の遡及効が規定されていなかったため、上記のような結果となったのです。裁判所は法解釈が任務であり、アメリカの法に従う外はなく、外国の政策に従うことはできないとしました。
3,対抗立法
この間、アメリカの1916年法により、自国企業に損害を生じる恐れがあるため、日本及びEUが1916年法に対する対抗立法を成立させました。EUが、2003年に、ドイツ企業が提訴されたことに対抗して、1916年アンチダンピング法の損害回復法を制定していたのです。日本でも、2004年12月に、損害回復法が公布、施行されました。
日本の損害回復法は、日本で最初で、これまでのところ最後の、対抗立法です。従来より、アメリカの輸出管理法の域外適用を巡り、ヨーロッパ諸国が対抗立法を制定していました。経済的法規制を巡る、アメリカとヨーロッパの抗争は以前からあり、ヨーロッパの国が、アメリカの経済法規制対する恒久的な対抗立法を制定する例があります。日本の損害回復法は、廃止された1916年法に対するものなので、この意味においても時限立法というに相応しく、実質的に東京機械という日本の一企業を救済するための法制定とも言えます。
日本の損害回復法は、正式名が「アメリカ合衆国の1916年の反不当廉売法に基づき受けた利益の返還義務等に関する特別措置法」です。次の2点について規定しています。
一つ目が、1916年法に基づき訴訟の被告として賠償義務を負った日本の企業が、原告のアメリカ企業に対し、訴訟により被った損害の回復を請求することができるとする損害回復請求権です。アメリカ企業が得た利益に、利息を付して返還することを請求できるとするもので、訴訟準備等の損害、弁護士報酬の支払いによって損害を被ったときは、その損害の賠償も請求できるとされています。また、その企業の100%親会社及び子会社にも、これを請求できる、とされているので、アメリカで訴訟を提起した企業の、100%親会社や子会社が日本にあるときは、その企業に対しても請求できます。
二つ目が、アメリカ判決の承認・執行の拒絶です。1916年法に基づくアメリカの裁判所の判決について、わが国における効力を否定するという規定です。以前のブログでも触れているのですが、このような規定がないと、日本の裁判所で1916年法に基づくアメリカ判決の承認執行が認められ、日本企業に対して強制執行が可能となり得ます。外国判決承認執行制度です。日本で承認執行を拒絶できる法的根拠は他にもあるのですが、この対抗立法により、迅速かつ確実にこれが可能となります。
4,東京機械製作所対ゴス社事件-日本事件と、米国事件余録
日本の事件は当時の新聞報道に基づきます。2006年の6月5日には、合衆国連邦最高裁が上訴を受理しないことを決定したので、東京機械側としては、アメリカ国内において、裁判上の対抗手段が尽きてしまいました。そこで、東京機械は、ゴス社に対する、賠償金約44億8千万円を支払いました。東京機械は、これを特別損失に計上し、2006年4-6月期の連結業績が、52億円の赤字となったそうです。
その後、2007年に、東京機械製作所は、賠償先のゴス社を相手取り、「損害回復法」に基づく訴訟を、東京地裁に提訴しました。東京機械は、損害回復法に基づきアメリカでの損害を取り戻し、特別損失を穴埋めする考えであったようです。
ところが、ゴス社が、合衆国連邦地裁に対して、日本の損害回復法に基づく日本訴訟の差止命令を求め、これが認められました。外国訴訟差止めというのは、英米法に特有のもので、嫌がらせや不便な外国での提訴ないし訴訟の継続を、アメリカ国内裁判により、相手方当事者に禁じるものです。訴訟差止命令に反すると、法廷侮辱罪という刑事犯罪に問われる強力なものです。
東京機械側は、この訴訟差止命令の破棄を求めて、連邦控訴裁判所に上訴し、日本政府も法廷の友として、これを支持する意見を提出しています。「訴訟差止命令は、国際法違反の措置により被った私人の損害に対してわが国が提供した救済措置を無効化するものであり、国際礼譲の観点からも破棄すべきである」と、しています。控訴裁判所はわが国の主張を受け入れて、わが国訴訟の差止命令を破棄しました。
同社ホームページによると、その後、日本の訴訟は和解により解決されました。東京機械が、何らかの利益を得たものと想像できます。
5,元徴用工裁判に対する対抗?
1916年法に対する損害回復法が、私企業と私企業の間の、係属中の民事裁判に焦点を合わせて、国際法に反する措置に基づき、外国における裁判で賠償を命じられた日本企業が、日本国内でその賠償を取り戻せるというものでした。相手方の外国企業が、損害回復を求めるわが国の裁判に応じることが前提であり、かつ、外国企業の財産がわが国に存在するのでないと、実効性がありません。
この点で、元徴用工裁判では、第二次世界大戦中、日本の占領下にあった朝鮮半島で徴用された人々が原告となっています。韓国訴訟の具体的な内容について、詳らかではないのですが、未払い賃金や過酷な労働条件に基づく身体的傷害などの賠償が問題となると予想されます。私人間の、契約ないし不法行為に基づく私法上の問題です。上のような損害回復法が可能か、については多分に疑問のあるところです。元徴用工事件の原告団が資力の乏しい被害者らであり、他方、被告となった日本企業は、韓国内でも利潤を獲得している多国籍企業である大企業です。日本において、元徴用工原告団に対して、その賠償の取り戻しを認めるというのは、理論的には可能であるとしても、実効性においても、正統性の見地からも問題があります。
ところで、私人間の請求についても、日韓請求権協定において解決済みであるとするのが日本の立場です。以前のブログで述べたように、筆者もその見解を支持しています。純粋に、同協定の解釈上の問題として、国際法解釈の通常の解釈手順に従い、そのように結論されると考えるからです。憲法を含めた韓国国内法に基づき、韓国裁判所が賠償請求を認めるとしても、わが国は、これが国際法違反、具体的には請求権協定の違反であるとする主張が可能です。
韓国政府が三権分立を盾にとるようですが、私人間の請求を含めて日韓請求権協定において解決済みであるとする従前の立場を踏襲するなら、国際法遵守義務に基づき、韓国憲法にも則り、国内法を整備するなどの方法により、対処可能でしょう。裁判所はそのような国内法に拘束されます。
わが国において、損害回復法の立法が可能でないとすると、国際法違反の国家行為としての、日本企業に対する強制執行により、日本企業に損害が発生した場合に、当該国に対する損害賠償請求を、日本国が自国民のために、韓国政府に対して求めるという外交保護権の行使が考えられます。あるいは、通常の民事訴訟として、日本企業から、韓国政府に対する損害回復を可能とする立法措置が有り得るかもしれません。もっとも、これについては、検討すべき点があります。
次回、更新は、8月3日ごろを予定しています。
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