続・50男と14女の関係?2021年07月20日 22:40

 前回のブログでは、同じ論題で、リベラルに蔓延る非犯罪化の教条主義とフェミニズムの教条主義のいずれも誤りであることを指摘しました。今回はその続編として、本多議員の発言の問題を具体的に検討します。

 私は刑法の専門家ではありません。必ずしも刑法学者と同じ視覚からの議論ではないので、一般の方に分かりやすく、面白いかもしれません。

 「50代の私が、14才の女性と恋愛に落ちることを、犯罪として良いか」という趣旨の発言を巡り、立憲民主党の執行部が、議員本人の趣旨説明と陳謝を受け入れず、党の懲戒委員会に懲戒処分の諮問を行いました。本多議員は、中年男性から未成年の女性に向けられる視線といった類いの問題ではなく、刑法改正の議論において、実感を持って非犯罪化の方向で議論したかったとしています。

 次回総選挙における党の公認内定取消し、更に、1年間の党員資格停止の処分を下すということです。本年秋に予定される次回選挙での当選が見通せない限り、議員生命を断つというほどの重い処分です。新聞記事によると、幹部らが本人に「出処進退を明らかにする」ことを迫ったにも関わらず、本人が受け入れなかったため、処分に踏み切ったようです。

衆議院議員本多平直氏の公式サイト (https://www.hiranao.com/
朝日新聞の記事「立憲、本多氏の公認内定取り消しへ 性交同意巡る発言で」(https://www.asahi.com/articles/ASP7F3JHWP7FUTFK008.html)。

 弁護士を含む第三者を委員とする「ハラスメント防止対策委員会」というのは、党内および党周辺におけるハラスメント案件について、告発を含めて対策を行うための、党から独立した常設の委員会であるとされています。同委員会から、この問題についての調査報告書が発出されました。

 調査報告書をまとめた委員会の委員長が労働ジャーナリストの金子雅臣氏(一般社団法人職場のハラスメント研究所所長)です。調査報告書は長文であり、独特の専門的用語を用いた難解なものですが、簡単には、次の毎日新聞の記事で概要を知ることができます。また、立憲民主党幹事長の記者会見で、調査報告書の内容がやや詳細に紹介されており、これを受けた処分について説明されています。

毎日新聞の記事「本多平直氏「同意性交」発言 立憲、調査報告書で言動を強く批判」(https://mainichi.jp/articles/20210714/k00/00m/010/009000c
立憲民主党「福山哲郎幹事長記者会見2021年7月13日(火)」(https://cdp-japan.jp/news/20210713_1800
なお、立憲民主党プレスリリース「「誠心誠意、実現をしていきたい」ハラスメント防止対策委員会「調査報告書」を受けて、福山幹事長」 (https://cdp-japan.jp/news/20210713_1792)。

1,認知の歪みとされるものと、本多議員の失言の関係

 まず、日本の文化の中には、男性支配の構造が今なお厳然として存在しています。「男が外で働き、女が家を守るという分業の発想」が、多くの仕事の場において、職員数や権限の質的な差を生んでいます。女子差別撤廃条約への加入を受けて、男女雇用機会均等法が制定されても、もちろん社会的発展の胎動が基底として存在したには違いないとしても、法の制定だけでは、文化というものはそう簡単に変わるものではありません。

 高等教育を受ける機会を提供することについて、送り出す家庭にしても、受け入れる教育機関にしても(奉職先は国立大学なのでないが、)今なお男女の扱いに相違があり得ます。折角入った大学にしても、卒業時には、多くの企業が採用上、男女の差を設けているのは周知の事実です。必然的に、数と権限において圧倒的に強い男性集団に囲まれた女性労働者という構図を生じるのです。増えつつあると言っても、まだまだ女性管理職の数は限られます。職場の上司たる男性と部下である女性の間の権力関係を利用した性的搾取が行われやすい環境があるわけです。学校という教育の場において、教師と院生・学生・生徒、あるいは体育部監督・コーチと部員の、絶対的な権力関係が利用されることがあります。

 このようなとき、権力関係の中での少なくとも半強制的な状況における性被害が、曖昧な意味合いを持ってしまうことがあります。そして男性集団の中で、被害者たるべき女性をむしろ非難の対象として貶めることもまま見受けられるところです。一般に、年齢差に基づく経済力や経験の差を含めて、これら全てが「力」による弱者の性的搾取を生む可能性を孕むのです。

 日本におけるこの男性優位の社会構造に気付かぬ事を当該男性の「認知の歪み」と言うようです。ジェンダー論には疎いので、調査報告書を読むまで知らなかったのですが、憲法を学ぶと明確に自己および他者の人権意識が確立されます。ここでの記述は、他者の感じ方を思いやる感受性が法の解決をこころざすための前提となるといった観点からのものです。

 人は生い育った文化に規定されます。家庭、学校、地域社会、書物や雑誌、それに映画などの映像作品の全てから影響されます。社会に差別意識があれば、その社会に生まれ育った者はその差別意識を空気のように身に纏い、なかなかその存在に気づきません。

 技術者である下級公務員をしていた父がそうでした。「男はどういうもので、女はどういうもので、父は、子は・・・」。被差別者に対する侮蔑の表現を、少なくともプライベートな場では、厭うこともしません。戦中、戦後に幼年期から思春期を過ごした父の時代の風潮に規定されていたのです。私はそのような言動を否定しますが、だからといって父を軽蔑しません。どこにでもいる普通の男性です。しかし、その視点がおかしいと言っても全く理解されません。それが「常識」だからです。むしろ、お前が間違っていると怒鳴られるだけです。

 時代は進展しました。社会や文化もその当時よりは発展したことでしょう。上述した法が立法されて、政府により女性の社会参画が叫ばれ、実際、社会のあらゆる分野に女性が進出しています。しかし、ご承知のように日本のジェンダー指数は先進国とは言えないような体たらくです。

 女性管理職を増やすためには、社会意識に働きかけ、ともすれば女性の高等教育に消極的になりがちな家庭に対して、経済的支援を充実させることで、女性に対する高等教育の機会を充分提供することと、就職差別をなくすことが重要です。企業の門戸を広げさせ、その上で、管理職の数値目標を設定するアファーマティブな人権政策が必要だと思います。議員候補者のクォーター制などの試みも是非、実現してもらいたいものです。いずれは議員定数の一定割合を女性とする公選法改正もあるかもしれません。

 話を元に戻しましょう。時代が変わり、文化も変わりつつあるとしても、また、上述の男性による「権力」の構造を意識しようとしていても、言葉の端に従前の文化に引きずられた表現が現れてしまうことがあります。それほど、自分の受けた学校、家庭の教育や基底的な文化の影響は大きいはずです。その言の端を捉えて押し並べて、そのいう「認知の歪み」に気付かず、伝統文化を押し付ける高齢男性集団と、これもまた類で捉えて差別されても堪りません。

 立憲民主党の対応やその誘引となったフェミニズム論者が、「あっ、しまった」と、本多議員が表現の稚拙さを詫びているのに、一方的に本質的「歪み」の輩だと決めつけ、議員生命を絶つべきだとしている点に違和感があります。その「歪み」が本当になかったかについてはよく考えてもらうべきだけれど、余りに性急ではないでしょうか。私は余り詳しくはありませんが、本多議員がこれまで国政で果たしてきた実績にも目を向けてみる必要がありそうです。党幹部として、立憲民主党の基本的な政策の策定に関わり、その実現に奔走していたのではないでしょうか。そうすると、例えば、議員クォーター制なども入ります。

 性交同意年齢を巡る、党の公約策定段階における党内議論の場で失言があったというのですが、先の調査報告書によると、その真意において「認知の歪み」があることが疑われるとしているだけで、これが処分理由にはなっていません。刑法改正を巡る党内議論の場において、多くの場合に威圧的で、外部からの講師に対しても、恫喝まがいの態度を感じさせた。これが通常の法的な定義とは異なるが、いわばパワハラに相当する。そして真意はどうであれ、あの不用意な発言が党の信頼を損ねる危険がある。以上が処分理由の全てです。

 上述のハラスメント防止委員会の目的からして、その調査内容に限界があるのは当然でしょう。私は、この言動から、直ちに議員としての死刑宣告まで行ってしまうのは、処分の相当性を欠くように思えてなりません。実際に何らかの性犯罪を遂行したとか、不貞行為があったというのではないのです。

 これでは、ジェンダー平等を掲げる政党が支持者を失わないために、選挙向けの宣伝のため、拙速に処分をしたという印象を与えるでしょう。実際、福山幹事長が厳重注意という軽い処分を下した後、フラワーデモの関係者から鋭い批判を浴び、一転して厳格な処分を行ったという迷走が、このことを示します。


2,法制度の弊害と優先すべき利益

 法は、対立する多様の利益の衡量を行い、最も上手い均衡点を探求するものです。各々の利益の観点から、異なる結論に至る対立する主張を付き合わせて、調和点を求めようとします。本多議員は激しやすいようですが、このような複数の利益の内の一方の主張を行っただけでは無いでしょうか。この点、性交同意年齢の論点に則して私見を述べます。

 結論的には、上に述べた権力構造を前提に、弱者保護を図る一環として、性交同意年齢の引き上げに賛成です。理由を以下に説明してみます。

 法制度には弊害が付き物で、何の利益を優先するかの選択が必要となります。最近の例では、児童相談所を巡る問題がありました。

 児童虐待が疑われると、緊急的に一時預かりの処分を下し、その親から子を引き剥がさなければなりません。児童虐待か否かの判断が困難な事例がままありますが、慎重になりすぎると、子供の命の危険にかかわります。他方で、虐待ではなかった場合、子は、その発達の重要な時期に、家庭環境から引き離され、親の養育を失い、親もその権利を侵害されます。子のSOSを看過し、傷ましい虐待死を招いた重大事件の後、児相が一層、保護処分相当の判断に傾く傾向があるようです。この場合、子の命への危険を一層、重視するなら、良き親から子を奪う結果となるときに、子の福祉の観点から問題を生じます。

 子供の長い髪の毛が首に巻き付いた跡を、虐待による傷跡と間違ったために、実際、このような弊害を生じた事件があったのです。幼い子の養育のための、かけがえのない時間をその子と親から奪ってしまう結果となりました。子の命の危険を避けるべきは一刻の猶予もありません。しかし、家庭養育による子の福祉の増進を失う可能性もあります。どちらを優先するべきでしょう。

 さて、性交同意年齢の問題です。真の恋愛は通常、刑事事件化しません。愛し合っている相手を犯罪者にしたいとは誰も思わないでしょう? 刑事事件となるのは、ア)最初から犯罪で良い援助交際や強制性を伴う性交の場合か、イ)第三者が問題視した場合、そして ウ)最初は恋愛感情によるものであったのに、後になって若年者の方が翻意したような場合でしょう。

 刑法典に書き込まれたときに、その年齢に至らない若年者とは性交が許されないという規範が成立します。ア)の事例は当然だが、イ)や、ウ)の事例ではどうでしょうか。イ)の場合、当人同士が恋愛関係にあり、愛情の発露としての関係であったとしても、当事者の保護者やあるいはその他の第三者が通報すれば、成人の方が犯罪に問われることになります。法定レイプです。

 個人の自由意思の範疇に国家が介入し、不当であるようにも思えます。しかし、立法が成立するなら、成年者の方が、相手がその年齢になるまでは、抑制するべきだという規範が確立することになります。真の恋愛であればこそ、例えば16才という、その年齢まで待てないのはおかしいでしょう。また、実際には、警察の捜査裁量、検察の起訴裁量にかかる範囲も相当あるので、示談で解決される場合もあると考えられます。
 
 法制度には弊害がつきものであり、この場合に何が優先されるべきかと言うと、ア)の場合の若年者保護という事になります。この限りで、特にイ)やウ)のときに、国家が個人の自由意思の範囲に介入する余地は増すが、若年者側に訴追の決定権という権力を与え、権力構造の偏りを少し解消するのです。権力関係から半強制的に、あるいは判断能力の劣る者の同意を強いる状況で性交に至る若年者を一層、保護するわけです。

 一般的には、若年女性の保護が念頭に置かれているので、1に述べた男性集団と女性の権力関係を是正するという意味でフェミニズムに関係し、ジェンダーの議論となります。しかし、性交同意年齢の引き上げに関する刑法の改正論議は、男女の関係は必ずしも固定されず、成人女性と若年男性の関係や同性間の関係も規律するものです。いずれにせよ、若年者という意味で、権力のある者と弱者との関係において、定型的な弱者を保護する議論なのです。

* 7月28日に、本多議員が自ら離党し、比例区候補の筋を通すとして、衆院議員も辞職しました。