三島由紀夫と全共闘ー右翼と左翼2020年03月22日 21:04

新型コロナの感染者が多く報告される大阪に来ています。愛媛県知事が愛媛県は未だ感染地域とは言えないと言っていたので、非感染地域から感染地域?へと移動したので、少々神経質になっています。外に出ると、何かに触る度に手を洗いたくなるし、レストランでも出されたウェット・ティシューでテーブルを拭きます。近くの人がマスクをせずに、くしゃみや咳をしていると逃げ出したくなりますね。しかし、どうしようも無い用件があるから仕方がありません。そもそもこの地で生活をしている人々は、平気でいるのですから。戦争をしている国の市民がそれでも普段通りに生活はしなければならないのを、戦争していない国から見ると、さぞかし大変だなぁと思うようなものかもしれません。

1、映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』と学生運動

映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』が公開中です。

1969年、学生運動に参加する学生らと、作家・三島由紀夫との討論会が東大のキャンパスで行われました。全共闘に参加する学生らが企画したものです。その記録映画です。

「右と左。思想の異なる両者がぶつかりあう言葉たち。時に怒号飛び、時に笑いが起きながら、会場を圧倒的な熱が包み込む」。(竹内明「“右と左”の直接対決 三島由紀夫vs東大全共闘「伝説の討論会」、いったい何が語られたのか?」 より。文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/36746

日米安全保障条約締結時の60年安保闘争、10年後の同条約延長をめぐる70年安保闘争と言っても、若者たちには良く分からないでしょう。学生の政治運動が「バリケードと角棒」を用いた暴力による大学封鎖に発展しました。学生活動家が機動隊と対峙していたのです。

昨年激化した香港の民主化運動(逃亡犯引渡条例の改正への反対運動)を思い出すと、ちょうどそのようなものなので、イメージしやすいでしょう。

前述の三島由紀夫との討論会があったのは、学生の立てこもる東大安田講堂に機動隊が突入して、強制的に大学封鎖を解除した後、4ヶ月という時点です。上の記事によると、会場には1000人の学生が詰めかけていたそうで、学生運動の熱気が感じられます。

それから10年後、私の学生時代、学生運動はもはや下火ではありましたが、その残り火が身近に感じられもしました。大学の構内を、ヘルメットにマスク姿の10人程度の集団が、角棒を持って練り歩くのを、時折、見かけたものです。1回生のとき、あるサークルに所属していた同級生が、「搾取」、「搾取」という言葉をやたら連発しながら、ほとんど親しくもない私に向かって、「誰も分かっていないんだ」と熱っぽく語っていたのを思い出します。サークルの先輩が背後に居て、資本論の研究会に参加を呼びかけていました。私自身を含め、多くの学生が「搾取」という聴き慣れない術語を聞いて、怪訝な感を抱き、そのような活動に無縁であったようです。ヘルメット集団とこのサークルとは関係がないのですが、何となく連想してしまうので、この同級生を避けていたように思います。この頃には、既に、ノンポリという言葉が一般化していました。

現在、大学教員となって、学生らを見ていると、国際経済法や国際取引法という法分野を学ぶ学生であるからかもしれませんが、政治的活動に対して、消極的に無関心であるというより、むしろ積極的に「政治活動」から距離を置こうとしている態度を感じます。何やら、得体のしれない危なっかしいものという風に感じているようです。

このことは私の属する大学だけではなく、相当程度に、一般的なのではないでしょうか。一斉を風靡し、ファッションにもなった、左翼思想が若者の間で最近はあまり流行らないのです。全共闘? 全学連? 革マル派? 内ゲバとか、怖そうだし。但し、私は、政治思想の専門家ではありませんので、学生運動を正確に区別してお話をしているのではありません。現在まだ活動する学生運動の大部分が、暴力主義的な運動とは一線を画するものであるとされます。


2、三島由紀夫のこと

文学や政治思想の専門的知見というより、私の個人的な思い出を書いておきます。高校生のとき、純文学にしか価値を見出せなかったので、純文学の小説を乱読していました。無数の詩作など、たわいもないものですが、そういった生活を送っていた典型的な文学少年でした。そのころ、強烈な印象をもったのが、三島の小説です。『金閣寺』に衝撃を受けて、三島の政治思想なんか全く知らずに、幾つかの小説を憑かれたように読み耽っていたことがあります。

その後、大学に入ってから、彼が右翼の思想家であり、自衛隊員の前で演説をした後、割腹自殺したこと、筋骨隆々の褌姿の写真、それにゲイであったことを知ったのです。小説からは窺い知れず、それはもう驚いたものでした。

全共闘学生らとの討論会は、三島が自殺する直前の時期に開かれたものです。前述の記事によると、三島と学生らが理知的に、笑いを交えながら、長時間の討論を行ったのです。

右翼の政治思想にも疎いので、三島由紀夫の思想的系譜や、反米主義とも親米主義とも結びつく「正統」右翼の諸団体との関係を分析することはできません。しかし、この討論会が、よく考え、練られた政治思想としての、左翼と右翼の実に興味深い議論であったことは想像に難くありません。

決して妥協することのない、従って、結論的に根本的な同意を予定しない議論が、しかし、互いの理解を深め、あるいは影響を及ぼし得る、民主主義の基底をなすものであることは指摘しておきます。このような議論は相手を打ち負かすことのみを目的とするディベートとは異なります。法廷で実務家たちが繰り広げる議論や、選挙に際して行われる政治家の討論は、多くの場合にディベートです。これも目的にかなった必要悪ではありますが、区別する必要があります。


3、「右」と「左」

政治的な意味で、左翼とか右翼という場合、上のような学生運動が盛んであったような時代、冷戦期において、社会主義・共産主義と反共主義を指す場合が多かったのです。特に、ソビエト連邦の崩壊は、マルクス・レーニンの、ユートピアである社会主義の理想が、現実の国家としては存在し得なかったことを明らかにしました。そこで、冷戦終結とともに、リベラルという政治思想が不要となったという主張があります。そこでいうリベラルというのが、社会主義あるいは社会主義に多分に好意的な政治的立場ということになります。特に、冷戦下、社会主義国家の建設と、ソビエト連邦を頂点とする社会主義陣営に与することを目指す立場です。

アメリカにも保守対リベラルの対立があるのはご存知でしょう。アメリカは共産主義を非合法としています。そこでリベラル派とは大要、民主党の政治家を指します。オバマ元大統領が国民皆保険制度を創設した政策を、保守主義者は社会主義と呼んだりしますが、上の意味のマルクス・レーニン主義と異なることは自明です。今年の秋に行われる大統領選挙に向けて民主党候補者を選ぶ選挙が行われています。バイデン議員が中道であるのに対して、サンダース議員は自らを社会民主主義者であると呼びます。

アメリカの健康保険制度は、高齢者と生活困窮者向けの社会保険的な給付が元々あったのですが、それ以外の国民は、民間の保険会社から保険を買う必要がありました。民間企業である保険会社が健康保険の適用範囲を狭く認定しがちで、著名なクラスアクション(集団訴訟)に発展したことがあります。それでも、これが、税金に頼らない自由競争を信奉するアメリカ社会の伝統であるとして、皆保険制度に対してはテイーパーティー運動などの極めて激しい反対運動が巻き起こりました。このオバマ・ケアを維持ないし発展させるとすることや、大学の無償化、学生に対する多額の借金となっている奨学金の減免などを、公約とするサンダース候補が、これに反対するトランプ大統領から「社会主義」と呼ばれるのです。しかし、それでは現在の日本の健康保険制度や大学無償化への流れが、社会主義であることになってしまいます。

ここで、分配的正義による市民相互の平等に一層価値を置く立場と、自由競争に基づく社会全体の富の蓄積に重きを置く立場とは、今でも有効な対立軸です。日本の野党のいう格差是正と平等の実現か自民党の自由競争を重視する政策かという対立によく即しています。もっとも、現実の政策は、いずれの方向性も絶対ではなく、その対立軸の中のどの辺りに線を引くかという、相対的なものです。そして、どちらかというと社会の底辺にある生活困窮者の救済に力点を置くのが、野党であるとは言えるでしょう。日本の与野党の政策対立は、アメリカの保守とリベラルの相違ほど歴然としてはいませんが、確かに、これに対応するようです。

また、個人の尊重と自由主義と、国家公共の利益とのいずれを優先するかの対立もあります。もっとも、これもいずれも絶対の価値ではなく、個々の問題ごとに、その価値対立の座標軸上に均衡点を穿つ必要があるので、その均衡点を幾分右にずらすか、左にずらすかの相違でしかありません。憲法自体に、個人の人権保障と公共の福祉との対立と調和が公理として組み込まれています。個人の国家からの自由を重視し、国家が介入することを嫌う傾向と、むしろ国家公共の価値を重視する傾向の対立であり、前者は、一層、多様性と自己決定の尊重に結びつきます。前者がリベラルであり、後者が保守であると、一般的には言えるでしょう。

全共闘対三島由紀夫の時代の、左右の対立など、それ自体はもう影も形もありません。そのような過去の亡霊のような価値体系と結びつく左や右という言い方は、誤解の元となり、今や全く不要です。何故か、日本の各野党がリベラルを名乗りたがりません。リベラルの名を捨てたような感さえあります。しかし、保守と対立する軸としての、政治思想を上手く名付けてもらわなければなりません。保守が従来からそう変わらないものであり得るとすれば、「伝統ある」リベラルの名を生かしてもらった方が分かり易いです。しかし、これを誰もが分かる様に再定義する必要があるでしょう。

もっとも、保守主義にも、次の様な用法があることに注意しなければなりません。第二次世界大戦前の戦間期の各国において、上述の意味における左右の対立が激化しました。ことにドイツは多額の戦争賠償に喘いでいた時期があり、また大恐慌後の不況をなかなか乗り切れないなか、生活に窮した市民が、革命思想に導かれた全体主義としての左右の両極端の政治的主張のいずれかを支持したのです。その結果、ドイツ国民は、ナチスの台頭を許し、未曾有の惨禍をもたらした世界大戦とホロコーストを招きました。この戦間期において、保守主義の次の効用が説かれたのです。

革新的思想に対して、保守主義が漸進主義によることで、社会の振り子を極限まで振り上げることなく、中庸を行くことによりその振り幅を適正に制御できるとします。

私は、社会の中の限られた知識人に社会運営を任せておけば上手く行くというエリート主義が行き過ぎることを好みません。良き大衆主義(ポピュリズム)は、一部の者が大衆を扇動するということではなく、適切な情報提供と徹底的な議論により、大衆の賢慮を引き出すことであると考えます。その上で、その結論に従うという姿勢です。少数者・弱者の保護は、現行憲法の重要な原則であり、大衆の賢慮の一部であり得ます。

現代の学生が、政治に無関心であるという主張は私の学生の頃より多数説でした。しかし、集団的自衛権をめぐる学生団体「SEALDs」の活動は比較的最近のことです。この活動が、上述のような学生運動とは全く異なる新しい若者の政治参加の方法でした。合法的なデモと、報道機関への明確な自己主張、意見の一致する政治家との協調行動です。マスコミや政治家をも巻き込んだ非暴力主義的なものです。ヘルメットに角棒ではなく、カッコ良い黒シャツをユニフォームとして、ラップを用いた分かり易い政治的宣伝など、斬新なスタイルも際立ちました。

憲法を守るために、集団的自衛権へ向かう法改正を阻止しようとして、選挙での多数を獲得するという一個の政治目的のためにのみ、それが組織され、目的達成か否かに関わらず、選挙後、間も無く解散したのです。私自身は、この問題も大衆の賢慮に委ねるべきであると考えます。具体的には、憲法改正国民投票によるということです。しかし、若者の政治活動のあり方として、ブレークスルーとなったことは間違いなさそうです。

最初に掲げた映画を是非観てみようと思っています。

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