外国人受入れと同化の強制ー日韓貿易戦争のある側面 ― 2019年11月04日 00:05
その十数年後、私が幼かったころ見ていた番組の中で、特に思い出に残っているのは、「ベン・ケイシー」という若い医師の活躍するアメリカのテレビドラマです。大きな病院の廊下を、白衣を着て颯爽と歩くテレビの中の主人公を気取って、歩き回ったものでした。
当初、日本は、外国映像作品の輸入割当制を取っていて、年間の総上映時間に法令上の上限がありました。わが国のテレビ放送産業にとって、自主制作作品の数が限られていたので、極めて貴重なコンテンツだったはずです。輸入割当制は、映画やドラマ作品のフィルムの輸入数量の制限です。その理由を推測してみます。まず、戦火によって焼け野原となった日本が、途上国として再出発した、その時代に、輸入品のために支払う外貨が十分に無かったのではないかと考えられます。次に、幼稚産業であった日本の放送産業や、再出発した映画産業を育成する政策が取られたのかもしれません。このことは、日本独自の文化を守り、発展させることにも関わります。テレビのドラマやアニメなどの映像作品や映画は重要な輸出品ともなります。現在でも、ハリウッド映画など、アメリカの映像作品が日本で巨額の収益を上げています。このことは、これらのコンテンツがアメリカの重要な輸出品目であるということも意味します。
韓流ブームに沸く日本で、韓国のテレビ・ドラマや韓国映画が好んで放映、上映されています。他方、日本のアニメ作品である「天気の子」が韓国で大ヒットしているそうです。日本製品不買運動が巻き起こっている社会的風潮の中で、「日本製ビールやユニクロは買わないけれど、これは別」なのだそうです。
そう言えば、戦後、長らく、韓国では日本の大衆歌謡、テレビドラマ、映画等の放映、上映が禁じられていました。日本の植民地政策の下で、朝鮮半島に住む人々は、創氏改名により元の民族名から、日本風の名前に変えさせられました。儒教文化の影響の強い韓国では、今の日本以上に、祖先を大切にするので、祖先に通じる名前を捨てなければならないことがとても辛いことだったのです。また、日本語が公用語とされ、学校では日本語が教えられていました。学校の先生が、「今日からは、ハングルを使うことができなくなった」と言って、日本語による授業を始めたのでしょうか。韓国の人々は、このことを民族の恥辱として記憶しています。一個一個の人の記憶というよりは、社会的記憶として深く刻まれているのです。日本の大衆文化の禁止政策は、戦前の教育のお陰で日本語に堪能な人が多い朝鮮半島を、日本文化の侵略から守るという意味も持っていたのです。ところが、表向きは禁止されていても、隣国である韓国には日本から放送電波の届くところがあり、年末には、韓国に住む多くの韓国人が、あの「紅白歌合戦」を視聴していました。
日本の映像作品を含む大衆文化が韓国内で解禁されたのは相当最近のことです。金大中大統領のとき、1998年の「日韓共同宣言 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」が発表されて以来、漸次、開放されてきました(「日韓共同宣言か20年韓国の日本文化開放はどこまで進んだ?」ニューズウィーク日本版2018年11月28日の記事https://newsweekjapan.jp/stories/world/2018/11/20-57.php)。経済発展が進み、工業製品の一部の輸出では日本を遥かに追い越し、韓国の歌謡や映像作品が、日本だけではなく、アジア圏全体で流行しています。日本の大衆文化の解放は、もはや途上国を卒業した韓国の人々が自信を持ったことの証左です。
平成29年末までの、わが国への観光客の1番のお得意さんが韓国人でした。日本観光一位の座を中国と争っていたのですが、この年には断トツでトップとなっていました。恐らく、韓国でも日本旅行ブームが起きていたのでしょう。しかし、現在、韓国からの観光客は激減しています。よく知られているように、韓国における政治的な自粛運動が原因です。日韓の輸出規制の応酬は経済的戦争の様相を呈しています。観光客の日本旅行は、韓国にとってサービス貿易の輸入に当たります。日本に二度と負けないと大統領が宣言した韓国が、政治的運動の形でこのカードを切ったとも言えるでしょう。民間の人的あるいは文化交流にまで影響を及ぼす方策も辞さないとすれば、経済規模でまだまだ日本に及ばない韓国が、持てるカードのありったけを使って、精一杯に戦っているのかもしれません。しかし、この戦争は自由貿易主義を根本的理念とせざるを得ない国同志の貿易戦争である点が、米中のそれとは様子が異なります。どちらも 自由貿易主義の旗印を下ろすわけにはいかないのです。どちらの国も国際法の根拠を十分に準備し、国際紛争も法の下に解決するという姿勢を貫いていると言えそうです。
前記白書によると、平成29年末のわが国における在留外国人数は256万1,848人で、日本の全人口の約2%弱を占めています。外国人として、仕事や観光のために、わが国を短期間訪れたのではなく、中長期間わが国に暮らす人々です。その内、約32万人が、特別永住者です。在留外国人の数が通常の永住者を含めて、大方、右肩上がりに増加の一途を辿っているのに対して、特別永住者の数は漸減傾向にあります。特別永住者というのは、戦前のわが国の植民地出身者であって、サンフランシスコ平和条約の発効に伴い、わが国に居住する「外国人」となった人たち及びその子孫です。朝鮮半島出身者も、それまでは外地戸籍に編入され(本土出身者は内地戸籍に編入されていた)、日本(大日本帝国)の国籍を有していたのですが、平和条約発効と同時に、日本が海外領土を放棄した法的効果として、日本の国籍を失ったのです。日本に仕事があり、戦前より生活していた人たちです。戦後しばらくは、日本における在日外国人の問題と言えばこの人たちのことでした。
戦後復興により、高度経済成長を遂げた日本は、外国人受け入れについては長く排外的政策を取っていました。ほとんど鎖国政策と言っても良いほどです。当時の周辺アジア諸国の生活水準からして、豊かな日本に一気に移民が押し寄せることを心配していたのです。そこで、日本に居住する外国人が必然的に限られました。世界で有数の経済大国であり、少子高齢化が進行して、本格的な人口減少社会を迎えた日本が、近年、外国人材受入れ政策に転じており、旧植民地出身者及びその子孫のみならず、ニューカマーの外国人が増加しています。特別永住者の漸減傾向は帰化がある程度進んでいることも一因でしょう。
外国人を受け入れるということは、他の国に生まれ住んでいた人々を、自分の暮らす共同体の中に受け入れることです。異なる文化、風習、習慣、信仰を持った人たちです。日系人なら別ですが、東アジア出身の場合、人種的に同じで、顔貌や髪の毛、目の色が同じであっても、民族的には異なり、異なる背景を有します。ゴミ捨てのルールなど、最低限の行政的規則は守ってもらう必要があり、以前からその地域に住む日本人と共に生活するために、生活態度や習慣など、調整しなければいけないことがたくさんあります。日本人には常識であっても、外国人の母国では必ずしもそうではないかもしれません。日本人社会は、腹芸、空気を読む、忖度する、一を聞いて十を知るなど、何でも口に出して言わない文化です。同質の文化的、民族的背景を持つ者のみで構成された社会が有する特有の文化です。外国出身の人たちとは、一から、話し合いをして決めていかないといけないという前提を、行政も含めて、そこに暮らす全ての人々が持たなければ上手く行かないでしょう。
お互いの文化や風習を、絶対のものとして、押し付けることになってはいないでしょうか。日本に暮らす外国人が、日本の社会に同化するための政策が是非必要ですが、同化の強制は、反感を誘発するだけです。もっとも、どこまでの価値観を共有するべきか、判断の困難な場合があります。例えば、日本には少ないですが、厳格なイスラム教徒は女性が公道で髪の毛や肌を露出させることを教義の問題として禁じます。スカーフで髪の毛を覆っていないと、ふしだらな女性であることになります。また、小学校や中学校で女子が体育の授業を行うことも、女性が運動を行うことを宗教上禁じられるのでできません。これらの問題がフランスで実際に生じました。フランスは、憲法の根本理念である男女平等の原則に反するとして、公的空間で、ニカブなど顔全体を覆うようなベールの着用を禁じ、女子が公教育における体育の授業に参加することも必須としています。ヨーロッパ諸国の中でも対応が分かれています。
ここで強調しておきたいのは、そのような困難が予想されるので、「移民」の受け入れは、そもそもやめるべきであるという後ろ向きの思考回路に陥ることなく、むしろ、わが国社会が多様性を許容する真の意味で多文化共生社会へと脱皮するために、議論を開始するべきであり、既にわが国に居る外国籍の人たちや異なる背景を有する人たちとの、真剣な話し合いを始めるべきだということです。同化の強制には決して陥らない、同化政策のあり方は対話から始まるのです。長い目で見て、わが国の経済的な発展のためにも、また文化的に大きな成果を得るためにも、現在必要な社会的コストであると思います。
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