日本の措置、韓国の措置-国際法上の対抗措置? ― 2019年09月16日 19:39
さて、
韓国の日韓請求権協定の違反に対する、日本の輸出規制厳格化措置と、これに対抗する韓国の措置が発動される見込みです。今日は、この問題を国際社会における法の支配の観点から、考えてみます。
1,自力救済の禁止と適正手続=法の支配
次の二つの例を考えてください。
貴方が他人にお金を貸しているとします。しかし、返済期限が来ているのに返してくれません。貴方はどうしますか?貴方がお金を返してもらうために、その人の家に行ったのですが留守だったので、開いていた玄関から家に入って、中に置いてあったお金を取ったとします。貸したお金を返してもらっただけだから良いはずだと、思うかもしれません。
貴方が所有している家を人に貸していたのですが、家賃を払ってくれません。家を明け渡すように要求したのですが、出て行ってくれません。その人が留守の間に合鍵を使って家に入り、家財道具一式を玄関前に置いておきました。自分の家であるし、家賃を払わないのだから、構わないと思うかもしれません。
しかし、日本の法によると、いずれも罪に問われる可能性があります。最初の例は窃盗罪、後の例は住居侵入罪に該当します。
貴方には、貸金を返してもらう権利があるし、家賃を請求し、払わないなら賃貸借契約を止める(解除する)と要求する権利があります。法に認められた権利があります。暴力などによって自分自身で権利を実現することを、自力救済と呼びますが、わが国の法は自力救済を原則として許しません。
まず、金銭消費貸借契約を締結したので、貸金を返済してもらう権利を有し、相手方はこれに対応する法的な義務を有します。また、不動産賃貸借契約上の、家賃を支払ってもらう権利を有し、相手方は、これに対応する法的な義務を有します。自分の家として所有権を主張することもできます。
このことを認める法があるので、国民・市民は、自分の権利を他人に主張し、金を返すように要求したり、家賃を払うように、また家を明け渡すように要求することができます。もしも、他人が自発的に義務を履行し、権利実現に協力しないなら、裁判に訴えて、その権利を実現してもらえます。裁判所が法によって認められた権利を強制的に実現してくれるのです。わが国の法は、この方法以外には、実力で自分の権利を実現することを認めないという立場を取っています。
法がないとすれば、何らかの(法によらない)権利があるとしても、その実現は、暴力を含む自分の力によって図ることになります。弱肉強食のその社会では、常に力の大きなものが得をしますが、力の無い者は泣き寝入りをするしかありません。
その社会に法が誕生すると、法の認めた権利も、社会の構成員の実力によって実現させるのではなく、自力救済を禁止して、法を実施する権力機関にその実現を委ねるようになります。その方が、その社会において、人々が安心して生活を送ることができ、構成員の生存、ひいてその社会の存続にとって有利だからです。
その社会が国であると、そこに暮らす国民・市民は、自分で権利を実現するのではなく、そのことを国家機関に委ね、その権力に従うこととするのです。法を定立し、裁判所という権力機関にその実現を委ねるのです。
民主的国家を前提すると、民主主義の手続きに従い法を作り、法に定められた手続きに従い、法=権利が実現されるのです。これを適正手続の原則と呼び、わが国のような法治国家において、法の支配が達成されます。
日本のような国であれば、選挙で選ばれた議員によって、議会で法が作られ、その法を行政府と裁判所が適用し、執行します。国民は選挙で選んだ自分たちの代表の作った法なので、その法に服します。
2,国際社会と法
輸出規制を巡る日韓の主張が食い違っています。どちらも国際法を遵守すべきであるとして譲りません。いずれの国も国際社会に法が存在するということを前提にしています。
しかし、国際社会に法は存在するのでしょうか。国際社会の構成員は国です。国際社会の法は、あるとすれば原則として国を拘束するものです。国と国との約束である条約は、まるで契約のように当事国を拘束するものでなければなりません。そうでなければ条約など締結した意味が無くなるでしょう。条約がもっとも分かりやすい国際法でしょう。条約には2つの国が当事国となり各々の国のみを義務付ける二国間条約と、複数の加盟国が締結する多国間条約とがあります。後者は、加盟国全てにっとっての法となります。前者の例が日米安保条約や日韓基本条約などで、後者の例が国連憲章やWTOなどです。
この他に国際慣習法という形の国際法があります。条約には明文規定が存在します。法としてのテキストがあるので、法の存在が明白に感じられます。しかし、国際慣習法は、それを明文化したとされる条約がありますが、それ以前には国家実行によってその法としての存在を確認する必要があるものです。
国際「法」は存在するのか? 実はこのことから既に大問題となります。国際法の授業では最初に、国際法も法であるという命題から始まります。それが法であるためには、各国がそれを法として遵守するべきであるとする法的確信がなければならない、とされます。大雑把に言ってしまうと、あるルールを法として守っていると考えられるような国の行動がある場合に、それが各国の実行の趨勢であるとされると、そのルールが国際法であると認められるということです。少し言い換えると、多くの国が、そのルールが法であることを前提として行動している場合にそのルールを国際法と呼ぶのです。
国際司法裁判所のような国際的裁判所が判決によって、その認識を行う場合もあれば、国連決議のような形で国際機関によってその特定が試みられる場合があります。国際裁判所の判決や国連決議のある場合は、比較的、国際法の認識が容易になし得る例であると言えます。
アメリカの国際政治学に、国際的リアリズムという思潮があります。国際社会には法など存在しないというのです。現実の国際社会は国際的な政治力学において規定されており、ある国が法的に義務付けられるという意味で「法」など存在しないとします。政治学のことは良く分からないのですが、知人である日本の国際政治学者が、国際社会にレジームは存在すると言えても、それを法とは言い難いなんて言うのを聞いたことがあります。
この辺り相当難しい話になりそうなので、深入りはしません。一言しておくと、アメリカも、「裁判所」は国際法の尊重義務を言いますので、法の存在を自明とするようです。
国際法と言っても、一般的、抽象的な複数の法原則とされるものが、ときとして相互に対立することがあります。そして、国際紛争が生じると、どの国も自国の対立する主張を、依拠する国際法の法原則により理由付けることが通常です。互いに相手国が国際法に違反していると主張することも有り得ます。非難の応酬に陥ると、容易に解決できないし、結局、政治・経済的な力関係によって決着が着くことも多いでしょう。
国内法と同じ意味で、全ての構成員の服する法を作ることのできる一個の立法機関が存在し、強制管轄に服する裁判機関により、統一的に法の認識と解釈が行われるということがありません。国際紛争が法的紛争の形をとるとき、いずれの国がどれだけ多くの国を巻き込むことができるかを、そうして自国が一層多く支持されることを競うのです。また、ある国の行動が国際法に違反するとして、国際的に非難が集まったとしても、その国が国際法に違反していないと反論を継続し、国内的に国際的非難を無視することも完全に可能です。
もっとも近時の国際法の発展を踏まえて、条約の国内的実施のための多様な方途が存在し得ることは付言して起きますし、国連決議に基づくような集団的な経済制裁がなされることもあります。しかし、いずれにせよ、国内法的な意味で国際法が存在し、機能しているとは到底言えません。
しかし、だからと言って国際社会に法が存在しないと短絡的に述べることもできないでしょう。まず、最初に述べた二国間条約や多国間条約が存在し、明確なルールが規定されていれば、当事国、加盟国はそれを法として受入れ、法であることを前提として行動しています。また、国際慣習法とされる法原則も、多くの国が法であることを前提としている場合が有ります。だからこそ、自国の行動を国際「法」の何らかの法原則に基づき正当化しているのです。
私自身は、国際間の紛争が「法」規範たるルールの認識、解釈という規範的な議論の応酬となること、それ自体が国際法の機能であり、かつ、極めて重要であると考えています。
政治と異なり、法的議論のあり方、その推論の形式が法分野に特有なのです。すなわち、「ルールの形式」にまとめられた先例の累積と、その「認識及び解釈」は、それまでの国家実行を証拠とします。そうして、あるルールが確立されているとされると、それ以降の国家実行に対して実質的に多大の影響を及ぼし得るのです。これを「規範的な力」と呼んでも差し支えないと考えています。
換言すると、国際的な政治・経済の力の作用と、国際法の前述した規範的作用とが、相互にフィードバックを行いながら、現実の国際社会を規定しているのです。前述の国際政治学の立場と異なり、政治経済分野とは独立の法分野が、社会学的な意味での国際社会の構成システムとして併存し、相互に影響を及ぼし合うという見方になります。
上のことを、比喩的に表現してみます。気象図を思い浮かべて下さい。世界地図の上に、低気圧の存在を示す雲の渦巻きが幾つも浮かんでいます。その雲の渦巻きは、各々独立に存在し、互いに作用を及ぼし合いながら、地球環境や気候に大きな影響を与えます。その1つの雲の渦巻きが、政治経済の力であり、他の1つの渦巻きが法の力であると考えています。
3,国際社会の自力救済と法の支配
国際社会の構成員は前述したように国です。この社会が法のない弱肉強食の社会であるとすると、政治的、経済的、軍事的な強国に、その劣後する弱小国が常に屈服することになります。国際法があっても、法の支配が不十分であると、国際社会がやはりそのような社会で有り得ます。
第二次世界大戦前の世界は、少数の列強と呼ばれる国々により、多くの地域が植民地として分割支配されていました。国際法が戦時国際法と平時国際法に分類されることがあります。この当時、戦争自体が国際法上、必ずしも違法とされていませんでした。戦争の開始と戦争中に妥当する国際法原則と平和なときの国際法原則とが異なる側面を有するのです。
第二次世界大戦後、国連が創設され、国連憲章が起草されました。このときからは明確に、国際紛争を武力により解決することが違法とされたのです。そして、国際紛争が平和裏に、すなわち交渉や仲裁などの方法により解決されるべきこととされました。民族自決原則と主権平等原則が確立され、徐々に、多くの植民地が独立を果たしました。武力の不行使が法原則とされつつ、この違反を犯した国に対して、各国が自衛権を保有することと、国際社会が共同して、その違反に対処するべく、集団的安全保障の仕組みが一応、整備されたのです。
さて、第二次世界大戦以前には、国際紛争を解決するための戦争に移行する以前に、相手国の国際法違反に対して、いわば仕返しをして、その国を諫めることが、復仇という名で、国際法上も肯定されていました。武力による威圧や経済規制などの方法によります。その後、武力行使が違法とされたので、主として経済的規制によることになります。相手国の国際法に違反する措置に対して、国際法に違反するような措置により対抗し、相手国の国際法違反による不利益を回避ないし回復するのです。対抗措置の余地のあることが、現在の国際法によっても認められています。
しかし、国際法が存在しても、これに正面から違反する対抗措置が可能であるとすると、まずある国が、相手国が国際法違反を犯していると認定すると、これに対抗する国際法違反の措置を行うことになります。しかし、実際の国際的紛争は当事国のいずれもが国際法による正当化を行うことが通常であると述べました。相手国の国際法違反の認定を、他方の国が一方的に行い、一方的に対抗措置を発動するのです。これではやはり、政治的経済的強国が常に勝利することになります。
戦後の国際社会には、戦前と異なり、極めて重要な国際経済社会の法が存在します。IMF(国際通貨基金)とGATT=WTOです。これらにより、一方的な為替規制と貿易制限が禁止されています。
殊に、GATT=WTOは自由貿易主義を掲げる国際経済社会の憲法とも目されます。一方的措置を明示的に禁止し、GATT=WTOの違反を巡る紛争は、WTOの紛争解決手続によることを規定しています。悪名高い米国通商法スーパー301条は、大きな市場と経済力を有するアメリカが相手国が自由貿易主義に反していると考える場合に、関税引き上げという恫喝によりその是正を要求するものともなり得ます。1995年にWTOが成立する以前のGATT時代には、日本も輸出自主規制を行うなど、その要求に屈した側面があります。
WTOは、このようなアメリカの一方主義を封じ込めることも目的として、アメリカ通商法の手続を参考にWTOの紛争解決手続を成立させました。アメリカ国内法手続きによる一方的な認定によることなく、これより以降は、中立的で公平な第三者である国際機関がGATT=WTO違反の認定を行ういわば裁判的な手続によることとしたのです。アメリカが、国内的手続を、WTOの手続と整合的に運用することを約束させられました。
WTO違反に対する対抗措置は、例外的場合を除き、WTOの紛争解決手続により、その違反が認定され、WTO紛争解決機関の是正勧告を待って、その認める範囲内において発動できることになりました。
貿易を巡る国際紛争の解決方法が、少なくとも手続的には、政治的解決から、司法的解決に明確に移行したのです。国際経済社会に法の支配が確立される重要な地歩となったことは疑いがありません。
4,日韓請求権協定と日本の措置、勧告の措置
日韓請求権協定の解釈を巡る日韓の対立があります。日本の主張を是としますが、これまでに述べてきた分析に従い、少し感想を述べたいと思います。
日韓請求権協定は、日韓の二国間の法です。この国際法違反に際して、日本が輸出規制の厳格化を実施しました。当初の政府高官の説明もその含みを有したもののように思われますが、韓国の国際法違反に対する日本の対抗措置であると理解する余地があります。
私は、このような対抗措置があっても良いと考えています。しかし、これが対抗措置であるとして、国際法違反に対して、国際法違反によって、いわば毒をもって毒を制する論で対抗して良いかは検討する必要があります。
まだ研究途中なので、ほんの感想だけ述べます。
第一に、日韓請求権協定の違反という韓国の措置が存在したと言える。日韓の基本条約及び請求権協定の解釈によります。
第二に、このことについて日韓で解釈の相違があり、その国際紛争は、条約に規定されている仲裁手続によるべきである。日本が十分の期間の猶予を持って要求したにも関わらず、韓国が仲裁手続の進行に同意していない。しかし、日本が国際紛争の平和的解決を十分試したかについて、韓国による基金方式の申し出を基にした交渉の申し入れのあった点が一個の要素とはなり得る。
第三に、以上を踏まえて、日本の輸出規制の厳格化が対抗措置として正当化し得る余地がある。
第四に、これが対抗措置であるとして、WTOとの整合性がやはり問題となる。過度に自由貿易主義を制限する内容であると、WTOに抵触する可能性を生む。もっとも、日本の措置が安全保障の理由付けを有するので、これについては規制発動国の裁量範囲が広い。
第五に、韓国が日本の輸出規制厳格化を、WTO提訴した点について言えば、韓国の主張が次の様に展開されるとも予想できる。すなわち、日本の措置が、日韓請求権協定を巡る国際紛争を理由にするものであり、安全保障を偽装した自由貿易の制限であって、韓国のみを狙い撃ちした点で、WTO上の最恵国待遇原則に違反する。
私見によると、韓国のWTO提訴はナンセンスです。韓国をホワイト国から除外したのは、上から二番目のランクへの移行に過ぎず、同様の、あるいはそれ以上の煩雑さを伴う輸出手続に服する多くの国々が存在し、日本との貿易も活発に行われています。何しろ中国が韓国よりも下のランクであり、日中間の貿易が極めて盛況なのです。そのランクでも中国は何も困っていません。韓国のみに不利益を与えた点の立証に、韓国が窮することになるでしょう。
第六に、韓国による、日本への輸出規制厳格化の措置は、日本の輸出規制をWTO違反であると決めつけた上で行った一方的対抗措置に当たる。明確なWTO違反措置である。
仮に、日本の措置がWTO違反であったとしても、これに対抗する、同等のWTO違反であるはずの韓国の措置は、WTOの紛争解決手続を追行した結果でなければならないはずです。
日本の輸出規制の厳格化措置がWTO違反であるとすると、必然的に韓国の措置もWTO違反ということになります。逆に、韓国の措置がWTO違反でないとすると、日本の措置もWTO違反とは言えない。いずれもWTO違反であるとするのが、最も韓国の主張に沿ったものと言えますが、韓国自身のWTO違反をWTO上正当化する理由を捻出しなければなりません。
結論的には、韓国の請求権協定に対する対抗として、日本が輸出規制の厳格化措置を行うこともできるが、これはあくまでもWTO整合的でなければならない、ということになります。逆に言えば、WTOの許容する裁量的範囲内であれば、他国の国際法違反措置に対する「対抗」的経済規制が可能であるということです。
次回更新は、9月28日ごろを予定しています。
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