貿易戦争-宣戦布告されたよ2019年08月04日 16:50

暑いですね。ようやく学期末試験の採点を半分終えました。

夏風邪をひいてしまいました。冷房をつけて寝ていたせいでしょう。家の内と外の温度差には気を付けましょう。

次回は、8月17日ごろ更新の予定です。


ホワイト国除外

 8月2日、日本の輸出管理において優遇国いわゆるホワイト国から、韓国を除外することが閣議決定されました。国民の意見聴取の手続きにおいて、4万件超の意見が政府に寄せられました。筆者は法の研究者として、経済規制の政令改正について、これほどの意見が集まったことをかつて知りません。このこと自体が異例のことと思われます。その内、95%が賛成だったようです。

 この決定に対して、韓国の文在寅大統領が直ちに閣僚会議を開催し、日本の閣議決定に対して強い非難を表明しています。冒頭部分の大統領演説に引き続き、この閣議の様子がテレビで生中継されました。このことも極めて異例です。
 
(産経新聞の特集:徴用工・挺身隊訴訟がこの間の事実関係をまとめていて分かりやすい。
 https://www.sankei.com/smp/main/topics/main-36092-t.html )

 韓国大統領は極めて強い調子で日本の措置を非難しており、朝日新聞(3日朝刊)によると、日本の措置が元徴用工訴訟に対する経済報復であり、「盗っ人猛々しい」、「韓国は日本に二度と負けない」と述べています。更に、GSOMIAの破棄を示唆し、日本をホワイト国から除外するとともに、韓国側の経済規制強化による対抗措置を採るとしています。

 韓国の新聞各紙は、一斉に、日本の措置を批判し、大規模な抗議デモが実施されました。日本製製品の不買運動も報じられています。国内世論が対日批判にまとまり、いよいよ経済戦争の宣戦布告を日本が行ったので、長期戦も辞さないということのようです。筆者も誇張表現のつもりで、この言葉を使ったのですが、実際の「経済」戦争に突入しそうな様相を呈してきました。

 戦争しなくないで良いですか?少々前に聞き覚えがある台詞です。武力を用いた戦争は真っ平ですが、経済戦争は有り得るべきであるというのが、筆者の持論です。経済力を背景とした、法と論理の戦争です。前回も述べたように、これが実際の戦争に発展しないという歯止めを意識しつつ、しかしアメとムチを使い分ける巧妙な外交を政府には期待したいと思います。


日本政府の措置と国際法

 韓国大統領によると、強制労働の禁止と三権分立が世界の普遍的価値であり、これが国際法原則であるとして、日本がそれらの価値を踏みにじるものであり、国際法に違反すると非難しています。

 まず、そのことが普遍的と目される価値であることには、誰も反対しないでしょう。第二次世界大戦中、日本の統治下にあった朝鮮半島で、強制的な徴用があったこと、及び、自主的に応募した徴用工を含めて朝鮮半島出身者が、過酷な労働環境において、多大な肉体的、精神的苦痛を被ったことは認めざるを得ません。このようなことが二度と引き起こされないような日本国であり、世界であるべきであるということを、日本が追求しないわけがありません。問題は、元徴用工に対する補償が、日韓請求権協定という国際法において、日本と韓国の間で解決された事項であるか否かという一点にあります。

 韓国の裁判所は、被害者とされる原告らと日本企業との間の私人間の補償について、特に、精神的苦痛に対する損害賠償としての慰謝料の請求まで、国家間において決定してしまうことはできない、と判決しました。韓国憲法の重要な原則である個人の幸福追求権の保障にもとるというのです。

 被告側である日本企業が、憲法解釈についても、これに対抗する論理を呈示しつつ争ったはずです。憲法というのは、対立するかもしれない複数の原則を呈示するのみであり、それのみで何らかの具体的な結論を明確に示し得るものではありません。どこの国の憲法でもそうなっているのです。韓国の裁判において、当然、原告側の被告側に対立する憲法解釈が主張されていたはずです。

 個人の幸福追求権を尊重する韓国司法のあり方は、軍事独裁国家における抑圧を克服した韓国の歴史・文化的な背景にその淵源をみることができるでしょう。重要なことは、日本による朝鮮半島の占領・統治が、当時の国際法に照らし合法であったか否かという、日韓政府の対立した解釈があることです。韓国裁判所の結論は、これを違法としつつ、現行憲法にいう個人の幸福追求権の保障を優先させた結果でしょう。

 韓国裁判所が、請求権協定という国際法を、韓国憲法に照らして、これに整合的に解釈したということです。韓国裁判所も、日本と同様に、国際法と国内法の関係について、国内法(憲法)優位説を取っていると考えられます。

 日本としては、国際法の通常の解釈手順に従い、日韓請求権協定を解釈するべきであること、及び、条約締結時点における日韓両国の合意内容に基づくべきであることを、主張する必要があります。日韓の合意内容として、私人間の請求も含まれていたとする証拠を、日本政府が公表したことがこれに関係します。日本政府は、国際的な舞台においても、明示的に、国際法解釈の方法としての正統性を主張するべきです。

 国際法も、憲法と同様に、多くの原則の集積です。複数の原則が場合によると対立しつつ、それ自体では具体的な事件に明確な回答をなし得るものではありません。強制労働の禁止を謳った人権関係の諸条約があっても、このことから直ちに日韓の懸案を解決できるような明確な具体的法規範あるわけではないのです。重要な価値を体現する原則規定も、抽象的な一般的原則である場合、更にその内実を再叙するような諸規範が解釈を補充します。韓国が、日本の措置を非難するためには、日本が反したとする具体的な国際法規範を特定しなければなりません。これもまた至難の業でしょう。

 しかし、特に、人権や人道に関する国際法の一般原則は、たとえそれ自体が具体的な法とは言えないとしても、普遍的価値として世界の人々の心情に訴えることができます。韓国がこれを行う意図を有することは想像に難くありません。日本が人権を尊重する国であることを、同時に、国際社会に理解させる必要があります。

 次に、輸出管理を厳格化したことが、WTOという国際法に違反するかという問題です。前のブログでも述べたように、日本の措置が、実際に韓国企業に損害を与えるかどうかも確定していません。禁輸措置ではなく、輸出手続の厳格化に過ぎないのです。安全保障の懸念を理由とする、WTO協定上の根拠を有する措置です。もっとも、WTO協定も法ですから、解釈を争う余地は常に存在します。GATT=WTOの枠組みの中で積み重ねられてきた先例を参照しつつ、理論武装するとともに、証拠方法を確保することが、法的争訟の常套手段です。用いることのできる論理の強さと、証拠こそが、勝敗を決します。日本の有する証拠のみならず、韓国の有し得る証拠も勘案しなければなりません。

 安全保障を根拠としたことが、日本を優位に導くでしょう。たとえ、韓国がWTO提訴しても、相当の困難が予想されます。福島県沖海産物の禁輸措置について、従前の予想を覆したWTOの裁定がありました。今回は、韓国が国際経済法のエースを投入しても、神風がそうは吹かないでしょう。

 もっとも自由貿易主義という大原則があります。日本が多国間主義に基づき、これまで最重視してきた価値です。日本の措置がこれに反するとする主張を、韓国外相がASEAN+3の国際会議で展開しました。日本の河野外務大臣との間で厳しい応酬がありました。河野大臣のしたように、日本が感情的に元徴用工裁判を持ち出さず、冷静に分かりやすい論理を展開すれば良いことです。


政治的利用-親日排斥

 新聞報道によると、輸出規制の厳格化について、経産省が今後、優遇を受けるホワイト国という通称を止め、輸出先相手国をA~Dの4段階に分けることにするそうです。Dが北朝鮮、イラン、イラクなど10カ国ということなので、Aランクが従来のホワイト国ということでしょうか。韓国がBランクに位置付けらます。

 先ほど述べたように、このことの韓国企業に対する損害はまだ確定していません。手続が煩雑であるとしても、輸出入が滞ることがないならばそれで済むのです。この措置に対して、韓国政府の反応はいかにも大仰です。大統領が先陣を切って、日本の措置を「宣戦布告」として決めつけた上で、これを非難し、応戦を国民に鼓舞しているのです。これに呼応して韓国世論がナショナリズムに高揚しているようです。韓国紙には全面戦争という見出しも見られます。

 朝日新聞デジタルの3日付け記事によると、日本の今回の措置を受けて、労働組合など682団体が合同で、ソウルの日本大使館近くにおいて、大規模な安倍政権糾弾デモを開きました。また、アニメ映画「ドラえもん」の公開が映画館の自主的な判断に基づき無期限に延期されたそうです。日本人おことわりの張り紙を掲げる飲食店もあらわれたと言います。

 この間、次の様な報道を目にしました。韓国において、検事長クラス及び中間幹部を含めて60人以上の検事が辞表を提出しているとする記事です。(朝鮮日報日本語版8月3日付け)

 記事によると、積弊捜査に関わる検事が要職を独占し、文大統領政権の気に入らない捜査を行った検事が左遷されたので、その露骨なえこひいきに基づく人事に抗議するためであるとしています。韓国では、与野党を問わず、大統領を含めて前政権関係者が弾劾されることがよくあります。韓国では、積弊精算を文政権が進めており、収賄などに関わったとされる多くの政治家が逮捕されています。これまでに、朴槿恵前大統領のみならず、李明博元大統領も逮捕されています。

 旧日本統治に対する協力者としての「親日」の排斥が、文政権にとって、過去の清算としての重要課題であることと関係するように思われます。

 文大統領が、日本の輸出手続の厳格化を捉え、ここぞとばかりに反日宣伝を行い、「戦争」と言わんばかりにナショナリズムに訴えて国民を鼓舞することには、政治的意図がありそうです。経済面での失政により支持率が急降下していたところ、「対日戦争」が救世主のように現れました。実際に、大統領の支持率が向上しています。明白に政治利用しているのです。


慰安婦像-表現の不自由展・その後

 日本でも、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の、「表現の不自由展・その後」展覧会の中止という事件がありました。原因は、韓国の彫刻家の作品である、有名な元従軍慰安婦を象徴する少女増です。写真を見ると、きれいな着色がなされている例の少女像が、2つの椅子の片方にのみ座っています。この展示に対して、県美術館にテロ予告や脅迫と受け取れるものを含む多数の抗議が寄せられ、これ以上エスカレートすると安全、安心な運営が難しくなるという理由です。電話やメールによる抗議が1400件以上にのぼりました。(読売オンライン 4日付け)

 「(少女像を)撤去しないとガソリン携行缶を持ってお邪魔します」

 京都アニメーションの放火事件を連想させる内容です。県は、少女像について予め報告を受けていたのですが、行政が展覧会の内容に関与することを控えるべきであるとして展示を容認したものです。展覧会の中止は、まさに表現の不自由ですね。

 もっとも、この少女像が、日本の国民の心を深く傷つけるものであり、日韓の今日の対立を象徴する存在であることも確かです。


京アニに献花する韓国の若者と、日本の第三次韓流ブーム

 京都アニメーションの放火殺人事件が史上稀に見る凶悪な、多くの犠牲者を出した事件です。そのアニメーション作品は、日本だけではなく世界の多くの若者達に親しまれています。放火現場に備えられた献花台に、韓国の若者が涙ながらに献花している姿が報道されていました。京アニ作品の大ファンだという若者達はわざわざ韓国から来たと言います。日韓の関係が悪化していることをどう思うかというインタビューに、「政治は政治、文化は文化だと思う」と韓国語で答えていました。

 身近な命を惜しむこと、悼むこと、そのことが何よりも大切ではないでしょうか。そのような態度が人々の心に残る限り、戦争を阻むでしょう。

 他方で、現在、日本では第三次韓流ブームが巻き起こっています。日本の若者を中心として、韓国コスメや韓国アイドルに対する人気が高いのです。ブログを書いている本日のテレビ・ニュース番組でこのことを取り上げていました。日本にある韓国コスメ専門店で化粧品を購入している女性や、レコード店で韓国の女性アイドルグループのCDを買い求める青年が、今の日韓の関係についてどう思うかと問われると、「政治は政治、文化は文化」とみんな明るく答えていました。

 この経済戦争は長期戦となるでしょう。遂行するべきです。むしろこの機会を利用して、日本の産業界を利するような成果を期待します。他方で、このことが、武力を用いた戦争に発展しないようにしなければなりません。

若者達の健全さが、まばゆいように感じられます。

国際人道法上の重大な違反と請求権協定2019年08月18日 02:11

とても暑くて閉口しています。久しぶりに墓参りに行く予定なのですが、たくさん生えた雑草を抜くのが、辛そうです。


日清日露戦争の時代、戦争後の平和条約において、当事国市民である被害者の個人請求権が言及されることはありませんでした。もともと、戦争が行われても、最も甚大な被害を被る国民、市民からの賠償請求が顧みられることはなかったのです。しかし、1907年のハーグ条約付属「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」を経て、第一次世界大戦後のベルサイユ条約により、個人請求権が承認されました。重大な国際人権法および国際人道法違反に対する、被害者個人の権利の存在が明確にされたのが、「現在の国連の大勢」です(2005年の国連総会決議)。
(高木喜孝「戦後賠償訴訟の歴史的変遷と現段階―平和条約の解釈と個人請求権の前進で未踏の領域に踏み込んだ韓国大法院判決」 http://gendainoriron.jp/vol.19/feature/f13.phpより参照。)

1949年のいわゆるジュネーブ4条約(1953年にわが国が加入。条文については、防衛省のHP参照。https://www.mod.go.jp/j/presiding/treaty/geneva/)において、国際人道法に対する重大な違反行為を定義し、非戦闘員・文民に対する殺人、拷問、非人道的行為など戦争犯罪に対する個人の刑事責任を確立しました。その後、旧ユーゴスラビアやルワンダの内乱、カンボジアにおけるクメールルージュの非人道的行為など、おぞましい国際人道法上の犯罪を経験した国際社会が、2003年に、常設国際刑事裁判所を設立したのです。もっとも、ここで注意を要するのは、国際人道法上の罪という観念が確立され、その刑事訴追を可能にすることと、私人による民事的な補償ないし賠償請求の権利が可能とされることとは別個の問題であるということです。ジュネーブ条約から常設国際刑事裁判所設立への系譜は、刑事訴追に関するので、必ずしも、民事的な賠償の個人的請求に関する国際法上の根拠とまでは言えないのです。

ベルサイユ条約は、領土の割譲と敗戦国に対する巨額の賠償金を課した、ある意味ではきわめて不公平な内容を有する条約でした。戦勝国が敗戦国を裁いたものです。個人の戦争被害に対する請求権も戦勝国にのみ認められる片面的なものでした。その後、ドイツがこの条約を無視し、ドイツ国内においてナチスの台頭を招き、やがて第二次世界大戦に結果したことは有名です。(ホロコースト・エンサイクロペディア https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/world-war-i-treaties-and-reparations

日本の第二次世界大戦の戦争責任に対する請求権については、サンフランシスコ平和条約が、戦勝国及び敗戦国の市民双方に関する個人の請求権について明記しつつ、日本がする平和条約上の賠償以外は、相互にこれを放棄することとされました。上記平和条約に加わらなかった中国及び韓国について、後にこれに代わる条約が締結されたわけです。日韓請求権協定が、日本が韓国に対して賠償を支払うとともに、相互の請求を放棄した一括方式によっています。国及び個人の相互の補償、賠償に関する複雑な争訟を避けて、戦後処理を一括して行うという利点を有します。第二次世界大戦における戦後処理が、第一次世界大戦のそれに対する反省を踏まえているとも考えられるでしょう。敗戦国に過度の負担をかけることが回避され、敗戦国が早期に戦後復興を遂げ、世界平和に貢献する国となることが望まれたという一面を有することは確かです。

ここで、確認できることの第一は、戦争による個人の損害について、特に、文民・非戦闘員の虐殺や、拷問、強制労働、性的搾取などの国際人道法の重大な違反について、個人的請求権が存在することが、国際法により確認されているということです。

第二に、二国間条約により、その放棄が規定されることがあるということです。被害者にとって、酷なようでもありますが、その賠償としての性格をも有する金銭ほかの便益が、当事国に対して交付されることで、被害者のいる国が、その補償の責任を負うということを、国同士が約束したのです。国同士の約束としての条約・協定というのは、当事国間における「法」です。締約国国内において法としての効力を有するものです。上に述べたように、国際人道法上の犯罪について、個人に対する刑事訴追を可能にするべき責任を免れないし、条約の方法によって他国にその責任を免れさせることができないことは、ジュネーブ条約等に明らかですが、これは別論です。韓国が、独自の国際法解釈に基づき、後から、日韓請求権協定の個人的賠償請求の部分についてのみ無効化することは許されないというべきです。

第二次世界大戦後、幾つかの国の国内裁判所で戦後賠償訴訟が提起されています。戦勝国ないし非占領国の国民である戦争被害者が、自国及び敗戦国において、相手国ないし私人に対して損害賠償請求訴訟を提起するのです。日本でも、朝鮮半島出身者及び中国人による、多くの訴訟が提起されたのですが、上訴審も含めると結論的に賠償が認められていません。西松建設という日本企業が任意に和解に応じた例があるのみです。概ねわが国の裁判所は、上記ハーグ条約に基づく賠償請求を認めていません。紛争下における非人道的行為に対する個人の請求権が存在するとしても、その救済方法をいかに確保するかは、各国に委ねられた問題であるからです。

やや難しくなりますが、もう少し説明すると、条約が賠償に対する基本的な権利を認めているとしても、直接、条約に基づき国内裁判所で請求できることには必ずしもならないということです。国際法は、基本的には国家間の法として国を義務づけます。国に対して、そのような賠償の権利を確保するように、立法や裁判の方法を提供するように義務づけるのみです。私個人の見解を少し開陳しておくと、確立された国際法上の個人の権利であれば、国内私法上の一般条項ないし白地規定の解釈上、保護に値する法的利益として考慮し得ると考えています。国際法上認められる個人の請求権といっても、強いものから弱いものまで存在するでしょう。具体的には、わが国民法上の、契約ないし不法行為に係る一般条項ないし白地規定の解釈上、賠償に有利に考慮されると解します。

但し、ここでも、個人的請求権について放棄する二国間条約が他方の考慮要素となります。徴用工に関する個人請求についても、日韓請求権協定が存在するので、結論的には賠償が否定されます。条約は、締約国間の法です。締約国は、条約の締結時における合意内容に拘束されます。後から、独自の解釈に基づき一方的に解釈変更を行うべきではありません。条約の改定などの、新たな合意が目指されるべきですが、これも他方の国が認めない限り許されません。条約内容が、国際公序に重大に違反することが明白であるなどのことがない限り、「条約」という国際法の性質から当然です。

以上を、まとめておきます。

・戦争被害に対する個人的請求権が存在することが国際法上承認されている。
・直接請求が可能であるような多国間条約は存在しないが、国内私法上の一般条項ないし白地規定の解釈上、法的に保護されるべき利益として考慮され得る。
・国際人道法上の重大な違反を含めて、一括方式により、当事国間の賠償により、相互に個人的請求の放棄を規定する条約が可能である。
・国際人道法の観点から、一括方式により賠償を受けた国は、自国にいる被害者に対して十分の補償を与えるべきである。

法の解釈としての、私見を述べました。しかし、法は法として、十分踏まえた上で、政治的解決があり得るというのが、また私の結論であります。先のブログで述べたように、韓国大統領が貿易戦争のまさに宣戦布告を行った以上、また、実際に経済的対抗措置を講じる限り、この戦争はしばらく遂行するほかないでしょう。多少の不利益もやむを得ない。しかし、長期的な国家利益を見据えて、政府には、賢明な行動を期待します。同時に、貿易戦争が、日本の経済にとって、他面で一定の利益をもたらす方策を考えてもらいたいものです。

次回更新は、8月31日ごろの予定です。

日韓請求権協定と、日本の解釈・韓国の解釈ー国際法と国内法22019年08月28日 14:46

以前、「思いが重なるその前に・・・国際法と国内法」というテーマでブログを書きました。その続編です。「元徴用工訴訟」も参照して下さい。

日韓請求権協定という条約の解釈について、日韓が対立しています。

1、条約解釈について

条約法条約31条3項(b) 「条約の適用につき後に生じた慣行であつて、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの」。この意義について、各国の国際法学者や外交官・実務家の間で最も争いのある論点の一つです。

大まかに言うと、条約を文言に従って厳密に解釈する、あるいは条約を締結した当事国間の締結時における合意内容に拘束されるのであるか、後の国際社会の発展を考慮した目的的な解釈が許されるのかの争いです。後者は条約の文言、特に、一般的な用語、抽象的で曖昧な用語を柔軟に解釈することを許容します。しかし、例外的場合を除いて、後者の考え方を明確に一般国際法として確定できるような、国家実行の趨勢や、国際司法裁判所を含む国際機関の明示的な先例が存在するとは言えません。むしろ、印象として、文言解釈、及び条約締結時の当事国間の合意内容に拘束されるというのが国際的な多数派です。

第一に、国家実行や国際機関の判断も、一つあれば足りるというような解釈態度は国際法認識の方法として正しくありません。行政府の措置や政府の宣明、国内裁判所の判決などを、国際法を認識するための国家実行と呼びます。あるルールが国際法であるためには、そのルールを法として遵守するべきであるとする法的確信を各国家が有していることが必要であるので、そのことを国家実行により確認します。国家実行の大勢がいずれにあるかを確かめるのです。また、国際機関の示す解釈も国際法認識のための重要な要素となります。

仮に、発展的解釈を許容する場合にも、後の解釈が「当事国の合意を確立する」ものでなければならないので、当事国の意思が明白であるか、当事国を拘束し得るほどに、国際慣習法が確立されていることが立証されなければならないでしょう。その立証はそう容易ではありません。

第二に、国際司法裁判所の先例で、発展的な解釈を行うとする一般論を有するものがあるとしても、その部分のみを取り出して恣意的に一般化してしまうことは避けなければなりません。裁判所の判断というのは、常に、その時代、その当事者、その事実関係の下で、目の前の紛争を解決するもので、当該の事実的文脈において結論を理由づける性質を有します。

日本やドイツはどちらも、第二次世界大戦の敗戦国として、戦争被害者による個人的請求権の「放棄」に関する条約・協定があり、しかも後の国際人権・国際人道法の発展を踏まえた個人的請求がなされた困難な問題を有する国です。

ドイツについては国際司法裁判所の判決が下されたことがあります。しかし、個人的請求権の放棄が定められた二国間条約があり、かつ、条約締結後の国際人道法上の発展が国際公序として作用するので、被害者個人の賠償請求が認められるとした、国際司法裁判所の判決はないのです。とにかく結論的には、賠償を肯定した国の国内裁判が国際法違反として否定されています。

日韓の問題は、日本と韓国の間に締結された日韓請求権協定を前提として、その解釈をしなければなりません。日韓の問題について、日本政府が国際司法裁判所に提訴したとしても、韓国が応じない限り、強制管轄がないので、裁判が始まりません。仮に、韓国が応訴したとしても、日韓請求権協定という二国間の法が国際法としてあり、その通常の解釈手段によって確定された結論を覆すことができるほどの、国際慣習法が存在すると直ちに断定できるものではなく、この段階で、韓国の方に勝ち目がすこぶる大きいとは到底言えません。筆者の得られる情報からは、日本の方が有利であると思われます。


2、韓国大法院判決

韓国の最高裁判所に当たる大法院判決について、詳細を知りませんが、大日本帝国による朝鮮半島の植民地支配を国際法の観点から違法と断じて、その判決の理由の一つにしているようです。日本による朝鮮半島併合についての解釈も、日韓で相違しています。しかし、その違法か合法かは、直接、日韓請求権協定の解釈には関係しません。例えこれが違法であっても、第二次世界大戦後、その戦後処理のために締結された日韓請求権協定は、そのことを前提としているとも言えるからです。いずれにせよ賠償の問題は、国家間及び個人的請求の問題を含めて、一括して解決したというのが国家間の条約締結当時の意思であれば、その旨の条約を締結したわけです。

現行の韓国憲法は、日本による植民地支配が違法であることを出発点とします。朝鮮半島を併合した日韓併合条約は国際法に違反しているので無効であり、従って、この間の日本による統治も違法、無効であるとします。第二次世界大戦の終結により解放された後に成立した現在の韓国政府が、中国に亡命した独立運動の正統な継承者であるとしています。

遡って明治維新の頃、日本が西欧列強による植民地となることを恐れていました。地球のほとんど全ての領域がこれら列強の植民地と化していたのです。そのとき、日本が低開発途上国として、列強を中心とする国際社会に現れたのです。その後、富国強兵政策により、経済開発を進展させた日本が、日清日露戦争に勝利し、西欧列強がかつてそうしたように、朝鮮半島と台湾を植民地化し、中国大陸に侵出したのは歴史的事実です。

国連憲章が武力による国際紛争の解決を違法とし、領土的野心に基づき、他国を侵略する行為は禁止されました。現代の国際法規範として、植民地政策が違法とされるのは間違いがありません。韓国は、ここでも国際法のその後の発展を踏まえ、そのような国際法規範の確立される以前の日韓併合条約及び条約の下で現出した状態の全てを違法、無効と断じるのです。ここで、その是非を論じるつもりはありません。しかし、次の点を指摘しておきます。

日本の海外における支配領域が第二次世界大戦終結により解放されたのですが、連合国側の戦勝国を宗主国とする植民地が独立したのは、更に遅れて、そのほぼ全てが独立したのは漸く1970年代に入ってからのことです。この間、世界で、先進国による植民地住民に対する抑圧が継続していたのです。思うに、武力による他国侵略及び植民地政策を禁止する国際法規範は、国際政治の現実の中で、現在まで破られることの多い法です。しかも、これを行う国が正面から国際法に違反するというはずがなく、そのことが合法であるとする何らかの国際法上の理由づけを伴うのが通常です。このことは最近の、クリミア半島へのロシア軍の侵攻を見ても明らかです。

しかし、破られることが多く、即時的な実効性を欠く場合があるとしても、重要な国際法規範であることを全く否定しません。また、以前のブログに述べたように、国際人権法及び国際人道法の現代的発展が、まごう事なくあったと言えるでしょう。

但し、仮に、日韓併合条約が無効であったとしても、日韓請求権協定における個人請求権の「放棄」が決して許されないものではない。先に述べたように、この両者は論理的には無関係であるというのです。

語弊があるので、戦争被害者による個人請求権の「放棄」という言葉を説明しておく必要があるでしょう。請求権協定により、戦争被害者に対する賠償が全くなされないことと決められた、日本がその権利を剥奪したということではありません。その人達の賠償問題を含めて、多額の金銭と便益を日本が韓国政府に支払うことにより、解決したということです。戦争被害者の個人的賠償については、韓国政府が責任を負います。

もっとも、大日本帝国による統治時代に、非人道的な行為を、日本の政府ないし政府関係者らが行ったとして、その統治自体が無効であれば、その行為の国内法的違法性が一層高まるという理屈はあり得るように思われます。先に言及した韓国憲法の下、韓国国内法秩序において、日本統治時代の被害は払拭されなければならない。これが韓国の公序であるとする、韓国法の価値観に基づくのです。従って、日本国憲法の下、日韓併合条約を合法とすることを前提とする、日本の裁判所の下した判決の効力は、韓国内において否定されるとするのでしょう。しかし、何度も繰り返しますが、日本の裁判所が日韓請求権協定に基づき、個人的請求を否定するために、日韓併合条約が合法であることを必要としません。


3、日本の最高裁判決(西松建設事件)

最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷・民集61巻3号1188頁)は、広島高裁平成16年7月9日判決を破棄しました。高裁判決をひっくり返したのです。

中国国民が、第二次世界大戦時において、強制連行及び強制労働により損害を被ったとして、日本企業に対して損害賠償を請求した事件です。最高裁判決も、原告と被告企業との関係において、高裁判決が認定した強制連行及び強制労働の事実を前提としています。この原告らは、中国大陸において日常生活を送っていたところ、軍隊によって、貨物船に乗せられて日本に連行され、強制的に労働をさせられました。過酷な労働により、多くの中国人の人命が失われ、また重大な傷害を負った事実が認定されています。

そして、昭和26年に締結されたサンフランシスコ平和条約の「枠組み」の下で、「個人請求権の放棄」という言葉の意味を、「請求権を実体的に消滅させることを意味するものではなく・・・・裁判上訴求する権能を失わせる」ことと解しています。

実体権としては消滅しないが、裁判上訴求できないというのは、法技術的な表現であり、難解ですが、要するに権利があっても裁判に訴えることができないということです。

わが国の国内法上、自然債務という概念があります。これに対する権利と同じ存在ということになります。例えば当該の契約が公序良俗に反して無効なので、お互いの契約上の義務は自然債務であり、任意に履行しても構わないけれど、裁判上は請求できないとされる場合です。実際の裁判例があります。

そして、サンフランシスコ平和条約の枠組みの下で、日華平和条約が締結され、日中共同声明が発出されたのであり、中国との関係においても、個人請求権の処理について同様に解されるとしたのです。この部分がこの判決の中核をなすものであり、判例として効力を有します。すなわち、中国(及び台湾)との関係において、日華平和条約及び日中共同声明により、個人請求権は放棄されたのであり、実体権としては失われないが、裁判上は訴求できないとされました。

同じ日付の最高裁判決(第一小法廷)は、中国人慰安婦が日本国に対してした損害賠償請求訴訟です。この判決も第二小法廷の上記判決とほぼ同趣旨です。こちらは東京高裁の判断を維持しました。

なお、第二小法廷判決は、最後の部分で、日本企業(西松建設)が「自発的な対応をすることは妨げられない」と判示しています。これは上述したように裁判上は請求できないということを繰り返したに過ぎません。任意に対応することを希望するという判示は裁判所の罪滅ぼしでしょう。法の問題ではありません。

もっとも、この日本企業は一定の補償を政府より得ていたこともあり、最高裁判決の後に、原告側と和解しました。

日本の最高裁以下の裁判所及び、行政府の解釈を総合すると、わが国は、平和条約等にいう「個人請求権の放棄」の意味を、戦争被害者の権利(実体権)自体は失われないが、双方の政府が自国民に対する外交保護権を行使することを放棄し、かつ、裁判上請求が許されなくなるという意味に解しているということになります。

繰り返しますが、正確には「個人請求権の放棄」を規定したのではなく、自国及び他国の、国及び国民相互間の請求権を一括して処理したのであり、日本が相手国に対して、その双方を併せて賠償等を支払ったのです。個人的な請求の問題は、日本としては、相手国が国として被害者に補償することを期待していると言って良いでしょう。

自国民が、他国領域において被った人権侵害に対して原状回復を図る国際法上の国家の権利を、外交保護権と称します。請求権協定により、当事国がこれを放棄したことは争われていません。日本及び韓国が、第二次世界大戦時に被った自国民に対する人権侵害等の被害について、外交保護権を行使することは許されません。しかし、第二次世界大戦後に締結された条約としての日韓請求権協定に、当事国が違反して、その国の領域内において損害を被る自国企業に対して外交保護権を行使することは別論です。


4、国際法と国内法

上記最高裁判決は中国国民との関係についてのものです。従って、日華平和条約と日中共同声明が問題とされました。韓国国民との関係については、日韓請求権協定があります。この解釈をしなければなりません。個人請求権の放棄についての日本の解釈は、中国との関係と同じものであると考えられます。

韓国政府も、元徴用工については、個人請求権の放棄について、日韓請求権協定が規定していると解していたのです。ところが、韓国の大法院が、同趣旨の下級審判決を覆したのです。韓国国内裁判において、韓国人被害者から日本企業に対する請求を認めました。韓国の裁判所は韓国憲法の価値観に従い、その法体系の下で結論を正当化しています。条約の解釈について、行政府と裁判所が対立した場合、憲法がその解決方法を決めています。韓国国内法において、大法院判決が最終的であるとするなら、条約の解釈が韓国国内法的に決定されたのです。

日韓請求権協定という条約について、日本の国としての解釈と韓国の解釈が相違するという事態を生じました。それぞれの解釈が国内法的には至高であり、当事国双方の解釈が対立しています。

日本は、韓国を条約違反、すなわち国際法違反であると非難しています。この場合、まず第一に、当該の条約に規定された紛争解決の方法によることが必要です。条約の解釈について、当事国間で争いを生じた場合に、どのようにこれを解決するかを、条約において、予め規定しておく場合があります。日韓請求権協定には、国際仲裁によるべきことが規定されています。日本が再三再四、韓国に対して国際仲裁に応じるように要請し、条約に規定される期間内に仲裁人を選任するように要求したのに対して、韓国が無視したのです。

ある報道によると、戦略的無視であるとされていました。「日本が一方的に設定した期間に従う必要がない」との声が韓国側から聞かれましたが、条約に基づく手続きの開始を通知し、所定の期間内に韓国として行うべき手続きを履践するように要求したに過ぎません。なぜ、韓国が国際仲裁を殊更に拒むのでしょう。これは憶測に過ぎませんが、日韓請求権協定について、通常の条約解釈の手順に従う場合に、上記に触れたような意味で、韓国には自信がないからではないでしょうか。

日韓請求権協定の解釈について、対立が解消されない限り、日本企業が裁判上の請求に応じるべきではありません。これを認めると、韓国側の条約違反を追認することになります。

また、戦争ないし占領に伴う個人的請求に関して、たとえ請求権を一括的に処理する条約等があっても、他国や他国企業に請求できるという先例を与えることにもなります。韓国のみならず、第二次世界大戦終結後に平和条約を締結し、請求権処理を行った全ての国の国民との間に、同様の訴訟を生じる恐れがあります。

日本としては、国際司法裁判所への提訴が考えられます。しかし、この場合も、韓国が応じない限り、裁判が始まりません。たとえそうであったとしても、日本が提訴するべきです。これに対して、実際に韓国が応訴しない場合、そのことを国際社会に対してアピールできます。


5、ドラえもんのポケットは存在しない

現実の国際社会の紛争を、直ちに解決してくれる魔法の道具はありません。

過去に締結した条約も、法的効力のある限り、法は法として筋を通すべきです。

しかし、同時に、国際人権法ないし国際人道法の現代的発展も考慮する必要があるでしょう。私には全く見当もつきませんが、徴用工をめぐる日韓の問題を解決するための何か良い知恵は無いものでしょうか。

直接的な解決策ではありませんが、日本は戦争を引き起こす国にはならないということが何度も確認されると共に、国際法の現代的展開を踏まえて、他国の争乱において、積極的に発言を行うべきであると思います。現在、この地球上で強制労働等の国際人道法違反があってはならないのです。また、世界における紛争下性暴力の被害を食い止め、被害者に対して救済の手を差し伸べるための何らかの方途を、日本が提供することがあり得ます。日本は、韓国慰安婦問題の解決の一環としてアジア諸国の女性のための基金を創設し、一定の給付を行うなどの事業を行った経験があります。この事業は終了しているのですが、むしろこれを継承発展させ、世界中の紛争下性暴力被害の根絶と救済のための基金とすれば良かった。

日韓の問題を直ちに解決するドラえもんの道具はありません。但し、両国の国民が、特に若者達が「政治は政治、文化は文化」と言いながら、文化交流を継続している姿に感動を覚えます。互いの国の人々が、相手国の文物を好む風潮を遮ってはならないでしょう。


少し早めに更新しました。(^_^)

次回は、9月14日ごろ更新の予定です。