立憲主義2 ― 2017年11月02日 13:37
従って、憲法解釈論としての結論を述べるつもりは毛頭ありません。
事実関係の経過を整理して、今の状況が立憲主義に適うかを、通常の語の用法に従い、考えてみます。
前提の一つが、国際法上、国は自衛権の行使が許されるとしても、そこからストレートに、憲法の解釈を決定することはできないということです。わが国の憲法の解釈は、それ自体として行われる必要があります。
次に、自衛隊が合憲か違憲かについて、憲法学者間で未だに争いがあるという事実を確認し、違憲説が多数であるようだとは言えそうです。
朝日新聞が憲法学者に実施した2015年のアンケート結果によると、違憲ないしその可能性があるとしたのが、122人中77人でした。
安倍首相も、憲法学者の多くが違憲説であることを、憲法改正の根拠の一つとしていました。
また、政府(内閣法制局)の憲法解釈が当初より合憲であり、近時、立憲主義の理論的根拠に関する形而上的議論から、自衛隊合憲を導く有力説があるというのも事実です。
もっとも、以前も述べたように、法解釈とはいかなる結論をも導き得る技術でしかありません。
憲法学説の圧倒的通説が違憲説であった時代があっても、しかし、自衛隊の存在が既成事実となってしまったのは、なぜでしょうか。
裁判所が憲法解釈を怠り、
憲法学者が、解釈的営為を放棄するなら、
そして、政府解釈と国会議員の多数決を、民主的決定であるから
最終的であるとするならば、
仮に、違憲であったとしても、その政府の行為が、政府部門の解釈によって、改憲されてしまうことを意味するでしょう。
解釈改憲です。
更に、安保法制による集団的自衛権の行使が、違憲であるとする憲法学者が、現在、多数であるというのも事実ですね(先のアンケート参照)。
この先、同様に、いつまで解釈改憲を続けて行くのでしょうか。
そうだとすると、これが通常の語の用法に適った立憲主義と言うべきでしょうか。
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