オレンジ特急 ― 2020年11月28日 01:17
座間猟奇殺人事件の死刑求刑がありました。
相模原市の障害者施設殺傷事件を思い出しました。障害者は生きる価値がないという「思想」を犯人は持っています。
そのような思想を持つ人に何も言うことはありません。
そうではない人がこの拙い文章を読んでください。
1 オレンジ特急
近鉄特急のオレンジ色に紺色のストライプの、おしゃれな車体の、小さな窓の中、何度もうなずいて、発車のベルが鳴り、動き出す電車の窓を目で追いながら僕もうなずき返して。
母の目に涙が浮かんでいた。
「会いたさ見たさに怖さを忘れ〜」。子供に会いたいから、病院を逃げ出して、どうにもちぐはぐな陽気な歌を何度も歌いながら、いつものようにいる母。
それでもどうしようもないから、また病院に逃げ込む。
昨日の夜も、夫婦喧嘩だった。猛烈ないがみ合い、がなり合い、幼い僕はいたたまれない。ぎゃーっと叫んで、泣きながら、毛布をストーブの前に投げつけると、父が僕の頬を叩いた。
母が悲しそうに僕を見つめる。
どうしようもないから、この子のためだと思って、自分がいるといけないから、そう思って、
また病院に逃げ込む。
中学になった僕が、母親に付き添ってゆく。堺市駅から、陸上クラブの遠征でいつも利用している国鉄で、天王寺。近鉄に乗り換える。バスの中も、電車の中も、僕は真っ暗な窓の外を見ている。母も僕も一言も口を聞かない。僕があげたショールを肩にかけて、大きな荷物を持って母が電車に乗り込む。
発車のベルが鳴り、小さな窓の中、何度もうなずいて、動き出す電車の窓を目で追いながら僕もうなずき返して。
母の目に涙が浮かんでいた。涙を浮かべて、僕を見つめながら、すまなそうに何度もうなづいていた。
2、貯金箱
小学生のころの僕は、たくさんのお年玉をもらった。祖父の家に行くと、決まり文句の「あけましておめでとうございます」をいうと、祖父や親戚一同がお年玉をくれる。大人ばかりの宴席に、僕がお年玉を独り占めできる。宴席のはじっこに座って、つまらなそうにしていると、周りの大人がかまってくれるけど、それが煩わしい。ただ一人の子供のお勤めだ。
母も父からお金をもらって、僕にくれる。そのお金を全部ためて、小さな金庫の貯金箱に入れていた。そのお金を母が盗む。ダイヤル式の鍵を、おもちゃだから単純で、一つ一つダイヤルを回してゆくと開けられる。ダイヤルの番号を変えても、また無くなる。お金が無くなっているのを見つけて、僕が叫んで母を責めても、もう遣ってしまっている。
あるとき、母がダイヤルを回して貯金箱を開けると、びっくり箱のように、バネのおもちゃが飛び出した。驚いている母を、かげで見ていた僕がお腹を抱えて笑った。母が、「何でこんなことをするんや〜」と顔をくしゃくしゃにして面白そうに笑った。
3、おねしょ
どうしても寝られなくて、苦しいから、薬がなくては生きていけない。数ヶ月分の薬袋が大きく膨らんだ中に、小分けされた粉薬の1日分を、ベロを出して舐めて確認すると、睡眠薬だけ取り出して、毎日、夕方に倍量か3倍量にして飲んでいた。眠剤のせいで昼間でもほうけた顔つきで、それでもそんな状態で出歩いていた。自分の調合したアッパーを飲んだせいで、双極性躁うつ病のようになった。
夕方、ご飯を食べさせると、薬を飲んで、夜8時までには正体不明になって、眠りこける。決まって、明け方5時ごろにおねしょをする。
階下から、「しげる〜、しげる〜」と呼ぶ声で起こされる。階段を駆け下りると、母がほおけた顔で僕を見る。下着を渡すと、自分で替えた。濡れた母のパンツを洗濯機に入れて、べたべたになったシーツを換えて、おねしょの布団を干し、乾いた布団を押し入れから出して、母を寝かしつける。毎日のこと、何の苦にもならなかった。
4、ケーキ屋
母が、ケーキを買うという。一緒に行ってやるというと、うれしそうにしている。いつものケーキ屋に行くと、若い女の店員が、また来たというように二人で顔を見合わせて、ニヤニヤ笑いながらぞんざいにしている。母は眠剤のせいで、昼間からほうけたような顔つきで知的障害のように見えた。ろれつも回らない。
いつもこうやってばかにされて、怒っていたんだ。
大学生の僕が、その店員をきつく睨みつけながら、叱りつけるような口調で注文すると、かしこまったように、ケーキを渡した。
帰り道。ベージュのアラン織のセーターに、母が編んだマフラーをして、網目のそろわないやたらと長いマフラーをして、並んで歩いていると、母がほうけた顔のまま、僕の腕に自分の腕を絡めた。そのまま寄り添って、腕を組んで帰った。
5、もう一度、オレンジ特急
その母が亡くなった。突然だった。僕が大学院生のとき。死因は睡眠薬の誤飲とされた。もう無理だった。病院に戻らないと無理だった。そう言っても、母は、「病院に行って欲しいの?」と言って、悲しそうに見つめた。
亡くなった後、母のタンスの中に、ハンカチを見つけた。色とりどりの安物のハンカチを、大切に取っていたのだ。僕があげたハンカチだった。それをみて、泣いた。泣いた。泣いた。
どんな命も愛おしい。
母は、若いころ、洋裁の達人だった。僕の小学校の入学式。まだ貧しかったから、母のワンピースと、僕のブレザーと半ズボンを上下お揃いの生地で仕立てた。編み物も得意で、テーブルクロスも、自分の藤色の上着も、小さなパターンをつなげて作っていた。
僕が幼かったころ、母に連れられて道頓堀のお茶漬け屋に行った。母が僕の分しか注文しない。僕は母の口元に箸をつけて、要らないの、食べないと?と何度も聞いた。おいしいよ。
母が怒り出した。外に出ると、足早に、僕を置いていくほどの勢いで歩いた。「恥ずかしい」、何度も、母が言った。
どんな命も愛おしい。
障害者でも。
一個の命が、どんなに大切か。どんなに。どんなに愛おしいか。
学術会議の任命拒否問題 ― 2020年10月18日 20:58
(_ _)
当面、不定期に更新します。気がついたら、読んでみて下さい。
1
日本学術会議法は昭和二十三年に公布された法律です。戦後間もなく、戦中、科学が軍事目的に利用されたことの反省に立ち、政治部門とは独立した科学者の機関として設立されました。昭和58年に大きな法改正があり、それまでの、会員公選制から推薦制に改められました。このとき、学術会議の推薦に基づき内閣が任命するとしても、形式的任命であり、実質的な意味合いを含まないという趣旨の政府答弁が繰り返されていました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201008/k10012653471000.html
NHK・News Web 2020年10月8日 12時48分)
政府は、憲法15条を根拠にしつつ、首相に、推薦通りに任命する義務はないとの立場です。かつ、昭和58年法改正時の政府答弁から、必ずしも解釈変更はないとしています。
憲法15条は公務員の選定・罷免権が国民に存することを規定しています。ここで、公務員とは国民の代表者たる議会の議員のことであり、普通選挙によることが規定されています。この規定を根拠として、その他の公務員についても、国民主権原理の下で、国民の代表者である国会・地方議会がその勤務条件等を決定する権限を有するべきであると解されています。民主主義的コントロールが公務員全般に及ぼされるという趣旨です。
ここから、学術会議の会員も公務員であるので、一定の民主的コントロールが及ぼされるべきであるとすることは理解できます。しかし、その民主的コントロールとは、国会が学術会議法という法律により、その選任の方法を決めているならば、それで足りると解することもできます。直ちに、首相の任命拒否権の根拠となるとは言い難いのです。
学術会議会員は公務員といっても、特別公務員であると加藤官房長官が説明しています。特別職公務員とは、一般職公務員と異なり、「政治的な国家公務員(内閣総理大臣、国務大臣など)や、三権分立の観点や職務の性質から国家公務員法を適用することが適当ではない国家公務員(裁判官、裁判所職員、国会職員、防衛省の職員など)を指します(人事院のHP「おしえて人事院-国家公務員や人事院に関するQ&Aです」より)。
公務員と言っても多様であり、職務の性質に応じて、民主的コントロールの在り方も様々です。例えば、国立大学の役員や一般の教職員・事務職員は、法人化以前は文部省・文科省の一般職国家公務員でした。法人化後も国家公務員法の適用は受けませんが、準公務員として、学長は文科大臣が任命します。運営費交付金など巨額の税金が投入される教育・研究機関です。法人職員の勤務条件は人事院勧告に従い決定されます。仮に、文科大臣が、特定の国立大学において選考された学長の任命を、政治的理由に基づき拒否するなら、直ちに学問の自由に関わる問題となるでしょう。
また、特別職の代表格である裁判官ですが、その非民主的性格は法学を行う者の常識です。裁判所は司法を行う国家機関として税金により運営されています。しかし、日本の裁判官は、国民の選挙により選ばれません。たかだか最高裁判所裁判官について、国民審査があるだけです。但し、憲法および裁判所法に基づき、最高裁判所裁判官は内閣の指名に基づき、天皇が任命し、下級審裁判官は最高裁の指名に基づき、内閣が任命します。一旦、判事として任命されると、国会の弾劾裁判によるほかは罷免されません。民主的コントロールからはほど遠い存在ですが、この程度にはコントロールが及んでいるとも言えます。もっとも、下級審裁判官について、最高裁が指名した判事を、政治的理由に基づき、内閣が任命を拒否できるとすれば、政治部門が司法に対して介入したとして、三権分立の観点から直ちに憲法違反の疑いを生じます。
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学術会議は内閣総理大臣の所轄であり(法1条2項)、その会員については、学術会議が内閣総理大臣に推薦し(法17条)、総理大臣がその推薦に基づき任命する(法7条2項)と規定されています。これまで、学術会議の推薦に対して任命拒否を行った例がなかったのに、今年の推薦に限って首相が6名について拒否したのです。いずれも人文および社会科学の分野の学者であり、自然科学分野を含んでいません。
新聞報道等によると、この6名の学者は、集団安保法ないし共謀罪の創設に係る組織犯罪処罰法改正に反対の立場を表明したことのある人物です。政府は、総合的な見地からの任命権の行使であり、人事の案件であるから詳細を述べないとして、具体的な理由を明らかにしていません。
学術会議会員となるべき資格は、「優れた研究又は業績がある科学者」(17条)としか規定されていません(11条も参照。昭和58年改正時の両院の付帯決議によると、推薦に際して、女性や年齢構成に対する配慮が求められている)。政治家や官僚が、学問的業績を評価して、わが国における各分野の最も優秀な専門家達の推薦を拒否することは不可能と言えるでしょう。後でも触れますが、集団安保法反対等の理由であるとしか考えられません。そうであれば政治的理由に基づき、学術会議会員の任命を拒否したことになります。
このことが憲法の規定する学問の自由に抵触するかが問われます。
3
以降の記述の前提として、特定の政治的立場から述べているのではないことを明らかにしておく必要があるでしょう。まず、集団安保法について、憲法違反の疑いは晴れません。憲法改正が必要です。拡張的個別自衛権と、片務性のある集団自衛権というのは、どれほどの相違があるのでしょうか。具体的に、何ができて、何ができないのかの精密な議論こそ必要です。例えば、自衛隊が敵地攻撃能力を保有するべきだというのは、個別自衛権の範囲内で可能な議論です。原理的な、もっと言えば、言葉の争いをいつまでもしていては仕方がないのではないでしょうか。拡張的個別自衛権のラインに戻すとしても、日本の片務性に関するアメリカとの再交渉を含めて、外交・安全保障の現実的対応をとらざるを得ません。
次に、組織犯罪処罰法の改正についてです。現在の国際社会共通の最大の関心事項の一つがテロとの闘いであり、また経済的犯罪組織を含めグローバルな手法を用いた資金洗浄の防止です。そのために「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」が平成12年に国連総会において採択され、わが国が同年に署名し、平成15年には、条約として発効し、わが国の国会が承認しています。
わが国における条約の実施法が組織犯罪処罰法の改正法であり、共謀罪の新設ですが、この実施法の成立に随分時間を要しました。実施法の成立後、同条約を締結し、ようやく同条約がわが国内において発効しました。外務省のホームページによると、2018年6月18日現在の締約国は,189の国・地域となっている非常に成功した多国間条約です。この条約の趣旨について反対する人は少ないでしょう(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/soshiki/boshi.html 参照)。
条約を締結すると、国際法としてわが国を拘束します。その内容に抵触する国内法の改廃を行わない限り、国際法違反ということになるから、実施法の成立を待たなければなりませんでした。実施法との関係でいうと、共謀罪を新設して、準備段階に犯罪の構成要件を拡張することが、条約上の義務と言えるかが焦点となります。もし条約上の義務であるならば、必要な立法を行わない不作為の国際法違反となるので、国会が条約の承認を行い、これに加入すると決定しておきながら、実施法の立法を怠るのは矛盾します。もっとも犯罪化拡張の範囲について、どのような法改正が有り得たか、条約および国内法の解釈が必須とはなります。
4
学術会議法の問題に戻ります。
同会議の目的が法の前文に規定されています。すなわち、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」。戦後間もなく、焦土と化した国土を前に、政治家も科学者も、その戦禍を被ったことを悔い、二度と、科学の軍事利用がなされないように決意したことが伺えます。
この目的のための職務を遂行する上で、学術会議の独立性が規定されています(3条)。昭和58年改正時の両院の付帯決議にも、特に、会議の独立性に配慮するべきことが述べられています。
その職務として、政府は学術会議に対して、「科学に関する研究、試験等の助成、その他科学の振興を図るために政府の支出する交付金、補助金等の予算及びその配分」や、「政府所管の研究所、試験所及び委託研究費等に関する予算編成の方針」について諮問することができ、諮問を受けた学術会議は答申を行います。また、学術会議は、「科学の振興及び技術の発達に関する方策、科学に関する研究成果の活用に関する方策。科学研究者の養成に関する方策、科学を行政に反映させる方策、科学を産業及び国民生活に浸透させる方策」に関して政府に勧告を行うことができます。
学術会議が行政改革の対象たり得るとして、その在り方について見直しが検討されるという報道がありました。近時、学術会議が「提言」は行っているが、「答申」「勧告」は余り利用されていないとされています。しかし、最近はあまり諮問がないので、「答申」がないというのが本当のところのようですし、求められてもいないのに、学術会議が政府に対して「勧告」を行うほどの必然がないとも言えそうです。「勧告」というよりも「提言」する方が、当たりが柔らかいので、日本社会では受け入れられやすいでしょう。
学術会議は政府の言う通りに答申、提言を行っておれば良いというのであれば、その会議は単なる御用学者集団であり、独立性を損ない、その目的を無にします。
見 直し議論の背景として、学術会議が軍事目的研究を禁止していることが考えられます。
「井上信治科学技術政策担当相は13日、日本学術会議が軍事目的の研究を禁止していることについて「戦後70年以上たち、社会のあり方、時代の変化もある。軍事と民生のデュアルユース(両用)はどの科学技術の研究分野でもあり得る。そうした変化も考えた上で考えていただければと思う」と述べ、禁止の見解を見直すよう促した」。(https://www.sankei.com/politics/news/201013/plt2010130021-n1.html
産経新聞2020.10.13 16:39)
戦後復興を遂げ、既に経済大国となって久しい日本です。時代の進展とともに、日本周辺の情勢および国際社会の考え方が変わり、科学技術の発展もあるので、これに併せて学術会議の在り方が見直されるということは、すなわち軍事目的の研究を解禁するべきであるという圧力であるようです。
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以上の一切が今回の任命拒否の理由でしょう。
まず、先に述べたように、集団安保法や共謀罪について、研究者として、その学問的知見からどのような意見を持ち、主張するかはその研究者の自由であり、これが理由で政府が学術会議に任命しないとすると、まさに学問の自由に関わる問題となります。
次に、廃止を含めた行政改革を振りかざして、どうしても政府の見解を踏襲するべきだと専門家集団に強要することもまた、学問の自由に抵触する可能性があります。助成金、交付金、補助金などの配分、政府所管研究所等における予算編成について、政府の諮問を受けたときに、軍事目的研究に肯定的に言及する答申をさせるということでしょうか。
時代や社会の進展とともに、法の改正や法解釈の変更が必要となることが有り得ることは当然です。少なくとも、学術会議会員の任命拒否は法の運用の変更に当たります。軍事目的研究の解禁を促すために、会議の構成員を代えようとするのではないかと少々穿ったみかたをしたくなります。しかし、当初の学術会議の目的が上述の通りである以上、軍事目的研究の解禁を認めることは背理となります。
確かに重要な問題でしょう。学術会議でも議論を尽くす必要があります。むしろ学術会議だけでは済まない、大いに国民的議論を巻き起こしてゆくことが必要な問題です。繰り返しておきますが、仮に集団安保法や共謀罪に賛成であり、軍事目的の線引きが困難であるからその研究も有り得るとする立場をとるとしても、思想良心の自由、言論の自由、学問の自由に抵触する方法をとることは許されません。
憲法を含めた「法」の解釈には客観的な、取り得る範囲があるとする見方を私は取っています。法と政治を明確に区別するべきです。法は社会統制の道具です。法の支配が社会の安定に通じます。そのときの政治的風潮に左右されない厳然とした範囲のあることが重要です。
法の明文および改正時点での両院付帯決議における独立性の強調、推薦規定を含む法の構造、学術会議創設の当初目的と推薦制の当初運用を勘案して、学術会議法の解釈として、首相による任命拒否を可能とする解釈変更が可能かについては相当疑問があります。これを可能とするためには、行政府が暗黙裏に解釈変更を行うという姑息なやり方ではなく、真正面から、学術会議会員の任命方法についての法改正を行うべきであったでしょう。
行政庁所管の法律について、当該行政庁の解釈が先行し、まずは優先されることには疑いがありません。しかし、解釈の可能な範囲を超えると違法となります。学術会議法の解釈に憲法問題が関係します。法解釈についての有権的最終的な決定権限は裁判所にあります。任命拒否問題は継続しています。いずれ憲法訴訟に発展するかもしれません。
2020/11/07 誤解を招かないために、3の部分的な修正。
子の連れ去りと親権者の決定 ― 2020年08月24日 19:05
「親による「子の連れ去り」が集団訴訟に発展 海外からは“虐待”と非難される実態とは」(https://dot.asahi.com/dot/2020082000083.html?page=1)
AERAdot. 8月22日の記事です。
子の一方的な連れ去りについての法の未整備が、憲法13条に違反し、連れ去られた子の人権も侵害しているとして、別居中の親を中心に、他方の親から引き離された子供も含まれる原告団14人が、国を相手取って集団訴訟を提起したという内容です。
欧米諸国には共同親権の制度によっている国があります。通常子の監護、養育を行う親を決めつつ、他方の親の面会交流権も保証されることが多いのです。欧米の映画やドラマを見ていると、毎週末の数日や、一月に一度1週間程度、あるいは学校の長期休暇中の一定期間、通常一緒に暮らしていない親の住居に行くという場面が出てきますね。監護・養育権を持つ親は、相手方が子との面会交流を行わせる法律上の義務を負うので、その同意なくして遠方に転居して、面会交流を困難にすることも禁じられます。仮に、監護権のある親が従来の住居から子を連れ去ったり、逆に、そのない方の親が面会交流中に子を連れて遠方に逃げたりすると、誘拐罪に問われることもあるのです。父母の共同親権の下で、通常養育する親を決め、他方との面会交流を親及び子の双方に厳密に保証していることが分かります。
これと異なり、わが国は単独親権の制度をとっています。現行民法上、夫婦の離婚の際に、財産分与や慰謝料の支払いが決められ、そして子供がいる場合、親権者が決定されます。当事者の協議に基づき、最終的には裁判所が、両親の経済状況や社会的立場、子供の置かれる環境などの諸事情を総合的に勘案して、子の幸福の観点から、子の親権者がいずれの親となるか、養育費の支払いや親権のない親との離婚後の面会交流の方法を含めて、当該の子に最も適切な方法を考案することになっています。
従って、一方の親の単独親権といっても、通常養育する親を決め、親権のない方の親も養育費を分担しつつ、適当な方法で面会交流を行うことを取り決めることもできるのです。しかし、実際上、親権者とされた親が離婚した他方配偶者に対して、子との面会交流を拒むことや、再婚などの事情により、子との面会が困難になることが多いのです。また、養育費の支払い不履行が横行しています。
上記のweb記事によると、「約90名の議員が所属する超党派の議連「共同養育支援議員連盟」が、森雅子法務相らに対し、養育費不払い解消に関する提言書を提出」したとされています。養育費の支払いと、面会交流を含む共同養育の取り決めを離婚成立の要件とする、法の改正を求めているようです。
離婚の成立要件として合意したとしても、その約束が反故にされないための仕組みが必要でしょう。提言の内容を知らないのですが、養育費の支払いと面会交流の権利・義務を組み合わせるうまい方法があると良いようには思われます。子の連れ去りとの関係で言えば、結婚が破綻した夫婦の一方が、離婚前に、他方配偶者に無断で子を連れて家を出て行く場合、離婚の際の親権者指定において、裁判所が、現在、養育している親と子の環境を重視するので、結局、連れ去った方が勝つ場合があるのです。
欧州連合(EU)欧州議会が8月8日、EU加盟国の国籍者との関係で、日本人の親が日本国内で子どもを一方的に連れ去さることを禁止する措置を講じるよう日本政府に要請する決議案を採択しました。(共同通信)(https://this.kiji.is/653694244372382817)
欧州議会というのは、EUの行政および立法を主として司る欧州理事会および欧州委員会の、諮問機関ないし立法の参与機関というほどの位置付けを有するものです。EU各国における直接選挙により選ばれるEU市民の代表たる議員が構成員です。対日決議といっても法的拘束力はなく、欧州委員会や各国政府に対して日本政府に働きかけることを要請したものです。子供に対する重大な虐待であると非難しています。
国際的な子の連れ去りについては、ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)があります。国際結婚をした夫婦の間の子が、従来居住していた国から、無断で一方の親の国籍国に連れ去られたという場合、連れ去りから一年以内であれば、締約国は、子が元居住していた国に送還しなければならないと規定されています。
1980年に採択された条約なのですが、わが国が締約国となって上の義務を負ったのは、2014年になってからです。外務省のHPによると「1970年には年間5,000件程度だった日本人と外国人の国際結婚は,1980年代の後半から急増し,2005年には年間4万件を超えた」とされています(https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page22_000843.html#section1)が、この間、外国で結婚した日本人が離婚をする際に、子供を無断で連れ出し、日本に帰国するという事例が頻発したのです。欧米諸国を始めとして、ハーグ条約締約国が増加する中、日本のみがいつまでも加入していませんでした。
外国に居住する日本人が、その国の国籍を有する配偶者と離婚すると、居住資格を失う場合もあるし、言語の問題があり、容易に良い収入を得られる仕事を見つけられない場合もあります。国際結婚であれば、経済的にも、親権争いに敗れて帰国を余儀なくされると、二度と子供に会えなくなることを懸念して、離婚裁判の前に、あるいは裁判中に隙を見つけて、相手方に無断で子供を連れて帰国してしまうのです。日本の裁判所は、日本法の下で、子が現在日本にいる生育環境を重視して、養育中の親の経済状況に問題がないならば、子の利益の観点から、養育中の親の親権を認め、子の連れ戻しを認めません。ハーグ条約の締約国であれば、1年以内であれば、理由のいかんを問わず、よほどの事が無い限り、連れ戻しが決定されなければならないので、日本の裁判所の実務が国際問題に発展しました。
子から引き剥がされた外国にいる親は、その国で、離婚裁判や親権者指定の裁定を裁判所に求めるでしょう。子の一方的な連れ去りを違法とする国であれば、尚更、置いてきぼりにされた親の親権、監護権を認めます。アメリカ人の父親が、日本人の母親が子供を連れ去った場合に、その母親と子供の住所をつきとめて、母親やその家族の前で、暴力的に子を連れ戻そうとした事件が起こりました。日本では、アメリカ人の父親が警察に拘束されたのですが、アメリカでは父親が親権・監護権を認められていたので、この母親がアメリカに行けば、誘拐罪で逮捕されていたのです。この事件を契機として、日本の態度を非難する世論がアメリカ国内で巻き起こり、アメリカ政府が日本政府にたいして、一定の措置をとることを要請する事態にまで発展しました。このような事例はアメリカに止まりません。
そこで、日本が重い腰を上げて、ハーグ条約の締結に向けて検討を開始し、上に述べたように、2014年に至って漸く、締約国となったのです。これ以降は、条約の要件に従い、日本は子を元の国に送還する義務を負うこととなりました。現在の住所が判明していると、裁判所を通じて子を保護し、元の居住国に連れ戻すことができます。EU議会の対日決議は、日本国内において、居住地を変えて、子を連れ去ることを問題視するのだと思われます。
日本に住む日本人夫婦の離婚に関する国内事件でも、先に述べたように居住地からの子の連れ去りを防止するのに有効な法が存在しないからです。共同親権か、単独親権か、いずれの法制度が適切なのか、面会交流権の確保の方法など、日本法として、その運用を含めた検討が必要なようです。
ここで、少し、視点を変えてみます。日本は、国際社会の一員です。多くの国において妥当するルールがあるとき、日本だけがこれを無視するなら、日本国内の法としては問題がないと、その時には考えられるとしても、国際的には非難を免れないということです。日本では常識であっても、国際社会では、非常識だとして批判されることが往々にしてあるようです。国際的な、「隣近所の決まり事」があるときには、それに従うという価値観があっても良いでしょう。
子の奪取をめぐる問題は、元々、子が親と居住していた国の、司法的解決がなされるべき問題です。すなわち離婚裁判や調停などの司法手続きに委ねるということが、法治国家としての重要な前提となるはずです。勝手な子の連れ去りを認め、無断で子を奪った方が、既得権により優先されるということを認めることが、多くの国で違法視されているのです。それでは、子の両手を、両親が実力を行使して引っ張りあう、文字通りの奪い合いにもなります。子の利益には全く適わないでしょう。ハーグ条約が、原則として子の親権の法的内容や具体的な監護のあり方については述べず、ただ、一方的に子を奪う行為を問題にして、子を、元居た国に返した上で、その国の司法的解決に委ねることのみを義務付けているのです。
ハーグ条約が適切にわが国で実施されるためにも、離婚の際の親権者指定をめぐるわが国国内法上の問題を、もう一度考え直す必要があります。
コロナ大恐慌と9月入学-ソフトな公共投資 ― 2020年07月21日 04:01
広田 照幸「コロナ危機でわかった、日本の学校に教職員が「23万人以上足りない」現実 「令和の学校教育」に向けて必要なこと」現代ビジネス(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74032)
日本大学教授である広田氏のweb記事です。5月、政府が9月入学の導入について検討を始めたときに、反対を表明した教育学会の会長です(参照、日本教育学会声明。(http://www.jera.jp/20200511-1/))。小池知事や吉村知事ら複数の政治家が賛成を表明したことに対して、文科省で記者会見を開いた広田氏が、「教育制度の実態をあまり知らない方が、メリットだけ注目して議論している。財政的にも制度的にも大きな問題を生む」と述べていました(共同通信。https://news.yahoo.co.jp/articles/0100cc1c43ed6001876bbbfd8da5f4216865ce15)。
現代ビジネスの広田氏の記事によると、コロナ前の段階で、学校は既に手一杯だったとされます。1980年代以降、個性重視の教育原理に変わり、「子供達に考えさせ表現させるような教育が推奨される」ようになった、2020年の新指導要領では、「主体的・対話的で深い学びへの転換が求められている」そうです。文科省の発出する学習指導要領が時代とともに変わって行くのです。指導要領が変わる度にその対応に追われ、それに従ったカリキュラムを進め、全国で画一的な学校行事を遂行して行くだけでも大変そうですが、それに加え、日々の雑務に追われ、超過勤務を強いられて、教職員が疲弊しています。
個性を重視し、自分で考え、発表するということがいかに大切なことか、大学教員のはしくれである者にとってこそ、痛いほどよく分かります。
日本の大学生は自分の考えを発表することが本当に嫌いです。むしろ、考えるということ自体が苦手なのではないかと思えます。大学で行う学問は、通常、答えがありません。正解がないということに、学生らが慣れていないのです。
その先生がどう考えているのか?それが学期末試験の正解なのだから、それだけ丸暗記しておけば良い。考える筋道はいらないから、手っ取り早く正解を教えてくれ。
それまでの学校教育では、恐らく、教師が板書する内容を、児童・生徒達がノートに丸写しし、教師も、ここが大事だ、ここが試験に出るから「覚えておきなさい」と強調します。この一方通行の、指導要領に従ったカリキュラムの内容を詰め込み式に丸暗記させる教育が、個性を重視した、考えるための授業であるとは思えません。私が、小学生だったころ、かれこれ50年以上も前ですが(笑)、上述の80年代における教育原理の転換を経て、どれ程変わっているのでしょう。
一口に大学生と言っても、千差万別、人により異なるのですが、一般的、標準的な大学生は、上に述べたように「正解」ばかり求め、自分で考えようとはしない傾向が強いようです。新入生に対して、大学教員がまず教えないと行けないのは、今までの勉強とは違って、大学の学問というのは「答えが無い」ということを学ぶことなのだということです。
今までの勉強とは違う?
高校までの学習と、大学での学問とは、勉学の在り方が質的に異なっているということは確かです。大学以前には、日本における各学問領域における水準を標準的な内容として、理解し、記憶することが重要なのでしょう。大学になって始めて、真の学問とは正解がないものであり、真理を追究し、考え抜くことであることを知ってもらわないといけないのですが・・・。それまで叩き込まれてきた勉学の態度を、容易には改めることができないようです。そのような学生達と日々格闘している者として、大学以前に、自分自身で考える態度と、その考えを発表する姿勢を、何としても身につけて欲しいものだと、常々考えていたのです。
高校までの勉強を変えて欲しい。
ところが、広田氏の記事を読んで、それが無理難題であるあることがよく分かりました。個性や対話を重視し、考えること、発表することを、充分教育するためには、適切な少人数教育と新たな工夫が必須となるでしょう。ところが小、中、高校の教員数が圧倒的に不足しているのです。教育学会は、この5月にまとめた提言で、教員10万人、学習指導員などの職員を13万人増員することを求めています。
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政府の教育再生実行会議が、本年7月20日の会合において、新型コロナウイルス感染症を踏まえた「ポストコロナ期における新たな学び」と題して、情報通信技術(ICT)を活用したオンライン学習の推進や、将来的な9月入学の導入について議論を始めました。小中学校及び高校の教育と、高等教育とに分けて検討するとされています。
(「コロナ後の「新たな学び」議論 ICT推進、9月入学―教育再生会議」(時事通信。https://www.jiji.com/jc/article?k=2020072000811&g=pol))
私自身は、教育学会の立場と異なり、本年度新入学生および在校生についての、半年ほどの卒業延期と、来年度新入学生からの9月入学を支持していました。今のところ、既に政府が断念したので仕方がありません。今後、今のようなコロナ蔓延の状況を前提にしながら、多くの重症者・死者を生じるような事態に陥らない限りは、以前のような一斉休校はしないという政府・自治体の強い意思を感じます。
地域によっても異なるのですが、その場合、今後も、感染防止のための分散登校や遠隔授業を織り交ぜる必要に迫られています。学校におけるソーシャル・ディスタンスの確保のために、一教室の少人数化を図るためです。長期休暇を縮小して、平日授業の延長と土曜日授業を実施しながら、学校行事を省き、カリキュラムも一部省略しつつ、在校生については複数年に渉り実施することで対応します。
小中、高の教員、学校関係者はさぞかし大変でしょう。子供達は、ただでさえの詰め込みカリキュラムを、ことさらに、まさに詰め込まれるのです。そして、教育の一環である、大切な学校行事を奪われ、かけがえのない青春の閃光を輝かせる機会を失ったのです。
高等教育については、全国の多くの大学が遠隔授業を早くから実施していますし、元々、教育内容は各教員の裁量に任されているので、その面では余り問題がありません。しかし、新入生は入学式もなく、未だに大学の門をくぐったことが無いのです。以前からの在学生にしても、大学施設を利用することも、課外活動を行うこともできません。友人らとの会話も無く、学生全般に意欲の低下がみられます。
今年の生徒、学生をこそ、救済してあげて欲しい。そのために、万難を排してでも、卒業や進級を延ばしてあげるべきでは無かったでしょうか。大学の卒業時期については、柔軟に対応が可能であったかもしれません。もっとも、就職先となるべき企業等、幅広い社会的合意が不可欠とはなります。
最初の広田氏の記事に戻ります。元々、コロナ以前においても、教員職員等の増員が必要であるのなら、今こそ、そのことを実現する良い機会だったのではないでしょうか。
教育再生会議が、文字通り教育の再生を企図するべく、むしろコロナを契機として、コロナ後の平常時からの一学級の少人数化と、小、中、高校における個性を重視するための、「考え、表現する」教育を目標としなければならないでしょう。
幼児教育を義務教育化し、小学校のカリキュラム内容を一部取り込みつつ、同時に、子供の理解力に応じて、小、中学校からの留年や飛び級が有り得るようにすることは考え得ないことではないように思えます。日本の公的教育制度は、子供の個性を殺し、おしなべて凡人を育てる教育です。科学の天才、文芸の天才、商売の天才、スポーツや芸術、そのほか諸々の実技の天才。いろいろ有って良いでしょう。その才能の芽を摘むことがないようにするべきです。
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大学についても、現在ある文科省の施策には大いに問題があります。文科省は、国立大学に対する交付金の削減という兵糧攻めにより、教職員のリストラを進めています。日本の少子高齢化を踏まえ、国立大学の学生定員が多すぎるので、遅遅として進まない国立大学の統廃合を推進したいという背景事情があります。これも行政改革の一環とも言えます。そして、国立大学の学生について、極めて厳しい定員管理を要求しているのです。
すなわち、受験に合格する入学者が、予め決められた大学としての定員を大きく上回らないように、そして留年率が高くならないようにすることです。民業圧迫になるという理由ですが、要するに、定員通りに学生を入学させ、そのまま4年間で卒業させなさいということになります。同時に、単位の実質化とは、学生にちゃんと勉強させ、適正な成績評価を行えというのですが、至難の業です。
高等教育において、学生が本当に勉強を行うようにするためには、余裕を持った定員管理を行わなければなりません。定員より多く入学させた学生が、勉強をしなければ留年し、最終的にも卒業できないことがあるということが普通だという、アメリカ型の方法です。単位の実質化を行うためには、毎日の授業の予習、復習のための宿題を課し、厳密に評価しなければなりません。現在の日本の大学教員が研究と教育を両立させるために、多人数の学生の宿題に目を通している暇がありません。チューターなどの補助業務を行う職員が必要になります。
小中高の教職員数の増員を行わないこと、従って一学級の少人数化をなし得ず、子供の個性を伸ばすことができない教育、交付金を削り、大学の教職員数を減らすこと、従って勉強しない学生を放置せざるを得ず、高等教育の破綻を黙認すること、都道府県毎に少なくとも一つの国立大学を確保しないこと、これら全てが行政サービスの削減ないし低下です。
コロナによる世界的な大不況は、もはや大恐慌と比較されるようになっています。第二次世界大戦以前の大恐慌のとき、これを乗り越えるために必要な公共投資はダムの建設や鉄道の敷設として行われました。
今、目の前にある恐慌に対して、100年後の日本のために現在必要な公共投資は、人を育てるための投資でしょう。ここでは、学校教育への投資を取り上げましたが、社会人の再教育とやり直しの機会を確保することや、外国人材を受け入れるための様々な投資など、人を育てる投資は多様です。
かつてのハードな公共投資から、現代のソフトな公共投資へ、考え方の根本的な転換が必要です。
ソフトな公共投資は、人を育てる投資のみならず、巨視的には、更に多様で有り得ます。コロナ禍に対処するために現在政府が実行し、批判にも曝されている、国民の賃金の下支えを行う給付や中小企業や個人事業の持続のための給付、観光や人の移動を促すための給付などです。現下の困難の克服のために、戦前のニューディール政策と並ぶような、大胆な公共投資が、それもソフトなそれが求められています。
警察署、児童相談所、労基署、国税局、税関など、人手不足が深刻な公的部門は保健所に留まりません。もっとも政府の財政規律も重要な要素に違いないので、民間の人材派遣事業を活性化する何か上手いアイデアはないでしょうか。
イノベーションを促す企業創生のための投資も現状を超える大胆さが必要でしょう。そのために、古い時代の考え方に捕らわれ、既得権益にがんじがらめにされた法規制の、過不足をなくす変革が、日本社会の現在と将来を前提として実行されなければなりません。
グローバル化と法の支配 ― 2020年06月16日 01:04
また、わが国などのマスク不足から、「国際分業」が問題視されています。国の防疫に関わり、人の健康に影響する製品の国産化のためには、安価な外国製品の輸入制限が必要であるとする趣旨でしょう。
保健所職員の削減など公務員の削減が、新自由主義の産物として、揶揄されることもあるようです。
新自由主義ー国際分業ーグローバル化というキーワードによって繋げられるるのですが、私は、コロナによって、グローバル化が押しとどめられるとは思いません。グローバル化という言葉に対する正確な理解が必要であるようです。
その何が悪であり、何を問題とするべきか。
コロナ禍の遺す教訓は、むしろ「更に一層の法の支配を、この国際社会にも!」ということではないでしょうか。
1,レーガノミクスと新自由主義
レーガノミクスは、減税と政府支出の抑制を組合せ、小さな政府を志向し、財政出動によるよりは、自由競争の下、市場の手に委ねる方が国の経済がより一層発展するとした。新自由主義に基づくとされます。
レーガノミクスは現実の政策であり、思想としての新自由主義そのものではありません。それは経済学および社会理論であり、新自由主義に属するとされる個々の経済学者や思想家の主張が完全に一致するわけではありません。中でも、著名なノーベル経済学賞を受賞したハイエクは、法の支配の下での自由を主張しました。
第二次世界大戦後の世界経済がグローバル化の一途を辿ったとされています。もっとも、世界経済のグローバル化が、いつから始まったのか、自明とは言えないでしょう。世界的な交易は、例えば有名なところで、古代ローマ帝国の時代に盛んであった地中海貿易や、中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの交易があり、近代以降は、欧米列強の重商主義と結びつく、宗主国と植民地間の貿易があります。特に、後者は現代の世界経済の原型かもしれません。
ここでは、第二次世界大戦後の世界経済の発展と国際経済社会の法発展の関係を、手短に説明します。
2,ブレトンウッズ体制の成立と世界貿易の南北問題
第二次世界大戦は甚大な戦禍を国際社会にもたらし、夫や妻、子供、兄弟姉妹、親友、多大な人命が失われました。アメリカを除く先進国を含め、まさに焼け野原となった国土に立って、二度とこのような戦争が起こらない世界を築くことを強く祈ったです。そのための法的枠組みが、戦後間もなく成立したブレトンウッズ体制でした。
ブレトンウッズ体制はGATTおよびIMF協定を基礎とします。その目的は、大戦を招いた主因の一つであるブロック経済化を防止するために、各国ごとの関税や貿易制限を可能な限り抑制し、同時に、通貨の切り下げ競争を回避しつつ、送金の自由を確保することです。かくて、自由貿易主義に基づき、地球上の全ての国にとって、持続可能な経済発展と富の最大化がもたらされるという根本理念を有します。
戦後、1970年代になると、ようやく旧植民地諸国が世界の表舞台に独立国家として勢揃いしました。このころ、国際法に関する南北問題も生じるようになりました。18世紀以来、欧州列強が作り上げてきた国際法の枠組み自体が、そのころには国際法的に国家として存在しなかった植民地諸国に不利であるとして、開発途上国が共同して国際法の改正を要求するようになったのです。
GATTの下で、自由貿易主義の恩恵を被り、奇跡的な経済発展を遂げたのが日本でした。他方で、植民地時代のプランテーションの遺物である社会経済的限界によって、多くの開発途上国が貧困のままに、世界経済の発展から取り残されました。発展途上国にとっては、先進国企業の投資が、経済的に一定の潤いと雇用をもたらし、工業化を図る唯一の方途でした。
しかし、結局、先進国企業が低賃金の下で得た利潤を母国に送金するばかりで、投資先国での再投資と技術移転が一向に進まない時期がありました。途上国側は、投資企業の母国への送金を制限したり、一方的に先進国企業の権益となる施設等を接収しました。これに対して、OECDが資本移動自由の原則を打ち出し、また、企業と途上国との間の国際投資紛争に介入することで対抗しました。
3,アメリカ通商法の不公正貿易の観念とGATT=WTO
貿易の自由の側面からみると、GATTが継承されて、1995年にWTOが成立しました。もともと資本主義の最先端を行くアメリカが、世界で最も強力な独占禁止法と証券規制に関する法を有し、市場における規律ある自由競争を確保するための規制を有していたのですが、通商法としても、自由競争による市場を歪曲する不公正な行為を規制する強力な法を成立させていたのです。
戦後、世界経済の覇権を握ったアメリカが、あるいはアメリカ企業が、追随する国々の企業に対して、自国のこれらの国内法に基づき規制を及ぼそうとしました。他国の企業がその国の緩い法規制の下で、アメリカ法の立場からは不公正な行為により大きな利益を上げていると、自国企業が世界市場において競争上不利な立場に置かれることに我慢ならなかったのです。
悪名高いアメリカ通商法スーパー301条を用いた貿易制限による恫喝によって、他国産業界に輸出自主規制を呑ませるという、GATTの観点からは灰色措置と呼ばれる脱法行為をしばしば行いました。アメリカ通商法の手続を真似て作ったWTOの紛争処理手続は、アメリカ法における幅の広い不公正貿易の観念を、国際法としてGATT=WTOの中に取り込む代わりに、アメリカによる灰色措置を禁止したものです。
4,世界の相互依存性の進展と行き過ぎたグローバル化
GATT=WTOの下、累次の貿易交渉の成果として、世界の関税が劇的に引き下げられ、農産物を含む輸出入の数量制限が撤廃されると、加速度的に世界経済が相互依存性を強めてゆきました。インターネットやジャンボ・ジェット機の就航など、技術的革新もあいまって、交易の観点からは、どんどん国境の壁が低くなり、ヒト、モノ、カネが国境を越えて自由に移動するようになりました。
行き過ぎたグローバル化として糾弾されるような事態も生じます。巨大な投資ファンドが一国の通貨を売り浴びせて、その国を国家破産させたことがあり、国際的通貨危機の引き金になりました。最近のリーマン・ショックもそうでしょう。製造業のサプライ・チェーンが途上国を含めて構築されると、製造業の国際的分業が確立しました。このことが、従来、経済発展から取り残されていた国の経済開発に通じ、極端な貧困から脱却する国、および新興国と呼ばれる更に発展した国を生じ、途上国間の格差を生みました。他方、先進国における産業の空洞化が進んだのです。
5,行き過ぎたグローバル化とWTO
よく、経済は生き物だと言われます。世界経済は国境を越えて一体的なものです。企業は単純に利潤を求めて貪欲に、利己的に行為します。いずれかの国が、一国の法規制によってその流れを押しとどめようとしても、経済活動は容易に法規制をすり抜け、一国の努力もその奔流に押し流されるだけです。
上述のような国際分業の確立と、それに伴う先進国における産業の空洞化、他方、貧困を免れる国を生じることは、むしろGATT=WTOの根本的理念の中に織り込み済みであるとも言えます。WTO体制による貿易自由の原則の下で、各国が構造転換を繰り返してゆくこと、そうして、世界全体の持続的な経済発展に繋げることが予定されているからです。
例えば、インドは、筆者が中学、高校で使った頃の地理の教科書には、かつてのプランテーションのせいで、その他の産物の生産が不可能であり、工業化もできず、貧困に喘ぐ国であるされていました。それが、現在は新興国として更に発展することが約束されています。東南アジア諸国には、日本、韓国、中国の企業のサプライチェーンが互いに組み合わされており、確かに、近時、経済発展がめざましい国があります。そうして、他方、日本のような先進国の製造業はその国でしかできないことに特化し、また新たな産業を生み出し、構造転換を果たしてゆくべきなのです。
その点で、反グローバリズムを信奉する人々から、WTOがグローバリズムの権化としてやり玉に挙げられることがあります。実は、WTOにも南北問題があります。自由貿易の恩恵が一部の国に留まり、多くの開発途上国が更なる発展の段階を迎えていないという不満を背景とし、最近は、むしろ、先進国、新興国、途上国の三つ巴の抗争という様相を呈しています。
ドーハ・アジェンダと呼ばれるラウンド交渉が頓挫した直接の原因は、新興国であるインドが、自国産業を保護するための特別セーフガードの発動基準を緩和することを強行に主張し、中国がこれに賛同したのですが、アメリカ、欧州等の先進国が反対したことでした。まさに、加盟国が大幅に関税を引き下げる交渉が大筋合意されており、最終的に妥結する前夜のことです。
WTO上、途上国に対してWTOの様々な義務を猶予する条項が用意されています。また、実際の運用上も、途上国には甘いというダブルスタンダードがあるとされます。
6,グローバル経済と法の支配
WTOが自由貿易主義一辺倒かというと、決してそうではありません。原則規定と例外規定が組み合わされており、その国に不可欠の資源、その国の人々の生命、健康に関わるもの、安全保障に関するものについての貿易制限が可能です。
また、地球環境保護や生物多様性の保護、あるいは労働者保護などの、自由貿易以外の価値が、自由貿易主義との関係でWTOの解釈問題として争われています。これらの価値と自由貿易主義との抵触については、それらの価値を扱う専門的な諸条約と、WTOという、レジームを形成するような多国間条約間の関係という新たな問題領域を生み出しています。自由貿易主義と、国際社会において実現すべきこれらの価値の、衡量の場として、WTOが機能しているのです。
金融取引の規制についても、一言のみしておきましょう。自国通貨以外の通貨を取引することをユーロ取引といいます。欧州の単一通貨であるユーロのことではありません。オフショア市場で取引される、日本円をユーロ円、ドルをユーロ・ドルと呼び、欧州通貨のユーロであれば、ユーロ・ユーロとなります。
イギリスがもともと法規制の外に置くことで、ロンドンのシティで発達したものであり、今では、世界中で取引されています。基本的に法規制の及ばない自由な取引市場です。その法規制を、いくら一国で懸命に行おうとしても、カネはどの国の国境をも自由に超えて行くものなので、その国の手の中からいとも簡単にすり抜けて行ってしまいます。国際的金融取引の規制は、諸国が協働して行わなければ無意味なのです。
要するに、経済グローバル化に対抗し得るものは、決して、一国中心主義や偏狭な経済ナショナリズムではなく、国際社会における法の支配の確立こそが必要なことであり、更に言えば、EUのような多様な価値を共有する単一市場であるところの、国際的な地域共同体の成立に向けて努力することです。この点からは、更なるグローバル化こそが、その弊害に対処できる唯一の方法であるということになります。
covid-19のPCR検査と救える命 ― 2020年05月18日 01:50
PCR検査と救える命
PCR検査を行うための、「発熱、症状、高齢、妊娠、基礎疾患や透析」という厚生労働省のガイドラインが変更され、このことについて加藤厚労相が「誤解」であったと発言したことに批判が集中しました。ガイドラインは、厳密な基準とは異なります。厚労省は、これが当初より一定の目安でしかなく、厳密な基準ではなかったとしています。確かに、基礎疾患がなく、65才以上でない人は、37.5度以上の発熱が4日以上続くときにPGR検査が妥当とする「基準」が、一般の人々にとってあたかも厳密な基準であるかのように受け止められました。その部分のみが新聞やテレビの情報番組など各種メディアによって盛んに喧伝された結果でしょう。大臣の発言からは、厚労省から、地域の実情に応じて柔軟に対応するという方針が、実施機関に対して伝えられていたとされます。
実際に、「基準」の運用が保健所により相当の幅があったようです。「現代ビジネスプレミアムの記事「中原一歩「保健所職員の告白「検査も人員も何もかも足りない」あまりに過酷な現場-「公衆衛生」を軽んじてきたツケ」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72125?page=2」この記事によると、むしろ、厚労省の基準を最低基準として、地域によっては更に厳格な基準によっていました。東京都のある保健所では、38.5°以上の発熱がなければPCR検査の可能な外来に繋ぐことがなかったそうです。
このブログを書いているのが5月17日なので、上の記事はもっと早い段階のことであり、しかも東京都の事例です。日本はPCR検査が他国の検査数に比べて余りに少ない。このことがよく報道されているし、国会でも政府が追及されています。なぜでしょう。安倍首相も、検査数の少なさを認め、目詰まりを起こしているとしていました。筆者は、公衆衛生の専門家ではありませんが、報道されているところをまとめてみます。
PCR検査により陽性の結果が出る場合の手順から考えます。まず、①保健所を中心として設けられた帰国者接触者相談センターを窓口として、PCR検査が妥当であるかを判断し、②指定された検査機関においてPCR検査が実施されます。次に、陽性という結果であると、③感染症法上の指定感染症に指定された後は、感染症治療のための指定された医療機関・施設に入院することになります。いわゆる隔離されるのです。
この手順の内、②のPCR検査について、指定されたPCR検査機関が限られていて、検査能力が足りないとされています。そして、③のコロナ陽性の患者を受け入れる医療機関・施設における病床数が、少なくとも当初、圧倒的に不足しているとされていました。保健所というのは、原則として都道府県が設置し運営している機関です。政令指定都市など、市町村がこれを行う場合もあります。そこで、①のPCR検査の適合性については、保健所等、地方自治体の機関が判断を行っているので、その地域毎の実情、すなわち上の、②検査能力と③病床数に応じて、物理的な可能性を加味した判断とならざるを得ないはずです。重症者が出た場合、救急搬送の可能な病院の手配までしなければならない。ここで、東京や大阪などの大都市および周辺地域と、地方との区別が必要でしょう。検査能力および受入病床数の逼迫という状況が、地方にはまだないとも考えられるからです。従って、東京等大都市圏の保健所では、検査数を限定するような判断基準を用いる必然があったと言えます。まさに、「無い袖は振れない」です。
更に、①の保健所についての、人的資源が不足していたことも明らかになっています。皆さんも保健所に行かれた事があるでしょう。典型的な保健所は、ワンフロアーのカウンターの中に、三つほどの机の島が並んでいます。庶務業務、保健業務、環境・食品衛生業務を行う各部署です。保健業務は医師および保健師が行い、予防接種、健康診断・相談、精神的疾患に関する業務があり、母子手帳の交付や、原爆医療など各種給付事業もあります。その他、公害防止等の環境関係や、野犬処理、犬猫の引き取り、狂犬病予防接種、飲食店等の営業許可、看護師免許交付、病院・医院等の監督業務など多様の日常的業務を行っています。これを大都市圏の保健所であれば、30~40人ほどの職員が分担しているのです。PGR検査適合性の判断は、当然、保健師が行うと考えられます。保健師は、看護師の上位免許を持つ専門職です。ところが、単純に、保健師が保健所職員の総人数の3分の1に相当するとしても、現在のPCR検査相談業務を行うのに、その人数だけでは足りません。しかも、保健師と言ってもcovid-19の専門家でもないので、ごく単純な基準に従い、機械的に決めることしかできないでしょう。あるいは、健康相談の専門でもない保健所職員も含めるしかないということになっていないでしょうか。実際にどうしているかを聞いた訳でもないのですが、PCR検査適合性の判断を健康相談の経験を持たない、ずぶの素人が行うことになります。しかも、その他の保健所の業務も、市民の生活に欠かせない重要な業務であり、休むわけにもいきませんね。一日中、電話が鳴り続けて、てんてこ舞いしている様子が目に浮かびます。
PCR検査ができないボトルネックが、①~③の全てに存在していたことになります。最近は、PGR適合性の相談窓口が拡充されたり、かかりつけ医の判断で可能とされるようになりました(①)。また、検査能力(②)については、行政検査に頼らず、民間の検査機関を十分活用しない理由が分からないという見解もありましたが、これも一部、拡充されつつあるようです。保険適用とした上で、かかりつけ医の判断で、検体を採取し、民間の検査機関に回せるというのであれば、通常のインフルエンザ等と同等であり、簡便、迅速にできたでしょうに。医師の側の感染防御対策を講じることが可能であることが前提となります。大病院では自前のPCR検査に踏み切るところもあります。山梨大学の学長の辛辣な批判が話題になっています。何故、大学等の研究機関の余剰の検査能力を活用しないかというものです。地域によれば、研究機関等の同意の下、これを可能としています。PCR検査陽性者の病床(③)については、都道府県知事の要請に従い、無症状ないし軽症者について、民間宿泊業者の協力が得られたところもあります。むしろ、その場合の医療従事者の確保が難しいようです。徐々に克服されているようですが、国民の不満の多くは、ボトルネックの解消に政府が強力なリーダーシップをとっていないように見えると言う点にあります。
感染症法の指定感染症となると、陽性者は必ず、入院・隔離が必要になるので、そのとき以降は、必要病床を確保できていることを前提としてのみ、検査するのでなければ必然的に医療崩壊を生じたでしょう。十分な病床確保が見込めない限り、PCR検査の増加は、それでも医療崩壊を生じないという賭けになります。政府の方針が、当初、PCR検査数を抑制することであったようにも考えられます。いくら何でも国民の命を犠牲にして、東京五輪を延期ないし中止させないことが理由であるとは思えません。
「救えるはずの命を救う」。
国境なき医師団における海外派遣の経験のある医師の言葉です。Covid-19が日本で蔓延した初期において、この医師が今後は救える命を救うというアプローチこそが必要となると、テレビのインタビューで答えていたことを覚えています。医療崩壊を防ぎつつ、重症に至る人を必ず捕捉して、現在の日本において可能な医療水準を提供する。政府や地方自治体の首長が、刻々と移り変わる情勢の下で、上のような賭けを強いられてきたと言えるでしょう。この点で、covid-19による死亡者数が他国に比べても圧倒的に少ないことは評価して良いと思います。
何人の犠牲の上に、何人の命を救うかという、功利主義的正義論を私は好みません。たとえたった一人の命であってもかけがえのないものに違いないからです。PCR検査を待ちながら、一気に重症化し、亡くなるという痛ましい事件がありました。遺族の気持ちを思うと、胸が塞がります。しかし、為政者が上のような崖っぷちの判断を繰り返さざるを得ないという非常時であることは忘れないようにしたい。PCR検査数の増加と隔離体制の確立が、両翼として、今後は、加速度的にこれが達成されることを望みます。これに加え、新薬の承認やワクチンの開発があれば、covid-19の蔓延が収束します。日本が、他国、特に開発途上国に対して、新薬の供与や検査体制の構築に協力することにより、世界おける蔓延の収束に貢献できれば、全世界に東京五輪の祝祭の鐘が鳴り響くでしょう。
ここで、視点を変えてみます。
行政は法の下にのみ行われます。中央政府にせよ、地方自治体にせよ、行政を行うためには必ず法の根拠が必要であり、法の根拠の無いかぎり何もできません。このことは極めて重要な原則です。法は国会が作るものです。三権分立の一翼を担う、国会と行政府ですが、国会が法を制定し、政府はそれに従うという仕組みは、直接的に選挙で選ばれた国民の代表である国会が優位にあることを意味し、特に強大な権力機関である政府の手を縛り、国民主権の原理を実現するために重要なのです。民主主義の根本原理の一です。
憲法に緊急事態条項を設けるべきであるという憲法改正論が関わります。大規模災害や、新たな感染症の蔓延という事態に対処するために、総理大臣に、広範な裁量権を与えるという立法を可能とするものです。このことについては、様々な議論があり、最後にごく簡単に触れるに留めますが、少なくとも現在はそのような法がありません。感染症に対処するためには、検疫法と感染症法が重要です。以下には、感染症法をみてみます。
Covid-19が感染症法の指定感染症に指定されました。感染症法の目的が前文に規定されています。
「人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言えるものである。
医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。
・・・・(省略)感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。
ここに、このような視点に立って、・・・(略)感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。」
感染症法によると、国すなわち厚労大臣は、基本指針を決定することができるだけであり、基本指針に即して、具体的な予防計画を策定実施するのは都道府県知事です。法第9条によると、国が、例えば、「感染症に係る医療を提供する体制の確保に関する事項」や「病原体等の検査の実施体制及び検査能力の向上に関する事項」について、基本指針を策定すると、法第10条に従い、都道府県知事が、「地域の実情に即した感染症の発生の予防及びまん延の防止のための施策に関する事項」や、「地域における感染症に係る医療を提供する体制の確保に関する事項」などについて、予防計画を策定することとされています。
関係する政省令も重要であり、このあたりが、PCR検査のボトルネックに関係する可能性がありますが、筆者は詳らかではありません。無症状、軽症、重症を含めた医療体制の構築や検査態勢の拡充については、地域の実情に応じた具体策を講じる都道府県知事の役割が極めて大きいとは言えそうです。東京の小池知事や大阪の吉村知事が、連日、メディアを賑わしています。国と地方が、相互に、責任転嫁を行っている暇がありません。国の策定した基本指針の下で、地方が、具体的な施策を実行するのです。国と地方がしっかりとした協力関係を築き、一体となった行動が是非とも必要です。
全てを、要請と合意を基にして遂行して行くしかないないのです。感染症法によっても、法の強制力に基づき、大学に検査実施を義務付けることはできず、空き地を借用するのではなく、いきなり国がいずれかのホテルを収用することは困難です。憲法上の営業の自由の侵害であり、それが可能としても十分の補償が必然となります。合意ベースにして、時間がかかるのもある程度うなずけるでしょう。
これだけの非常時にそのようなことができない! 日本は民主主義の国であり、憲法の基本的人権を守る国だからに違いありません。一般市民の外出自粛や民間事業の休業要請も、法の強制力、罰則もなく遂行されました。そのような法が無いからです。もっとも、今後、一定程度これを可能とする立法が議論される余地はあるでしょう。韓国において、感染拡大の第二波を心配するべき事態が生じました。感染者のクラスターが同性愛者の集まるナイトクラブで発生しのです。文化的には封建的な伝統が色濃く残る韓国ですから、ゲイであることのカムアウトは相当に勇気のいることでしょう。性的指向がウイルス感染者の行動追跡を通じて明らかにされ、実名が公表されているという報道がありました。行動の追跡と公表を政府が行っているので、日本であれば、プライバシー権の侵害であり憲法違反であるとされるでしょう。感染症法にも感染者の人権保障がうたわれています。日本が、戦後、戦前の反省に立って、現行憲法の下、人権をよく保障する国となった証左です。追跡アプリの実装が日本でも議論されていますが、このような結果を来すことは有り得ません。
日本という国は、繰り返しますが、法の強力な強制力もなく、市民が政府の要請に従い、ウイルスの蔓延を抑制してきました。ひとまずは相当程度に成功したようです。世界にもまれな国民性です。公共性として美徳でもありますが、悪く言えば附和雷同、他の人達の様子をみながら、それに合わせることを極端に好む文化の賜です。仮に、声の大きな勢力に扇動される世論の流れが生じたときに、これを押しとどめる個性の尊重が危ぶまれます。日本という国でこそ、徹底した議論と対話の結果としての選択であることを常に確実なものとして行く努力を積み重ねる必要があります。ナチスドイツは、ワイマール憲法下、成立しました。戦前の日本が歩んだ軍国主義は願い下げです。政府に大幅な裁量権を与えることの危険性を十分理解しながら、しかし、どのような形で、新たな感染症に立ち向かって行くのか、阪神淡路大震災や東日本大震災と福島原発事故などの大災害を克服するのか、徹底的な議論が必要です。緊急事態条項をめぐる憲法改正も、この議論の結果としての国民の選択としてのみ有り得ます。
大学はハラスメントの巣窟 ― 2020年04月19日 19:53
さて、
日本中の大学で、様々なハラスメント事件が裁判になっています。全国国公私立大学事件情報 http://university.main.jp/blog/ 参照。このページについては、明治学院事件の原告である寄川条路教授からの情報提供に基づいています。明治学院事件については、https://sites.google.com/view/meiji-gakuin-university-jiken 参照。多数の著作も公にされています。
今日は、大学の自治とハラスメンの問題を取り上げます。ついでに、国立大学で生じている改革という名のリストラについてもお話ししておきます。
1、学校教育法の改正と大学ガバナンスの改革
2015年学校教育法の改正により、国立大学においても大学ガバナンス改革の名目により、法文上は学長権限が強化されました。もっとも、大学にもよるでしょうが、現在の実務も、学長単独で決定し、上意下達によって大学が運営されるというには程遠いものです。相変わらず、大学本部が大まかな指針を各部局に伝え、その下での各部局ごとの具体的な決定を、本部が尊重するという方法によっており、各部局の決定こそが重要です。しかし、大きく変わったとも思われるのは、教授会権限が縮小したと感じられることです。
学校教育法が改正されたことは旧聞に属しますがが、少々説明をしておきます。学校教育法(法律第二十六号)は昭和22年に成立した古い法律です。2015年改正に際して、文科省の担当課長(里見大学振興課長)が平成26年9月2日に行った「学校教育法及び国立大学法人法等の改正に関する実務説明会」というのがあります。文科省のHPに掲載されていたその記録によると、教授会が、教育研究に関する審議機関であり、大学の経営に関わるものではないこと、また審議機関であり決定機関ではないこと、あくまでも学長が決定機関であることを強調する法改正でした。もともと教授会権限について、教育公務員特例法という法律に規定されており、これに基づき、各国立大学において、重要事項を教授会が決定する運用がなされていたのです。しかし、国立大学が独立行政法人となった結果、大学の教職員が公務員ではなくなったので(もっとも身分保障のある準公務員として扱うという説明がなされています)、教育公務員特例法の適用がなくなりました。教育公務員特例法が適用されないのに、多くの大学における教授会運用の実務は、慣例的に従前のままとされていたので、この学校教育法の改正により、教授会権限が限定されることを、明確化したのです。特に教員の人事に関する決定権が学長に帰属することを明確にしました。
教育研究に関する事項について、学長が重要事項を決定する場合に、教授会には審議を行う義務があり、その意見を学長に伝えることになります。通常は、これを学長が尊重するのですが、あくまでも決定権は学長にあるというのが法律の建前になっています。そもそも経営に関する事項については、教授会の審議事項ではなく、教育研究に関する問題も法律に規定された重要事項以外は、学長が特に教授会の意見を徴するというときに、教授会が審議することができるのみです。全体として、教授会は単なる諮問機関であるということになります。特に、教員の採用、昇任等の人事に関することも学長に決定権があることになったので、法人化に伴い、国立大学におけるリストラも可能となるという触れ込みでした。しかし、先に述べたように、法人化しても、準公務員としての位置づけから身分保障が残されたので、いわゆる生首を切るようなリストラはできません。後に述べるように、各国立大学、横並びで、定年不補充の方法による、事務職員及び教員定員の削減が現在進行しています。教員の新規採用及び昇任については、学長と言っても、専門分野が異なるので、よほどのことが無い限り、各学部の専門性による人事の決定を尊重するということにならざるを得ません。
2、大学の自治は学部の自治―大学はハラスメントの巣窟
大学の運営は蛸足型の意思決定メカニズムに従って行われます。従来、教授会の決定を積み上げて、漸く大学全体の意思決定に至る下位上達式であったのです。かつて教授会の決定には、大学本部が口出しすることがあまりなく、一個の大学といっても、いわば学部という中小企業の集合体に過ぎないとも思われた時代が続きました。多少言い過ぎのきらいがあるかもしれませんが、大学という機関が各学部の親睦組織と言っても過言では無いときがありました。従って、学部の最高の意思決定機関である教授会の決定こそ至高の存在であり、大学の自治は結局、学部の自治すなわち教授会の自治でした。
このことにはメリットとデメリットの双面があります。教授会の構成メンバーは、大学や学部により相違がありますが、その学部に所属する教授、准教授、講師等の大学教員です。理系か文系かといった学問分野の性質や、やはり大学毎、学部毎に違いがありますが、国立大学文系学部では、教授と言っても平(平社員の平)の教授には大した権限もなく、准教授以下と全く変わりがありません。給料もそこまでの違いがないので、ほぼ名誉職と言って良いのです。もっとも、学部長などの管理職になるための前提ではあるので、上昇志向のある場合には、教授に昇任するすることが極めて重要となります。私の所属する大学においては、准教授、講師など、まさに一兵卒であっても、教授会において自由に発言を許され、一人一票の重みも変わらない。その意味で教授会自治は、民主的な意思決定システムでありました。これがメリットです。
多面、特に文系学部では、教授、准教授が各々の個人研究室を構えて、単独で教育研究を行う。各人が言わば一国一城の主人として、教授会の都度、長時間にわたり喧々諤々の議論を重ねるという場合、往々にして「会議は踊る」のであり、容易に結論に至りません。下手をすると、新しいことは何も決められないということにも成りかねません。このことが、大学の変革に対する障害となっていたことは否めません。
私の奉職する大学においては、これが先の教育基本法の改正により、様変わりしたのです。教授会の変貌について述べる前に、数年前に吹き荒れた大学改革の嵐に触れておきましょう。学部ミッションの「再定義」が文科省により厳しく求められ、否応無しに大学改革・改組を迫られたのです。朝日新聞のキャンペーンから始まったとされるのですが、少子高齢化を受けて、大学進学希望者に比して大学の学生定員が多すぎる事態に至るという、大学の危機に対応することがその目的です。財務省が大学を国家財政の金食い虫扱いして、その統廃合を強く要求したのに対して、文科省がこれに抵抗するために大学改革を求めたとされていました。文科省からすれば大学を守ることが省益に適うのです。これは結局、大学の学生定員を守るということに尽きます。学生定員がすなわち、大学が抱えることのできる教員定員を決定し、その雇用を守るということに通じ、また交付金の重要な算定根拠だからです。しかし、財務省の予算削減圧力は強く、本格的な人口減少社会であってみれば、大都会の都心部にある大学が未だに拡張を続ける中、ことに地方大学は斜陽産業たらざるを得ません。ミッションの再定義などという、上からの強引な、訳の分からない改組圧力は、やはりこの後の大学統廃合による定員削減の前提であり、その激変を若干緩和するものに他ならないのでしょう。
実際、全国の地方国立大学で、教員人事のポイント制の下、教員の削減が始まっています。以前に、新聞報道等ありましたので、ご存知の方もおられるでしょう。(「国立33大学で定年退職者の補充を凍結 新潟大は人事凍結でゼミ解散」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00000003-wordleaf-soci
2016/10/8(土) 11:05配信参照。)教員の職位毎の人数に従い各学部毎に割り当てられている総ポイント数を、毎年、数%づつ削減しているのです。更に、定年不補充と呼ばれる方法があります。定年退職者が出ると、その教員の分のポイントを、学部の総ポイント数から差し引き、ポイントが充当されません。その学部は、総ポイントを超える人事を行えないので、新規採用を見送らざるを得なくなります。その教員の担当する科目を教えられる教員が居ないとしても、新規採用ができないのです。結果的に、その学部で開講する科目数が減って行くことになります。各大学の特に文系学部の人員が十分減ることを待っているのです。その後に、大学間の統廃合を予定しているとしか考えられません。
大学改革の名の下、全国の国立大学がこぞって学部再編による新学部を創設しました。私の所属する大学もご多分に漏れず、文理融合型の新学部を作りました。その新学部では、そもそも教授会が開催されることが余りないそうです。大学本部に直結した新たな学部の運営主体が重要事項を決定し、所属教員はそれに従うしかありません。既存学部でも、教授会は存続しているが、従来とは様変わりしています。学長権限の強化は、むしろ学部執行部の権限強化に通じたようです。従前であれば、教授会決定事項として、事前の情報開示と議論がなされていたような問題について、学部長及び周辺の有力者間で決めてしまい、教授会では事後的な報告に留めることが極めて多くなりました。教授会は単なる諮問機関として、重要事項の決定に対して蚊帳の外となります。大学全体としての意思決定は、学長の下、理事、副学長らによる役員会等(大学により名称が若干異なる)が行うのですが、理事・副学長、評議員などの大学執行部にしても各学部から公平に選出されます。各学部選出の大学役員及び学部長等の執行部は、当該学部の複数の有力教授間での話し合いで、ほぼ順送りで決まります。従って、大学執行部は各学部執行部と密接に連携しており、大学執行部の根回しとして、各学部の有力教授らを含めた話し合いで決まったことがすなわち全学の決定となり、教授会はただそれを淡々と承認する仕組みができたのです。
もっとも、教授会自治においては、学部長が教授会の顔色を伺うという側面があったものの、それは教授会が教員らの派閥抗争の場として修羅場化する場合であって、学部長がよく教員らを掌握する派閥均衡と派閥の長たる有力教授のボス支配とが組み合わされることも多く、この場合にも、有力教授間の決定を平穏理に教授会決定とすることは可能であったのです。現行の実務が、基本的にこの仕組みを継続させたまま、学長直下型の端的に分かり易いシステムになっただけであるとも言えます。
要約すると、従来型の教授会の自治は民主的な大学の意思決定に通じたのですが、弊害もありました。既得権を守ることに汲々とする学部教授会には、大きな変革は望み得ないのです。教授会権限の大幅な縮小に伴い、形式的には学長の権限行使であっても、形を変えた学部自治が温存されています。
そして、学部の自治は、各学部における悪弊を覆い隠すものでもあったということです。学部における重大な問題点が、他学部からも気付くほどであっても、学部自治の壁に阻まれて、全学の立場からの矯正が望み得ないのです。教授会の自治にしても、教員個々の学問の自由を確保する役割を持つ側面を有したのですが、反対に、学部がパワーハラスメント、アカデミックハラスメントの温床となるとき、対象となる教員の人権を横暴にも侵害するものともなりました。この点は、学長権限を強化した大学におけるガバナンス改革の結果、前者の利点を減殺してしまい、教授会自治が、有力教授のグループによる強権発動にすり替えられ、後者のような欠点はそのまま据え置かれたのです。大学は学問の府とされますが、構造的にパワハラ、アカハラの巣窟なのです。
3、ハラスメントの巣窟を守る法的裏付け??
このことの法的な“裏付け“?ともなるのが、憲法に保障された学問の自由(憲法23条)なのです。戦前の滝川事件や天皇機関説事件をみれば判るように、その歴史的経緯に照らしても、極めて重要な規定です。これを不当視するものでは決してありません。しかし、学問の自由の制度的保障として大学の自治があるのです。
著名なポポロ事件(最高裁昭和38年5月22日判決)という事件があります。これによれば、大学の自治の内容として、教授その他の研究者の人事の自治と、施設・学生の管理の自治が認められます。大学の教授等の人事について、司法審査の対象とはなされるものの、大学における裁量の範囲が広範です。ある下級審判決によると、私立大学の事件でしたが、対象者が理系教員である場合に、ノーベル賞を取ったというのでも無い限り、教授昇任をさせないことが大学側の裁量範囲を超えることはないとまで言っているのです。
施設管理について言えば、重大な犯罪行為が現在、行われているというときに現行犯逮捕するために、警察が大学構内に入構することは認められるものの、その前段階において、調査ないし捜査することは、大学側の要請ないし同意なしには原則として許されません。そうすると、例えば殺傷事件など人の生命に関わる犯罪であれば別論ですが、犯罪の性質によれば、現に犯罪が遂行されているという情報が警察に伝えられたとしても、その情報が余程確実なものでない限り、大学側に通知して同意を促している間に、犯行を終えて、犯人が証拠を隠滅するなら、警察としては誤認捜査をしたという誹りを免れないことにもなります。大学の自治が、犯罪捜査の抑制的効果を有してしまいます。
また、最近漸く、殊に学生に対するものとしては、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントに関する大学一般の意識が高まり、教員同士の相互監視による抑止や、大学としてのハラスメント調査の手段が整えられつつあります。しかし、これが職員同士の問題としては、やがては卒業していなくなる学生と異なり、たとえ調査の申し立てをしたとしても、通常、お座なり、あるいは有力教授が加害者とされる事件では、お手盛りの調査となるのです。有力者間の仲良しグループの一角であったとすれば、尚更、上に述べた学部自治の壁に阻まれてしまいます。仮に、調査の不当を裁判で訴えたとしても、やはり大学の自治とも関係して、調査に関する大学の裁量範囲が広範であり、ある裁判によると、調査が社会通念上、極めて不公平であるなど特段の事情を、訴える側が立証しなければならないとされるのです。そのような証拠を原告が提出できなければ負けてしまう、極めてハードルが高い基準と言わざるを得ません。仮に、大学がスキャンダル隠しに走ったとすると、被害者は全く救われません。
現行の大学の自治に関する判例法は、大学教員の性善説に基づくようです。実は、大学教員とは、一般の社会とは切り離されたところで、人により、人格的にも幼稚な人間なのです。学問の自由を保障するための大学の自治が、極めて重要な原則であることは認めつつ、そこで学ぶ学生、働く教職員らが陰湿なハラスメントから守られるために、単に、大学の良識に期待するだけでは足りません。そのためには、事件類型に基づいた詳細な審査基準の呈示と、審査自体の精密化が求められるように思われます。ハラスメント被害者保護のために積極的に介入することも必要でしょう。
三島由紀夫と全共闘ー右翼と左翼 ― 2020年03月22日 21:04
1、映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』と学生運動
映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』が公開中です。
1969年、学生運動に参加する学生らと、作家・三島由紀夫との討論会が東大のキャンパスで行われました。全共闘に参加する学生らが企画したものです。その記録映画です。
「右と左。思想の異なる両者がぶつかりあう言葉たち。時に怒号飛び、時に笑いが起きながら、会場を圧倒的な熱が包み込む」。(竹内明「“右と左”の直接対決 三島由紀夫vs東大全共闘「伝説の討論会」、いったい何が語られたのか?」 より。文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/36746)
日米安全保障条約締結時の60年安保闘争、10年後の同条約延長をめぐる70年安保闘争と言っても、若者たちには良く分からないでしょう。学生の政治運動が「バリケードと角棒」を用いた暴力による大学封鎖に発展しました。学生活動家が機動隊と対峙していたのです。
昨年激化した香港の民主化運動(逃亡犯引渡条例の改正への反対運動)を思い出すと、ちょうどそのようなものなので、イメージしやすいでしょう。
前述の三島由紀夫との討論会があったのは、学生の立てこもる東大安田講堂に機動隊が突入して、強制的に大学封鎖を解除した後、4ヶ月という時点です。上の記事によると、会場には1000人の学生が詰めかけていたそうで、学生運動の熱気が感じられます。
それから10年後、私の学生時代、学生運動はもはや下火ではありましたが、その残り火が身近に感じられもしました。大学の構内を、ヘルメットにマスク姿の10人程度の集団が、角棒を持って練り歩くのを、時折、見かけたものです。1回生のとき、あるサークルに所属していた同級生が、「搾取」、「搾取」という言葉をやたら連発しながら、ほとんど親しくもない私に向かって、「誰も分かっていないんだ」と熱っぽく語っていたのを思い出します。サークルの先輩が背後に居て、資本論の研究会に参加を呼びかけていました。私自身を含め、多くの学生が「搾取」という聴き慣れない術語を聞いて、怪訝な感を抱き、そのような活動に無縁であったようです。ヘルメット集団とこのサークルとは関係がないのですが、何となく連想してしまうので、この同級生を避けていたように思います。この頃には、既に、ノンポリという言葉が一般化していました。
現在、大学教員となって、学生らを見ていると、国際経済法や国際取引法という法分野を学ぶ学生であるからかもしれませんが、政治的活動に対して、消極的に無関心であるというより、むしろ積極的に「政治活動」から距離を置こうとしている態度を感じます。何やら、得体のしれない危なっかしいものという風に感じているようです。
このことは私の属する大学だけではなく、相当程度に、一般的なのではないでしょうか。一斉を風靡し、ファッションにもなった、左翼思想が若者の間で最近はあまり流行らないのです。全共闘? 全学連? 革マル派? 内ゲバとか、怖そうだし。但し、私は、政治思想の専門家ではありませんので、学生運動を正確に区別してお話をしているのではありません。現在まだ活動する学生運動の大部分が、暴力主義的な運動とは一線を画するものであるとされます。
2、三島由紀夫のこと
文学や政治思想の専門的知見というより、私の個人的な思い出を書いておきます。高校生のとき、純文学にしか価値を見出せなかったので、純文学の小説を乱読していました。無数の詩作など、たわいもないものですが、そういった生活を送っていた典型的な文学少年でした。そのころ、強烈な印象をもったのが、三島の小説です。『金閣寺』に衝撃を受けて、三島の政治思想なんか全く知らずに、幾つかの小説を憑かれたように読み耽っていたことがあります。
その後、大学に入ってから、彼が右翼の思想家であり、自衛隊員の前で演説をした後、割腹自殺したこと、筋骨隆々の褌姿の写真、それにゲイであったことを知ったのです。小説からは窺い知れず、それはもう驚いたものでした。
全共闘学生らとの討論会は、三島が自殺する直前の時期に開かれたものです。前述の記事によると、三島と学生らが理知的に、笑いを交えながら、長時間の討論を行ったのです。
右翼の政治思想にも疎いので、三島由紀夫の思想的系譜や、反米主義とも親米主義とも結びつく「正統」右翼の諸団体との関係を分析することはできません。しかし、この討論会が、よく考え、練られた政治思想としての、左翼と右翼の実に興味深い議論であったことは想像に難くありません。
決して妥協することのない、従って、結論的に根本的な同意を予定しない議論が、しかし、互いの理解を深め、あるいは影響を及ぼし得る、民主主義の基底をなすものであることは指摘しておきます。このような議論は相手を打ち負かすことのみを目的とするディベートとは異なります。法廷で実務家たちが繰り広げる議論や、選挙に際して行われる政治家の討論は、多くの場合にディベートです。これも目的にかなった必要悪ではありますが、区別する必要があります。
3、「右」と「左」
政治的な意味で、左翼とか右翼という場合、上のような学生運動が盛んであったような時代、冷戦期において、社会主義・共産主義と反共主義を指す場合が多かったのです。特に、ソビエト連邦の崩壊は、マルクス・レーニンの、ユートピアである社会主義の理想が、現実の国家としては存在し得なかったことを明らかにしました。そこで、冷戦終結とともに、リベラルという政治思想が不要となったという主張があります。そこでいうリベラルというのが、社会主義あるいは社会主義に多分に好意的な政治的立場ということになります。特に、冷戦下、社会主義国家の建設と、ソビエト連邦を頂点とする社会主義陣営に与することを目指す立場です。
アメリカにも保守対リベラルの対立があるのはご存知でしょう。アメリカは共産主義を非合法としています。そこでリベラル派とは大要、民主党の政治家を指します。オバマ元大統領が国民皆保険制度を創設した政策を、保守主義者は社会主義と呼んだりしますが、上の意味のマルクス・レーニン主義と異なることは自明です。今年の秋に行われる大統領選挙に向けて民主党候補者を選ぶ選挙が行われています。バイデン議員が中道であるのに対して、サンダース議員は自らを社会民主主義者であると呼びます。
アメリカの健康保険制度は、高齢者と生活困窮者向けの社会保険的な給付が元々あったのですが、それ以外の国民は、民間の保険会社から保険を買う必要がありました。民間企業である保険会社が健康保険の適用範囲を狭く認定しがちで、著名なクラスアクション(集団訴訟)に発展したことがあります。それでも、これが、税金に頼らない自由競争を信奉するアメリカ社会の伝統であるとして、皆保険制度に対してはテイーパーティー運動などの極めて激しい反対運動が巻き起こりました。このオバマ・ケアを維持ないし発展させるとすることや、大学の無償化、学生に対する多額の借金となっている奨学金の減免などを、公約とするサンダース候補が、これに反対するトランプ大統領から「社会主義」と呼ばれるのです。しかし、それでは現在の日本の健康保険制度や大学無償化への流れが、社会主義であることになってしまいます。
ここで、分配的正義による市民相互の平等に一層価値を置く立場と、自由競争に基づく社会全体の富の蓄積に重きを置く立場とは、今でも有効な対立軸です。日本の野党のいう格差是正と平等の実現か自民党の自由競争を重視する政策かという対立によく即しています。もっとも、現実の政策は、いずれの方向性も絶対ではなく、その対立軸の中のどの辺りに線を引くかという、相対的なものです。そして、どちらかというと社会の底辺にある生活困窮者の救済に力点を置くのが、野党であるとは言えるでしょう。日本の与野党の政策対立は、アメリカの保守とリベラルの相違ほど歴然としてはいませんが、確かに、これに対応するようです。
また、個人の尊重と自由主義と、国家公共の利益とのいずれを優先するかの対立もあります。もっとも、これもいずれも絶対の価値ではなく、個々の問題ごとに、その価値対立の座標軸上に均衡点を穿つ必要があるので、その均衡点を幾分右にずらすか、左にずらすかの相違でしかありません。憲法自体に、個人の人権保障と公共の福祉との対立と調和が公理として組み込まれています。個人の国家からの自由を重視し、国家が介入することを嫌う傾向と、むしろ国家公共の価値を重視する傾向の対立であり、前者は、一層、多様性と自己決定の尊重に結びつきます。前者がリベラルであり、後者が保守であると、一般的には言えるでしょう。
全共闘対三島由紀夫の時代の、左右の対立など、それ自体はもう影も形もありません。そのような過去の亡霊のような価値体系と結びつく左や右という言い方は、誤解の元となり、今や全く不要です。何故か、日本の各野党がリベラルを名乗りたがりません。リベラルの名を捨てたような感さえあります。しかし、保守と対立する軸としての、政治思想を上手く名付けてもらわなければなりません。保守が従来からそう変わらないものであり得るとすれば、「伝統ある」リベラルの名を生かしてもらった方が分かり易いです。しかし、これを誰もが分かる様に再定義する必要があるでしょう。
もっとも、保守主義にも、次の様な用法があることに注意しなければなりません。第二次世界大戦前の戦間期の各国において、上述の意味における左右の対立が激化しました。ことにドイツは多額の戦争賠償に喘いでいた時期があり、また大恐慌後の不況をなかなか乗り切れないなか、生活に窮した市民が、革命思想に導かれた全体主義としての左右の両極端の政治的主張のいずれかを支持したのです。その結果、ドイツ国民は、ナチスの台頭を許し、未曾有の惨禍をもたらした世界大戦とホロコーストを招きました。この戦間期において、保守主義の次の効用が説かれたのです。
革新的思想に対して、保守主義が漸進主義によることで、社会の振り子を極限まで振り上げることなく、中庸を行くことによりその振り幅を適正に制御できるとします。
私は、社会の中の限られた知識人に社会運営を任せておけば上手く行くというエリート主義が行き過ぎることを好みません。良き大衆主義(ポピュリズム)は、一部の者が大衆を扇動するということではなく、適切な情報提供と徹底的な議論により、大衆の賢慮を引き出すことであると考えます。その上で、その結論に従うという姿勢です。少数者・弱者の保護は、現行憲法の重要な原則であり、大衆の賢慮の一部であり得ます。
現代の学生が、政治に無関心であるという主張は私の学生の頃より多数説でした。しかし、集団的自衛権をめぐる学生団体「SEALDs」の活動は比較的最近のことです。この活動が、上述のような学生運動とは全く異なる新しい若者の政治参加の方法でした。合法的なデモと、報道機関への明確な自己主張、意見の一致する政治家との協調行動です。マスコミや政治家をも巻き込んだ非暴力主義的なものです。ヘルメットに角棒ではなく、カッコ良い黒シャツをユニフォームとして、ラップを用いた分かり易い政治的宣伝など、斬新なスタイルも際立ちました。
憲法を守るために、集団的自衛権へ向かう法改正を阻止しようとして、選挙での多数を獲得するという一個の政治目的のためにのみ、それが組織され、目的達成か否かに関わらず、選挙後、間も無く解散したのです。私自身は、この問題も大衆の賢慮に委ねるべきであると考えます。具体的には、憲法改正国民投票によるということです。しかし、若者の政治活動のあり方として、ブレークスルーとなったことは間違いなさそうです。
最初に掲げた映画を是非観てみようと思っています。
パラサイトと移民の受入れ ― 2020年02月18日 19:39
先日、微熱が数日続き、高熱のときのようなひどい倦だるさを感じました。初めて経験する症状なので、近くの医院に行ったのですが、インフルエンザのA型でもB型でもないという検査結果でした。風邪薬を飲んで、直りました。
たまに行く大阪梅田や道後の町は、有数の観光地なので、道行く人の中国語をよく聞きます。先日の風邪が、コロナであったら良いな(*⌒▽⌒*) 免疫があるので、心配いらないことになりますよね。
1,日本の出生率向上のためには、価値観の大転換が必要
少子高齢化が社会保障の財源不足の原因となり、潜在成長率の低迷にも繋がる恐れがあります。日本経済の中心的な構造問題が人口減少・高齢化であるとされます。(翁邦雄・法政大学客員教授(経済教室)「移民問題を考える(中)-包摂体制の整備が急務」2020年2月17日・日経電子版)
人手不足と人口減を放置したまま、日本の、社会的、経済的収縮を容認するという考え方も有り得ます。少なくとも江戸時代の日本ぐらいまで人口や経済規模が小さくなれば、その辺りで均衡点が訪れて、人口減少にも何とか歯止めがかかって落ち着くだろうという楽観論です。それはそれで構わないという選択を積極的に行うという立場です。習慣や価値観が同一で、他人が何を考えているか誰でも大体想像がつくという、これまでの日本のような住みやすい社会にわれわれ日本人が住み続けられることこそ重要であるというように、発想の転換をするのです。
あるいはAIとロボット技術の革新により、人口減少を補い、生産性の逓減を抑制できるという考え方もあります。この観点も重要であり、不可欠です。人手不足によって現在正に直面している困難を乗り切る窮余の一策でもあります。無人コンビニや、自動運転乗用車の試験走行を行うスマートシティーの実験など、確かに、AIとロボット技術の急速な発展が日本の社会の構造転換を進めているようにも見えます。しかし、これでは、仮に経済規模の収縮がある程度、止まったとしても、特殊出生率が2.0を下回る限り、人口の自然減は免れません。これを回復する手立てが出生率の減少に追いついていないのです。
定年延長等による高齢者の活用や、女性の社会進出の促進は、日本の労働力不足を補っています。女性が働きながら子育てをする環境を整備するために、配偶者双方が子供の養育に参加すること、育休を採ることが推奨され、保育園が増設されています。女性は「家」を守り、家事と子育てに専念すれば足りるとする、古い価値観に戻ることが許されません。むしろ、かつては男性の労働現場であったところに女性が働くようになり、政治家や管理職などの女性比率の向上が叫ばれています。国際社会からの批判に答えるためでも、単に憲法に書いてあるからではありません。人の個性や人格の相違もありますが、一個一個の生命への優しいまなざしや、寛容の精神が、女性一般には、男性よりも一層感じられます。人口の半分を占める女性の感性や考え方が社会制度や社会的価値観にもっと直接的に反映される必要があるためです。そうすれば日本の社会は随分違ったものとなるでしょう。
職場に赤ちゃんを連れてくることは今でもタブーでしょうか。女性がそう主張すると白眼視され、「どうせ女なんて、男の仕事を理解しない」、「生半可な心根で仕事をしやがって」と罵詈雑言を浴びせられることも有り得るでしょう。女性が働くことへの理解は漸くあっても、外の仕事と家の内の仕事を厳密に区別する発想が未だに存在するようです。そして、家の内のことは女性の仕事であるとするのです。家の外と内の仕事を、男も女も、当たり前のように両立させる工夫が求められるようです。
子供の居る家族の意味を見直すことも必要かもしれません。生き難いかもしれない人間社会の中で、二人の人間が寄り添い、子供のいる家庭が、人の一生の中で重要な場所と時間を提供するものとしての価値観が若い人達の中にあるでしょうか。夫と妻が家を作り、あるいは名前を継ぐべきであるという社会規範や制度があるからそうするのではなく、家庭があれば、世の中をたった一人で生き抜くよりも一層、喜びや、温もりを与えてくれるからこそ、男も女も家庭を持つのです。仕事や遊び以上のものがあり、家庭という重要な存在を維持するための時間や労力を惜しまない。男性が家事従業員としての女性を養うのではなく、同等のパートナーとして婚姻という契約を結ぶのです。
もっとも、若者の生活に対する何らかの経済的支援も必要です。貧乏子だくさんを応援できる、社会保障制度でなければならないでしょう。
保育所の建設のような物理的整備と、育休のような法制度の調整も進めて、更に、新しい家族の形や婚姻観の創造に向けて、価値観の大転換なり醸成が可能であるとしても、まだまだ相当の時間を要するでしょう。そうだとすれば、出生率の向上は直ちには見込まれません。
2,移民政策
現在の日本の社会的な構造転換のために、出生率向上のための施策を着実に実行して行くとともに、同時に外国人労働者の活用が必須となっています。
先日、韓国映画「パラサイト」がアメリカのアカデミー作品賞を受賞しました。英語以外の言語による映画が受賞したのはアカデミー史上初めてです。BTS(防弾少年団)がアメリカのビルボード200で1位を獲得するなど、英米のヒットチャートを賑わす常連となっています。韓国は、わが国以上の少子高齢化による人口減少社会です。ある報道によると、韓国国内に滞在する外国人は252万人を超え、2019年12月末現在、総人口の4.9%に当たるそうです。その割合が年々増加しています。(ソウル聯合ニュース) 総人口の5%が外国人であるとすると、その国に暮らす20人に一人が外国人であることになります。
以前の韓国が日本文化を拒みつつ、他方で、ある種憧憬の念を抱いていた時代があったことを知らない若者達が増えています。韓国の歌謡や映画が、アジア圏でも、日本のそれよりもよく流行し、良い興行成績を上げているようです。韓国で、外国人移民の受入が、韓国の伝統文化を壊すので、抑制すべきであるという議論があるのか、筆者はよく知りません。
一方、厚労省によると、わが国の2019年10月末時点の外国人労働者が前年同期比13.6%増の165万8804人でした。他方で、日本人の「国内出生数は86万4千人であり、前年比5.92%減と急減し、1899年の統計開始以来初めて90万人を下回わり、出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も初めて50万人を超えました。(日本経済新聞2019年12月25日朝刊)少子化・人口減が加速しています。法務省の出入国管理(白書)によると、2018年末現在における在留外国人数の割合は、総人口1億2,644万人(2018年10月1日現在)に対し2.16%です。
中長期間、わが国に居住する外国人を、政府は移民と呼びません。外国人材の活用と言っています。単純労働を含めて、受入国において就ける職業の制限のない、いわゆる移民と異なり、詳細な在留資格毎の就労制限と在留期間の定めのあるのがわが国の入国管理制度です。しかし、単純労働への就労を予定する資格以外については、在留期間は更新が可能であり、永住申請や帰化も有り得ます。ここでは、永住者および更新可能で永住資格への転換も可能であるか、相当長期の在留も可能な資格の保有者を「移民」としておきます。
上記の解説記事(「経済教室」)でも述べられているように、移民を受け入れることの「社会的影響と経済的影響(企業へのメリットだけでなく国内労働者への跳ね返りなどもある)を総合的に比較するのは」容易ではありません。メリットのみではなくデメリットもあります。
経済学ないし統計学的な社会経済的数値の比較は、そのような議論が必要ではあっても、それだけで決定的な判断が下せるということにはなりません。結果に有利にも不利にも説明が可能だからです。ここでは、ほぼほぼ単一民族である(であった)わが国社会が異なる文化的背景を有する他民族・人種を受け入れることへの、一般的な危惧について考えます。ヨーロッパ諸国やアメリカのように社会が分断され、犯罪率が増加するという社会的な懸念です。
まず、現状を確認しておきましょう。既に、単純労働を含めて就ける職種の限定のない長期生活者としての外国人移民が多数存在します。法務省白書によると、2018年度において、永住者771,568人、日本人の配偶者142,381人、永住者の配偶者37,998人、定住者192,014人(日系人)、特別永住者321,416人です。
次に、わが国の法制上、外国人移民の中で、単純労働者と高度な知識経験の必要な業務に従事する者の区別が重要です。厳密な法令上の定義ではなく、便宜的に後者を高度人材と呼ぶことにします。
単純労働については、基本的に、その外国人の一生に一度きり、一定期間の居住の後に必ず帰国させることを前提とした受入れを行っています。一定期間わが国で働いた後、別の外国人がやってくるので、出稼ぎローテーション方式と言って良いでしょう。技能実習制度がこれです。しかし、一部業種については特定技能という資格を新設し、わが国において更に長期間、働くことができるようにしました。特定技能については、極めて限定的ですが、一定の業種について更新可能とし、家族の呼び寄せも可能としたので、出稼ぎローテンション方式が部分的に崩れています。単純労働の担い手としては、留学生も重要ですが、彼らはその後、高度人材になり、わが国に居住することも期待されています。
わが国で暮らす外国人である166万人の内、残りが更新可能であり、永住資格に転換することもできる、高度人材としての在留資格を有することになります。しかも、高度人材については、もう相当以前から、わが国は積極的な受入政策に転じているのです。従って、政府の言う移民政策は取らないというのは、字義通りに受け取らない方が良いでしょう。就労制限のない長期滞在者を含めて、それだけの数の外国人移民の受入政策を既にわが国が取っているのです。
ちなみに、技能実習および特定技能として、介護分野が含まれています。これは出稼ぎローテーション方式によるものです。日本における介護職の恒常的人出不足が、今後さらに悪化していくことが予想されています。そのため、別途、更新可能な介護という在留資格が創設されました。留学の資格で日本の介護職養成学校で学び、卒業後に介護福祉士の資格を取得すると、更新可能で家族帯同の出来る在留資格を得るのです。
社会的分断や犯罪の増加という社会的懸念の問題に戻ります。
まず、犯罪の増加ですが、同じ生活水準である層を比べると、日本に暮らす日本人と外国人の間で犯罪率の顕著な相違が存在しないという統計があります。従って、外国人の受入によって犯罪が増加するとすれば、日本人よりも貧困層が多いからということになります。貧困が犯罪を引き起こす原因となるのは日本人も外国人も変わりがありません。そこで、社会的分断の問題です。
仮に、移民割合が10%になったからといって、実際に日本文化が崩壊の危機に瀕するということがあるでしょうか。日本は、古来より中国や朝鮮半島からの帰化人を活用し、その固有の文化発展の基礎を築いてきたという伝統を有する国です。多様な文化や価値を融合して、独自性のある文化を創造することが日本のお家芸であるとも言えるでしょう。芥川龍之介ではありませんが、何物もその中に溶かし入れてしまう触媒としての日本文化が、多様な異文化を受け入れることで、全ての伝統を失い、全く外国のそれに転換してしまうことなど考えられません。むしろ世界に発信できる新たな価値を生み出すことをこそ期待できるでしょう。
重要なのは、社会的分断の苦悩を経験したヨーロッパ諸国に学ぶことです。単純労働について、出稼ぎローテーション方式で大量の外国人を受け入れたとして、その人達はいずれ「帰る」人達です。日本の社会の構成員として、文化的同化を受け入れながら、その社会の発展を真剣に考えることがあり得ないでしょう。そのような人達が日本社会の相当部分を占めることは大変危険なことです。日本の法制度では、最長8年から10年を、家族の帯同を許されず、単身、つらい労働に従事しながら生活し、やがて帰国するのです。
単純労働についても、更新可能な特定技能のような資格に比較的短期間で転換可能とし、永住に道を開くことと、同化政策を実施することが重要です。同化強制に陥らない、同化のための適切な施策を遂行する必要があります。移民社会が社会的に閉じられた、隔離された集団とならないために、子弟の教育と機会均等の保障を行うことが大切です。その出自の故に、決して抜け出すことの出来ないような差別対象とされない工夫です。日本には、かつてニューヨークにあったハーレムを作りだしてはいけないのです。移民1世に対しては、日本語と日本の習慣の研修と共に、民主主義の教育が必要となるでしょう。日本人には当たり前のことが、その人達には当然とは言えないかもしれません。
以上は、現在、就労制限のない長期在留者についても同様です。
社会的分断を、取り巻く日本人社会が、分断を恐れる余りに誘発することになりかねません。異なる文化を有する、価値観の異なり得る移民を、そのようなものとして真正面から受入れ、その価値観を否定するのではなく、日本の社会に同化することを可能とする寛容を、日本人社会が持つ必要があるでしょう。
日本の国籍法は、先進国の中で、帰化が相当難しい方に属します。以前のブログで触れたように帰化を容易にすること、そうして日本人となることを促進することも、移民の同化政策の一環です。共により良い社会を構築する構成員となることがその目的です。
強制労働と国際法 ― 2020年01月20日 04:13
日韓請求権協定が、日本及び韓国の互いにいかなる主張もなし得ないとする意義について、日本と韓国の解釈が異なります。日本及び韓国の最高裁判所の解釈と、国際法と国内法の関係について、幻冬舎ルネッサンス・アカデミーの連載に掲載しています。先日、最終稿(第4回)を発行元に送ったので、その内掲載されるでしょう。今日のブログの内容は、その補足です。
1、強制労働の禁止と国際法
1930年の強制労働条約(ILO第29号条約)には、日本も1932年に加入している。その2条において強制労働が定義されている。すなわち、処罰の脅威の下に強要せられ、かつ、自ら任意に申し出でたものではない一切の労務である。同条2項に強制労働に該当しない例外が規定されている。「純然たる軍事的性質の作業に対し強制兵役法に依り強要される労務」、「完全な自治国の国民の通常の公民義務を構成する労務」、および「戦争等の場合、及び一般に住民の全部又は一部の生存又は幸福を危険にする一切の事情において強要される労務」が強制労働に当たらないとされている。
強制労働条約に関する2014年の議定書が成立し、発効している。1930年条約が植民地における労働形態を念頭に置くものであったので、人身取引などの現代的問題に対処するため、同条約を補足する議定書である。(https://www.ilo.org/tokyo/standards/list-of-conventions/WCMS_239150/lang--ja/index.htm)この議定書において、強制労働被害者に対する民事的な救済を与えるべきことが規定されているが、日本は未加入である。強制労働被害者が「適当かつ効果的な救済(補償等)を利用することができることを確保する」と規定されている。
もっとも、1930年条約の時点で、強制労働が違法であるとされるので、韓国元徴用工の事件では、日本及び企業がこの条約の違反行為を行ったとする余地がある。例外条項を解釈するために、日本の植民地支配が合法であるか否かが一個の要素される可能性もある。仮に、日本及び徴用工裁判の被告とされた日本企業が、強制労働を行わせたとすると、強制労働条約に違反し、日本が国家責任を負うということになる。
ある国が国際法違反を行った場合の、国家責任の内容については、2001年の国連総会決議により採択された国際法委員会の報告に基づく国家責任条文が重要である。
ここでは、民事的な効果について見ておく。国際法違反の行為を行った国は、損害の完全な賠償義務を負うとされ、この損害には、いかなる損害も含まれる(31条)。損害の賠償の方法としては、原状回復を原則としつつ、金銭賠償及び陳謝があると規定されている(34条ないし38条)。もっとも、これは被害国が加害国に対して、国家責任としての義務履行を請求し得る、基本的に国家間の問題である。被害国による請求の放棄も認められる(45条)。
国家責任条文は、一般国際法であり、特別国際法が存在する場合には、特別法の適用される範囲において適用されない(55条)。従って、争われる問題に関する特別国際法が存在するときには、適用範囲に関する限界を画する問題を生じ得る。国際経済関係を一般的に規律するWTOがこの意味で特別国際法であるので、以前のブログに述べたように、WTOとの関係において、WTO違反に対する対抗措置に係る問題は専らWTOにより規律されるとも考えられるが、微妙な問題が残される。
強制労働については、前述の強制労働条約が存在するので、損害の賠償の問題については、同条約および前述の議定書が規律する。また、日韓請求権協定のような二国間条約が存在する場合には、一般国際法の強行規範に反しない限り、優先すると解されよう。その意味で、日韓請求権協定と強制労働条約の関係には一応触れるべきかもしれない。
2、慣習国際法の成立と不遡及の原則
17世紀の法学者グロティウスが国際法の父とされ、1648年のウェストファリア条約が、30年戦争を終結させた世界で最初の近代的条約である。近代的国際法がこの時期に成立したとすると、現代に至るまで、その内実は益々、具体化、精緻化され、明文規定を含む多くの国際文書が生み出されてきた。このことをどのように理解するか、大きく分けて、次の二つの考え方があり得る。一つがこれである。国際法が自然法であるとすると、未だ見出されていない規範を含めて既に存在するはずである。これが人類の歴史の発展と共に次第に明らかにされて来たと考える。喩えて言えば、天界に漂う法の雲海は、地上からは有るのは分かるのであるが良くは見えない。その規範の一個一個を、地上にある判定者が、見出だし、人々に分かるように取り出して見せる。このとき初めて、誰にも確かに見えるようになるのであるが、その「条文」はその以前に既に存在はしていたのである。今一つが、次である。国際法も実定法である。漸次的法発展があるのであり、常に変転する。17世紀に近代的国際法が誕生して以来、継続的に新たな法が生み出され、現在の複雑で多層的な国際法規範の体系にまで至ったのである。新たな法規範は、その以前には存在せず、既存の法体系に付け加えられる。
自然法と言うと、現在の法学説では余り流行らない。しかし、慣習国際法とされるものが、その双方の性質を一定程度帯びるようである。一般に慣習法の成立を言うとき、法の主体たる者の行為を観察して、一定の長期間に渡り、行動傾向が一様にあり、大半の者が法として遵守している(国際法の場合、これを法的確信と呼ぶ。)場合を指す。慣習国際法の場合、その主体は第一義的には国家である。その援用を行う者が、その成立について実定的な証拠を示す必要がある。一定期間継続的で、斉一的な個々の国の国家実行としての行動や、一つの国際機関の宣明などである。多数の国の加盟する多国間条約や、これらを研究する多くの国際法学者の議論を経た文書が国際機関の承認を得たものが、最も分かり易い。条約は、署名と承認により、加盟国間のまさに明文の法となるのであるが、これをしていない場合にも、その内容が多くの国によって慣習国際法として認められる場合がある。
現在の国際社会において、特定の法規範の内容が、慣習国際法であると多くの国によって認められていると仮定する。ある行為者の行為がこの規範に違反すると主張する者は、その行為の当時に既にその慣習法規範が成立していたと言うであろう。これを否定する者は、その当時、未だ、多くの国が法としては認めていなかったと主張する。慣習国際法の成立時期を認定する作業はときに困難を極めるであろう。特に、その行為者の行為を刑事的な意味で犯罪に該当するとか、国際法違反の責任として賠償の効果が認められるとする場合、前者については、国際的な意味においても罪刑法定主義は当てはまると考える余地があるし、後者についても、法の一般原則として、法の適用についての不遡及原則が妥当すると考えられる。要するに、行為当時に違法ではない行為によって、行為者は裁かれるべきではないという原則である。
3、強制労働の禁止と日韓請求権協定
以上を、元徴用工の裁判に当てはめてみよう。
第二次世界大戦当時、明文の条約として、1930年の強制労働条約が成立していた。批准していたので、わが国内においてもまさに法としての効力を有する。元徴用工の労働態様が強制労働に該当するかは、国際法上はまずこの条約を適用しなければならない。次に、それが強制労働に当たるという場合に、被害者に補償が与えられるべきであるかも同条約、及びその他の国際法の観点から決定される。強制労働の禁止は1930年条約のときに既に、国際的な強行法規範であると思われる。しかし、被害救済の方法として、民事的賠償の機会や金銭的補償の提供が現在の国際法上の要請であるとしても、これが強制労働の文脈において明文規定とされたのが2014年議定書であった。わが国は議定書に加入していないので、この意味でわが国の法ではない。その内容の慣習国際法が成立しているとしても、成立時点が、第二次世界大戦のときまで遡れるかは多分に疑問である。
次に、2014年議定書にあるように、強制労働の被害に対して金銭的補償の提供が国家に義務付けらるとしても、日韓請求権協定の締結の経緯からは、第一次的に責任を負うべきは韓国であると解する。韓国大法院判決多数意見が言うように、元徴用工の補償について、韓国において、社会保障的な、国による一定の給付が存在する。新日鉄事件は、韓国の元徴用工の被った損害の完全賠償のために、韓国法に基づく給付額が不十分であるとして、徴用工を用いた企業にその不足分の賠償を求めているのである。強制労働条約の議定書が、被害者に補償を与えることを国に義務付けるとしても、必ず、民事訴訟の形で加害者に対して賠償を求め得るとする義務まであるかは不明である。日本は日韓請求権協定に基づき、多額の経済援助を行った。しかも、元徴用工に対して韓国法に基づく補償はあるのである。それ以上に、元徴用工が個人として金銭的賠償を請求し得るとする国際法上の義務が、いずれかの国家にあるかは疑問である。
上の記述だけ見ると、誤解を生じるかもしれません。幻冬舎ルネッサンスのサイトを是非見てください。
2月11日注記
上記において、国際的な強行法規範という語を用いています。特に、国際人権法上の要請として、重大な人権侵害など国家間の合意によってもこれを免責することが許されないような国際法規範をそう呼びます。国際的強行法の範囲や効果について、国際法上いまだ決着のついていない問題の一つです。ここでは、単に、抽象的に強制労働の違反をいう場合、そのように解されるという趣旨です。