女系天皇を容認すれば、天皇制が崩壊する? ― 2019年12月22日 20:03
昨年より、学会報告や論文執筆に忙しく、ブログ更新が遅れがちになっています。現在、なんとか不定期に更新しています。更新時に、閲覧数の順位が大きく変動するので、まだ読んで下さる皆さんが居られるのだと理解しています。更新をみつけられたら、お読み頂けると嬉しいです。何とか、月に一度ぐらいは更新していこうと思っています。
1週間ぐらい前に、幻冬者ルネッサンス・アカデミーの連載原稿を、発行元に送りました。その内に掲載されると思います。日韓請求権協定と輸出管理、戦後補償をめぐる解説をしています。専門的な小論と一般的読み物の中間ぐらいなもので、このブログよりは若干難解かもしれません。出来るだけ平易であることを心がけています。興味があれば、ご覧ください。サイドのリンクから行けます。
女系天皇を容認すれば、天皇制が崩壊する?
菅官房長官が安定的な皇位継承のあり方を研究するべき時期にあると発言し、政府部内において、女性宮家や女系天皇などの容認論があると報道されました。このころ、自民党幹部である二階俊博幹事長や甘利明税制調査会長が女系天皇容認を示唆する発言を行ったことが、物議を醸しました。2019年11月のことです。万世一系という言葉をご存知でしょうか? 神武天皇から今上天皇(令和天皇)に至る126代にわたる天皇の系図が、「父系をたどれば神武天皇へつながる1本の線で示される」ということです(「危うい自民幹部の「女系」容認論 先人たちの知恵に学べ」- 産経ニュース(社会部編集委員である川瀬弘至氏の署名記事))。
ここで女性天皇と女系天皇の区別が必要です。女系天皇とは、母親のみが天皇家の血筋である天皇を指し、男性であっても女系天皇となります。父親が天皇家の血筋である限り、女性天皇であっても父系天皇となります。日本の歴史上、父系女性天皇は実際に存在します。そして、女系天皇の否認論者は、父を辿れば神武天皇に繋がるという皇統こそが正統性の証であるとします。これこそが世界に類を見ない日本の伝統であり、日本の国民がその子孫のためにも未来永劫死守するべきであるというのです。民間人と結婚した女性天皇の子供は、男子であっても天皇とはなり得ません。
現在の皇室典範上女性天皇も認められていません。従って、父系を維持するためには、皇后陛下や皇太子妃など男性皇族と結婚した女性達が、どうしても男子をもうける必要に迫られます。今の天皇陛下には雅子妃殿下との間に女性である愛子様しか子供がおられません。今上天皇が皇太子であった当時の総理大臣であった小泉純一郎氏が女性の皇位継承を検討すると決定したのですが、秋篠宮殿下に男子が誕生したので、結局これも見送られました。ことに保守系を中心として大きな議論を巻き起こすことが必定であるため、問題を先送りしたのです。
父系擁護論者は、江戸時代の史実を例にして、次のように言います。徳川家の和子中宮を天皇家に嫁がせ、その子供である女性が明正天皇となったのですが、この天皇が徳川家の血筋のものと結婚し、その子が即位するなら、徳川家直系の天皇となったはずだというのです。そのような天皇は正統性を害する存在となる。女系天皇が認められなかったので、このときも皇統の正統が守られたとします。先の記事によると、徳川家としては、明正天皇が女性であったので、その即位を喜ばなかったと言います。徳川家の血筋が代々の天皇に受け継がれることがなく、徳川家の血統としては途切れてしまうからです。
この論者も認めるように、中世における藤原家など、女子を天皇家に嫁がせてその子を即位させる外戚政治が横行したことがあります。日本を支配する権威の象徴である天皇の外戚となることにより、政治の実権を確実にすることが目的です。男子である限り、その子や孫が天皇となるのです。このような天皇の政治利用は、日本史上よく知られたことであり、世界にも珍しいことでしょう。武家の支配する鎌倉、室町、戦国時代へと進むにつれ、天皇家の政治的実権が無くなって久しくなっても、その権威は温存され、経済的に困窮した天皇家が、その権威を利用しようとする武家の庇護を受けていたのです。このことは、明治維新において、薩長が錦の御旗を利用したときに再現されました。昭和天皇が第二次世界大戦のとき、軍部に政治利用されたというのが東京裁判の背景にあった理解でしょう。そして終戦後の混乱を抑制するために、今度は米国によって政治利用されたのです。
明生天皇の史実を現代の政治に置き換えるとしたら、安倍晋三総理が天皇家にその子女を嫁がせて、子供が男子であればその子を天皇に即位させ、その間の子が女子であれば安倍総理の血筋に繋がる男子と結婚させることを目論むということになります。安倍家直系の天皇の誕生です。女系天皇を容認したからとしても、果たしてこのことが現在の日本において現実に起こると言うのでしょうか。安倍総理がこのことを望むでしょうか。
大日本帝国憲法
第一條
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
日本国憲法
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
言うまでもなく、大日本帝国憲法と異なり、日本国憲法において、天皇は国民統合の象徴であり、主権者は国民です。そして、政府は国民の民主的選挙によってのみ正統性を付与され、天皇の権威を全く必要としません。政治の実権が法的に世襲されることも有り得ないのです。天皇は政治に関与することを禁じられ、厳密に憲法に定める国事行為のみを行います。天皇の政治利用がいかなる意味においてもなされ得ないためです。
万世一系を宮内庁の系図により確認することができるとしても、神武天皇や最初期の天皇が神話上の存在であるとされ、実在を疑われているのが歴史学の常識です。神武天皇に遡ることはむしろ宗教的ですらあります。子供は、父母の遺伝子を受け継ぎます。その際、父母の遺伝子の二分の一ずつが配分されることは遺伝学という科学により証明されています。すると、仮に神武天皇に遡るとしても、その遺伝子は、今上天皇の子供に対しては、二分の一の126乗が継承されているに過ぎないこととなります。
皇統に対して、男女のいずれかの血筋のみが「正しい」とすることが、現在のわが国の社会的常識に適うと言うべきでしょうか。私は、天皇制の廃止論者ではありません。日本の伝統文化の継承者として重要な意義を担い続けていると考えています。そして、先日の、天皇即位の儀式にしても、広く諸外国に紹介され、日本文化の良い伝統が世界に喧伝されたことでしょう。世界最古の国王として、文化交流における日本の外交使節としてこの上もない存在です。そして何より、国民統合の象徴として、憲法によって天皇に与えられたその地位なのです。国歌、国旗が、スポーツの世界大会では、国民の高揚感と一体感を演出してくれます。国歌を歌いながら涙する選手の姿に多くの人びとが感動します。同様の意味において、国民にとって、愛される存在となるべきです。
少し注記しておきますと、私が国民というとき、それは日本民族を意味しません。人種や民族を問わず、この国の国籍を有する人のことです。更に、この国に住む全ての人々を包括するべき新たな概念も必要だと考えています。そのような日本の全ての市民を統合する象徴たるべきでしょう。アメリカであれば、市民統合の象徴は、国歌、国旗であり、アメリカ建国の礎となった憲法、そして大統領がこれに相当すると言えるかもしれません。もっとも、天皇が大統領のような政治的権力を有する存在となるとことを望むものでは毛頭ありません。「象徴」としての機能のみが切り離された存在です。先進諸国に残る国王がやはり政治的権力と切り離された権威的存在であるとしても、天皇の象徴たる地位の歴史的伝統は日本固有のものでしょう。
女系天皇排斥論は、男系血統が絶えた場合にどうするかの現実論を無視するものです。むしろ、将来的な天皇の不在を来す恐れすらあります。
GSOMIA延長拒否と撤回ー輸出管理と国際法 ― 2019年11月25日 20:17
1、GSOMIAの延長拒否と維持決定
日本の輸出管理規制において、韓国をホワイト国から除外したことが、韓国政府にとって、宣戦布告と同様の意義を有したようです。大統領が「韓国は二度と負けない」と宣言したのです。日本の輸出管理規制に対抗する手段として、韓国が、同様の輸出管理規制を日本に適用すると共に、GSOMIAの破棄を通告していました。韓国政府の様子から、ほぼ確実だと思われていたのですが、昨日の報道によると、韓国は土壇場でGSOMIA継続を決定し、日韓の当局がこれを発表しました。
日本とアメリカ、及び韓国とアメリカとの間の安全保障条約に基づき、両国にアメリカ軍が駐留し、軍事情報の交換がなされているのですが、日本と韓国の間には、日米安全保障条約と同様の意味における安全保障に関わる条約がありません。韓国には戦前、植民地化されていたこともあり日本とのいわば軍事同盟には警戒が強いと言われていますが、日本から言っても日韓の「軍事」同盟は可能ではないでしょう。日本の自衛隊は軍隊ではなく、専守防衛の大前提の下、集団にせよ、個別にせよ自衛権の発動のみが許されるというのが、日本国憲法の要請であることが共通認識です。従って、仮に韓国との間の安全保障条約を締結するとしても、アメリカとの関係と同様に片面的なものとならざるを得ません。すなわち、日本の存立に関わるような危難、日本が正に攻撃を受ける事態が存在することを前提として、日本の自衛権行使が許されるということになるでしょう。韓国のみの安全が脅かされるような状況では自衛隊は発動することが無いのです。韓国が日本を守るためだけの条約を締結するはずがないし、日本にとっても、不安定な朝鮮半島の有事の際に、直ちにこれに巻き込まれることが得策では無いとも言えます。
そこで、日米韓の安全保障に関して、日米、米韓の結びつきがあっても、日韓の関係が無く、完全なトライアングルは完成されないのですが、アメリカを介してのみ、間接的ではあっても緊密な関係を構築することが肝要となります。そのような枠組みの中で、日韓の軍事情報の交換を迅速に行い得ることにしたのがGSOMIAです。もともとアメリカを介して、国家機密である軍事情報のやり取りがある程度可能であったところ、北朝鮮の弾道弾ミサイル開発を受けて、日韓が、直接に当然のこととしてこれを行うことが重要であったのです。もっとも、北朝鮮のミサイルについて考えてみると、韓国よりも、日本及びアメリカにとって一層意味があったとも言えそうです。アメリカにとって、大陸間弾道ミサイルが北朝鮮から発射された場合、日韓の連携によりアメリカのミサイル警戒レーダー・システムの間隙を無くすことが可能となるからです。GSOMIA維持に対するアメリカ側の圧力が極めて強硬であったことも、頷けます。
日本政府は、GSOMIAの問題は、日本の安全保障に関わる輸出管理とは別次元の問題であるとしています。仮に、安全保障に関わるとされる輸出管理規制が、日韓請求権協定をめぐる国際間の紛争を契機とする政治的動機に基づくのであるとすると、韓国からしてみれば、輸出規制が真に安全保障に関わる懸念に基づくのでは無く、恣意的であり、WTOという国際法の違反であるということになります。これに対抗する手段として、GSOMIAという二国間の協定を期限に従い延長をしないことにしたというので、これ自体は決して国際法に抵触するものではなく、非友好的ではあっても、国際法上、許容されるいわゆる「報復」という事になります。
2、輸出管理と国際法ーワッセナー・アレンジメント
他方、輸出管理規制が純粋に国内問題であるかというと、そうとも言い切れません。高度な通常兵器に用いることが可能な物資及び技術を、北朝鮮、イランなどの懸念国や紛争地域に対して輸出することを規制する国際的枠組みがあります。ワッセナー・アレンジメントと呼びます(山本武彦『輸出管理ー制度と実践』(浅田正彦編)第1部第4章「通常兵器の輸出管理」参照)。もともとココムという、冷戦下における共産圏への武器輸出を規制する国際機構が存在したのですが、冷戦終結と共に解散した後、これに代わるものとして輸出規制を行う新たな機構として構想されました。特に、9.11同時多発テロを契機として、国際公序に反するテロ行為を支援する国や大量破壊兵器を開発・製造する国、懸念地域への輸出管理を行うものとして注目されます。ココムと異なり、西側諸国に加え、ロシアや中東欧を含めた国際機構です。現在、日本を含めた多くの国で、武器兵器それ自体及びその部品等のみならず、高度兵器に転用可能な汎用製品や汎用技術を含めたキャッチオール規制が導入されています(木原晋一・矢野剛史・前傾書第2部第1章「日本」参照)。輸出に際して、輸出業者が経産大臣に対して輸出許可申請を行わなければなりません。
わが国が、ワッセナー・アレンジメントのルールを前提として、外国為替及び外国貿易法に基づき、直接の輸出先国のみならず、最終的な移転先までを問題として、わが国の輸出管理の方法を規定しています。日本は、韓国向け半導体部材となる3品目について、輸出管理を厳格化したことに続けて、韓国をホワイト国から除外する措置をとりました。ホワイト国というのは、キャッチーオール規制を回避して輸出許可申請が不要であったり、包括許可が受けられる範囲が広いなどの優遇措置を受けられる国のことです。韓国を含めて27か国が指定されていたのですが、ここから韓国のみを除外したのです。わが国から輸出された製品が韓国を経由して、懸念国・地域に輸出されることを心配したということになります。
ワッセナー・アレンジメントは、上述のような輸出管理を行うべきであるという基本目的と、輸出規制について参加国に対する事後的な通知を行うことによる透明性を確保することに合意しているに過ぎないものです。紳士協定的なものとして、もともと制度としての内容が相当に希薄であると言わざるを得ません。輸出管理の方法について、基本的に各国の裁量に委ねられています。同アレンジメントにより、輸出管理を厳密に行ってはならない義務づけが生じるという性質のものでは到底ありません。
3、輸出管理と国際法ーWTO
従って、日本の輸出管理規制の厳密化が国際法上問題となり得るとしたら、やはりWTOということになるでしょう。韓国がWTOの基本原則である最恵国待遇違反を主張しているので、日本としては、その例外条項である安全保障上の例外を主張することになるでしょう(なお、韓国がWTO提訴手続きの中断を発表しました)。日本の輸出管理の厳密化は、韓国にとって関心の大きな品目について、経産大臣の許可を要することとしたので、その許可が恣意的になる恐れや、不必要に遅延する恐れがあると心配しているのです。ワッセナー・アレンジメントに従って行う輸出管理の厳密化であるから、全くWTOの問題とならないとは言えないでしょう。全く政治的動機に基づく不当な貿易制限措置であると主張されているのです。安全保障上の懸念材料もないのに、これを偽装し、自由競争を歪曲する措置であるとすれば、WTO違反を免れないとするべきです。もっとも、WTO上の安全保障における例外については、発動国の裁量余地が広いので、日本としては、韓国向け輸出がテロ支援国等の第三国向け輸出に通じる懸念についての一定の立証を行えば足りるでしょう。これに対して、韓国は、自国が輸出管理を適切に行なっており、そのような懸念を生じる余地がないというのです。
日本の外国為替及び外国貿易法に基づく輸出管理の方法としては、ホワイト国から除外したとしても、一括して輸出許可を行う他の便法がいくつか用意されているので、韓国企業に実際の損害を生じるとは直ちには言えません。また、日本はホワイト国の次順位である枠をわざわざ設けて、韓国をその中に入れたのであり、例えば、中国や東南アジア諸国など日本との貿易上の繋がりの深い国々が更にその下位に属します。それに対して韓国が、日本をホワイト国から除外する全く同等の措置を行ったのです。日本の措置がWTO上、審査の対象とはなり得ても、韓国の方に勝ち目があるとは思えません。
4、日韓請求権協定違反と対抗措置
もっとも、私は、日本の輸出管理規制上の措置が、日韓請求権協定違反に対する対抗措置であるという見方をしています。対抗措置とは、相手国の国際法違反に対して、国際法違反により対抗することを認める国際法上の概念です。この場合、日本の措置が国際法違反であるとしても一定要件の下で容認されます。報道によると、元徴用工に関する韓国大法院判決と日本企業に対する強制執行、及びこれを放置する韓国政府の態度が、日韓請求権協定に違反するとして、わが国の麻生財務大臣が貿易制限措置などの対抗措置を示唆していました。日本政府が韓国をホワイト国から除外すると発表した当初、複数の政府高官が、日韓請求権協定の違反を理由としていたようでもあります。これが一転して、両者が無関係であると説明されるようになったのです。また、現在でも、安倍総理は、日韓請求権協定という国と国との基本的な約束を守らない国であるとして韓国を非難し、これが輸出管理厳密化と共に語られるようです。
このように考えると、次の二つの考え方の筋道があります。
一つ目が、韓国による日韓請求権協定の違反という国際法違反に対する日本の対抗措置が韓国のホワイト国除外である。その場合、ホワイト国除外がWTOに違反するきらいがあるとしても国際法上、対抗措置として正当化される。これに対する韓国による日本のホワイト国除外がWTO違反である。二つ目が、韓国の日韓請求権協定の解釈が正当であり、この事にまつわる韓国の行為は国際法違反に当たらない。その場合、日本による韓国のホワイト国除外が、その他の理由が無い限り、WTO違反となる。これに対する韓国による日本のホワイト国除外は、一般国際法上の対抗措置であり正当化される。
上述したところに対して、二点ほど、私の考えを述べておきます。まず、二つ目の解釈が成り立つとしても、韓国による日本のホワイト国除外は、日本のWTO違反を理由とする以上、WTOの紛争解決手続を遂行して初めて可能とされるべき対抗措置であるのに、韓国が一方的に発動しているので、この点でWTO違反となります。次に、一般国際法上の対抗措置としての経済規制が、国際共同体の集団的利益に悖る行為に対するものとして、国際法上、明確に正当化されるものを除き、WTOとの関係は必ずしも明らかではありません。上に述べたのは、あくまでも私の試論に過ぎません。従って、日本政府が、韓国に対する輸出管理厳密化をもっぱら安全保障上の理由に基づくとしていることは、戦略的に賢明でしょう。
一般国際法上の対抗措置とWTOとの関係について、次のサイトでも述べているので、ご関心のある方は参照して下さい。
http://www.gentosha-academy.com/serial/fuwa-2/
外国人受入れと同化の強制ー日韓貿易戦争のある側面 ― 2019年11月04日 00:05
その十数年後、私が幼かったころ見ていた番組の中で、特に思い出に残っているのは、「ベン・ケイシー」という若い医師の活躍するアメリカのテレビドラマです。大きな病院の廊下を、白衣を着て颯爽と歩くテレビの中の主人公を気取って、歩き回ったものでした。
当初、日本は、外国映像作品の輸入割当制を取っていて、年間の総上映時間に法令上の上限がありました。わが国のテレビ放送産業にとって、自主制作作品の数が限られていたので、極めて貴重なコンテンツだったはずです。輸入割当制は、映画やドラマ作品のフィルムの輸入数量の制限です。その理由を推測してみます。まず、戦火によって焼け野原となった日本が、途上国として再出発した、その時代に、輸入品のために支払う外貨が十分に無かったのではないかと考えられます。次に、幼稚産業であった日本の放送産業や、再出発した映画産業を育成する政策が取られたのかもしれません。このことは、日本独自の文化を守り、発展させることにも関わります。テレビのドラマやアニメなどの映像作品や映画は重要な輸出品ともなります。現在でも、ハリウッド映画など、アメリカの映像作品が日本で巨額の収益を上げています。このことは、これらのコンテンツがアメリカの重要な輸出品目であるということも意味します。
韓流ブームに沸く日本で、韓国のテレビ・ドラマや韓国映画が好んで放映、上映されています。他方、日本のアニメ作品である「天気の子」が韓国で大ヒットしているそうです。日本製品不買運動が巻き起こっている社会的風潮の中で、「日本製ビールやユニクロは買わないけれど、これは別」なのだそうです。
そう言えば、戦後、長らく、韓国では日本の大衆歌謡、テレビドラマ、映画等の放映、上映が禁じられていました。日本の植民地政策の下で、朝鮮半島に住む人々は、創氏改名により元の民族名から、日本風の名前に変えさせられました。儒教文化の影響の強い韓国では、今の日本以上に、祖先を大切にするので、祖先に通じる名前を捨てなければならないことがとても辛いことだったのです。また、日本語が公用語とされ、学校では日本語が教えられていました。学校の先生が、「今日からは、ハングルを使うことができなくなった」と言って、日本語による授業を始めたのでしょうか。韓国の人々は、このことを民族の恥辱として記憶しています。一個一個の人の記憶というよりは、社会的記憶として深く刻まれているのです。日本の大衆文化の禁止政策は、戦前の教育のお陰で日本語に堪能な人が多い朝鮮半島を、日本文化の侵略から守るという意味も持っていたのです。ところが、表向きは禁止されていても、隣国である韓国には日本から放送電波の届くところがあり、年末には、韓国に住む多くの韓国人が、あの「紅白歌合戦」を視聴していました。
日本の映像作品を含む大衆文化が韓国内で解禁されたのは相当最近のことです。金大中大統領のとき、1998年の「日韓共同宣言 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」が発表されて以来、漸次、開放されてきました(「日韓共同宣言か20年韓国の日本文化開放はどこまで進んだ?」ニューズウィーク日本版2018年11月28日の記事https://newsweekjapan.jp/stories/world/2018/11/20-57.php)。経済発展が進み、工業製品の一部の輸出では日本を遥かに追い越し、韓国の歌謡や映像作品が、日本だけではなく、アジア圏全体で流行しています。日本の大衆文化の解放は、もはや途上国を卒業した韓国の人々が自信を持ったことの証左です。
平成29年末までの、わが国への観光客の1番のお得意さんが韓国人でした。日本観光一位の座を中国と争っていたのですが、この年には断トツでトップとなっていました。恐らく、韓国でも日本旅行ブームが起きていたのでしょう。しかし、現在、韓国からの観光客は激減しています。よく知られているように、韓国における政治的な自粛運動が原因です。日韓の輸出規制の応酬は経済的戦争の様相を呈しています。観光客の日本旅行は、韓国にとってサービス貿易の輸入に当たります。日本に二度と負けないと大統領が宣言した韓国が、政治的運動の形でこのカードを切ったとも言えるでしょう。民間の人的あるいは文化交流にまで影響を及ぼす方策も辞さないとすれば、経済規模でまだまだ日本に及ばない韓国が、持てるカードのありったけを使って、精一杯に戦っているのかもしれません。しかし、この戦争は自由貿易主義を根本的理念とせざるを得ない国同志の貿易戦争である点が、米中のそれとは様子が異なります。どちらも 自由貿易主義の旗印を下ろすわけにはいかないのです。どちらの国も国際法の根拠を十分に準備し、国際紛争も法の下に解決するという姿勢を貫いていると言えそうです。
前記白書によると、平成29年末のわが国における在留外国人数は256万1,848人で、日本の全人口の約2%弱を占めています。外国人として、仕事や観光のために、わが国を短期間訪れたのではなく、中長期間わが国に暮らす人々です。その内、約32万人が、特別永住者です。在留外国人の数が通常の永住者を含めて、大方、右肩上がりに増加の一途を辿っているのに対して、特別永住者の数は漸減傾向にあります。特別永住者というのは、戦前のわが国の植民地出身者であって、サンフランシスコ平和条約の発効に伴い、わが国に居住する「外国人」となった人たち及びその子孫です。朝鮮半島出身者も、それまでは外地戸籍に編入され(本土出身者は内地戸籍に編入されていた)、日本(大日本帝国)の国籍を有していたのですが、平和条約発効と同時に、日本が海外領土を放棄した法的効果として、日本の国籍を失ったのです。日本に仕事があり、戦前より生活していた人たちです。戦後しばらくは、日本における在日外国人の問題と言えばこの人たちのことでした。
戦後復興により、高度経済成長を遂げた日本は、外国人受け入れについては長く排外的政策を取っていました。ほとんど鎖国政策と言っても良いほどです。当時の周辺アジア諸国の生活水準からして、豊かな日本に一気に移民が押し寄せることを心配していたのです。そこで、日本に居住する外国人が必然的に限られました。世界で有数の経済大国であり、少子高齢化が進行して、本格的な人口減少社会を迎えた日本が、近年、外国人材受入れ政策に転じており、旧植民地出身者及びその子孫のみならず、ニューカマーの外国人が増加しています。特別永住者の漸減傾向は帰化がある程度進んでいることも一因でしょう。
外国人を受け入れるということは、他の国に生まれ住んでいた人々を、自分の暮らす共同体の中に受け入れることです。異なる文化、風習、習慣、信仰を持った人たちです。日系人なら別ですが、東アジア出身の場合、人種的に同じで、顔貌や髪の毛、目の色が同じであっても、民族的には異なり、異なる背景を有します。ゴミ捨てのルールなど、最低限の行政的規則は守ってもらう必要があり、以前からその地域に住む日本人と共に生活するために、生活態度や習慣など、調整しなければいけないことがたくさんあります。日本人には常識であっても、外国人の母国では必ずしもそうではないかもしれません。日本人社会は、腹芸、空気を読む、忖度する、一を聞いて十を知るなど、何でも口に出して言わない文化です。同質の文化的、民族的背景を持つ者のみで構成された社会が有する特有の文化です。外国出身の人たちとは、一から、話し合いをして決めていかないといけないという前提を、行政も含めて、そこに暮らす全ての人々が持たなければ上手く行かないでしょう。
お互いの文化や風習を、絶対のものとして、押し付けることになってはいないでしょうか。日本に暮らす外国人が、日本の社会に同化するための政策が是非必要ですが、同化の強制は、反感を誘発するだけです。もっとも、どこまでの価値観を共有するべきか、判断の困難な場合があります。例えば、日本には少ないですが、厳格なイスラム教徒は女性が公道で髪の毛や肌を露出させることを教義の問題として禁じます。スカーフで髪の毛を覆っていないと、ふしだらな女性であることになります。また、小学校や中学校で女子が体育の授業を行うことも、女性が運動を行うことを宗教上禁じられるのでできません。これらの問題がフランスで実際に生じました。フランスは、憲法の根本理念である男女平等の原則に反するとして、公的空間で、ニカブなど顔全体を覆うようなベールの着用を禁じ、女子が公教育における体育の授業に参加することも必須としています。ヨーロッパ諸国の中でも対応が分かれています。
ここで強調しておきたいのは、そのような困難が予想されるので、「移民」の受け入れは、そもそもやめるべきであるという後ろ向きの思考回路に陥ることなく、むしろ、わが国社会が多様性を許容する真の意味で多文化共生社会へと脱皮するために、議論を開始するべきであり、既にわが国に居る外国籍の人たちや異なる背景を有する人たちとの、真剣な話し合いを始めるべきだということです。同化の強制には決して陥らない、同化政策のあり方は対話から始まるのです。長い目で見て、わが国の経済的な発展のためにも、また文化的に大きな成果を得るためにも、現在必要な社会的コストであると思います。
テニスボールとラグビーボール ー 国籍について ― 2019年10月21日 21:10
テニスの大坂なおみ選手の誕生日が10月16日だったそうです。同選手が、日米両国の国籍を有する二重国籍者であることをご存じの皆さんも多いでしょう。父がハイチ出身者で、母が日本人である同選手はアメリカに住んでいます。先日、大坂選手が日本国籍選択の手続きを開始したという報道がありました。22歳になる直前のタイミングです。
私は内心ほっとしました。二重国籍であっても、一方が日本国籍であれば良いようにも思えますが、日本の国籍法によって、22歳までに国籍選択宣言を行わないと日本国籍を失うからです。大坂選手が来年の東京オリンピックに日本代表として出場するためには、日本国籍が必要です。もし、ここで国選択宣言を行わないと、東京オリンピックに、大坂選手がアメリカ代表として出場したかもしれません。
ほっとすると同時に少し後ろめたい気持ちにも駆られました。なぜなら、国籍法上、日本の国籍を選択すると、もう一つの国籍を放棄する必要があるからです。大坂選手は、アメリカ国籍法の手続きに従って、アメリカ国籍を放棄する必要があります。しかし、アメリカ在住の同選手が、アメリカ国籍を放棄した途端、住んでいる国で外国人になってしまいます。今までは、アメリカ人であったのに!アメリカからの出入国の際に、手続きが煩雑にならないと良いのですが。国籍を失うと、そのほかにも色々面倒があります。日本に住む外国人であれば、国政はおろか地方の選挙権も無くなります。
国籍取得について、日本は父母両系血統主義によります。父か母が日本人であれば、その子供は生まれた時に、日本の国籍を取得するのです。他方、アメリカなどの移民国家は生地主義をとる場合が多いです。その子がアメリカで生まれた場合、アメリカ国籍も取得します。そこで、その子は二重国籍となります。このように、ある国の国籍を有するか否かは、その国の国籍法が決定するので、二重国籍が必然的に発生します。
しかし、日本の国籍法は、国籍唯一主義を前提とします。二重国籍の発生を抑制しようというのです。日本人の子供が外国で誕生した場合、日本に出生届を出すときに、国籍留保の届けをしなければなりません。とても簡単にできますが、これをしないとその子は日本国籍を失います。外国で生まれた子供については、日本との関係が薄い場合があるので、その親に日本国籍取得の意思があるかを確認するのです。その上で、その子が22歳になるまでに、上述の国籍選択宣言を行わないといけません。日本国籍を付与する場合を、その人と日本との密接な関係のある場合に限定するためです。しかし、他方で、国籍唯一の原則から、二重国籍者が日本国籍を保持するために、他方の国籍を放棄する義務を規定しています。
これは、外国人が帰化する場合も同様です。日本国籍を取得するときに、元の外国国籍を放棄する必要があります。もっとも、その外国が国籍放棄を容易には認めてくれない場合もあるので、帰化が難しい理由の一つになり得ます。在日外国人の子供が日本に生まれたとき、親の国籍を承継しているとすると、そのまま外国人として日本で暮らしてゆくことになります。もし、この人が日本に帰化しようとすると、親の国籍を放棄しなければなりません。
国籍というのは、どのような意味を持つのでしょう? この国に住む大多数の人は、日本に生まれた日本人です。国籍なんか、生まれたときにあるので、水か、空気のような存在でしょう。外国に行くときに、日本のパスポートを作り、その国のビザを申請するので、ようやく日本の国籍を意識できるかもしれません。しかし、移民にとっては、とても重要な問題です。
国籍は、多くの人にとって、アイデンティティーの中心です。移民にとって、元々、生まれ育った国の国籍であったり、親から受け継いだ国籍であったりします。他方、今、住んでいる国はその人にとってどのような存在でしょうか。仕事があり、生活の中心である国です。友人、知人に囲まれている。二世以降であれば、生まれ育った国であり、その国で教育を受け、その国の文化や風習に馴染み、心からその国を愛して止まない。日本人がその出身地を想うように、まさに生まれた地域こそ故郷なのです。ある人にとっては、そんな国なのかもしれません。
もっとも、移民集団が、その社会の中で囲い込まれてしまっていて、差別の対象である場合もあります。その移民集団は、むしろその社会の中にあって、隔絶された小社会を形成し、もと居た国の文化や伝統を頑に守り、子孫にもその誇りを伝えようとするかもしれません。今生きている国から、真の意味での同化を拒まれ、逆に、今生きている国に対して同化を拒絶する声にならない叫び声を発しているのです。
昨年、テレビ・ドラマ化された山崎豊子の『二つの祖国』という小説があります。明治期以来、多くの日本人が海外に移住しました。貧しかった時代の日本は移民送り出し国でした。この小説は、アメリカに移住した日系二世の第二次世界大戦時における苦悩を描いたものです。アメリカに住む日本人がひどい差別を受けながら、日本人としての民族の誇りを失わず、しかし、同時に生まれたときからアメリカ人なのです。そのアイデンティティーの揺らぎがこの小説の重要なテーマです。
国籍選択の話に戻ります。二重国籍を有する人にとって、一方が、生活の中心の国であり、他方が、アイデンティティーにより重要な国であるかもしれません。また、双方の国が同じように重要である場合もあるでしょう。このとき、国籍選択制度は、生まれ育った国と親の国との間での選択を迫るものとなります。
ある学生は、ブラジルから来た移民一家の子弟でした。ブラジルは生地主義の国なので、ブラジル生まれで、日本人の親を持つその学生は二重国籍者でした。大学生にとって、22歳というのはもう目前です。大学を卒業し、永住しようと決心しているのです。民族的には日本人です。日本国籍を選択して、ブラジル国籍を放棄すれば良いじゃない?と、簡単に考えてしまうかもしれません。しかし、その学生にとって、ブラジルは生まれた国であり、ブラジルの文化や風習にも、子供の頃から慣れ親しんでいるし、何より、その国は大好きなお婆さんの国なのです。日系人も、もう三世、四世にもなれば、その国に同化している場合が多いでしょう。日系ブラジル人の場合、日本の文化にも親しんでいるし、日本語も堪能である場合があります。これから生きていく国と、お婆さんの国の、どちらかをどうしても選ばないといけない。ブラジルの国籍を捨てるとすると、お婆さんを悲しませてしまう。
生活の中心である実効性のある日本の国籍と、ある種の郷愁とアイデンティティーの源の一つであるもう一方の国籍を、同時に保有することを許容することがなぜできないのでしょう。国籍唯一の原則にも理由があります。政治的には、二つの国に結びつくことが問題視されるでしょう。しかし、私的な生活においては、二つの国籍を持つことが、むしろその人の利益になることが多いのです。
帰化の場合を含めて二重国籍を許容するべきであるというのが私の持論です。そうして、国籍をめぐるアイデンティティーの悩みを無くし、日本国籍の取得を促すべきであると考えています。二重国籍の許容が世界の潮流になっています。ヨーロッパでは多くの国の加入する条約があり、二重国籍者が双方の国籍を保持する権利を保障しています。もっとも、二重国籍者に対して、ある種の公民権の制限はやむを得ないかもしれません。確かに、国会議員になる被選挙権を認めることには抵抗があります。しかし、自分達の生活やその国の将来を決めるために、代議士を選ぶ選挙権を保有することが、その国に受け入れられたというアイデンティティーの形成に役立ち、真の意味での同化に通じるでしょう。
技能実習や特定技能という資格で外国人の出稼ぎ労働者を多く受け入れる政策に日本が転換しました。少子高齢化が進行してやむを得ず、単純労働についても、外国人を受け入れることにしたのです。しかし、高度人材外国人については、容易に永住権が認めらるとするなど、相当以前より、日本は移民受け入れ政策に転換していたのです。熟練した技能を有する単純労働者を含めて、労働力が不足している分野において、生活力のある、日本で活躍してくれる良い外国人を、より一層受け入れるべきであるとすれば、同化政策を失敗する訳にはいきません。同化を強制するのではなく、心から、日本人として、日本のために貢献してくれる人たちとなってくれるように。
ところで、ラグビー・ワールドカップでは、日本代表の快進撃が日本中に勇気を与えてくれました。南アフリカと対戦したとき、涙を流して君が代を歌う流選手と肩を組んでいる選手たちの中に、多くの外国人選手がいました。その国の代表が、国籍ではなく、住んでいる国を基準にして選考されるのです。
国際的格差と自由貿易 ― 2019年09月30日 02:44
国際的格差是正と自由貿易
国際的格差
世界の最富裕国から最貧国まで、どの程度の 経済格差があるのでしょう。国際機関が 公表している統計に従い比較してみます。IMF(国際通貨基金)の統計によると、2018年の国別GDPの上位3カ国はアメリカ、中国、日本で、アメリカ約20兆5000億USドル、中国が約13兆4000億USドル、日本が約4兆9800億USドルです。最下位までの3カ国が191位キリバス約19億USドル、192位ナウル約12億USドル、193位ツバル約4億5000万USドル です。
また、世界銀行の統計によると、2018年の国別購買力平価(PPP)一人当たりGNI(国民総所得)で、上位三カ国がカタール、マカオ、シンガポールであり、1位のカタールが124,130ドルです。ちなみに、2017年の統計で、日本が40,343.1ドル、アメリカが55,350.5ドルです。GNI(国民総所得)というのは、GDPに海外からの所得の純受取額を反映させた指標です。今日、外国に投資をしたり、金融資産を保有することが特に先進国では一般的です。外国に保有する富を反映させないと、正確に経済力の比較をすることができません。為替レートの影響を受けないように調整して、GNIを各国の人口で割ったものが一人当たりの購買力平価です。下位の三国がコンゴ民主共和国、中央アフリカ、ブルンジのアフリカの 国々です。最下位であるブルンジが688.8ドル(2016年)となっています。1ドルが110円として、大雑把に換算すると、日本人の年間購買力の平均が4,43万7,741円であるのに対して、ブルンジの国民は7万5,768円ということになります。一月6,314円で生活している計算になります。
世界全体のGDPの約8割がG20参加国に集中し、約5割をG7参加国が占めます。(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46490200U9A620C1000000/)世界における富の偏在は明らかです。
国際機関における各国の投票権はどの国も平等に一国一票であることが原則ですが、IMFだけは異なります。IMFには、多様な役割がありますが、重要な役割の一つが国家のための銀行となる国際機関であることです。各国が拠出した資金をプールしておき、国際収支に問題を生じたときに加盟国が資金を引き出すことができます。経済が行き詰まって国の債務が返済不能となる国家破産の場合に、国や国際機関及び民間の債権者と債務者である国とを仲介して、債務の免除や繰延べを行わせたり、巨額の資金を貸し付けたりします。このIMFの投票権は、拠出した資金量に応じて各国に割り当てられています。IMFのホームページをみると(IMF Members' Quotas and Voting Power, and IMF Board of Governors,Last Updated: September 29, 2019, https://www.imf.org/external/np/sec/memdir/members.aspx)、現在の所、アメリカが17.46%で一番議決権の割合が大きく、日本は6.48%、中国が6.41%です。今のところ、日本が2番目ですが、出資割当ての見直しが始まっており、国の経済規模を反映するので、中国に抜かれそうな情勢となっています。前述したブルンジは、0.03%、南太平洋の小国ツバルの議決権が最も小さく、0.001%です。189カ国が加盟するIMFの全議決権を100%としたときの割合です。
IMFの重要事項がこの議決権に従って決定されるのです。従って、アメリカと出資割当ての大きな先進国である西欧諸国が合意に到れば、IMFを自由にコントロールすることができます。もっとも、最近では中国など新興国の出資割当てが増額される傾向にあるので、将来的にはこの構図にも変化がもたらされるかもしれません。このような議決権の配分はIMFの特徴です。国際機関の決定方法は一般にコンセンサス方式によります。全員一致でのみ可決されるという方法です。 独立した主権国家は平等ですから、これが原則となります。この方法の場合、加盟国のいずれか1カ国が反対票を投ずれば、その議題が否決されるということになるので、加盟する全ての国に拒否権があることになります。国際会議が容易に合意に至らず、空中分解するか、曖昧な玉虫色の解決しか生み出せない原因の一つです。
WTOもそうです。総会で決定される重要事項について、全ての加盟国に拒否権があります。現在、アメリカが反対するので、上級委員会委員を任命することができない状態が続いています。WTO紛争解決手続きの上訴審に当たる上級員会が機能不全に陥る危機にあります。
しかし、WTO全加盟国を構成員とする紛争解決機関の決定はネガティヴ・コンセンサス方式によります。ネガティヴ・コンセンサス方式というのは、全参加者が反対しない限り否決にならないという方法です。そのため、WTOの紛争解決手続きでは、法の専門家の集まりであるパネルや上級委員会の前で、WTO諸協定の国際法としての解釈が争われ、当事国のWTO協定違反が認定され是正勧告が出されると、全加盟国で構成されるWTO紛争解決機関を自動的に通過することになります。ネガティヴ・コンセンサスによるので、いずれか一国でも賛成すれば可決されるのであり、少なくともパネルや上級委員会で勝訴した国は賛成するからです。
1995年にWTOが成立する以前のGATT時代には、GATTを巡る国際紛争は外交交渉に 基づく政治的解決に委ねられたのですが、WTO以降は、限界が指摘されるとしても、法に基づく司法的解決に移行したと言われます。法の下では、大国も小国も平等です。政治的解決であれば、アメリカが負けることがありません。しかし、WTO紛争解決手続きでは、小国がアメリカに勝訴することが実際にあるのです。
反グローバリズムとWTO
現在の国際社会では、ヒトやモノの移動手段である航空機や、情報の伝達手段であるインターネット通信が、テクノロジーの発展により、ますます高速、大容量化を遂げ、グローバル化が更に加速しています。ヒト・モノ・カネが自由に国境を越えます。行きすぎた側面があるとも指摘されることがあります。
ヒトの移動について言えば、生活水準の低い国々から、開発先進国に移民や出稼ぎ労働者が自由に移動したEUのような地域では、不況下にその弊害が現れ、反移民運動を生じ、社会の分断を招きました。無軌道な移民受け入れ政策が失敗したということでしょうが、大局的にみれば、域内の開発途上国の貧困を構成国が全体として引き受けつつ、EU全体としての経済発展と、全体としてのEU市民の生活向上には通じたとは言えそうです。反移民運動について言えば、未だに国境を中心とした発想に囚われている人々が民族主義の郷愁に浸っているようにも思われます。しかし、受入国社会の激変を緩和する措置を設けることを怠り、受入国の移民の同化政策が失敗した、ないし無策に近く、周囲から社会的心理的に隔絶した 移民集団を作り出したことに問題があったのではないでしょうか。
金融の側面では、ジョージ・ソロス氏の率いる著名な投資ファンドが、一つの私企業でありながら、投機的な投資によって、イングランド銀行を潰したとか、あるいはタイを国家破産に追い込んだことは有名です。また、タックスヘイブンに逃避する先進国富裕層の資金やマネーロンダリング、多国籍企業の租税回避が問題とされます。「カネ」が、貨幣のような物理的存在を止めて純粋に価値として流通する場合、これを規制することがそもそも困難であるとも言えそうです。国際金融の暴走も、本を正せば、ロンドンのシティーを国際金融の中心地として、その地位を確固たるものとしようとしたイギリスが域外通貨のオフショア取引を無規制に置いたことや、スイスなどの銀行法が、自国の権益を重視して守秘義務を絶対視したことに端を発しているのです。グローバル化の弊害というよりも、行き過ぎた一国中心主義の弊害であり、現在の国際社会が適切な法規制を作るための努力を行なっている最中なのです。国境を越えて自由に飛び回るカネに対する法規制を一国で行うとしても限界があり、ほとんど無意味なのです。そのための国際協調の仕組みが是が非とも必要とされます。
最後に、モノの自由移動に関わる自由貿易主義の「弊害」について、考えてみましょう。
グローバル化が進み、どの国も自国産品を輸出して大きな利益を挙げることができるようになりました。すると、その国の主食である作物を輸出に回して、主食が国内的に欠乏してしまったアフリカの国があります。しかし、他方で、自由貿易主義の恩恵を被ることで、開発途上国を脱して新興国として経済発展を遂げる国々も多数あらわれました。例えば、インドやタイがそうです。インドは大英帝国の植民地とされた時代が長く、プランテーション農法の後遺症に苦しめられてきた国の代表格でしょう。ところがインドが目覚ましい経済発展を遂げて、極貧の生活を免れる市民も増えていることを、我々日本人も良く知っていますね。筆者が中学や高校で学んだ頃の地理の教科書には、タイが、その南国風の「鷹揚な」国民性も相まって、進出した日本企業が困惑しており、工業化が困難な国であると記述されていました。メコン川流域には日本の工業製品のサプラチェーンの一大拠点が広がっています。不見識である筆者の教科書的知識からは、未来永劫工業化の不可能な国であったはずのタイは、メコン川流域サプラチェーンの中心地となり、経済開発が成功したのです。
そして、WTOが特恵関税や義務免除などの途上国有利な仕組みを備え、運用上も先進国には厳格に、途上国には寛容に行うというダブルスタンダードが存在するとされます。公正な自由競争の下でこそ、世界市場において資源を適切に配分することが可能となり、国際社会が全体として利益を最大にして、加盟国の全てが恩恵に与るというのが、WTOの根本的理念である自由貿易主義です。
そして、WTOのフォーラムでは、多様な価値が争われます。例えば、国際経済法の規制のあり方を巡って先進国対途上国の南北問題を生じます。これまでの多角的関税交渉は、先進国に一方的に有利であったとして、途上国側の不満が高まり、新興国との三つ巴の争いとなりました。それが現時点で、WTO交渉が行き詰まっている最大の原因なのです。しかし、このことは裏を返せば、新興国、途上国に発言権があり、その意向も反映され得ることを示しているのではないでしょうか。
自由貿易主義に関するWTOのみならず、多様な価値を扱う国際的レジームが複数存在します。労働規制に関するILO(国際労働機関)や環境規制や生物多様性保護に関わる国際協調の仕組みがあります。例えば、国際的な労働法規制を遵守しない国、企業からの輸入を
規制することが認められるべき場合があり得ます。児童労働や過酷な労働環境を放置することで安価に製造等できるとしても、そのような産品の輸入制限をWTO協定に盛り込むことが可能かということが争われています。希少動物保護のための手段を尽くしていない国の産品の輸入を規制することが、生物多様性の保護の要請に適うとしても、少なくとも一見すると自由貿易主義に反します。しかし、WTOのフォーラムは、これらの多様な価値を衡量する、少なくとも一個の場として機能し得るのです。ただ一途に、モノの自由移動という物理的態様を保護するものでないということは確かです。WTOが他の国際的レジームとも協調しつつ、これらの国際的価値の実現に一定の役割を果たすことが可能です。
一時、グローバル化の弊害を助長し、あるいはその親玉のような存在として、反グローバリズム運動の側から、WTOが目の敵にされていたことがあります。そこで、今一度、先にお話をした、経済紛争を司法的に解決する枠組みを作ったということがいかに重要であるかを確認しておきます。多分に政治から法へと、紛争解決の源を移行させることで、国際経済社会を弱肉強食の世界から救い、法の支配の下、小よく大を制することを可能とした功績が大きいのです。
そして、GATT=WTOの下で、世界の隅々まで経済発展の波が及びつつあることを忘れてはならないでしょう。
次回の更新は、10月12日ごろを予定しています。
日本の措置、韓国の措置-国際法上の対抗措置? ― 2019年09月16日 19:39
さて、
韓国の日韓請求権協定の違反に対する、日本の輸出規制厳格化措置と、これに対抗する韓国の措置が発動される見込みです。今日は、この問題を国際社会における法の支配の観点から、考えてみます。
1,自力救済の禁止と適正手続=法の支配
次の二つの例を考えてください。
貴方が他人にお金を貸しているとします。しかし、返済期限が来ているのに返してくれません。貴方はどうしますか?貴方がお金を返してもらうために、その人の家に行ったのですが留守だったので、開いていた玄関から家に入って、中に置いてあったお金を取ったとします。貸したお金を返してもらっただけだから良いはずだと、思うかもしれません。
貴方が所有している家を人に貸していたのですが、家賃を払ってくれません。家を明け渡すように要求したのですが、出て行ってくれません。その人が留守の間に合鍵を使って家に入り、家財道具一式を玄関前に置いておきました。自分の家であるし、家賃を払わないのだから、構わないと思うかもしれません。
しかし、日本の法によると、いずれも罪に問われる可能性があります。最初の例は窃盗罪、後の例は住居侵入罪に該当します。
貴方には、貸金を返してもらう権利があるし、家賃を請求し、払わないなら賃貸借契約を止める(解除する)と要求する権利があります。法に認められた権利があります。暴力などによって自分自身で権利を実現することを、自力救済と呼びますが、わが国の法は自力救済を原則として許しません。
まず、金銭消費貸借契約を締結したので、貸金を返済してもらう権利を有し、相手方はこれに対応する法的な義務を有します。また、不動産賃貸借契約上の、家賃を支払ってもらう権利を有し、相手方は、これに対応する法的な義務を有します。自分の家として所有権を主張することもできます。
このことを認める法があるので、国民・市民は、自分の権利を他人に主張し、金を返すように要求したり、家賃を払うように、また家を明け渡すように要求することができます。もしも、他人が自発的に義務を履行し、権利実現に協力しないなら、裁判に訴えて、その権利を実現してもらえます。裁判所が法によって認められた権利を強制的に実現してくれるのです。わが国の法は、この方法以外には、実力で自分の権利を実現することを認めないという立場を取っています。
法がないとすれば、何らかの(法によらない)権利があるとしても、その実現は、暴力を含む自分の力によって図ることになります。弱肉強食のその社会では、常に力の大きなものが得をしますが、力の無い者は泣き寝入りをするしかありません。
その社会に法が誕生すると、法の認めた権利も、社会の構成員の実力によって実現させるのではなく、自力救済を禁止して、法を実施する権力機関にその実現を委ねるようになります。その方が、その社会において、人々が安心して生活を送ることができ、構成員の生存、ひいてその社会の存続にとって有利だからです。
その社会が国であると、そこに暮らす国民・市民は、自分で権利を実現するのではなく、そのことを国家機関に委ね、その権力に従うこととするのです。法を定立し、裁判所という権力機関にその実現を委ねるのです。
民主的国家を前提すると、民主主義の手続きに従い法を作り、法に定められた手続きに従い、法=権利が実現されるのです。これを適正手続の原則と呼び、わが国のような法治国家において、法の支配が達成されます。
日本のような国であれば、選挙で選ばれた議員によって、議会で法が作られ、その法を行政府と裁判所が適用し、執行します。国民は選挙で選んだ自分たちの代表の作った法なので、その法に服します。
2,国際社会と法
輸出規制を巡る日韓の主張が食い違っています。どちらも国際法を遵守すべきであるとして譲りません。いずれの国も国際社会に法が存在するということを前提にしています。
しかし、国際社会に法は存在するのでしょうか。国際社会の構成員は国です。国際社会の法は、あるとすれば原則として国を拘束するものです。国と国との約束である条約は、まるで契約のように当事国を拘束するものでなければなりません。そうでなければ条約など締結した意味が無くなるでしょう。条約がもっとも分かりやすい国際法でしょう。条約には2つの国が当事国となり各々の国のみを義務付ける二国間条約と、複数の加盟国が締結する多国間条約とがあります。後者は、加盟国全てにっとっての法となります。前者の例が日米安保条約や日韓基本条約などで、後者の例が国連憲章やWTOなどです。
この他に国際慣習法という形の国際法があります。条約には明文規定が存在します。法としてのテキストがあるので、法の存在が明白に感じられます。しかし、国際慣習法は、それを明文化したとされる条約がありますが、それ以前には国家実行によってその法としての存在を確認する必要があるものです。
国際「法」は存在するのか? 実はこのことから既に大問題となります。国際法の授業では最初に、国際法も法であるという命題から始まります。それが法であるためには、各国がそれを法として遵守するべきであるとする法的確信がなければならない、とされます。大雑把に言ってしまうと、あるルールを法として守っていると考えられるような国の行動がある場合に、それが各国の実行の趨勢であるとされると、そのルールが国際法であると認められるということです。少し言い換えると、多くの国が、そのルールが法であることを前提として行動している場合にそのルールを国際法と呼ぶのです。
国際司法裁判所のような国際的裁判所が判決によって、その認識を行う場合もあれば、国連決議のような形で国際機関によってその特定が試みられる場合があります。国際裁判所の判決や国連決議のある場合は、比較的、国際法の認識が容易になし得る例であると言えます。
アメリカの国際政治学に、国際的リアリズムという思潮があります。国際社会には法など存在しないというのです。現実の国際社会は国際的な政治力学において規定されており、ある国が法的に義務付けられるという意味で「法」など存在しないとします。政治学のことは良く分からないのですが、知人である日本の国際政治学者が、国際社会にレジームは存在すると言えても、それを法とは言い難いなんて言うのを聞いたことがあります。
この辺り相当難しい話になりそうなので、深入りはしません。一言しておくと、アメリカも、「裁判所」は国際法の尊重義務を言いますので、法の存在を自明とするようです。
国際法と言っても、一般的、抽象的な複数の法原則とされるものが、ときとして相互に対立することがあります。そして、国際紛争が生じると、どの国も自国の対立する主張を、依拠する国際法の法原則により理由付けることが通常です。互いに相手国が国際法に違反していると主張することも有り得ます。非難の応酬に陥ると、容易に解決できないし、結局、政治・経済的な力関係によって決着が着くことも多いでしょう。
国内法と同じ意味で、全ての構成員の服する法を作ることのできる一個の立法機関が存在し、強制管轄に服する裁判機関により、統一的に法の認識と解釈が行われるということがありません。国際紛争が法的紛争の形をとるとき、いずれの国がどれだけ多くの国を巻き込むことができるかを、そうして自国が一層多く支持されることを競うのです。また、ある国の行動が国際法に違反するとして、国際的に非難が集まったとしても、その国が国際法に違反していないと反論を継続し、国内的に国際的非難を無視することも完全に可能です。
もっとも近時の国際法の発展を踏まえて、条約の国内的実施のための多様な方途が存在し得ることは付言して起きますし、国連決議に基づくような集団的な経済制裁がなされることもあります。しかし、いずれにせよ、国内法的な意味で国際法が存在し、機能しているとは到底言えません。
しかし、だからと言って国際社会に法が存在しないと短絡的に述べることもできないでしょう。まず、最初に述べた二国間条約や多国間条約が存在し、明確なルールが規定されていれば、当事国、加盟国はそれを法として受入れ、法であることを前提として行動しています。また、国際慣習法とされる法原則も、多くの国が法であることを前提としている場合が有ります。だからこそ、自国の行動を国際「法」の何らかの法原則に基づき正当化しているのです。
私自身は、国際間の紛争が「法」規範たるルールの認識、解釈という規範的な議論の応酬となること、それ自体が国際法の機能であり、かつ、極めて重要であると考えています。
政治と異なり、法的議論のあり方、その推論の形式が法分野に特有なのです。すなわち、「ルールの形式」にまとめられた先例の累積と、その「認識及び解釈」は、それまでの国家実行を証拠とします。そうして、あるルールが確立されているとされると、それ以降の国家実行に対して実質的に多大の影響を及ぼし得るのです。これを「規範的な力」と呼んでも差し支えないと考えています。
換言すると、国際的な政治・経済の力の作用と、国際法の前述した規範的作用とが、相互にフィードバックを行いながら、現実の国際社会を規定しているのです。前述の国際政治学の立場と異なり、政治経済分野とは独立の法分野が、社会学的な意味での国際社会の構成システムとして併存し、相互に影響を及ぼし合うという見方になります。
上のことを、比喩的に表現してみます。気象図を思い浮かべて下さい。世界地図の上に、低気圧の存在を示す雲の渦巻きが幾つも浮かんでいます。その雲の渦巻きは、各々独立に存在し、互いに作用を及ぼし合いながら、地球環境や気候に大きな影響を与えます。その1つの雲の渦巻きが、政治経済の力であり、他の1つの渦巻きが法の力であると考えています。
3,国際社会の自力救済と法の支配
国際社会の構成員は前述したように国です。この社会が法のない弱肉強食の社会であるとすると、政治的、経済的、軍事的な強国に、その劣後する弱小国が常に屈服することになります。国際法があっても、法の支配が不十分であると、国際社会がやはりそのような社会で有り得ます。
第二次世界大戦前の世界は、少数の列強と呼ばれる国々により、多くの地域が植民地として分割支配されていました。国際法が戦時国際法と平時国際法に分類されることがあります。この当時、戦争自体が国際法上、必ずしも違法とされていませんでした。戦争の開始と戦争中に妥当する国際法原則と平和なときの国際法原則とが異なる側面を有するのです。
第二次世界大戦後、国連が創設され、国連憲章が起草されました。このときからは明確に、国際紛争を武力により解決することが違法とされたのです。そして、国際紛争が平和裏に、すなわち交渉や仲裁などの方法により解決されるべきこととされました。民族自決原則と主権平等原則が確立され、徐々に、多くの植民地が独立を果たしました。武力の不行使が法原則とされつつ、この違反を犯した国に対して、各国が自衛権を保有することと、国際社会が共同して、その違反に対処するべく、集団的安全保障の仕組みが一応、整備されたのです。
さて、第二次世界大戦以前には、国際紛争を解決するための戦争に移行する以前に、相手国の国際法違反に対して、いわば仕返しをして、その国を諫めることが、復仇という名で、国際法上も肯定されていました。武力による威圧や経済規制などの方法によります。その後、武力行使が違法とされたので、主として経済的規制によることになります。相手国の国際法に違反する措置に対して、国際法に違反するような措置により対抗し、相手国の国際法違反による不利益を回避ないし回復するのです。対抗措置の余地のあることが、現在の国際法によっても認められています。
しかし、国際法が存在しても、これに正面から違反する対抗措置が可能であるとすると、まずある国が、相手国が国際法違反を犯していると認定すると、これに対抗する国際法違反の措置を行うことになります。しかし、実際の国際的紛争は当事国のいずれもが国際法による正当化を行うことが通常であると述べました。相手国の国際法違反の認定を、他方の国が一方的に行い、一方的に対抗措置を発動するのです。これではやはり、政治的経済的強国が常に勝利することになります。
戦後の国際社会には、戦前と異なり、極めて重要な国際経済社会の法が存在します。IMF(国際通貨基金)とGATT=WTOです。これらにより、一方的な為替規制と貿易制限が禁止されています。
殊に、GATT=WTOは自由貿易主義を掲げる国際経済社会の憲法とも目されます。一方的措置を明示的に禁止し、GATT=WTOの違反を巡る紛争は、WTOの紛争解決手続によることを規定しています。悪名高い米国通商法スーパー301条は、大きな市場と経済力を有するアメリカが相手国が自由貿易主義に反していると考える場合に、関税引き上げという恫喝によりその是正を要求するものともなり得ます。1995年にWTOが成立する以前のGATT時代には、日本も輸出自主規制を行うなど、その要求に屈した側面があります。
WTOは、このようなアメリカの一方主義を封じ込めることも目的として、アメリカ通商法の手続を参考にWTOの紛争解決手続を成立させました。アメリカ国内法手続きによる一方的な認定によることなく、これより以降は、中立的で公平な第三者である国際機関がGATT=WTO違反の認定を行ういわば裁判的な手続によることとしたのです。アメリカが、国内的手続を、WTOの手続と整合的に運用することを約束させられました。
WTO違反に対する対抗措置は、例外的場合を除き、WTOの紛争解決手続により、その違反が認定され、WTO紛争解決機関の是正勧告を待って、その認める範囲内において発動できることになりました。
貿易を巡る国際紛争の解決方法が、少なくとも手続的には、政治的解決から、司法的解決に明確に移行したのです。国際経済社会に法の支配が確立される重要な地歩となったことは疑いがありません。
4,日韓請求権協定と日本の措置、勧告の措置
日韓請求権協定の解釈を巡る日韓の対立があります。日本の主張を是としますが、これまでに述べてきた分析に従い、少し感想を述べたいと思います。
日韓請求権協定は、日韓の二国間の法です。この国際法違反に際して、日本が輸出規制の厳格化を実施しました。当初の政府高官の説明もその含みを有したもののように思われますが、韓国の国際法違反に対する日本の対抗措置であると理解する余地があります。
私は、このような対抗措置があっても良いと考えています。しかし、これが対抗措置であるとして、国際法違反に対して、国際法違反によって、いわば毒をもって毒を制する論で対抗して良いかは検討する必要があります。
まだ研究途中なので、ほんの感想だけ述べます。
第一に、日韓請求権協定の違反という韓国の措置が存在したと言える。日韓の基本条約及び請求権協定の解釈によります。
第二に、このことについて日韓で解釈の相違があり、その国際紛争は、条約に規定されている仲裁手続によるべきである。日本が十分の期間の猶予を持って要求したにも関わらず、韓国が仲裁手続の進行に同意していない。しかし、日本が国際紛争の平和的解決を十分試したかについて、韓国による基金方式の申し出を基にした交渉の申し入れのあった点が一個の要素とはなり得る。
第三に、以上を踏まえて、日本の輸出規制の厳格化が対抗措置として正当化し得る余地がある。
第四に、これが対抗措置であるとして、WTOとの整合性がやはり問題となる。過度に自由貿易主義を制限する内容であると、WTOに抵触する可能性を生む。もっとも、日本の措置が安全保障の理由付けを有するので、これについては規制発動国の裁量範囲が広い。
第五に、韓国が日本の輸出規制厳格化を、WTO提訴した点について言えば、韓国の主張が次の様に展開されるとも予想できる。すなわち、日本の措置が、日韓請求権協定を巡る国際紛争を理由にするものであり、安全保障を偽装した自由貿易の制限であって、韓国のみを狙い撃ちした点で、WTO上の最恵国待遇原則に違反する。
私見によると、韓国のWTO提訴はナンセンスです。韓国をホワイト国から除外したのは、上から二番目のランクへの移行に過ぎず、同様の、あるいはそれ以上の煩雑さを伴う輸出手続に服する多くの国々が存在し、日本との貿易も活発に行われています。何しろ中国が韓国よりも下のランクであり、日中間の貿易が極めて盛況なのです。そのランクでも中国は何も困っていません。韓国のみに不利益を与えた点の立証に、韓国が窮することになるでしょう。
第六に、韓国による、日本への輸出規制厳格化の措置は、日本の輸出規制をWTO違反であると決めつけた上で行った一方的対抗措置に当たる。明確なWTO違反措置である。
仮に、日本の措置がWTO違反であったとしても、これに対抗する、同等のWTO違反であるはずの韓国の措置は、WTOの紛争解決手続を追行した結果でなければならないはずです。
日本の輸出規制の厳格化措置がWTO違反であるとすると、必然的に韓国の措置もWTO違反ということになります。逆に、韓国の措置がWTO違反でないとすると、日本の措置もWTO違反とは言えない。いずれもWTO違反であるとするのが、最も韓国の主張に沿ったものと言えますが、韓国自身のWTO違反をWTO上正当化する理由を捻出しなければなりません。
結論的には、韓国の請求権協定に対する対抗として、日本が輸出規制の厳格化措置を行うこともできるが、これはあくまでもWTO整合的でなければならない、ということになります。逆に言えば、WTOの許容する裁量的範囲内であれば、他国の国際法違反措置に対する「対抗」的経済規制が可能であるということです。
次回更新は、9月28日ごろを予定しています。
日韓請求権協定と、日本の解釈・韓国の解釈ー国際法と国内法2 ― 2019年08月28日 14:46
日韓請求権協定という条約の解釈について、日韓が対立しています。
1、条約解釈について
条約法条約31条3項(b) 「条約の適用につき後に生じた慣行であつて、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの」。この意義について、各国の国際法学者や外交官・実務家の間で最も争いのある論点の一つです。
大まかに言うと、条約を文言に従って厳密に解釈する、あるいは条約を締結した当事国間の締結時における合意内容に拘束されるのであるか、後の国際社会の発展を考慮した目的的な解釈が許されるのかの争いです。後者は条約の文言、特に、一般的な用語、抽象的で曖昧な用語を柔軟に解釈することを許容します。しかし、例外的場合を除いて、後者の考え方を明確に一般国際法として確定できるような、国家実行の趨勢や、国際司法裁判所を含む国際機関の明示的な先例が存在するとは言えません。むしろ、印象として、文言解釈、及び条約締結時の当事国間の合意内容に拘束されるというのが国際的な多数派です。
第一に、国家実行や国際機関の判断も、一つあれば足りるというような解釈態度は国際法認識の方法として正しくありません。行政府の措置や政府の宣明、国内裁判所の判決などを、国際法を認識するための国家実行と呼びます。あるルールが国際法であるためには、そのルールを法として遵守するべきであるとする法的確信を各国家が有していることが必要であるので、そのことを国家実行により確認します。国家実行の大勢がいずれにあるかを確かめるのです。また、国際機関の示す解釈も国際法認識のための重要な要素となります。
仮に、発展的解釈を許容する場合にも、後の解釈が「当事国の合意を確立する」ものでなければならないので、当事国の意思が明白であるか、当事国を拘束し得るほどに、国際慣習法が確立されていることが立証されなければならないでしょう。その立証はそう容易ではありません。
第二に、国際司法裁判所の先例で、発展的な解釈を行うとする一般論を有するものがあるとしても、その部分のみを取り出して恣意的に一般化してしまうことは避けなければなりません。裁判所の判断というのは、常に、その時代、その当事者、その事実関係の下で、目の前の紛争を解決するもので、当該の事実的文脈において結論を理由づける性質を有します。
日本やドイツはどちらも、第二次世界大戦の敗戦国として、戦争被害者による個人的請求権の「放棄」に関する条約・協定があり、しかも後の国際人権・国際人道法の発展を踏まえた個人的請求がなされた困難な問題を有する国です。
ドイツについては国際司法裁判所の判決が下されたことがあります。しかし、個人的請求権の放棄が定められた二国間条約があり、かつ、条約締結後の国際人道法上の発展が国際公序として作用するので、被害者個人の賠償請求が認められるとした、国際司法裁判所の判決はないのです。とにかく結論的には、賠償を肯定した国の国内裁判が国際法違反として否定されています。
日韓の問題は、日本と韓国の間に締結された日韓請求権協定を前提として、その解釈をしなければなりません。日韓の問題について、日本政府が国際司法裁判所に提訴したとしても、韓国が応じない限り、強制管轄がないので、裁判が始まりません。仮に、韓国が応訴したとしても、日韓請求権協定という二国間の法が国際法としてあり、その通常の解釈手段によって確定された結論を覆すことができるほどの、国際慣習法が存在すると直ちに断定できるものではなく、この段階で、韓国の方に勝ち目がすこぶる大きいとは到底言えません。筆者の得られる情報からは、日本の方が有利であると思われます。
2、韓国大法院判決
韓国の最高裁判所に当たる大法院判決について、詳細を知りませんが、大日本帝国による朝鮮半島の植民地支配を国際法の観点から違法と断じて、その判決の理由の一つにしているようです。日本による朝鮮半島併合についての解釈も、日韓で相違しています。しかし、その違法か合法かは、直接、日韓請求権協定の解釈には関係しません。例えこれが違法であっても、第二次世界大戦後、その戦後処理のために締結された日韓請求権協定は、そのことを前提としているとも言えるからです。いずれにせよ賠償の問題は、国家間及び個人的請求の問題を含めて、一括して解決したというのが国家間の条約締結当時の意思であれば、その旨の条約を締結したわけです。
現行の韓国憲法は、日本による植民地支配が違法であることを出発点とします。朝鮮半島を併合した日韓併合条約は国際法に違反しているので無効であり、従って、この間の日本による統治も違法、無効であるとします。第二次世界大戦の終結により解放された後に成立した現在の韓国政府が、中国に亡命した独立運動の正統な継承者であるとしています。
遡って明治維新の頃、日本が西欧列強による植民地となることを恐れていました。地球のほとんど全ての領域がこれら列強の植民地と化していたのです。そのとき、日本が低開発途上国として、列強を中心とする国際社会に現れたのです。その後、富国強兵政策により、経済開発を進展させた日本が、日清日露戦争に勝利し、西欧列強がかつてそうしたように、朝鮮半島と台湾を植民地化し、中国大陸に侵出したのは歴史的事実です。
国連憲章が武力による国際紛争の解決を違法とし、領土的野心に基づき、他国を侵略する行為は禁止されました。現代の国際法規範として、植民地政策が違法とされるのは間違いがありません。韓国は、ここでも国際法のその後の発展を踏まえ、そのような国際法規範の確立される以前の日韓併合条約及び条約の下で現出した状態の全てを違法、無効と断じるのです。ここで、その是非を論じるつもりはありません。しかし、次の点を指摘しておきます。
日本の海外における支配領域が第二次世界大戦終結により解放されたのですが、連合国側の戦勝国を宗主国とする植民地が独立したのは、更に遅れて、そのほぼ全てが独立したのは漸く1970年代に入ってからのことです。この間、世界で、先進国による植民地住民に対する抑圧が継続していたのです。思うに、武力による他国侵略及び植民地政策を禁止する国際法規範は、国際政治の現実の中で、現在まで破られることの多い法です。しかも、これを行う国が正面から国際法に違反するというはずがなく、そのことが合法であるとする何らかの国際法上の理由づけを伴うのが通常です。このことは最近の、クリミア半島へのロシア軍の侵攻を見ても明らかです。
しかし、破られることが多く、即時的な実効性を欠く場合があるとしても、重要な国際法規範であることを全く否定しません。また、以前のブログに述べたように、国際人権法及び国際人道法の現代的発展が、まごう事なくあったと言えるでしょう。
但し、仮に、日韓併合条約が無効であったとしても、日韓請求権協定における個人請求権の「放棄」が決して許されないものではない。先に述べたように、この両者は論理的には無関係であるというのです。
語弊があるので、戦争被害者による個人請求権の「放棄」という言葉を説明しておく必要があるでしょう。請求権協定により、戦争被害者に対する賠償が全くなされないことと決められた、日本がその権利を剥奪したということではありません。その人達の賠償問題を含めて、多額の金銭と便益を日本が韓国政府に支払うことにより、解決したということです。戦争被害者の個人的賠償については、韓国政府が責任を負います。
もっとも、大日本帝国による統治時代に、非人道的な行為を、日本の政府ないし政府関係者らが行ったとして、その統治自体が無効であれば、その行為の国内法的違法性が一層高まるという理屈はあり得るように思われます。先に言及した韓国憲法の下、韓国国内法秩序において、日本統治時代の被害は払拭されなければならない。これが韓国の公序であるとする、韓国法の価値観に基づくのです。従って、日本国憲法の下、日韓併合条約を合法とすることを前提とする、日本の裁判所の下した判決の効力は、韓国内において否定されるとするのでしょう。しかし、何度も繰り返しますが、日本の裁判所が日韓請求権協定に基づき、個人的請求を否定するために、日韓併合条約が合法であることを必要としません。
3、日本の最高裁判決(西松建設事件)
最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷・民集61巻3号1188頁)は、広島高裁平成16年7月9日判決を破棄しました。高裁判決をひっくり返したのです。
中国国民が、第二次世界大戦時において、強制連行及び強制労働により損害を被ったとして、日本企業に対して損害賠償を請求した事件です。最高裁判決も、原告と被告企業との関係において、高裁判決が認定した強制連行及び強制労働の事実を前提としています。この原告らは、中国大陸において日常生活を送っていたところ、軍隊によって、貨物船に乗せられて日本に連行され、強制的に労働をさせられました。過酷な労働により、多くの中国人の人命が失われ、また重大な傷害を負った事実が認定されています。
そして、昭和26年に締結されたサンフランシスコ平和条約の「枠組み」の下で、「個人請求権の放棄」という言葉の意味を、「請求権を実体的に消滅させることを意味するものではなく・・・・裁判上訴求する権能を失わせる」ことと解しています。
実体権としては消滅しないが、裁判上訴求できないというのは、法技術的な表現であり、難解ですが、要するに権利があっても裁判に訴えることができないということです。
わが国の国内法上、自然債務という概念があります。これに対する権利と同じ存在ということになります。例えば当該の契約が公序良俗に反して無効なので、お互いの契約上の義務は自然債務であり、任意に履行しても構わないけれど、裁判上は請求できないとされる場合です。実際の裁判例があります。
そして、サンフランシスコ平和条約の枠組みの下で、日華平和条約が締結され、日中共同声明が発出されたのであり、中国との関係においても、個人請求権の処理について同様に解されるとしたのです。この部分がこの判決の中核をなすものであり、判例として効力を有します。すなわち、中国(及び台湾)との関係において、日華平和条約及び日中共同声明により、個人請求権は放棄されたのであり、実体権としては失われないが、裁判上は訴求できないとされました。
同じ日付の最高裁判決(第一小法廷)は、中国人慰安婦が日本国に対してした損害賠償請求訴訟です。この判決も第二小法廷の上記判決とほぼ同趣旨です。こちらは東京高裁の判断を維持しました。
なお、第二小法廷判決は、最後の部分で、日本企業(西松建設)が「自発的な対応をすることは妨げられない」と判示しています。これは上述したように裁判上は請求できないということを繰り返したに過ぎません。任意に対応することを希望するという判示は裁判所の罪滅ぼしでしょう。法の問題ではありません。
もっとも、この日本企業は一定の補償を政府より得ていたこともあり、最高裁判決の後に、原告側と和解しました。
日本の最高裁以下の裁判所及び、行政府の解釈を総合すると、わが国は、平和条約等にいう「個人請求権の放棄」の意味を、戦争被害者の権利(実体権)自体は失われないが、双方の政府が自国民に対する外交保護権を行使することを放棄し、かつ、裁判上請求が許されなくなるという意味に解しているということになります。
繰り返しますが、正確には「個人請求権の放棄」を規定したのではなく、自国及び他国の、国及び国民相互間の請求権を一括して処理したのであり、日本が相手国に対して、その双方を併せて賠償等を支払ったのです。個人的な請求の問題は、日本としては、相手国が国として被害者に補償することを期待していると言って良いでしょう。
自国民が、他国領域において被った人権侵害に対して原状回復を図る国際法上の国家の権利を、外交保護権と称します。請求権協定により、当事国がこれを放棄したことは争われていません。日本及び韓国が、第二次世界大戦時に被った自国民に対する人権侵害等の被害について、外交保護権を行使することは許されません。しかし、第二次世界大戦後に締結された条約としての日韓請求権協定に、当事国が違反して、その国の領域内において損害を被る自国企業に対して外交保護権を行使することは別論です。
4、国際法と国内法
上記最高裁判決は中国国民との関係についてのものです。従って、日華平和条約と日中共同声明が問題とされました。韓国国民との関係については、日韓請求権協定があります。この解釈をしなければなりません。個人請求権の放棄についての日本の解釈は、中国との関係と同じものであると考えられます。
韓国政府も、元徴用工については、個人請求権の放棄について、日韓請求権協定が規定していると解していたのです。ところが、韓国の大法院が、同趣旨の下級審判決を覆したのです。韓国国内裁判において、韓国人被害者から日本企業に対する請求を認めました。韓国の裁判所は韓国憲法の価値観に従い、その法体系の下で結論を正当化しています。条約の解釈について、行政府と裁判所が対立した場合、憲法がその解決方法を決めています。韓国国内法において、大法院判決が最終的であるとするなら、条約の解釈が韓国国内法的に決定されたのです。
日韓請求権協定という条約について、日本の国としての解釈と韓国の解釈が相違するという事態を生じました。それぞれの解釈が国内法的には至高であり、当事国双方の解釈が対立しています。
日本は、韓国を条約違反、すなわち国際法違反であると非難しています。この場合、まず第一に、当該の条約に規定された紛争解決の方法によることが必要です。条約の解釈について、当事国間で争いを生じた場合に、どのようにこれを解決するかを、条約において、予め規定しておく場合があります。日韓請求権協定には、国際仲裁によるべきことが規定されています。日本が再三再四、韓国に対して国際仲裁に応じるように要請し、条約に規定される期間内に仲裁人を選任するように要求したのに対して、韓国が無視したのです。
ある報道によると、戦略的無視であるとされていました。「日本が一方的に設定した期間に従う必要がない」との声が韓国側から聞かれましたが、条約に基づく手続きの開始を通知し、所定の期間内に韓国として行うべき手続きを履践するように要求したに過ぎません。なぜ、韓国が国際仲裁を殊更に拒むのでしょう。これは憶測に過ぎませんが、日韓請求権協定について、通常の条約解釈の手順に従う場合に、上記に触れたような意味で、韓国には自信がないからではないでしょうか。
日韓請求権協定の解釈について、対立が解消されない限り、日本企業が裁判上の請求に応じるべきではありません。これを認めると、韓国側の条約違反を追認することになります。
また、戦争ないし占領に伴う個人的請求に関して、たとえ請求権を一括的に処理する条約等があっても、他国や他国企業に請求できるという先例を与えることにもなります。韓国のみならず、第二次世界大戦終結後に平和条約を締結し、請求権処理を行った全ての国の国民との間に、同様の訴訟を生じる恐れがあります。
日本としては、国際司法裁判所への提訴が考えられます。しかし、この場合も、韓国が応じない限り、裁判が始まりません。たとえそうであったとしても、日本が提訴するべきです。これに対して、実際に韓国が応訴しない場合、そのことを国際社会に対してアピールできます。
5、ドラえもんのポケットは存在しない
現実の国際社会の紛争を、直ちに解決してくれる魔法の道具はありません。
過去に締結した条約も、法的効力のある限り、法は法として筋を通すべきです。
しかし、同時に、国際人権法ないし国際人道法の現代的発展も考慮する必要があるでしょう。私には全く見当もつきませんが、徴用工をめぐる日韓の問題を解決するための何か良い知恵は無いものでしょうか。
直接的な解決策ではありませんが、日本は戦争を引き起こす国にはならないということが何度も確認されると共に、国際法の現代的展開を踏まえて、他国の争乱において、積極的に発言を行うべきであると思います。現在、この地球上で強制労働等の国際人道法違反があってはならないのです。また、世界における紛争下性暴力の被害を食い止め、被害者に対して救済の手を差し伸べるための何らかの方途を、日本が提供することがあり得ます。日本は、韓国慰安婦問題の解決の一環としてアジア諸国の女性のための基金を創設し、一定の給付を行うなどの事業を行った経験があります。この事業は終了しているのですが、むしろこれを継承発展させ、世界中の紛争下性暴力被害の根絶と救済のための基金とすれば良かった。
日韓の問題を直ちに解決するドラえもんの道具はありません。但し、両国の国民が、特に若者達が「政治は政治、文化は文化」と言いながら、文化交流を継続している姿に感動を覚えます。互いの国の人々が、相手国の文物を好む風潮を遮ってはならないでしょう。
少し早めに更新しました。(^_^)
次回は、9月14日ごろ更新の予定です。
国際人道法上の重大な違反と請求権協定 ― 2019年08月18日 02:11
日清日露戦争の時代、戦争後の平和条約において、当事国市民である被害者の個人請求権が言及されることはありませんでした。もともと、戦争が行われても、最も甚大な被害を被る国民、市民からの賠償請求が顧みられることはなかったのです。しかし、1907年のハーグ条約付属「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」を経て、第一次世界大戦後のベルサイユ条約により、個人請求権が承認されました。重大な国際人権法および国際人道法違反に対する、被害者個人の権利の存在が明確にされたのが、「現在の国連の大勢」です(2005年の国連総会決議)。
(高木喜孝「戦後賠償訴訟の歴史的変遷と現段階―平和条約の解釈と個人請求権の前進で未踏の領域に踏み込んだ韓国大法院判決」 http://gendainoriron.jp/vol.19/feature/f13.phpより参照。)
1949年のいわゆるジュネーブ4条約(1953年にわが国が加入。条文については、防衛省のHP参照。https://www.mod.go.jp/j/presiding/treaty/geneva/)において、国際人道法に対する重大な違反行為を定義し、非戦闘員・文民に対する殺人、拷問、非人道的行為など戦争犯罪に対する個人の刑事責任を確立しました。その後、旧ユーゴスラビアやルワンダの内乱、カンボジアにおけるクメールルージュの非人道的行為など、おぞましい国際人道法上の犯罪を経験した国際社会が、2003年に、常設国際刑事裁判所を設立したのです。もっとも、ここで注意を要するのは、国際人道法上の罪という観念が確立され、その刑事訴追を可能にすることと、私人による民事的な補償ないし賠償請求の権利が可能とされることとは別個の問題であるということです。ジュネーブ条約から常設国際刑事裁判所設立への系譜は、刑事訴追に関するので、必ずしも、民事的な賠償の個人的請求に関する国際法上の根拠とまでは言えないのです。
ベルサイユ条約は、領土の割譲と敗戦国に対する巨額の賠償金を課した、ある意味ではきわめて不公平な内容を有する条約でした。戦勝国が敗戦国を裁いたものです。個人の戦争被害に対する請求権も戦勝国にのみ認められる片面的なものでした。その後、ドイツがこの条約を無視し、ドイツ国内においてナチスの台頭を招き、やがて第二次世界大戦に結果したことは有名です。(ホロコースト・エンサイクロペディア https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/world-war-i-treaties-and-reparations)
日本の第二次世界大戦の戦争責任に対する請求権については、サンフランシスコ平和条約が、戦勝国及び敗戦国の市民双方に関する個人の請求権について明記しつつ、日本がする平和条約上の賠償以外は、相互にこれを放棄することとされました。上記平和条約に加わらなかった中国及び韓国について、後にこれに代わる条約が締結されたわけです。日韓請求権協定が、日本が韓国に対して賠償を支払うとともに、相互の請求を放棄した一括方式によっています。国及び個人の相互の補償、賠償に関する複雑な争訟を避けて、戦後処理を一括して行うという利点を有します。第二次世界大戦における戦後処理が、第一次世界大戦のそれに対する反省を踏まえているとも考えられるでしょう。敗戦国に過度の負担をかけることが回避され、敗戦国が早期に戦後復興を遂げ、世界平和に貢献する国となることが望まれたという一面を有することは確かです。
ここで、確認できることの第一は、戦争による個人の損害について、特に、文民・非戦闘員の虐殺や、拷問、強制労働、性的搾取などの国際人道法の重大な違反について、個人的請求権が存在することが、国際法により確認されているということです。
第二に、二国間条約により、その放棄が規定されることがあるということです。被害者にとって、酷なようでもありますが、その賠償としての性格をも有する金銭ほかの便益が、当事国に対して交付されることで、被害者のいる国が、その補償の責任を負うということを、国同士が約束したのです。国同士の約束としての条約・協定というのは、当事国間における「法」です。締約国国内において法としての効力を有するものです。上に述べたように、国際人道法上の犯罪について、個人に対する刑事訴追を可能にするべき責任を免れないし、条約の方法によって他国にその責任を免れさせることができないことは、ジュネーブ条約等に明らかですが、これは別論です。韓国が、独自の国際法解釈に基づき、後から、日韓請求権協定の個人的賠償請求の部分についてのみ無効化することは許されないというべきです。
第二次世界大戦後、幾つかの国の国内裁判所で戦後賠償訴訟が提起されています。戦勝国ないし非占領国の国民である戦争被害者が、自国及び敗戦国において、相手国ないし私人に対して損害賠償請求訴訟を提起するのです。日本でも、朝鮮半島出身者及び中国人による、多くの訴訟が提起されたのですが、上訴審も含めると結論的に賠償が認められていません。西松建設という日本企業が任意に和解に応じた例があるのみです。概ねわが国の裁判所は、上記ハーグ条約に基づく賠償請求を認めていません。紛争下における非人道的行為に対する個人の請求権が存在するとしても、その救済方法をいかに確保するかは、各国に委ねられた問題であるからです。
やや難しくなりますが、もう少し説明すると、条約が賠償に対する基本的な権利を認めているとしても、直接、条約に基づき国内裁判所で請求できることには必ずしもならないということです。国際法は、基本的には国家間の法として国を義務づけます。国に対して、そのような賠償の権利を確保するように、立法や裁判の方法を提供するように義務づけるのみです。私個人の見解を少し開陳しておくと、確立された国際法上の個人の権利であれば、国内私法上の一般条項ないし白地規定の解釈上、保護に値する法的利益として考慮し得ると考えています。国際法上認められる個人の請求権といっても、強いものから弱いものまで存在するでしょう。具体的には、わが国民法上の、契約ないし不法行為に係る一般条項ないし白地規定の解釈上、賠償に有利に考慮されると解します。
但し、ここでも、個人的請求権について放棄する二国間条約が他方の考慮要素となります。徴用工に関する個人請求についても、日韓請求権協定が存在するので、結論的には賠償が否定されます。条約は、締約国間の法です。締約国は、条約の締結時における合意内容に拘束されます。後から、独自の解釈に基づき一方的に解釈変更を行うべきではありません。条約の改定などの、新たな合意が目指されるべきですが、これも他方の国が認めない限り許されません。条約内容が、国際公序に重大に違反することが明白であるなどのことがない限り、「条約」という国際法の性質から当然です。
以上を、まとめておきます。
・戦争被害に対する個人的請求権が存在することが国際法上承認されている。
・直接請求が可能であるような多国間条約は存在しないが、国内私法上の一般条項ないし白地規定の解釈上、法的に保護されるべき利益として考慮され得る。
・国際人道法上の重大な違反を含めて、一括方式により、当事国間の賠償により、相互に個人的請求の放棄を規定する条約が可能である。
・国際人道法の観点から、一括方式により賠償を受けた国は、自国にいる被害者に対して十分の補償を与えるべきである。
法の解釈としての、私見を述べました。しかし、法は法として、十分踏まえた上で、政治的解決があり得るというのが、また私の結論であります。先のブログで述べたように、韓国大統領が貿易戦争のまさに宣戦布告を行った以上、また、実際に経済的対抗措置を講じる限り、この戦争はしばらく遂行するほかないでしょう。多少の不利益もやむを得ない。しかし、長期的な国家利益を見据えて、政府には、賢明な行動を期待します。同時に、貿易戦争が、日本の経済にとって、他面で一定の利益をもたらす方策を考えてもらいたいものです。
次回更新は、8月31日ごろの予定です。
貿易戦争-宣戦布告されたよ ― 2019年08月04日 16:50
夏風邪をひいてしまいました。冷房をつけて寝ていたせいでしょう。家の内と外の温度差には気を付けましょう。
次回は、8月17日ごろ更新の予定です。
ホワイト国除外
8月2日、日本の輸出管理において優遇国いわゆるホワイト国から、韓国を除外することが閣議決定されました。国民の意見聴取の手続きにおいて、4万件超の意見が政府に寄せられました。筆者は法の研究者として、経済規制の政令改正について、これほどの意見が集まったことをかつて知りません。このこと自体が異例のことと思われます。その内、95%が賛成だったようです。
この決定に対して、韓国の文在寅大統領が直ちに閣僚会議を開催し、日本の閣議決定に対して強い非難を表明しています。冒頭部分の大統領演説に引き続き、この閣議の様子がテレビで生中継されました。このことも極めて異例です。
(産経新聞の特集:徴用工・挺身隊訴訟がこの間の事実関係をまとめていて分かりやすい。
https://www.sankei.com/smp/main/topics/main-36092-t.html )
韓国大統領は極めて強い調子で日本の措置を非難しており、朝日新聞(3日朝刊)によると、日本の措置が元徴用工訴訟に対する経済報復であり、「盗っ人猛々しい」、「韓国は日本に二度と負けない」と述べています。更に、GSOMIAの破棄を示唆し、日本をホワイト国から除外するとともに、韓国側の経済規制強化による対抗措置を採るとしています。
韓国の新聞各紙は、一斉に、日本の措置を批判し、大規模な抗議デモが実施されました。日本製製品の不買運動も報じられています。国内世論が対日批判にまとまり、いよいよ経済戦争の宣戦布告を日本が行ったので、長期戦も辞さないということのようです。筆者も誇張表現のつもりで、この言葉を使ったのですが、実際の「経済」戦争に突入しそうな様相を呈してきました。
戦争しなくないで良いですか?少々前に聞き覚えがある台詞です。武力を用いた戦争は真っ平ですが、経済戦争は有り得るべきであるというのが、筆者の持論です。経済力を背景とした、法と論理の戦争です。前回も述べたように、これが実際の戦争に発展しないという歯止めを意識しつつ、しかしアメとムチを使い分ける巧妙な外交を政府には期待したいと思います。
日本政府の措置と国際法
韓国大統領によると、強制労働の禁止と三権分立が世界の普遍的価値であり、これが国際法原則であるとして、日本がそれらの価値を踏みにじるものであり、国際法に違反すると非難しています。
まず、そのことが普遍的と目される価値であることには、誰も反対しないでしょう。第二次世界大戦中、日本の統治下にあった朝鮮半島で、強制的な徴用があったこと、及び、自主的に応募した徴用工を含めて朝鮮半島出身者が、過酷な労働環境において、多大な肉体的、精神的苦痛を被ったことは認めざるを得ません。このようなことが二度と引き起こされないような日本国であり、世界であるべきであるということを、日本が追求しないわけがありません。問題は、元徴用工に対する補償が、日韓請求権協定という国際法において、日本と韓国の間で解決された事項であるか否かという一点にあります。
韓国の裁判所は、被害者とされる原告らと日本企業との間の私人間の補償について、特に、精神的苦痛に対する損害賠償としての慰謝料の請求まで、国家間において決定してしまうことはできない、と判決しました。韓国憲法の重要な原則である個人の幸福追求権の保障にもとるというのです。
被告側である日本企業が、憲法解釈についても、これに対抗する論理を呈示しつつ争ったはずです。憲法というのは、対立するかもしれない複数の原則を呈示するのみであり、それのみで何らかの具体的な結論を明確に示し得るものではありません。どこの国の憲法でもそうなっているのです。韓国の裁判において、当然、原告側の被告側に対立する憲法解釈が主張されていたはずです。
個人の幸福追求権を尊重する韓国司法のあり方は、軍事独裁国家における抑圧を克服した韓国の歴史・文化的な背景にその淵源をみることができるでしょう。重要なことは、日本による朝鮮半島の占領・統治が、当時の国際法に照らし合法であったか否かという、日韓政府の対立した解釈があることです。韓国裁判所の結論は、これを違法としつつ、現行憲法にいう個人の幸福追求権の保障を優先させた結果でしょう。
韓国裁判所が、請求権協定という国際法を、韓国憲法に照らして、これに整合的に解釈したということです。韓国裁判所も、日本と同様に、国際法と国内法の関係について、国内法(憲法)優位説を取っていると考えられます。
日本としては、国際法の通常の解釈手順に従い、日韓請求権協定を解釈するべきであること、及び、条約締結時点における日韓両国の合意内容に基づくべきであることを、主張する必要があります。日韓の合意内容として、私人間の請求も含まれていたとする証拠を、日本政府が公表したことがこれに関係します。日本政府は、国際的な舞台においても、明示的に、国際法解釈の方法としての正統性を主張するべきです。
国際法も、憲法と同様に、多くの原則の集積です。複数の原則が場合によると対立しつつ、それ自体では具体的な事件に明確な回答をなし得るものではありません。強制労働の禁止を謳った人権関係の諸条約があっても、このことから直ちに日韓の懸案を解決できるような明確な具体的法規範あるわけではないのです。重要な価値を体現する原則規定も、抽象的な一般的原則である場合、更にその内実を再叙するような諸規範が解釈を補充します。韓国が、日本の措置を非難するためには、日本が反したとする具体的な国際法規範を特定しなければなりません。これもまた至難の業でしょう。
しかし、特に、人権や人道に関する国際法の一般原則は、たとえそれ自体が具体的な法とは言えないとしても、普遍的価値として世界の人々の心情に訴えることができます。韓国がこれを行う意図を有することは想像に難くありません。日本が人権を尊重する国であることを、同時に、国際社会に理解させる必要があります。
次に、輸出管理を厳格化したことが、WTOという国際法に違反するかという問題です。前のブログでも述べたように、日本の措置が、実際に韓国企業に損害を与えるかどうかも確定していません。禁輸措置ではなく、輸出手続の厳格化に過ぎないのです。安全保障の懸念を理由とする、WTO協定上の根拠を有する措置です。もっとも、WTO協定も法ですから、解釈を争う余地は常に存在します。GATT=WTOの枠組みの中で積み重ねられてきた先例を参照しつつ、理論武装するとともに、証拠方法を確保することが、法的争訟の常套手段です。用いることのできる論理の強さと、証拠こそが、勝敗を決します。日本の有する証拠のみならず、韓国の有し得る証拠も勘案しなければなりません。
安全保障を根拠としたことが、日本を優位に導くでしょう。たとえ、韓国がWTO提訴しても、相当の困難が予想されます。福島県沖海産物の禁輸措置について、従前の予想を覆したWTOの裁定がありました。今回は、韓国が国際経済法のエースを投入しても、神風がそうは吹かないでしょう。
もっとも自由貿易主義という大原則があります。日本が多国間主義に基づき、これまで最重視してきた価値です。日本の措置がこれに反するとする主張を、韓国外相がASEAN+3の国際会議で展開しました。日本の河野外務大臣との間で厳しい応酬がありました。河野大臣のしたように、日本が感情的に元徴用工裁判を持ち出さず、冷静に分かりやすい論理を展開すれば良いことです。
政治的利用-親日排斥
新聞報道によると、輸出規制の厳格化について、経産省が今後、優遇を受けるホワイト国という通称を止め、輸出先相手国をA~Dの4段階に分けることにするそうです。Dが北朝鮮、イラン、イラクなど10カ国ということなので、Aランクが従来のホワイト国ということでしょうか。韓国がBランクに位置付けらます。
先ほど述べたように、このことの韓国企業に対する損害はまだ確定していません。手続が煩雑であるとしても、輸出入が滞ることがないならばそれで済むのです。この措置に対して、韓国政府の反応はいかにも大仰です。大統領が先陣を切って、日本の措置を「宣戦布告」として決めつけた上で、これを非難し、応戦を国民に鼓舞しているのです。これに呼応して韓国世論がナショナリズムに高揚しているようです。韓国紙には全面戦争という見出しも見られます。
朝日新聞デジタルの3日付け記事によると、日本の今回の措置を受けて、労働組合など682団体が合同で、ソウルの日本大使館近くにおいて、大規模な安倍政権糾弾デモを開きました。また、アニメ映画「ドラえもん」の公開が映画館の自主的な判断に基づき無期限に延期されたそうです。日本人おことわりの張り紙を掲げる飲食店もあらわれたと言います。
この間、次の様な報道を目にしました。韓国において、検事長クラス及び中間幹部を含めて60人以上の検事が辞表を提出しているとする記事です。(朝鮮日報日本語版8月3日付け)
記事によると、積弊捜査に関わる検事が要職を独占し、文大統領政権の気に入らない捜査を行った検事が左遷されたので、その露骨なえこひいきに基づく人事に抗議するためであるとしています。韓国では、与野党を問わず、大統領を含めて前政権関係者が弾劾されることがよくあります。韓国では、積弊精算を文政権が進めており、収賄などに関わったとされる多くの政治家が逮捕されています。これまでに、朴槿恵前大統領のみならず、李明博元大統領も逮捕されています。
旧日本統治に対する協力者としての「親日」の排斥が、文政権にとって、過去の清算としての重要課題であることと関係するように思われます。
文大統領が、日本の輸出手続の厳格化を捉え、ここぞとばかりに反日宣伝を行い、「戦争」と言わんばかりにナショナリズムに訴えて国民を鼓舞することには、政治的意図がありそうです。経済面での失政により支持率が急降下していたところ、「対日戦争」が救世主のように現れました。実際に、大統領の支持率が向上しています。明白に政治利用しているのです。
慰安婦像-表現の不自由展・その後
日本でも、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の、「表現の不自由展・その後」展覧会の中止という事件がありました。原因は、韓国の彫刻家の作品である、有名な元従軍慰安婦を象徴する少女増です。写真を見ると、きれいな着色がなされている例の少女像が、2つの椅子の片方にのみ座っています。この展示に対して、県美術館にテロ予告や脅迫と受け取れるものを含む多数の抗議が寄せられ、これ以上エスカレートすると安全、安心な運営が難しくなるという理由です。電話やメールによる抗議が1400件以上にのぼりました。(読売オンライン 4日付け)
「(少女像を)撤去しないとガソリン携行缶を持ってお邪魔します」
京都アニメーションの放火事件を連想させる内容です。県は、少女像について予め報告を受けていたのですが、行政が展覧会の内容に関与することを控えるべきであるとして展示を容認したものです。展覧会の中止は、まさに表現の不自由ですね。
もっとも、この少女像が、日本の国民の心を深く傷つけるものであり、日韓の今日の対立を象徴する存在であることも確かです。
京アニに献花する韓国の若者と、日本の第三次韓流ブーム
京都アニメーションの放火殺人事件が史上稀に見る凶悪な、多くの犠牲者を出した事件です。そのアニメーション作品は、日本だけではなく世界の多くの若者達に親しまれています。放火現場に備えられた献花台に、韓国の若者が涙ながらに献花している姿が報道されていました。京アニ作品の大ファンだという若者達はわざわざ韓国から来たと言います。日韓の関係が悪化していることをどう思うかというインタビューに、「政治は政治、文化は文化だと思う」と韓国語で答えていました。
身近な命を惜しむこと、悼むこと、そのことが何よりも大切ではないでしょうか。そのような態度が人々の心に残る限り、戦争を阻むでしょう。
他方で、現在、日本では第三次韓流ブームが巻き起こっています。日本の若者を中心として、韓国コスメや韓国アイドルに対する人気が高いのです。ブログを書いている本日のテレビ・ニュース番組でこのことを取り上げていました。日本にある韓国コスメ専門店で化粧品を購入している女性や、レコード店で韓国の女性アイドルグループのCDを買い求める青年が、今の日韓の関係についてどう思うかと問われると、「政治は政治、文化は文化」とみんな明るく答えていました。
この経済戦争は長期戦となるでしょう。遂行するべきです。むしろこの機会を利用して、日本の産業界を利するような成果を期待します。他方で、このことが、武力を用いた戦争に発展しないようにしなければなりません。
若者達の健全さが、まばゆいように感じられます。
国際法違反に対する対抗立法-元徴用工裁判 ― 2019年07月20日 15:34
半導体材料などの韓国向け輸出規制の厳格化については、前のブログで扱いました。日本政府は、表向きは元徴用工裁判とは直接の関係がないとしていますが、その他の問題を含めた韓国政府の対応により、信頼関係が損なわれたことを背景とすると説明されています。
元徴用工が損害賠償を求めた民事裁判が確定し、その強制執行手続として、日本企業の財産が韓国内において差し押さえられているのですが、原告団が換金手続に移行するよう裁判所に申し立てました。日本企業側の財産が、競売により換金され、被害者に分配されるということです。これに対して、韓国国内法に基づく、法執行が日韓請求権協定という国際法に違反するとして、日本政府が強く抗議し、国際仲裁を要求しています。韓国政府が仲裁に応じないので、国際司法裁判所への提訴が検討されています。
実際に、判決の強制執行があり、日本企業に実際の損害が発生した場合、日本としては次の対抗的措置を考慮しています。日本が外交保護権を行使して、韓国国内で損害を被った企業の損害の回復を図るというものだと報道されています。まだ、このことについて、詳細を承知していないので、外交保護権の行使とは異なりますが、国際法違反の外国国家の行為に対する、日本の最初の対抗立法について、紹介します。アメリカの国内通商法が問題とされました。
1,1916年アンチダンピング法
1916年アンチダンピング法は、アメリカ国内法で、貿易上のダンピング行為によって被害を受けた者が、ダンピング企業に対して賠償金を請求可能とする法律でした(2004年廃止)。過料、拘留などの刑事罰を含みます。原告は、一企業でも良いのですが、損害賠償を認められるためには、加害者(ダンピング企業)側に、アメリカの国内産業に損害を与える意図が必要です。そして、私人が、相手方企業に対して、実損害の3倍の懲罰的な損害賠償を請求できます。
この法律に基づき、1997年及び98年に、日本及びヨーロッパの企業が高額の損害賠償を請求されました。アメリカの製鉄会社が、アメリカ国内の輸入者、特に、外国企業子会社を相手取り、1916年法に基づき、損害賠償請求を行ったアメリカの国内裁判です(ジュネーブ・スチール社事件、及びホイーリング・ピッツバーグ・スチール社対日本商社(三井物産、丸紅、伊藤忠の米国子会社)。
80年代から90年代に巻き起こされた鉄鋼業の熾烈な国際競争を背景に、殊に、90年代半ばに鉄鋼の国際的な余剰を生じたので、アメリカが国内鉄鋼業を守るために、輸入鉄鋼に対して、ダンピング税を課していました。WTO上も、不公正なダンピングを行う外国企業に対して、国家がダンピング防止税を課することは認められています。ここでの問題は、アメリカの関税ではなく、1916年法が、私人がダンピング企業に対して、懲罰的な損害賠償を請求できるとする点です。上記の裁判は、外国製鉄会社が製造した鉄鋼をアメリカに輸入した、外国企業の米国子会社である輸入者に対して提起されました。
この1916年法がWTO協定に違反するとして、日本及びEUはWTOに提訴し、2000年9月には、上級委員会の報告書が紛争解決機関において採択され、1916年法のWTO協定違反が確定しました。WTO協定(ダンピング防止協定)が、協定に規定する厳密な要件と、厳格な調査手続に基づき、ガットの規定する効果、すなわちダンピング・マージンを最大限とするダンピング税を賦課することのみを認めているのであり、私人による民事請求により、3倍額賠償を認める1916年法自体が、WTO協定に違反しているとされました。アメリカ国内法が国際法であるWTO協定に違反するとされたのです。
アメリカは、2001年12月末の、WTOの是正勧告の履行期限を過ぎても、1916年法を廃止していませんでしたので、勝訴国に対抗措置が認められました。この点が、多くのWTOという国際法の特色のある所です。国内裁判であれば、強制執行などを通じて、裁判所によってその判決を強制的に実現してもらえるので、国内法を遵守させる制度が完備されていると言えるのですが、国際法の場合、国際法に違反している国に対して、その法を遵守させる方法が一般に限られるのです。ところが、WTO提訴によりWTO違反が確定すると、違反国はその是正を命じられ、是正勧告が適切に履行されないときに、WTOにより承認されると、対抗措置が可能となります。例えば、対抗的に、違反国からの輸入品に対して、WTO上譲許している以上の加重的な関税を賦課するなどのことができます。
日本は、2002年1月に、WTOの紛争解決機関に、対抗措置の承認を申請した。これは1916年法と同様の内容を持つ「ミラー法」を日本も制定するとするものでした。これに対して、アメリカが、対抗措置の規模・内容に異議を唱え、その後、2002年3月に、1916年法の廃止を行う方向での日米合意が成立しました。EUについても、2004年2月に、EUに対抗措置が認められました。1916年法のような既得権に関わる国内法を廃止する国内手続には時間がかかるものです。漸く、2004年12月3日、合衆国議会により廃止法案が通過し、1916年法が廃止されました。
アメリカの国内通商法がWTOに違反するとされ、WTO上、対抗措置まで認められたのであり、その結果、アメリカがその国内法を廃止したという画期的な事件でした。日本とEUによるアメリカ包囲網が奏功した形です。WTOにおいて、アメリカは結構、敗訴しています。
しかし、1916年法には、遡及効が認められていませんでした。遡及効というのは、廃止時点から遡って、廃止前に提訴された事件にも、その効果が及ぶというものです。このことが特に日本には重要でした。日本政府は、この間にも、1916年法に基づく訴訟に日本企業が巻き込まれ、多額の損害を被り続ける事態が継続していたことを問題視していたのです。後述のように、2000年3月には、東京機械製作所他の日本企業が1916年法に基づき提訴されていたのです。1916年法の廃止法に、遡及効が規定されることで、この事件にも適用され、日本企業が1916年法に基づき、3倍額賠償を請求されることを阻止しようとしていました。
WTO上の紛争は、国際的なフォーラムにより、国際法であるWTO協定を適用して裁定されるのですが、以下では、国内の裁判所が国内法を適用する国内事件のお話しをします。
2,ゴス社対東京機械製作所-米国事件
アメリカ企業であるゴス・インターナショナル・コーポレーション(ゴス社)は新聞印刷用の輪転機の製造及びメンテナンスを行う企業です。このゴス社が2000年3月に米国裁判所に提訴した事件です。
輪転機の外国製造者及び輸入会社が、外国で製造された輪転機及び付属品について、アメリカ国内において不法にダンピング販売を行ったとして、日本及びドイツの製造者及び米国の輸入子会社を訴えました。日本の製造者には東京機械製作所(東京機械)が含まれます。
東京機械が敗訴し、2004年5月、アイオワ連邦地裁は約3162万ドルの損害賠償および、約350万ドルの弁護士報酬を確定しました。ゴス社による1916年法の下での提訴以前に、合衆国政府による、ダンピング調査が行われ、1930年関税法に基づく関税が被告らに課せられていたのですが、それ以降もダンピングが継続していたとされました。これに対して東京機械側が控訴したのですが、2006年1月に第8巡回区控訴裁判所でも、控訴棄却の判決が下されました。
連邦控訴裁判所によると、ゴス社というのが、アメリカ国内の新聞輪転機産業における唯一の製造者であったので、ゴス社に損害を与える、または、ゴス社を破壊する意図を有するということで、米国の新聞輪転機産業に対する、損害を与える意図、ないし破壊する意図を有すると言える。そして東京機械はダンピング価格で販売していたので、ゴス社は、これにより新聞社との契約を失い、また、これに対抗するために価格を下げざるを得なかった。これにより、損害を被ったのであると、されました。
控訴審の係属中に1916年法が廃止されたのですが、廃止の遡及効が規定されていなかったため、上記のような結果となったのです。裁判所は法解釈が任務であり、アメリカの法に従う外はなく、外国の政策に従うことはできないとしました。
3,対抗立法
この間、アメリカの1916年法により、自国企業に損害を生じる恐れがあるため、日本及びEUが1916年法に対する対抗立法を成立させました。EUが、2003年に、ドイツ企業が提訴されたことに対抗して、1916年アンチダンピング法の損害回復法を制定していたのです。日本でも、2004年12月に、損害回復法が公布、施行されました。
日本の損害回復法は、日本で最初で、これまでのところ最後の、対抗立法です。従来より、アメリカの輸出管理法の域外適用を巡り、ヨーロッパ諸国が対抗立法を制定していました。経済的法規制を巡る、アメリカとヨーロッパの抗争は以前からあり、ヨーロッパの国が、アメリカの経済法規制対する恒久的な対抗立法を制定する例があります。日本の損害回復法は、廃止された1916年法に対するものなので、この意味においても時限立法というに相応しく、実質的に東京機械という日本の一企業を救済するための法制定とも言えます。
日本の損害回復法は、正式名が「アメリカ合衆国の1916年の反不当廉売法に基づき受けた利益の返還義務等に関する特別措置法」です。次の2点について規定しています。
一つ目が、1916年法に基づき訴訟の被告として賠償義務を負った日本の企業が、原告のアメリカ企業に対し、訴訟により被った損害の回復を請求することができるとする損害回復請求権です。アメリカ企業が得た利益に、利息を付して返還することを請求できるとするもので、訴訟準備等の損害、弁護士報酬の支払いによって損害を被ったときは、その損害の賠償も請求できるとされています。また、その企業の100%親会社及び子会社にも、これを請求できる、とされているので、アメリカで訴訟を提起した企業の、100%親会社や子会社が日本にあるときは、その企業に対しても請求できます。
二つ目が、アメリカ判決の承認・執行の拒絶です。1916年法に基づくアメリカの裁判所の判決について、わが国における効力を否定するという規定です。以前のブログでも触れているのですが、このような規定がないと、日本の裁判所で1916年法に基づくアメリカ判決の承認執行が認められ、日本企業に対して強制執行が可能となり得ます。外国判決承認執行制度です。日本で承認執行を拒絶できる法的根拠は他にもあるのですが、この対抗立法により、迅速かつ確実にこれが可能となります。
4,東京機械製作所対ゴス社事件-日本事件と、米国事件余録
日本の事件は当時の新聞報道に基づきます。2006年の6月5日には、合衆国連邦最高裁が上訴を受理しないことを決定したので、東京機械側としては、アメリカ国内において、裁判上の対抗手段が尽きてしまいました。そこで、東京機械は、ゴス社に対する、賠償金約44億8千万円を支払いました。東京機械は、これを特別損失に計上し、2006年4-6月期の連結業績が、52億円の赤字となったそうです。
その後、2007年に、東京機械製作所は、賠償先のゴス社を相手取り、「損害回復法」に基づく訴訟を、東京地裁に提訴しました。東京機械は、損害回復法に基づきアメリカでの損害を取り戻し、特別損失を穴埋めする考えであったようです。
ところが、ゴス社が、合衆国連邦地裁に対して、日本の損害回復法に基づく日本訴訟の差止命令を求め、これが認められました。外国訴訟差止めというのは、英米法に特有のもので、嫌がらせや不便な外国での提訴ないし訴訟の継続を、アメリカ国内裁判により、相手方当事者に禁じるものです。訴訟差止命令に反すると、法廷侮辱罪という刑事犯罪に問われる強力なものです。
東京機械側は、この訴訟差止命令の破棄を求めて、連邦控訴裁判所に上訴し、日本政府も法廷の友として、これを支持する意見を提出しています。「訴訟差止命令は、国際法違反の措置により被った私人の損害に対してわが国が提供した救済措置を無効化するものであり、国際礼譲の観点からも破棄すべきである」と、しています。控訴裁判所はわが国の主張を受け入れて、わが国訴訟の差止命令を破棄しました。
同社ホームページによると、その後、日本の訴訟は和解により解決されました。東京機械が、何らかの利益を得たものと想像できます。
5,元徴用工裁判に対する対抗?
1916年法に対する損害回復法が、私企業と私企業の間の、係属中の民事裁判に焦点を合わせて、国際法に反する措置に基づき、外国における裁判で賠償を命じられた日本企業が、日本国内でその賠償を取り戻せるというものでした。相手方の外国企業が、損害回復を求めるわが国の裁判に応じることが前提であり、かつ、外国企業の財産がわが国に存在するのでないと、実効性がありません。
この点で、元徴用工裁判では、第二次世界大戦中、日本の占領下にあった朝鮮半島で徴用された人々が原告となっています。韓国訴訟の具体的な内容について、詳らかではないのですが、未払い賃金や過酷な労働条件に基づく身体的傷害などの賠償が問題となると予想されます。私人間の、契約ないし不法行為に基づく私法上の問題です。上のような損害回復法が可能か、については多分に疑問のあるところです。元徴用工事件の原告団が資力の乏しい被害者らであり、他方、被告となった日本企業は、韓国内でも利潤を獲得している多国籍企業である大企業です。日本において、元徴用工原告団に対して、その賠償の取り戻しを認めるというのは、理論的には可能であるとしても、実効性においても、正統性の見地からも問題があります。
ところで、私人間の請求についても、日韓請求権協定において解決済みであるとするのが日本の立場です。以前のブログで述べたように、筆者もその見解を支持しています。純粋に、同協定の解釈上の問題として、国際法解釈の通常の解釈手順に従い、そのように結論されると考えるからです。憲法を含めた韓国国内法に基づき、韓国裁判所が賠償請求を認めるとしても、わが国は、これが国際法違反、具体的には請求権協定の違反であるとする主張が可能です。
韓国政府が三権分立を盾にとるようですが、私人間の請求を含めて日韓請求権協定において解決済みであるとする従前の立場を踏襲するなら、国際法遵守義務に基づき、韓国憲法にも則り、国内法を整備するなどの方法により、対処可能でしょう。裁判所はそのような国内法に拘束されます。
わが国において、損害回復法の立法が可能でないとすると、国際法違反の国家行為としての、日本企業に対する強制執行により、日本企業に損害が発生した場合に、当該国に対する損害賠償請求を、日本国が自国民のために、韓国政府に対して求めるという外交保護権の行使が考えられます。あるいは、通常の民事訴訟として、日本企業から、韓国政府に対する損害回復を可能とする立法措置が有り得るかもしれません。もっとも、これについては、検討すべき点があります。
次回、更新は、8月3日ごろを予定しています。


