パラサイトと移民の受入れ ― 2020年02月18日 19:39
先日、微熱が数日続き、高熱のときのようなひどい倦だるさを感じました。初めて経験する症状なので、近くの医院に行ったのですが、インフルエンザのA型でもB型でもないという検査結果でした。風邪薬を飲んで、直りました。
たまに行く大阪梅田や道後の町は、有数の観光地なので、道行く人の中国語をよく聞きます。先日の風邪が、コロナであったら良いな(*⌒▽⌒*) 免疫があるので、心配いらないことになりますよね。
1,日本の出生率向上のためには、価値観の大転換が必要
少子高齢化が社会保障の財源不足の原因となり、潜在成長率の低迷にも繋がる恐れがあります。日本経済の中心的な構造問題が人口減少・高齢化であるとされます。(翁邦雄・法政大学客員教授(経済教室)「移民問題を考える(中)-包摂体制の整備が急務」2020年2月17日・日経電子版)
人手不足と人口減を放置したまま、日本の、社会的、経済的収縮を容認するという考え方も有り得ます。少なくとも江戸時代の日本ぐらいまで人口や経済規模が小さくなれば、その辺りで均衡点が訪れて、人口減少にも何とか歯止めがかかって落ち着くだろうという楽観論です。それはそれで構わないという選択を積極的に行うという立場です。習慣や価値観が同一で、他人が何を考えているか誰でも大体想像がつくという、これまでの日本のような住みやすい社会にわれわれ日本人が住み続けられることこそ重要であるというように、発想の転換をするのです。
あるいはAIとロボット技術の革新により、人口減少を補い、生産性の逓減を抑制できるという考え方もあります。この観点も重要であり、不可欠です。人手不足によって現在正に直面している困難を乗り切る窮余の一策でもあります。無人コンビニや、自動運転乗用車の試験走行を行うスマートシティーの実験など、確かに、AIとロボット技術の急速な発展が日本の社会の構造転換を進めているようにも見えます。しかし、これでは、仮に経済規模の収縮がある程度、止まったとしても、特殊出生率が2.0を下回る限り、人口の自然減は免れません。これを回復する手立てが出生率の減少に追いついていないのです。
定年延長等による高齢者の活用や、女性の社会進出の促進は、日本の労働力不足を補っています。女性が働きながら子育てをする環境を整備するために、配偶者双方が子供の養育に参加すること、育休を採ることが推奨され、保育園が増設されています。女性は「家」を守り、家事と子育てに専念すれば足りるとする、古い価値観に戻ることが許されません。むしろ、かつては男性の労働現場であったところに女性が働くようになり、政治家や管理職などの女性比率の向上が叫ばれています。国際社会からの批判に答えるためでも、単に憲法に書いてあるからではありません。人の個性や人格の相違もありますが、一個一個の生命への優しいまなざしや、寛容の精神が、女性一般には、男性よりも一層感じられます。人口の半分を占める女性の感性や考え方が社会制度や社会的価値観にもっと直接的に反映される必要があるためです。そうすれば日本の社会は随分違ったものとなるでしょう。
職場に赤ちゃんを連れてくることは今でもタブーでしょうか。女性がそう主張すると白眼視され、「どうせ女なんて、男の仕事を理解しない」、「生半可な心根で仕事をしやがって」と罵詈雑言を浴びせられることも有り得るでしょう。女性が働くことへの理解は漸くあっても、外の仕事と家の内の仕事を厳密に区別する発想が未だに存在するようです。そして、家の内のことは女性の仕事であるとするのです。家の外と内の仕事を、男も女も、当たり前のように両立させる工夫が求められるようです。
子供の居る家族の意味を見直すことも必要かもしれません。生き難いかもしれない人間社会の中で、二人の人間が寄り添い、子供のいる家庭が、人の一生の中で重要な場所と時間を提供するものとしての価値観が若い人達の中にあるでしょうか。夫と妻が家を作り、あるいは名前を継ぐべきであるという社会規範や制度があるからそうするのではなく、家庭があれば、世の中をたった一人で生き抜くよりも一層、喜びや、温もりを与えてくれるからこそ、男も女も家庭を持つのです。仕事や遊び以上のものがあり、家庭という重要な存在を維持するための時間や労力を惜しまない。男性が家事従業員としての女性を養うのではなく、同等のパートナーとして婚姻という契約を結ぶのです。
もっとも、若者の生活に対する何らかの経済的支援も必要です。貧乏子だくさんを応援できる、社会保障制度でなければならないでしょう。
保育所の建設のような物理的整備と、育休のような法制度の調整も進めて、更に、新しい家族の形や婚姻観の創造に向けて、価値観の大転換なり醸成が可能であるとしても、まだまだ相当の時間を要するでしょう。そうだとすれば、出生率の向上は直ちには見込まれません。
2,移民政策
現在の日本の社会的な構造転換のために、出生率向上のための施策を着実に実行して行くとともに、同時に外国人労働者の活用が必須となっています。
先日、韓国映画「パラサイト」がアメリカのアカデミー作品賞を受賞しました。英語以外の言語による映画が受賞したのはアカデミー史上初めてです。BTS(防弾少年団)がアメリカのビルボード200で1位を獲得するなど、英米のヒットチャートを賑わす常連となっています。韓国は、わが国以上の少子高齢化による人口減少社会です。ある報道によると、韓国国内に滞在する外国人は252万人を超え、2019年12月末現在、総人口の4.9%に当たるそうです。その割合が年々増加しています。(ソウル聯合ニュース) 総人口の5%が外国人であるとすると、その国に暮らす20人に一人が外国人であることになります。
以前の韓国が日本文化を拒みつつ、他方で、ある種憧憬の念を抱いていた時代があったことを知らない若者達が増えています。韓国の歌謡や映画が、アジア圏でも、日本のそれよりもよく流行し、良い興行成績を上げているようです。韓国で、外国人移民の受入が、韓国の伝統文化を壊すので、抑制すべきであるという議論があるのか、筆者はよく知りません。
一方、厚労省によると、わが国の2019年10月末時点の外国人労働者が前年同期比13.6%増の165万8804人でした。他方で、日本人の「国内出生数は86万4千人であり、前年比5.92%減と急減し、1899年の統計開始以来初めて90万人を下回わり、出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も初めて50万人を超えました。(日本経済新聞2019年12月25日朝刊)少子化・人口減が加速しています。法務省の出入国管理(白書)によると、2018年末現在における在留外国人数の割合は、総人口1億2,644万人(2018年10月1日現在)に対し2.16%です。
中長期間、わが国に居住する外国人を、政府は移民と呼びません。外国人材の活用と言っています。単純労働を含めて、受入国において就ける職業の制限のない、いわゆる移民と異なり、詳細な在留資格毎の就労制限と在留期間の定めのあるのがわが国の入国管理制度です。しかし、単純労働への就労を予定する資格以外については、在留期間は更新が可能であり、永住申請や帰化も有り得ます。ここでは、永住者および更新可能で永住資格への転換も可能であるか、相当長期の在留も可能な資格の保有者を「移民」としておきます。
上記の解説記事(「経済教室」)でも述べられているように、移民を受け入れることの「社会的影響と経済的影響(企業へのメリットだけでなく国内労働者への跳ね返りなどもある)を総合的に比較するのは」容易ではありません。メリットのみではなくデメリットもあります。
経済学ないし統計学的な社会経済的数値の比較は、そのような議論が必要ではあっても、それだけで決定的な判断が下せるということにはなりません。結果に有利にも不利にも説明が可能だからです。ここでは、ほぼほぼ単一民族である(であった)わが国社会が異なる文化的背景を有する他民族・人種を受け入れることへの、一般的な危惧について考えます。ヨーロッパ諸国やアメリカのように社会が分断され、犯罪率が増加するという社会的な懸念です。
まず、現状を確認しておきましょう。既に、単純労働を含めて就ける職種の限定のない長期生活者としての外国人移民が多数存在します。法務省白書によると、2018年度において、永住者771,568人、日本人の配偶者142,381人、永住者の配偶者37,998人、定住者192,014人(日系人)、特別永住者321,416人です。
次に、わが国の法制上、外国人移民の中で、単純労働者と高度な知識経験の必要な業務に従事する者の区別が重要です。厳密な法令上の定義ではなく、便宜的に後者を高度人材と呼ぶことにします。
単純労働については、基本的に、その外国人の一生に一度きり、一定期間の居住の後に必ず帰国させることを前提とした受入れを行っています。一定期間わが国で働いた後、別の外国人がやってくるので、出稼ぎローテーション方式と言って良いでしょう。技能実習制度がこれです。しかし、一部業種については特定技能という資格を新設し、わが国において更に長期間、働くことができるようにしました。特定技能については、極めて限定的ですが、一定の業種について更新可能とし、家族の呼び寄せも可能としたので、出稼ぎローテンション方式が部分的に崩れています。単純労働の担い手としては、留学生も重要ですが、彼らはその後、高度人材になり、わが国に居住することも期待されています。
わが国で暮らす外国人である166万人の内、残りが更新可能であり、永住資格に転換することもできる、高度人材としての在留資格を有することになります。しかも、高度人材については、もう相当以前から、わが国は積極的な受入政策に転じているのです。従って、政府の言う移民政策は取らないというのは、字義通りに受け取らない方が良いでしょう。就労制限のない長期滞在者を含めて、それだけの数の外国人移民の受入政策を既にわが国が取っているのです。
ちなみに、技能実習および特定技能として、介護分野が含まれています。これは出稼ぎローテーション方式によるものです。日本における介護職の恒常的人出不足が、今後さらに悪化していくことが予想されています。そのため、別途、更新可能な介護という在留資格が創設されました。留学の資格で日本の介護職養成学校で学び、卒業後に介護福祉士の資格を取得すると、更新可能で家族帯同の出来る在留資格を得るのです。
社会的分断や犯罪の増加という社会的懸念の問題に戻ります。
まず、犯罪の増加ですが、同じ生活水準である層を比べると、日本に暮らす日本人と外国人の間で犯罪率の顕著な相違が存在しないという統計があります。従って、外国人の受入によって犯罪が増加するとすれば、日本人よりも貧困層が多いからということになります。貧困が犯罪を引き起こす原因となるのは日本人も外国人も変わりがありません。そこで、社会的分断の問題です。
仮に、移民割合が10%になったからといって、実際に日本文化が崩壊の危機に瀕するということがあるでしょうか。日本は、古来より中国や朝鮮半島からの帰化人を活用し、その固有の文化発展の基礎を築いてきたという伝統を有する国です。多様な文化や価値を融合して、独自性のある文化を創造することが日本のお家芸であるとも言えるでしょう。芥川龍之介ではありませんが、何物もその中に溶かし入れてしまう触媒としての日本文化が、多様な異文化を受け入れることで、全ての伝統を失い、全く外国のそれに転換してしまうことなど考えられません。むしろ世界に発信できる新たな価値を生み出すことをこそ期待できるでしょう。
重要なのは、社会的分断の苦悩を経験したヨーロッパ諸国に学ぶことです。単純労働について、出稼ぎローテーション方式で大量の外国人を受け入れたとして、その人達はいずれ「帰る」人達です。日本の社会の構成員として、文化的同化を受け入れながら、その社会の発展を真剣に考えることがあり得ないでしょう。そのような人達が日本社会の相当部分を占めることは大変危険なことです。日本の法制度では、最長8年から10年を、家族の帯同を許されず、単身、つらい労働に従事しながら生活し、やがて帰国するのです。
単純労働についても、更新可能な特定技能のような資格に比較的短期間で転換可能とし、永住に道を開くことと、同化政策を実施することが重要です。同化強制に陥らない、同化のための適切な施策を遂行する必要があります。移民社会が社会的に閉じられた、隔離された集団とならないために、子弟の教育と機会均等の保障を行うことが大切です。その出自の故に、決して抜け出すことの出来ないような差別対象とされない工夫です。日本には、かつてニューヨークにあったハーレムを作りだしてはいけないのです。移民1世に対しては、日本語と日本の習慣の研修と共に、民主主義の教育が必要となるでしょう。日本人には当たり前のことが、その人達には当然とは言えないかもしれません。
以上は、現在、就労制限のない長期在留者についても同様です。
社会的分断を、取り巻く日本人社会が、分断を恐れる余りに誘発することになりかねません。異なる文化を有する、価値観の異なり得る移民を、そのようなものとして真正面から受入れ、その価値観を否定するのではなく、日本の社会に同化することを可能とする寛容を、日本人社会が持つ必要があるでしょう。
日本の国籍法は、先進国の中で、帰化が相当難しい方に属します。以前のブログで触れたように帰化を容易にすること、そうして日本人となることを促進することも、移民の同化政策の一環です。共により良い社会を構築する構成員となることがその目的です。
強制労働と国際法 ― 2020年01月20日 04:13
日韓請求権協定が、日本及び韓国の互いにいかなる主張もなし得ないとする意義について、日本と韓国の解釈が異なります。日本及び韓国の最高裁判所の解釈と、国際法と国内法の関係について、幻冬舎ルネッサンス・アカデミーの連載に掲載しています。先日、最終稿(第4回)を発行元に送ったので、その内掲載されるでしょう。今日のブログの内容は、その補足です。
1、強制労働の禁止と国際法
1930年の強制労働条約(ILO第29号条約)には、日本も1932年に加入している。その2条において強制労働が定義されている。すなわち、処罰の脅威の下に強要せられ、かつ、自ら任意に申し出でたものではない一切の労務である。同条2項に強制労働に該当しない例外が規定されている。「純然たる軍事的性質の作業に対し強制兵役法に依り強要される労務」、「完全な自治国の国民の通常の公民義務を構成する労務」、および「戦争等の場合、及び一般に住民の全部又は一部の生存又は幸福を危険にする一切の事情において強要される労務」が強制労働に当たらないとされている。
強制労働条約に関する2014年の議定書が成立し、発効している。1930年条約が植民地における労働形態を念頭に置くものであったので、人身取引などの現代的問題に対処するため、同条約を補足する議定書である。(https://www.ilo.org/tokyo/standards/list-of-conventions/WCMS_239150/lang--ja/index.htm)この議定書において、強制労働被害者に対する民事的な救済を与えるべきことが規定されているが、日本は未加入である。強制労働被害者が「適当かつ効果的な救済(補償等)を利用することができることを確保する」と規定されている。
もっとも、1930年条約の時点で、強制労働が違法であるとされるので、韓国元徴用工の事件では、日本及び企業がこの条約の違反行為を行ったとする余地がある。例外条項を解釈するために、日本の植民地支配が合法であるか否かが一個の要素される可能性もある。仮に、日本及び徴用工裁判の被告とされた日本企業が、強制労働を行わせたとすると、強制労働条約に違反し、日本が国家責任を負うということになる。
ある国が国際法違反を行った場合の、国家責任の内容については、2001年の国連総会決議により採択された国際法委員会の報告に基づく国家責任条文が重要である。
ここでは、民事的な効果について見ておく。国際法違反の行為を行った国は、損害の完全な賠償義務を負うとされ、この損害には、いかなる損害も含まれる(31条)。損害の賠償の方法としては、原状回復を原則としつつ、金銭賠償及び陳謝があると規定されている(34条ないし38条)。もっとも、これは被害国が加害国に対して、国家責任としての義務履行を請求し得る、基本的に国家間の問題である。被害国による請求の放棄も認められる(45条)。
国家責任条文は、一般国際法であり、特別国際法が存在する場合には、特別法の適用される範囲において適用されない(55条)。従って、争われる問題に関する特別国際法が存在するときには、適用範囲に関する限界を画する問題を生じ得る。国際経済関係を一般的に規律するWTOがこの意味で特別国際法であるので、以前のブログに述べたように、WTOとの関係において、WTO違反に対する対抗措置に係る問題は専らWTOにより規律されるとも考えられるが、微妙な問題が残される。
強制労働については、前述の強制労働条約が存在するので、損害の賠償の問題については、同条約および前述の議定書が規律する。また、日韓請求権協定のような二国間条約が存在する場合には、一般国際法の強行規範に反しない限り、優先すると解されよう。その意味で、日韓請求権協定と強制労働条約の関係には一応触れるべきかもしれない。
2、慣習国際法の成立と不遡及の原則
17世紀の法学者グロティウスが国際法の父とされ、1648年のウェストファリア条約が、30年戦争を終結させた世界で最初の近代的条約である。近代的国際法がこの時期に成立したとすると、現代に至るまで、その内実は益々、具体化、精緻化され、明文規定を含む多くの国際文書が生み出されてきた。このことをどのように理解するか、大きく分けて、次の二つの考え方があり得る。一つがこれである。国際法が自然法であるとすると、未だ見出されていない規範を含めて既に存在するはずである。これが人類の歴史の発展と共に次第に明らかにされて来たと考える。喩えて言えば、天界に漂う法の雲海は、地上からは有るのは分かるのであるが良くは見えない。その規範の一個一個を、地上にある判定者が、見出だし、人々に分かるように取り出して見せる。このとき初めて、誰にも確かに見えるようになるのであるが、その「条文」はその以前に既に存在はしていたのである。今一つが、次である。国際法も実定法である。漸次的法発展があるのであり、常に変転する。17世紀に近代的国際法が誕生して以来、継続的に新たな法が生み出され、現在の複雑で多層的な国際法規範の体系にまで至ったのである。新たな法規範は、その以前には存在せず、既存の法体系に付け加えられる。
自然法と言うと、現在の法学説では余り流行らない。しかし、慣習国際法とされるものが、その双方の性質を一定程度帯びるようである。一般に慣習法の成立を言うとき、法の主体たる者の行為を観察して、一定の長期間に渡り、行動傾向が一様にあり、大半の者が法として遵守している(国際法の場合、これを法的確信と呼ぶ。)場合を指す。慣習国際法の場合、その主体は第一義的には国家である。その援用を行う者が、その成立について実定的な証拠を示す必要がある。一定期間継続的で、斉一的な個々の国の国家実行としての行動や、一つの国際機関の宣明などである。多数の国の加盟する多国間条約や、これらを研究する多くの国際法学者の議論を経た文書が国際機関の承認を得たものが、最も分かり易い。条約は、署名と承認により、加盟国間のまさに明文の法となるのであるが、これをしていない場合にも、その内容が多くの国によって慣習国際法として認められる場合がある。
現在の国際社会において、特定の法規範の内容が、慣習国際法であると多くの国によって認められていると仮定する。ある行為者の行為がこの規範に違反すると主張する者は、その行為の当時に既にその慣習法規範が成立していたと言うであろう。これを否定する者は、その当時、未だ、多くの国が法としては認めていなかったと主張する。慣習国際法の成立時期を認定する作業はときに困難を極めるであろう。特に、その行為者の行為を刑事的な意味で犯罪に該当するとか、国際法違反の責任として賠償の効果が認められるとする場合、前者については、国際的な意味においても罪刑法定主義は当てはまると考える余地があるし、後者についても、法の一般原則として、法の適用についての不遡及原則が妥当すると考えられる。要するに、行為当時に違法ではない行為によって、行為者は裁かれるべきではないという原則である。
3、強制労働の禁止と日韓請求権協定
以上を、元徴用工の裁判に当てはめてみよう。
第二次世界大戦当時、明文の条約として、1930年の強制労働条約が成立していた。批准していたので、わが国内においてもまさに法としての効力を有する。元徴用工の労働態様が強制労働に該当するかは、国際法上はまずこの条約を適用しなければならない。次に、それが強制労働に当たるという場合に、被害者に補償が与えられるべきであるかも同条約、及びその他の国際法の観点から決定される。強制労働の禁止は1930年条約のときに既に、国際的な強行法規範であると思われる。しかし、被害救済の方法として、民事的賠償の機会や金銭的補償の提供が現在の国際法上の要請であるとしても、これが強制労働の文脈において明文規定とされたのが2014年議定書であった。わが国は議定書に加入していないので、この意味でわが国の法ではない。その内容の慣習国際法が成立しているとしても、成立時点が、第二次世界大戦のときまで遡れるかは多分に疑問である。
次に、2014年議定書にあるように、強制労働の被害に対して金銭的補償の提供が国家に義務付けらるとしても、日韓請求権協定の締結の経緯からは、第一次的に責任を負うべきは韓国であると解する。韓国大法院判決多数意見が言うように、元徴用工の補償について、韓国において、社会保障的な、国による一定の給付が存在する。新日鉄事件は、韓国の元徴用工の被った損害の完全賠償のために、韓国法に基づく給付額が不十分であるとして、徴用工を用いた企業にその不足分の賠償を求めているのである。強制労働条約の議定書が、被害者に補償を与えることを国に義務付けるとしても、必ず、民事訴訟の形で加害者に対して賠償を求め得るとする義務まであるかは不明である。日本は日韓請求権協定に基づき、多額の経済援助を行った。しかも、元徴用工に対して韓国法に基づく補償はあるのである。それ以上に、元徴用工が個人として金銭的賠償を請求し得るとする国際法上の義務が、いずれかの国家にあるかは疑問である。
上の記述だけ見ると、誤解を生じるかもしれません。幻冬舎ルネッサンスのサイトを是非見てください。
2月11日注記
上記において、国際的な強行法規範という語を用いています。特に、国際人権法上の要請として、重大な人権侵害など国家間の合意によってもこれを免責することが許されないような国際法規範をそう呼びます。国際的強行法の範囲や効果について、国際法上いまだ決着のついていない問題の一つです。ここでは、単に、抽象的に強制労働の違反をいう場合、そのように解されるという趣旨です。
女系天皇を容認すれば、天皇制が崩壊する? ― 2019年12月22日 20:03
昨年より、学会報告や論文執筆に忙しく、ブログ更新が遅れがちになっています。現在、なんとか不定期に更新しています。更新時に、閲覧数の順位が大きく変動するので、まだ読んで下さる皆さんが居られるのだと理解しています。更新をみつけられたら、お読み頂けると嬉しいです。何とか、月に一度ぐらいは更新していこうと思っています。
1週間ぐらい前に、幻冬者ルネッサンス・アカデミーの連載原稿を、発行元に送りました。その内に掲載されると思います。日韓請求権協定と輸出管理、戦後補償をめぐる解説をしています。専門的な小論と一般的読み物の中間ぐらいなもので、このブログよりは若干難解かもしれません。出来るだけ平易であることを心がけています。興味があれば、ご覧ください。サイドのリンクから行けます。
女系天皇を容認すれば、天皇制が崩壊する?
菅官房長官が安定的な皇位継承のあり方を研究するべき時期にあると発言し、政府部内において、女性宮家や女系天皇などの容認論があると報道されました。このころ、自民党幹部である二階俊博幹事長や甘利明税制調査会長が女系天皇容認を示唆する発言を行ったことが、物議を醸しました。2019年11月のことです。万世一系という言葉をご存知でしょうか? 神武天皇から今上天皇(令和天皇)に至る126代にわたる天皇の系図が、「父系をたどれば神武天皇へつながる1本の線で示される」ということです(「危うい自民幹部の「女系」容認論 先人たちの知恵に学べ」- 産経ニュース(社会部編集委員である川瀬弘至氏の署名記事))。
ここで女性天皇と女系天皇の区別が必要です。女系天皇とは、母親のみが天皇家の血筋である天皇を指し、男性であっても女系天皇となります。父親が天皇家の血筋である限り、女性天皇であっても父系天皇となります。日本の歴史上、父系女性天皇は実際に存在します。そして、女系天皇の否認論者は、父を辿れば神武天皇に繋がるという皇統こそが正統性の証であるとします。これこそが世界に類を見ない日本の伝統であり、日本の国民がその子孫のためにも未来永劫死守するべきであるというのです。民間人と結婚した女性天皇の子供は、男子であっても天皇とはなり得ません。
現在の皇室典範上女性天皇も認められていません。従って、父系を維持するためには、皇后陛下や皇太子妃など男性皇族と結婚した女性達が、どうしても男子をもうける必要に迫られます。今の天皇陛下には雅子妃殿下との間に女性である愛子様しか子供がおられません。今上天皇が皇太子であった当時の総理大臣であった小泉純一郎氏が女性の皇位継承を検討すると決定したのですが、秋篠宮殿下に男子が誕生したので、結局これも見送られました。ことに保守系を中心として大きな議論を巻き起こすことが必定であるため、問題を先送りしたのです。
父系擁護論者は、江戸時代の史実を例にして、次のように言います。徳川家の和子中宮を天皇家に嫁がせ、その子供である女性が明正天皇となったのですが、この天皇が徳川家の血筋のものと結婚し、その子が即位するなら、徳川家直系の天皇となったはずだというのです。そのような天皇は正統性を害する存在となる。女系天皇が認められなかったので、このときも皇統の正統が守られたとします。先の記事によると、徳川家としては、明正天皇が女性であったので、その即位を喜ばなかったと言います。徳川家の血筋が代々の天皇に受け継がれることがなく、徳川家の血統としては途切れてしまうからです。
この論者も認めるように、中世における藤原家など、女子を天皇家に嫁がせてその子を即位させる外戚政治が横行したことがあります。日本を支配する権威の象徴である天皇の外戚となることにより、政治の実権を確実にすることが目的です。男子である限り、その子や孫が天皇となるのです。このような天皇の政治利用は、日本史上よく知られたことであり、世界にも珍しいことでしょう。武家の支配する鎌倉、室町、戦国時代へと進むにつれ、天皇家の政治的実権が無くなって久しくなっても、その権威は温存され、経済的に困窮した天皇家が、その権威を利用しようとする武家の庇護を受けていたのです。このことは、明治維新において、薩長が錦の御旗を利用したときに再現されました。昭和天皇が第二次世界大戦のとき、軍部に政治利用されたというのが東京裁判の背景にあった理解でしょう。そして終戦後の混乱を抑制するために、今度は米国によって政治利用されたのです。
明生天皇の史実を現代の政治に置き換えるとしたら、安倍晋三総理が天皇家にその子女を嫁がせて、子供が男子であればその子を天皇に即位させ、その間の子が女子であれば安倍総理の血筋に繋がる男子と結婚させることを目論むということになります。安倍家直系の天皇の誕生です。女系天皇を容認したからとしても、果たしてこのことが現在の日本において現実に起こると言うのでしょうか。安倍総理がこのことを望むでしょうか。
大日本帝国憲法
第一條
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
日本国憲法
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
言うまでもなく、大日本帝国憲法と異なり、日本国憲法において、天皇は国民統合の象徴であり、主権者は国民です。そして、政府は国民の民主的選挙によってのみ正統性を付与され、天皇の権威を全く必要としません。政治の実権が法的に世襲されることも有り得ないのです。天皇は政治に関与することを禁じられ、厳密に憲法に定める国事行為のみを行います。天皇の政治利用がいかなる意味においてもなされ得ないためです。
万世一系を宮内庁の系図により確認することができるとしても、神武天皇や最初期の天皇が神話上の存在であるとされ、実在を疑われているのが歴史学の常識です。神武天皇に遡ることはむしろ宗教的ですらあります。子供は、父母の遺伝子を受け継ぎます。その際、父母の遺伝子の二分の一ずつが配分されることは遺伝学という科学により証明されています。すると、仮に神武天皇に遡るとしても、その遺伝子は、今上天皇の子供に対しては、二分の一の126乗が継承されているに過ぎないこととなります。
皇統に対して、男女のいずれかの血筋のみが「正しい」とすることが、現在のわが国の社会的常識に適うと言うべきでしょうか。私は、天皇制の廃止論者ではありません。日本の伝統文化の継承者として重要な意義を担い続けていると考えています。そして、先日の、天皇即位の儀式にしても、広く諸外国に紹介され、日本文化の良い伝統が世界に喧伝されたことでしょう。世界最古の国王として、文化交流における日本の外交使節としてこの上もない存在です。そして何より、国民統合の象徴として、憲法によって天皇に与えられたその地位なのです。国歌、国旗が、スポーツの世界大会では、国民の高揚感と一体感を演出してくれます。国歌を歌いながら涙する選手の姿に多くの人びとが感動します。同様の意味において、国民にとって、愛される存在となるべきです。
少し注記しておきますと、私が国民というとき、それは日本民族を意味しません。人種や民族を問わず、この国の国籍を有する人のことです。更に、この国に住む全ての人々を包括するべき新たな概念も必要だと考えています。そのような日本の全ての市民を統合する象徴たるべきでしょう。アメリカであれば、市民統合の象徴は、国歌、国旗であり、アメリカ建国の礎となった憲法、そして大統領がこれに相当すると言えるかもしれません。もっとも、天皇が大統領のような政治的権力を有する存在となるとことを望むものでは毛頭ありません。「象徴」としての機能のみが切り離された存在です。先進諸国に残る国王がやはり政治的権力と切り離された権威的存在であるとしても、天皇の象徴たる地位の歴史的伝統は日本固有のものでしょう。
女系天皇排斥論は、男系血統が絶えた場合にどうするかの現実論を無視するものです。むしろ、将来的な天皇の不在を来す恐れすらあります。
日本の措置、韓国の措置-国際法上の対抗措置? ― 2019年09月16日 19:39
さて、
韓国の日韓請求権協定の違反に対する、日本の輸出規制厳格化措置と、これに対抗する韓国の措置が発動される見込みです。今日は、この問題を国際社会における法の支配の観点から、考えてみます。
1,自力救済の禁止と適正手続=法の支配
次の二つの例を考えてください。
貴方が他人にお金を貸しているとします。しかし、返済期限が来ているのに返してくれません。貴方はどうしますか?貴方がお金を返してもらうために、その人の家に行ったのですが留守だったので、開いていた玄関から家に入って、中に置いてあったお金を取ったとします。貸したお金を返してもらっただけだから良いはずだと、思うかもしれません。
貴方が所有している家を人に貸していたのですが、家賃を払ってくれません。家を明け渡すように要求したのですが、出て行ってくれません。その人が留守の間に合鍵を使って家に入り、家財道具一式を玄関前に置いておきました。自分の家であるし、家賃を払わないのだから、構わないと思うかもしれません。
しかし、日本の法によると、いずれも罪に問われる可能性があります。最初の例は窃盗罪、後の例は住居侵入罪に該当します。
貴方には、貸金を返してもらう権利があるし、家賃を請求し、払わないなら賃貸借契約を止める(解除する)と要求する権利があります。法に認められた権利があります。暴力などによって自分自身で権利を実現することを、自力救済と呼びますが、わが国の法は自力救済を原則として許しません。
まず、金銭消費貸借契約を締結したので、貸金を返済してもらう権利を有し、相手方はこれに対応する法的な義務を有します。また、不動産賃貸借契約上の、家賃を支払ってもらう権利を有し、相手方は、これに対応する法的な義務を有します。自分の家として所有権を主張することもできます。
このことを認める法があるので、国民・市民は、自分の権利を他人に主張し、金を返すように要求したり、家賃を払うように、また家を明け渡すように要求することができます。もしも、他人が自発的に義務を履行し、権利実現に協力しないなら、裁判に訴えて、その権利を実現してもらえます。裁判所が法によって認められた権利を強制的に実現してくれるのです。わが国の法は、この方法以外には、実力で自分の権利を実現することを認めないという立場を取っています。
法がないとすれば、何らかの(法によらない)権利があるとしても、その実現は、暴力を含む自分の力によって図ることになります。弱肉強食のその社会では、常に力の大きなものが得をしますが、力の無い者は泣き寝入りをするしかありません。
その社会に法が誕生すると、法の認めた権利も、社会の構成員の実力によって実現させるのではなく、自力救済を禁止して、法を実施する権力機関にその実現を委ねるようになります。その方が、その社会において、人々が安心して生活を送ることができ、構成員の生存、ひいてその社会の存続にとって有利だからです。
その社会が国であると、そこに暮らす国民・市民は、自分で権利を実現するのではなく、そのことを国家機関に委ね、その権力に従うこととするのです。法を定立し、裁判所という権力機関にその実現を委ねるのです。
民主的国家を前提すると、民主主義の手続きに従い法を作り、法に定められた手続きに従い、法=権利が実現されるのです。これを適正手続の原則と呼び、わが国のような法治国家において、法の支配が達成されます。
日本のような国であれば、選挙で選ばれた議員によって、議会で法が作られ、その法を行政府と裁判所が適用し、執行します。国民は選挙で選んだ自分たちの代表の作った法なので、その法に服します。
2,国際社会と法
輸出規制を巡る日韓の主張が食い違っています。どちらも国際法を遵守すべきであるとして譲りません。いずれの国も国際社会に法が存在するということを前提にしています。
しかし、国際社会に法は存在するのでしょうか。国際社会の構成員は国です。国際社会の法は、あるとすれば原則として国を拘束するものです。国と国との約束である条約は、まるで契約のように当事国を拘束するものでなければなりません。そうでなければ条約など締結した意味が無くなるでしょう。条約がもっとも分かりやすい国際法でしょう。条約には2つの国が当事国となり各々の国のみを義務付ける二国間条約と、複数の加盟国が締結する多国間条約とがあります。後者は、加盟国全てにっとっての法となります。前者の例が日米安保条約や日韓基本条約などで、後者の例が国連憲章やWTOなどです。
この他に国際慣習法という形の国際法があります。条約には明文規定が存在します。法としてのテキストがあるので、法の存在が明白に感じられます。しかし、国際慣習法は、それを明文化したとされる条約がありますが、それ以前には国家実行によってその法としての存在を確認する必要があるものです。
国際「法」は存在するのか? 実はこのことから既に大問題となります。国際法の授業では最初に、国際法も法であるという命題から始まります。それが法であるためには、各国がそれを法として遵守するべきであるとする法的確信がなければならない、とされます。大雑把に言ってしまうと、あるルールを法として守っていると考えられるような国の行動がある場合に、それが各国の実行の趨勢であるとされると、そのルールが国際法であると認められるということです。少し言い換えると、多くの国が、そのルールが法であることを前提として行動している場合にそのルールを国際法と呼ぶのです。
国際司法裁判所のような国際的裁判所が判決によって、その認識を行う場合もあれば、国連決議のような形で国際機関によってその特定が試みられる場合があります。国際裁判所の判決や国連決議のある場合は、比較的、国際法の認識が容易になし得る例であると言えます。
アメリカの国際政治学に、国際的リアリズムという思潮があります。国際社会には法など存在しないというのです。現実の国際社会は国際的な政治力学において規定されており、ある国が法的に義務付けられるという意味で「法」など存在しないとします。政治学のことは良く分からないのですが、知人である日本の国際政治学者が、国際社会にレジームは存在すると言えても、それを法とは言い難いなんて言うのを聞いたことがあります。
この辺り相当難しい話になりそうなので、深入りはしません。一言しておくと、アメリカも、「裁判所」は国際法の尊重義務を言いますので、法の存在を自明とするようです。
国際法と言っても、一般的、抽象的な複数の法原則とされるものが、ときとして相互に対立することがあります。そして、国際紛争が生じると、どの国も自国の対立する主張を、依拠する国際法の法原則により理由付けることが通常です。互いに相手国が国際法に違反していると主張することも有り得ます。非難の応酬に陥ると、容易に解決できないし、結局、政治・経済的な力関係によって決着が着くことも多いでしょう。
国内法と同じ意味で、全ての構成員の服する法を作ることのできる一個の立法機関が存在し、強制管轄に服する裁判機関により、統一的に法の認識と解釈が行われるということがありません。国際紛争が法的紛争の形をとるとき、いずれの国がどれだけ多くの国を巻き込むことができるかを、そうして自国が一層多く支持されることを競うのです。また、ある国の行動が国際法に違反するとして、国際的に非難が集まったとしても、その国が国際法に違反していないと反論を継続し、国内的に国際的非難を無視することも完全に可能です。
もっとも近時の国際法の発展を踏まえて、条約の国内的実施のための多様な方途が存在し得ることは付言して起きますし、国連決議に基づくような集団的な経済制裁がなされることもあります。しかし、いずれにせよ、国内法的な意味で国際法が存在し、機能しているとは到底言えません。
しかし、だからと言って国際社会に法が存在しないと短絡的に述べることもできないでしょう。まず、最初に述べた二国間条約や多国間条約が存在し、明確なルールが規定されていれば、当事国、加盟国はそれを法として受入れ、法であることを前提として行動しています。また、国際慣習法とされる法原則も、多くの国が法であることを前提としている場合が有ります。だからこそ、自国の行動を国際「法」の何らかの法原則に基づき正当化しているのです。
私自身は、国際間の紛争が「法」規範たるルールの認識、解釈という規範的な議論の応酬となること、それ自体が国際法の機能であり、かつ、極めて重要であると考えています。
政治と異なり、法的議論のあり方、その推論の形式が法分野に特有なのです。すなわち、「ルールの形式」にまとめられた先例の累積と、その「認識及び解釈」は、それまでの国家実行を証拠とします。そうして、あるルールが確立されているとされると、それ以降の国家実行に対して実質的に多大の影響を及ぼし得るのです。これを「規範的な力」と呼んでも差し支えないと考えています。
換言すると、国際的な政治・経済の力の作用と、国際法の前述した規範的作用とが、相互にフィードバックを行いながら、現実の国際社会を規定しているのです。前述の国際政治学の立場と異なり、政治経済分野とは独立の法分野が、社会学的な意味での国際社会の構成システムとして併存し、相互に影響を及ぼし合うという見方になります。
上のことを、比喩的に表現してみます。気象図を思い浮かべて下さい。世界地図の上に、低気圧の存在を示す雲の渦巻きが幾つも浮かんでいます。その雲の渦巻きは、各々独立に存在し、互いに作用を及ぼし合いながら、地球環境や気候に大きな影響を与えます。その1つの雲の渦巻きが、政治経済の力であり、他の1つの渦巻きが法の力であると考えています。
3,国際社会の自力救済と法の支配
国際社会の構成員は前述したように国です。この社会が法のない弱肉強食の社会であるとすると、政治的、経済的、軍事的な強国に、その劣後する弱小国が常に屈服することになります。国際法があっても、法の支配が不十分であると、国際社会がやはりそのような社会で有り得ます。
第二次世界大戦前の世界は、少数の列強と呼ばれる国々により、多くの地域が植民地として分割支配されていました。国際法が戦時国際法と平時国際法に分類されることがあります。この当時、戦争自体が国際法上、必ずしも違法とされていませんでした。戦争の開始と戦争中に妥当する国際法原則と平和なときの国際法原則とが異なる側面を有するのです。
第二次世界大戦後、国連が創設され、国連憲章が起草されました。このときからは明確に、国際紛争を武力により解決することが違法とされたのです。そして、国際紛争が平和裏に、すなわち交渉や仲裁などの方法により解決されるべきこととされました。民族自決原則と主権平等原則が確立され、徐々に、多くの植民地が独立を果たしました。武力の不行使が法原則とされつつ、この違反を犯した国に対して、各国が自衛権を保有することと、国際社会が共同して、その違反に対処するべく、集団的安全保障の仕組みが一応、整備されたのです。
さて、第二次世界大戦以前には、国際紛争を解決するための戦争に移行する以前に、相手国の国際法違反に対して、いわば仕返しをして、その国を諫めることが、復仇という名で、国際法上も肯定されていました。武力による威圧や経済規制などの方法によります。その後、武力行使が違法とされたので、主として経済的規制によることになります。相手国の国際法に違反する措置に対して、国際法に違反するような措置により対抗し、相手国の国際法違反による不利益を回避ないし回復するのです。対抗措置の余地のあることが、現在の国際法によっても認められています。
しかし、国際法が存在しても、これに正面から違反する対抗措置が可能であるとすると、まずある国が、相手国が国際法違反を犯していると認定すると、これに対抗する国際法違反の措置を行うことになります。しかし、実際の国際的紛争は当事国のいずれもが国際法による正当化を行うことが通常であると述べました。相手国の国際法違反の認定を、他方の国が一方的に行い、一方的に対抗措置を発動するのです。これではやはり、政治的経済的強国が常に勝利することになります。
戦後の国際社会には、戦前と異なり、極めて重要な国際経済社会の法が存在します。IMF(国際通貨基金)とGATT=WTOです。これらにより、一方的な為替規制と貿易制限が禁止されています。
殊に、GATT=WTOは自由貿易主義を掲げる国際経済社会の憲法とも目されます。一方的措置を明示的に禁止し、GATT=WTOの違反を巡る紛争は、WTOの紛争解決手続によることを規定しています。悪名高い米国通商法スーパー301条は、大きな市場と経済力を有するアメリカが相手国が自由貿易主義に反していると考える場合に、関税引き上げという恫喝によりその是正を要求するものともなり得ます。1995年にWTOが成立する以前のGATT時代には、日本も輸出自主規制を行うなど、その要求に屈した側面があります。
WTOは、このようなアメリカの一方主義を封じ込めることも目的として、アメリカ通商法の手続を参考にWTOの紛争解決手続を成立させました。アメリカ国内法手続きによる一方的な認定によることなく、これより以降は、中立的で公平な第三者である国際機関がGATT=WTO違反の認定を行ういわば裁判的な手続によることとしたのです。アメリカが、国内的手続を、WTOの手続と整合的に運用することを約束させられました。
WTO違反に対する対抗措置は、例外的場合を除き、WTOの紛争解決手続により、その違反が認定され、WTO紛争解決機関の是正勧告を待って、その認める範囲内において発動できることになりました。
貿易を巡る国際紛争の解決方法が、少なくとも手続的には、政治的解決から、司法的解決に明確に移行したのです。国際経済社会に法の支配が確立される重要な地歩となったことは疑いがありません。
4,日韓請求権協定と日本の措置、勧告の措置
日韓請求権協定の解釈を巡る日韓の対立があります。日本の主張を是としますが、これまでに述べてきた分析に従い、少し感想を述べたいと思います。
日韓請求権協定は、日韓の二国間の法です。この国際法違反に際して、日本が輸出規制の厳格化を実施しました。当初の政府高官の説明もその含みを有したもののように思われますが、韓国の国際法違反に対する日本の対抗措置であると理解する余地があります。
私は、このような対抗措置があっても良いと考えています。しかし、これが対抗措置であるとして、国際法違反に対して、国際法違反によって、いわば毒をもって毒を制する論で対抗して良いかは検討する必要があります。
まだ研究途中なので、ほんの感想だけ述べます。
第一に、日韓請求権協定の違反という韓国の措置が存在したと言える。日韓の基本条約及び請求権協定の解釈によります。
第二に、このことについて日韓で解釈の相違があり、その国際紛争は、条約に規定されている仲裁手続によるべきである。日本が十分の期間の猶予を持って要求したにも関わらず、韓国が仲裁手続の進行に同意していない。しかし、日本が国際紛争の平和的解決を十分試したかについて、韓国による基金方式の申し出を基にした交渉の申し入れのあった点が一個の要素とはなり得る。
第三に、以上を踏まえて、日本の輸出規制の厳格化が対抗措置として正当化し得る余地がある。
第四に、これが対抗措置であるとして、WTOとの整合性がやはり問題となる。過度に自由貿易主義を制限する内容であると、WTOに抵触する可能性を生む。もっとも、日本の措置が安全保障の理由付けを有するので、これについては規制発動国の裁量範囲が広い。
第五に、韓国が日本の輸出規制厳格化を、WTO提訴した点について言えば、韓国の主張が次の様に展開されるとも予想できる。すなわち、日本の措置が、日韓請求権協定を巡る国際紛争を理由にするものであり、安全保障を偽装した自由貿易の制限であって、韓国のみを狙い撃ちした点で、WTO上の最恵国待遇原則に違反する。
私見によると、韓国のWTO提訴はナンセンスです。韓国をホワイト国から除外したのは、上から二番目のランクへの移行に過ぎず、同様の、あるいはそれ以上の煩雑さを伴う輸出手続に服する多くの国々が存在し、日本との貿易も活発に行われています。何しろ中国が韓国よりも下のランクであり、日中間の貿易が極めて盛況なのです。そのランクでも中国は何も困っていません。韓国のみに不利益を与えた点の立証に、韓国が窮することになるでしょう。
第六に、韓国による、日本への輸出規制厳格化の措置は、日本の輸出規制をWTO違反であると決めつけた上で行った一方的対抗措置に当たる。明確なWTO違反措置である。
仮に、日本の措置がWTO違反であったとしても、これに対抗する、同等のWTO違反であるはずの韓国の措置は、WTOの紛争解決手続を追行した結果でなければならないはずです。
日本の輸出規制の厳格化措置がWTO違反であるとすると、必然的に韓国の措置もWTO違反ということになります。逆に、韓国の措置がWTO違反でないとすると、日本の措置もWTO違反とは言えない。いずれもWTO違反であるとするのが、最も韓国の主張に沿ったものと言えますが、韓国自身のWTO違反をWTO上正当化する理由を捻出しなければなりません。
結論的には、韓国の請求権協定に対する対抗として、日本が輸出規制の厳格化措置を行うこともできるが、これはあくまでもWTO整合的でなければならない、ということになります。逆に言えば、WTOの許容する裁量的範囲内であれば、他国の国際法違反措置に対する「対抗」的経済規制が可能であるということです。
次回更新は、9月28日ごろを予定しています。
日韓請求権協定と、日本の解釈・韓国の解釈ー国際法と国内法2 ― 2019年08月28日 14:46
日韓請求権協定という条約の解釈について、日韓が対立しています。
1、条約解釈について
条約法条約31条3項(b) 「条約の適用につき後に生じた慣行であつて、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの」。この意義について、各国の国際法学者や外交官・実務家の間で最も争いのある論点の一つです。
大まかに言うと、条約を文言に従って厳密に解釈する、あるいは条約を締結した当事国間の締結時における合意内容に拘束されるのであるか、後の国際社会の発展を考慮した目的的な解釈が許されるのかの争いです。後者は条約の文言、特に、一般的な用語、抽象的で曖昧な用語を柔軟に解釈することを許容します。しかし、例外的場合を除いて、後者の考え方を明確に一般国際法として確定できるような、国家実行の趨勢や、国際司法裁判所を含む国際機関の明示的な先例が存在するとは言えません。むしろ、印象として、文言解釈、及び条約締結時の当事国間の合意内容に拘束されるというのが国際的な多数派です。
第一に、国家実行や国際機関の判断も、一つあれば足りるというような解釈態度は国際法認識の方法として正しくありません。行政府の措置や政府の宣明、国内裁判所の判決などを、国際法を認識するための国家実行と呼びます。あるルールが国際法であるためには、そのルールを法として遵守するべきであるとする法的確信を各国家が有していることが必要であるので、そのことを国家実行により確認します。国家実行の大勢がいずれにあるかを確かめるのです。また、国際機関の示す解釈も国際法認識のための重要な要素となります。
仮に、発展的解釈を許容する場合にも、後の解釈が「当事国の合意を確立する」ものでなければならないので、当事国の意思が明白であるか、当事国を拘束し得るほどに、国際慣習法が確立されていることが立証されなければならないでしょう。その立証はそう容易ではありません。
第二に、国際司法裁判所の先例で、発展的な解釈を行うとする一般論を有するものがあるとしても、その部分のみを取り出して恣意的に一般化してしまうことは避けなければなりません。裁判所の判断というのは、常に、その時代、その当事者、その事実関係の下で、目の前の紛争を解決するもので、当該の事実的文脈において結論を理由づける性質を有します。
日本やドイツはどちらも、第二次世界大戦の敗戦国として、戦争被害者による個人的請求権の「放棄」に関する条約・協定があり、しかも後の国際人権・国際人道法の発展を踏まえた個人的請求がなされた困難な問題を有する国です。
ドイツについては国際司法裁判所の判決が下されたことがあります。しかし、個人的請求権の放棄が定められた二国間条約があり、かつ、条約締結後の国際人道法上の発展が国際公序として作用するので、被害者個人の賠償請求が認められるとした、国際司法裁判所の判決はないのです。とにかく結論的には、賠償を肯定した国の国内裁判が国際法違反として否定されています。
日韓の問題は、日本と韓国の間に締結された日韓請求権協定を前提として、その解釈をしなければなりません。日韓の問題について、日本政府が国際司法裁判所に提訴したとしても、韓国が応じない限り、強制管轄がないので、裁判が始まりません。仮に、韓国が応訴したとしても、日韓請求権協定という二国間の法が国際法としてあり、その通常の解釈手段によって確定された結論を覆すことができるほどの、国際慣習法が存在すると直ちに断定できるものではなく、この段階で、韓国の方に勝ち目がすこぶる大きいとは到底言えません。筆者の得られる情報からは、日本の方が有利であると思われます。
2、韓国大法院判決
韓国の最高裁判所に当たる大法院判決について、詳細を知りませんが、大日本帝国による朝鮮半島の植民地支配を国際法の観点から違法と断じて、その判決の理由の一つにしているようです。日本による朝鮮半島併合についての解釈も、日韓で相違しています。しかし、その違法か合法かは、直接、日韓請求権協定の解釈には関係しません。例えこれが違法であっても、第二次世界大戦後、その戦後処理のために締結された日韓請求権協定は、そのことを前提としているとも言えるからです。いずれにせよ賠償の問題は、国家間及び個人的請求の問題を含めて、一括して解決したというのが国家間の条約締結当時の意思であれば、その旨の条約を締結したわけです。
現行の韓国憲法は、日本による植民地支配が違法であることを出発点とします。朝鮮半島を併合した日韓併合条約は国際法に違反しているので無効であり、従って、この間の日本による統治も違法、無効であるとします。第二次世界大戦の終結により解放された後に成立した現在の韓国政府が、中国に亡命した独立運動の正統な継承者であるとしています。
遡って明治維新の頃、日本が西欧列強による植民地となることを恐れていました。地球のほとんど全ての領域がこれら列強の植民地と化していたのです。そのとき、日本が低開発途上国として、列強を中心とする国際社会に現れたのです。その後、富国強兵政策により、経済開発を進展させた日本が、日清日露戦争に勝利し、西欧列強がかつてそうしたように、朝鮮半島と台湾を植民地化し、中国大陸に侵出したのは歴史的事実です。
国連憲章が武力による国際紛争の解決を違法とし、領土的野心に基づき、他国を侵略する行為は禁止されました。現代の国際法規範として、植民地政策が違法とされるのは間違いがありません。韓国は、ここでも国際法のその後の発展を踏まえ、そのような国際法規範の確立される以前の日韓併合条約及び条約の下で現出した状態の全てを違法、無効と断じるのです。ここで、その是非を論じるつもりはありません。しかし、次の点を指摘しておきます。
日本の海外における支配領域が第二次世界大戦終結により解放されたのですが、連合国側の戦勝国を宗主国とする植民地が独立したのは、更に遅れて、そのほぼ全てが独立したのは漸く1970年代に入ってからのことです。この間、世界で、先進国による植民地住民に対する抑圧が継続していたのです。思うに、武力による他国侵略及び植民地政策を禁止する国際法規範は、国際政治の現実の中で、現在まで破られることの多い法です。しかも、これを行う国が正面から国際法に違反するというはずがなく、そのことが合法であるとする何らかの国際法上の理由づけを伴うのが通常です。このことは最近の、クリミア半島へのロシア軍の侵攻を見ても明らかです。
しかし、破られることが多く、即時的な実効性を欠く場合があるとしても、重要な国際法規範であることを全く否定しません。また、以前のブログに述べたように、国際人権法及び国際人道法の現代的発展が、まごう事なくあったと言えるでしょう。
但し、仮に、日韓併合条約が無効であったとしても、日韓請求権協定における個人請求権の「放棄」が決して許されないものではない。先に述べたように、この両者は論理的には無関係であるというのです。
語弊があるので、戦争被害者による個人請求権の「放棄」という言葉を説明しておく必要があるでしょう。請求権協定により、戦争被害者に対する賠償が全くなされないことと決められた、日本がその権利を剥奪したということではありません。その人達の賠償問題を含めて、多額の金銭と便益を日本が韓国政府に支払うことにより、解決したということです。戦争被害者の個人的賠償については、韓国政府が責任を負います。
もっとも、大日本帝国による統治時代に、非人道的な行為を、日本の政府ないし政府関係者らが行ったとして、その統治自体が無効であれば、その行為の国内法的違法性が一層高まるという理屈はあり得るように思われます。先に言及した韓国憲法の下、韓国国内法秩序において、日本統治時代の被害は払拭されなければならない。これが韓国の公序であるとする、韓国法の価値観に基づくのです。従って、日本国憲法の下、日韓併合条約を合法とすることを前提とする、日本の裁判所の下した判決の効力は、韓国内において否定されるとするのでしょう。しかし、何度も繰り返しますが、日本の裁判所が日韓請求権協定に基づき、個人的請求を否定するために、日韓併合条約が合法であることを必要としません。
3、日本の最高裁判決(西松建設事件)
最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷・民集61巻3号1188頁)は、広島高裁平成16年7月9日判決を破棄しました。高裁判決をひっくり返したのです。
中国国民が、第二次世界大戦時において、強制連行及び強制労働により損害を被ったとして、日本企業に対して損害賠償を請求した事件です。最高裁判決も、原告と被告企業との関係において、高裁判決が認定した強制連行及び強制労働の事実を前提としています。この原告らは、中国大陸において日常生活を送っていたところ、軍隊によって、貨物船に乗せられて日本に連行され、強制的に労働をさせられました。過酷な労働により、多くの中国人の人命が失われ、また重大な傷害を負った事実が認定されています。
そして、昭和26年に締結されたサンフランシスコ平和条約の「枠組み」の下で、「個人請求権の放棄」という言葉の意味を、「請求権を実体的に消滅させることを意味するものではなく・・・・裁判上訴求する権能を失わせる」ことと解しています。
実体権としては消滅しないが、裁判上訴求できないというのは、法技術的な表現であり、難解ですが、要するに権利があっても裁判に訴えることができないということです。
わが国の国内法上、自然債務という概念があります。これに対する権利と同じ存在ということになります。例えば当該の契約が公序良俗に反して無効なので、お互いの契約上の義務は自然債務であり、任意に履行しても構わないけれど、裁判上は請求できないとされる場合です。実際の裁判例があります。
そして、サンフランシスコ平和条約の枠組みの下で、日華平和条約が締結され、日中共同声明が発出されたのであり、中国との関係においても、個人請求権の処理について同様に解されるとしたのです。この部分がこの判決の中核をなすものであり、判例として効力を有します。すなわち、中国(及び台湾)との関係において、日華平和条約及び日中共同声明により、個人請求権は放棄されたのであり、実体権としては失われないが、裁判上は訴求できないとされました。
同じ日付の最高裁判決(第一小法廷)は、中国人慰安婦が日本国に対してした損害賠償請求訴訟です。この判決も第二小法廷の上記判決とほぼ同趣旨です。こちらは東京高裁の判断を維持しました。
なお、第二小法廷判決は、最後の部分で、日本企業(西松建設)が「自発的な対応をすることは妨げられない」と判示しています。これは上述したように裁判上は請求できないということを繰り返したに過ぎません。任意に対応することを希望するという判示は裁判所の罪滅ぼしでしょう。法の問題ではありません。
もっとも、この日本企業は一定の補償を政府より得ていたこともあり、最高裁判決の後に、原告側と和解しました。
日本の最高裁以下の裁判所及び、行政府の解釈を総合すると、わが国は、平和条約等にいう「個人請求権の放棄」の意味を、戦争被害者の権利(実体権)自体は失われないが、双方の政府が自国民に対する外交保護権を行使することを放棄し、かつ、裁判上請求が許されなくなるという意味に解しているということになります。
繰り返しますが、正確には「個人請求権の放棄」を規定したのではなく、自国及び他国の、国及び国民相互間の請求権を一括して処理したのであり、日本が相手国に対して、その双方を併せて賠償等を支払ったのです。個人的な請求の問題は、日本としては、相手国が国として被害者に補償することを期待していると言って良いでしょう。
自国民が、他国領域において被った人権侵害に対して原状回復を図る国際法上の国家の権利を、外交保護権と称します。請求権協定により、当事国がこれを放棄したことは争われていません。日本及び韓国が、第二次世界大戦時に被った自国民に対する人権侵害等の被害について、外交保護権を行使することは許されません。しかし、第二次世界大戦後に締結された条約としての日韓請求権協定に、当事国が違反して、その国の領域内において損害を被る自国企業に対して外交保護権を行使することは別論です。
4、国際法と国内法
上記最高裁判決は中国国民との関係についてのものです。従って、日華平和条約と日中共同声明が問題とされました。韓国国民との関係については、日韓請求権協定があります。この解釈をしなければなりません。個人請求権の放棄についての日本の解釈は、中国との関係と同じものであると考えられます。
韓国政府も、元徴用工については、個人請求権の放棄について、日韓請求権協定が規定していると解していたのです。ところが、韓国の大法院が、同趣旨の下級審判決を覆したのです。韓国国内裁判において、韓国人被害者から日本企業に対する請求を認めました。韓国の裁判所は韓国憲法の価値観に従い、その法体系の下で結論を正当化しています。条約の解釈について、行政府と裁判所が対立した場合、憲法がその解決方法を決めています。韓国国内法において、大法院判決が最終的であるとするなら、条約の解釈が韓国国内法的に決定されたのです。
日韓請求権協定という条約について、日本の国としての解釈と韓国の解釈が相違するという事態を生じました。それぞれの解釈が国内法的には至高であり、当事国双方の解釈が対立しています。
日本は、韓国を条約違反、すなわち国際法違反であると非難しています。この場合、まず第一に、当該の条約に規定された紛争解決の方法によることが必要です。条約の解釈について、当事国間で争いを生じた場合に、どのようにこれを解決するかを、条約において、予め規定しておく場合があります。日韓請求権協定には、国際仲裁によるべきことが規定されています。日本が再三再四、韓国に対して国際仲裁に応じるように要請し、条約に規定される期間内に仲裁人を選任するように要求したのに対して、韓国が無視したのです。
ある報道によると、戦略的無視であるとされていました。「日本が一方的に設定した期間に従う必要がない」との声が韓国側から聞かれましたが、条約に基づく手続きの開始を通知し、所定の期間内に韓国として行うべき手続きを履践するように要求したに過ぎません。なぜ、韓国が国際仲裁を殊更に拒むのでしょう。これは憶測に過ぎませんが、日韓請求権協定について、通常の条約解釈の手順に従う場合に、上記に触れたような意味で、韓国には自信がないからではないでしょうか。
日韓請求権協定の解釈について、対立が解消されない限り、日本企業が裁判上の請求に応じるべきではありません。これを認めると、韓国側の条約違反を追認することになります。
また、戦争ないし占領に伴う個人的請求に関して、たとえ請求権を一括的に処理する条約等があっても、他国や他国企業に請求できるという先例を与えることにもなります。韓国のみならず、第二次世界大戦終結後に平和条約を締結し、請求権処理を行った全ての国の国民との間に、同様の訴訟を生じる恐れがあります。
日本としては、国際司法裁判所への提訴が考えられます。しかし、この場合も、韓国が応じない限り、裁判が始まりません。たとえそうであったとしても、日本が提訴するべきです。これに対して、実際に韓国が応訴しない場合、そのことを国際社会に対してアピールできます。
5、ドラえもんのポケットは存在しない
現実の国際社会の紛争を、直ちに解決してくれる魔法の道具はありません。
過去に締結した条約も、法的効力のある限り、法は法として筋を通すべきです。
しかし、同時に、国際人権法ないし国際人道法の現代的発展も考慮する必要があるでしょう。私には全く見当もつきませんが、徴用工をめぐる日韓の問題を解決するための何か良い知恵は無いものでしょうか。
直接的な解決策ではありませんが、日本は戦争を引き起こす国にはならないということが何度も確認されると共に、国際法の現代的展開を踏まえて、他国の争乱において、積極的に発言を行うべきであると思います。現在、この地球上で強制労働等の国際人道法違反があってはならないのです。また、世界における紛争下性暴力の被害を食い止め、被害者に対して救済の手を差し伸べるための何らかの方途を、日本が提供することがあり得ます。日本は、韓国慰安婦問題の解決の一環としてアジア諸国の女性のための基金を創設し、一定の給付を行うなどの事業を行った経験があります。この事業は終了しているのですが、むしろこれを継承発展させ、世界中の紛争下性暴力被害の根絶と救済のための基金とすれば良かった。
日韓の問題を直ちに解決するドラえもんの道具はありません。但し、両国の国民が、特に若者達が「政治は政治、文化は文化」と言いながら、文化交流を継続している姿に感動を覚えます。互いの国の人々が、相手国の文物を好む風潮を遮ってはならないでしょう。
少し早めに更新しました。(^_^)
次回は、9月14日ごろ更新の予定です。
国際人道法上の重大な違反と請求権協定 ― 2019年08月18日 02:11
日清日露戦争の時代、戦争後の平和条約において、当事国市民である被害者の個人請求権が言及されることはありませんでした。もともと、戦争が行われても、最も甚大な被害を被る国民、市民からの賠償請求が顧みられることはなかったのです。しかし、1907年のハーグ条約付属「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」を経て、第一次世界大戦後のベルサイユ条約により、個人請求権が承認されました。重大な国際人権法および国際人道法違反に対する、被害者個人の権利の存在が明確にされたのが、「現在の国連の大勢」です(2005年の国連総会決議)。
(高木喜孝「戦後賠償訴訟の歴史的変遷と現段階―平和条約の解釈と個人請求権の前進で未踏の領域に踏み込んだ韓国大法院判決」 http://gendainoriron.jp/vol.19/feature/f13.phpより参照。)
1949年のいわゆるジュネーブ4条約(1953年にわが国が加入。条文については、防衛省のHP参照。https://www.mod.go.jp/j/presiding/treaty/geneva/)において、国際人道法に対する重大な違反行為を定義し、非戦闘員・文民に対する殺人、拷問、非人道的行為など戦争犯罪に対する個人の刑事責任を確立しました。その後、旧ユーゴスラビアやルワンダの内乱、カンボジアにおけるクメールルージュの非人道的行為など、おぞましい国際人道法上の犯罪を経験した国際社会が、2003年に、常設国際刑事裁判所を設立したのです。もっとも、ここで注意を要するのは、国際人道法上の罪という観念が確立され、その刑事訴追を可能にすることと、私人による民事的な補償ないし賠償請求の権利が可能とされることとは別個の問題であるということです。ジュネーブ条約から常設国際刑事裁判所設立への系譜は、刑事訴追に関するので、必ずしも、民事的な賠償の個人的請求に関する国際法上の根拠とまでは言えないのです。
ベルサイユ条約は、領土の割譲と敗戦国に対する巨額の賠償金を課した、ある意味ではきわめて不公平な内容を有する条約でした。戦勝国が敗戦国を裁いたものです。個人の戦争被害に対する請求権も戦勝国にのみ認められる片面的なものでした。その後、ドイツがこの条約を無視し、ドイツ国内においてナチスの台頭を招き、やがて第二次世界大戦に結果したことは有名です。(ホロコースト・エンサイクロペディア https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/world-war-i-treaties-and-reparations)
日本の第二次世界大戦の戦争責任に対する請求権については、サンフランシスコ平和条約が、戦勝国及び敗戦国の市民双方に関する個人の請求権について明記しつつ、日本がする平和条約上の賠償以外は、相互にこれを放棄することとされました。上記平和条約に加わらなかった中国及び韓国について、後にこれに代わる条約が締結されたわけです。日韓請求権協定が、日本が韓国に対して賠償を支払うとともに、相互の請求を放棄した一括方式によっています。国及び個人の相互の補償、賠償に関する複雑な争訟を避けて、戦後処理を一括して行うという利点を有します。第二次世界大戦における戦後処理が、第一次世界大戦のそれに対する反省を踏まえているとも考えられるでしょう。敗戦国に過度の負担をかけることが回避され、敗戦国が早期に戦後復興を遂げ、世界平和に貢献する国となることが望まれたという一面を有することは確かです。
ここで、確認できることの第一は、戦争による個人の損害について、特に、文民・非戦闘員の虐殺や、拷問、強制労働、性的搾取などの国際人道法の重大な違反について、個人的請求権が存在することが、国際法により確認されているということです。
第二に、二国間条約により、その放棄が規定されることがあるということです。被害者にとって、酷なようでもありますが、その賠償としての性格をも有する金銭ほかの便益が、当事国に対して交付されることで、被害者のいる国が、その補償の責任を負うということを、国同士が約束したのです。国同士の約束としての条約・協定というのは、当事国間における「法」です。締約国国内において法としての効力を有するものです。上に述べたように、国際人道法上の犯罪について、個人に対する刑事訴追を可能にするべき責任を免れないし、条約の方法によって他国にその責任を免れさせることができないことは、ジュネーブ条約等に明らかですが、これは別論です。韓国が、独自の国際法解釈に基づき、後から、日韓請求権協定の個人的賠償請求の部分についてのみ無効化することは許されないというべきです。
第二次世界大戦後、幾つかの国の国内裁判所で戦後賠償訴訟が提起されています。戦勝国ないし非占領国の国民である戦争被害者が、自国及び敗戦国において、相手国ないし私人に対して損害賠償請求訴訟を提起するのです。日本でも、朝鮮半島出身者及び中国人による、多くの訴訟が提起されたのですが、上訴審も含めると結論的に賠償が認められていません。西松建設という日本企業が任意に和解に応じた例があるのみです。概ねわが国の裁判所は、上記ハーグ条約に基づく賠償請求を認めていません。紛争下における非人道的行為に対する個人の請求権が存在するとしても、その救済方法をいかに確保するかは、各国に委ねられた問題であるからです。
やや難しくなりますが、もう少し説明すると、条約が賠償に対する基本的な権利を認めているとしても、直接、条約に基づき国内裁判所で請求できることには必ずしもならないということです。国際法は、基本的には国家間の法として国を義務づけます。国に対して、そのような賠償の権利を確保するように、立法や裁判の方法を提供するように義務づけるのみです。私個人の見解を少し開陳しておくと、確立された国際法上の個人の権利であれば、国内私法上の一般条項ないし白地規定の解釈上、保護に値する法的利益として考慮し得ると考えています。国際法上認められる個人の請求権といっても、強いものから弱いものまで存在するでしょう。具体的には、わが国民法上の、契約ないし不法行為に係る一般条項ないし白地規定の解釈上、賠償に有利に考慮されると解します。
但し、ここでも、個人的請求権について放棄する二国間条約が他方の考慮要素となります。徴用工に関する個人請求についても、日韓請求権協定が存在するので、結論的には賠償が否定されます。条約は、締約国間の法です。締約国は、条約の締結時における合意内容に拘束されます。後から、独自の解釈に基づき一方的に解釈変更を行うべきではありません。条約の改定などの、新たな合意が目指されるべきですが、これも他方の国が認めない限り許されません。条約内容が、国際公序に重大に違反することが明白であるなどのことがない限り、「条約」という国際法の性質から当然です。
以上を、まとめておきます。
・戦争被害に対する個人的請求権が存在することが国際法上承認されている。
・直接請求が可能であるような多国間条約は存在しないが、国内私法上の一般条項ないし白地規定の解釈上、法的に保護されるべき利益として考慮され得る。
・国際人道法上の重大な違反を含めて、一括方式により、当事国間の賠償により、相互に個人的請求の放棄を規定する条約が可能である。
・国際人道法の観点から、一括方式により賠償を受けた国は、自国にいる被害者に対して十分の補償を与えるべきである。
法の解釈としての、私見を述べました。しかし、法は法として、十分踏まえた上で、政治的解決があり得るというのが、また私の結論であります。先のブログで述べたように、韓国大統領が貿易戦争のまさに宣戦布告を行った以上、また、実際に経済的対抗措置を講じる限り、この戦争はしばらく遂行するほかないでしょう。多少の不利益もやむを得ない。しかし、長期的な国家利益を見据えて、政府には、賢明な行動を期待します。同時に、貿易戦争が、日本の経済にとって、他面で一定の利益をもたらす方策を考えてもらいたいものです。
次回更新は、8月31日ごろの予定です。
貿易戦争-宣戦布告されたよ ― 2019年08月04日 16:50
夏風邪をひいてしまいました。冷房をつけて寝ていたせいでしょう。家の内と外の温度差には気を付けましょう。
次回は、8月17日ごろ更新の予定です。
ホワイト国除外
8月2日、日本の輸出管理において優遇国いわゆるホワイト国から、韓国を除外することが閣議決定されました。国民の意見聴取の手続きにおいて、4万件超の意見が政府に寄せられました。筆者は法の研究者として、経済規制の政令改正について、これほどの意見が集まったことをかつて知りません。このこと自体が異例のことと思われます。その内、95%が賛成だったようです。
この決定に対して、韓国の文在寅大統領が直ちに閣僚会議を開催し、日本の閣議決定に対して強い非難を表明しています。冒頭部分の大統領演説に引き続き、この閣議の様子がテレビで生中継されました。このことも極めて異例です。
(産経新聞の特集:徴用工・挺身隊訴訟がこの間の事実関係をまとめていて分かりやすい。
https://www.sankei.com/smp/main/topics/main-36092-t.html )
韓国大統領は極めて強い調子で日本の措置を非難しており、朝日新聞(3日朝刊)によると、日本の措置が元徴用工訴訟に対する経済報復であり、「盗っ人猛々しい」、「韓国は日本に二度と負けない」と述べています。更に、GSOMIAの破棄を示唆し、日本をホワイト国から除外するとともに、韓国側の経済規制強化による対抗措置を採るとしています。
韓国の新聞各紙は、一斉に、日本の措置を批判し、大規模な抗議デモが実施されました。日本製製品の不買運動も報じられています。国内世論が対日批判にまとまり、いよいよ経済戦争の宣戦布告を日本が行ったので、長期戦も辞さないということのようです。筆者も誇張表現のつもりで、この言葉を使ったのですが、実際の「経済」戦争に突入しそうな様相を呈してきました。
戦争しなくないで良いですか?少々前に聞き覚えがある台詞です。武力を用いた戦争は真っ平ですが、経済戦争は有り得るべきであるというのが、筆者の持論です。経済力を背景とした、法と論理の戦争です。前回も述べたように、これが実際の戦争に発展しないという歯止めを意識しつつ、しかしアメとムチを使い分ける巧妙な外交を政府には期待したいと思います。
日本政府の措置と国際法
韓国大統領によると、強制労働の禁止と三権分立が世界の普遍的価値であり、これが国際法原則であるとして、日本がそれらの価値を踏みにじるものであり、国際法に違反すると非難しています。
まず、そのことが普遍的と目される価値であることには、誰も反対しないでしょう。第二次世界大戦中、日本の統治下にあった朝鮮半島で、強制的な徴用があったこと、及び、自主的に応募した徴用工を含めて朝鮮半島出身者が、過酷な労働環境において、多大な肉体的、精神的苦痛を被ったことは認めざるを得ません。このようなことが二度と引き起こされないような日本国であり、世界であるべきであるということを、日本が追求しないわけがありません。問題は、元徴用工に対する補償が、日韓請求権協定という国際法において、日本と韓国の間で解決された事項であるか否かという一点にあります。
韓国の裁判所は、被害者とされる原告らと日本企業との間の私人間の補償について、特に、精神的苦痛に対する損害賠償としての慰謝料の請求まで、国家間において決定してしまうことはできない、と判決しました。韓国憲法の重要な原則である個人の幸福追求権の保障にもとるというのです。
被告側である日本企業が、憲法解釈についても、これに対抗する論理を呈示しつつ争ったはずです。憲法というのは、対立するかもしれない複数の原則を呈示するのみであり、それのみで何らかの具体的な結論を明確に示し得るものではありません。どこの国の憲法でもそうなっているのです。韓国の裁判において、当然、原告側の被告側に対立する憲法解釈が主張されていたはずです。
個人の幸福追求権を尊重する韓国司法のあり方は、軍事独裁国家における抑圧を克服した韓国の歴史・文化的な背景にその淵源をみることができるでしょう。重要なことは、日本による朝鮮半島の占領・統治が、当時の国際法に照らし合法であったか否かという、日韓政府の対立した解釈があることです。韓国裁判所の結論は、これを違法としつつ、現行憲法にいう個人の幸福追求権の保障を優先させた結果でしょう。
韓国裁判所が、請求権協定という国際法を、韓国憲法に照らして、これに整合的に解釈したということです。韓国裁判所も、日本と同様に、国際法と国内法の関係について、国内法(憲法)優位説を取っていると考えられます。
日本としては、国際法の通常の解釈手順に従い、日韓請求権協定を解釈するべきであること、及び、条約締結時点における日韓両国の合意内容に基づくべきであることを、主張する必要があります。日韓の合意内容として、私人間の請求も含まれていたとする証拠を、日本政府が公表したことがこれに関係します。日本政府は、国際的な舞台においても、明示的に、国際法解釈の方法としての正統性を主張するべきです。
国際法も、憲法と同様に、多くの原則の集積です。複数の原則が場合によると対立しつつ、それ自体では具体的な事件に明確な回答をなし得るものではありません。強制労働の禁止を謳った人権関係の諸条約があっても、このことから直ちに日韓の懸案を解決できるような明確な具体的法規範あるわけではないのです。重要な価値を体現する原則規定も、抽象的な一般的原則である場合、更にその内実を再叙するような諸規範が解釈を補充します。韓国が、日本の措置を非難するためには、日本が反したとする具体的な国際法規範を特定しなければなりません。これもまた至難の業でしょう。
しかし、特に、人権や人道に関する国際法の一般原則は、たとえそれ自体が具体的な法とは言えないとしても、普遍的価値として世界の人々の心情に訴えることができます。韓国がこれを行う意図を有することは想像に難くありません。日本が人権を尊重する国であることを、同時に、国際社会に理解させる必要があります。
次に、輸出管理を厳格化したことが、WTOという国際法に違反するかという問題です。前のブログでも述べたように、日本の措置が、実際に韓国企業に損害を与えるかどうかも確定していません。禁輸措置ではなく、輸出手続の厳格化に過ぎないのです。安全保障の懸念を理由とする、WTO協定上の根拠を有する措置です。もっとも、WTO協定も法ですから、解釈を争う余地は常に存在します。GATT=WTOの枠組みの中で積み重ねられてきた先例を参照しつつ、理論武装するとともに、証拠方法を確保することが、法的争訟の常套手段です。用いることのできる論理の強さと、証拠こそが、勝敗を決します。日本の有する証拠のみならず、韓国の有し得る証拠も勘案しなければなりません。
安全保障を根拠としたことが、日本を優位に導くでしょう。たとえ、韓国がWTO提訴しても、相当の困難が予想されます。福島県沖海産物の禁輸措置について、従前の予想を覆したWTOの裁定がありました。今回は、韓国が国際経済法のエースを投入しても、神風がそうは吹かないでしょう。
もっとも自由貿易主義という大原則があります。日本が多国間主義に基づき、これまで最重視してきた価値です。日本の措置がこれに反するとする主張を、韓国外相がASEAN+3の国際会議で展開しました。日本の河野外務大臣との間で厳しい応酬がありました。河野大臣のしたように、日本が感情的に元徴用工裁判を持ち出さず、冷静に分かりやすい論理を展開すれば良いことです。
政治的利用-親日排斥
新聞報道によると、輸出規制の厳格化について、経産省が今後、優遇を受けるホワイト国という通称を止め、輸出先相手国をA~Dの4段階に分けることにするそうです。Dが北朝鮮、イラン、イラクなど10カ国ということなので、Aランクが従来のホワイト国ということでしょうか。韓国がBランクに位置付けらます。
先ほど述べたように、このことの韓国企業に対する損害はまだ確定していません。手続が煩雑であるとしても、輸出入が滞ることがないならばそれで済むのです。この措置に対して、韓国政府の反応はいかにも大仰です。大統領が先陣を切って、日本の措置を「宣戦布告」として決めつけた上で、これを非難し、応戦を国民に鼓舞しているのです。これに呼応して韓国世論がナショナリズムに高揚しているようです。韓国紙には全面戦争という見出しも見られます。
朝日新聞デジタルの3日付け記事によると、日本の今回の措置を受けて、労働組合など682団体が合同で、ソウルの日本大使館近くにおいて、大規模な安倍政権糾弾デモを開きました。また、アニメ映画「ドラえもん」の公開が映画館の自主的な判断に基づき無期限に延期されたそうです。日本人おことわりの張り紙を掲げる飲食店もあらわれたと言います。
この間、次の様な報道を目にしました。韓国において、検事長クラス及び中間幹部を含めて60人以上の検事が辞表を提出しているとする記事です。(朝鮮日報日本語版8月3日付け)
記事によると、積弊捜査に関わる検事が要職を独占し、文大統領政権の気に入らない捜査を行った検事が左遷されたので、その露骨なえこひいきに基づく人事に抗議するためであるとしています。韓国では、与野党を問わず、大統領を含めて前政権関係者が弾劾されることがよくあります。韓国では、積弊精算を文政権が進めており、収賄などに関わったとされる多くの政治家が逮捕されています。これまでに、朴槿恵前大統領のみならず、李明博元大統領も逮捕されています。
旧日本統治に対する協力者としての「親日」の排斥が、文政権にとって、過去の清算としての重要課題であることと関係するように思われます。
文大統領が、日本の輸出手続の厳格化を捉え、ここぞとばかりに反日宣伝を行い、「戦争」と言わんばかりにナショナリズムに訴えて国民を鼓舞することには、政治的意図がありそうです。経済面での失政により支持率が急降下していたところ、「対日戦争」が救世主のように現れました。実際に、大統領の支持率が向上しています。明白に政治利用しているのです。
慰安婦像-表現の不自由展・その後
日本でも、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の、「表現の不自由展・その後」展覧会の中止という事件がありました。原因は、韓国の彫刻家の作品である、有名な元従軍慰安婦を象徴する少女増です。写真を見ると、きれいな着色がなされている例の少女像が、2つの椅子の片方にのみ座っています。この展示に対して、県美術館にテロ予告や脅迫と受け取れるものを含む多数の抗議が寄せられ、これ以上エスカレートすると安全、安心な運営が難しくなるという理由です。電話やメールによる抗議が1400件以上にのぼりました。(読売オンライン 4日付け)
「(少女像を)撤去しないとガソリン携行缶を持ってお邪魔します」
京都アニメーションの放火事件を連想させる内容です。県は、少女像について予め報告を受けていたのですが、行政が展覧会の内容に関与することを控えるべきであるとして展示を容認したものです。展覧会の中止は、まさに表現の不自由ですね。
もっとも、この少女像が、日本の国民の心を深く傷つけるものであり、日韓の今日の対立を象徴する存在であることも確かです。
京アニに献花する韓国の若者と、日本の第三次韓流ブーム
京都アニメーションの放火殺人事件が史上稀に見る凶悪な、多くの犠牲者を出した事件です。そのアニメーション作品は、日本だけではなく世界の多くの若者達に親しまれています。放火現場に備えられた献花台に、韓国の若者が涙ながらに献花している姿が報道されていました。京アニ作品の大ファンだという若者達はわざわざ韓国から来たと言います。日韓の関係が悪化していることをどう思うかというインタビューに、「政治は政治、文化は文化だと思う」と韓国語で答えていました。
身近な命を惜しむこと、悼むこと、そのことが何よりも大切ではないでしょうか。そのような態度が人々の心に残る限り、戦争を阻むでしょう。
他方で、現在、日本では第三次韓流ブームが巻き起こっています。日本の若者を中心として、韓国コスメや韓国アイドルに対する人気が高いのです。ブログを書いている本日のテレビ・ニュース番組でこのことを取り上げていました。日本にある韓国コスメ専門店で化粧品を購入している女性や、レコード店で韓国の女性アイドルグループのCDを買い求める青年が、今の日韓の関係についてどう思うかと問われると、「政治は政治、文化は文化」とみんな明るく答えていました。
この経済戦争は長期戦となるでしょう。遂行するべきです。むしろこの機会を利用して、日本の産業界を利するような成果を期待します。他方で、このことが、武力を用いた戦争に発展しないようにしなければなりません。
若者達の健全さが、まばゆいように感じられます。
国際法違反に対する対抗立法-元徴用工裁判 ― 2019年07月20日 15:34
半導体材料などの韓国向け輸出規制の厳格化については、前のブログで扱いました。日本政府は、表向きは元徴用工裁判とは直接の関係がないとしていますが、その他の問題を含めた韓国政府の対応により、信頼関係が損なわれたことを背景とすると説明されています。
元徴用工が損害賠償を求めた民事裁判が確定し、その強制執行手続として、日本企業の財産が韓国内において差し押さえられているのですが、原告団が換金手続に移行するよう裁判所に申し立てました。日本企業側の財産が、競売により換金され、被害者に分配されるということです。これに対して、韓国国内法に基づく、法執行が日韓請求権協定という国際法に違反するとして、日本政府が強く抗議し、国際仲裁を要求しています。韓国政府が仲裁に応じないので、国際司法裁判所への提訴が検討されています。
実際に、判決の強制執行があり、日本企業に実際の損害が発生した場合、日本としては次の対抗的措置を考慮しています。日本が外交保護権を行使して、韓国国内で損害を被った企業の損害の回復を図るというものだと報道されています。まだ、このことについて、詳細を承知していないので、外交保護権の行使とは異なりますが、国際法違反の外国国家の行為に対する、日本の最初の対抗立法について、紹介します。アメリカの国内通商法が問題とされました。
1,1916年アンチダンピング法
1916年アンチダンピング法は、アメリカ国内法で、貿易上のダンピング行為によって被害を受けた者が、ダンピング企業に対して賠償金を請求可能とする法律でした(2004年廃止)。過料、拘留などの刑事罰を含みます。原告は、一企業でも良いのですが、損害賠償を認められるためには、加害者(ダンピング企業)側に、アメリカの国内産業に損害を与える意図が必要です。そして、私人が、相手方企業に対して、実損害の3倍の懲罰的な損害賠償を請求できます。
この法律に基づき、1997年及び98年に、日本及びヨーロッパの企業が高額の損害賠償を請求されました。アメリカの製鉄会社が、アメリカ国内の輸入者、特に、外国企業子会社を相手取り、1916年法に基づき、損害賠償請求を行ったアメリカの国内裁判です(ジュネーブ・スチール社事件、及びホイーリング・ピッツバーグ・スチール社対日本商社(三井物産、丸紅、伊藤忠の米国子会社)。
80年代から90年代に巻き起こされた鉄鋼業の熾烈な国際競争を背景に、殊に、90年代半ばに鉄鋼の国際的な余剰を生じたので、アメリカが国内鉄鋼業を守るために、輸入鉄鋼に対して、ダンピング税を課していました。WTO上も、不公正なダンピングを行う外国企業に対して、国家がダンピング防止税を課することは認められています。ここでの問題は、アメリカの関税ではなく、1916年法が、私人がダンピング企業に対して、懲罰的な損害賠償を請求できるとする点です。上記の裁判は、外国製鉄会社が製造した鉄鋼をアメリカに輸入した、外国企業の米国子会社である輸入者に対して提起されました。
この1916年法がWTO協定に違反するとして、日本及びEUはWTOに提訴し、2000年9月には、上級委員会の報告書が紛争解決機関において採択され、1916年法のWTO協定違反が確定しました。WTO協定(ダンピング防止協定)が、協定に規定する厳密な要件と、厳格な調査手続に基づき、ガットの規定する効果、すなわちダンピング・マージンを最大限とするダンピング税を賦課することのみを認めているのであり、私人による民事請求により、3倍額賠償を認める1916年法自体が、WTO協定に違反しているとされました。アメリカ国内法が国際法であるWTO協定に違反するとされたのです。
アメリカは、2001年12月末の、WTOの是正勧告の履行期限を過ぎても、1916年法を廃止していませんでしたので、勝訴国に対抗措置が認められました。この点が、多くのWTOという国際法の特色のある所です。国内裁判であれば、強制執行などを通じて、裁判所によってその判決を強制的に実現してもらえるので、国内法を遵守させる制度が完備されていると言えるのですが、国際法の場合、国際法に違反している国に対して、その法を遵守させる方法が一般に限られるのです。ところが、WTO提訴によりWTO違反が確定すると、違反国はその是正を命じられ、是正勧告が適切に履行されないときに、WTOにより承認されると、対抗措置が可能となります。例えば、対抗的に、違反国からの輸入品に対して、WTO上譲許している以上の加重的な関税を賦課するなどのことができます。
日本は、2002年1月に、WTOの紛争解決機関に、対抗措置の承認を申請した。これは1916年法と同様の内容を持つ「ミラー法」を日本も制定するとするものでした。これに対して、アメリカが、対抗措置の規模・内容に異議を唱え、その後、2002年3月に、1916年法の廃止を行う方向での日米合意が成立しました。EUについても、2004年2月に、EUに対抗措置が認められました。1916年法のような既得権に関わる国内法を廃止する国内手続には時間がかかるものです。漸く、2004年12月3日、合衆国議会により廃止法案が通過し、1916年法が廃止されました。
アメリカの国内通商法がWTOに違反するとされ、WTO上、対抗措置まで認められたのであり、その結果、アメリカがその国内法を廃止したという画期的な事件でした。日本とEUによるアメリカ包囲網が奏功した形です。WTOにおいて、アメリカは結構、敗訴しています。
しかし、1916年法には、遡及効が認められていませんでした。遡及効というのは、廃止時点から遡って、廃止前に提訴された事件にも、その効果が及ぶというものです。このことが特に日本には重要でした。日本政府は、この間にも、1916年法に基づく訴訟に日本企業が巻き込まれ、多額の損害を被り続ける事態が継続していたことを問題視していたのです。後述のように、2000年3月には、東京機械製作所他の日本企業が1916年法に基づき提訴されていたのです。1916年法の廃止法に、遡及効が規定されることで、この事件にも適用され、日本企業が1916年法に基づき、3倍額賠償を請求されることを阻止しようとしていました。
WTO上の紛争は、国際的なフォーラムにより、国際法であるWTO協定を適用して裁定されるのですが、以下では、国内の裁判所が国内法を適用する国内事件のお話しをします。
2,ゴス社対東京機械製作所-米国事件
アメリカ企業であるゴス・インターナショナル・コーポレーション(ゴス社)は新聞印刷用の輪転機の製造及びメンテナンスを行う企業です。このゴス社が2000年3月に米国裁判所に提訴した事件です。
輪転機の外国製造者及び輸入会社が、外国で製造された輪転機及び付属品について、アメリカ国内において不法にダンピング販売を行ったとして、日本及びドイツの製造者及び米国の輸入子会社を訴えました。日本の製造者には東京機械製作所(東京機械)が含まれます。
東京機械が敗訴し、2004年5月、アイオワ連邦地裁は約3162万ドルの損害賠償および、約350万ドルの弁護士報酬を確定しました。ゴス社による1916年法の下での提訴以前に、合衆国政府による、ダンピング調査が行われ、1930年関税法に基づく関税が被告らに課せられていたのですが、それ以降もダンピングが継続していたとされました。これに対して東京機械側が控訴したのですが、2006年1月に第8巡回区控訴裁判所でも、控訴棄却の判決が下されました。
連邦控訴裁判所によると、ゴス社というのが、アメリカ国内の新聞輪転機産業における唯一の製造者であったので、ゴス社に損害を与える、または、ゴス社を破壊する意図を有するということで、米国の新聞輪転機産業に対する、損害を与える意図、ないし破壊する意図を有すると言える。そして東京機械はダンピング価格で販売していたので、ゴス社は、これにより新聞社との契約を失い、また、これに対抗するために価格を下げざるを得なかった。これにより、損害を被ったのであると、されました。
控訴審の係属中に1916年法が廃止されたのですが、廃止の遡及効が規定されていなかったため、上記のような結果となったのです。裁判所は法解釈が任務であり、アメリカの法に従う外はなく、外国の政策に従うことはできないとしました。
3,対抗立法
この間、アメリカの1916年法により、自国企業に損害を生じる恐れがあるため、日本及びEUが1916年法に対する対抗立法を成立させました。EUが、2003年に、ドイツ企業が提訴されたことに対抗して、1916年アンチダンピング法の損害回復法を制定していたのです。日本でも、2004年12月に、損害回復法が公布、施行されました。
日本の損害回復法は、日本で最初で、これまでのところ最後の、対抗立法です。従来より、アメリカの輸出管理法の域外適用を巡り、ヨーロッパ諸国が対抗立法を制定していました。経済的法規制を巡る、アメリカとヨーロッパの抗争は以前からあり、ヨーロッパの国が、アメリカの経済法規制対する恒久的な対抗立法を制定する例があります。日本の損害回復法は、廃止された1916年法に対するものなので、この意味においても時限立法というに相応しく、実質的に東京機械という日本の一企業を救済するための法制定とも言えます。
日本の損害回復法は、正式名が「アメリカ合衆国の1916年の反不当廉売法に基づき受けた利益の返還義務等に関する特別措置法」です。次の2点について規定しています。
一つ目が、1916年法に基づき訴訟の被告として賠償義務を負った日本の企業が、原告のアメリカ企業に対し、訴訟により被った損害の回復を請求することができるとする損害回復請求権です。アメリカ企業が得た利益に、利息を付して返還することを請求できるとするもので、訴訟準備等の損害、弁護士報酬の支払いによって損害を被ったときは、その損害の賠償も請求できるとされています。また、その企業の100%親会社及び子会社にも、これを請求できる、とされているので、アメリカで訴訟を提起した企業の、100%親会社や子会社が日本にあるときは、その企業に対しても請求できます。
二つ目が、アメリカ判決の承認・執行の拒絶です。1916年法に基づくアメリカの裁判所の判決について、わが国における効力を否定するという規定です。以前のブログでも触れているのですが、このような規定がないと、日本の裁判所で1916年法に基づくアメリカ判決の承認執行が認められ、日本企業に対して強制執行が可能となり得ます。外国判決承認執行制度です。日本で承認執行を拒絶できる法的根拠は他にもあるのですが、この対抗立法により、迅速かつ確実にこれが可能となります。
4,東京機械製作所対ゴス社事件-日本事件と、米国事件余録
日本の事件は当時の新聞報道に基づきます。2006年の6月5日には、合衆国連邦最高裁が上訴を受理しないことを決定したので、東京機械側としては、アメリカ国内において、裁判上の対抗手段が尽きてしまいました。そこで、東京機械は、ゴス社に対する、賠償金約44億8千万円を支払いました。東京機械は、これを特別損失に計上し、2006年4-6月期の連結業績が、52億円の赤字となったそうです。
その後、2007年に、東京機械製作所は、賠償先のゴス社を相手取り、「損害回復法」に基づく訴訟を、東京地裁に提訴しました。東京機械は、損害回復法に基づきアメリカでの損害を取り戻し、特別損失を穴埋めする考えであったようです。
ところが、ゴス社が、合衆国連邦地裁に対して、日本の損害回復法に基づく日本訴訟の差止命令を求め、これが認められました。外国訴訟差止めというのは、英米法に特有のもので、嫌がらせや不便な外国での提訴ないし訴訟の継続を、アメリカ国内裁判により、相手方当事者に禁じるものです。訴訟差止命令に反すると、法廷侮辱罪という刑事犯罪に問われる強力なものです。
東京機械側は、この訴訟差止命令の破棄を求めて、連邦控訴裁判所に上訴し、日本政府も法廷の友として、これを支持する意見を提出しています。「訴訟差止命令は、国際法違反の措置により被った私人の損害に対してわが国が提供した救済措置を無効化するものであり、国際礼譲の観点からも破棄すべきである」と、しています。控訴裁判所はわが国の主張を受け入れて、わが国訴訟の差止命令を破棄しました。
同社ホームページによると、その後、日本の訴訟は和解により解決されました。東京機械が、何らかの利益を得たものと想像できます。
5,元徴用工裁判に対する対抗?
1916年法に対する損害回復法が、私企業と私企業の間の、係属中の民事裁判に焦点を合わせて、国際法に反する措置に基づき、外国における裁判で賠償を命じられた日本企業が、日本国内でその賠償を取り戻せるというものでした。相手方の外国企業が、損害回復を求めるわが国の裁判に応じることが前提であり、かつ、外国企業の財産がわが国に存在するのでないと、実効性がありません。
この点で、元徴用工裁判では、第二次世界大戦中、日本の占領下にあった朝鮮半島で徴用された人々が原告となっています。韓国訴訟の具体的な内容について、詳らかではないのですが、未払い賃金や過酷な労働条件に基づく身体的傷害などの賠償が問題となると予想されます。私人間の、契約ないし不法行為に基づく私法上の問題です。上のような損害回復法が可能か、については多分に疑問のあるところです。元徴用工事件の原告団が資力の乏しい被害者らであり、他方、被告となった日本企業は、韓国内でも利潤を獲得している多国籍企業である大企業です。日本において、元徴用工原告団に対して、その賠償の取り戻しを認めるというのは、理論的には可能であるとしても、実効性においても、正統性の見地からも問題があります。
ところで、私人間の請求についても、日韓請求権協定において解決済みであるとするのが日本の立場です。以前のブログで述べたように、筆者もその見解を支持しています。純粋に、同協定の解釈上の問題として、国際法解釈の通常の解釈手順に従い、そのように結論されると考えるからです。憲法を含めた韓国国内法に基づき、韓国裁判所が賠償請求を認めるとしても、わが国は、これが国際法違反、具体的には請求権協定の違反であるとする主張が可能です。
韓国政府が三権分立を盾にとるようですが、私人間の請求を含めて日韓請求権協定において解決済みであるとする従前の立場を踏襲するなら、国際法遵守義務に基づき、韓国憲法にも則り、国内法を整備するなどの方法により、対処可能でしょう。裁判所はそのような国内法に拘束されます。
わが国において、損害回復法の立法が可能でないとすると、国際法違反の国家行為としての、日本企業に対する強制執行により、日本企業に損害が発生した場合に、当該国に対する損害賠償請求を、日本国が自国民のために、韓国政府に対して求めるという外交保護権の行使が考えられます。あるいは、通常の民事訴訟として、日本企業から、韓国政府に対する損害回復を可能とする立法措置が有り得るかもしれません。もっとも、これについては、検討すべき点があります。
次回、更新は、8月3日ごろを予定しています。
日本が貿易戦争を始めたよ。 ― 2019年07月06日 17:36
体制に批判的であることは若者の特権かもしれません。防弾少年団(BTS)が日本とアメリカでも活躍する韓国のグループですね。メンバーの一人が原爆投下を肯定するようなメッセージの描かれたTシャツを着用していたことが問題となり、日本のテレビ番組の出演を辞退した事件がありました。朝鮮半島を日本の占領から解放したのがアメリカなら、その戦争を終わらせたアメリカの原爆投下という行為が、韓国人からは肯定できるというものでした。きっと彼らは広島にある原爆資料館を訪れたことがないのでしょうね。私は、随分前に見学しました。原爆によって真っ黒焦げになった弁当箱や、ぐにゃぐにゃに折れ曲がった自転車が、その持ち主だった子供達のことを思わせて、嗚咽を堪えられなくなりました。そのTシャツ事件の後も、彼らは日本のヒット・チャートを賑わす常連です。
戦前、大日本帝国の統治下にあった時代に、朝鮮社会の中枢にいた人達が、後の韓国の政治経済の中心を占める存在となった例がままあり、戦後、日本の経済援助の下、韓国の経済発展を主導したのですが、この人達を韓国では親日と呼びます。今日の韓国社会では目の敵にされます。政治的な親日排斥運動がさかんです。日本人の排斥ではありません。韓国内における反体制運動は、長く続いた戦後韓国の軍事政権や日本と「癒着した」旧保守派政権に向かうので、親日排斥や反日的な傾向と結びつくきらいがあるようです。
先日、関西空港から電車に乗って都心部に移動中、二人連れの若者が、車窓に張り付くようにして熱心に写真を取っていました。偶然にJRのアンケート調査があり、片言の日本語で、もう何度も日本を訪れていると話していました。韓国の若者達でした。調査員の女性に対して、「とても日本が好きだ」とくったくなく話しているところは大変好感が持てました。
1,対韓国輸出規制強化
7月1日に発表された韓国向け輸出規制強化が4日に発動されました。韓国政府には事前に何も連絡せず、極めて迅速に実効性のある経済的な措置が発動されました。
ところで、トランプ大統領の電撃的な北朝鮮訪問がありました。半ば茅の外に置かれたような韓国政府ですが、米朝の関係が改善されるなら文在寅大統領の支持基盤が安定するかと思われた、まさにその矢先に、半導体という韓国経済の向こう臑を蹴ったのです。韓国政府及び社会の動揺が隠せません。もっとも逆に文大統領の支持率が上がったという報道を目にしましたが、いわば有事の際の一時的なご祝儀でしょう。これが法廷であれば、このような不意打ちを行い得ることこそ、敏腕法律家の証しです。実際に国内裁判では常套手段です。
半導体製造に係る製品の輸出許可手続を、安全保障上の懸念から厳格化するという措置です。国際法(WTO法)及び国内法上、これがどのような問題であり、許容されるかという法的問題と、措置の背景となった政治・外交上の問題を分けて論じる必要があります。
外交的問題としては、慰安婦問題及び元徴用工問題、自衛隊機レーダー照射など、韓国政府の行動に端を発する日韓の関係悪化が背景としてあります。元徴用工問題に関して、日本政府が、日韓請求権協定という国際法に基づき、韓国政府の適切な行動を求め、更に協議、国際仲裁の申し入れを行ったのに対して、韓国政府が無視を続けたことが今回の措置の直接の引き金となりました。ここに至り、日本政府が業を煮やしたというべきでしょう。しかし、それでは国家が経済的な措置を無制約に行えるかというと、そうではありません。これが法的問題です。これも国内法と国際法に分けて考察する必要があります。
国内法上は完全に合法的であると、その国の政府・議会・裁判所が宣明しても、国際法上は違法である場合が有り得るのであり、その場合に国家責任を生じるのです。国際法違反により不利益を被る他国が国際法違反として非難します。各国国内(法)の立場と、各国間に存在する国際(法)の中立的立場を区別しなければなりません。韓国政府が韓国は三権分立の確立した民主国家であると胸を張っても、国際法違反の誹りを免れることはできないのです。
ある韓国高官がアメリカの経済制裁は、国内法的根拠と国際法的な根拠が示されているので理解できるが、対韓国向けの日本の措置はそうではないので不当であると述べたという報道がありました。このことは全くの誤解でしょう。まず、アメリカの発動した対中国経済制裁が国内法的根拠に基づくことは当然であるとしても、WTO法上の正当化を十分行っているとは到底思えません。そもそも法治国家である以上、政府の行い得る行政的措置の全てが法律上の根拠を必要とすることは当たり前です。非常時の大統領権限など広範な裁量余地の認められる場合であっても、その裁量は法が与えたものです。アメリカは、貿易関連の詳細な法を有する国であることは有名であり、これまでも国内法上の輸出入規制を頻繁に発動してきたのです。歴史上、その国際法違反も夙に問題視されてきました。
2,国内法の根拠
日本の今回の措置は、半導体や軍需物資の製造などに使われる原材料3品目について、日本からの輸出を規制するものです。報道によると、菅官房長官が記者会見において、「(日韓)両国間で積み重ねてきた友好協力関係に反する韓国側の否定的な動きが相次ぎ、その上に(元徴用工問題で)G20(サミット)までに満足する解決策が示されなかった。信頼関係が著しく損なわれたことは言わざるをえない」と、その背景を明らかにしています。
もともと軍需物資に転用可能な製品の輸出に許可が必要であることは、外国為替及び外国貿易法48条1項に基づくものです。同条の規定は、「国際的な平和及び安全の維持を妨げることとなると認められるものとして政令で定める特定の地域を仕向地とする特定の種類の貨物の輸出をしようとする者は、政令で定めるところにより、経済産業大臣の許可を受けなければならない」、としています。
中長距離弾道ミサイルや化学兵器など大量破壊兵器の製造に用いることのできる製品が、日本から輸出されることを規制することは、日本及び国際の安全と平和のために必要不可欠なことです。
そして同項中の政令が輸出貿易管理令です。輸出貿易管理令に基づき、外国為替及び外国貿易法48条1項の適用除外が規定されており、その別表三の優遇を受け得る国のリストに韓国が掲げられています。4日に発動された措置が、暫定的に三品目のみについて優遇措置を撤回し、通常の輸出許可手続を要するとするというものです。今後、別表三のリストから、韓国を外すことが予定されています。(輸出貿易管理令の一部を改正する政令案に対する意見募集について。https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=595119079&Mode=0) その場合に、輸出許可の厳密な運用がより広範囲の製品に及ぶことなります。
3,経済制裁と国際法
国連決議や、同盟国(この場合、ほぼアメリカ)との共通の利益に基づく行為として、経済制裁が実施され、それに日本も参加してきました。国際法に違反して、大量破壊兵器を保有し、あるいは核開発を進める国に対して、他国と共同して経済制裁を加える場合です。今回の日本の措置は、これとは異なります。
二国間の外交上の問題について、その解決のために経済的措置を行うことが、そもそも許されるのでしょうか? 関税の決定や輸出入管理、外国為替規制を行うことは、その国の主権に属する事項であり、自由に決定できることです。これが前提となります。アメリカは、第二次大戦後においても、外交的問題を解決するための、筋違いかもしれない経済制裁を行う常習犯です。1981年のポーランド危機は、当時社会主義国であったポーランドが自主管理労組連帯を弾圧した事件です。この背後にソビエト連邦が存在するとして、アメリカのレーガン政権がソ連に対して経済制裁を発動し、西欧諸国とソ連を繋ぐガスパイプラインの建設を止めさせようとしました。このとき、アメリカが国内法である輸出管理法の域外適用を行うことを、西欧各国が国際法違反として非難したのです。レーガン大統領と、イギリスのサッチャー首相が真っ向からぶつかり合った事件でした。国際法違反となる域外適用の限界については、実質的な関連のある国の法規制のみが許されるとする国際法が確立されているとする学説もありますが、未だ、未解決の問題です。
もっと遡って、大戦前の国際社会には、これを規制する国際法が十分発達していたとは言い難いでしょう。このとき、国際社会は先進国=列強のみにより構成され、地球上の大部分の地域がその植民地として存在していました。大恐慌のときに、各国が自国通貨の切り下げ競争と、宗主国を中心とした植民地間でのブロック経済に走りました。ブロック内では低関税に、ブロック外との通商には高関税を課したのです。アメリカが広大な領域と豊富な資源に基づき、モンロー主義でやって行けたのに対して、列強の一でありながら、ブロック経済にはじかれて苦境に立たされたのが、日本、ドイツ、イタリアの三国でした。第二次世界大戦に通じる重大な理由の一つであることが定説となっています。そこで、戦後の国際社会は国際経済のルールを創ったのです。それがGATTであり、IMFです。この国際法は現在に至るまで発展を続けています。
法のない、あるいは法の未発達な社会は、弱肉強食の社会であり、全ての構成員が安全に生活のできるところではないので、皆で協力して、法を創り、お互いにこれに拘束されることを約束して、漸くその社会が持続し得たのです。国際社会は各国家を構成員としています。その社会の法である国際法は、一般の法よりも遅れて、近代以降に漸く成立したのです。大戦後、開発途上国が独立し、国際社会の一員となりました。現代の国際社会には、国際経済に関する精細な法が存在します。そこで、最初の問いです。
二国間の外交上の問題について、その解決のために経済的措置を行うことが、そもそも許されるのでしょうか? その答えは、国際経済に関する国際法の下に、その許容する範囲内でのみ許されるというものです。日本の対韓国向け輸出規制については、GATT=WTOが問題となります。その制約下においてのみ可能です。
4,GATT=WTO
WTOが自由貿易主義を根本原則とする国際経済の憲法たる位置づけを有します。しかし、GATT第二十条において、輸出入の規制が一般的に許される条件が規定されています。例えば、その国において、違法とされるドラッグやわいせつ物の輸入禁止や希少鉱物資源の輸出規制もこの条項において認められます。しかし、同条の次の部分が大切です。
「ただし、それらの措置を、同様の条件の下にある諸国の間において任意の若しくは正当と認められない差別待遇の手段となるような方法で、又は国際貿易の偽装された制限となるような方法で、適用しないことを条件とする。」
これをWTO法では、20条柱書と呼びます。先に述べたような措置も、差別待遇の手段となる方法、偽装された貿易制限となる方法で適用することが禁じられています。一般的な例外も、それを口実にして、その他の差別的目的や自国産業保護のために自由貿易を歪めることがあってはならないからです。これがしばしば国家間で争いとなり、実際、WTO上、紛争となることも多いです。わが国が尖閣諸島を国有化した際、中国がレアースの輸出を制限した事件において、わが国が勝訴しました。
他方、安全保障の例外については、GATT21条が規定しています。GATTは加盟国が次の措置を執ることを妨げません。
「(b) 締約国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると認める次のいずれかの措置を執ることを妨げること。
(i) 核分裂性物質又はその生産原料である物質に関する措置
(ii) 武器、弾薬及び軍需品の取引並びに軍事施設に供給するため直接又は間接に行なわれるその他の貨物及び原料の取引に関する措置・・・・」
重要なことは、この規定には、20条のような柱書が存在しないことです。安全保障のための輸出入規制には、締約国に一層大きな裁量が認められているということになります。
しかし、他の外交的紛争や自国産業保護のために安全保障を偽装するのではないかについては、争うことが可能です。すなわち、措置の実施方法を問題とするのではなく、真に安全保障に関わるのであるか否か自体は、問題とする余地があるでしょう。この点で、韓国側は、日本が、安全保障のための措置ではなく、他の外交的問題の制裁として、半導体関連品目の輸出制限を行ったと主張するかもしれません。韓国はその措置が全く安全保障に関係しないことを立証する必要があります。
この点で、慰安婦問題や元徴用工問題などを契機として、韓国を信頼に値しないと判断し、そのためわが国の安全保障上、問題の無い国とはなし得なくなったという説明が説得力を有するかを吟味しておかなければなりません。官房長官や副長官が、同時に、元徴用工問題に対する対抗措置ではないことを繰り返し明言しています。しかし、紛争となると、付言する部分のみならず、発言の全体や措置の背景事情などの全ての事情が関係する可能性があります。韓国が国家として、北朝鮮との瀬取り等に関与しており、国連決議に基づく経済制裁違反を犯していることの具体的な証拠を、日本政府が準備しているのだと予想します。
また、日本が輸出制限を行ったというのではなく、従来の包括的な輸出許可から、90日ほどを要する契約ベースでの通常許可手続が必要になるというに過ぎません。許可申請を継続して行えば良いので、日本の手続が恣意的に厳密であるなどのことがない限り、韓国の半導体メーカーにどれ程の不利益が生じるのかは、やってみないと分からないのではないでしょうか。手続が煩雑になるとしても、韓国メーカーにある日本産材料の在庫が無くなるまでに、次の注文品が到着すれば良いのです。輸出許可手続の運用に恣意性が認められるなら、非関税障壁に当たる不必要な貿易制限を、差別的に韓国に対して行ったとして、WTO上の問題となし得るでしょう。
もっとも、いずれにせよ、WTOの紛争解決のために二,三年は少なくとも要するので、半導体という製品の特性からしても、その結果を待っていることは余り意味がありません。
5,韓国経済の特殊性と国民性
日本の輸出規制が、通常の輸出手続を適用するというものであるので、韓国半導体産業に壊滅的な打撃を与えるものと言えるかは、先ほど述べたように分かりません。しかし、韓国政府の反応や報道を見ていると、まるで日本が必要原料の輸出禁止を行い、韓国の半導体産業を潰すことを狙っているかのような大騒ぎになっているようです。韓国政治における、微妙な対日心理が、今度も過剰な感情的反応をもたらしたようでもあります。次の様な分析もあります。
「対抗カードとして▲戦略物資の対日輸出制限▲日本製品輸入規制▲日本観光ボイコット▲日本製品の不買▲米国や中国、EUなど國際社会と協調して日本に圧力を掛ける―等が検討されているようでもある。
辺真一・コリア・レポートhttps://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20190704-00132838/」
いずれも奏功しなのではないでしょうか。例えば、観光ボイコットと言っても、韓国を訪れる日本からの観光客はその安全を不安視するかもしれませんが、日本を訪れる韓国からの観光客には、その不安は全く無いでしょうから、ボイコットの呼びかけが一般の人にどれほど浸透するのでしょう。また、半導体は他国製品で代替可能なので、アメリカが日本の措置を問題視するとは思えませんし、欧州にとって、遠い辺境の出来事であり、そんなに関心を持たれることがないでしょう。むしろ、中国が漁夫の利を狙うかもしれません。その他、いずれも韓国経済にむしろ大きな不利益をもたらすでしょう。今回の日本政府の輸出規制は、品目及び方法について、実によく考えられた措置であるように思えます。
しかし、韓国では、半導体材料の製造技術の開発に、政治と民間が一体となって取り組む姿勢を見せています。多額の政府補助金を支出する計画が発表されたようです。従来、財閥と距離を置き、前政権の縁故資本主義的体制を批判してきた文在寅大統領ですが、急遽、政権側とサムスンなどの財閥関係者との会談が開催されたようです。補助金支出自体、WTO上、クリアしなければならない条件が存在します。
かつて、80年代に、韓国が通貨危機を被ったとき、いわゆる国家破産に追い込まれ、IMFの救済に頼ったことがありました。その救済の条件の一つが韓国の縁故資本主義の打破でした。これが経済発展を妨げる重要な要因となっているとされたのです。韓国は、早期にIMFからの借金を返済したのでが、借入の際に、コンディショナリティーと呼ばれる経済・財政政策に及ぶ厳しい条件の遂行を要求されました。民間銀行が国有化され、財閥解体に通じる政策も実行されました。このとき、打倒IMFをスローガンとしながら、国民が一丸となってその苦境を脱したのです。
借金を返済して、コンディショナリティーを免れた韓国政府が、産業分野を選択しつつ、集中的に経済支援を行い、半導体、家電、自動車など限られた産業を育成、発展させました。そうして韓国の財閥が世界有数の多国籍企業となり、日本企業を凌駕するようになったのです。上のような韓国政府の動向は、縁故資本主義の打破を目指した文在寅大統領にとって、全くの皮肉です。今度は打倒日本となるのでしょうか。以前のブログで触れたように、大統領が打倒親日(保守主義陣営にいる「親日」)をスローガンにしています。
6,貿易戦争
韓国が日本の輸出規制措置を等閑に付することはないでしょう。たとえ分が悪くてもWTOに提訴するかもしれません。日本としては、WTO上、問題のない措置であることを、韓国社会を含めた国際社会に十分説明をして行かなければなりません。自由貿易主義、国際主義を標榜してきた日本がこれに逆行するという、原理的な批判がなされるでしょう。韓国からも予想されますし、日本国内にも、そのような批判があるようです。しかし、自由貿易主義といっても、WTOの下で、国際経済のルールを遵守することに尽きるのです。
先に述べたように、WTO法の体系の下で、日本の措置は違法ではありませんが、仮に、法の不備があったとして、その盲点を突いて、法的に賢明に行動することは自由貿易主義の下でも何ら問題がありません。韓国自体が、福島県沖海産物の輸入制限を継続しているのも、そのように行動したからでしょう。
韓国が自由貿易主義を唱えながら、日本向けあるいは日本からの、新たな輸出入規制を行うかもしれません。今回の日本の措置自体、日本経済に何らかの悪影響を及ぼすことがあるでしょう。しかし、両国にとって、短期的に経済的な不利益を被るとしても、始めたからには、その「戦争」は遂行せざるを得ません。恐らく、どちらの政府も中途半端にこれを止めることをしないでしょう。この戦争は、武力を用いて、人の命を殺め、身体を傷つけるものではなく、両国の経済的リソースを前提とした、法と論理を用いた戦争です。前者のような戦争は真っ平ごめんですが、法と論理の戦争はしっかり遂行してもらいたいものです。むしろ、従来、日本がこの面で十分力を発揮してこなかったのではないでしょうか。
同時に、次の点を忘れてはなりません。国際主義が長期的な国家利益に適うという視点です。第二次世界大戦が、経済戦争に端を発したものであることを忘れてはなりません。しかし、今度は国際の法があります。
たとえ数年の間、対立を深めるとしても、法の下、普遍的な価値観に基づく正当化を行いつつ、隣国との友好関係を回復する契機を常に探求し続け、相手国にも元に戻ることのできる余地のあることを積極的に発信するべきでしょう。やがては、未来志向の、国際共同体を共に設立できるほどの関係を導けるように。そのためにも、民間の交流が継続していることが大切です。両国の国内で、若者の日派、韓流を暖かく見守って行きましょう。
次回は、7月20日ごろ、更新の予定です。あくまで予定です。
年金と少子高齢化-金融庁報告書は正しい ― 2019年06月25日 15:17
_(._.)_
いよいよ暑くなってきました。こちらの地方はまだ梅雨入りしていません。
国連によると、日本の人口が2058年に1億人を下回り、2100年には7500万人になるとしています。。良く耳にしますが、世界の国々の中で、少子高齢化が際立っている国なのです。65歳以上1人あたりの25~64歳の「現役世代」は、現在1・8人で50年には1・1人に減るというのです。現役世代一人が、その稼ぎで、おおよそ一人のお年寄りを支えることになるということです。ただし、国の人口推計は、より一層人口減少が進むとしていて2100年が6千万人としているので、もっと深刻です。(朝日新聞デジタル6月18日の記事より)
国会における先日の党首討論は、金融庁の報告書が一つの中心的争点となっていました。マスコミにしても、年金100年安心が神話だったとする論調が多かったようです。老後、年金だけでは暮らしてゆけず、亡くなるまでに、夫婦二人の世帯で2000万円不足するというものでした。しかし、これが報告書の前文のような部分に記載された、いわば枕詞のようなものであり、その全体の趣旨は、ことに若い世代が、老後の生活を考えて早くから準備するべきであると、国民を啓蒙するものであったようです。
年金制度の「安心」を巡る議論のために、二つの視点が重要だと考えます。一つは、高度経済成長期と現在の日本の社会や経済の在り方が異なるという点であり、他の一つは、人それぞれの条件の相違を踏まえた人生設計は自己決定の産物であるという点です。在り来たりではあっても、この間の与野党の議論や情報番組を見聞きしていると、もう一度確認しておく必要があるように思えます。
先に、後者について、簡単に言及しておきます。現役世代の収入に即して、年金資金としての払込額が異なり、これに応じて年金額が人それぞれに異なるのです。金融庁の問題視された報告書が、平均なり、標準なりを示すとしても、万人に適したものでないことは当然でしょう。年金額がもっと少ない人たちも多いのです。現役時代の生活水準を目途に、どの程度これを維持できるか、あるいは切り詰めるべきかは、各世帯ごとに違います。将来の年金額の予測に基づき、自ら準備するべき額も、その家庭毎に計算せざるを得ず、しかも、いくらを将来の貯蓄に回し、あるいは現在の生活を楽しみながら、老後はむしろ切り詰めるなど、一に掛かって各個人の自己決定に委ねられている問題であるはずです。
そこで、一つ目の問題です。
一昔前には、60歳で定年を迎え退職金をもらえば、相当の年金を得ることができました。ある程度の生活を維持しながら、70歳から80歳ぐらいの平均寿命に到達して死ぬまで、安楽に暮らしていけると、一般的には考えられたのかもしれません。これから年金をもらい老後を迎えようとする世代は、親や祖父母の世代が悠々自適に生活している様子が原体験としてあるので、年金とはそうあるべきものであると思い込んでいるのでしょう。しかし、少子高齢化の進展による本格的な人口減少社会となることを「国難」とまで言って、政府が喧伝しているのです。
現在の60歳は、親の世代ほどの年金額を期待できません。老後を支えてくれる現役世代の人口が減ったのだから。しかも、平均寿命は年々昂進しつつあり、今60歳の人が10年後、70歳になったとき一体、平均寿命が何歳になっていることやら。再生医療の進歩、遺伝子解析による先進医療の開発など、その10年の医学の発展を考えると、全く予測もできないように思えます。更に、その先の10年後はどうなるのでしょう。まさに人生100年時代の到来です。少子化と高齢化のダブルパンチです。親の世代に影響されて、のほほんと生きてきた者にとって、この現実は余りに残酷です。住宅ローンに、教育ローン、それでも生活を切り詰めて、無いに等しい利息でも、何とか貯蓄してきたのにと、嘆いていても始まりません。退職金でローンの返済を終えて、幾ばくかの貯蓄が残されるとしても、2000万円には足りないという人も多いのではないでしょうか。政府は70歳まで働けという。私個人は大歓迎です。一刻も早く、全ての国民が、働きたいなら、少なくとも70歳までは働ける環境を整えて貰わなければなりません。
日本人は貯蓄好きであるのに対して、アメリカ人は消費性向が強く、貯蓄より投資を好むと良く言われます。アメリカの年金基金は株式等による資金運用を行っています。日本の公的な年金基金は、貯蓄に相当するような安全な運用のみを行っていたのを、一部改めています。また、個人型確定拠出年金(iDeCo)という制度が創設されましたね。個人でも、将来の年金のために資金を積み立てて、運用会社と運用方法を選択できるというものです。個人の資産が投資に向かうために、NISAのような税制上の優遇措置を用意しています。私は、FPではありませんし、素人の立場でこのような資産運用をお勧めしようとしているのではありません。ここで言いたいことは、年金の不足を補うためには貯蓄では足りず、投資による運用も必要であるとする、警告めいた情報提供が、ようやく今、国民に提示されたということです。ああ、もっと早く気づけばよかった。無知な自分を恥じよということでしょうか。少なくとも、若い世代が、老後を含めたより良い青写真を描くことができるようにすることは、政治の責任でしょう。
この意味で、政府は先の報告書を引っ込めるべきではなかったのではないでしょうか。
「ゆり籠から墓場まで」の社会保障制度は高度経済成長期に、自民党が主導し、55年体制の下、野党も共同して作り出したものです。アメリカのような自由競争を信奉する国からは、日本がまるで社会主義国家に見えるでしょう。その大前提となっていた日本の社会・経済が根本的に異なるものになったのです。国家財政が累積赤字により破綻の危機にあり、このままでは年金制度が瓦解する恐れがあるとして、早くから警鐘を鳴らしたのは、ほかならぬ日本の政府です。そのときから年金不安が社会不安を惹起したようです。国民は冬眠前のクマのように、働いて得られた給料を消費に回さず、一層、貯蓄に走りました。これが個人消費の回復を遅らせ、不況を招いた要因の一つでもあるように思えてなりません。年金不安が払しょくされるまで、大多数の国民にとって、個人消費の本格的回復は見込めないのではないのでしょうか。
高度経済成長期の成功体験が社会の固定観念となってしまっていた日本において、この固定観念を打破するべく、新たな社会経済の情勢を前提にした年金制度の見通しを、真っ正直に晒す必要があります。どうすればどの程度の年金制度を維持できるかという確実な予測を示すことができれば、国民の疑念を払しょくすることに通じるでしょう。これこそが経済対策ではありませんか。どうしても生じる年金の不足には自助努力により備えるしか方法がないのです。しかし、どの程度備えれば足りるかの、明確な指針が必要です。
例えば、こうです。行政改革による財政支出の1%減と消費税の引き上げ1%を、何年間にわたり継続すれば、最終的に、消費税が何%となり、財政赤字が解消され、どの程度の年金給付額を維持できるかを、政府が宣言するのです。1%という数字は必ずしも根拠があるわけではありませんが、そのような明確性と、実行の確実性が必要です。もとより現在実施されつつある少子高齢化対策としての諸政策を、不断に遂行することが肝要です。女性の社会進出の促進、高齢者の労働力の活用、AIやロボット技術の汎用化による生産性の向上等の政策を更に深化させていく必要があるでしょう。
これらはいずれも、箱ものではない、民間の活力を引き出すような経済政策、人への公共投資を前提とします。女性、高齢者への投資、多様な高等教育の機会の提供、イノベーションを引き起こす発明、起業の環境整備です。その一環として、外国人労働力の活用も考えられるでしょう。
同時に、外国人の移民化政策を押しすすめるべきであると思います。既に、地方からは、特定技能制度を拡充することが求められています。外国人が熟練の技術・技能を身に着け、折角、日本の生活・文化に馴染んできたのに、その時点で帰国させる必要があるでしょうか。その人たちは、自分自身で余裕をもって生計を営むことができ、税金を納めているのです。
技能、教育について選別をせず、入国した当初から、単純労働を含めた一切の職種に就くことができるものとして外国人を大量に受け入れることを移民政策というとすると、日本はこの政策を採っていません。細かく職種を限定して在留資格を設け、在留資格ごとに、必要な要件と在留期間が決まっており、法務大臣の許可決定が必要な制度となっています。そして、高等教育を受けており、相当程度の知識、経験、技能を有する高度人材外国人については、排斥ではなく、従来より受け入れ政策に転じているのです。在留資格は期間を過ぎても、何度でも更新可能であり、5年ないし10年の定住により、永住資格に転換も可能ですので、もうこれは移民受け入れ政策であるとしか言えないでしょう。政府の弁明は強弁ないし言葉の遊戯でしかありません。
しかし、単純労働については、戦後一貫して移民政策を採用していません。日本が高度経済成長を遂げたアジアで唯一の富める国であった時代には、まだまだ生活水準の低い開発途上国に周囲を囲まれていたので、移民の受け入れをすると、一気に多くの移民が押し寄せ、日本の社会が大混乱に陥ると心配されたからです。しかし、特にバブル期には、3Kと呼ばれるような職種を日本人が敬遠したため、単純労働力が不足し、在外日系人に、就職できる職種の限定のない特別の在留資格を与えて急場を凌ぎました。しかし、労働力不足が常態となったのです。技能実習や留学生ではもはや足りないので、名実ともに外国人単純労働者の受け入れを認めたのが、先般の出入国管理法改正でした。
これについても、日本の産業界において労働力不足が顕著な業種を選び、業種毎に不足数の予測をはるかに下回る外国人を、能力試験を経て入国させるというものです。技能実習制度により受け入れた外国人が、在日中、偶然に身に付けた技術・技能を基に、在留期間を過ぎても特定技能資格者として滞在を延長することが考えられます。これが一つの典型例です。その長い在日期間中、家族の呼び寄せも適わず、これを経過すると特定技能1号については必ず母国に帰国させるのです。極めて限定的な2号については、在留期間が10年を超えれば、永住資格に転換が可能ではあります。もっとも、1号資格者でも、技能を身に付けた結果、そのほかの高度人材としての在留資格に転換することができればやはり永住も夢ではありません。そこで、私の提案は、2号資格を与える職種を拡大してゆくことと、1号資格者が他の在留資格に転換可能だとする実務を積み重ね、このルートを一層拡張し、確実なものとすることです。
還暦と呼ばれる、昔なら老後を迎えていた年齢に至り、自分の青年期とは激変した日本を目の当たりにし、根底から社会の制度設計が変わらざるを得ない現実に、途方に暮れる。
親の年金で、親の介護を賄える幸せ。でもね。
ε=( ̄。 ̄;)フゥ
・・・・・あぁ
次回更新は7月6日ごろを予定してます。
・・・・・あぁ


