中道2017年10月18日 18:36

 今、衆議院選挙の選挙運動が行われています。街宣車が近くの道路を通ります。
 立憲民主党、希望の党、維新の会の、党首・代表や各候補者が、「右でも左でもない」と言っています。その意味はそう明白ではありません。

 「中道」という意味だろうか?

 希望の党は党代表が中道「保守」と名乗っていますし、立憲民主党は党首の演説を聴いていると、中道という言葉も使わないようです。維新も「中道」という意識があるのか分かりませんね。少なくともより保守の側であるような気がします。

 私が学生だった頃、かれこれ三十有余年以上も前には、その意味はもっと分かりやすかった。

 当時、自民党と社会党が少なくとも表面上は対峙しており、後は、共産党と、民社党、公明党が有力な政党でした。自民党が保守・右派であり、社会党と共産党が革新・左派、民社党と公明党が革新・中道とされていました。ちなみに私は民社党支持者でした。中道の勢力はとても小さかった。自民党単独政権が嫌と言うほど続いていて、革新勢力が全体として野党として、これと対立するというものでした。

 私は政治学者ではありません。学問的正確性ではなく、長年、有権者として政治を眺めてきた者としての、直感的理解を申し上げます。

 右とか左というのは、社会主義という政治経済思想・国家の仕組みに関する理解と関係します。もっと正確にいうと、マルクス・レーニン主義です。より正確には、中国共産党の思想(毛沢東)が若干これと区別されるのでしょう。

 現実の国際社会において、資本主義国家としての、アメリカ・西欧諸国と、社会主義国としてのソ連・東欧や中国などの国々が、冷戦を繰り広げていました。

 社会主義・共産主義を信奉し、社会主義国家になることを目指す傾向が左派で、これに反対して、資本主義・自由主義国家であり続けることを指向するのが右派だった。至極大雑把に言って、先にも述べたように、社会党、共産党が左派、自民党が右派と目されていたように思います。もっとも、わが国の政党の個々の政治家にも多様な考え方の分布が有り得たので、社会党の中にも、必ずしも、社会主義思想に共鳴しない人達も居ましたし、現実の国家としてあるいずれの社会主義国のそれとも異なる理念として、その思想を現実的課題として標榜する人達も居るのです。

 そして、革新勢力として自民党と対立しながら、必ずしも社会主義に関わらないのが、中道でありました。

 ちょっと長くなったし、余り難しくなってもいけないので、私自身の確信を開陳することにします。政治思想としての社会主義か否かを基準とするかつての「区分け」がもはや時代遅れになっており、現在では通用しないというものです。

 そこで、「右でもない、左でもない」という言葉を、もうイデオロギーなんてどうでもいいや、そんなもんぶっ飛ばせ!語弊があるかもしれませんけど。こういう意味に理解できるように思います。

 大部はしょります。随分前ですけど、自民党が分裂して、中道各党及び社会党が結びついて、連立政権を樹立しました。その後の、民主党や民進党は、保守革新中道を包括する新党であったし、実際に、このことを標榜していたのです。

 そして、自民党の小さな亀裂に乗じて「希望の党」ができると、その以前の新党であった民進党が再分裂し、立憲民主党が誕生した。

 このあたりが中道と言われるのかもしれませんが、

 結論を繰り返すと、「もはやイデオロギーに拘泥する時代は終わった」とすると、中道という言い方も、イデオロギーを基準とする右と左の対立を前提する言い方、その真ん中というものであるので、これもまた古くさいということになるかもしれません。

 それでは、社会主義という思想が全く無意味であるのかというと、そうではありません。このことは、次の記事で述べようと思います。

 右も左もないとして、それでも「保守」という言い方が残っているし、リベラルがどうやらこれと対立するみたいだなぁ~。

 ところが、自民党にも立派なリベラル派(派閥)が存在するし、民進党リベラル派を排除した希望の党がリベラルな政策を掲げています。小池代表記者会見によると、中道保守であり、かつ「多様性と寛容」とか環境保護などリベラルな政治目的を党の基本政策としていました。それに、立憲民主党の代表である枝野氏のインタビューを読むと、保守であり、リベラルだと述べて、独特の「保守」の使い方をしています。

 保守が同時にリベラルだ、あるいはリベラルが同時に保守だ?

 このことがそう不可解ということでもないでしょう。定義を明確にすれば、確かに同時に可能な政治的態度で有り得ます。マスコミの言葉の使い方が混乱を呼ぶのかもしれません。
 
 しかし、私は、左と右という対立軸はぶっ飛ばした上で、保守とリベラルという対立軸は是非残して欲しい。そうしないと、現実的具体的な、そのときの個別的政策選択の違いで分けるということになります。それは、「保守二大政党の政権交代の時代へ」といった、維新の主張に通じます。

 やはり、基本的な理念、根本的政策の違いによる、大まかな相違による選択肢が必要であるように思います。

 そこで、イデオロギーとは無関係な、保守とリベラルの根本的相違とは何でしょう。次に、このことを考えます。

 この記事の結論。
 1,右でも左でもない、イデオロギーなんてぶっ飛ばせ!
 2, それでも保守とリベラルの対立軸はどうしても必要だ。

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