元慰安婦の損害賠償訴訟と、韓国の三権分立2019年03月26日 14:38

梅は咲いたかぁ〜 桜はまだかいなぁ〜

もう直ぐですね。漸く休暇を取って、これを書いています。これから新学期の雑務に加えて、当分、論文執筆に専念する必要があるので、不定期に更新します。更新しているのを見つけられたら、読んでみてください。


日韓関係に新たな火種 元慰安婦の損賠訴訟へ
https://www.fnn.jp/posts/00414070CX

2015年の日韓合意に反発した元慰安婦と遺族の20人が、翌年、日本政府を相手取り約3億円の損害賠償を求める訴訟を韓国の裁判所に提起しました。上記のURL は、ソウル央地裁が、本年3月8日、日本政府に対して訴訟開始を公示したため、5月から審理が開始される見込みとなった、という記事です。

1、このことの法的な意味を説明します。

(1)一般市民である私人が、国家を訴えることができる。

国家が私人と、売買やサービスに関する契約を締結することは良くあることで、仮に国家が債務不履行に陥ったとしたら、契約の当事者である私人が、履行や損害賠償を求めて損害賠償を求めることができても当然だと感じるでしょう。

国家、具体的には公権力を行使する公務員が、私人に対して不法行為を行ったとして、私人が損害賠償訴訟を提起することも良くあります。例えば、公害や薬害訴訟を思い出せば分かると思います。国の誤った許認可や監督・監視を怠ったことに基づき、多数の市民が損害を被ったとして、国を訴えます。日本においては、これが国家賠償法に基づき行われます。

契約にしろ、不法行為にしろ、民主的な国家であれば、その国の法に従い、私人が自分の国を相手取り、その国の中で民事の訴えを提起することができることが通常です。

(2)私人が外国国家を訴えることができる。

わが国においては、「外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律」に基づき、民事の訴えについて外国が主権免除を受けない限り、国際民事訴訟法を含めて、通常の民事手続きにより裁判することになります。

不法行為については、法10条により、外国の行為により損害を被った場合に、その行為の一部または全部がわが国領域内においてなされ、行為を行った者が行為のときわが国に所在した場合に限り、その外国は裁判を免除されないと規定されています。

国家が他国の私人から訴えられても、一切の民事裁判権を免除されるという絶対免除主義が克服されています。もっとも、完全に私人と同一ではなく、一定の制限は有ります。その範囲が国により異なるので、国際法である「国及びその財産の裁判権からの免除に関する国際連合条約」が成立しました。わが国はこの条約を批准しているので、この条約が発効すると、締約国との間では、その内容が法として効力を有します。

わが国の国内法である前述の主権免除に関する法律は、この条約に準拠して、締約国と非締約国とに関わらず、わが国において、外国国家を訴える場合の制限の範囲を明確化したものです。

前述の記事は、韓国国内における裁判ですから、韓国が締結している条約や韓国の国内法が問題となります。元慰安婦が提訴したのは、当時のわが国が彼女らに行った行為が不法行為に当たるとした損害賠償請求です。韓国が加盟していないとすると、前記国連条約は韓国を拘束しませんが、国際慣習法の重要な徴憑として参照すると、日韓併合により、わが国の統治下にあった当時の朝鮮半島において、原告らが慰安婦として従事させられ、そのことにより損害を被ったとするなら、一応、その基準に該当するようです。

なお、時効も気になるところですが、韓国国内法の解釈により、これを回避するのでしょう。

(3)訴訟を始めるために、訴状の送達が必要である。

民事の裁判では、相手型に訴訟が開始されたことを通知する手続きが必須です。そうしないと、裁判が始まったことも知らないで、従って、十分の法的な防御を行うこともできず、欠席裁判で敗訴してしまいます。これが訴状の相手方への送達という手続きです。原告がどういう相手に対して、どのような理由で、裁判で何を求めるかを明確に記載した文書が訴状です。これを被告に届ける手続きが送達です。

外国に居る相手方に訴状を送達するためには、その外国の協力が必要になります。裁判所の吏員が無断で外国に行って、相手方に訴状を渡したら、その国の主権を侵害したことになってしまいます。外国公務員の公権力行使に当たるからです。

国際的訴訟の度に、訴状の送達について、一々、外交ルートを通じて外国当局にお伺いを立てていては面倒だし、断られる可能性も高いのです。そこで、グローバル化の進展に伴い、訴状送達について条約が締結されています。「民事又は商事に関する裁判上及び裁判外の文書の外国における送達及び告知に関する条約」(略称、ハーグ送達条約)です。条約で約束した国内当局を経由した、条約の条件の通りの訴状であれば、裁判を行う国の裁判所等に代わって、相手方の居る国の裁判所等が送達を行うことを義務付けられます。

日本も韓国も送達条約の締約国ですから、条約が法として両国を拘束します。元慰安婦が提起した、日本を相手取った損害賠償請求訴訟の訴状を、韓国の裁判所が受理した場合、裁判の審理のために、その訴状を日本の政府機関に送達しなければなりません。ハーグ条約に則り、わが国の外務大臣に協力要請があったら、わが国は本来これを拒むことができません。しかし、この裁判については、日韓請求権協定や、慰安婦問題についての政府間合意などに反して提起された韓国国内における裁判に、国家としてわが国の出廷を求めるものなので、条約13条に基づき、わが国の主権侵害に当たることを理由に、送達を拒絶したもようです。

この場合に、韓国裁判所としては、条約15条に基づき一定期間の経過の後、裁判を行うことを宣言できます。

(4)韓国国内における裁判の公示?

前述の記事は、韓国裁判所が裁判を公示したので、自動的に審理が開始されるとしています。国内の裁判であっても、被告が行方不明であるような場合に、訴状の送達ができないと、公示送達が行われます。わが国の場合、裁判所前の掲示板に、訴状が一定期間、張り出され、そのことによって訴状の送達があったとみなされるのです。被告が出頭しないときに、欠席裁判になり、原告がほぼ100%勝訴します。韓国裁判所は、何らかの理由で、公示送達に類似の手続きを用いたようです。

外国国家に対する国内の裁判で、外国が訴状の受け取りを拒絶している場合に、公示送達の方法によるというのが、元慰安婦問題に関する裁判では、日本の主張に相応の根拠があると考えざるを得ないことからして、随分と不可思議な手続きを行なっているように見えます。

そこで韓国で、自動的に審理が始まったとしても、日本政府が裁判に出頭するとも考え難いですし、仮に、原告勝訴の判決が下されたとしても、日本が任意にこれを支払うとも考えられません。それでは、韓国にある日本政府の財産に強制執行が可能かというと、主権免除に関する前述の条約によると、在外公館の財産等は強制執行を免れることが規定されています。条約の発効や締約国か否かに関わらず、そのような強硬な措置に出ることは無いだろうと予想します。

更に、以前のブログで説明した外国判決の承認執行の制度があります。実質的再審査禁止の原則の下で、全ての手続きを再度行うことなく、一定の要件があれば、外国判決に自国判決と同様の効力を与える制度です。これについても、原告勝訴の韓国判決は、わが国公序に反するという理由で、日本の裁判所が承認・執行を拒絶する蓋然性が高いです。

以上、韓国内における元慰安婦訴訟は、たとえ勝訴しても、その判決の実現可能性が法的には乏しいと言わざるを得ません。単に、名目的、政治的意図に基づくものであると思えます。

2、韓国における三権分立

韓国は日本と同様に、憲法に基づき立法、司法、行政の三権分立が確立した民主的国家です。普通選挙に基づく国民の代表である議会を頂点としつつ、三権の独立と相互の抑制により権力の独走を抑止する、西欧由来の民主主義システムです。この社会体制が、戦後の途上国が独立して行くに伴い、国際社会に広く行き渡った、グローバルスタンダードです。しかし、殊に、裁判所の権力がどれほど強いかは、国により大きく異なります。

例えば、アメリカでは、トランプ大統領が裁判所の判決により、大統領命令の修正を余儀なくされることがしばしばあるように、司法積極主義で知られる、非常に裁判所の強い国です。政府と裁判所の対立が極端にまで現れることがあり、しかも政府が裁判所の判断に屈することが間々あるので、「法」特に憲法の存在感が際立ちます。これに対して、途上国では司法より政府の優位が明らかである国が多くあります。軍事政権下の裁判所の機能を考えれば容易に理解できるでしょう。中国はもはや途上国ではありませんが、三権分立については、以前のブログで触れたように、独特の位置付けがあります。共産党の一党独裁の下、党幹部が行政及び司法部門の責任者になるもので、相互の関係がより密接です。法制度の態様と共に、実際の運用を含めて検討が必要でしょう。

韓国も経済的には途上国を既に卒業して久しい国です。しかし、かつての軍事政権下において、過酷な人権侵害を経験し、新たな憲法の制定と人権意識の高揚と共に、個人の幸福追求権を尊重する法意識を持った国へと進展したのです。伝統的な家父長制的封建制度の克服にも、日本と比べて極めて長い時間を要していますが、少なくとも法制度の側面では、これも近年ようやく実現しつつあるようです。

三権分立についても、法制度としては、確立されているのです。元徴用工の裁判では、日本が韓国政府に対処を求めたのに対して、韓国の文大統領は、裁判所の判断を尊重しなければならない、韓国は三権分立の確立された国であることを理解してほしい、としていました。行政府であれ、司法府であれ、国際法を遵守するべきであるので、韓国が国として、これに違反しているというのが日本の立場です。国際法からは、政府であれ、裁判所であれ、その行為が国家実行として評価される点で異なりません。

ここで少し視点を変えて、韓国の三権分立について考えてみます。韓国の裁判所は、政権が変わると、その政権に協力的な判断をすることで知られています。裁判所という機関は、その良心にのみ従うとされる個々の独立した裁判官から構成されます。裁判官も一個の人間でしかない。孤独で、実は現実の権力、あるいは実力に対して弱い存在でもあり得るのです。法解釈の客観性の隠れ蓑の下で、優れて政治的な判断を迫られる、脆弱な権力機関です。裁判所が現実の政治や世論からの批判を回避するためにするのが、判断を下さないという方法なのです。「政治問題」であり、司法判断を超越するという口実を使います。

この方法は、日本でも、西欧諸国でも一般的に存在するのであり、アメリカでも用いられます。口実というのが言い過ぎかもしれません。軍事、安全保障、外交に関わる事項については、行政府の行為について、司法判断を回避することが妥当な場合があります。これが妥当であれば、憲法上も問題視されません。横道に逸れますが、日本の裁判所が自衛隊と憲法9条の関係について、高度に政治的な問題であるとして判断を回避しています。憲法9条が世界の中で日本国憲法に特有の条項であり、真正面から規定されている内容について、裁判所が判断を避けることできるかは、日本に固有の事象です。しかし、必要を超えて、口実でもあり得ることは確かです。

孤独で脆弱な国家機関である裁判所が、法の権威にのみ従い、他の権力と対立できるのですが、先にも述べたように、その態様は国によって様々です。政治・外交問題に関わる場合に判断を回避するという窮余の一策を講じることができることは、司法の独立と維持のために、必要なことでもあるでしょう。実のところ、法の解釈という法特有のレトリックを用いてその政治的意図を隠すことが通常の方法なのです。法原則は必ず例外則と組み合わせられます。例外のない原則は、法の世界に有りません。裁判所には相当の裁量的な解釈の余地が与えられています。更に、裁判所は手続事項について、極めて大きな裁量を有しているので、その裁判をいつまでにどのように審理するかについて、裁判所自身が決定できるのです。

三権分立の問題に戻ります。裁判所が、現実の政治や世論に抗する方法として、判断回避を行うこと、法解釈や手続の裁量を行使することが有り得るということを指摘しておきます。裁判所が、政府の言い成りになる、政府の好む結論をのみ述べる、すなわち政府の口になってはならないのです。判断回避にせよ、裁判所独自の判断を示す必要があるのに、韓国の裁判所はこのことがどうやら苦手のようです。この点で、外からは窺い知れないのですが、韓国の裁判所が、時の政府や世論にただ同調しているように見えるとしたら、三権分立が実現されているとは言い難いでしょう。

3、韓国の世論

ここで目を転じて、韓国内の世論について考察します。

テレビの情報番組で、あの優しそうなお婆さんが、涙ながらに昔の思い出を語っています。民族衣装に意義をただした高齢の女性がとつとつと、時として激しながら述べるのです。大日本帝国の植民地と化した祖国で、普通に暮らしていた女の子が、慰安婦とされた辛い日々のことです。

その当時、先祖伝来の大切な民族固有の名前を剥ぎ取られ、日本風の名前を名乗らされる。学校では朝鮮半島の言葉ではなく日本語を教えられる。その一切が、拭い去りたいけれど、忘れらてはならない記憶として、学校教育やマスメディアを通じて、繰り返し追体験されるわけです。現在の韓国政府は、韓国の独立の礎となったこのときの独立運動の継承者とされます。大日本帝国からの独立、民族主義、日本の政治的影響の払拭、これらが憲法的な価値観としての個人の幸福追求権の尊重に結びつくのが、韓国リベラルではありませんか。慰安婦への補償がその象徴なのです。

親日の徹底的な排斥が現在の政権のスローガンのようです。親日排斥といっても、大日本帝国時代から、戦後韓国の軍事政権に温存された日本の政治や考え方の影響の払拭のことです。旧日帝時代に植えられた公的施設の植物まで目の敵にする様子は、明治維新のときの廃仏毀釈を想わせます。この国は、未だに国内的な戦後処理、戦犯追放をやっているのでしょう。慰安婦問題にしても、過去における、日本からの償いの言葉やお詫び、補償の申し出も受け入れることができない程で、慰安婦合意にしても、お前の言い方が悪いから受け入れられないとするようです。もっとも、それが正に個人の法的權利の実現として、正当であることを真正面から認めよ、それこそすなわち正義であるとする視点があります。

政治運動としての側面も見逃せません。韓国の保守的政党が、日本を経済的には利用しつつ、韓国経済の発展を促したことに対抗して、リベラル政党が個人の人権保護と日帝時代の協力者や遺物の払拭を主張し、民族主義的運動を引き起こしているとも考えられます。

4、思いを重ねるために

日本の一般市民の意識と、韓国の人々の意識とが大きく乖離しています。第一に征服者と被征服者の相違があるでしょう。日本の戦後、征服者はアメリカでした。日本とアメリカは友好国となりましたが、第2次世界大戦における沖縄の悲劇や被爆体験については、今でも繰り返し語られます。殴った方はすぐ忘れても、殴られた方は一生覚えているのかもしれません。しかし、戦争の犠牲者を深く悼む気持ちが、世界平和への飽くなき希求と、核廃絶への強い運動に繋がったのです。朝鮮半島については、日本が加害者として現れるのですが、日本の人々はこの体験をどのように昇華すれば良いでしょう。

もちろん、国際社会に日本の立場を訴え続けることは必要です。国際法の論理を主張し、韓国をただ非難するのではなく、償いの気持ちとこれを受け入れてもらえないことを訴えるべきです。同時に、東アジア及び東南アジアを中心としつつ、広く世界の国々に対する人権擁護の側面での国際貢献、特に女性差別を根絶させるためにする貢献についての実績と展望について、理解を深めて行くべきです。

政府間の外交関係が冷え切ったときに、民間の交流こそが大切であるというのは、言い古されたことですが、現在の日韓の関係を見ると、当面、その他に解決の糸口が見つからないようです。韓国の若者の多くは、経済発展に関するコンプレックスも無くて、日本の文化、特に、和食やアニメ、カワイイ・ファッション、JPOPなどに随分興味のある、日本の若者が韓流文化に興味を持っているのと変わらない存在です。大人が口出ししないで、成り行きを見守ることがあっても良いでしょう。

こんなに近い国です。観光で多くの人々が直接お互いに触れ合い、そして何より商売を発展させるなら、良い商売相手を徒らに陥れることはしません。これを更に促進させるための条件整備、特に経済連携協定の締結や、TPPへの韓国加盟への働きかけと便宜の供与など、政府にできることがあります。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://shosuke.asablo.jp/blog/2019/03/26/9051686/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。