改憲論議1-憲法と「個」2018年03月02日 18:56

1、個人と国家

桝添要一氏が少し前のブログ(2017ー10ー24)で、

自民党憲法改正第一次案(2005年)と第二次案(2012年)を対比させて、第二次案を批判しています。
https://ameblo.jp/shintomasuzoe/entry-12322370358.html

第一次案をまとめた自民党内責任者が国会議員時代の桝添氏です。

要点は、第二次案を起草した自民党国会議員は、立憲主義を理解していない、というものです。

権力者=機関が国の仕組みを恣意的に変更したり、国民の人権を侵害したりしないように、予め、法のルールにより、特に、政府を拘束するという使命を、憲法が帯びるものであること。これがここでいう立憲主義です。

日本の憲法は明文の規定がありますので、憲法の条文に反する行為を国家機関ができないということです。

どんなに強い権力者も服さなければならない、絶対に冒すことのできない領域を設けることで、弱い立場の一個一個の人間が少なくともその範囲内では、権力者の恣意的な扱いを免れることを意味します。

同氏の言葉では、国家の対局にあるものが個人であるとしています。

個人(の人権)を国家(による侵害)から保護することが憲法の第一の使命です。

自民党第二次案が、個人の「個」の字を削除してしまっていることの意味を桝添氏は次のように推測しています。

日本の連帯感のなさは個人主義の蔓延のせいであり、その元凶が現行憲法であると決めつけて、憲法の中にある「個人」という表現を削除したのではないか、というのです。

そして、西欧の天賦人権説の否定が底流にある、としています。

以上の分析が真実であるとすると、この指摘は重要な意味を持っています。


2,アメリカ福音協会

視角が変わりますが、実は、アメリカはキリスト教の強い影響の下にある国です。キリスト教文化が深く根付いている社会なのです。

昨晩、NHK総合で、時論公論「トランプ政権と福音派」(高橋祐介解説委員)という番組を放映していました。(2018年3月1日)

高橋委員によると、アメリカ合衆国では、政教分離が、明文の憲法条項は別にして、実際上は確立されていないというのです。

このあたり、筆者はアメリカ憲法の専門家ではないので即断できませんが、確かに、歴代大統領が宗教家と深いつながりをもっており、政権運営の重要な要素であったことは間違いないと思われます。

NHK時論公論は、宗教保守派であるキリスト教福音派の著名な伝道師であるビリー・グラハム氏が逝去したことを伝えるものでした。

共和党だけではなく、民主党出身大統領も、同氏に助言を求めることがあったと言います。

ところで、同派は、トランプ大統領の支持基盤の一つであり、大統領戦では、白人福音派の81%が同大統領を支持したとされています。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/22538/20161110/white-evangelical-hand-victory-to-donald-trump.htm

米国の保守的なキリスト教団体です。
トランプ大統領が、保守的な、例えば妊娠中絶に反対するような信条を有する裁判官を連邦裁判官に任命するという形で、既に、米国政治に影響を与えつつあります。

トランプ大統領のエルサレム首都認定の背景にアメリカのキリスト教福音派が存在するという指摘もあります。
https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2017/12/1221.html

このような文化的、社会的あるいは政治的なキリスト教の強い影響力をアメリカという国が受けていることと、日本国憲法とは、全く切り離して考えて良いでしょう。


3,「天」賦人権の思想

現行憲法を起草したのが誰であるか。少なくともアメリカGHQの強い影響下に、GHQ案に沿った形で起草されたとは言えるでしょう。

従って、憲法はアメリカに押しつけられたもので、日本の価値観を反映していないので、書き換えなければならないと、日本の保守派が主張していますね。

天賦人権の思想=キリスト教の教義のような認識が一部には存在するようです。

天賦人権の思想というと、西欧の絶対王政が克服される過程で生み出された、すなわち革命で流された血の上に築かれた人類の叡智の結晶であるとする理解が一般的でしょう。

西欧各国が、キリスト教の聖俗に渡る長い支配と、やがて絶対王権とキリスト教会の癒着という歴史があり、しかし、庶民と革命指導者の信仰の礎であり続けたという意味で、革命もまた、キリスト教の文化的影響とは切っても切り離せないものでしょう。

他方、日本がそもそもその影響を極力排斥してきた国であったことは歴史をみれば明らかです。戦国時代末期から江戸時代にかけて、キリスト教の精神的支配を回避するために、キリスト教が禁止され、キリシタン狩りが行われたことはよく知られています。

明治維新に至り、江戸時代の法と断絶した、西欧列強の法を継綬した日本ですが、このときに作られた大日本帝国憲法が、やはり立憲主義思想の下に制定されたものには違いありません。

同時に、西欧的価値観とは異なる儒教の影響が考えられる封建制度が組み込まれているものでした。

戦後日本に成立した現行憲法が、この封建制度を払拭したのです。

封建的な「家」制度がなくなって、現代の日本社会が公徳心を欠いた、退廃した社会であると言えるかは疑問です。あまり長く論じる余裕がありませんので、以前のブログなど参照して下さい。

個人の尊厳を尊重し、人の相違に寛容であるという精神すなわち多様性の尊重は、両性の平等や、障害のある人を人の資質の相違として把握し、相違を理解するべきだとする考え方へと現代的に発展を遂げています。

人々の多様性を包容する日本に住む人たちの共同体のあり方を更に模索する必要があるでしょう。

それにしても、天賦人権の思想の天が西欧において、キリスト教の神を意味し得たとしても、宗教的影響に関係しない者にとって、その「天」はいかなる神にも無関係の、「天」であり得るのではないでしょうか。

その国の意味における「天」があるはずです。日本においては、日本古来の意味における天として、森羅万象、すなわちいかなる権力をも凌駕する自然そのものを意味すると理解しても構わないのではないでしょうか。それは崇拝と畏怖の対象であり、人もその一部に過ぎない、人を取り巻く環境の全てであったのです。

その意味は、人類社会のいかなる世俗的・宗教的権力によっても、特に国家によって決して奪われない個人の権利が存在する。そして、憲法を制定し、その範囲を確固としたものとするということです。

天賦人権の思想が、慣習国際法であり、これが日本国憲法に流れ込み体現されているとするのが、恐らく憲法学説や行政解釈の帰結です。国際公序とも言えるでしょうか。

その「天」は、西洋と東洋を架橋する普遍的なものであり得ます。人類社会に所与のものです。

天賦人権の思想の根本的意味をないがしろにしてはならないのです。

今後、改憲論議がなされるとすれば、このことに充分注意する必要があります。

次回は憲法9条の改正について、野党の分裂を憂える立場から考察したいと思います。

憲法改正論議2ー憲法9条2018年03月09日 00:30

日経ビジネスONLINE で、「私の憲法改正論」という特集が掲載されています。多数の人の多様な解釈論や改憲論がよくまとめられておて。大変、興味深いです。

https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/


このブログの筆者は、憲法学者ではありませんので、憲法解釈論に立ち入ることを避けます。法の研究者であるとしても、専門家でない者が、憲法の解釈的議論を行うのは、無責任だからです。

ここでは、私なりに、一般的に、憲法9条をめぐる改正論議について考えてみたいと思います。

1、個別的自衛権と集団的自衛権の境いめ
安全保障についても、専門家とは言えませんが、個別的自衛権と集団的自衛権との間に、日本が実際何ができて、何をしてはならないのか、曖昧でよく分からない点があります。

自衛隊法76条の条文を次に掲げます。

「第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、・・・国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」

(なお、内閣府「平和安全法制等の整備について資料」参照 2018/03/08現在)
http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/housei_seibi.html

(武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(武力事態対処法)2条3号 「武力攻撃予測事態」の定義も参照。)

自衛隊法1項2号が集団的自衛権の行使を可能とする明文規定です。改正当時、反安保運動が全国的に展開されましたが、その際に、野党や市民運動が特にこの規定に反対しました。

日本が攻撃され、あるいは危険が切迫しているときに、日本が「武力」を行使して、防衛する場合が、個別自衛権の発動です。

日本の同盟国が攻撃されたときに、その救援のために、相手国軍に攻撃を加えるとすると、これが集団的自衛権です。

例えば、実際に北朝鮮からの攻撃があった場合に、日米安保条約に基づき、米軍が在日基地から発動したとすると、日本の自衛隊が全く独自に行動するべきでしょうか。当然、共同の軍事行動を行うでしょう。

交戦状態となったとして、日米の艦船が北朝鮮の潜水艦に対抗するために、日本海(公海)に共同戦線を展開するとして、これもあり得るのではないでしょうか。

この場合、日本は日本の防衛のために個別的自衛権を行使するのであり、アメリカは日本のために集団的自衛権を行使します。

それでは、日本海(公海)において、米国艦船が攻撃を受けたり、いずれの領空にも属さない空域で、米国の戦闘機の隊列が攻撃されていた場合に、自衛隊が米軍を救援するために発動するとしたら、日本が集団的自衛権を行使したことになりそうです。

実は、維新の党は、現行自衛隊法76条に規定されている、存立危機事態を「武力攻撃危機事態」に変えた修正案を提出していました。

次の通りです。
「条約に基づきわが国周辺の地域においてわが国の防衛のために活動している外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険があると認められるに至った事態」と定義したのです。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/15/security-law-wakariyasuku_n_7806570.html

「わが国の防衛のために活動している外国の軍隊」に対する攻撃であり、「これにより」わが国に対する攻撃の危険が切迫している場合であれば、76条1項1号を拡張しつつ、個別自衛権の行使の範囲内であるという解釈も可能かもしれません。実際に、維新の党はそのように主張していたようです。

外国の軍隊に対する攻撃であっても、日本の防衛のためにのみ、自衛隊が出動するからです。

しかし、この維新の案も受け入れず、より包括的な文言の現行規定(2号)に改正したのです。

外国の軍隊が攻撃されて、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」というのは、どのような場合でしょうか。

グアムや、あるいは北太平洋上に展開するアメリカ国籍の船舶(軍隊とは限りません)が攻撃されたので、日本が攻撃される恐れがあると、政府が判断したら、この規定を根拠に自衛隊が出動することもあり得るでしょう? 日本から遠く離れた所へ、その国と共に戦うために、日本の軍隊が出動するのです。

このことは十分文言の範囲内と言えます。まさに集団的自衛権を行使するのです。

集団的自衛権の行使が日本にも認められるとする議論では、国連憲章51条が引用されることが多いです。

国連憲章 第51条
「・・国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。・・」

実は、国連憲章によると、安全保障理事会が、ある国の「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為」を認定する権限を有し、経済制裁などの方法を行う権限(41条)と、兵力を用いた措置をとることを決定する権限を有することになっています。この決定に対して、全ての国連加盟国が協力する義務を負います。

従って、破壊行為・侵略行為があれば、国連軍が救済に来てくれるはずなのですが、それでは間に合わない、大きな犠牲を生じる場合が考えられます。従って、それまでの間、自分で防衛する国の権利を先の51条が認めているのです。個別的自衛権と集団的自衛権の双方を認めています。

安全保障上の、兵力を行使できる同盟関係を結び、その国とお互いに共同して、他国からの攻撃に対して防衛することもできることになります。

従って、国際法上、日本にも集団的自衛権が認められるということになります。各国家の固有の権利とされています。

しかし、ここで、権利があるというのと、義務があるということの相違を確認する必要があります。権利があるので、そういうことができるとしても、必ずそのことを行わなければならない義務づけがある訳ではありません。

ある国が、個別的自衛権のみを行使するが、集団的自衛権は不要であると決定することは、さらさら自由であるということです。その国の憲法で、そのように決めておくことができます。

日本国憲法9条は、どのような内容なのでしょうか?

国内法と国際法の関係について述べた後で、再度、取り上げます。

2、国際救助隊

国際平和協力法(PKO法)と国際平和支援法は、
日本の自衛隊が国連決議等に基づいて、外国における平和維持やその支援のために、最小限の武力行使を認めつつ、外国領域に出動できることを規定する法律です。

日本の「軍隊」が、その国の平和のために、戦争に苦しむその国の人々のために、ほとんど武器も持たずに井戸を掘りに行くことが、どれほど素晴らしいことでしょうか。

内戦や虐殺で苦しむ人々が世界に救いを求めるなら、国際共同活動のための厳密な要件の下に、他の国々の人々と共に、手を差し伸べる活動を行うことは許されるでしょう。

大きな災害救助のために、危険な地域に出動することもあり得ると考えられます。戦争だけでなく、無政府状態に陥った国での活動は、生命の危険に晒される恐れもあるでしょう。

そのような他の国々との協力は、国際における、必要不可欠のいわばご近所付き合いであるとも考えられます。金持ちの国が、金だけではなく、人手も出すのでなければ、他の国に疎まれます。

日本は、その素晴らしい活動を過去においても十分行って来たし、これからもその役割を果たしていくはずです。

サンダーバードという人形劇がありましたね。そのような国際救助隊としての、自衛隊の機能が益々発展していくことがあり得るように思えます。どこかの国で誰かが救いを求めていたら、どの国よりも早く、世界中に、武力を使うのではなく、最新の技術・技能を用いて、誰も傷つけることが無く、その命を救うことができるのです。SFのお話ですか?

3、国内法と国際法の関係

国際法という法が存在するかについて議論があります。国際社会に「法」など存在しないという見解もあるのです。有名なのは、アメリカの国際政治学における、国際的リアリズムの立場です。

国際共同体は、政治力学でのみ動く社会であるとするのです。

わが国やヨーロッパの国々の大多数の学説は、国際「法」の存在を肯定します。

条約というのは国際法の一種ですが、国と国との契約になぞらえて、約束は守られねばならないという基本的な規範的観念に支えられて遵守されると考えられます。もっとも、国と国との約束も、過去に、最近に至るまで、容易に反故にされた歴史が有りましたよね。(^_-)
わが国が反故にした例を含めて。

国際社会にも法は存在すると、筆者も考えます。書かれた法としての条約があり、明文規定をテキストとして、これを解釈する営みが日常的に行われます。条文テキストと、起草過程での議論・資料、条約の趣旨・目的に照らして、条約解釈のための条約もあるのですが、その解釈が国家実行として行われます。ある国の政府・機関がその条約の履行として行った活動、宣言などです。通常、西欧法的論理を用いた理由付けを伴う法の解釈です。

条約が国家実行を生み、国家実行が条約の解釈として定着すると、これが更にルール化するという、フィードバックの連続過程として、国際「法」というのも動態的に理解できると考えています。多くの国の解釈実践も、新たな事象を生じると、各国の国家実行がバラバラになって、ルールとして不安定な状態となりますが、これが再度、異なるルールへと収斂することもあり得ます。

前置きが長くなりましたが、国内法と国際法の関係について、一元論と二元論の争いがあります。

国際法一元論は、法の効力関係のヒエラルキーの頂点として、国際法があり、国際法による授権によって、国内法が効力を与えられるとします。一国内の法秩序においては、憲法を頂点とした法の優先劣後のヒエラルキーがあると考えられています。憲法に反した通常の法律は無効となります。法律は憲法によって法としての効力を与えられるからです。国際法優位の一元論というのは、単純に言うと、国内法における憲法を頂点とした効力関係と同様に解するのです。憲法の更に上位の規範が、国際法であるので、国際法に反する国内法(=憲法)は効力を否定されるとします。

国内法優位の一元論は、憲法学説の通説です。
国際法に対して憲法が優先すると解します。その重要な理由づけは次のものです。条約はある国の政府機関と他国の政府機関が署名し、その国の議会の批准などの各々の国の承認により、成立します。条約として成立すると、それぞれの国の領域内で、法としての効力を有するに至ります。わが国では、国会の批准が必要となるのですが、条約の批准というのは、国会議員の単純多数で足ります。従って、国際法優位であるとすると、例えば、憲法9条に反する内容の日米安保条約が成立すると、これが憲法に優先しますので、憲法9条が改正されることになるのです。これでは、国会議員の3分の2以上の発議により、国民投票による必要があるはずの憲法改正が、国会議員の単純多数で容易になされることになってしまい、おかしいからです。

現在の国際法学説の多数が、二元論によっていると考えられます。簡単に言うと、国内法が国内の場で、国際法が国際の場で、それぞれ至高の存在であるとするものです。

国際法に違反するある国の行為も、その国の領域の中では、その国の政府や裁判所が合法であるとする限り、合法であると言う他無いからです。国際法に反するからといって、その国の中では、その国家の行為が無効になるわけではなく、完全に合法・有効です。

しかし、国際社会では、国際法違反であると、その国の国家責任を生じることになり、国際的な非難を浴びるし、場合によると、国連などを通じて世界の諸国から何らかの制裁を受けることもあり得ます。

国内法が国内の場で、国際法が国際の場で、それぞれ至高の存在であると解するのが、最も国際社会の現実に則していると思います。

もし仮に、国連憲章で集団的自衛権を保有することが、法的な義務であるとすると、これを保持しないことが、国際法違反となります。しかし、そうではありません。国際法は、そういう国の権利を認めるので、集団的自衛権を保有するとする国があっても、これを違法とはしないというに過ぎません。

従って、第一に、国連憲章の存在により、わが国の憲法9条の解釈がストレートに決定されるものでは決してありません。第二に、国連憲章は、集団的自衛権の「権利」を認めるが、これを保持しないとしても、このことに国際法は関知しません。

要するに、わが国の憲法をどう解釈し、どのように改正するかという問題に帰着します。

あんなに明確に規定されている憲法9条の条文を、それこそ、中学生が読んでも分かる文言を、国民の生命・自由、幸福追求権(13条)や、国際協調主義・国際協力義務などという抽象的でごく一般的規定や規範内容によって、異なる意味に解釈してしまうというのは、何とも筋の悪い解釈論(へ理屈)であると言わざるを得ません。

但し、筆者の主張は、このことを直裁に国民に問え!というものです。

4、憲法裁判所の必要

憲法9条の同じ条文の下で、日本は兵力・軍隊を持つことができないという解釈から、自衛隊を保有しつつ、それを戦力とは呼ばないというおかしな形式論に至り、憲法上、個別的自衛権のみを行使できるとした解釈が行われていたのですが、遂に、集団的自衛権を行使できるとされるようになったのです。これが政府解釈の変遷です。

憲法学説を単純化すると、自衛隊違憲説が圧倒的通説であった時代もあったのですが、やがて自衛隊は違憲であるが合法的存在であるという違憲合法説が有力化したり、今では、解釈によって改憲されたとする解釈改憲説や端的に合憲とする学説が有力になりつつあるようです。解釈論としては集団的自衛権の行使を否定するのが多数説です。

野党の解釈もその時代の憲法学説に準じているように見えます。

憲法9条というのは、どのような内容なのでしょう。政府の解釈、各政党の解釈、憲法学者の解釈、政治学者の解釈、評論家の解釈 etc.日本の社会には実に多様な解釈が主張されています。

ところが、憲法9条と自衛隊に関して、裁判所の解釈が存在しません? あると言えるかもしれません。統治行為論というのがそれです。高度に政治的な問題であるので、裁判所は何も決められないというものです。

政治部門に委ねる。

結局、自衛隊法の改正は、政府と、与党という国会議員によって、達成されました。国会の単純多数で決められるということなのです。

このような社会に並立する様々な憲法解釈論と、社会的な混乱の中で、裁判所による有効な解釈がなされず、結局、政府解釈が有権的で最終的な憲法解釈とされるということになっています。

政府解釈が有権的最終的な憲法解釈!???

政府が憲法をどうにでもできるのですか?

憲法が、国家権力の最たるものである政府を拘束するものであるとするのが、立憲主義だったはずです。

司法消極に過ぎるではありませんか!

裁判所が政治を忖度するとは、三権分流がないがしろにされている、どこかの国みたいですね。

既存の裁判所ができないのなら、憲法裁判所を作るしか無いのではないでしょうか。

5、まとめ

そこで、筆者の主張をまとめると次のようになります。

個別的自衛権と集団的自衛権の境いめを明確にして、どのような場合に、何ができるかを、憲法に書き込むべきである。

このことについて、政治家が嘘偽りなく、分かりやすく、明白に主張し、直裁に、国民に問うべきである。

国民的議論を巻き起こして、その結果として、憲法の規定が確定されたら、その憲法はどうしても守らないといけない。

そのために、既存の裁判所にはできないのだから、憲法裁判所を設置するべきだ。そのための憲法改正も必要である。

大震災のトモダチ作戦と安全保障2018年03月12日 00:31

少し暖かくなって来ました。もうすぐ、沈丁花が香るでしょう。待ち遠しいですね。暖かくなったら、奥道後の露天風呂に行こうと、今から楽しみです。自転車で20分ほど走って、山道を登ると、全国的にも有名な奥道後の温泉に着きます。古い日本映画に、森繁久弥の社長シリーズという喜劇映画の連作があります。渥美清の寅さんシリーズがよく知られていますが、この映画も日本各地を舞台にしていました。その中の一作に、奥道後の露天風呂が出てきます。里山を背景にして、直ぐ側に小川が流れる、広々とした露天風呂に、白い湯気と硫黄の匂いが立ち込めています。秋には、山肌の紅葉がきれいで、前述の映画も、この季節の様子をとらえたものでした。春の優しい木々の色合いも良いものです。

ところで、この週末は出張です。大体、毎週末、更新しているのですが、一回お休みします。

1、トモダチ作戦

トモダチ作戦―米兵はシャワーすら浴びなかった
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20150306/278346/
(日経ビジネス2015年3月10日の記事)

トモダチ作戦とは、東日本大震災でアメリカ軍が日本救済のために発動した一連のプログラムのことです。上の記事は、当時の自衛隊一等陸佐 笠松誠氏のインタビューを掲載したものです。次に、要点をまとめてみます。

2011年3月11日の東日本大震災のとき、被災地であらゆるものが壊れ、物流も機能せず、陸路では救援物資も被災者の下に届けられませんでした。空路だけが頼りだっときに、米軍が駆けつけて、仙台空港を迅速に復旧することができました。わずか1カ月で民間航空機の離着陸が可能となりました。同氏は、空港が「海に死んだかのように冠水し、悲惨な状況を呈していた」空港を見て、復旧に半年はかかると考えたそうです。

しかし、米軍が、空港のないところに空港を造る特殊作戦のエキスパートであり、臨時の航空管制機能を設置する技術を有している専門部隊を派遣してくれ、海兵隊は保有する重機を使って、重労働に従事したといいます。シャワーもかぶらず、髭も剃らないで、働いたそうです。

事実上の日米安保条約発動と言われた。

というのは、米軍が、直ちに1万6000人の人員と約20隻の艦艇、約40機の航空機を動員したからです。

自衛隊による国際緊急援助活動隊の派遣は、中米のホンジュラスが1998年にハリケーンに襲われたときに始まり、その後、2005年パキスタン大地震、2010年、ハイチでの国際緊急援助の活動へと継続しました。そして、2013年にフィリピンを襲った台風に対しては、自衛隊と米軍が緊密に協力したそうです。

同氏は、このような日米の人道支援、災害救助活動の枠組みがアジア太平洋地域における、多国間協力の枠組みに発展しつつあることを説明しています。フィリピンの多国間調整所に参加したのが、フィリピンのほか、日本、アメリカ、オーストラリア、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、韓国、英国、スペイン、カナダ、イスラエルでした。

まさに国際救助隊の面目躍如です。多国間の協力体制が構築されるなら、日本がその中心的役割を果たすべきであるようにも思われます。

しかし、同氏は、次のように言います。中国の台頭を受けて、災害対策を通じて築いた多国間調整メカニズムが有事の際に役立つという意味で、アジアでの多国間安全保障体制に通じる可能性がある、と。

同氏のインタビュー全体を通じて、どうも、中国とロシアが仮想敵国として想定されているようです。災害時に、これらの国々に、日本やアジアの第三国が付け込まれないように、日米の「軍隊」の強固な関係を示すという観点、更に、これらの国々を仮想敵として想定した?、将来的な多国間安全保障体制の構築が目標であるようにも感じられます。NATOのような米国を中心とした軍事同盟が目指されるのでしょうか。そのとき、日本は、まさに集団的防衛権を「行使できる」のかもしれません。

2、安全保障

日本にとって、安全保障とは何でしょうか。

仮想敵は、北朝鮮でしょうか? それともロシア? 政府の安全保障の専門家が、恐らく最も心配しているのは中国なのでしょうね。テロとの戦いもあり得ますが、ここではチョット棚上げして論じたいと思います。

北朝鮮への心配は何でしょうか? このところ新聞・テレビを賑わしているのは、トランプ大統領と金正恩(キム・ジョンウン)委員長との会談のニュースです。非核化の見返りが北朝鮮の現体制存続の保証です。実現されるなら、大歓迎です。

勝手な予想ですが、日本の頭越しに、非核化がうやむやなまま、トランプ氏の振り上げた拳が下され、この地域の緊張緩和と一定の安定がもたらされる可能性もあります。

アメリカが日本の頭越しに何かをするということは、過去にも度々あったことです。1972年のニクソン訪中もそうでした。それまでアメリカに追従して中国に対する敵視政策を採ってきた日本にとって、寝耳に水でした。何の相談にも与らなかったのです。歴史は繰り返す(可能性がある)。

そうなると、安倍首相がトランプ大統領の横で振り上げていた拳は、どこに下ろせば良いのでしょう。ソウルが火の海に包まれるぐらいなら、そのような合意を、韓国は歓迎するでしょう。日本も、とにかく核弾頭なりが飛んで来ないなら良いのかもしれません。

日本からすれば、北朝鮮への心配は、そのような飛び道具だけでしょう。北の艦隊や航空機が日本攻撃のためにやって来るとか、まして、陸軍が上陸するなんて、ちょっと考えただけでもあり得ないことでしょう。北朝鮮からすれば、日本に攻撃するべき事態というのは、その前に韓国との戦争に発展しているに違いないからです。その国力からしても、朝鮮半島での対応で精一杯です。

飛び道具だけだとすれば、実戦の備えとしては、可能ならミサイルの迎撃態勢を整えることで十分ですし、それ以外に有効な対策は無いでしょう。北朝鮮のミサイル発射基地を先に破壊することが実際には不可能だと考えられているからです。

やはり、仮想敵は、第一に中国であり、ロシアでしょう。

日本の安全保障? この言葉に少々違和感を感じます。むしろ、アメリカの安全保障ないし世界戦略があり、その中に日本も入っているというのが正確ではないでしょうか。

安全保障というのは、突き詰めると、有事に備えて、あるいはその抑止のために、どのような軍事力をどのぐらい、世界地図の上のどこに置くかという机上の計算です。スマホ用のゲームにも戦争ゲームがあるでしょう? 地図の上に、もらったり買ったりした武器と兵力を置いておいて、攻撃したり、防御したり、その攻撃力と防御力の総計と、そのときの作戦で、勝敗が決まりますね。

日本が、アメリカにとって、対中国、対ロシアの最前線基地の一つとして機能しているのは間違いないことです。アメリカからすれば、アメリカがキーパッドを叩いているゲーマーであるとすれば、日本はそのゲームの主人公である「アメリカ」に協力している棋盤上の駒としての存在でしょう。アジア太平洋地域において、グアム、ハワイやその他の米軍基地と同様に、中国と海を隔てて向き合う日本の領域に、沖縄や横須賀等々の基地があり、米軍の艦隊、戦闘機や海兵隊の兵力を展開しているのです。

日本に軍事力の保持を求めたのが、他ならぬアメリカです。第二次世界大戦の終結に伴い、日本を武装解除したアメリカです。日本に駐留する米軍だけではなく、日本自身にその金と人員で軍備を整えさせるなら、その分、金の面でも人の面でも、アメリカが助かります。この地域に切れ目なく、軍隊を置いて、アメリカにとっての前線を拡張できるのです。

冷戦が終結した今、何に対して、そんなに安全保障が必要なんでしょう? 相変わらず、中国とロシアではないですか?

日本とすれば、このことを重々承知の上で、そのゲームに参加せざるを得ません。

今直ちに、アメリカの陣営を去ってどうすれば良いか見当が付かないからです。中国が台頭するのであれば、その下に参じることも選択肢の一つかもしれません。しかし、言論の自由を封殺し、三権分流の建前さえ怪しい、一党独裁国家であり、民主制を理解していない中華思想の国というのでは、やはり信用できません。アメリカなら、民主制を取る国として日本を建前上尊重してくれていますが、中国がどのような朝貢を日本に求めるか分かりません。

ところで、トランプ大統領も、安全保障を理由とした関税引き揚げをちらつかせながら、貿易戦争を仕掛けてくるようですね。日本はこれを回避するための貢物を用意しないといけないみたいです。しかし、少なくともアメリカは、法の論理を忘れません。WTOという多国間条約としての国際法があるから、これを無視する訳にはいかないのです。WTO協定の文言に則った、論理的説明を欠かせません。場合によると、WTOの紛争解決手続きによって、いわば「裁判」に訴えることもできるのです。

このような法の論理を理解しているという枠組みが重要です。国際社会にも、その国の中にも、法と正義を!です。実は、英語以上に、世界の共通言語として、法が存在します。法の言葉は、国境を超えて通用します。

もっとも、中国も自由貿易が経済力の源泉ですから、この貿易戦争では、中国が日本の同盟国として、WTO協定の下に、ともにアメリカと戦うということになりそうです。どの位、戦えるかは知りませんが。

中国の問題としては、国内の人権侵害こそが重要です。
ロシアは? ・・・ご同様。 クリミア併合を考えてもあまり信用の置ける国ではありません。

とういうことで、中国とロシアを隣国に持つ日本が、この両国とアメリカとに挟まれていて、少なくとも現在は、アメリカを選ばざるを得ません。前のブログでも述べたように、仮に日本が中国と緊密な関係に至ったとして、アメリカと敵対するなど、夢にも考えたくありません。世界で最も怖い国だからです。

もし、日米の「軍事」同盟が、アジア太平洋地域における多国間の集団安全保障の枠組みに発展するとすると、現在のNATOとロシアの関係のように、その多国間の安全保障体制が中国と対峙するということになるのでしょうか?

アメリカも、中国も、ロシアも核兵器を保有しています。北朝鮮と異なり、いつでも正確に攻撃できるでしょう。通常兵器による攻撃も十分予想できます。

この地域において、中国がある国と領土紛争を引き起こしたとすると、日本は、その国のために、アメリカと協力して「自衛」隊を派遣するべきなのでしょうか?

現在日本で行われている集団的自衛権の議論がまだそうなっていないことは、前回のブログで述べました。しかし、上のような展開が将来的にはあり得るのです。このことを、国民は望んでいるのでしょうか。

ここでゆっくりと考える必要がありそうです。

日本がただアメリカのゲームの駒に過ぎない存在ではなく、自主的に「安全」の保障を考えて行くためにです。安全保障は、単に、軍事力だけの問題ではありません。

アメリカの核の傘に守られざるを得ず、アメリカの構築する安全保障体制に参加しながら、自由貿易主義においてのみその経済力を維持できる国が、日本です。世界中の国々と仲良くしていくしか、生き残る術はありません。この限界を意識しつつ、しかし、どのように平和であり得るのでしょうか。

北朝鮮の話に戻りますが、北朝鮮に対して最も有効な防御策は、外交戦略です。北朝鮮が心配しているのは、米国により、現体制が崩壊させられることであり、米韓の軍事同盟でしょう。世界で孤立する北朝鮮にとって、中国だけが頼みの綱です。中国が背後にあるからこそ、アメリカもおいそれとは北朝鮮の殲滅作戦には出られない。経済的にも中国が命綱です。

従って、もし日本が中国の第一の友好国であったとしたら、北朝鮮は、中国の顔色を窺いながら、日本への攻撃を断念せざるを得ません。もっとも、先に述べた日本の限界を考慮する必要はあります。

オトモダチ作戦は、いつでもとても有効です。

外交の基本がアメとムチであるとすれば、日本がこれをどのように組み立てられるでしょう。

権威。軍事力。金。

日本が持っているものはどれでしょう。一番が金ですね。日本の「軍事力」=自衛隊は、実戦経験のない、もともとそれ自体が抑止力でしかありません。

そこでムチは? 軍事的攻撃を行わないで、ムチを振るうために、経済制裁がありました。これはとても有効だったようです。あるいは友好な関係にある場合の経済援助があるとすれば、その打ち切りです。アメが無ければ、ムチが効きません。

アメは? 経済援助です。あるいは、まず、
孤立している相手に、胸襟を開く優しい言葉でしょう。

やがて、日本が、国際的な「権威」を獲得するまで。あるいはこの地域に、除け者の居ない「良い」国際的共同体が形成できるまで。

立ち止まって、ゆっくり考えましょう。

貿易戦争ー宣戦布告されたよ2018年03月25日 01:57

1、アメリカとの貿易戦争

第二次世界大戦は、日本がアメリカ及びイギリスを中心とする連合国と争った戦争です。実際に兵器を用いた殺戮の応酬により、多大な犠牲を、人の命と経済にもたらした絶望的な争いでした。

終戦は、アメリカによる占領と同盟国への組み入れにより、その後の日本に安定と繁栄をもたらしましたね。

当初は、アジア太平洋地域の戦略的核心の一つとして、良い子である日本を可愛がっていたアメリカは、様々ないわば特恵を日本に与えてくれたのです。戦争による荒廃が、日本にとって、発展途上国としての再出発を余儀なくしたのでした。

アメリカの、核の傘を初めとする武力及び経済的な庇護の下で、日本が2回目の高度経済成長を遂げました。

そして、いよいよ経済力を伸張させてきた日本が、アメリカを脅かす存在となったのです。それまで、「よしよし良い子だ」と優等生を大目に見ていてくれたアメリカでしたが、ここに来て、そう甘い顔をみせていることもできなくったのです。

かくて、日本は主としてアメリカと、貿易戦争を繰り返してきたのです。

繊維製品、白黒テレビ、カラーテレビ、鉄鋼製品、自動車、半導体と、日本の経済成長と共にその戦争は激化してゆきました。

2、保護貿易主義

途上国が経済成長するために、国内産業を保護する政策による富国(強兵)政策を採ることが普通でしょう?

国内産業を保護するためには、まず外国製品の輸入を制限して、国内の同等の産品を生産する産業を育成することを考えます。良質で安価な外国製品があれば、その国の企業や人々が国産品を買う必要がないからです。

日本も、戦後、幼稚産業としての電器製品や自動車などの製造業を国内で育成し、更に、国外で、外国企業と競争できるようにしたのです。

十分な経済発展を遂げるまで、国内産業を保護する輸入制限が継続します。第一に、数量制限や関税によって、外国産品が国内に輸入されることを回避するのです。高関税は、国内消費にとって、輸入産品の値段を上げることになるので、国産品が保護されるからです。

国産品の国内における流通に関して、行政「指導」して系列化を進め、外国産品を閉め出すことや、その他の法令によって、関税によらない貿易障壁を設けることも有り得るでしょう。

他方で、政府補助金によって、産業を振興することは当然として、輸出補助金により、輸出を奨励することも有り得ることですし、政府主導で国内企業による輸出同盟を結成させることもあります。

このようにして、国内産を保護しつつ、輸出を拡大するという国家政策が採られ、各国がその産業を、特に、第2次産業を成長させてきたわけです。

しかし、これでは各国の経済成長に限界が生じてしまいます。世界全体としての経済成長が、諸国の産業を発展させ、人々を豊にするためには、それぞれの国が保護貿易主義に走ることなく、自由競争の下で、自由貿易主義によるべきだとする考え方が主流となりました。このあたりは経済学の問題ですので、その専門家に聞いて下さい。

3、ブレトンウッズ体制と自由貿易主義

第二次世界大戦後の、国土の荒廃を目にした人々が、二度と、そのような戦争が起こらないように、戦争がない平和な世界で繁栄を享受するために、ブレトンウッズ体制によって、世界の経済体制を出発させたのです。

第二次世界大戦が、世界大恐慌とブロック経済によってもたらされたといのが定説です。少なくとも重要な要因です。

植民地を多く有する西欧列強がその中で関税を無くし、対外的に高関税を掛け、為替制限を行って、比較的早く立ち直りました。アメリカは、広大な領土と資源、そしてその自国市場に恵まれて、自分の国だけでやっていける国です。

日本、ドイツ、イタリアの、遅れて来た国々がブロック経済からはじかれて、経済的苦境に陥ったのです。そのために、海外領土を求めて侵略戦争に至ってしまったとするのです。

これが終結して、ブレトンウッズ体制が確立されました。

ブレトンウッズ体制とは、IMFを設立して国家の為替政策を安定させると共に、GATTによって自由貿易主義を確立させることです。

各国間のモノの交易を盛んにさせることで、交易に関わる人々が儲かること、すなわち国が儲かることが、世界中の諸国民の繁栄に通じるからです。

支払いが滞りなく行われるためには、それぞれの国が為替制限によって、カネの流れに過剰な制限をかけないようにすることが必要です。モノの売り買いをスムーズにするためには、各国が、恣意的な輸入制限を行わないようにする必要があります。前者の役割をIMFが担います。後者は、GATTが担当します。

ここで、ちょっと注意が必要です。もう充分発展した国=先進国にとっては、自由競争によって、自国の優秀な製品を外国に売ることによって、経済発展が可能でしょう。そこで、自由貿易主義を徹底する国際法を歓迎するのです。

しかし、途上国からすれば、自国産業の育成こそ優先されると考えるはずです。かつては、保護貿易によって、産業を発展させた国々であったはずの国が随分勝手なことを言っていると思うでしょう。

そこで、このような南北問題が国際経済法という国際法分野において、様々な形で問題化し、従来より議論されてきたのであり、充分解決されてはいません。

途上国だけの国際法が指向されることもありますが、GATT・WTOのような国際経済体制のいわば憲法においては、相互に反対方向に向かいかねない一般的で多様な指標の下で、原則と例外の基準があるので、どのような場合に例外則が切り出されるかという形で、先進国と途上国が争うことが多いです。

現在、WTOの次の交渉が頓挫しているのも、先進国と新興国及び途上国の、三つ巴の争いが容易に解決しないからです。

いずれにせよ、GATT・WTOは、輸入数量制限の禁止、関税の低減、輸出補助金の禁止等を規定し、非関税障壁の撤廃を目指すものとなっています。

4、貿易戦争と法

戦後、GATTが成立し、1995年にWTOが発足しました。この間に、GATTの下で、先に述べた日米貿易戦争が遂行されたのです。

アメリカは「法」の国です。この戦争も法を巡る争いの形をとります。まず、アメリカの国内通商法が適用され、「不公正」貿易を行う国に、アメリカの制裁としての対抗措置が採られるのです。アメリカが一方的に関税を引き上げたりします。

日本にとって、最大の市場=お客さんであるアメリカを失う訳にはいかないので、日本の政府・産業界が必死に抵抗するのです。

USTRなどの行政機関の認定や、裁判所による国内通商法の適用を巡る争いという、アメリカ国内法上の争いと並行して、日米の政府・産業界の交渉が行われ、日本の政府あるい産業界とアメリカ政府あるいは産業界との協定が結ばれることになりました。輸出自主規制がそれです。

GATTは、各国政府が何らかの措置を採ることを禁止するとしても、民間である産業界が「自主的に」輸出を制限することを禁止していないのですが、これが限りなく、GATTの禁止する輸入制限に近いとも考えられるので、灰色措置と呼ばれることがあります。

自動車や半導体は、世界市場において、かつてアメリカの独壇場であった産業です。ところが、日本の製品が世界市場に、特に、アメリカ市場に流れ込み、アメリカの産業界が悲鳴を上げたのです。そこで、日本側が自主規制を強いられることとなりました。

日本からは、その企業努力により、優秀な製品を安価に供給した結果であるとしても、アメリカからは、世界に冠たるアメリカ企業が競争に負けることに合点がいかない。日本が何らかの不公正を行っているに違いないと考えるという構図で争われることが一般的です。

WTOは、一方的措置による恫喝によって、国際的紛争を解決しようとするアメリカのような態度を問題視して、灰色措置を禁止しました。国際法として、これを禁じたのです。

アメリカの国内通商法による「不公正」貿易の認定に基づき対抗措置を採るという手続を、WTOという国際法の中に取り込んだのです。そして、これからは、国際的フォーラムにおいて、国際法に基づき不公正貿易の認定と対抗措置の承認を行うという、双方主義によることにして、一方的措置を行えないことにしたのです。

それ以前のGATTの下での貿易交渉が、外交的解決であったとすると、今後は、法に基づき、いわば中立的な裁判による、司法的解決に移行するという意図を有するのです。

外交的解決なら、大きな市場と経済力を有する強者が常に勝つけれど、司法的解決なら、小国が大国を負かすことも、法の適用である以上、可能となります。

まさに国際法の発展の顕著な事例だと言えます。

アメリカの通商法301条の国内手続が、WTO成立後も存続していることが、WTOの紛争解決機関で争われたことがあります。

このときに、アメリカは、国内通商法をWTOに整合的にのみ運用すると約束し、それ以後、一方的な301条手続を発動していません。

ところが、トランプ大統領がどうやらこれを復活させようとしている様です。

日本が関係する、鉄鋼製品やアルミニウムの輸入制限は、GATT・WTO上存在する安全保障の例外条項を使って行うということですので、不公正貿易の一方的手続とは異なります。しかし、トランプ大統領は、安倍首相を名指しして、日本にもう騙されないと言っているそうです。対日貿易赤字をあからさまに問題視しているので、安全保障というのは、ほんの形式的理由付けに過ぎません。

中国に対しては、知的財産権を侵害する不公正慣行を有する国として、国内通商法に基づく制裁の一方的発動を決めました。

宣戦布告だぁぁぁー! (>_<)

次回、この問題をもう一度取り上げます。

貿易戦争-宣戦布告されたよ22018年03月30日 16:07

暖かいですね。全国的に暖かいようです。
東京の桜と大阪の桜が同時に満開となり、気づいたら木蓮が散り始めていました。近くの桜の名所に花見に行ったら、その桜の傍らに沈丁花が咲いていました。

なんだか不気味ではありませんか?

さて、

戦前の経済ナショナリズムと保護貿易主義が、ブロック経済を招き、第二次世界大戦を準備したこと、

その反省を踏まえて、戦後の世界経済体制を、自由貿易主義によらしめるためIMF協定及びGATTからなるブレトンウッズ体制が構築されたことを、前回のブログで述べました。

1947年成立したGATTは、自由貿易主義を根本理念として、①関税その他の貿易障壁の削減、及び②貿易における差別待遇の禁止を掲げています。

1,多角的貿易交渉と関税その他の貿易障壁の削減

①に関しては、まず、輸出入の数量制限の原則的禁止が挙げられます。例えば、コメは、わが国が長く禁輸政策を採ってきたのですが、WTOの下で、数量制限=禁輸が認められなくなりました。その代わり、途方もない高関税で、わが国の稲作農業を守っています。

また、GATTの下で、加盟国による多角的貿易交渉が行われ、鉱工業製品につき、関税の大幅な引き下げが実現しました。その交渉のための国際会議をラウンドと呼びます。

WTO設立協定が成立したのが、1986年から93年にかけて開催されたウルグアイラウンドです。

現在、頓挫しているドーハ開発アジェンダもその一つですが、今回のみラウンドという名称を避けたものです。

その結果、世界の貿易量が目覚ましい拡大を遂げました。

例えば、ケネディラウンド(1964-67)の結果、世界貿易額が63年の1547億ドルから、73年には5743億ドルに、東京ラウンド(1973-79)の結果、1984年に、1兆9154億ドルにまで拡大したという統計もあります。そして、ウルグアイラウンド後、2008年の世界貿易総額が約30兆2346億ドルでした。

経済界が次の貿易交渉の成功を希求している理由も分かります。

しかし、ドーハ開発アジェンダはうまくいっていません。前回述べたように、先進国、新興国、途上国の三つ巴の争いが生じ、特に、先進国であるアメリカと、新興国である中国及びインドとの対立が決定的でした。

そこで、各国が、FTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の締結競争に走ったのです。

2,WTOと、FTAないしEPA

EU(欧州連合)は既存の国家連合として異次元の存在ですが、アメリカ=カナダ=メキシコ間のNAFTA(北米自由貿易協定)はよく知られています。NAFTAは、トランプ大統領が再交渉を開始しました。

ASEANもわが国からなじみの深いものです。

このような多国間協定ではなく、主として関税に焦点を当てた二国間のFTA網を構築しているのが、中国や韓国です。多国間の枠組みを重視するわが国はこのあたりで遅れを取っていたともみえます。

ところで、米韓FTAがわが国とアメリカとのFTAに先んじて締結されていました。トランプ大統領誕生以前にです。この見直しも同大統領が強引に推し進めています。今日のニュースによると、韓国と北朝鮮の会談に際して、米韓FTA交渉が韓国に対する圧力として有効であると言ったようです。韓国がアメリカの意向を無視しないようにするためです。

ソウルが、韓国の人々が、人質になっているのに、貿易交渉すなわちお金の話で恫喝して、手を縛ろうというのでしょうかね。

日本は、出遅れ感のあったFTA締結競争において、TPPで中国に対抗することにしました。日中韓の枠組みと、TPPによるアメリカ主導のアジア太平洋の枠組みとの、選択において、後者を選んだのです。

アメリカが抜けて、TPP11では、威力が半減以下でしょうか。この他、日中韓、インド、ASEAN、オセアニア諸国によるRCEPという枠組みもありますが、それほど進展していません。

中国が、一路一帯政策を推し進めて、新シルクロードの貿易網を構築しようとしてます。日本も、その昔、シルクロードの終点であったのですが、安倍首相が、最近、この一路一帯に加わる意欲を表明したところです。

この地域に中国の経済的覇権が確立される様を手をこまねいて見ている訳にもいかないでしょう。

EPAというのは、関税のみならず、より包括的に経済関係を密接にするための合意を含むものです。例えば、ヒトの移動を自由にするための、外国人労働者の受け入れを含みます。

ところで、このようなFTAやEPAは、ブロック経済を否定するWTO協定の下では、WTOよりも自由貿易主義に適ったものである限りで許容されています。すなわち、関税にしても、WTOで充分引き下げられた上に、更に引き下げる方向にのみ可能とされるのです。

日本は、今後、WTOの枠内で、更にどのような枠組みに参加するべきしょうか。アメリカ・ファーストのトランプ大統領の下で、アメリカが経済ナショナリズムに走って行くとしたら、大変難しい舵取りを迫られます。

3,差別待遇の禁止(上記の②)

WTO・GATT上、最恵国待遇と内国民待遇の原則が規定されています。加盟国が守らなければならない国際法上の義務です。

簡単に言うと、最恵国待遇というのは加盟国間における差別の禁止です。従って、ある国からの輸入品と他国からの輸入品について、関税などの待遇を差別してはならないというものです。

内国民待遇とは、外国からの輸入品と国内産品との間で、国が差別をしてはいけないというものです。

戦後から、1995年に世界貿易機関(WTO)が成立するまでの、GATTの時代にも妥当する原則でした。

この1947年に成立したGATTがWTOに組み込まれて、現在も効力を有しています。その他、WTO諸協定は、アンチ・ダンピング税に関する協定、政府補助金に関する協定、知財保護に関する協定やサービス貿易に関する協定など複数の協定からなります。

4,米国通商法と一方的措置

政治家が国内産業界からの要請に応えるためには、これらの貿易上のルールも反故にされる、ないし少なくとも骨抜きにされることがままありました。

特に、WTO成立以前において、GATTを巡る貿易紛争が政治化していたと言われています。これも前回ブログで述べたように、特に、アメリカが、一方的に関税を引き上げる措置を脅しに使いながら、相手国産業界に輸出自主規制を強いるなどの灰色措置が取られることになります。

悪名の高い通商法301条だけではなく、様々な国内通商法を駆使して、アメリカ政府及び産業界が、高関税の賦課を武器として、輸出国政府・産業界と争うのです。

一例を挙げると、日本製カラーテレビの対米輸出に対する、1960年代末から1980年まで続く一連の抗争があります。

まず、日本製テレビがアメリカにダンピング輸出されているとして、テレビメーカーの団体の申し立てに基づき、米国アンチ・ダンピング法に基づく関税が賦課されました。史上最大のダンピング事件と呼ばれ、20年間ほど争われています。また、日本政府の輸出補助金に相当する補助金があったとして相殺関税の賦課が申し立てられたこともあります。

遂には、セーフガードが発動される寸前まで行きました。これに対しては、日米政府間協定が締結され、日本側が輸出自主規制を呑んだのです。

いずれも、米国産業界の申し立てに基づき、米国政府が国内通商法を根拠にして発動するものです。不公正な政府措置や貿易慣行を有する国であるとする一方的な認定に基づきます。

通商法301条は、相手国の不公正貿易措置に対して、大統領が報復措置(関税引上げなど)を取ることができるようにした当時においてユニークな法でした。

これが1988年に改正されて、厳密に政府機関及び大統領の手を縛るものとなり、GATTの紛争解決手続きを待たずに、アメリカの報復措置を取ることができる、GATTからは違法なものになりました。これがスーパー301条と呼ばれます。ちなみに、トランプ大統領が中国の知財侵害に対する対抗措置を取る根拠となったのが、通商法301条の内、スペシャル301条と呼ばれる法規定です。

1988年包括通商法によるスーパー301条手続きに基づき、1989年には、USTRによる外国の不公正慣行リストが作成されました。日本、インド、ブラジルを問題視しているものです。

日本については、スーパーコンピュータと人工衛星についての、日本の政府による調達が日本企業を優先していたとする政府調達と、日本の木材製品の基準制度が問題であるとしていました。

この手続きは、アメリカ側の巨額の貿易赤字を前提にして、相手国の措置を不公正貿易と決めつけ、貿易上の報復を行うという脅しにより、相手国から譲歩を引き出すものであり、貿易相手国に衝撃を与え、相手国は憤慨するというものでした。この時代は、対日赤字が突出していたのです。

このときは、結局、日米合意が成立し、日本はアメリカの要求の多くを受け入れました。

5,アメリカの一方的措置とWTO

このようなWTO発足以前のGATT時代の教訓から、GATTの規律範囲外であった多様な分野を扱いつつ、もともとアメリカ通商法に範をとった紛争解決手続きを改善することで、アメリカの国内法制度を国際法に取り込みながら、WTOが成立したのです。

その狙いの一つが、アメリカの一方的措置の封じ込めです。

その後も、スーパー301条が温存されています。これが1998年に開始されたWTO紛争解決手続きの主題となりました。

WTOの紛争解決手続きにおいて、WTOのパネルが次のように言っています。

アメリカ大統領が米国議会に対して、この通商法をWTOに整合的にのみ運用すると宣言していたのですが、WTOの紛争解決手続きの審理においても、これをアメリカ政府が正式に確認したので、これをWTO加盟国に対するアメリカの公式の立場であると解釈して、それ故、米国通商法がWTO適合的であると結論しました。

但し、アメリカ政府がこの約束を反故にすることがあれば、以上の判断はもはや有効ではないともしています。

トランプ大統領は、WTOを真っ向から無視するつもりでしょうか?

まさか! と思います。

301条手続きを発動し、WTO紛争解決手続きに違反する形で対抗措置を取るようなことをすれば、明白にWTO違反、すなわち国際法違反となるでしょう。

中国との関係では、中国の知財保護が法を整備しつつも、不明確なところが多く、日本やEU各国も頭の痛い問題です。これを取り上げたという点で、国際的な批判をかわす狙いがあるのかもしれません。

いずれにせよ、国内通商法の積極的な運用による関税引き上げを恫喝の手段として用いる、古い時代のやり方を踏襲するつもりです。

アメリカ・ファーストのトランプ大統領が、アメリカの貿易赤字削減のために、しゃにむに突き進む様子は猛牛の突進を思わせます。とにかく、何かのお土産をあげないといけないのでしょう。だだっ子のようにも見えます。

今のところ、アメリカ国内の鉄や自動車の産業、すなわちその産業界で働く労働者を守る姿勢が顕著ですが、日米FTA交渉での農業分野での譲歩なんかもあり得ます。

このような国内「工場」保護政策がさし当たり雇用を生み出すとしても、真に、アメリカ経済に有用であるかについても疑問があります。この先、トランプ大統領の保護主義政策によってアメリカ経済が傾くとき、アメリカの工場労働者も気づくかもしれません。

それにしても、どうして、トランプ大統領は、アメリカの鉄鋼や自動車などの工場労働者の「雇用」にばかり関心があるのでしょうね?

アメリカという国の経済ナショナリズムの行き着く先は、真っ先に、アメリカ自体の衰退を招くのではありませんか?

そのアメリカと日本はどのように付き合って行きましょうか。(*´Д`)=3ハァ・・・