日米貿易協議 ― 2018年08月24日 19:27
日米貿易協議の初会合が今月10日に終了しました。新聞記事によると、日本がTPPへの復帰を促したのに対して、アメリカは二国間FTAの締結を迫ったことで折り合わず、9月に次回協議を行うことで合意したとのことです。
「貿易促進で一致 9月に次回会合 日米貿易協議が終了」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34079010R10C18A8000000/(日経新聞電子版)
今日は、貿易戦争なり貿易協議と、国際的な通商法ルールの関係について、考えてみます。
1,貿易戦争とWTO
トランプ大統領はWTOの脱退に言及するなど、WTOを無視するかのような対外経済政策を遂行しています。米中貿易戦争のまっただ中ですね。双方の関税引き上げ合戦が、WTO上いかなる根拠の下に正当化されるのか、未だに全く不明です。国際法であるWTOという多国間条約にいずれも加盟しているのに、その法的義務に従わないのを当然のように振る舞うのは、国際法を軽視するにも甚だしい所業です。
国際法は平時国際法と戦時国際法に分類可能です。国際経済法の戦時国際法が発動されるべきなんでしょうかね?(ジョークです。)
もっとも、双方とも国内法上の根拠に基づいた国内的には合法の行為を行政府が行っているには違いありません。しかし、その行為が国際法違反であれば、損害を被る国からWTO提訴が可能となります。
戦争を仕掛けておいて、あるいはその遂行中にも、法廷闘争をその「戦争」の方法の一として取り組むことが充分あるべきでしょう。特に、アメリカは法の国であり、多民族国家アメリカにとって、コミュニケーションの第一歩が対話というより「議論」であり、法を巡る紛争で有り得ます。民族間あるいは人種間で非常に大きな価値観の相違があり、そもそも対話が成立しない可能性があります。法が、ひとまずはその共同体の意思を示すルール集であるので、そのルールの意味解釈と適用を求めて、裁判所を活用する。その論理の争いの方が、どこまでも解決のつかない価値を巡る闘争よりも容易に結論を導くことができ、紛争の当事者がその解決に納得することまでが社会の大まかな合意でありさえすれば、その方が簡便であり、遺恨を残さないからです。
このあたり、腹芸と空気を読む必要のある忖度の得意な日本の「和」の文化とは対照的ですね。
アメリカの対外経済戦争の遂行も国内法上の根拠を有するので、戦争を仕掛けられた場合、国際法に訴えると同時に、アメリカ国内において、アメリカ通商法等の国内法に基づく、法廷闘争を仕掛けることも方法の一つかもしれません。
そもそも、米中の貿易戦争では、いずれの国も表面的には一歩も引かない構えです。経済的覇権を賭けた戦争でしょう。かつて日本がいずれアメリカを抜いて世界一の経済大国になるのではないかなどと、夢想されたバブルの時代がありました。その前後の時代にも、日米の貿易紛争が次々と引き起こされました。その結果、日米構造協議において相互に内政干渉を行い、両国が注文を付け合う指向性を有したのです。そして多角的なWTO体制においては、関税や通商ルールに関して、加盟する国々が互いに内政干渉を行い会う大がかりな仕組みができたと言えます。
トランプ政権がこの国際的潮流に逆行し、時計の針を逆回転させた、WTO以前の状態、すなわち「法」ではなく、むしろ外交交渉による解決を志向していることは憂慮すべきです。ディール=取引は、交渉力の大きな方が常に勝つことのできる、強い者に有利な手法です。
どうやら米国連邦議会選挙の年に、トランプ政権が有権者ないし支持者向けに(ラスターベルト向け(^_^))、経済戦争を鼓舞し、どこまでも戦い抜く姿勢を示して、支持をつなぎ止める作戦に出ているように思われます。
短期的な国家利益を目指すのではなく、国際共同体に属する全ての国の利益が向上する、そのような長期的な利益を指向すること、限られたリソースの中での持続的な発展を目指すというのがWTOの目的であったのです。
2、日米貿易協定と通商ルール
さて、日米貿易協議については、次のブログが目に留まりました。
細川昌彦「「米欧休戦」から読む、日米貿易協議の行方―TPPベースの「日米EPA」を目指せ」
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/062500226/073000003/?P=1(日経ビジネス・オンライン)
トランプ政権があくまでも日米FTA締結に固執するとすれば、やがては日本がその点の譲歩を迫られることでしょう。TPPに復帰してくれるとは思えません。結局二国間の協定に留まるのなら、関税の引き下げとモノの輸入拡大に止まるFTAではなく、米国が加入していたときのTPPの水準と内容で、投資、知財や競争政策などの通商ルールを含めて、EPAを締結すべきだとする主張です。
この筆者も同感です。
また、米欧貿易戦争は一応終息したのですが、前述のブログは、米国からする自動車関税の追加関税発動は、脅しのツールに過ぎず、本丸は農業であり、日米貿易協議にも応用可能であるとしています。
3,日米農業交渉と農産品の自由化
トランプ政権が、高関税で保護されている農業分野で、日本に譲歩を迫ることは必定です。牛肉に関する更なる自由化が求められているという報道があります。
日米の農業交渉について、少し時代を遡り、前史をみることにしましょう。
牛肉・オレンジの自由化を巡る日米の貿易交渉は、少なくとも1971年に遡ります。その後、GATTウルグアイラウンド(1986~1994)の交渉を経て、1991年以降、自由化されています。
更に、1993年にはアメリカ産リンゴが自由化されました。リンゴについて、輸入自由化はそれ以前から行われていたのですが、病虫害の問題から、アメリカ産リンゴは輸入されていなかったのです。
農業の自由化を巡っては、国内的に激しい反対論が巻き起こされるのが常です。農業関係の諸団体がそれを支持母体とする国会議員を動かすことや、国会議事堂前で反対のシュプレヒコールによるデモンストレーションがあったのが記憶に蘇ります。産地選出の議員が日の丸柄の鉢巻きをして、そのデモ隊に入っていたり・・・。
例えばコメの自由化の際も、自由化を進める政府・与党関係者と反対の農業団体との間で、熾烈な論争が繰り広げられましたが、結局は、反対派がグローバル化の浪に打ち勝つことができませんでした。現在、わが国は、コメについては、とてつもない高関税の下、国家管理貿易を行って輸入を統制していますが、ともかくも自由化されました。自由化は、WTO交渉の中で、全体で他国とのウィンウィンの果実を求めた結果、免れないことでした。その関税も、ドーハラウンドが妥結していたら、次期WTOの体制においては、関税の大幅下げが必至の状況にありました。しかし、これが上手くいかなかったために、従前の関税水準に止まっています。
牛肉や、オレンジ・リンゴの生果実・果汁についても、産地農家や生産県の議員の多くが猛反対をしても、押し切られるという歴史を繰り返しています。もちろん自由化との駆け引きの中で一定の優遇政策が採られることが通常でしょう。
ここで考えたいのは、あれだけの国内的な、特に産地の猛反対があっても自由化した結果、どうなっているのかということです。
まず、消費者目線で考えたいと思います。
よくスーパーに買い物に出かけます。子供の頃には、アメリカ産やオーストラリア産の牛肉なんか売っていませんでした。自由化されていなかったからです。その結果、牛肉は高止まりしたままで、中流家庭ですき焼きなんか、特別の日のごちそうか、あるいは庶民には高嶺の花でした。いまでも牛肉は高い方ですが、少々安く済ませるためには国産でなくても、外国産牛肉があります。以前は、その選択肢自体がなかったのです。
ただ、日本は豊かになりましたね。その日本の家庭に育った大学生達に聞くと、アメリカ産やオーストラリア産の牛肉はあまり買わないそうです。うまくて柔らかな国産牛を選ぶといいます。売り場を見ても、国産牛のスペースの方が大きいように思いますが、どうでしょう?日本の消費者の嗜好を捕らえているのは、「和牛」なのかもしれません。
ミカンやリンゴについては、どうですか?
オレンジや外国産リンゴは日本人の嗜好に合っているでしょうか。
皮を剥く果物の消費量が全体に低下傾向にあるため、ミカンの生産量が減少しているそうです。しかし、筆者の暮らす愛媛県では、温州ミカンの季節が早々と終わると、次々と品種改良された様々な晩柑類が出回ります。いよかん、清美、ポンカン、デコポン、せとか、紅マドンナ、はるみ等々の晩柑類です。いずれも味や香りに特色が有ります。
スーパーでは、オレンジの売り場がこれらの国産柑橘類の片隅に追いやられています。
リンゴはどうでしょう。国産の多様な品種のリンゴが年中、スーパーの売り場にならんでいます。あれだけ騒ぎになったアメリカ産リンゴはどこに行ったのでしょう?
調べてみますと、対日輸出はもはやなされていないとのことです。
ちなみに、わが国のリンゴの輸出入状況について。
https://www.pref.aomori.lg.jp/sangyo/agri/ringo-data04.html(青森県庁HP)
少なくとも、ミカンやリンゴについて、オレンジ等外国産果実の自由化の影響が顕著には感じられません。政府の政策や農家の努力により、外国産品との競争に打ち勝ったようにも思えます。
農業経営の視点からは、「和牛」ブランドの確立による輸出機会が増えていることが夙に指摘されています。高級な和牛のイメージを維持発展させることで、輸出が増えることも予想されます。そのためには、原産地表示を保護する通商ルールが、各国間で確立されていることが必要になります。低品質の偽和牛が出回ることで、その国のブランド・イメージが損なわれてしまうからです。自由化と多国間での通商ルールの確立が農産物の輸出に役立つのです。
台湾では、日本産高級リンゴが引き出物として重宝されており、輸出が伸びています。様々な柑橘についても、低温保存技術の確立と輸送方法の発達により、近隣のアジア諸国向けを中心とした輸出産品として発展する可能性があるでしょう。
外食産業や食品加工業の観点からは、安価で高品質の外国農産品によることができることが好都合であることは自明です。
狂牛病がアメリカで発生したとき、アメリカ産牛肉の輸入をわが国が制限したことがあります。WTOの例外ルールに基づく措置です。ところで、牛丼の吉野屋は、ご存知でしょう。吉野屋を経営する吉野家ホールディングスは、その価格と味を維持するためには、どうしてもアメリカ産牛肉でなければならない。オーストラリア産ではまかなえないとして、牛丼の提供を取りやめたことが、一時話題になりました。
また、ミカン・ジュースで有名な愛媛飲料のポン・ジュースですが、温州ミカン100%では必ずしもありません。オレンジ・ジュースを混和させています。甘味と酸味の調整上、ミカン100%よりも一般の消費嗜好に合うという理由です。価格的にも低価に維持する意味合いがありそうです。
鉱工業製品の関税引き下げの際にも、その産品を生産する国内産業が一次的に衰退することがあります。しかし、まず同業生産者が、その国からの輸入に対して関税の引き下げられた低賃金の国に生産拠点を設け、逆輸入や三国間貿易を行って利益を上げることはよく知られています。商社にしても、単なる利益獲得の機会が多様化すると考えるに過ぎません。そして、国内に留まる事業者は、業態転換を含む構造調整を進めることで、生き残りを図ることになります。日本の繊維産業がその代表でしょう。イノベーションによる新たな製品や産業の創生がその鍵となります。
農業産品についても、同様に考える余地がありそうです。
4,リンゴの火傷病に対する検疫とWTOルール
ところで、リンゴの火傷病という、リンゴの幼果期に発生する特有の病気があります。日本には自然発生の無い病気です。アメリカ産リンゴの輸入が、当初なされなかった理由は、日本にないこのような病原菌が輸入リンゴに付着しており、日本のリンゴの木にパンデミックを引き起こしてはいけないという考慮からでした。
先に述べたようにアメリカ産リンゴの自由化のとき、極めて厳格な検疫措置を実施しました。
この検疫措置に対して、アメリカがわが国をWTO提訴して、わが国が敗訴した事件があります。この事件を通して、国際的な通商法ルールの意義を考えてみようと思います。
まず、WTO上、GATT11条1項により、輸入数量制限が一般的に禁止されています。加盟国は、特定産品を輸入禁止や関税割当制にすることを禁じられ、国内産業保護は全て関税の方法によらなければなりません。農業協定により農産品についても例外ではありません。しかし、例外的に輸入制限を行える場合が規定されています。
GATT20条によると、麻薬やわいせつ物などの禁制品の輸入禁止や、人・動物・植物の生命・健康の保護のために必要な輸入制限や禁止が認められます。狂牛病や鳥インフルエンザの発症した国からの、牛肉や鶏肉の禁輸が許されます。
輸入品が税関で検疫措置を受ける場合があります。外国産の農産品に日本には存在しないような病害虫が付着ないし汚染されていないことを確認する措置です。この方法について、規定するのが、衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)です。これによると、検疫措置を採る国に対して、次の様に義務付けています。
1.必要な限度において、科学的な原則に基づいた措置をとること
2.十分な科学的証拠が存在すること
3.加盟国間及び国内外で不当な差別をしないこと
4.国際貿易に対する偽装した制限となるような態様で行わないこと
アメリカ産リンゴの輸入解禁に際して、わが国は、次の検疫措置を実施しました。
アメリカの産地において、火傷病の完全無病園地を対日輸出用に指定し、その輸出園地の周囲に500m幅の緩衝地帯を設置することなど、厳格な園地検査の実施を求めたのです。輸出用リンゴ園地に対して、園地を取り囲むように500メートルもの幅で農産品を産出しない土地を設けろと要求しているわけです。幾ら国土の広いアメリカでもリンゴの対日輸出をする農家が表れるのだろうかと疑いたくなりますね。
2002年から2005年に掛けて、アメリカは、わが国のリンゴ検疫措置がSPS協定に反しているとしてWTO提訴しました。その結果、この検疫措置は科学的根拠が無くて、隠された貿易制限に当たるとして、わが国が敗訴したのです。これを受けてわが国はこの検疫措置を廃止しました。
仮に、この措置が隠された貿易制限であったとして、ここまでして国産リンゴを米国産リンゴから守る必要がなかったことは、先に述べたとおりです。
WTOが前述した目的から、自由貿易を擁護するものであり、加盟国がその規定するルールに基づき、モノやサービス、及び情報の交易を行い、加盟国の全てが自由貿易の恩恵を受けるようにする。そのために、貿易を巡る紛争を生じたら、WTOの法的ルールを解釈し、事例に適用して、法の専門家が解決する。これが司法的解決です。日米の関係には当てはまりませんが、途上国がアメリカに勝訴することも実際にある「小よく大を制す」方法です。
トランプ大統領はこれがお嫌いなようです。
国籍の効果と、帰化 ― 2018年08月17日 21:31
1、タイ洞窟奇跡の救出と国籍?
次のニュースをご存知の方も多いでしょう。
「タイ洞窟、救出の少年ら4人無国籍 付与の手続き進める」(朝日新聞Digital 2018.7.20付け)
「タイ 無国籍者問題に光 洞窟生還4人に付与 なお48万人」(日経新聞電子版朝刊2018.8.17付け)
「タイ洞窟救出の4人は無国籍 移動の自由なく、国内に同情論も」(西日本新聞電子版 2018.7.18付け)
上の三つの記事をまとめてみます。
少年サッカーチームの選手達が雨のため洞窟に閉じ込められ、無事救出されたニュースに、世界中の人々が安心しました。その選手らとコーチの4人が無国籍であったことが判明したのです。
ミャンマーとの国境付近のその地域には多くの無国籍者が居るそうです。朝日新聞の記事によると、タイ国籍法は、前回のブログでお話しした血統主義と生地主義の双方を採用しているので、親がタイ人であるか、タイで生まれた場合に、タイの国籍が与えられます。
しかし、親が出生届出でを怠っていたり、出生証明書が不明確である、タイで生まれた証明ができないなどの理由で、タイの国籍が与えられないことがあるようです。タイ北部山岳地帯の少数民族の中で、50万人近い人々が無国籍であると云います。ミャンマー北東部のいわゆる「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」は麻薬密造で有名な地域で、武装勢力とミャンマー国軍との武力衝突もあり、タイに逃れる人々も多いようです。
救出された選手の両親がタイ人でなく、タイで生まれたのでもないのであれば、国籍法上の要件を充たさないので、本来、無国籍者とならざるを得ないはずです。
しかし、タイ政府は、多くの国籍申請者の中で、その4人の手続を優先して国籍を付与しました。タイの報道の中には、国籍取得を決定するのは法の要件であるとして、国籍付与自体は評価しながら、このことに批判的な記事もあったようです。
なぜ、タイ政府が国籍付与の手続を急いだかというと、サッカーのイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドから招待されていたからです。タイを出国して、イギリスに行くためには、パスポートが必要です。そのために国籍がないと、外国に行けない可能性があり、国内外から同上の声が上がったのです。
日経新聞の記事によると、タイにおいて、国籍の取得により、教育や福祉サービスを受けることが容易になり、国内外への移動の自由が与えられる。しかし、なお多くの無国籍者がタイ国籍の取得を求めており、行政手続の不公平性が浮かび上がったとしています。
2、日本における外国人の地位
(1) 国際法上の国籍
まず、国際法上、国籍がどのように扱われるかについて解説します。
ある国の国籍はその国の国籍法が決定する、と前回のブログで述べました。他の国は、そのことを承認するのが原則です。自国の国籍の取得や喪失についてその国が決定しますが、他の国の国籍の得喪を勝手に決定することはできないし、文句を付けることも原則的にできません。内政干渉になります。
従って、二重国籍や場合によっては三重国籍、逆に、無国籍を生じます。
また、国籍国への入国の自由が認められます。世界に一国だけは、無条件で自由に入国が認められる国がある、それが本国です。
更に、自国民が外国領域内で危難に遭遇した時に、自国民の人権を救済するための措置を講じることができる権利が、その本国に認められます。これが外交保護権です。
(2)国内法上の外国人の地位―公的側面
次に、日本の国内法上、国籍がどのような意味をもつかをみます。
公的な側面と私的な側面に分けて考えると分かりやすいです。
公的な側面は、市民権とよばれることもあります。憲法の保障する基本的人権を外国人も保障されるかという問題です。参政権を含みます。
最高裁マクリーン事件判決(昭和53年10月4日)という有名な判決があります。
これによると、「憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ・・・」とされているので、原則として、人権保障が及ぶということになります。
しかし、制限される権利もあるわけで、その「性質上日本国民のみを対象としていると解されるもの」が何かが重要です。
その一が、参政権です。現在のところ、選挙権と被選挙権の双方について、国政及び地方の参政権が外国人には認められていません。憲法が、日本国の主権は国民に存するという国民主権の原理に拠っていることから、主権の主たる作用である参政権は、日本国籍を持たない人には認められないとされています。もっとも、地方参政権については議論があります。
また、公務就任権といって、公権力を行使することになる公務員になる権利を制限されます。更に、入国の自由を制限されます。これは出入国管理法が規定しています。
現在、わが国の社会保障制度において、国籍によって受給資格を制限することが、ほとんどなくなっていますが、かつては児童手当、児童扶養手当などの社会手当三法、国民年金法、国民保険法上、国籍要件がありました。外国人にはこれらの給付が認められず、国民年金や国民健康保険への加入もできない時代がありました。
民間企業に勤める場合、雇用保険や労災、企業年金、社会保険については、その企業と労働者が原資を提供するものですから、当時から、そもそも内外人の差別はありません。
従って、自営業者は、例えば、公的な健康保険制度にも加入できないということです。私保険以外に、病気になったときの保障がないことになります。そう裕福ではない外国人がわが国に定住している場合、将来の生活保障もないし、日本はとっても住みにくい国だったでしょう。
しかし、ILO102号条約(社会保障の最低基準に関する条約)(1976)、国際人権規約(社会権規約)(1979)、難民の地位に関する条約(1981)、の各条約をわが国が括弧書きの年に批准し、これら諸条約が社会保障制度の内外人平等を規定しているので、これに併せて、上の諸法にあった国籍要件を撤廃したのです。
なお、本論から外れますが、私の疑問は、社会保障制度の平等があるべきなら、わが国が条約に加入したので、条約に反すると国際法違反となるから国内法を改正するという以前に、条約に無関係に、社会保障に関する内外人平等を実現できたはずではないか、ということです。
健康で文化的な最低限度の生活を保障する生存権については、わが国の最高裁判決によって、外国人については立法府に広い裁量が認められています。限られた財政の中で、日本人を優先することも有り得るということです。
もっとも、わが国の行政実務において、生活保護について外国人も日本人と同様の条件で給付が行われているようです。争われているのは不法滞在者への生活保護給付があるべきかという点です。これを否定しても憲法違反の問題を生じないといのが判例だということになります。従って、行き倒れの(特に不法滞在の)外国人を救済すると、そのための医療費等支出しても、その人からは返してもらえないことになりそうです。
これについても、わが国に暮らす外国人一般に税金納付の義務があるので、社会権についても「外国人」に対する不平等が不当であるとする見解もあります。
(3)国内法上の外国人の地位―私的側面
私法上認められる個人の権利を「私権」と呼びます。わが国の民法3条には、次の様に規定されています。
1項 私権の享有は、出生に始まる。
2項 外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。
すなわち、人は生まれると権利を享有することのできる存在となるということで、ここにその根拠となる法規定があります。外国人についても、憲法の範囲内で、権利を享受できることになります。
ここでも法令により外国人の権利制限が可能とされています。
例えば、外国人の鉱業権、漁業権、船舶・航空機の登録が制限されています。
なお、外国人の土地所有について現在わが国の法令上制限がありません。しかし、大正14年にできた外国人土地法という法律がまだ廃止されておらず、土地所有の制限が可能であるとする法自体は存在するのですが、そのために必要な政令が施行されていません。
更に、法人の私権については、民法35条2項が規定しています。
「外国法人は、日本において成立する同種の法人と同一の私権を有する。ただし、外国人が享有することのできない権利及び法律又は条約中に特別の規定がある権利については、この限りでない」。
外国企業の権利についても内外人平等が原則です。
しかし、外国企業がわが国で事業を行うときに、多様な制限が課されることがあります。上に述べた制限等のほかに、例えば、サービス貿易を行う外国企業による事業に対して多くの制限を設けています。
例えば、電気通信会社や放送会社については、外国人の持株比率が制限されています。外国企業が外国政府と結び付き、わが国の電気通信事業を支配したり、テレビ・ラジオ放送において宣伝することが、国の安全保障に関わると考えられているからです。このことは、外国為替及び外国貿易法に規定されています。
国際法であるWTOはわが国が加入している多国間条約ですが、サービス貿易については、WTO協定の一つであるGATSにおいて、内国民待遇が一般的な義務とされていません。内国民待遇というのは、内国企業と外国企業を差別しないという原則です。GATSでは、加盟している国が自由化を約束する項目をリストに載せて、これに拘束されるという方式を採ります。自由化を約束するか否か、何をどの程度約束するかも、その国が自由に決定できるのです。しかし、約束した以上は、WTO上それに義務付けられます。
そこで、電気通信事業や放送事業について、わが国が法令に規定する限度で自由化を約束しておけるのです。
以上、国籍には様々な法的効果が存在します。
3、帰化
外国人が日本に住む場合、上のような権利制限を被ることになります。
帰化というのは、後天的にある国の国籍をその意思に従い取得することです。外国人が日本国に帰化することももちろん可能です。多くの芸能人やスポーツ選手で帰化した人達が活躍していますね。
帰化の条件が国籍法5条等に規定されています。
①5年以上日本に居住していること、②年齢20才以上で行為能力があること、③素行が善良であること、④生計を営むことができること、及び⑤従来の国籍放棄義務等です。
なお、もともとの国籍を放棄する義務については、本人が真摯に努力しても、その国が国籍を放棄させてくれない場合に、法務大臣が帰化を認めることができます(5条2項)。
法的に言うと、帰化による国籍付与は、法務大臣の許可処分に係ります。しかも、羈束行為ではなく、自由裁量行為です。従って、国籍法5条の条件を満たしたとしても、帰化の申請を行った者の権利として帰化が認められるということになりません。条件を充足しても、法務大臣が、理由は必要ですが自由に拒否できるのです。帰化を拒絶された場合、裁判所に訴えることができると解されるようになりましたが、法務大臣の決定を覆すことは極めて難しいのです。
素行条件や生計条件に関して、法務省のお役人が、申請者の生活状況をその住居において検分する実務があります。そのときに、「靴を脱いで家に上がる」、「日本語ができる」などを確認していたようです。随分ハードルが高いことが伺えます。
日本文化・伝統への定着、同化を帰化に優先させるべきかについては、私は反対です。国籍は法的な権利義務の基準に過ぎないと考えると、刑事犯罪等に問われていない、定職があり一定の収入要件を充たす、ことで足りると解するべきです。わが国に暮らす外国人が帰化を希望するなら、公的生活においてわが国に組み込まれることで、わが国社会への同化は自然に促されるでしょう。
国籍放棄義務とともに、法務大臣の自由裁量に係る許可処分であることが、在日外国人にとって、わが国に生まれ育った3世4世であっても、帰化を躊躇させる要因となっています。相当の時間を要する、随分面倒な手続きなのです。
以下、立法論です。
私は、帰化を一層、容易化することが望ましいと考えます。そのために、帰化の際の国籍放棄義務の廃止、二重国籍の容認、権利帰化と手続の簡易化などの方策が有り得ます。
なお、帰化ではありませんが、生地主義の範囲を拡大することも国民の範囲を増加させる手段となります。ちなみに、アメリカやオーストラリアなどの移民受入国に生地主義が多いのは、その国民を増加させる必要があったからです。
わが国が一定程度、移民を受け入れる時代になれば、国民と外国人の共同体が対立するような事態を避け、社会統合が適切になされるために、外国人がその意思を有するなら、条件を満たす限り国籍を与えて、公的生活において平等に扱い、特に参政権を与えて、社会的決定に参加させる必要があると思います。
自分たちの住む国の構成員として、その社会をより良くすることを真剣に考えるために必要なことです。
しかし、帰化の容易化と二重国籍の容認が実現されるとして、その場合に国籍の取得により完全な市民権を一挙に取得すると考える必要もないでしょう。例えば、居住年数に従い一定の市民権について留保されるとか、二重国籍者については国政の被選挙権がないなど、居住年数や他国の国籍放棄などの条件を充足するにつれて獲得する権利が増えてゆき、最終的に完全な市民権を取得するというような制度設計も可能なのではないでしょうか?
移民と二重国籍 ― 2018年08月12日 15:10
ダルビッシュ有、大坂なおみ、ケンブリッジ飛鳥、五十嵐カノア。
野球。テニス。陸上。サーフィン。
皆が認める一流アスリート達です。
答えは、・・・・
二重国籍の保有者である(あった?)ことです。
ダルビッシュ有選手がイラン人の父親と日本人の母親の間に誕生した二重国籍者であることは有名ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%9C%89(Wikipedia)
大坂なおみ選手は、日本人母とハイチ系アメリカ人の父親に生まれた子です。
http://www.naomiosaka.com/profile/(公式HP)
ケンブリッジ飛鳥選手は、日本人母とジャマイカ人父の子。
https://www.nihon-u.ac.jp/sports/interview/vol_19/(日本大学 アスリートインタビューVol.019)
五十嵐カノア選手は、日本生まれ日本育ちの両親の間の子供です。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13615584.html?_requesturl=articles%2FDA3S13615584.html&rm=150(「(ひと)五十嵐カノアさん 東京五輪に挑む米国育ちのサーファー」朝日新聞Digital)
??? 上の三人は分かるけれど、五十嵐選手はどうして?
1,国籍取得の要件と二重国籍
まず、それぞれの国がその法によって、どのような場合に、自国の国籍を与え、失わせるかを決定します。例えば、ダルビッシュ選手の場合、日本の国籍がどうなるかは、日本の国籍法が決定し、イランの国籍がどうなるかはイランの国籍法が決定します。
生まれたときの国籍取得のための要件として、諸国の法において、血統主義と生地主義が存在します。血統主義は親の国籍が子に承継されるとする立場です。子の誕生のときに親がどこに住んでいようとも関係しません。血統主義には、更に、父系優先主義と父母両系主義があります。前者は父親の国籍が子に承継され、母の国籍は無関係であるとするものです。後者は、父と母のいずれが自国民であっても、その国籍が承継されるというものです。
日本は、以前は父系優生主義であったのですが、女子差別撤廃条約が日本にいて効力が発生することを契機に、国籍法を改正し、現在は父母両系主義によっています。イランは、父系優先主義でした。
そこで、ダルビッシュ選手は、父の国籍も、母の国籍も、それぞれの国籍法により与えられることになります。誕生のときに、日本とイランの二重国籍者となるのです。
次に、生地主義は、子が生まれたときに所在していた国の国籍が与えられるとする立場です。
五十嵐選手の両親は日本生まれの日本人なのですが、両親がアメリカに移住した後、アメリカで生まれたのです。そこで、日本の国籍法により親の国籍が子に与えられ、生まれた国であるアメリカの国籍がその法により与えられます。血統主義と生地主義の国籍法により、生まれたときに日本とアメリカの国籍を取得することになります。
なお、前記記事によると、五十嵐選手が生まれ育ったのは、カリフォルニア州のハンティントンビーチで、幼い頃よりアメリカの強化育成チームに入った「天才サーファー」で、アメリカ国内の主要大会で優勝経験のある、アメリカでは有名なアスリートです。現在、日本の企業と契約し、日本代表で東京五輪をめざすそうです。
なぜ、わざわざそんなことが記事になるかというと、アメリカ国籍も持っているのであれば、アメリカのナショナルチームで活躍し、メダル候補となることが可能だからです。そこで、五十嵐選手が日本を選んだことで、アメリカ国内のサーファーからは怨嗟の声も聞かれるようです。
2,国籍選択に悩む17才
2015年8月28付け毎日新聞のオピニオン欄に掲載された記事を紹介します。日本で生まれた二重国籍の高校生が、日本の法制度について意見を述べています。
「 私は17才、日本人の母とフランス人の父を持つ。
日本で生まれ育った私にとって、日本は、飛行機を降りた時に「ただいま」と、一安心する大好きな故郷である。同時に、フランスも自分のルーツの国である。私の中で日仏は、黄色と青が混ざって緑色をなすように一つになっている。そんなことも気にせず、政府は5年後までに、私に「国籍選択制度」によって、一方を、切り捨てるよう命じる。・・・容赦なく一つを切り捨てさせる。・・・「国籍選択制度」が、重国籍者にとって、どれほど、自分のアイデンティティーを否定されているようで苦しいか。」
少し引用が長くなってしまいましたが、この高校生の切実な訴えが胸に迫ります。
3,外国籍放棄義務―国籍選択制度、国籍留保制度、帰化要件
日本法は二重国籍が生じることに対して消極的な立場をとっています。
国籍法上、日本で生まれた二重国籍者は、22才になるまでに国籍選択宣言をしなければ日本国籍を失うことが規定されています。しかも、このときに、外国国籍を放棄する義務があるのです。
また、外国で生まれた日本国籍をも有する二重国籍者について、出生の時に国籍留保をしなければ日本国籍を喪失します。出生後間もない赤ちゃんがこれをすることができませんから、親が行うことになります。そして、その子が22才になるまでに、やはり国籍選択宣言をしなければ、日本国籍を失うことになります。
更に、生まれた後で日本国籍を取得する帰化の場合にも、従来保有していた外国国籍を放棄する義務があります。
国籍が国に対する忠誠義務を発生させるものであることから、かつて二重国籍に対して否定的な態度がとられていた時代があります。忠誠義務といっても内面の良心や態度を指すわけではないので、重要なのは兵役義務ということになります。二重に兵役を課される個人にとって重大な負担となるからです。
しかし、わが国には、兵役義務はありません。自衛隊への入隊を募集するポスターを見たことがあるでしょう。若い男女の自衛官が格好良い制服を着て、微笑んでいるものです。彼ら・彼女らは国家公務員である自衛官を、自ら希望して給料をもらっている人々です。
また、先進各国においては、兵役義務が廃止される傾向にあります。
そのほか、実定的に困難があるとされてきたことは、現在ではほぼ解決済みですので、問題が無いのです。むしろ、複数の国籍を保持するメリットの方が大きいとも言えます。そこで、個人のアイデンティティーに関する無慈悲な選択を避けるために、先進国では、二重国籍に寛容な法制度を採用する国が大多数となっています。
二重国籍者にとって、現在生活をしている本拠地である国、生まれ育ったとすればまさに故郷である国の国籍を実効的な国籍として、他方の形骸的な国籍も、心理的アイデンティティーの一として保持することを認める寛容さが必要でしょう。
最近次の記事を目にしました。
菅野 泰夫「W杯が浮き彫りにする日本の国籍放棄問題-「移民大国」日本は二重国籍を議論する時期に」
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/185821/070500017/
「成人の二重国籍保有を認めていない国はG7の中では日本のみである(G20まで拡大しても、日本は少数派に属する)。同様に二重国籍を認めていなかったお隣の韓国でも2010年に国籍法が一部改正され、対象範囲を限定した上で韓国籍取得者の外国籍放棄義務が緩和された。
・・・・
経済協力開発機構(OECD)の外国人移住者データを見ると、2016年の移民流入数のトップはドイツの172.0万人、2位の米国118.3万人、3位の英国45.4万人に次ぎ、日本は4位で42.7万人に及んでいる(日本への移住者の定義は、有効なビザを保有しかつ90日以上滞在する外国人)」
ますます外国人が増加する日本において、国籍放棄義務について、もう一度考え直してみて、二重国籍に関する国籍法改正を考えるべきではないか。このブログの筆者も、その基本的趣旨には同感です。
4,わが国の人口問題と外国人
2017年4月11日付け日経新聞朝刊の記事です。
「人口、2053年に1億人割れ-厚労省推計、50年後8808万人 働き手は4割減」
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の発表した推計です。
厚生労働省の「平成30年 わが国の人口動態」という政府統計資料によると、年々わが国の出生数が低下し、最新の出生率統計でも1.44です。出生数から死亡数を引いた自然増減数は、10年連続マイナスであり、よく言われるように本格的な人口減少社会である傾向は変わりません。全体に男女とも晩婚化の傾向も続いています。
他方、在留外国人の数は、平成28年末で、238万2822人で、総人口に占める割合が1.88%(入国管理局白書より)です。福島原発事故のときに一次的に減少したものの、全体として一貫して増加しています。
また、夫婦の一方が外国人である国際結婚の件数は、平成28年の一年間で、2万1180組です。もっと多かった年もあるのですが、この4年ほどこの辺りの件数で推移しています。
平成27年に実施された国税調査の結果(「総人口,日本人人口及び外国人人口の推移-全国(昭和50年~平成27年)という表)によると、日本人の人口が減少して行くのに対して、外国人人口は、年に数%程度増加を続けています。移住者のみならず、日本で誕生した子供の数も増加していることが予想されます。ちなみに、平成25年の一年間に日本で誕生した子供の総数104,2813人に対して、夫婦の一方が外国人である場合、19,532人であり、夫婦とも外国人である場合、10,695人の子供が生まれています(非嫡出子を除く)。この年に、日本の国籍をも有する二重国籍者ではなく、外国の国籍のみを有する外国人が12,997人、日本で生まれています(非嫡出子を含む)。
以前のブログでもお話ししたように、日本は単純労働者を正式には受け入れてきませんでした。技能実習という国際貢献を隠れ蓑として、年々その数を増やしてきたのです。この在留資格は、その外国人にとって一生に一度だけ、従来は最長3年、新制度によって場合により最長5年を限度に、日本で働けるという資格です。農業や介護など(単純労働とは言えないかもしれませんが)、以前は認められていなかった職種においても技能実習生を受け入れ可能とします。もう背に腹は代えられない、ということでしょう。
高度人材外国人については、すなわち単純労働に当たらない在留資格については、ポイント制により永住資格を早期に取得できるとするなど、わが国は積極的な受け入れ政策を採っています。技能実習以外の資格については、更新が可能なので、更新を繰り返すことで、わが国に定住する、ないし永住することもできます。
もっとも、調理師などを「技能」という資格で受け入れることは行われているので、技能実習とは紙一重の側面もありそうです。もともと技能実習の資格保有者が、他の在留資格の資格要件を備えると、そちらの資格に転換すれば、定住化が可能なのです。
先日、政府が発表した外国人材の受け入れ政策は技能実習制度の拡充が主で、技能実習生が他の資格を取得することを可能とするというものでしたが、恐らくはそのことを容易化するという意味であると考えられます。
この点で、政府の施策が移民政策とは一線を画するという説明がなされているようです。上の日経ビジネス・オンラインの記事では、以上を含めて「移民」と呼ぶので、政府の説明は違和感があります。いずれにせよ移民の言葉の定義の問題なので、むしろ実態を踏まえた実質的な議論が必要でしょう。
ちなみに、私は、一生に一度の単純労働の資格に留まる限り、移民とは呼ばず、それ以上の定住、永住の可能な場合を移民と呼ぶのが分かりやすいと考えています。
その上で、政府の政策を全体としてみると、高度人材の「移民」は大歓迎であるし、単純労働者の資格転換を促進するとすれば、これも移民化させるということなので、既に移民の受け入れ政策に転じていると見ています。
世界の先進国、金持ちの国々との間で、高度人材は言うに及ばず、単純労働者についても、獲得競争が始まっています。外国人労働者から見て、日本が選ばれる国とならなければ、この競争に勝ち残れません。近隣の、韓国や台湾の施策が先行しているのです。
5,二重国籍に寛容な国へ
以上の、国際情勢や、わが国の人口問題及び在日外国人の現況に鑑みると、二重国籍に寛容である法制度に改正することが有り得る選択肢であるように思われます。
高度人材やわが国にとって必要な人材を獲得するためには、生まれ育った母国であった国の国籍をアイデンティティーの一つとして認めつつ、わが国の国籍取得を容易にすることが重要です。その意味で、帰化の際の従来国籍の放棄義務を緩和する必要もあります。
また、わが国で生まれた二重国籍者、わが国の国籍を留保する二重国籍者についても同様です。母の国と父の国の間で引き裂かれるような思いを、そのような若者に抱かせることは無用でしょう。
二重国籍を認めると言っても、二つの祖国に仕えることを強いるという意味ではありません。その国に暮らし、生計を営み、税金を納め、家族や多くの友人知人の居る国、一生その国に住み続けるであろう、その意味で生活の本拠である国の国籍を保有して、その文化や習慣に同化するべきはしつつ、社会の構成員となり、法制度上、今も残る外国人の区別を回避する、特に公民権の関係での不利益を避けることができます。
もとより権力の集中する公職に就く場合には一定の考慮をしなければならないとしても、選挙権を有することで、真の意味で、その社会の構成員となると言えるのです。
朝鮮半島に出自を有するいわゆる在日の人々のドキュメンタリーを見ていたとき、大阪の生野区にあるキムチ屋の若主人が次のように述べていたのが印象的でした。結婚や就職差別がなお残るこの国にあって、父や母のことを思うと、帰化にはためらいがあったが、選挙権を行使してみて、「ああ、やっとこの国の一員になれた」と実感したと言うのです。
著名な政治学者である姜尚中氏は、自伝である『在日』(集英社)の中で、日本に生まれ育った在日2世として、朝鮮半島にアイデンティティーを持つ選択を敢えてするとします。
日本の社会の中にあり、この国の教育を受け、その文化的伝統に同化しつつも、なお父や母の国への思いを抱き続けることを、日本という国は許すことができないのでしょうか。心理的アイデンティティーの一である国籍を保持しつつ、自分の暮らす国の実効的な国籍を持ち、選挙権を行使することで、自分の属する社会のことを真剣に考えることが可能となるのではありませんか。
益々、外国人が日本に暮らす(一定程度の)移民受入国となるにつれて、日本国籍を保持しない外国人の集団が増えるなら、その人達は国に代表を送っていないのに、その法の適用を受けるという集団を、ひょとすると日本の社会的決定や政治に無関心な集団を、大きくしてしまいます。
公のこと、「祭り」に参加することが、定住者自身の社会への参加であると感じられ、定着と同化を自然に促すことで、その社会の統合が図られるのだと思います。
部品カルテル型の設例 ― 2018年08月03日 23:55
各国競争法が抵触する場合の設例について、今日が最後となります。
1、ブラウン管テレビ事件
ブラウン管テレビ事件というのは、昨年下された最高裁判決の事件です(最判平成29年12月12日・民集71巻10号1958頁)。
簡略化して説明します。まず、東南アジアの複数国に所在するブラウン管製造会社らが価格カルテルを締結しました。そして、これをわが国のテレビ製造販売業者の現地製造子会社が購入し、カルテル対象ブラウン管を組み込んだブラウン管テレビを製造した上、わが国のテレビ製造販売業者がそのテレビを購入した事件です。
最高裁判決の前提となる事件に焦点を当てますと、ブラウン管のカルテルが締結された後、マレーシアにあるブラウン管製造会社Z1から、そのブラウン管を購入したテレビ製造会社X1が完成品を組み立て、X2という日本のブラウン管テレビ製造販売業者がこれを購入しました。マレーシア企業X1は日本企業X2の完全子会社でした。X1がX2の現地製造子会社ということになります。
事件の背景として、ブラウン管の製造販売に係る継続的な取引関係があると伺えるのですが、Z1(マレーシア企業)の親会社である韓国企業Z2を含めて、ブラウン管製造メーカー側と、日本のX2との間で、予め、ブラウン管の価格、数量や仕様など重要条件の交渉がありました。その交渉で決定された価格等に従い、X2の指示の通りに現地製造子会社X1がZ1にブラウン管を注文し、購入したのです。
部品カルテルとしては東南アジア諸国の複数のブラウン管製造会社と、日本や韓国に所在するその親会社らが締結したものです。従って、日本企業のブラウン管製造子会社から、日本企業のテレビ製造子会社が購入したものを含みます。現地製造子会社というのは、東南アジアの国々においてその国の法に基づき設立された会社であり、日本企業の子会社と言っても、親会社とは別個の会社であり、設立された国の企業です。実際の事件では、ブラウン管製造メーカーの側は、日本、韓国、台湾、マレーシア、インドネシア、タイの企業であり、テレビの製造地はマレーシア、インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナムの各国に渉ります。そのテレビを、日本の複数の企業が購入しました。
完成品のブラウン管テレビとして、わが国内に流通したのは僅少であり、多くは、そのまま国外に転売されています。
わが国の公正取引委員会が、わが国企業を含む複数国のカルテル参加企業に対して、独占禁止法を適用し、課徴金を課しました。このようなわが国独禁法の適用を容認したのが、最高裁判決です。
最高裁判決のポイントとして、X1とX2が完全親子会社として経済的に一体であるという点と、X2が部品製造者側と重要条件の交渉を行いその合意に従い、現地製造子会社に購入させたという点が重視されました。このような取引には、わが国の独禁法が適用されて良いというのです。
前回もお話ししたように、原材料や部品調達のサプライチェーンが高度にグローバル化されている今日、完成品を購入する企業・消費者が部品カルテルの被害を受けることが容易に予想されます。わが国に所在する完成品購入企業や消費者を保護するために、このような国外で締結されたカルテルに対して、わが国独禁法が対処する必要性があるとも考えられます。そこで、上記ブラウン管テレビ事件でのわが国独禁法の適用について、わが国の経済法学説上も、多くがその結論には肯定的であるようです。
2、モトローラ事件
モトローラ事件というのは、2014年に下された、アメリカの第7巡回区連邦控訴裁判所の判決です。
アメリカの携帯電話の製造販売会社であるモトローラが原告となり、外国で締結された携帯電話用液晶パネルの価格カルテルによって、これを購入したモトローラが損害を被ったとして、カルテル参加企業である液晶パネル製造者ら(日本、韓国等の企業)を被告として、損害賠償請求訴訟を提起しました。
①アメリカ企業であるモトローラが液晶パネルの引渡しを受け、アメリカ国内で携帯電話を製造したのは、全体の1%に過ぎません。この部分に対して、アメリカの反トラスト法が適用されるというのはほぼ問題がないでしょう。
しかし、多くはモトローラの現地(主として中国及びシンガポール)製造子会社らが購入し、現地で完成品が組み立てられた上、完成品である携帯電話をモトローラが購入し、②アメリカ国内において流通させたか、または、③そのまま国外に転売しました。
②と③の場合、部品である液晶パネルの直接購入者はモトローラの現地製造子会社であり、完成品の購入者であるモトローラは、部品に対しては間接購入者であるということになります。判決は結論的に、間接購入の部分(②と③の双方)について、モトローラの請求を否定しました。
モトローラは、価格等を現地製造子会社に指示し、その指示に従い現地製造子会社が、液晶パネルメーカーらに発注したのであり、また、モトローラと現地製造子会社は経済的に一体であると主張しました。また、モトローラの携帯電話に特化された用途を有する液晶パネルについて、液晶パネルのメーカーらは、これが組み込まれた携帯電話がモトローラによって購入され、アメリカ国内に流通することを知っていたはずです。これを知りつつ価格カルテルを締結したことが、アメリカの市場に影響したのであるとモトローラが主張しました。
しかし、第7巡回区控訴裁判所の判決は、次のような二つの理由により、モトローラの主張を排斥しています。
まず、第7巡回区の民事損害賠償に関する先例として、間接購入者理論が確立されています。判決から若干離れて、この考え方を説明しておきます。
商品が転売される途中でその商品を最初に購入した者を直接購入者と呼び、その者からその商品を購入した者を間接購入者と呼ぶとします。その商品のカルテルがあったとき、カルテル参加者に対して損害賠償を請求できる資格があるのは、直接購入者のみであるとする考え方です。最初に、カルテル対象商品を購入した者のみが反トラスト法上の損害賠償請求が可能であるとします。最終の購入者が消費者であるという場合には、消費者が3倍額賠償を求めて提訴することができません。
これに対して、損害転嫁の抗弁を認めるという考え方があります。上の例で、カルテルによる損害を最初に被るのは直接購入者ですが、その分を価格に上乗せして、転売して行くなら、最終の購入者が最終的にその損害を被ることになります。中間者は、カルテルによる価格高騰の分、高く買っても、その分、価格を高くして次に転売するのだから、プラス・マイナス・ゼロになるはずです。従って、中間者が競争法上の損害賠償を請求すると、次の購入者に損害が転嫁されているのだから、むしろ中間者には損害賠償請求をする権利がないと言えることになります。これが損害転嫁の抗弁です。競争法上の賠償請求をされた相手方にそのような主張を認めるものです。
カルテルに基づく損害という同一の損害について賠償請求が可能であるのが、直接購入者か、最終の購入者かという問題に関して、法の立場が国によって異なるのです。
第7巡回区は間接購入者理論によっています。部品カルテルの場合、部品を直接購入した者のみが反トラスト法上の賠償請求が可能であり、間接購入者である完成品購入者はこれができないことになります。
第二に、判決は次のように述べました。親子会社は別個の法人であり、子会社は現地の法に基づき設立され、その法に服する。従って、子会社が損害賠償を必要とするなら、その国でその国の法に基づき請求すれば良い、その国の競争法の執行が不十分だとか、競争法自体が存在しないとしても、モトローラは子会社をその国に設立することを自ら選択したのだから仕方がない、とするのです。
但し、重要なことは、モトローラ控訴裁判所判決は、競争法当局(司法省)が罰金を科する場合と、裁判所で民事の損害賠償を請求する場合とを区別していることです。この事件で、アメリカの競争法当局は、反トラス法を適用するべきであると主張しました。判決でも、前者の問題については、別個の基準があり得るとして、間接購入者理論は民事賠償にのみ存在する先例であるとしています。
3、ブラウン管テレビ事件とモトローラ事件との比較
ここで、日本のブラウン管テレビ事件と、アメリカのモトローラ事件を比較しておきましょう。前者は、公取委が課徴金を課した事件なので、行政制裁の問題で有り、後者は私人と私人の間の、民事賠償請求事件なので、基準が同一である必要はないと、私は考えています。
しかし、法の適用範囲の比較をしておくことは有益でしょう。
カルテルの締結地が国外である場合に、カルテル対象商品(部品a)の直接購入者X1の所在地と完成品bの購入者X2の所在地が異なるときに、対象商品の現実の引渡地、完成品の現実の引渡地について、次のような設例を用います。
(なお、「引渡し」の語が、現実の引渡とは異なり、法的な意味におけるそれを指すことがあります。ここでは引渡地は、契約により決定される事項となり、一般的には本船渡しの契約が多いと考えられるので、この場合のみを例としています。)
①X2がaの引渡しを現地で受け、X2の所在地に持ち帰り、その国で転売するか、bを製造し、流通させる。
②X1がaを組み込んだbを現地で製造し、X2がbの引渡しを現地で受け、X2の所在地に持ち帰り、その国内で流通させる。
③X1がaを組み込んだbを現地で製造し、X2がbの引渡しを現地で受け、そのまま他国に転売する場合。X2の所在地国内では流通させない。
以上の設例を前提に、モトローラ事件は、①にのみ、反トラスト法を適用し、ブラウン管テレビ事件は、①から③までの全てに対して、日本の独禁法を適用しました。一見すると、日本法の域外適用の範囲が広いように思われます。
しかし、わが国最高裁判決の事実認定によると、完成品購入者である親会社が、部品メーカー側と取引の重要条件について、直接交渉しており、その合意に従い、子会社に購入させたとされています。この部分が、モトローラ事件とは異なります。
4、設例について。
次に、以前のブログに挙げた設例を再掲します。
「部品カルテル型(ブラウン管テレビ事件・モトローラ事件)
ある製品(完成品a)の部品に関する価格カルテルが、A国企業Y1(日本企業Y2の子会社)を含む複数の部品メーカーによりA国で締結された場合で、A国企業X1がカルテル対象部品を購入し、A国において対象部品を組み込んだ完成品aを組み立て、その完成品aを日本の企業であるX2が購入(輸入)したとする。この部品カルテルが、部品の市場であるA国市場に競争制限的効果を生じるのは当然である。
同時に、X1とX2に一定の関係がある場合などの条件を充たせば、日本の最高裁判決によると、当該のカルテルが、aという完成品の輸入市場に影響を及ぼしたとき、日本が競争制限的効果を生じる市場の一つであるとして、日本の公取委が独禁法を適用して課徴金(行政罰)を課し得る。
従って、この部品カルテルに対して、A国競争法が適用され、同時に、日本の独禁法が適用されることがある。
設例1
日本の独禁法が当該部品カルテルを規制し、A国競争法もまた規制する。
設例2
日本の独禁法が当該部品カルテルを規制し、A国競争法は明示的に許容する。
以上の条件を前提にして、次の問題を考察することができる。
①課徴金の問題として、A国競争法の立場は、わが国独禁法の解釈に影響するか。
仮に、公的執行について、わが国の独禁法の適用があるとして、
②次に、X1のY1及びY2に対する損害賠償請求の問題としては、裁判所は、わが国独禁法の適用範囲について、抑制的に解し得るか。 」
設例1-①について。
A国に競争法があるとき、部品カルテルの締結地であり、対象商品の市場があり、A国の企業が、実際に対象商品を購入した事件であれば、A国が自国競争法を適用するのはほぼ必然です。他方、ブラウン管テレビ最高裁判決に従うと、X1とX2に一定の関係があり、上述の要件を充たすなら、わが国の独禁法を適用することになりそうです。
わが国独禁法の解釈として、X1の部品の直接取引を対象としてX2もその需用者(購入者)であるとする考え方や、X1とX2が一体であり、X2が部品取引の交渉者であるなどの事情に基づき独禁法が適用されるとする考え方などがあります。
この場合は、刑罰ないし行政制裁の二重処罰に類する問題を生じます。わが国独禁法の適用を抑制する必要は必ずしもないでしょう。しかし、事件当事者と、わが国及びA国との関係の強さの比較や、X1及びX2の関係の態様など、事実関係によっては、行政庁である公取委が外国政府の立場も勘案しながら、柔軟にわが国独禁法の適用を調整することもあり得べきではないでしょうか?
課徴金算定の問題としては、ブラウン管テレビ判決では、X1の損害を算定の基礎としました。経済法学説として、柔軟な制裁金制度を立法論として主張する立場があります。
なお、X1とX2が親子会社であっても、別個の法人であり、それぞれ設立された国の法に従うというのは、日本もアメリカと同じように大前提となります。
設例1-②について。
A国の部品購入者であるX1がわが国で、カルテル参加者であるわが国企業を相手取って損害賠償請求をした場合です。
前回のブログでお話ししたように、X1の損害賠償請求については、A国に生じた競争制限効果に基づきA国で発生した損害なので、A国法が準拠法となります。競争法を含めてA国法に従い、損害賠償を肯定すれば足りるでしょう。
他方、わが国の独禁法の「市場のルール」がこの場合にも適用されるというのが、設例1-①の結論でした。そうすると、少なくとも理論的には、わが国独禁法が準拠法のいかんに関わらず適用される絶対的強行規定とならないか否かというのが、私の学会報告の主旨でした。
設例1-①に対して、わが国独禁法における「一定の取引分野」の解釈として、わが国独禁法が適用される場合です。わが国の公取委審決が前提として存在し得ます。その場合の民事賠償であり、X2ではなく、X1が原告となっています。
結論的には、この場合には、わが国独禁法(市場のルール)の適用は抑制されるべきであると解します。その際に、アメリカの統治利益分析論を応用するのですが、わが国独禁法の実質的解釈に抵触法原則としての解釈原則を付け加えるというものです。この点は、ブログを読まれる皆さんには難解ですので、これ以上は止めておきます。
設例2-①
基本的には、法の適用原則の解釈として、設例1-①と同様の問題です。
しかし、設例1と異なり、本来、部品カルテルについて、A国が競争法を執行するべきであるのに、してくれないので、わが国独禁法の適用がなされるという場合です。しかし、設例1の場合と同様に、事件当事者と、わが国及びA国との関係の強さの比較や、X1及びX2の関係の態様など、事実関係によっては、行政庁である公取委が、外国競争法がこの場合を明示的に許容している点をも勘案しながら、柔軟にわが国独禁法の適用を調整することもあり得ると解するべきです。
設例2-②
設例1-②と同じように、準拠法はA国法となります。A国の競争法も適用されます。そこで、X1の賠償請求は否定されることに一応なります。
しかし、ここでも、設例2-①の問題として、わが国独禁法の適用可能性があることを前提しています。すると、市場のルールとしてのわが国独禁法が、準拠法のいかんに関わらず適用される絶対的強行法規とはならないかという疑問を生じます。
特に、X1及びX2の関わる取引を前提に課徴金を課するという公取委の審決が先行する場合に、X1の損害賠償請求につき、わが国独禁法25条(無過失責任)の適用が問題となり得ます。
私は行為の禁止(市場のルール)と損害賠償の問題について、統一的に準拠法選択を行うべきであるとしますが、行為規範(行為の禁止を定める法規範=市場のルール)について、絶対的強行法規となると解しているのです。その場合、準拠法であるA国の競争法が損害賠償を否定し、わが国の独禁法が損害賠償を肯定することになります。
この辺り、大変難しい問題で、必ずしも定説がありません。
更に、間接購入者理論ないし損害転嫁の抗弁の問題が関係します。術語を使うと、前者は、競争法民事賠償の、原告適格ないし請求権者の範囲の問題です。A国が損害転嫁の抗弁を肯定し、従ってX2の請求を認め、X1の請求を否定する場合に、仮に、わが国法の解釈として、X1の請求もX2の請求も原告適格としては肯定するとき、X1に対しては、部品カルテルによる損害という同一の損害について、わが国法が請求を認め、A国法が請求を否定することになります。
原告適格とか、請求権者の範囲というと、損害賠償の争点であるとも考えられますが、問題の性質がそう明らかであるようにも思えません。間接購入者理論などの解釈が絶対的強行法規の性質を帯びないか否かも、別途考察する必要がありそうです。
いずれにせよ、外国競争法が準拠法として(準拠法と共に)適用されるとき、わが国の独禁法が絶対的強行法規となるなら、カルテルにより生じる同一の損害に対して、結論が正反対となります。この場合に、わが国独禁法の解釈として、適用を抑制するべきかについて、やはりアメリカの統治利益分析論を応用しようとしています。わが国独禁法の実質的解釈に抵触法原則としての解釈原則を付け加えるというものです。
フー。 ( ̄Д ̄つかれたー
11/05 3の文章を手直し。
エムパグラン型の設例 ― 2018年07月29日 03:16
ややハードルが高いかもしれません。国際的なカルテルとはどのようなものか、事件を知るだけでも良いかもしれません。
1、ビタミン・カルテルと競争法の公的執行
ビタミン・カルテル事件という国際カルテル事件があります。
スイス、ドイツ、フランス、日本のビタミン剤の製造販売業者が、価格カルテル及び市場分割カルテルを締結しました。この行為に対して、アメリカ及び欧州の競争法当局が、それぞれアメリカ反トラスト法及び欧州競争法を適用し、日本、スイス、ドイツの製薬会社らに巨額の罰金・制裁金を課したものです。
「国際カルテル事件における各国競争当局の 執行に関する事例調査報告書」(2016年・経産省)
http://www.meti.go.jp/press/2016/06/20160603002/20160603002-1.pdf
以上は、刑事罰及び行政制裁の問題ですから、公法の適用としての、競争法の適用です。その国の競争法当局が自国の競争法を適用する関係です。
2、ビタミン・カルテルと民事賠償-エムパグラン事件
このビタミン・カルテルに関して、アメリカで民事裁判が提起されました。それが、エムパグラン(Empagran)事件です。2014年のアメリカ連邦最高裁判決です。
世界各国のビタミン剤の販売者が価格協定を締結し、その結果、アメリカ及びその他の国々において、ビタミン剤の価格高騰を招いた場合に、アメリカの購入者がアメリカで被った損失には、アメリカの反トラスト法が適用されるが、外国の購入者が外国で被った損失については、アメリカの反トラスト法が適用されないとしました。
この最高裁判決では、ビタミン剤を自国で購入したエクアドルの事業者が、自国における価格高騰により被った損害の賠償を求めて、カルテル参加企業をアメリカで訴えたのです。
ウクライナ、オーストラリア、エクアドル及びパナマの購入者は、おのおの自国で販売されたビタミン剤を購入しました。各国で生じた価格高騰がその国に生じた効果ですが、これがアメリカに生じた価格高騰とは別個独立のものであるとされたのです。
重大な反競争的行為が外国でなされ、それが自国内に効果を及ぼすと同時に、外国にも効果を及ぼしている場合であっても、国内の効果と外国の効果が互いに別個独立である場合に、自国反トラスト法の適用をしませんでした。
まとめると、この事件では、行為が外国で行われ、効果が外国に生じ、加害側及び被害側の両当事者が外国の事業者である場合に、外国で生じた損害の賠償を求めた事例に対して、アメリカが反トラスト法を適用しなかったのです。
しかし、同一のカルテルによって、外国で生じた効果(価格高騰)がアメリカに生じた効果(価格高騰)と密接に関係するとき、アメリカの反トラスト法が適用されるかについて、最高裁判決は適用の可能性を否定はしていません。この事件で、被害側によると、ビタミン剤は容易に持ち運べるのだから、アメリカの価格高騰がない限り、その他の国の市場における価格高騰もないという関係にあるので、アメリカの反トラスト法が適用されるべきであるとしていました。
価格カルテルというとんでもない悪行が、世界のどこかで行われ、複数の国に被害が及ぶことを抑制するべきであり、そのためにアメリカにも効果が及ぶどき、アメリカの反トラスト法が、そのようなとんでもない行為に積極的に適用されるべきであるという考え方が、この当事者の主張の背景にあります。
3、アメリカの3倍額賠償
アメリカには、意図的な、とんでもない悪行によって、私人が損害を被った場合に、実際に被った損害の三倍額の賠償を請求できる法制度があります。エムパグラン事件も、当初、価格高騰のために、アメリカで被害を受けた者と外国で被害を受けた者の双方を代表して、外国の被害者が損害賠償を求めるという、クラスアクション(集団訴訟)として提起されており、三倍額賠償が求められていました。
日本法では、そのような場合には実際の損失を埋め合わせるというのが損害賠償の本旨であるから、懲罰的な数倍額の賠償を認めるべきではないと考えられています。このような懲罰は、日本法の下では、刑事罰の問題であり、民事事件では扱われるべきではないとされるのが一般的です。
そのほか、アメリカには、司法制度や民事手続上の、世界でも珍しい特有の法制度が存在します。損害賠償を求める被害者側に有利に作用することの多いそれらの法制度のために、口の悪いイギリスの裁判官によると、「蛾を集める暗がりの灯り」のように、アメリカは世界中から原告を集めると評されています。
アメリカの訴訟制度は興味深い点が多いので、また、いずれかの機会にお話しします。
4、エムパグラン型
ここで、以前に呈示した設例の問題を再掲します。
「日本のY社とA国のZ社を含む国際的カルテルが、A国で締結された。これにより、日本とA国の対象商品市場に競争制限的効果を生じた。日本市場とA国市場が密接に関連している。(近隣国市場でサプライチェーンが共通であり、価格が通常連動する。)対象商品の価格が日本とA国で上昇し、日本のX1社とA国のX2社が損害を被った。エムパグラン基準では、日本の独禁法とA国競争法が共に、日本市場及びA国市場を包括した対象商品の国際的市場に適用される可能性がある。すなわち、日本の独禁法が日本市場における損害とA国における損害に適用され得るし、A国の競争法が日本市場における損害とA国における損害に適用され得る。
カルテル参加者に対する行政罰・刑罰については、エムパグラン基準をいずれの国も採用すると仮定すると、結果的に、日本の独禁法とA国競争法が交差的に重複適用されることも理論的には可能である。
わが国で、X1及びX2がY及びZに対して、損害賠償請求訴訟を提起する場合、いわゆるモザイク理論によると、日本において生じたX1の損害については、日本の独禁法を含む日本法が適用され、A国において生じたX2の損害については、A国競争法を含むA国法が適用される。」
(なお、この設例は、松下満雄「米国「外国取引反トラスト法改善法」(FTAIA)の研究」『国際商事法務』43巻2号(2015)147頁以下、150頁の設例を下に改題したものです)。
エムパグラン基準と一口に言いましたが、上記2の終わりの方で言及した判決の部分を指します。その取引分野において、日本市場とA国市場が密接に関係していると仮定します。
5、行政罰・刑罰について
多国籍企業が入り乱れて近隣諸国を包括する国際市場において熾烈な競争を演じている商品があるとします。グローバル化の進んだ今日の経済社会において、複数国を包括する国際的な市場の中で、どの国に製造拠点を設け、どの国に販売拠点を設けるかは、そのときどきの経済情勢や各国の社会情勢に依存して決定される偶然の産物です。
わが国の企業を含め、各国の企業が、現地生産子会社や販売子会社を設け、また関連会社を通じて、国際的な地域市場における生産及び販売の計画をたてるのです。従って、その国際的市場に包含される各国市場は互いに密接に関係し、価格協定がこの国際市場を念頭に締結される可能性もあるでしょう。そのような商品を対象とするカルテルにより、各国市場における対象商品の価格が連動して変化するというような場合が想定されます。
ここで、日本市場とA国市場が対象商品について密接不可分の関係にある場合に、先のようなエムパグラン基準を、A国の競争法当局と日本の公取委が採用したとして仮定すると(あくまでも仮定の話です)、A国の競争法が自国市場に生じた効果と日本市場に生じた効果を根拠に制裁金を課するし、日本の公取委が日本市場に生じた損害とA国市場に生じた損害を根拠に課徴金を算定する可能性が、理論的には前提できるでしょう。
それぞれの競争法が重複適用されてしまうとすると、二重処罰に似た問題を生じます。公法的な側面では、各国がそれぞれの基準に従い、自国競争法を一方的に適用するからです。各国の競争法の公的執行における調整が必要になります。
6、民事賠償について
X1及びX2が、日本で、Y及びZに対して、損害賠償請求した場合です(裁判管轄があるとします)。
モザイク理論というのは、一個の不法な行為により、複数国に結果を生じたとすると、被害者は各国において生じた損害をその国の法に基づき、加害者に請求できるという考え方です。この考え方によると、複数国に生じた損害をまとめて、いずれか一つの国の法に基づき請求することはできません。
これを競争制限行為に当てはめてみると、カルテルのような一個の競争制限行為の効果が、複数国に生じたとすると、被害者は、その国に生じた効果に基づき、その国に生じた損害の賠償を、その国の法に従い請求できるということになります。被害企業が複数国で損害を被ったとしても、どこか一国の法に基づき請求することはできません。
そこで、X1が日本において被った損害については、日本の法が適用され、X2がA国において被った損害については、A国の法が適用されます。
A国の国際私法が同じ準拠法を選択するとすれば、結果が同一となり、法廷地漁りが除去されます。
アメリカのエムパグラン判決は、反トラスト法違反の民事的賠償について、一方的法適用を行い、自国法が適用されるか否かの問題とします。公法の法適用と私法の法適用を厳密に区別しません。
日本やヨーロッパの法では、民事賠償の問題については、双方的に自国の法と外国の法を適用可能とします。従って、わが国では、X2の損害賠償について、わが国の独禁法を無理に拡張して適用しなくても、競争法を含めてA国の法に基づくことができます。
ちょっと疲れてきました。この辺にしておきます。(Ζ_Ζ)
以下、追加の情報。7月29日13時過ぎ。
上述したエムパグラン事件ですが、最高裁判決の以前、控訴裁判所段階では、被害側が勝訴していました。これが上訴されたものです。最高裁では、国内損害と外国損害の密接関連性についての審理のために、控訴審に差し戻されました。
11/07 若干の文章修正
ハートフォード型の設例 ― 2018年07月20日 17:54
書いている途中で、少しうたた寝をしてしまいました。目覚めて快調!
1、ハートフォード火災保険事件
設例1の事例は、アメリカの裁判例であるハートフォード火災保険事件を基に作っています。
アメリカの反トラスト法(競争法)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて成立したもので、アメリカにおいても極めて重要な法分野です。世界の中で、最も早くこの分野が発達し、法発展が先進的でもあります。日本の独占禁止法に相当する法律であり、日本の独禁法の母法とも目されます。
自由市場経済の下で、完全に市場の手に委ねてしまっては経済活動の寡占化・独占化が進み、自由競争が阻害されてしまう恐れがあります。自由競争の下でこそ、市場に対する新規参入の機会均等と、そのことによる社会的なイノベーションが望まれ、消費者・労働者といった弱者の利益にも配慮された、健全な経済の発展が期待されるのです。
アメリカでは資本主義経済の発展段階における早い段階からこのことが認識され、反トラスト法が早期に発達しました。しかし、ヨーロッパや日本などの他の先進国においては、ことに第二次世界大戦後の復興期に、企業間のカルテルに寛容である政策により、経済発展が優先されることも多かったのです。
アメリカの企業からすれば、強力な自国反トラスト法の執行により企業活動の手を縛られるのに、他国の企業は、アメリカの法では違法な行為であっても自由に事業活動を行えるということになり、他国企業のカルテルにより、世界で最大のアメリカ市場において、アメリカの企業が不利な立場に立ってしまうのです。
そこで、アメリカの反トラスト法執行当局や裁判所が積極的に、他国で締結された他国企業間のカルテルなどに対しても、自国反トラスト法を適用するようになります。アメリカ市場に反競争的な影響を与える場合に、外国で締結されたカルテルに対しても、反トラススト法を適用できると解釈しました。このような解釈を、外国の反競争的行為の効果が自国市場に及ぶ場合に、自国競争法を適用できるという意味で、効果理論と呼び、自国競争法を自国領域外に適用するという意味で、域外適用と称します。これに対して、むしろカルテル許容政策を取る国が、アメリカに対して、国際法違反の域外適用であると猛反発しました。
1980年代を通じて、アメリカと他の先進諸国、特にヨーロッパ諸国との間の、法適用をめぐる熾烈な外交的攻防が続けられました。
しかし、現在、先進各国の競争政策が均一化し、EUを含めて、むしろどの国も効果理論によりながら、自国市場に影響を与える場合に域外適用を行うことが一般的になっています。後で述べる、ブラウン管テレビについての最高裁判決が、わが国の裁判所がわが国独禁法を域外適用した最初の最高裁判決になります。
そこで、ハートフォード火災保険事件ですが、1993年のアメリカの連邦最高裁判決の事件です。再保険の事業者がアメリカの保険会社と締結する再保険契約の問題として、イギリスにおいて再保険者の団体が協定を締結し、アメリカの保険会社がアメリカ市場で提供する保険契約の条件を拘束したという事件です。
再保険というのは、保険会社が消費者等と保険契約を締結し、保険金を支払う場合に備えて契約する保険のことで、消費者等に保険金を支払った保険会社に対して再保険の保険金を支払うとういものです。巨額の支払いにより倒産しないように、保険会社のための保険契約のことです。
アメリカで保険契約を締結した消費者等が、イギリスの再保険者の団体による上のような条件拘束により、保険金を支払ってもらえない事態を生じ損害を被ったとして、19の州とアメリカの消費者等が集団訴訟を提起しました。
詳細な要件論は別にして、要するに、イギリスでの協定がアメリカの保険市場において反競争的効果を生じたことを理由に、アメリカの裁判所がアメリカの反トラスト法を適用しました。
ところが、イギリスではこの協定が許容されており、アメリカの反トラスト法が適用されるべきではないとするイギリス政府の見解が表明されていたのです。
2、公法と私法の法適用
前々回の国際私法への招待でお話をした内容を覚えていますか?
公法と私法とで、法適用の方法が全く異なると述べました。このことはわが国の法の大前提とされます。わが国の国際私法は大陸法系統に属します。大陸というのは、ヨーロッパ大陸のことで、明治維新にわが国法を整備したときに法の先進地域として、西欧各国の法を継受したので、現在でも多くの法分野が大陸法の影響を強く受けています。法分野を公法と私法に峻別し、法適用も異なる方法によることにしています。
しかし、アメリカはこの法系統に属しません。公法と私法を峻別するという発想を欠くのです。前述の、ハートフォード火災保険事件でも、損害賠償の問題という私法上の問題について、反トラスト法の行政処分や刑事罰を課する公法としての側面と同様の、法適用の方法によっています。
重要な国家的利益に関わる法である反トラスト法の一方的な適用のみがあり、ほぼ外国の競争法を適用することをしないと言って良いのです。反トラスト法については、自国法の適用があるか否かを決定し、適用される場合に損害賠償の根拠とすることができ、否定されるとそもそも損害賠償を求めることが許されません。
アメリカにおいても、一般の不法行為事件では、損害賠償請求の根拠として外国法が適用されることがあります。双方的な法適用がなされ、法選択の結果、自国法か外国法を適用し、損害賠償が認められるか否かを判断します。しかし、反トラスト法の私法的な請求については、一般の不法行為事件とは区別されるのです。
日本法は、先に述べたように、公法と私法を厳密に区別します。公法は一方的な法適用を行い、私法は双方的に法を適用するのが原則です。競争制限的行為により、私人が損賠を被り、私人である行為者に損害賠償を求める関係に対しては、自国法か外国法か、準拠法を決めなければなりません。
EU法では、競争制限的効果を生じた市場地国の法を適用するという規則を有します。EUの構成国に共通の法規則です。従って、EU構成国であるヨーロッパ諸国の裁判所は、損害賠償請求事件には、この規則に従い外国の競争法を準拠法として適用することになります。
私は、わが国の国際私法の解釈として、競争制限行為に基づく損害の賠償を求める場合に、準拠法を決定する必要があると考えています。その場合に、法的根拠はいずれにせよ、競争制限的効果を生じた市場地国の法を適用することになります。そして、わが国の法であれ、外国の法であれ、その国の競争法が適用されます。
3、そこで、前回示した事例をもう一度、掲げます。
ここまでで解決できるのがⅠのハートフォード型の事例です。
「Ⅰ ハートフォード型
設例1
日本のY社とA国のZ社らのカルテル参加者が、A国でカルテルを締結した。このことによって、複数国の市場に競争制限的な効果が及び、日本もその一つに含まれる。カルテル対象商品(モノかサービス)を日本のX1社が購入し、カルテルによって損害を被った。
日本が当該カルテルを規制し、A国が許容する
設例2
日本のY社らが、日本で輸入カルテルを締結した。このカルテルは日本の行政庁による行政指導に基づくものであった。日本の輸入市場には影響がないものとする。このカルテルによって、A国の輸出市場に競争制限的な効果が及び、A国のX2社が損害を被った。
日本が当該カルテルを許容し(わが国独禁法上、適用除外の例外則に該当する)、しかしA国が規制する。
以上の条件を前提する。
① 設例1の事例でも、設例2の事例でも、行政罰・刑事罰の問題については、日本では公取委が、日本において日本の独禁法が適用されるか否か、A国においては、A国競争法当局が、A国競争法が適用されるか否かを、いずれも一方的に決定する。
② わが国で、損害賠償訴訟が提起された場合、設例1のX1の損害について、準拠法として日本法が適用され、設例2のX2の損害について、準拠法としてA国法が適用される。 」
① の問題について。
設例1においては、A国で締結されたカルテル、設例2においては、わが国で締結されたカルテルに対して、行政処分ないし刑事罰が下されるか否かの問題について、A国の競争法が適用されるか否かは、A国当局がその競争法の適用を一方的に決定することになり、わが国の独禁法が適用されるか否かは、わが国の公取委(ないし裁判所)が一方的に決定することになります。
② の問題について。
X1の損害との関係で、競争制限的効果の生じた市場地国であるわが国の法が準拠法となります。従って、わが国の独占禁止法が適用され、独禁法上の損害賠償規定ないし一般不法行為法である民法709条により損害賠償の成否が決定されます。
X2の損害に関して、競争制限的効果の生じた市場地国であるA国の法が準拠法となります。従って、A国競争法が適用され、A国の特別法であれ、一般不法行為法であれ、その民事賠償規定により損害賠償の成否が決定されます。
さて、次の問題です。
「①と②のいずにせよ、わが国で、わが国の独禁法を適用する場合に、A国の競争政策ないし競争法の適用の結果を考慮することができるか?」
この問題を考える前に、設例2の事例について、もう少し解説します。
4、設例2の事例の解説
この事例の基にしたのが、ズワイ蟹輸入カルテル事件です。(この事件について、石黒一憲「ボーダーレス・エコノミーへの法的視座・第16回 ズワイ蟹輸入カルテル事件と域外差止命令-国家管轄権論的考察」『貿易と関税』1992年10月号36頁以下参照)
1982年当時、アメリカにとってわが国が水産物の最も有力な輸出先でした。この事件ではアラスカ産ズワイ蟹のわが国の輸入業者において、価格カルテルが締結されたとして、アメリカの裁判所がアメリカの反トラスト法を適用しました。買付価格を談合によって低く抑えたとされました。
実はこのカルテルは、わが国の行政庁が、輸入秩序の維持及び過当競争の防止を目的としてした行政指導により、締結されたものだったのです。
そこで、設例2は、以上のような輸入カルテルがわが国にあった場合に、アメリカで対象商品の輸出に関わるX2というアメリカの事業者が損害を被ったという事例です。アメリカにおける当該商品の輸出市場に競争制限的効果が及んでいます。
先に述べたように、このカルテルにアメリカが行政処分等の前提として、効果理論に基づき自国法を適用する否かは、アメリカ法が一方的に決定することです。他方、日本の独禁法に基づき、排除措置命令という行政処分等が発出されるかは、わが国の公取委が一方的に決定することです。
ここからが、先日私が学会報告を行った要点の一つとなります。ごく概括的に、専門家でなくても、ある程度法的な知識があれば理解可能なように記述しますが、難解であると思われたら、飛ばしてください。結論的に、何を言いたいかだけでも分かれば、結構面白いかもしれませんよ。
5,「①と②のいずにせよ、わが国で、わが国の独禁法を適用する場合に、A国の競争政策ないし競争法の適用の結果を考慮することができるか?」-1
行政罰・刑事罰の前提としての①の場合。
設例1は、A国で締結されたカルテルに対して、日本が規制し、A国が許容する。わが国に競争制限効果が及んでいるので、わが国の独禁法を適用するとする場合、A国が当該カルテルを許容する趣旨が問題となりそうです。単に無関心ないし競争法の未整備であるのか、積極的な国家政策としてカルテルを許容しているのか。私は、これを考慮する余地があると考えています。
基より、わが国市場に競争制限的効果が生じているのですから、そんなに良い顔をしている場合ではないでしょう。従って、よほどのことがない限りわが国の独禁法が適用される必要があるでしょう。しかし、少なくとも、わが国独禁法の解釈原則として、外国の法と政策を考慮する法理が付加されるべきです。
設例2は、日本で締結されたカルテルに対して、日本が許容し、A国が規制する。A国が競争制限的効果の及んだ市場地国であるとして、A国競争法が適用を欲する場合、日本としては、このことを考慮できるでしょうか。わが国独禁法の立場としては、適用除外規定(独禁法22条)の解釈の問題となるでしょう。あるいは行政指導に基づくカルテルが独禁法の適用を免れるかという論点に関する解釈論の問題です。
ここでもわが国法の解釈上、適用を除外されるべき場合は、当該カルテルが規制されてはならないでしょう。しかし、ここでもA国の法と政策を考慮する余地が、適用除外規定の解釈(わが国独禁法の解釈)に付加されるべきです。
6,「①と②のいずにせよ、わが国で、わが国の独禁法を適用する場合に、A国の競争政策ないし競争法の適用の結果を考慮することができるか?」-2
わが国で、カルテル参加者であるY社らに対して、損害賠償訴訟が提起される②の場合。
設例1のX1の損害賠償について、準拠法が日本法となります。日本の独禁法が適用されます。しかし、A国はカルテル許容政策を取っています。
以前のブログでお話ししたように、損害賠償を規律する規範は、一般に、法に禁じられた行為がなされ、これに基づき損害が発生した場合に、その損害を賠償する義務を生じるという構造をとっています。
わが国の独禁法の構造も、行為規範と効果規範(損害賠償規範)に分解することができます。
独禁法1条が法の立法目的として、「この法律は、私的独占、不当な取引制限及び不公正な取引方法を禁止」するとし、更に、3条が「事業者は、私的独占又は不当な取引制限をしてはならない」と規定しています。そして、例えば不当な取引制限とは、2条6項により、「この法律において「不当な取引制限」とは、事業者が、契約、協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限することをいう」と定義されています。
以上が、行為規範ないし禁止規範です。一定の行為を法が禁止しています。
この違反に対しては、行政処分・行政罰や刑事罰のほか、行為規範の違反により、損害を被った者はその賠償を行為者に求めることができます。
わが国の独禁法上、同一の行為規範の違反に対して、行政及び刑事の罰則と民事賠償の双方が効果として与えられているのです。
設例のYらの行為、すなわちわが国の独禁法3条に違反する行為、によってX1の損害がもたらされたという場合、損害賠償については、独禁法25条(26条)(無過失責任)または民法709条(過失責任)が根拠条文となります。
このとき、上述の5で述べたのと同様の考慮が必要であると、考えています。すなわち、行政罰や刑罰の場合と同一の行為規範である独禁法3条(及び2条)の、地理的適用範囲を決定する際に、A国の法と政策を考慮する法理を付加するべきであるとするのです。
設例2のX2の損害賠償について、準拠法がA国法となります。A国の競争法が、競争制限的効果を生じた市場地の法として、適用を欲するとすると、Yらは、X2に対して損害賠償をしなければならないのでしょうか? X2らのカルテルは、わが国の適用除外を受けていたはずです。
結論的には、損害賠償が否定されると解されます。幾つかの法律構成が考えられますが、ここでは私見を開陳しておきます。
行政罰や刑罰の場合と同一の行為規範である独禁法の3条及び、その適用除外規定と解釈が適用されねばならないと解します。これらの規定等を、準拠法のいかんに関わらず適用されるべき絶対的強行法規であると解するからです。
更に、ここでも、上述の5で述べたのと同様の考慮が必要であると、考えています。すなわち、このような行為規範の地理的適用範囲を決定する際に、A国の法と政策を考慮する余地を付け加えるべきであるとするのです。
そして、法廷地の法と外国法との適用の調整をする法理を、独立の抵触法原則として、わが国の独禁法の行為規範の解釈に付加するというものです。
各国の競争政策が対立するとき ― 2018年07月13日 21:34
こんなに暑いので、クーラーを効かせた部屋で、パズルに挑みませんか?
先々週と先週にわたり、競争法と国際私法の意味や、法の適用について、解説しました。公法と私法の区別を前提に、国際的な法適用の方法が全く違いましたね。
これを前提にした事例問題を考えてみましょう。今日は、事例だけです。解法は次週よりゆっくり解説します。もっとも正解が一つだけあるということではありません。解法は、私の独断です。まずは、どのような問題か、事例を理解することから始めましょう。法律を事例に適用して、ようやくその意味が分かります。
事例そのものを理解するために、図を書きながら、考えると分かりやすいですよ。私は、ある国の領域を大きな「丸」で囲み、その国の企業が事例で問題となる場合、その企業の「記号」、XとかYとかを、その丸の中に書き入れます。そして、その関係を「線」で結んで現します。
パズルのつもりで、一度、考えてみませんか? 事例ですから、新聞記事に出てくる事件を読むような感覚でどうでしょう。以外に面白いですよ(^_-)
なお、ハートフォードとか、エムパグランとか、モトローラとか、出てきますが、アメリカの判例の略称です。事例は、設例として、私の創作に係りますが、その基となった実際の判決です。火災保険、ビタミン剤、携帯電話用液晶のカルテルに、アメリカの反トラスト法という競争法の適用があるか否かが争われました。ブラウン管テレビ事件というのは、わが国の最近の判決です。
次週より、もう少し詳しく解説してみます。まずは、何の問題か、事例を考えます。
Ⅰ ハートフォード型
設例1
日本のY社とA国のZ社らのカルテル参加者が、A国でカルテルを締結した。このことによって、複数国の市場に競争制限的な効果が及び、日本もその一つに含まれる。カルテル対象商品(モノかサービス)を日本のX1社が購入し、カルテルによって損害を被った。
日本が当該カルテルを規制し、A国が許容する
設例2
日本のY社らが、日本で輸入カルテルを締結した。このカルテルは日本の行政庁による行政指導に基づくものであった。日本の輸入市場には影響がないものとする。このカルテルによって、A国の輸出市場に競争制限的な効果が及び、A国のX2社が損害を被った。
日本が当該カルテルを許容し(わが国独禁法上、適用除外の例外則に該当する)、しかしA国が規制する。
以上の条件を前提する。
① 設例1の事例でも、設例2の事例でも、行政罰・刑事罰の問題については、日本では公取委が、日本において日本の独禁法が適用されるか否か、A国においては、A国競争当局が、A国競争法が適用されるか否かを、いずれも一方的に決定する。
② わが国で、損害賠償訴訟が提起された場合、設例1のX1の損害について、準拠法として日本法が適用され、設例2のX2の損害について、準拠法としてA国法が適用される。
① と②のいずにせよ、わが国で、わが国の独禁法を適用する場合に、A国の競争政策ないし競争法の適用の結果を考慮することができるか?
Ⅱ エムパグラン型
日本のY社とA国のZ社を含む国際的カルテルが、A国で締結された。これにより、日本とA国の対象商品市場に競争制限的効果を生じた。日本市場とA国市場が密接に関連している。(近隣国市場でサプライチェーンが共通であり、価格が通常連動する。)対象商品の価格が日本とA国で上昇し、日本のX1社とA国のX2社が損害を被った。エンパグラン基準では、日本の独禁法とA国競争法が共に、日本市場及びA国市場を包括した対象商品の国際的市場に適用される可能性がある。すなわち、日本の独禁法が日本市場における損害とA国における損害に適用され得るし、A国の競争法が日本市場における損害とA国における損害に適用され得る。
カルテル参加者に対する行政罰・刑罰については、エムパグラン基準をいずれの国も採用すると仮定すると、結果的に、日本の独禁法とA国競争法が交差的に重複適用されることも理論的には可能である。
わが国で、X1及びX2がY及びZに対して、損害賠償請求訴訟を提起する場合、裁判管轄があるとすると、いわゆるモザイク理論によると、日本において生じたX1の損害については、日本の独禁法を含む日本法が適用され、A国において生じたX2の損害については、A国競争法を含むA国法が適用される。
Ⅲ 部品カルテル型(ブラウン管テレビ事件・モトローラ事件)
ある製品(完成品a)の部品に関する価格カルテルが、A国企業Y1(日本企業Y2の子会社)を含む複数の部品メーカーによりA国で締結された場合で、A国企業X1がカルテル対象部品を購入し、A国において対象部品を組み込んだ完成品aを組み立て、その完成品aを日本の企業であるX2が購入(輸入)したとする。この部品カルテルが、部品の市場であるA国市場に競争制限的効果を生じるのは当然である。
同時に、X1とX2に一定の関係がある場合などの条件を充たせば、日本の最高裁判決によると、当該のカルテルが、aという完成品の輸入市場に影響を及ぼしたとき、日本が競争制限的効果を生じる市場の一つであるとして、日本の公取委が独禁法を適用して課徴金(行政罰)を課し得る。
従って、この部品カルテルに対して、A国競争法が適用され、同時に、日本の独禁法が適用されることがある。
設例1
日本の独禁法が当該部品カルテルを規制し、A国競争法もまた規制する。
設例2
日本の独禁法が当該部品カルテルを規制し、A国競争法は明示的に許容する。
以上の条件を前提にして、次の問題を考察することができる。
① 課徴金の問題として、A国競争法の立場は、わが国独禁法の解釈に影響するか。
仮に、公的執行について、わが国の独禁法の適用があるとして、
② 次に、X1のY1及びY2に対する損害賠償請求の問題としては、裁判所は、わが国独禁法の適用範囲について、抑制的に解し得るか。
世界中の製造業において、サプライチェーンのグローバル化が進んでいます。どの国から部品を調達し、どの国で完成品を組み立て、また販売拠点を設けるかは、そのときに最も効率的でよく儲かる場所という観点から決定します。部品の国際的カルテルがあった場合、その影響は世界各国の市場に及びます。各国の競争法が重複して適用されることも珍しくありません。
このときに、各国の競争法の適用を調整する仕組みはまだ充分に発達していません。
部品カルテルについては、その競争制限的効果が、部品市場に生じると同時に、これを組み込んだ完成品市場にも生じると考えることが可能です。前回お話ししたように、同一のカルテルについて、各国が重畳的に行政罰・刑事罰を課することが有り得ます。
損害賠償の問題としては、部品購入者と完成品購入者の関係が問題となります。直接部品を購入した製造販売過程の中間者が損害賠償を請求できるのか、完成品を購入した最終者か。いずれも可能なのか。各国の法の相違があります。
損害賠償の前提としての、競争法の「市場のルール」の適用範囲については、公的執行の場面と基本的には同じです。しかし、より具体的な基準に関しては、損害賠償の問題と公的執行の問題について、適用範囲の基準を、別にすることも有り得ます。
ちょっと肩がこりましたか? この辺で今日は止めておきます。
国際私法への招待 ― 2018年07月07日 13:19
濃い青紫の雨傘をさして、雨だれの跳ね返りをズボンの裾に受けながら、郵便局に行ってきました。速達で出そうとすると、局員さんが、豪雨の影響で高速道路が通行止めになっているので、半日から、1日程度遅れるというのです。それで構いませんと答えて、郵便料金を支払うと、証紙を貼ってくれます。今、目の前にいる人に託した手紙が、もう直ぐ遠く離れた人の許に届けられるのを、なんだか不思議だなと思ったことはありませんか。
今回は、国際私法の世界への招待から始めたいと思います。まずは、法一般について、特に、法の種類や区別についてお話しします。
1、郵便法?
日本には郵便制度が完備されています。
郵便法という法律があります。元は昭和22年に成立した法律です。この法律に従い、日本で「郵便」の業務を行うことができるものが、日本郵便株式会社(以下、日本郵便)であることが規定されています(2条、4条1項)。
郵便物の種類や大きさ・形状、郵便料金の支払いについても、この法律に従います。
そして、信書の送達については、日本郵便が原則として行うこと、運送業者がこれを行なってはならないことが規定されています(法4条2項、3項)。
一般的に信書送達業務をユニバーサル事業として行うために、郵便ポストを全国的に配置していることなど厳しい条件が課されているので、日本郵便以外の一般の事業者が参入していません。それではコストがかかり過ぎるので、事業として成り立たないからです。そこで、カタログなどの分厚い資料の配送や800円以上という要件を満たす場合の信書便事業をいくつかの事業者が行なっています。これを特定信書便事業と呼び、日本郵便の行うような一般信書便事業と区別しています。
ところで、信書とは、「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書」です。(法第4条第2項)
宅配業者であるクロネコ・ヤマトは、クロネコメール便という信書便事業を行なっていたのですが、2015年にこれを廃止しました。クロネコ・ヤマトの主張がウェブに掲載されています。信書の定義が曖昧であるとし、郵便法その他の法に基づき、郵便事業において日本郵便が、他の民間業者との公正な競争を阻害していることを問題視するようです。
http://www.kuronekoyamato.co.jp/ytc/ad/opinion/
手紙や葉書を出して、人に送るという、ごく当たり前のことが、法に規定され、法に則った形でのみ許されているのです。信書送達について、郵便法4条に違反すると、3年以下の懲役又は300万円以下の罰金が課されます。事業者と信書を送ろうとした個人が刑罰に服する恐れがあります。
2、道を歩けば、「法」
人は右側通行、車は左側通行、というのも当然のことですよね。日本ではそうですが、よく知られているように、欧米ではその逆になる国があります。わが国で、先のように歩行者や自動車運転者が行動するべきなのは、法の観点からは、道路交通法に規定があるからです。
まるで水か空気のように、普段は「法」なんて意識しないのに、実はこの社会は「法」で満たされているのです。
速度違反で走行する自動車に撥ねられた人はどうします?
まずは警察に通報して事件処理をしてもらうでしょう。人身損害を引き起こした交通事故です。速度違反を証拠から確定し、被害者の傷害の状況など警察による捜査の対象となります。刑法犯となるでしょうし、制限速度を大幅に超えたひどい高速を出していたとすると、特別法による危険運転傷害罪に該当するとして、重い刑罰に服することになるかもしれません。そして、検察官により刑事訴追され、裁判所が刑事法を適用して、有罪判決を下すと、刑罰が確定します。
歩行者は、傷害を被り、重度の後遺障害が残ったとすると、自動車の運転者を相手取り、損害賠償請求訴訟を提起するでしょう。日本では、自動車損害賠償責任法により、いわゆる自賠責保険の加入が義務付けられているので、その範囲までは通常問題なく、賠償を受けられるでしょう。しかし、被害者がこれを超えた部分の補償を得ようとすると、任意保険で賄われるのでない限り、損害賠償を加害者に請求するほかありません。快く支払ってくれないと、裁判所に行って民事訴訟を提起することになります。裁判所が民法を適用して、損害賠償を認める判決を下すと、相手が嫌だと言っても、裁判所が強制執行の手続きに従い、判決で認められた金銭を取り立ててくれます。
ここまでの例では、どのような種類の法が関係したでしょう。
郵便法や道交法の規定を行政取締法規と呼びます。傷害罪や危険運転傷害罪に関する刑法や特別刑法の刑事法規が関係しました。損害賠償については、自賠法や民法が適用されます。このほか、裁判手続きについて規定している刑事訴訟法や民事訴訟法という手続法に従います。
以上のうち、行政法や刑事法、及び手続法が公法に分類され、民法や商法は私法に分類されます。前者は、公(おおやけ)と市民との関係を規律する法分野です。後者は、市民相互間(私人と私人)の関係を規律する法分野です。
道を歩けば法にぶつかる?! 普段は分からないのですが、一旦、何らかの問題を生じると、法の存在に気付かされます。この世の中、法で満ち溢れているのです。
3、国際事件での法適用―公法
日本国内において完結する全くの国内事件では、以上のような法の適用について、日本の法以外は意識しないで済みます。しかし、国際的な関係を有する事件ではどうでしょう。
一般に、一国の公法は、その国の領域内で適用されます。外国の公法は適用されません。例えば、右側通行か左側通行かについて、日本で外国の交通法規を遵守する訳にはいきませんね。わが国の交通に関わる秩序維持の観点から必要不可欠のことです。刑事法についても、外国の刑法をわが国の裁判所が適用して、被疑者を裁くということはしません。わが国の刑事法を適用するのみです。
外国の個人や企業がわが国の領域の中に足を踏み入れたとすると、それらの個人・企業はわが国の公法に服する必要があります。
しかし、公法はその国の領域内で適用されるとしても、外国で生じた事件に全く無関心であるかというとそうではありません。
例えば、刑法1条1項は日本国内でなされた犯罪に日本の刑法が適用されることを規定していますが、2条には、全ての者の国外犯として、例えば、国外で、日本における内乱を準備したり、兵器や資金を提供すること、外国に日本を武力攻撃するように仕向けること、日本の通貨の偽造や有価証券を偽造することに対して、日本の刑法が適用できると規定されています。3条は、日本国民が国外で殺人や放火、誘拐、逮捕監禁など重大な犯罪行為を行った場合に、4条では、日本国民が国外で、殺人や傷害、誘拐、逮捕監禁、強盗など重大な犯罪の被害を被った場合に、日本の刑法が適用できるとしています。
もっとも、日本の捜査当局が国外において、断りもなく犯罪捜査を行い、被疑者を逮捕し、日本に連行することはできません。その外国の主権を侵害することになります。被疑者がわが国に居る間に拘束し、日本の刑法が適用されて有罪となると、日本の刑務所に収監されるなど、刑罰を加えられることになります。
刑法2条ないし4条は、犯罪が外国で完遂された場合にも、わが国刑法を適用できる犯罪類型です。
他方、刑法175条のわいせつ物頒布等の罪について、興味深い論点が存在します。
日本の事業者が違法なわいせつ物に当たるようなAVを日本国内で製作し、これを電磁化したものをアメリカのサーバーにアップロードしたとします。そして、日本の視聴者向けに有料で提供した場合に、刑法175条が適用できるかという問題です。ダウンロード用サイトは日本語で記述されており、明らかに日本人向けであるとしても、犯罪行為はアメリカの領域内で行われていると事業者が主張する場合、わが国刑法175条は適用できないようにも思えます。アメリカは、その行為を違法とはしていないとすると、日本の事業者の行為はいずれの国においても処罰されないというべきでしょうか。
先ほどの刑法2条や3条に、刑法175条の犯罪が入っていないからです。
しかし、わが国の判例学説の多数は、わいせつ物の作成とアップロード行為が日本国内でなされ、ダウンロード先が日本であることや、ダウンロードサイトの表記が日本語であるなど、明らかに日本人向けである点を総合的に勘案して、日本の刑法が適用できるとしています。犯罪となる行為は、個々の行為の行為連鎖から成ります。その重要な部分が日本で行われている以上、日本の刑法が適用できるとされるのです。
このように、一国の公法は、自国の法を自国領域内に生じた事実関係に適用できることを基本としつつ、一定の場合には、外国の領域内に生じた事実関係にも適用できるということになります。
自国の法が適用できるか否かのみが問題となるので、一方的な法適用の問題です。法を領域外の事実関係に適用する場合、これを域外適用とも言います。公法と言っても、多種多様な多くの法規定の集合体であり、便宜的に一括して「公法」と呼んでいるに過ぎません。個々の法規毎にその性質に応じて、適用範囲を決定する必要があります。
ところで、一方的な法適用というなら、双方的な法適用というのがあるのでしょうか?
4、国際的な法適用―私法
公法というと、最初から、その国の領域の中で適用されると決まっている法です。一口に言うと、一国の国家的利益あるいは公益の核心にある法領域です。
しかし、私法は必ずしもそうではありません。
例えば、民法709条は、不法行為の被害者が加害者に対して被った損害の賠償を請求できるという規定です。被害者=私人と加害者=私人との間で、加害者に落度があるなら、被害者が失った利益を加害者に埋め合わさせるという権利を被害者が有し、加害者がその義務を有するということを定めています。
不法行為制度は諸国の法において存在しますし、基本的な制度趣旨はよく似通った法制度であると言えます。しかし、一般に、不法行為の制度は、何をすれば「落ち度(過失)」があるか、逆に、何をすれば「自由に行動できるか(損害賠償を免れるか)」を規定してます。そして、この点の考え方が、国によって異なるので、法の詳細については、国によって驚くほど異なります。
日本人が外国出張中に自動車事故を引き起こすとか、外国人が日本在留中に交通事故の被害者となるなど、国際的な不法行為事件において、どのように法が適用されるでしょうか。
わが国の法の適用に関する通則法によると、不法行為の結果が発生した国の法によることになります。
当事者は、その国に住んでいたり、あるいは、自ら国境を越えてその国に入ったのです。加害者とされる人にとっても、被害者となる人にとっても、その国の法を適用することが公平と言えます。不法行為制度は、その国の公益にも関係します。そして、不法行為の成否や効果について、不法行為の為された国の法によるという原則が、諸国の法においてほぼ一致して認められているのです。従って、どの国も、不法行為地国の法を適用することで、当事者がどの国の裁判所に行っても、いつでも同じ国(不法行為の為された国)の法を適用してくれることになります。
国家的な関心の強い公法は国境線で囲まれた領域の中でのみ妥当するのが本則であり、その領域内に生じた事実関係に対しては、その適用要件に該当する限り、絶対に適用されねばならないと考えられます。
これに対して、私法は、私人間の利害調整を行うための法であり、その法を制定した国にとって、普遍的な正義の在り処を体現しているとも言えます。このことについて、国家的利害に直接関わるとは言えず、国家としての関心はさほど強いものではありません。不法行為事件の加害者が勝訴するか、被害者が勝訴するかについて、国家が強い関心を有するといは言えないでしょう。
私法については、その関係における真理を表しており、国境を越え、外国の法を適用できると考えられています。国際的事件においては、自国法であれ、外国法であれ、当事者及び事件に最も密接な関係を有する国の法を適用するというのが国際私法の根本原則です。日本法と外国法の双方の適用が可能である方法なので、双方的な法適用です。
ますますわが国のグローバル化が進行すると、国際結婚・離婚・親子関係や相続、外国企業への就職や外国への長期出張、あるいは外国のwebサイトでの買い物など、国際的な生活を送る人々も増加することになります。また、企業活動の国際化は留まるところを知りません。
このような人々の生活が安定し、また国際的企業活動が円滑に行われるために、その意味で当事者及び事件に最も密接な関係を有する国の法を適用するわけです。実際に、わが国の裁判所で外国法が適用されることが良くあるのです。
随分長くなったので、この辺で、一旦終わりにします。まだ、前提のお話です。次回は、競争法の法適用について、少し詳しく考察してみます。競争法というのは、わが国においては独占禁止法ですが、公法と私法の双方の性質を有している混合法と呼ばれる法分野に属します。従来は、公的な執行が中心だったのですが、損害賠償請求といった私的な執行が重要になりつつあります。
☆7月7日 00時35分に公開した記事ですが、同日13時に、4の部分の文章に若干、手を入れました。内容は全く同じですが、分かりやすくするためです。
企業戦士がカルテルで討ち死にする ― 2018年06月30日 12:51
先週の日曜日に、東京に出張して、学会報告をしてきました。ちょっとブログのネタ切れですので、このブログの趣旨からは、少々外れるのですが、今回と次回の二回に渡って、学会報告の内容に即して、私の専門分野の話を、できるだけ噛み砕いてお話ししようかと思います。
今日は、学会報告の前提部分の解説になります。
1、カルテルを結んだ企業の幹部が、アメリカの刑務所に入れられた!
2012年に、矢崎操業とデンソーが自動車部品のカルテルに関して、米国当局から巨額の罰金(約四百数十億円)を課された上、矢崎操業の幹部社員四人が1年3ヶ月から2年の禁錮刑を課されました。日本人社員が進んでアメリカの捜査当局に出頭し、刑罰に服したのです。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM31019_R30C12A1MM0000/
米国市場に進出している企業は、子会社等の拠点を設けているでしょうし、金融機関に口座を開設し、そのほかの資産も有しているでしょうから、罰金を拒めません。米国市場が極めて重要な日本のメーカーにとって、司法当局の求めに応じて、進んで刑事手続にも服さざるを得ない事情もあります。
また、2008年には、シャープなど日韓台の3社が、反トラスト法違反で、米国司法省に、三社合計約560億円の罰金の支払いを命じられました。ゲーム機やパソコンなどの部品となる液晶について、カルテルを結んだからです。
https://av.watch.impress.co.jp/docs/20081113/lcd.htm
その後、液晶を購入したパソコン・メーカーから損害賠償を請求する訴訟を、米国で提起されたり、消費者集団訴訟を提起されたりして、複数の民事訴訟を提起されました。これらの訴訟で、総額で数百億円に登る和解金の支払いを余儀なくされています。
液晶カルテルに関しては、このほかに、欧州委員会や日本の公正取引委員会などからも巨額の罰金の支払いを命じられています。
サプライチェーンがますますグローバル化している現在の企業活動において、部品カルテルは、世界中の多くの国々に影響を及ぼします。同じ種類のカルテル対象部品が、複数国に所在する多くの完成品メーカーによって購入され、様々な製品に組み込まれ、その完成品が複数国に輸出されるからです。
2、カルテルと競争法
カルテルというのは、簡単に言うと、企業間で特定の商品等を販売する価格を取り決めることです。そうして価格を釣り上げておいて、企業が競争しなくても利益を得られるようにすると、消費者の生活が危なくなります。また、既存の企業間で、価格を引き下げる取り決めをして、新興企業が市場に参入することを阻む場合もあります。
https://www.jftc.go.jp/ippan/part2/act_02.html
(公正取引委員会のHP)
複数の企業が、良い商品を安く提供できるかを競争し、技術を改良し、マーケティングにより消費者のニーズに適った商品を開発することで、消費者の利益になり、優良な企業が市場において勝ち残ります。カルテルを禁止しているのが、競争法と呼ばれる法です。
市場における自由競争(あるいは経済発展に最適な適正競争)を至上の価値とするのです。日本では、独占禁止法ですが、この法分野のことを一般に競争法と呼びます。もともとアメリカ合衆国で誕生した法で、アメリカでは反トラスト法と言います。ことにアメリカでは、経済学と密接に結びつきながら高度に発達し、証券取引法の分野と共に、経済活動の憲法とも言えるような重要な法分野であると認識されています。
日本でもその重要性がますます高まっていますが、第二次世界大戦の復興期には、西欧諸国を含めて、産業保護の観点から政府がカルテルを奨励した例があります。戦後復興が終わり、いよいよ国際競争が激化してくると、外国で締結されたカルテルによって、アメリカ市場において自国企業や消費者の利益を損なう場合が問題視されるようになります。
アメリカの企業はアメリカの反トラスト法の厳格な執行を免れないのに、外国で締結された(許された)カルテルにより、アメリカの市場において、アメリカの企業や消費者が不利益を被るからです。
国外で結ばれたカルテルによって、他国企業が高い製品を買わされ、自由競争の恩恵を被ることを妨げられたり、市場への新規参入を阻まれることや、他国の消費者が不利益を被る場合に、競争制限的な効果が、その国の市場に生じたとします。
そこで、反トラスト法の執行を担うアメリカの競争当局は、外国で締結されたカルテルが自国に効果を及ぼすときに、アメリカの反トラスト法を適用し、行政制裁・罰金や刑罰を課して、取り締まるようになりました。裁判所も、損害を被った企業に対して、民事的な損害賠償を認めてきました。これを効果理論と呼びます。
日本や西欧各国は、アメリカに対して、国際法違反として厳しく批判したのです。カルテルにより産業を保護するという経済政策に対する干渉であり、内政干渉に当たると考えたからです。しかし、現在では世界の多くの国が競争法を整備し、日本やヨーロッパのような先進国のみならず、新興国を含めて、効果理論により、自国競争法を適用するようになっています。
3、ブラウン管カルテル最高裁判決(平成29年12月12日最高裁第三小法廷 判決 平28(行ヒ)233号 審決取消請求事件(民集 71巻10号1958頁))
昨年暮れに下された日本の最高裁判決の事件を紹介します。
日本国外で締結された、日本、韓国、マレーシア、台湾、タイ、インドネシアの事業者ら(ブラウン管メーカー)のブラウン管に関する価格カルテルが問題となりました。カルテルの対象となったブラウン管を、現地子会社を通じて日本のブラウン管テレビのメーカーが購入したのです。
最高裁で扱われた事件を簡略化して説明すると、日本のテレビ・メーカーが、ブラウン管メーカーと重要条件について交渉し、その指示通りにマレーシアの製造子会社(日本のテレビ・メーカーの100%子会社)がブラウン管を購入し、ブラウン管を組み込んだ完成品のテレビを組み立て、そのテレビを日本の親会社が購入した事例です。
カルテル対象ブラウン管を組み込んだテレビは、日本国内でも少数流通したようですが、大半は、国外に転売されました。
このカルテルによって、競争制限的な効果を生じた市場に、わが国が含まれるとして、最高裁が、わが国独禁法の適用を肯定しました。正確にいうと、公正取引委員会が、カルテル参加企業に課徴金(罰金)を課したことを正当であると認めたのです。
判決は、価格、数量、仕様などの重要条件について、日本の親会社が部品メーカー側と交渉し、その合意内容に従って、現地子会社に購入を指示し、子会社はその指示通りに部品を購入したこと、及び親会社と子会社が経済的に一体であることを重視し、部品カルテルが、完成品を購入するわが国市場の競争条件に影響を与えた、としています。
わが国の競争法当局である公取委は、以前から効果理論に従っていたのですが、裁判所レベルでは、日本で初めてこれに従った判決であるという評価が一般的です。
4、競合管轄(きょうごうかんかつ)許容原則
部品カルテルのような場合を考えると、同じ一個の行為から生じる競争制限的効果は、複数国に生じます。上の例で、部品や完成品を購入した事業者が所在する国が複数ある場合を想定すれば分かりやすいでしょう。
理論的にいって、それらの効果を生じた全ての国々において、自国競争法を適用する可能性があります。実際、冒頭の液晶カルテルの例のように、複数国の競争法当局が自国の競争法を適用することも珍しくありません。
国際法上、自国の法律を国外の行為に対して適用するための幾つかの根拠が認められています。効果理論もその一つです。今でも余りに関連の薄い事件に自国競争法を適用すると
国際法違反であると非難されることがあるでしょう。
効果が及んでいる複数国が同時に自国法を適用することも認められます。国際法上、各国は、自国法を適用する管轄を競合的に行使することが許されるのです。これを競合管轄許容原則と云います。
ブラウン管カルテル事件では、ブラウン管の価格カルテルに対して、ブラウン管を現地製造子会社が購入した市場であるマレーシアと、ブラウン管テレビの製造販売業者が完成品を購入した(ブラウン管からみればそれを間接的に購入した)市場である日本の双方が、効果を生じた国として、自国競争法を適用することが可能であると考えられます。
部品カルテルについて、部品を取引する直接の購入者(完成品メーカー)が複数国に所在する場合、各々の国に生じた損害を格別に算定して、それぞれの国がその損害を基に罰金を課することができます。
しかし、部品の市場と、部品を組み込んだ完成品の市場については、損害の重複を生じます。
このことを詳しく説明します。
部品の取引で生じた損失(カルテルで高止まりした価格―自由競争の想定価格)は、完成品の価格に転嫁され、(消費者以前の)最終の完成品購入者が負担することになります。要するに、完成品購入者がその分高いものを買わされるのです。他方、完成品メーカー(部品の直接購入者)は、その分高く売れたのなら、損失を被っていません。このように考える場合には、完成品取引に競争法が適用されれば済むはずです。
しかし、部品カルテルの対象部品の取引こそが、直接影響を受ける取引分野であるとすると、こちらが競争法による規制に服するべきであり、間接的な完成品取引に対して競争法を適用する必要がないとすることも可能です。
少なくとも、部品と完成品のどちらか一方の取引に競争法を適用すれば足りるとも考えられます。
もっとも競争法の法目的が、一国の市場における競争秩序の維持という公益であるとすると、具体的にどの当事者が損害を被ったかというよりも、とにかく何らかの取引市場に競争制限効果を生じたと言えるかということこそが重要であるとも言えます。
国際的事件で、部品取引と完成品取引が異なる国に生じる場合、結局、それぞれの国の競争法当局と裁判所の判断に委ねられることになります。
しかし、部品購入取引に対して競争法を適用し、同時に、完成品購入取引に対して競争法を適用して、双方に罰金を課すると、罰金の重複を生じ、二重処罰に類する問題を生じるのです。
同じブラウン管カルテルに対して、日本の公取委がわが国独禁法を適用し、同時に、マレーシアの競争法当局がマレーシア競争法を適用するとすると、上の問題に該当します。競争法の執行協力について、二国間条約が締結される場合もあるのですが、このような場合に双方の国の競争法適用を調整する仕組みは、国際的に未だ十分整っていません。
更に、この場合に、部品取引を生じたマレーシアが、仮に、この部品カルテルを許容し、自国の経済開発を優先している政策を取っているとします。すると、日本が、完成品取引に対して独禁法を適用して取り締まるなら、マレーシアの政策を無にすることになります。
なお、ブラウン管カルテルの事件では、わが国の公取委が、課徴金を算定する際に、現地子会社における売上額をその算定根拠としました。わが国の経済法学者が立法論的な批判を展開しているところですが、このことは、わが国の独禁法の適用のみが問題となっている場合なので、部品と完成品のそれぞれの国が競争法を適用する問題とは性質が異なります。
次回に続く。次回は、国際私法の世界への招待と、上の問題の展開を考えます。ブラウン管カルテル事件は、公取委による課徴金という行政罰を課する問題でした。公取委は公的機関です。それが事業者を取り締まるという関係です。次回お話しするのは、完成品メーカー(部品購入者)や完成品購入者が、部品カルテルによって損害を被ったとして、部品メーカーらに対して、損害賠償請求を行う民事訴訟の問題になります。民間の事業者同士の関係です。
法の適用方法が、全く異なるということに、驚かれると思います。(⦿_⦿)
単純労働力の受け入れ ― 2018年06月23日 17:27
少し前に、大阪に帰省して驚いたことがあります。通天閣の側に串カツの専門店街が広がっています。観光客の集まる名所の一つです。夜8時過ぎ頃に、久しぶりにそのような串カツ屋に入ったのです。テーブルに座って待っていても、誰も注文を取りに来ません。お茶か水さえ、持ってこないのです。
店員がいなかった訳ではありません。5~6人の店員が輪になって、談笑している様子なのです。こちらから店員らの顔を見てアピールしたのですが、誰も来ません。大声で呼びかけると、ようやく若い女性店員が不機嫌な顔をして、水を持ってきました。
その店員らはみな中国語を話していたのです。
そして、女店員は厨房の中に、私の注文を告げると、今度は、厨房の中にいる調理師らと中国語で喋り始めたではありませんか。
この店は、この時間帯は、フロアも厨房も、中国人が働いていたのですね。サービスや料理も、おもてなしを大切にする日本流ではなく、どこか北京風でした。このような店を、中国人観光客が喜んで訪れるのでしょうか。
断っておきますが、私は中国の人に偏見があるのではありません。実際にあったエピソードですので、今回ブログの前置きにちょうど良いかと思います。
1、単純労働の受け入れへ-政策転換!
安倍首相が、6月5日に、外国人の単純労働者を受け入れる方針を発表しました。
2019年4月に、建設、介護、農業など5分野で在留資格を新設し、最長5年の就労を認めるとうもので、2025年ごろまでに、50万人超の新たな外国人の受入れを行うそうです。早速、財界が歓迎の意向を表明しました。
これは経済財政諮問会議に提出された、「経済財政運営と改革の基本方針2018(仮称)」の中で、示されています。
移民政策とは異なる外国人材の受け入れであることが強調されています。これによると在留期間の上限を5年として、家族の帯同も基本的に認められません。
ここまでであれば、後で言及する従来の技能実習制度と変わりません。昨年(2017年11月)施行された新制度により、技能実習の在留期間が最長5年間(従来3年間)となり、人数枠が二倍程度に増加されています(厚労省HPより)。また、介護職としての、技能実習が新設されました。
新設される在留資格では、在留中に一定の試験に合格するなど、高い専門性や技能を示した外国人に対して、現行の他の在留資格への変更が可能とされます。
2、在留資格
外国人は、一定の在留資格に基づき、定められた在留期間を上限に、日本に居住することを許可されます。
参考:入国管理局HP(在留資格一覧表)http://www.immi-moj.go.jp/tetuduki/kanri/qaq5.html
例えば、大学で教鞭をとる外国人の先生達がいますね。この人達は「教授」という資格を有していて、在留期間が最長5年間です。また、「技能」という資格は、特殊分野の熟練した技能を有して、わが国でそのような仕事をしている外国人達に与えられます。例えば、中華料理やフランス料理の調理師、スポーツ指導者、航空機の操縦者などです。サッカーの元日本代表監督のハリルホジッチ氏は解任されましたが、恐らく技能の資格で日本で就労していたと思われます。航空機の熟練パイロットは年中人出不足の状態で、外国人パイロットが国内航空便の航空機に搭乗するところをよく見かけます。この資格も最長5年間の在留が許されます。日本で活躍するダンサーは、「興行」という資格で、キリスト教の宣教師は「宗教」という資格で、わが国で活動しています。その他、多くの資格があります。
それぞれの資格毎に日本で就ける職種が決まっています。資格外活動を行うと不法滞在者となり、日本から強制退去されることになります。
留学生は「留学」という資格を持ち、日本の大学等の学校で学ぶ学生・生徒ですが、一定の資格外活動、すなわちアルバイトが認められます。
また、これら「現行の」在留資格毎に許可される在留期間は、更新可能です。在留期間が終わるまでに、法務大臣により更新が許可されると、更に、同期間の在留が認められ、再度、更新可能です。
これに対して、「技能実習」という在留資格は、その資格においては、同一人に対して、一生に一度だけ認められるもので、一度きりの在留期間を終えると、帰国しなければなりません。
3、技能実習制度
本来、途上国の技術開発・経済発展のために必要な技術者等の人材育成をわが国が引き受けるという趣旨の制度です。例えば、工場で働く旋盤工や板金工などがいなければ、製造業が発展しません。しかし、熟練工のいない途上国で、一からそのような人材を育てるのは困難です。そこで、途上国からの実習生がわが国で働きながら技術を学ぶための資格なのです。
ところが、以前のブログでも述べたように、わが国における単純労働の担い手として、この資格による在留外国人が活用されているのです。
また、多くの外国人労働者が、単にわが国に出稼ぎに来るという目的を有しています。
そこで、帰国後の職業に無関係に、わが国において「就労」しています。母国では農業に従事している人が、わが国の水産加工業者の下で牡蠣の養殖を行うことや、母国での仕事とは関係のないクリーニング屋さんで働くなど、わが国の受入団体により斡旋された様々な職種の実習実施者の下で単純労働の労働力となっているのです。
実際に、本来的な役割を果たしている場合もあるのですが、実態は、国際協力という美名の下に、ほぼ単純労働の不足を補うものでしかないと言って良いでしょう。
4、技能実習の新制度
政府の発表した上述の新制度は、十分具体化されていませんが、技能実習制度の改定であるようなイメージです。介護のための技能実習制度が始まったようですが、これを建設や農業などの新分野にも広げ、基本的には5年間を上限としつつ、試験合格等により、他の現行の在留資格に移行するという制度です。
従って、政府の強調するように、当初5年間の労働者の受け入れは、必ずしも移民ではないのです。しかし、他の資格に移行し、わが国に定住するに至るときに、移民であることになります。
政府が、このように「移民」という言葉を嫌っている理由は何でしょうか。このような慎重な言葉遣いは、恐らく保守系の政治家・思想家や、与党支持層に配慮しているからでしょう。あくまでも、50万人超の「人材」の受け入れを目指すというのです。
5、単純労働者の受け入れと、高度人材移民の受け入れ
これまで、単純労働者を移民として受け入れることを、政府は徹底して敬遠してきました。ここで移民とは、日本に一定期間以上定住ないし永住する外国人のことであるとします。移民政策をわが国が取っていないと言うのは語弊があります。高度人材としての外国人に対しては、日本が門戸を開いて久しいのです。
特に、最近は高度人材ポイント制を採用して、高学歴や収入により、一定以上のポイントを獲得できる外国人は、早期に永住資格に移行できます。高度専門職という資格です。従って、高度人材外国人の移民奨励がなされていると言えます。わが国におけるIT産業の発展に欠かせないプログラマーなどの高度人材の人出不足も深刻であり、高度人材移民については、経済発展を遂げた韓国、台湾や西欧各国とも、人材獲得競争となっています。
日本が留学生の増加計画をたてて積極的に受け入れているのですが、この留学生が将来日本で就職し、定住するなら、自動的に高度人材外国人の候補となります。前述の「経済財政運営と改革の基本方針2018(仮称)」でもその奨励策が掲げられています。
政府が人材という語を使って、移民の語を避けているのは、ただの言葉の問題でナンセンスであるように思われます。
政府が戦後一貫して避けてきたのは、単純労働者の移民です。奇跡的な高度経済成長を遂げた日本は、生活水準がかけ離れたアジアの発展途上国に囲まれており、これら諸国と賃金格差が大きかったので、単純労働者の移民の受入により、大量の外国人移民が日本に流入し、日本の治安や経済に悪影響を与えることを心配したのです。
しかし、いよいよ少子高齢化が進行し、人口減少社会となった日本において、相当以前より外国人移民の受け入れが特効薬であるとする議論がありました。実際に、日本より早く少子高齢化社会となった西欧各国が経済成長期に移民を受け入れ、人口減少を食い止めることができたのです。
6、外国人移民の必要
日本が高度人材外国人に対して開国しても、単純労働者については、移民鎖国を続けていたのでが、遂に、もう仕方ないと、安倍首相が決意したようです。移民とは呼んでいませんが。
現在の日本にとって、人出不足にあえいでいる焦点となるのが単純労働分野です。
コンビニやファーストフード店、町工場など、全ての産業・業種で、単純労働を外国人労働者に頼っている状態です。大都会でもそうでしょうが、地方でも人出不足が深刻です。建設や介護分野だけではなく、農業分野の「人材」受け入れを予定しているようですが、地方の地場産業でも外国人がいなければやっていけないところが多いのです。福島原発事故の祭には、近県から多くの外国人が帰国し、地場産業が成り立たないと言って悲鳴が上がったほどです。
少子高齢化の象徴とも言える介護士不足は知られていますが、25年度末には、介護分野で、55万人の不足が予想されています。
2040年度の生産年齢人口は18年度比で、約1500万人減る見込みとなっています。
もはや手をこまねいていることができなくなったのです。
移民受け入れによる労働人口の増加が潜在成長率を押し上げる効果を有すること、地方へのメリットが大きいことなどが、利点とされています。しかし、高度人材であれば、わが国で一定以上の収入を上げ、税金も納めてくれるはずなのですが、単純労働者については、言葉の問題もあり、教育レベルも低いのですから、なかなか高収入を得るまでは行かないでしょう。
入国初期における日本語教育や、日本の習俗習慣、公民教育に十分の時間を費やすべきですし、就労計画をたてて人材としての育成や、子供の義務教育や高等教育の負担も考えられます。
病気や事故で怪我をした場合の労災や医療保障、仕事が上手くいかなくなった場合には生活保護など、日本にとって社会保障負担の増加が懸念されます。つまり、税金を納めてくれる以上に、負担が増えると、費用対効果に悖る結果となるのです。このことも以前のブログでは指摘しています。
外国人移民に頼らず、少子高齢化を契機として、人材育成及びロボット化など産業技術の発展によって、生産性を維持し、更に経済成長に繋げるという主張もあるところです。
そこで、政府は、一定の職種に限定してまず技能実習制度の拡充から始め、次第に定着・定住外国人を増加させようとしているようです。
ただ、ここで、費用対効果の試算から、徒に慎重なアプローチを取っているべき場合ではないかもしれません。人口減少に伴い、地方では、農業も、漁業も後継者難で、地場産業も衰退し、限界集落、自治体の消滅という危機に見舞われ、町の製造業の経営者の跡取りが無く、熟練工も不足し廃業もやむを得なくなる状況から、わが国の製造業の足腰が脆弱になりつつある現状を、この危機感を切実に感じるべきではないでしょうか。
狭い日本のことだけを考えてる島国根性は、この際、捨て去ることができないとしても、ちょっと隅の方においやっておいて、この土地を外から来る人にも開放し、豊かさを、他のアジアの人々と共有する心意気を持つことが、将来の日本とこの地域の、平和と繁栄に通じるのだと思います。
7、外国人との共生社会
政府が恐る恐るではありますが、ようやく、単純労働力の受け入れに向けて、政策転換したのです。長期的に日本に滞在する外国人との共生社会を、これから築いていかなければなりません。
西欧各国が、大量の単純労働者を含む移民によって少子高齢化を克服した、その引き換えに、社会の分断とテロの恐怖を招き、反グローバル運動や移民排斥運動が激化したことを忘れるべきではありません。
外国人労働者をスラム街に追いやってはならないのです。日本において不足している単純労働者の就ける職種は、低賃金で重労働、長時間労働である、あるいは生命身体の危険を伴う職種です。日本において、そのような職業を多くの外国人が占めることが予想されます。
前述したように日本語教育や職業訓練を十分行い、特に、子供達の教育面での支援が欠かせないのです。勉強すれば、どのような職業にも就くことの出来る環境を作ってあげる必要があります。機会均等が徹底される、差別のない社会でなければなりません。*後柱参照。
外国人移民の集団・集落ができて、周囲の日本人社会と画然として孤立しているという、分断された社会にしてはいけないでしょう。ことに、入国初期に、日本の文物に慣れること、日本社会の基本的ルールを学ぶことが必須となります。
外国人が多くなると、ゴミ捨てマナーがなっていないので、周囲の住民から苦情が殺到するということがあるようです。その外国人の以前に住んでいた町では、ゴミの分別やゴミ回収日の遵守というルールがなかったかもしれません。その人にとっては、随分煩わしいことで、その必要を十分理解できないのも無理がないのです。やったことがないのですから。外国人住民と、以前から日本に住む住民との対話も必要でしょうが、むしろ行政が十分のコストを負担しつつ、日本社会のルールを学ぶ機会を提供するべきでしょう。日本の住民にとって、ゴミ分別ルールが、その定着にどれ程長く係った、大切なルールであるかを、懇切に説明するべきです。日本人には小学校で勉強したことでも、外国人には違うかもしれないのです。
一朝一夕には行かないことも多いでしょう。そのような文化的軋轢を生じることも覚悟の上で、本格的な共生社会の構築に向けて、一歩を進めるときが来たようです。
文化的に多様な社会からこそ、イノベーションが生まれる。新しい価値観や発想が日本のこの場所に暮らす人々を、文化的に更に豊にもすることでしょう。島国日本に古来より住んできた「日本人」は、一定レベル以上に違うものを受け入れることが極端に下手なのではないでしょうか。社会心理的に、「違うもの」を排除して、差別を内面化しても気づかないぐらいで、阿吽の呼吸や腹芸で何でも決めてしまう、忖度の得意な、外国人には分かりにくい集団です。「違い」に寛容で、対話を積極的に行うことが、日本人にもいよいよ求められるのです。
* 技能実習の資格において、現在、家族帯同は認められていません。単純労働者が技能等の資格を得て、定住化を果たした場合、家族を呼び寄せることができるようになります。


