ドラマ「下町ロケット」にいない外国人ー町工場や農家の大廃業時代2018年12月24日 15:40

日曜劇場「下町ロケット」(TBS)の最終回を見ました。池井戸潤という作家の小説を基にしたドラマです。巷間、かなり話題となっているドラマのようです。最終回の特別版というので、今日始めて見ました。機械部品製造会社の奮闘を描く阿部寛主演作品です。町工場の事業継承と、農家の後継者難がこの作品の裏テーマであると思います。


1,町工場の廃業

以前のブログで述べたように、下町の工場が、人手不足のために倒産する場合や後継者を欠くために廃業する場合があります。大廃業時代を迎えているとも言われています。高品質で国際競争に耐える日本の製造業を支えて来たのが、旋盤、鈑金、溶接など、基本的な技術を担う町工場です。洗練された、極めて高い、世界に冠たる技術力を備えています。ミクロン単位の精密加工を要する部品が現代の産業用機械の製作のために必須となるようです。このことが極めて巧みな日本の技術こそが、わが国の製造業の国際競争力を産み出しています。

そのような下請け、孫請けの中小企業が廃業に追い込まれて行くのです。一つの原因が、製造拠点を海外に移すサプライチェーンのグローバル化による産業の空洞化にあります。大企業が、主として人件費の観点から最適な国に拠点を設けると、下請け・孫請け企業も、完成品組立工場の移転した国に移らざるを得ません。製品の性質上、価格競争力に勝る場合か、日本でのみ可能な独自のノウハウや技術を有した企業のみが日本に生き残ることができます。

かくて特に優秀な技術力を有する部品製造業者は日本での事業を継続できるとしても、今度は、人手不足や後継者難に見舞われて倒産の危機に瀕するのです。

日本で製造を続けようとする製造者があると仮定して、輸入品に優るために人件費を抑制しようとして、下請けに委ねていた部品製造について、産業用ロボットを用いて内製化を進めるかもしれません。今度は産業用ロボットの部品製造が必要となりそうですが、ここでも部品の汎用化と製造の自動化が図られつつ、上流に遡るにつれ製造企業が不要となりつつ、人手不足が吸収されていくという仮説も有り得るかもしれません。もっともこのことは、余力のある大企業間においてのみ可能でしょう。

このように産業用機械製造業における産業構造の転換が徐々に行われることで、人手不足が解消されつつ生産性が維持されるとすれば、めでたし、めでたし?

第一に、高度な産業用ロボット等の技術開発と、構造転換が完成するまでの時間が足らないので、生産性の縮小を相当程度に受け入れる必要がありそうです。例えば、日本の誇る高度な鈑金技術は、むしろ手作業により注文主のニーズに微少な単位まで的確に答えることのできるものです。そのような技術を若者に継承することが日本の高度技術の継承です。外国人技能実習生が在留できる短期間にこれを習得することは困難です。特定1号に資格転換を果たし、相当程度の技術者となった場合に、これを母国で生かすことができれば、日本の基礎技術がまさに国際貢献を達成したと言えるでしょう。もっとも、日本人に技術を継承する者が居なければ、肝心の日本において技術継承が行われないということになります。この全てをロボットに委ねることができるとしても、まだまだ相当期間を要するでしょう。

第二に、下町の工場が消えつつ、大企業の無人化された工場内でロボットのみが働くという、いま現在そうなりつつある世界観を、われわれが受け入れることができるかという問題があります。


2,農家の廃業

農家の急速な高齢化に伴い、日本の農業が消滅の危機にあるというコピーが、上述のドラマで用いられている自動運転トラクタのTVコマーシャルで用いられていました。
なお、クボタの自動農機について、同社のHPに紹介されています。
https://www.kbt-press.com/news/autonomous-farm-machinery
(自動トラクタは、ヤンマーや井関農機も発売を予定しているようです。後述HP参照)

農水省が、ロボットや情報通信技術を用いた農耕の無人化を推進しているというweb記事を見かけました。(https://newswitch.jp/p/13590

以前のブログで、消える地方自治体のお話をしました。地方には、既に廃村したところや、高齢化により限界集落となっているところが、たくさん存在します。農家の後継者難によって、このまま農耕放棄地が増加して行くとすれば、日本の農業が消滅しつつあるというのも、あながち大げさでもないようです。このことを救う一つの方策がロボット技術を駆使した農耕の無人化であることも疑いありません。

しかし、多くの製造業において、大企業の工場内をロボットの運転音のみが聞こえる製造現場となる社会に対する違和感が、ここでもあります。広い農地を自動農機ばかりが走り回る様相は、ロボットによる農作物工場を彷彿とさせます。

更新不能の特定1号にも農業分野が含まれていますが、農耕については、農繁期と農閑期における必要な労働力の差が大きいので、政府において派遣型も検討されているようです。農閑期には帰国することが考えられます。日本の農業技術も世界に冠たるものがあります。有名な日本のコメ作りは丹精込めた個々の農家の職人芸のようなものです。このことがコメの価格が高騰する原因ともなるのですが、そのようにして作られた産地毎のブランド米が、日本の一般家庭の食卓に上ります。私の行くスーパーのコメ売り場では、産地毎のブランド米が並べられています。日本人の口に合ううまいコメなのでしょう。

長く続いたコメ禁輸政策のあと、WTOの下でコメ輸入が自由化されましたが、日本は極めて高い関税により日本のコメを守っています。他方で、WTOで定められたミニマムアクセス米を無関税で輸入しています。このコメは主として加工用として国家管理貿易の下で民間に販売されており、安価なので米菓などコメ加工事業者に人気があります。コメも、今後更に自由化を求められる可能性があります。外国産単粒種が安価で高品質であれば、国産米の競争品目となるので、関税を低減するとしても、工夫が必要なところです。

自由化が進むとして、門外漢なのですが、勝手な予想をすれば、一般家庭の主食用の高級品種と、外食産業や加工事業用の中・低級品種を分けて生産する必要がありそうです。外国産米に対して競争力のあるブランド米と、競争力の乏しい低級種のコメの生産方法を分けて、前者は従来通りの方法により、後者は大胆な生産方法の改革によって安価なコメの供給を可能としつつ外国産米に対する価格競争力を付けるのです。

そこで、一方で、高級品種・ブランド米の生産者の後継者不足に対応し、日本の農業技術の継承を図りつつ、他方で、中低級種米については、農地集約による大規模化、機械化することが考えられます。いずれにせよ、外国産米との国際競争力を獲得するためには、農作物の流通過程を簡素化しつつ、農業経営者の自由競争を一層促進することが必要であると思われますが、この場合に、農協と農業法人の間の緊張関係が問題となります。


3,外国人移民政策へ

ロボットに頼るにせよ、町工場の働き手が全くいなくなり、後継者がいなければ、日本の高度な基礎技術が失われます。このことが日本の製造業の足腰の弱体化に通じないか心配の有るところです。農業においても、ロボットや情報通信技術の進歩による無人化を促進するといっても、農家の後継者自体がいなくなれば、無意味でしょう。

新たな在留資格の内、特定2号のみが更新可能であり、従って1号の在留期間を超えて定住化が可能な資格です。今後数年間は特定2号の認定を行わない予定であるとされています。しかも、「建設」と「造船・舶用」の2分野に限定されます。なお、介護については、特定1号と共に、別途、更新可能な「介護」の資格が新設されているので、こちらに資格転換できれば、定住可能となります。

機械製造や農業は、入管法改正によって新たに認められた特定1号の対象業種に入りますが、2号には該当しません。従って、日本の優れた技術をようやく身につけた外国人をその段階で母国に帰すことになります。新たな外国人材の受入れといっても、現在における危機的な人手不足に対応するための、一時しのぎに過ぎないのです。

人件費の安価な国で製造した輸入品に価格で負けないために、単価の安い労働力である外国人を用いるという発想が誤りであることが、今般の出入国管理法改正を巡る国会審議の過程でも明らかにされました。

そのために外国人の移住をみとめるなら、日本人の雇用を圧迫するとともに、単純労働を行う外国人を劣悪な労働環境に陥らせることに通じるからです。現在日本人を雇用している同等の労働条件において外国人を受け入れる必要があります。そうして、単に人手不足から倒産を余儀なくされるような産業分野において外国人を受け入れるという、受け入れ分野の選別と慎重な計画が必要です。この当たりは以前のブログで言及しているので、興味のある方は参照してください。

その上で、そろそろ移民政策に移行する必要があるのではないかというのが、このブログの結論となります。特定2号の対象範囲を機械製造や農業・漁業にも拡大し、現代的な労働契約の関係の下、外国人労働者が技術修得を行い、有能な労働者のみを選抜して、2号に移行させるのです。また、この人達が成功した外国人労働者のロールモデルとなることで、単純労働につても、勤勉な外国人労働者が日本にやってくるようになります。

そのような有能な技術者となった外国人が、やがて町工場の経営者となり、その後継者となり得るなら、日本の優秀な基礎技術が日本において継承されます。農業・漁業については、農業法人や民間の漁業経営者との間で、労働契約を締結した外国人労働者が活躍する余地がありそうです。このような外国人が有能であれば、やがて管理部門への移行や、経営参加することも有り得るとするべきでしょう。

そのための必要なコストを日本が負担することになります。外国人を日本の共同体に受け入れるための、決して強制によらない同化政策が必須です。日本で働き、税金を納め、日本の社会に溶け込みながら、その固有の文化を日本の文化的・産業的発展に役立てるような人々となるのです。やがて帰化するなら、まさに日本人として日本の政治的意思決定過程にも参画することになります。

end

元徴用工訴訟2018年12月08日 23:08

安倍総理大臣の国連演説(本年9月25日)において、北東アジアの戦後構造を取り除くことに注力することが強調されていました。

北方領土問題の解決と日ロ平和条約の締結に向けた交渉もその一であり、北東アジアの戦後構造を除去し、「自由で開かれたインド太平洋戦略」を構築することが明言されています。

日米同盟が基軸であることは当然です。間もなくTPP11が発効します。更に、ASEANやオーストラリア及びインドを包括したRCEPという広域的な自由貿易地域ないし経済連携協定の締結が目標とされています。中国の南シナ海への海洋進出、および一帯一路政策による、新シルクロード地域に対する経済進出は、この地域における中国による経済的利権の確立をも狙ったものともされます。インド太平洋地域の支配を巡り、習近平主席がアメリカとこの地域の支配を分割するべく提案したことが報道されていたことがあるように、中国の野心は明白です。これに対抗する世界戦略が日本にも求められています。国際貿易に関する十分野心的で高度の規律を行うRCEPを目指す場合に、中国がこれに参加するかが一つの鍵になるでしょう。

日韓の関係において、慰安婦問題や徴用工の個人請求権の問題は、なお残された戦後構造の一つとしても理解できます。



1,韓国における徴用工訴訟について

産経ニュースの徴用工訴訟特集がこの間の事実関係をタイムラインにしており便利です。
https://www.sankei.com/topics/index.html?orgurl=https://www.sankei.com/world/news/181029/wor1810290007-n1.html&topictitle=韓国徴用工訴訟&recstype=b&keyword=徴用工&startdate=2018-07-31T15:00:00Z

上記を含めて、徴用工訴訟について、簡単にまとめておきます。


韓国大法院(最高裁に当たる)が10月及び11月に、新日鉄住金と三菱重工に対して賠償を認める判決を下しました。その後、この判断を踏襲する下級審判決が続いています。
(2018.12.5 14:22産経ニュース)


韓国人元徴用工の弁護士が12月24日までの期限を切って、韓国内の新日鉄住金の資産差押え手続を開始することを明言しています。報道によると、新日鉄住金は韓国鉄鋼大手ポスコとリサイクル会社を設立しており、その株式(11億円相当)と、3000件近い知的財産権が差し押さえの対象となるとされています。
https://web.smartnews.com/articles/frGRRUuDdRA 時事通信社(2018/12/04-20:14)


2,日韓請求権協定

日本の本格的な戦後処理は1951年のサンフランシスコ平和条約に始まります。第二次世界大戦で勝利した連合国側と日本との間に締結された条約です。戦争は、戦争に参加する国々に、多くの人命の喪失と同時に財産的にも多くの破壊をもたらします。このような多大な犠牲を補償するために、敗戦国に巨額の賠償義務を課するとすると、その国の復興や経済発展が阻害され、窮地に立った国により、再度戦禍を招くことが有り得たのです。そこで、敗戦国にも賠償の可能な一括賠償の方法によることにします。

連合国側はその国に残された日本の財産等を没収し、更に、日本は連合国側に生じた損害の補修のために一定の役務の提供を行い、国民の賠償請求権等を含めて相互に全ての請求を放棄したのです。当然、日本の方にも戦争によって多大の損害を生じているのですが、その賠償の請求についても同様に放棄するのです。

韓国は、サンフランシスコ講和会議以前に独立を承認されていたのですが、日本の植民地であった点で、第二次世界大戦の交戦国とはみなされず、この会議に参加を許されませんでした。そこで、その後、長い交渉を経て、1965年に日韓請求権協定が締結されました。これが日韓において、サンフランシスコ平和条約に代わるものとされるのです。

その1条において、日本が3億ドル分の生産物及び役務と、2億ドル分の長期低利貸付けを提供すること、そして同時に、日韓両国およびその国民の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこと、日韓両国およびその国民に対する全ての請求権であって、1965年の協定署名日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もできないことが明記されました。

日本が経済援助をすることと引き換えに、相互の請求権を放棄する一括賠償方式によっています。1910年の日韓併合以降、日本の政府により日本の領域としてインフラ整備がなされ、多くの民間の資産・財産が存在したとしても、このことに係る請求も放棄されます。

このような一括賠償方式による賠償金が政府に対して支払われ、これがその国の経済開発のために使われたとすると、この受益者としては政府のみならずその国の国民です。また、個人に対する補償は賠償金を基に韓国政府自身が行うこととしたのです。これと引き換えに、個々人の請求を放棄するという約束なのです。これが日本政府の立場です。

そして、協定と併せて採択された合意議事録では、被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済その他の韓国人の日本政府及び日本人に対する権利の行使について、放棄されることが明示されています(5項及び6項)。

これに対して、韓国では、2005年に、請求権協定の日韓による交渉の記録が開示され、その調査に基づき、協定にいう請求権には元慰安婦等の賠償請求権は含まれていないし、日本による反人道的な不法行為については請求権協定によって解決されていないとする解釈がなされています。

この点で、日韓の政府の解釈が対立しているのです。

日本と韓国との間で締結された協定は二国間における国際法です。二国間条約は契約に例えられることがあり、相互にその内容に拘束される(国際)法的義務を負うことになります。私的な契約の解釈もよく当事者間で対立することがありますが、国際法解釈についても、当事国により対立することがよくあります。

放棄される請求権の範囲や請求権協定の性質について、両国の対立があることになります。

この場合に役に立つのが、条約法条約という、条約解釈のための多国間条約です。条約法に関するウィーン条約といって、わが国も加盟していますが、条約解釈のための国際慣習法を法典化したものとされます。

その、第三節 条約の解釈 第三十一条(解釈に関する一般的な規則)において、1項「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする」。同条 2項「条約の解釈上、文脈というときは、条約文(前文及び附属書を含む。)のほかに、次のものを含める」と規定されています。

「 (a)条約の締結に関連してすべての当事国の間でされた条約の関係合意
 (b)条約の締結に関連して当事国の一又は二以上が作成した文書であつてこれらの当事国以外の当事国が条約の関係文書として認めたもの 」

更に、同条3項が「文脈とともに、次のものを考慮する」 としており、

「 (a)条約の解釈又は適用につき当事国の間で後にされた合意
 (b)条約の適用につき後に生じた慣行であつて、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの
 (c)当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則」
となっています。

これに従い、日韓請求権協定の条文を解釈し、客観的な意味内容を確定することになります。条約法条約の「解釈」自体が国際法認識の方法を必要とするのですが、やはり詳細はおいて、重要と私が考える点を指摘しておこうと思います。

慰安婦問題については、以前のブログで言及していますので、徴用工問題に焦点を絞ると、日韓請求権協定自体の文言のほか、先に述べた合意議事録に明確に記載されている点が重要です。

その他、従前の韓国政府の国家実行(特に、行政府の言明やその解釈を前提とした行動)の観点からしても、その解釈を裏付けるでしょう。

そして、条約法条約の32条が次の規定です。

「第三十二条(解釈の補足的な手段) 前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。
 (a) 前条の規定による解釈によつては意味があいまい又は不明確である場合
 (b) 前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」

2005年以来、韓国政府の解釈が変更されたのですが、その根拠の一つが、この補足的手段であろうとも考えられます。

31条に対して、32条が補足的方法であり、31条で得られた意味を確認するため、又は、意味が曖昧・不明確である場合、および、その解釈が明らかに常識に反した、または不合理な結果がもたらされる場合にのみ依拠されるとされるものです。

戦争責任に係る賠償について、一括賠償方式によることが必ずしも不合理とは言えず、一般的な方法でもあるとすると、後になって、植民地支配の違法性や人権侵害の過酷さを問題視して、32条の補足的手段に依拠するかのようにも見えます。

韓国の主張は、通常の条約解釈の方法からは逸脱した非常に苦しい解釈であると言わざるを得ません。


3,国際法解釈の時間的固定性

この点に関連して、国際法「解釈」の時間的な固定性の問題に触れておきます。国際法と言っても、条約の解釈を問題にします。条約とは、先も述べたように契約になぞらえることができます。当時国間がその権利義務について合意し、それを明文化したものです。そのときの歴史的、法的な時代背景を前提として、当事国が具体的に合意した内容が条約の意義として固定されるべきです。

後に、国際的、国内的な環境が変わったからといって、一方が勝手にその内容を変更し得ないのは当然でしょう。そのときに約束した内容に拘束されるべきです。

請求権協定自体が、植民地支配を正当化し、あるいは国際人権法に著しく違背するという性質のものではありません。侵略戦争が違法とされ、従って植民地支配が違法なものとみなされるようになり、国際人権法ないし人道法が発展ないし変化したとしても、それ自体では必ずしも既になされていた国家間の合意の内容が勝手に変更されてはならないでしょう。

かつて西欧列強の植民地支配が地球上を覆い尽くしていました。それが第2次世界大戦を経て、旧植民地が宗主国から独立し国際社会に勢揃いしたのが、漸く1970年代になってからのことなのです。

自ら徴用に応じた人々の他に、その方法が人道に悖る場合も確かにあったし、また、戦時下において、過酷な環境において労働を余儀なくされた人達もいました。しかし、日韓併合時代には朝鮮半島出身者は大日本帝国の外地戸籍に編入された日本国臣民としての身分を有していました。本土出身者は内地戸籍に編入された大日本帝国臣民であったのと同じです。植民地支配そのものを正当化するつもりは毛頭ありません。その当時の法的状況を客観的に説明しているのです。日本の国民が徴用され、徴兵制の下、戦地にかり出されたように、朝鮮半島出身者が、戦時下において、人手不足の生産現場に徴用されたとは言えるでしょう。

以上を前提とした上で、戦後独立した韓国が国家として日本という国と協定を締結したのです。敗戦後間もない焼け野原の日本が開発途上国として再出発し、漸く戦後復興が軌道に乗ってきた当時、3億ドル分の供与プラス2億ドル分の低利融資を行い、韓国の経済発展に協力したのです。日本が韓国に残したインフラ等も貢献したことでしょう。このこととの引き換えとして、国家及び個人の請求権を互いに放棄することに合意したはずです。

これを後になって反古にすることは許されません。

韓国大法院判決は、1987年に制定された韓国の現行憲法の価値観を基に、遡及的に請求権協定を憲法違反であるとして糾弾しているように思われます。この点後に再論します。


4,個人請求権の法的根拠

韓国の裁判所がこの問題についての準拠法をいずれの国の法にしているのかが不明なので、明言できませんが、どうも韓国の民事法を適用しているようでもあります。この辺り、わが国の国際私法上、異なる解釈となる可能性が十分にあるのですが、ここでは詳細には言及しません。一言すれば、不法行為訴訟であると仮定して、仮に、元徴用工による個人請求権が認められたとしても、わが国の裁判所では不法行為の当時に妥当していた法、大日本帝国の領域において効力を有していた法である当時の日本の法が適用されることになり、日本民法の解釈問題となります。

もっとも国際人権法上の個人請求権が存在するという解釈によれば、直接的に国際法上の請求権に基づき、国内裁判所で損害賠償請求をすることができることになります。前の段落に述べた点は、各国の国内民事法の適用の問題です。これと異なり、国際法に直接根拠を有する個人請求権の問題です。

本来、国際法認識の厳密な方法による解釈が必須となりますが、概括的には次の様に考えられます。わが国が加盟した国際人権諸条約の中に、または国際慣習法として確立された国際人権法の中に、明示的であり、自動執行性を有するような規定ないし規律が存在することを認めることが、一般的には、やはり極めて困難です。


5,韓国政府及び司法機関の対応

韓国人原告の立場から、政府及び企業による基金の設立も選択肢の一つであるとされていますが、法的根拠が存在しないとすれば、直ちに日本がこれに応じるというわけにも行かないように思われます。韓国政府がこのことを求めるとしても同様でしょう。

次に、以下の議論は現行の韓国法の適用を前提としますが、韓国法の解釈問題として、韓国内で消滅時効ないし提訴期限の問題が議論されているようです。韓国大法院が基準を明確にしていない中で、控訴審判決において時効期間の起点の解釈の対立があり、提訴期限が過ぎたとする判断と、今後最長3年間提訴できるとする判決とが存在するようです。韓国国内法の解釈に係る国内問題ですが、韓国大法院の解釈次第では、今後3年間の間に、駆け込み提訴が生じることが予想されます。「韓国政府は日本に徴用された韓国人は約21万人で、対象の日本企業は約300社に上るとみている」。
https://www.sankei.com/world/news/181206/wor1812060027-n1.html (産経ニュース)


新日鉄住金と三菱重工に賠償を命じた本年10月と11月の韓国大法院判決が下される前に、同様の日本訴訟において、元徴用工である韓国人原告が敗訴していたのですが、そのような日本の判決を大法院判決は植民地支配を正当化しており憲法違反であるとしています。更にその以前に、日韓請求権協定を憲法の価値観に反すると断じた2012年の大法院判決が存在します。韓国人原告敗訴の控訴審判決を12年の大法院が高裁に差し戻したのですが、その差戻し審判決が韓国人原告の逆転勝訴となり、日本企業の側から上訴されたのが本年の大法院判決です。

1989年韓国憲法の前文に次の様に定められています。日本による植民地時代の1919年に多くの死傷者を出した独立運動「三・一運動」と、逃れた活動家が中国を活動の拠点とした組織(臨時政府)を正式に引き継いだ国家が現在の韓国だとしています。すなわち独立運動を行った抗日組織が今日の韓国となったとするような書きぶりとなっているのです。「「韓国は憲法で『反日』を宣言している」といわれるのはこのためだ」とされます。(2018/12/7 2:00 日経電子版)

韓国は1910年の日韓併合を違法無効であるとしており、従って、35年に渉る植民地支配もそもそも不法であるとしています。

大法院判決は、この憲法的価値に反するので日韓請求権協定における個人請求権の放棄が認められないとするわけです。韓国の判例を仔細に検討していないので、即断はできませんが、現行憲法の価値観を遡及的に適用して、憲法改正以前に締結された条約の解釈に反映させるというのは、国家としての条約の締結主体に変更がない以上、論理の飛躍であるという感を免れません。

また、日経電子版12月7日の記事によると、2005年、ときの盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は個人請求権問題を整理し、元徴用工は日本との協定の対象に含まれるとの結論を公表し、現大統領の文氏も当時、大統領秘書官として検討に加わっていたとしています。
「「韓国憲法の価値観」はその事実さえ消してしまうのか」(前掲記事(編集委員 峯岸博))。

徴用工問題が政治的に解決済みであるとするのが、韓国政府の従来の立場であったわけです。韓国政府は、その政治的立場と司法による法解釈とのギャップを埋める必要に迫られています。

韓国政府は、年内に最高裁判決への対応策を発表する予定です。


6,日本政府の対応

これに対して、政府は、韓国政府の具体的対応を見極めるとし、「韓国政府に判決で生じた国際法違反の状態の是正を含め、直ちに適切な措置をとることを求めてきている」とも強調しました(菅官房長官による4日の記者会見)。

また、日本政府は訴訟の被告企業に賠償請求に応じないよう要請しています。
https://www.sankei.com/politics/news/181204/plt1812040024-n1.html(産経ニュース)

河野外務大臣の談話(11月29日)
「日韓請求権協定に明らかに反し、1965年の国交正常化以来築いてきた日韓の友好協力関係の法的基盤を根本から覆すもので、断じて受け入れることはできない」。韓国政府により「ただちに適切な措置が講じられない場合には、国際裁判や対抗措置も含めあらゆる選択肢を視野に入れ、毅然とした対応を講ずる考えだ」としています。

駐韓日本大使の呼び戻しなどの外交戦争に発展する可能性があります。

このような日本政府内からの反応に対して、韓国政府は、対抗措置等に対する自制を促しながら対応策を検討しているようです。


7,対抗立法

先に述べたように、韓国裁判所の敗訴判決を受けて、日本企業が任意に賠償金の支払を行わないように要請しています。賠償金不払いを行政指導していると言えるでしょう。

このことを明示する立法を行うことも方策の一つではあるでしょう。政府の要請のみならず、わが国国会の意思としてこのことを宣明するという意味合いがあります。

第二次世界大戦中の元徴用工に対する賠償を命じる韓国裁判に対して支払いを行わないことを、わが国企業に命じる法規を定立するのです。わが国企業が任意に支払いを行わない法的義務を有することになります。行政指導という曖昧な性質の方法によるのではなく、法的義務づけがあるから支払えないとする説明が、わが国企業より明確に行えることになります。判決金を支払わない責任を企業ではなく、わが国が国家として負うのです。

その場合の効用として、韓国内における強制執行に対して、韓国手続法上、恐らくは執行異議の申立てを行うような手続きがあるはずなので、その異議事由として日本の法的義務に反することを理由とすることが可能となり得ます。もっとも、これを認めるか否かは、韓国裁判所の解釈に委ねられます。

同時に、新日鉄住金の場合、韓国内に十分の財産があるようなので余り意味がありませんが、韓国内にそれほど資産がない企業であると、勝訴した韓国判決の承認執行を韓国訴訟の原告側がわが国裁判所に求める手続があります。すなわち、韓国判決に基づき、韓国内にある財産を対象に強制執行するのではなく、韓国判決に基づき、わが国にある被告財産を対象に、わが国裁判所が強制執行するというものです。

外国判決承認執行制度という諸国の法に一般に認められる法制度で、外国で十分審理した結果としての判決の効力を承認し、裁判手続の二重の手間を省くのです。

わが国民事訴訟法118条に規定があります。もっとも、わが国裁判所は、上述のような韓国判決の強制執行を求められたとき、韓国判決がわが国公序に反するとしてその承認執行を拒絶することができます。恐らくはそのような判断になるはずですが、具体的な審理の結果を待つ必要があります。この点で、韓国判決のわが国における承認執行を許さないとする立法を行えば、一層、その判断が迅速に行い得るということは言えるでしょう。

更に、外国判決承認執行制度が相当普遍的な法制度なので、例えば、アメリカのいずれかの州裁判所において、日本企業が韓国判決の強制執行を求められないとも限りません。韓国の原告側からすれば外国での訴訟費用等を勘案すれば現実的ではないかもしれません。しかし、わが国企業に対する強制執行の申立てに対して、その支払がわが国の法的義務に反するということを主張することが、アメリカ等の外国裁判所にとって、承認執行を拒絶する理由となり得る可能性があります。


8,対抗と外交戦争の向こうに

ドーデの短編集「月曜物語(Les Contes du Lundi)」(1873年)の中に、「最後の授業」という小説があります。

この短編集には私の個人的な思い出があります。小学校4年生ぐらいでしょうか、そのときの担任の先生がホームルームの時間になるとこれを朗読してくれていました。大変上手な朗読で、この時間が楽しみでした。

次の様な一節があります。

「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」。

勉強嫌いで遅刻してきた少年はこれを聞いてとても悔いたというものです。フランスの言語・文化を大切にする愛国心を説いた児童文学で、かつては日本の教科書に必ず登場した物語だったようですが、今日ではみられなくなっています。

小説の舞台となるアルザス・ロレーヌ地方は、フランスとドイツの国境付近にある地域です。古くから両国の戦乱に巻き込まれ、あるときはフランスに、あるときはドイツに編入されてきたのです。私はこの物語をフランスの愛国心涵養文学としてではなく、この地域に住む民族固有の悲劇を描いているものとして紹介したいと思います。ドイツ語に近いアルザス語を母語とする民族が、フランス人として、フランス語を国語として教えられていたのです。ところが、戦争に負けてこの地方がプロイセン領となると、明日からは、ドイツ語しか教えてはならないことになるというのです。

この例でもお分かりになるように、ヨーロッパ諸国は、フランス、ドイツ、イギリスを中心として、中世から現代にかけて、戦争に次ぐ戦争で、国土が戦場となり、市民らが殺戮と暴力の戦慄にさらされ続けてきたのです。そのヨーロッパが、第二次世界大戦後は、単一市場の創設のために、一個の共同体へと変貌を遂げたのです。その後は、この地域において今のところ戦争は皆無です。現在のEUは、通貨の統一や財政・経済政策の相互干渉、加速度的な法の統一により、ますますヒト・モノ・カネの自由移動の保障される世界となっています。共通の政治・司法体制の構築に向かっているようです。

確かに、このグローバリゼーションは、第一に西欧の、宗教的、規範的、法思想的な価値観の共通性を土台にして、経済規模の均質性を伴うこの地域に可能であったとも言えます。また、過度の、と評されるグローバリズムの弊害が、反移民的感情と社会の分断を招いたという側面も免れません。

しかし、歴史的にみて、あのように戦争に明け暮れていた国際地域が、そのような共同体を形成し、その後一度も戦禍を被ったことがないのです。

これを単純に東アジア地域に置き換えることはできないでしょう。宗教ないし法や政治的価値観が大きく異なる国々が多いです。

朝鮮半島の歴史を紐解けば、その民族的苦難は侵略との闘いに起因するものともみえます。ただ単に自国の中にあって自国のみを観るのではなく、互いに他国からみる視線を交わし、大らかに接する態度が必要なのかもしれません。

法は法として解釈を尽くし、法的論理を厳しく突きつけてゆく必要があります。他方で、外交は法を超えた政治の知恵と賢慮が求められていると言えるでしょう。

朝鮮半島の民族統一の悲願も分かります。しかし、北朝鮮は核兵器とミサイルを有する、韓国とは異なる経済体制をとる政府です。統一は容易ではないでしょう。その分断の悲劇を嘆くより、互いに朝鮮半島に異なる体制を有する二つの国家が存在することを正面より認め、共存の平和を少なくとも当面は目指すべきではないでしょうか。

拉致問題を解決し、非核化がなった後には、体制の安定と経済のある程度の充足が北朝鮮の核兵器廃絶を恒久化するかもしれません。その統一は彼ら自身の問題です。

そして、韓国は自由な民主主義体制を採る国として、日本とともに、この地域に広域的な共同体を樹立し、その経済的恩恵をこの国際地域全体に及ぼす主要構成国となり得るなら、その形でこそ、新たな日韓の関係も見通せるように思えます

出入国管理法案-外国人受入れ2018年11月23日 22:02

学会報告を無事終えました。(^o^) 京都は紅葉がそろそろ見頃ろの季節でした。更新を再開しますので、よろしくお願いします。

これまで毎週更新をしてきましたが、これからは、隔週更新にします。2週間後の週末頃に更新します(つもりです)。


出入国管理法改正案について、国会で実質的審議が開始されました。野党の一部は拙速であるとして徹底抗戦の構えですが、自民、公明の両党と、日本維新の会及び希望の党が、治安維持や外国人労働者の権利保護などのための、修正協議を行うことに合意しました。

この間、野党からは、技能実習制度の問題点を取り上げる質問があり、技能実習生に対するヒアリングなどが行われています。これに対して、政府・法務省は、技能実習制度に関し、昨年11月の技能実習法施行後の制度の運用状況を検証し、技能実習生の失踪や賃金不払いなどの問題が改善されているかを調べることとしています。また、違法行為があった機関の調査や改善策も議論するとされています。(日経電子版記事2018/11/20 15:30)


1,技能実習生の闇

今月8日に野党が開いた合同ヒアリングでは、「過酷な労働環境に耐えかね、支援者に保護された実習生18人を招き、うち5人が証言した」と言います(朝日新聞デジタル2018/11/
9 17:28)。失踪した実習生が今年上半期に4279人、昨年は7089人で過去最多でした。

パワハラ、いじめ、過酷な労働と、予想外の低賃金がその原因であるとしています。建設や製造の受け入れ先事業者から逃れ、外食等で働いている人達がいます。逃げられない実習生もいるし、そのために自殺に追い込まれた人もいると、上記の記事では指摘しています。

支援者に保護された実習生18人を招き、うち5人が証言したそうで、涙ながらに窮状を訴えています。

法務省の提出した失踪者に対するヒアリング資料に誤りがあったとして、野党が問題視していましたが、誤差の範囲内であるとして、法務大臣は訂正に応じないようです。最低賃金以下ないし低賃金を苦にした失踪の数値やそのことの表現の問題です。法務省のヒアリングと言っても全ての失踪者に対してヒアリングを行うことは不可能でしょう。失踪者が不法滞在者となりますので、強制送還の対象ともなり得るのですから。どこにいるか分からない人達が失踪中の人ですよね。

些細なことかもしれませんが、法務省のヒアリング対象となった「失踪者」とはどのような人達なのでしょう。不法滞在中に、すなわち受入先から逃れて、他の職種等で労働していた人達が摘発を受けて、現在収容中の人達でしょうか?あるいは、受入先事業者等の基に戻された人達でしょうかね。

重労働・低賃金の職場に割り当てられてしまった人達が、他の職場を求めて逃れることは当然予想されます。比較的軽労働で、同等以上の賃金であれば、そのちらの方に目移りするのが当然です。その職場に慣れなくて、孤独に耐えかねて、他の職場であればなんとかなると考えるかもしれません。初めて他国に居住する外国人が、言葉も不自由で、日本人社会に慣れないと、些細なことを重大に受け止めることが有り得ます。受入側が十分に注意すべき点でしょう。また、在留期限の切れる間際に、もっと日本で働いて、母国の家族に送金を続けたいと考える人達もいるのではないでしょうか。

実は、外国の送り出し事業の方に問題があり、多額の借金を抱えている例もあるようです。制度上、他の職場に移転することが困難で、過酷な労働環境の中、泣く泣く同一の職場で期限まで過ごすことが有り得ます。このような場合に、わが国の受入団体との関係を疑問視して、この一部の例について、技能実習を「人身売買」であるとして国際的な非難がなされるような誤解があります。

技能実習制度というのは、以前のブログでも述べたように、わが国の進んだ技能・技術を習得し、帰国後、その技能を生かして、母国の経済発展に貢献できるようにするという国際貢献が本来の目的の制度でした。しかし、わが国の圧倒的な人出不足、殊に単純労働分野における人手不足のため、その解消の便法として用いられてしまったのです。

そのため、例えば、母国で農業を営む人がわが国で牡蠣養殖業に従事するというようなミスマッチが従来、生じていました。この場合、帰国しても、居住地が山間部であり、途上国に対する技能移転という目的は全く無意味であるような場合があったのです。そこで、筆者は従来より、技能実習・国際貢献という名目は止めて、正面から単純労働の受入であることを認めるべきであると主張してきました。上のような例が通常あるなら、国際貢献というのは名ばかりであり、他国に対してもみっともないでしょう?

もっとも、やってくる外国人労働者も、そもそも出稼ぎ目的であり、帰国後わが国で得た技能を生かそうと考えている人ばかりではないようです。また、技能実習としての国際貢献目的が適正に果たされる好例も、確かにあります。わが国の町工場で旋盤等の実習を積み、帰国後、その途上国に進出した日系企業の工場に勤務し、指導的立場で技術を伝えるという人達も存在するのです。サプライチェーンのグローバル化が益々進行し、日本企業の製造拠点が途上国に移転し、日本の製造業の空洞化が進みつつあることは良く知られています。また、大企業の工場が進出すると、その下請け、更に孫請け企業が、生き残りをかけて、その国に進出せざるを得なくなります。その国に、基本的な技能を有する技術者が不足するなら、わが国企業の進出が困難となるのです。このような場合には、正に、国際貢献としての技能実習制度が面目躍如であり、途上国の経済開発に役立つことでしょう。

技能実習生が未熟練の労働者でも足りる点も重要です。今般の入管法改正案では、未熟練の技能実習制度を温存しつつ、相当程度の技能労働者である特定技能1号、熟練労働者である特定技能2号の、労働人口における役割分担もあるようです。

未熟練の単純労働の受入れが、適切な国際貢献の目的を果たし、また出稼ぎ労働として、母国の家族に対する送金を可能にすることで、途上国の人々の生活を支える一助になるなら、技能実習制度を維持するべきであると思います。

しかし、先に述べたような外国人労働者の人権侵害があるとすれば、これを改めることが喫緊の課題であることは当然です。


2,技能実習法の成立・施行

一昨年に成立し、昨年11月に施行されたばかりの技能実習法があります。外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護を図るための法律であり、法律の正式名称もそのまま「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」と言います。
(法務省のHPhttp://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri05_00014.html)

同省のパンフレットによると、同法により、技能実習の基本理念として、次の様に規定されています。

○ 技能実習は、技能等の適正な修得等のために整備され、かつ、技能実習生が技能実習に専念できるようにその保護を図る体制が確立された環境で行われなければならない。
○ 技能実習は、労働力の需給の調整の手段として行われてはならない。

そして、新法により、技能実習を行わせようとする事業者(実習実施者)は、実習生毎に技能実習計画を作成し、その計画が適当であるとする認定を、外国人技能実習機構が行うこととされています。計画の通りに実習が実施されないとき、違反があるようなときには、改善命令や認定の取消しが行政処分としてなされますので、計画の認定取消しとなると、継続して実習を行えないことになり、外国人実習生を用いた業務が継続できなくなります。

また、管理団体が団体監理型技能実習の実施状況の監査、監査報告、事業報告などその他の業務を法令に従い行い、違反があると改善命令や許可取消処分の対象となります。管理事業の許可及び許可取消等も外国人技能実習機構が担います。

以上に出てきた外国人技能実習機構という新たな法人が、新法に基づき、法務大臣及び厚生労働大臣を主務大臣として認可され、昨年、設立されています。
http://www.otit.go.jp/)-9カ国語で記述されたホームページ。

そして、本部の他、全国13か所の地方事務所及び支所(具体的には、札幌、仙台、東京、水戸、長野、名古屋、富山、大阪、広島、高松、松山、福岡、熊本)が設置されています。重要なことは、この機構が、外国人技能実習に関する公益通報を、電子メールまたは郵送で受け付ける機関であり、また、外国人技能実習生一般に対する相談窓口を設けていることです。8カ国語による母国語相談窓口が電話及び電子メールによるものとして設けられています。このHPには、労働基準法の解説や労働トラブル、労災保険給付についての解説もあり、多言語化されています。

技能実習生に対して、このような相談業務を国が行っていることを十分に周知することが極めて重要です。上で述べたような法令違反、人権侵害の被害者となる可能性のある人達からの告発こそが、その防止のために最適な方法であると考えられるからです。

新法により、技能実習生に対する人権侵害行為等について、禁止規定や罰則が設けられ、このことについて技能実習生による申告が可能となりました。また、実習実施者・監理団体による技能実習生の転籍の連絡調整等の措置を講じることとされています。

更に、日本と技能実習生の送出し国との間で、政府(当局)間取決めを作成して、相手国における不適正な送出し機関を排除していくことを目指すこととなっています。

未だに、法令違反や人権侵害の例があるとすれば、新法によるこれらの方途を尽くすべきであると言えます。新法の施行後、1年であり、その効果が全く期待できないものであると即断することはできないでしょう。もちろん正すべきは正すべきです。しかし、先に述べたような有為な目的と実例もあるのですから、弊害があるから、直ちにその制度自体をなくすべきであるとも言いがたいでしょう。

技能実習制度は、国際貢献の技術移転名目を有していたために、もともと労働法適用対象外でした。最低賃金や労働時間規制も適用されず、悪質な事業者が後を絶たないことから、制度拡充とともに、徐々に、一年目から労働法適用対象とされたという経緯があります。通算3年であったところ、上の新法により、更に2年間働ける職種を設け、技能実習3号とし、通算5年間が上限となっています。技能実習制度が始まって、相当の期間を経過し、受入事業者や監視団体の慣行が一種の文化として、技能実習制度の悪弊となっている可能性もあります。これがあるとすれば改める必要があります。

労働法適用対象ですので、技能実習の受入事業者は労基署の規制対象ともなります。これに加え、新法と、外国人技能実習機構という新たな法人により、規制強化に向かっていると言えるでしょう。

外国人材労働組合?

ラーメン店「日高屋」を運営するハイディ日高という企業に、外国人が3割もいる動労組合が結成されたそうです。

記事によると、約420店運営する企業で、正社員が約800人いるのに対し、パート・アルバイトは約9000人で、4割程度を外国人が占め、その全体の内、組合員数は約9000人で外国人は3000人弱いるそうです。外食産業における外国人労働者は既になくてはならない存在となっていますが、留学生等のアルバイトがその担い手となっています。技能実習の問題と異なるかもしれませんが、技能実習及び特定技能の、外国人材を含む労働組合が存在感を持ってくる時代となったようです。

わが国において合法的に活動する労働組合がこのような弱い存在に目を向け、その声を代弁するなら、弱者からの告発が、その人権侵害に対する防止策として有効に機能することでしょう。


3,技能実習の希望の光

次の記事を紹介したいと思います。

「外国人技能実習制度はどうあるべきなのか?実習生たちと家族のように暮らす農家の「5箇条」とは」
https://abematimes.com/posts/5260264


「技能実習生と家族同然の暮らしをすることで、良好な関係性を保っている農家を取材した」という記事です。

愛知県で7代続く農家が、中国人2人、フィリピン人2人の女性を実習生として受け入れているそうです。

実習生は、ミニトマトの収穫やサイズごとの分別などを行い、労働時間は午前と午後合わせて8時間、日によって1時間の残業があります。実習生自身が月に30~40時間の残業を望み、家賃を払っても基本給の15万円ぐらいが手取りとなると言います。農家は、実習生と家族同然に接し、時給などもしっかり合意の下で決めている。地元の人との交流も勧め、実習生同士の交流も重視しているそうです。

世界の中の出稼ぎ大国フィリピンは、その外貨収入の相当部分を外国に働く自国民の送金が占めるという国です。多くの国に対して単純労働の送り出し国となっています。英語を母語の一つとする点がその背景となっていますが、更に、この国の貧富の差の激しさがあげられます。極貧の生活を送り、その日生きるための糧さえもままならない多くの人々がいます。

先ほどの記事によると、27才のフィリピン人実習生が、帰国後は米やイチゴを栽培したいと言っています。「お兄さんが重い病気なのでドリアンの畑を売った。そのドリアンの畑を買い戻したい。私の前の仕事は給料安いから。フィリピンの給料は3万くらい。ここの給料は14万くらいだからとても高い」。

この農家は、現地で本人の希望を聞くなどして、12人の外国人を受け入れてきたが、帰国した若い中国人実習生達は、帰国しても農業がお金にならないということで、帰国後は都会に出て働いているそうです。農家で得た技術は生かされていないというのが現状だと言います。

建前と本音の異なることで批判される技能実習制度ですが、私は、このフィリピン人女性の例のように、未熟練労働者にもわが国の労働の場を提供し、母国である途上国での生活を支える役割がある点にも十分注目するべきであるように思います。

なお、法務省は初年度にあたる2019年度の受け入れについて、特定技能1号の55~59%を現在の技能実習生からの移行と想定しています。5年間の累計では45%で、12万人~15万に相当します。

特定技能として、国際貢献の名目を免れた本来的な単純労働の担い手として、いよいよ本格的な制度設計が開始されます。

4,入管法改正案と技能実習制度

法務省が21日の衆院法務委員会で述べたところによると、技能実習から新たな在留資格「特定技能1号」に移行した人が、さらに「特定技能2号」を取得する場合、いったん帰国させることを検討しています。
時事通信社(https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112101216&g=soc 2018/11/21 20:55)

また、「法務省は、3年間の技能実習を終えれば、特定技能1号の試験は免除すると省令で定める方針」です。

先にも述べましたが、労働者の能力からすると、技能実習=未熟練労働者、特定技能1号=相当程度の技能労働者、特定2号=熟練労働者という風に整理できます。但し、就くことのできる職種の範囲が異なります。特定技能1号は日本語能力についても、その受入れ業種において即戦力となる程度の能力を求められるようです。

特定技能2号は、制度発足後数年間は試験が実施されない見込みであると報道されているので、日本に定着する労働力としては、次の様な場合が、典型例として考えられます。まず、技能実習生として、来日し、未熟練労働者として受入業種において、単純労働の担い手として、かつ、技能の習得に努め、3年を経ると、相当程度の技能と日本語能力を有した段階で、特定1号の資格に移行できます。その後、5年を経て、研鑽を積み、いよいよ熟練労働者となると、資格試験を受験して、特定2号に移行できます。この段階で、家族を母国から呼びよせ、更に10年日本に居住するなら、永住への道が開かれます。技能実習及び特定1号の在留期間を永住許可申請の要件として算入しないことが検討されているからです。従って、技能実習から始めると、都合18年間の日本居住要件が必要であることになります。この点、高度人材外国人の場合、ポイント制の下で、最短5年の居住で永住申請が可能となっていますので、単純労働との違いが歴然としています。

特定2号になるまでに母国に帰国するなら、技術移転と国際貢献に役立つ場合も有り得るでしょう。先に述べたように、当初は新資格の6割が技能実習からの移行であると想定されているのです。恐らく、かつて技能実習生として日本で働いた人達も、特定1号を目指して日本にやってくることもあるでしょう。

前にも述べましたが、現在、特定1号の受入業種として検討されているのが、介護、外食産業、建設業、ビルクリーニング、飲食料品製造業、宿泊業、農業、素形材産業、造船・船用工業、漁業、自動車整備業、産業機械製造業、電子・電気機器関連産業、航空業です。特定1号の外国人に対しては、日本語研修や生活支援など多様な支援策を実施することが予定されています。特定1号の資格試験は、技能実習生の送り出し実績の多いアジア諸国を中心に、その国の領域内において、その国の言語で実施するようです。

特定の職種において有資格者とされた場合、配属事業所を解雇になると資格を失い、帰国を余儀なくされるということが、技能実習の場合と同様に予想されます。労働者本人の問題ではない事情による、例えば経営状況に基づく解雇があるというとき、資格のある同一の職種内における他の事業所への就職の機会が有り得るべきでしょう。そのような雇用調整を行う仕組みがあって良いと思われます。

特定2号としては、建設業、造船・船用工業、自動車整備業、航空業、宿泊業が検討されていますので、1号資格者の内、相当に限定した範囲で、更新可能で永住への門戸の開かれた資格に移行できることになります。例えば、農業や漁業では、更新可能な資格への移行ができないわけです。


5,入管法改正案の早期成立を

朝日新聞社の世論調査によると、「来年春から外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法(入管法)改正案を今国会で成立させるべきか尋ねたところ、「その必要はない」が64%、「今の国会で成立させるべきだ」は22%だった」そうです。
(朝日新聞デジタル2018/11/20 5:34)

現在日本で、人手不足関連倒産がますます増加しています。
共同通信社(https://this.kiji.is/435970236102034529  2018/11/16 10:28)

「人手不足が加速し、企業の事業継続に深刻な影響が出ている」としています。「東京商工リサーチの調査によると、2018年1~10月に人手不足関連倒産は前年同期比20.4%増の324件に上り、13年の調査開始以降、最悪だった15年(1~12月で340件)を上回るペース。日本生命保険の調べでは、地方部で人材の逼迫感が目立っている」。

但し、人手不足倒産の内訳としては、後継者難による倒産が237件、求人難が46件です。

働く人が居ないから倒産する!!! 後継者がないから、事業継承がない!!!

地方では、更に、廃村が進み、限界集落が山のように存在する。農耕放棄地がますます増加中です。消えゆく地方自治体!!!

私には、一刻の猶予も許されないように思えます。いずれも、現在の所、特定2号の範囲に無いようですが、優秀な外国人労働者が町工場(製造業)の働き手として、やがては経営者として日本の社会を支える構成員となる日が訪れることを願います。農業や漁業分野でも、同様の事情にあるのです。

もっとも新たな外国人労働者の増加が日本人雇用を圧迫するとか、現在日本に住む人々の雇用条件を悪化させるということがあってはいけないでしょう。外国人労働者の人権侵害の防止や生活支援を行い、同一労働における日本人と外国人の同一の賃金・同一待遇を徹底し、従前の雇用条件の切り下げに陥らない対策も必要不可欠です。その意味で、政府が検討している出入国管理庁の創設は有為です。労基署、地方自治体や捜査機関等の諸機関と連携しつつ、外国人支援・保護と、法令違反の取締り、不法滞在者の摘発を進めて行く必要があります。

どんな有用な法制度にも、悪用はつきものです。法制度の良い目的を最大限に実現するために、他方で悪用に対する方途を尽くすべきは、技能実習制度の場合と異なりません。

ちなみに、高度人材の国際競争力において、日本は余り魅力のない方の国に入るようです。
「働く魅力乏しい日本=世界人材競争力、29位-スイス調査」時事通信社 (https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112100150&g=eco  2018/11/21-04:53)

単純労働者の獲得競争も、近隣諸国、韓国や台湾とも生じています。日本の単純労働市場が魅力がないなら、勤勉で優秀な労働力が他国に奪われることでしょう。日本は、法令上、定住が極めて困難で、しかも人権侵害もあるひどい労働現場しか提供されないから魅力が無いとして、質の悪い怠惰な労働者がやってくるということにはならない様にして欲しいと思います。

多くの外国人が居住するようになり、日本人社会とも十分の交流が図られる中で、外国人居住者にとってのニーズが町作りや市町村共同体の運営に生かされるなら、漸く、日本が全体として外国人労働者にとって魅力ある国となります。

そのような状況において、二重国籍の容認や帰化の促進など、更なる同化政策が試みられるなら、将来的に日本国民も増加することになり、受け入れた人達が、名実共に日本社会の構成員性を充たすことになるでしょう。永住許可のガイドラインと、帰化要件とは異なるので、永住資格を得る以前に帰化することも、今のところ法律上は可能です。なお、いずれも法務大臣の自由裁量的許可処分に係ります。

end


*12月24日に次の内容を追加しました。

特定2号として受け入れる業種として「建設」と「造船・舶用」の2分野に限定する方針であると、管官房長官が11月14日の記者会見で表明しました。
例えば、https://www.sankei.com/politics/news/181114/plt1811140022-n1.html

上述の記述(5分野で検討中とする)が、11月1日のニュースによります。
例えば、https://www.asahi.com/articles/ASLC15TN9LC1UTIL05C.html

わずか10日余りで、更に厳格化したようです。どんどん消極的になっていくように見えます。

紛争下性暴力と戦うノーベル平和賞2018年10月06日 16:52

11月に学会報告があります。また少し忙しくなってきたので、ブログの更新をしばらく休みます。学会が終わった頃に再開したいと思います。そのとき、またよろしくお願いします。<(_ _)>


1,ノーベル平和賞

コンゴ民主共和国の婦人科医師、デニ・ムクウェゲ氏(63)と、イラクの宗教的少数派ヤジディー教徒の女性、ナディア・ムラド氏(25)の2人が、ノーベル平和賞を受賞しました。

「性暴力と闘う2人に平和賞 国内からもたたえる声」
日経電子版 2018年10月5日 22時30分

「平和賞にムクウェゲ氏とムラド氏 性暴力防止」
毎日新聞 2018年10月5日 18時09分(最終更新 10月5日 22時50分)


コンゴ内戦でレイプ被害にあった女性達の救済に当たっている医師と、イスラム国で人身売買の上、性奴隷にされた被害を国際社会に訴える活動家です。

「戦時下の性暴力を白日の下にさらし、犯罪者への責任追及を可能にした」というのが、受賞理由です。(上掲、毎日新聞)性暴力が安価な武器であり、また、拷問の手段となるのです。

また、一般に、非力な女性が、紛争状態という異常事態において、戦闘を遂行する男性から、性暴力・被害に会うことが有り得ることは容易に想像できます。

今現在、この世界に、紛争・戦争が存在し、爆撃や銃弾の脅威に曝されながら生活し、兵士達に性的に蹂躙される人々がいます。多くの人がこの問題に無関心であり、その実情を知りません。平和賞を受賞した二人は、このことを明るみに出して、救済への可能性を開いた功績が大きいのです。その国に留まる限り、決して解決のなされない、その試みさえ無意味で、救済を訴える者に身の危険が生じるような問題です。

しかし、国際社会は、これを国内問題だとして放置することをせず、国際法上の犯罪として断罪しています。2002年に発効した国際刑事裁判所(ICC)に関するローマ規程(ICC規定)において、そのような性暴力が人道に対する犯罪及び戦争犯罪とされているのです。


紛争下における性暴力の被害が世界中に現に存在し、人類の歴史上も、このことが絶えたことがありません。このことは、欧州や日本も免れないでしょう。しかし、文明の発展とともに、先進地域では克服されてきたとも言えそうです。ノーベル平和賞の二人の出身地が、無政府状態に陥るような内戦の生じたアフリカと中東であることが象徴的であるように思えます。また、1990年代の、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において性暴力が民族浄化の手段とされたことは記憶に新しいです。

無政府状態の混乱と法秩序の破綻の下では、腕力のない女性や子供が、その被害者となります。戦争を遂行する上でこのことが常態化すると、それぞれの領土の一部を占領する互換性がある場合に、その後、そこに生活するコミュニティーに身体的・心理的な深い傷跡を残します。そこで、このことを国際法として禁止する方向性を生じると考えられます。

また、このことは生物学的、生理学的に、戦闘行為を遂行する男性の性処理の問題が関係するでしょう。

一方で禁欲的な軍隊の規律があり、他方で、生死をかけた強烈な精神的ストレスを抱えるわけで、性暴力に至らないように一定の秩序化をはかるためにも、公娼が用いられるということがありそうです。

もっとも、決して、これを肯定的に捕らえるとか、その理由で正当化するということではありません。更に文明の進展とともに、倫理的規範的要請の下で、自己抑制の方法によることも可能になります。平和を享受している先進国地域では、その克服の過程に生じる歴史的悲劇です。


2,「慰安婦」問題

日本でも公娼が廃止されたのが、第二次世界大戦後のことであったことを思いださなければなりません。ちなみに、第二次世界大戦終結時、米軍に占領されるとき、米軍兵士による性暴力の脅威から日本人女性を保護するために、公娼を用いることが必要視されたという議論もあるようです。

この公娼を従軍させたのがここで取り上げる「慰安婦」なのではないでしょうか。第二次世界大戦中、日本軍に「従軍」させる形で行われたものです。公娼自体が違法化される過程で、それ自体が歴史上の汚点とされるようになります。もっとも、兵士の性処理の問題が、「軍」運営における重大な職制上の要素となるということが、日本のみならず西欧各国を含めて、普遍性を有するということは付け加えておきます。

従って、慰安婦自体の問題と、ノーベル平和賞の受賞対象となった無秩序な性暴力とは区別が必要です。問題は、慰安婦としての募集と継続について、強制の契機があるか否かということになります。国家的、組織的な強制が法制度としてあるなら、国家としての犯罪に等しいのですが、そうではなく経済的社会的必然として、「強制」されたという場合、再度強調しますが、そのこと自体を決して正当化しませんが、法的意味で国家自体の問題であったかは微妙です。

慰安婦とされた女性にも様々な事情があり、いわば「徴用」の際に、暴力的に強制された場合も含まれると考えられます。そのような状況に置かれた女性達が確かに存在したことを、1993年の日本政府自体の調査結果として認め、政府として心からのお詫びと反省を表明しています(いわゆる河野談話)。ここではこの問題に焦点を当てます。

経済的事情によって公娼という職業を選択せざるを得ないという女性に対して、当時の社会的状況の問題として気の毒に思いますが、特に後者の場合、筆者自身、同情を禁じ得ません。その被害者の憤りと悲しみを是非、共有したいと思います。


3,戦後補償と請求権問題

これらの女性達からする補償の要求について検討します。慰安婦問題は、戦争捕虜、元徴用工等と並ぶ、戦後補償問題の一環です。第二次大戦において、他国の一般人が戦闘や理不尽な暴力に巻き込まれ、その国や社会にとって必要な財産が破壊されたことを、日本が補償や謝罪をするという問題です。

戦後補償について、日本は、サンフランシスコ平和条約(1951年)やその他、各国との協定等の締結により、戦後処理を進めてきました。その一つとして、日韓請求権協定(1965年)があります。日本と韓国との国家間で、日本が3億ドル分の生産物と役務の提供を行い、加えて2億ドルの長期低利貸付を提供することを約束し、この経済協力と引き換えに、国及び国民の間の財産や請求権の問題が完全かつ最終的に解決されたと規定されたのです。

そして、両国国家と国民に対する、協定締結以前の全ての請求権をお互いに主張しないこととされています。

日本は、大戦前に朝鮮半島を併合しており、自国領域としてインフラ整備や公共建物を建築するなどの投資を行ない、民間の財産も存在したのですが、これを放棄したことになります。

これを一括処理方式と言い、各国国民に生じた個別の損害については、それぞれの国が国内手続に従い補償の提供を受けることになります。それが不十分である可能性はありますが、戦争という異常事態において双方に生じた莫大な損害を埋め合わせるために、国同士でこのような約束を行い、処理するわけです。破産時の精算にも似ています。

慰安婦の個別的な損害賠償についても、日韓請求権協定に含まれているというのが、日本の立場です。

これに対して、交渉の経緯と慰安婦問題の特殊性から、請求権協定で処理される対象とされていないとするのが、韓国政府の立場です。

同じ条約について、日本と韓国の間で、協定の対象となる範囲について、解釈の相違を生じたということになります。

条約=国際法について、当事国間で解釈が相違することはよくあることです。条約は国家間の契約になぞらえられますが、契約の当事者間で解釈が異なる場合、国内法の問題であれば、その国の裁判所に行って解決することができます。これが国際法であると、客観的中立的な第三者として裁定する機関を考えにくくなります。日韓請求権協定の場合、その条項に、国際仲裁委員会に解決を委ねる方法が規定されているのですが、両当事国が合意するのでなければこれが開始されません。今のところ、いずれの政府もその気がないようです。

国際関係法の専門家として、元慰安婦の個人的な賠償の請求が法的に根拠付け得るかについては疑問があります。国際法及び国内法上、相当困難な解釈上の問題を生じます。法的にはこれが困難であるとして、次に、道義的な責任の問題として、何らかの解決が模索されるのではないかを考えます。


4,日本政府の行動と、慰安婦像

この間、韓国内の世論としては、日本政府の態度を非難するものが目に付きます。民間団体が慰安婦像をこの女性達の抗議の象徴として、ソウルにある駐韓日本大使館前に設置し、日本政府が抗議したことはよく知られています。

日本政府は、1993年の河野談話の後、1995年に女性のためのアジア平和基金を設立し、その事業として、元慰安婦の女性達に償い金と総理大臣の手紙を手渡すことにしました。その手紙において、わが国が「道義的責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳にかかわる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」としているのです。

アジア平和基金の事業は、2007年に終了し、基金も解散したのですが、韓国では、この事業も必ずしも成功していません。この事業を日本政府の責任回避であるとする韓国内の運動体と韓国政府の態度に起因します。この事業による金銭と手紙を受領しようとする女性に対しては、民間の団体による圧力がかかったようです。
(慰安婦問題アジア女性基金デジタル記念館よりhttp://www.awf.or.jp/ )


2015年12月28日に、日韓慰安婦合意が締結されました。
そこでは、日本が、日本軍の関与の下で大戦終結までに、慰安婦として多くの韓国人女性の名誉と尊厳を傷つけたことを認め、責任の痛感と、心からのお詫びと反省の気持ちを示しています。

そして、元慰安婦の女性達のための事業を行う、韓国政府が設立する財団に、日本政府が10億円ほどの資金を提供することにしたのです。

同時に、これをもって慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に」解決されたものとし、両国が国際社会において互いに非難することを控えることにしました。

ところが、韓国内においては、この日韓慰安婦合意が甚だ不評です。文政権は、この合意を反古にしようとしています。慰安婦像の撤去もなされていません。撤去しようとすると、むしろ厳しい反対運動に遭遇し、世論も反対論が強いようです。

日本政府が提供した10億円が、韓国政府の設立した財団を通じて、多くの元慰安婦達の手に渡っているのですが、極めて高齢となった女性達の救済が漸くはかられたことを喜びたいと思います。

韓国内の世論や現政権の反発はどこから生じるのでしょうか。金銭を提供した根拠として、法的責任か、道義的責任かの相違は、純粋に法技術論として理解できます。この一点にそこまでの執着を示す理由は何でしょう?

私には、韓国における朝鮮民族としてのナショナリズムが背景にあるように思われます。日韓併合と日本への同化政策により、民族の誇りを剥ぎ取られ、その間に被った同胞の屈辱的な苦痛が忘れられない、ということでしょう。日本がいくら謝罪を口にしても、その気持ちの表れとして金銭を提供してもどうにもならない、民族としての悲憤の共有が存在するのです。

日本としては、法的責任は、無いのだから無いというほか無い。謝罪の気持ちを信用しないと言われても、その気持ちは言葉を通じてより他に示しようがありません。お隣の国として未来志向の良好な関係を更に発展させるべきであることには、どちらの国も同意しています。日本として、彼の国の過激なナショナリズムに過剰に反応することなく、その国の人々の気持ちにも思いをはせ、お互いに仲良くしようという機運がもっと生まれるまでゆっくりと待つという態度で良いのではないでしょうか。

日韓合意の遂行を求めつつ、他の側面での協力関係を進展して行くことが肝要であると思います。


5,世界中の、紛争下性暴力の被害者と、日本

2015年8月14日に、安倍総理による戦後70年の談話によって、次の通り表明されています。これが同年末の日韓慰安婦合意に通じました。

「私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性達の尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」。

冒頭に示したノーベル平和賞が、世界中の、紛争下性暴力被害者に勇気を与え、その救済に向けた努力に報いるものでした。誰も見向きもしないと、受賞者の1人が語っています。そこに光を当てた受賞でした。そのような被害の抑止と救済に対して、日本としてもっと何かできることは無いでしょうか?

受賞者が武装勢力に対する資金提供に繋がる取引の禁止を求めていました。また、日本が中東における平和に貢献し、世界で苦しむ紛争地域の性被害者への援助を行う人的、物的な貢献を行う方策がないかを検討することができるように思います。

他方、足元の国内に目を転じると、実は、日本が人身取引の受入国として、また児童ポルノの供給国として、国際的に評判の悪い国であるという事実があります。このような違法行為の抑止を適切に行い、取締り実績を上げていくことがいかに重要であるか。紛争下の問題ではありませんが、そのような身の毛のよだつ性被害の重要な供給国とならないようにすべきです。

以上のような取り組みを通じて、日本のこの分野におけるリーダーシップを国際的に発信していくことができるでしょう。


※全般に参照。岩月直樹「日本に求められる「戦後補償」とは?―「慰安婦」問題における「法的責任」をめぐる難しさ」『国際法で世界がわかる』322頁以下

経済グローバル化の奔流が国家(法規制)を翻弄する2018年09月23日 20:36

朝晩は、随分秋めいてきました。食卓に、薄紫の大きなポピーのような花を、ビーフィーターの細い角張った空き瓶の中にさしてあります。空き瓶のラベルの裏には、赤い模様が書いてあって、それが水を透過して写っています。表では、赤い制服を着た門番が、大きな花弁を仰いでいます。


1,リーマン危機10年

最近次の記事が目に留まりました。

「リーマン危機10年 データで読む 中間層の所得、中国2.3倍 米は横ばい」
日経電子版 2018/9/21 2:00

記事は、アメリカと中国の、2007年と2017年の国内総生産(GDP)を比較しています。2007年がリーマンショックと金融危機を生じる直前の年であり、その後の10年間で世界の経済がどのように変わったかを考察する内容です。これによると、米中のGDPが接近しつつあります。やがて中国がアメリカに並ぶ日もそう遠くない将来に実現するかもしれません。

そして、記事によると、中国における中間層の所得は2.3倍に増加したのに、アメリカのそれが横ばいであった。先進各国において所得格差が拡大し国民の分断を招いた、とする内容です。2008年9月のリーマンショックのあと、アメリカの中間層はバブルで手に入れた豪華な家を失いました。中間層の低落により、大衆の不満が高まり、アメリカや西欧各国において、移民排斥運動と反グローバルのポピュリズムに通じたとしています。


2,日本の中間層の低落? と、反グローバリズム

最近、野党が上の記事とよく似た議論を展開しています。日本の中間層が低落し、所得の格差が拡大している。ぶ厚い、豊かな中間層を取り戻そうと言うのです。その念頭にあるのが、日本の高度経済成長期です。その時代、確かに、中間層は所得倍増を実感していました。株価も土地もほぼ右肩上がりで、山師でなければ、証券取引によって確実に財をなし得たし、購入した土地やマンションが値下がりするということも、思いもよらない。各家庭には、ボーナスで購入した新製品の家電製品が増えて行きました。

どうやら現在の中国が、少なくとも沿海部の庶民がそのような生活を満喫しているようです。ちなみに、経済開放前の中国が低劣な生産性の故に、押し並べて生活水準が低く、庶民がそんな豊かさを経験することがなかったことはよく知られています。

現在の日本の資本主義経済は既に老成しています。高度経済成長期のような、豊かさの倍増という実感が再び訪れるということは考えにくいでしょう。しかし、よく考えてみると、今のところ、日本の雇用状況は実に安定的です。失業者が町に溢れかえるというような事態にはなっていません。むしろ、どの産業を見ても、人出不足に喘いでいる、雇用が有り余っているのではありませんか。そして、中間層に属する多くの人々は、高度経済成長期に経験した豊かさを温存し得ているのです。

すなわち、中間層に属する人達の経済状況が、相当に高い水準にまで至った後、この数十年間、横ばいなのではないか、ということです。

日本の格差の拡大という問題は、資本主義経済に必然的に生じ得る生活困窮者の問題をひとまず置くとすると、中間層の没落ではなく、恐らく、より高位層に富が偏在しているという不満ではないでしょうか。

先ほどの記事に戻ると、先進国一般について、「中間層の停滞は、人手のかかる労働集約からアイデアで勝負する知識集約へと産業構造が急変したことに根源がある。IT(情報技術)化の進展は優れたアイデアを持つ一部の知識労働者に成長の果実を集中させる」、と分析しています。

中国の企業家にジャック・マーという人がいますね。中国企業アリババ・グループの会長です。アリババ・グループは、電子商取引サイト、検索サイト、電子マネーサービス、ソフトウェア開発などを行うIT企業です。ジャック・マー氏は、アメリカのトランプ大統領に対して、アリババ・グループとして、アメリカ国内に100万人の雇用を創出すると約束していました。

もっとも、米中貿易戦争で、アメリカが2000億ドル(約22兆5000億円)相当の中国製品に更なる関税をかけると発表した2日後、この約束を撤回することを表明しました。中国政府の圧力によるともされていますが、アメリカ国内に雇用を産み出すことに熱心なトランプ大統領に対して、雇用のお土産を用意していたのですが、貿易戦争のおかげでこれを失うかもしれません。

トランプ大統領が、経済政策の内、なぜ雇用にのみ、それも鉄鋼・自動車などの重厚長大型の製造業の雇用にのみ、そんなに執着があるのか、自身の支持層なのかもしれませんが、よく分かりません。ここで注目したいのは、IT産業の産み出す雇用です。

同大統領がIT産業を攻撃したときに、アマゾンUSが、いかにアメリカ経済に貢献し、国内に雇用を生んでいるかを説明していました。電子商取引により、輸入した外国製品を販売しているとしても、電子商取引にまつわる顧客対応の他にも、例えば、巨大な倉庫の建造、在庫管理や配送業務、商品の運送など、流通に関わる膨大な雇用と経済の波及効果を産み出していることは容易に想像できます。

日本の産業構造にも、このような変化が生じているようです。

GATT時代から継続し、1995年のWTO成立以来、更に飛躍的に進展した経済のグローバル化が、世界中の国々において、産業構造の転換を半強制的にもたらしました。2001年12月には、中国がWTOに加盟しています。自由貿易の恩恵を被りながら、中国が世界の工場と化し、高度経済成長を果たしたのです。

モノの交易の観点からは、モノを産み出す製造業についてみれば、先進各国の製造業者が安価な労働力を求めて製造拠点を他国に移転させ、これら国々において、サプライチェーンを構築したため、先進各国において、製造業の空洞化を来しました。

そして、アメリカや西欧諸国は、経済成長に伴う労働力の不足を、安価な外国人労働力に依存し、安易に膨大な数の移民を受け入れたのです。そのため、主として構造転換を余儀なくされる製造業において、既存の住民・国民が、移民に職を奪われ、あるいは移民同様の劣悪な労働条件を飲まざるを得なくなった。その不満につけ込んだ移民排斥運動が、反グローバリズムの標語の下で、ポピュリズムとして隆盛しているという状況にあります。

しかし、日本の現状はこれと異なります。確かに、製造業の空洞化を生み出しましたが、一次的に衰退した製造業についても、異なる製品の開発と業態の転換により生き残り、国際競争力を獲得するに至る企業も現れるのです。

例えば、日本の繊維製品は一時、中国等の開発途上国の後塵を拝しました。現在でも安価な製品群は途上国に依存しているとしても、高付加価値の日本製品は、メイド・イン・ジャパンのブランド価値を獲得しています。また、繊維製品から、機械や航空機の部品、建材に使用する素材の産業として、劇的に復活した企業もあるわけです。

そして、電子商取引の隆盛は、配送業の、恒常的な人出不足を産み出しました。このブログで何度も言及しているように、製造業を含めて、様々な業種で、労働力不足が顕著なのです。

ちなみに、筆者の時代に習った中学高校の「地理」の教科書には、インドやタイなど、第三世界の国々が植民地時代のプランテーションの影響からどうしても抜け出せない、極貧の発展途上国として描かれていました。それらの国々に、現在、経済開発と豊かさがもたらされつつあります。その時代を知っている者からすれば、驚愕するような発展です。

WTOの根本理念は、自由貿易主義を推進して、世界の経済厚生を最大にすること、その恩恵を世界中の国々に及ぼし、世界経済の持続的な発展を期することです。WTOはそのために必要な通商法ルールの体系であり、なお、発展を止めていません。更に、TPPその他の、メガFTA・EPAがその系譜に属します。日本は、その中にあってこそ、その長期的な国家利益に適うのです。

自由貿易主義の評価も多様であることは、この筆者も知っています。しかし、第二次世界大戦以前の経済ナショナリズムが悲惨な戦争の惨禍をもたらし、焼け野原となった国土を前にした人々が世界を再建するために、GATTを生み出したこと、その後も、繰り返し生じる経済ナショナリズムと闘いながら、その障壁を打ち破り、現在の豊かさを多くの国々にもたらしたことは、確かなのです。

世界中の貧しい人々にパンが行き渡ること、これが世界平和への道です。そのために最も効率の良い、実現可能な方法を見出さなければなりません。


3,モノの取引から、サービスの取引(投資)への、グローバル化

先進国経済の発展段階において、既に、モノの交易中心の時代から、投資の時代へと進展しています。一つの国が原材料を輸入して、製品に加工して輸出するという単純な形態ではなくなっています。製造拠点や販売拠点を、世界中のどの国において事業活動を展開するかは、その時点における各国の法制や経済水準などにより、利潤の最大化のために、一にかかってその企業の決定に依存します。

サプライチェーンを複数国に跨がり構築する多国籍企業が、その子会社や関連会社を、それぞれの国に設立するのです。これが対外直接投資です。その他国に対する技術の移転を引き起こし、雇用を生み出し、経済発展に役立ちます。そして、ある国で製造した製品を、どの国に輸出し、販売するのかについても最適な国を選択します。

日本の優れた製造技術は、部品産業として生き残っています。日本製部品を中国などに輸出し、やはり日本企業の子会社がその国で組み立てた完成品を、日本に輸入する場合も有り、更に第三国に輸出する場合もあります。

国際的なM&Aにより、企業規模を拡大させ、世界的企業となる企業も現れます。日本企業がそのような多国籍企業として、国外で儲けた利益を日本に送金することで、日本の経済が潤うという仕組みです。

日本の金融機関が、世界中の証券・金融市場に投資して、売買差益や配当により、金儲けをすることも日常的に行っています。

かくて、日本経済の中心がモノ自体の交易から、投資の時代へと移り変わって、もう既に相当の期間が経過しました。

但し、重要なことは、投資が出超であることです。世界の優良企業が日本市場に投資して、日本に先進的技術やノウハウをもたらし、更なる雇用と経済の成長を促すことが、まだ充分達成できていないのです。

なお、製造業の多国籍化のみならず、現在は、サービス業のグローバル化が顕著です。宅急便を例にとると、他国で宅配事業を展開するためには、その国で子会社を設立するなり、同業者を買収することが必要となります。日本で培ったノウハウを基に、その事業所で配送業を営む人員を雇い入れ、事業を展開することが必然だからです。あらゆる形態のサービス業が海外進出しています。銀行等金融業、デパート・スーパーマーケットなど流通業、食品加工業や外食産業、ホテルなどの観光業などなど。進出先国で稼いだカネが日本に送金されます。

このような経済のグローバル化は必然的に生じるのです。いずれか一国の抵抗によって妨げることのできないこのグローバル化の奔流に巻き込まれ、各国の経済と法規制が翻弄されます。いずれか一国ではもはや制御できません。多国間の枠組みでこそ、なんとかコントロールする試みが可能です。

それがWTOであり、FTA・EPAなのです。


4,労働市場の流動性に関する、アメリカ型と日本型

各国の労働市場も、上のようなグローバル化を避けられないようです。

先進各国において、高度人材外国人の獲得競争が激化しています。研究者、技術者、特にIT技術者については、わが国の人手不足が深刻です。経営者や高度な金融知識をもったディーラー、外国の法律知識を持ったアドバイザーなど、益々、必要な人材となるでしょう。そのような獲得競争に、わが国が負けないようにしなければなりません。

そのために必要な法制度の整備や日本人コミュニティーの物的、心理的障壁を取り除くことが急務と思われます。

一定の技能者や単純労働者の受入れについても、既に何度か取り上げていますが、わが国の受け入れ問題は、アメリカやEUにおける、難民問題や移民問題とは性質が異なります。早急に、しかし堅実に行うべきです。

ここで労働市場の流動性について、言及しておきます。わが国の労働市場の在り方はアメリカのそれとは大きく異なります。アメリカは、解雇自由の原則が徹底している国であり、簡単に首が切れるけれども、セーフティー・ネットが準備されていて、失業保険で食いつないでいる間に、次の職場を捜すことができ、かつ、労働市場も流動性にあふれている国です。次の仕事が、前の仕事に見劣りするということは必ずしもなく、そのときの経済情勢と本人の能力次第です。

企業としては、そのときに必要な部門に必要な人材を獲得し、不要となれば容易に他に変えられるので、都合が良いでしょう。労働側も、不当な差別的処遇でない限り、成果主義を受け入れつつ、他のより良い職場に容易に移籍できるのです。アメリカの労働者はその自由の方を、規制よりも好むのでしょう。アメリカについて、よく思うのですが、ここまでの自由競争社会は、日本人には不向きです。

日本の労働市場は、よく知られているように、終身雇用制が本則ですね。最近は、人手不足、企業にとっての人材難を反映して、若干これが崩れつつあり、転職市場の拡大がみられるようです。しかし、終身雇用制が基本であることには間違いないでしょう。一つの企業に就職したら、定年になるまでその企業で働き、転職しようとしても、ほぼ必然的に賃金等の労働条件の切り下げに繋がります。流動性の乏しい国です。

そこで、法制度としても、解雇自由の原則の下で、解雇権濫用の法理が発達し、企業からは相当に解雇の手が縛られています。簡単に首を切られても、流動性がないので、容易に転職できないという日本社会の特殊事情を汲んだものです。

将来的に、更に日本の労働人口が確実に減少するという予測の下、企業の人材難が深刻化して行くとも考えられます。従って、企業の側に、今少し労働市場の流動化に向けた欲求が生まれているようです。解雇権濫用については、労働法規制が確固たるものですので、その大枠の中で、国内的な人材の獲得競争に向けて、あるいはグローバルな高度人材の獲得競争に向けて、労働市場の流動性を惹起する試みが求められていると思われます。

労働者側からは、突然、首を切られるということではなく、そちらは法規制の枠があり、むしろその職場が嫌であれば、他の企業からのより有利な条件でのオファーを受け入れるということはできるでしょう。

そのために、企業側として、労働条件の多様なメニューを呈示できるようにする。この文脈で、先の国会で随分議論のあった、「高度プロフェッショナル制度」や「裁量労働制の拡張」というのも理解できます。先に述べた、労働市場のアメリカ型と日本型の間に、従来のような硬直な法規制に縛られた日本型ではない、ほどよいところにこれを定位させることはできないか。この意味で、労働の対価を必ずしも、労働時間のみで図るのではなく、労働者側のニーズも汲みながら、労働時間による規制の在り方を見直す必要もありそうです。

もっとも、野党の批判は、制度の悪用や転用に向けられていました。そのあたりは充分注意を要するでしょう。従って、その要件化を慎重に、明確に規定すると共に、悪用を阻む具体的な方法を考案するなり、労基署による取り締まりがいかに促進されるかを、同時に議論して欲しかったと思います。

どのような法制度にも、悪用はつきものです。制度の弊害が、たとえ一人の命でも、人の生命を犠牲にするようなものであれば、その制度はあってはならない。しかし、その大前提の下で、利点が弊害を上回るように制度設計し、法制度を経済、社会の現実に即したものとするような進展を促してもらいたいものです。

移民問題?2018年09月15日 17:09

大型の台風がまた日本を通り過ぎて行きました。地震、未だかつて経験したことのないような豪雨、100年ぶりぐらいの大型の台風と、今年はどうしてしまったのでしょう。もはや天変地異です。

でも漸くしのぎやすくなってきました。( ^ω^)


1,EU諸国の移民問題と日本の移民受入問題は性質が異なる。

単純労働力の受け入れ(2018年06月23日)のブログ記事で、単純労働の受入れに伴い、わが国の支出すべき費用が増加すること、それでも受入れが必至であり、将来的には移民の受け入れが必要であることを主張しました。

それ以前にも何回か同様の主張を行いましたが、再度、言及しておきますと、日本における移民の受入れという問題の性質が、EUやアメリカにおける、移民問題とは全く異なります。

EUにおける移民排斥運動と、社会の分断や移民社会のスラム化とテロの頻発といった問題は、経済成長期に不足した単純労働をほぼ無制限に受け入れ、かつ、社会政策も不十分なまま放置したことが原因です。

「フランスでは、イスラム系だけで450~500万人で、全体では700万近い移民がいるといわれています」。全人口の10%を占めるとされています。
(細谷雄一「フランス共和国が誇る「社会統合」の限界」)(月刊Wedge 2015年3月号)
https://ironna.jp/article/1018

ドイツでは、移民の背景をもつ住民が全人口の19%(1556万7000人(2008年))とされています。
(ドイツ・ニュースダイジェスト「移民問題とドイツの課題」(2010年10月)
http://www.newsdigest.de/newsde/news/featured/3074-840.html

イギリスに住む外国出身者は860万人で、全人口の13%弱(2008年)だそうです。
「【統計で見る】イギリスにイギリス人は何人いる?8人に1人が外国出身者(2017年3月13日)」
https://japanesewriterinuk.com/article/nationality.html

これだけの外国出身者(2世3世を含む)が国内に暮らし、一部の人々の生活圏がスラム化したのです。どのようにあがいてもそこから抜け出すことの出来ない階級を出現させたわけです。低賃金重労働に喘ぎながら劣悪な環境に置かれる人達が想像できます。低賃金ゆえに市営住宅にしか住めず、その区画一帯が移民層で占められ、ドラッグや過激思想の温床となることもあるのです。スラムで生まれる子が将来に絶望して、テロ組織の一員となるとすると、アメリカにあるイタリア系やアイルランド系の白人や、黒人達の住区に生じるギャング組織を想起させます。もともと西欧社会は日本よりも明確な階級社会です。


2,わが国に居住する外国人

他方、わが国では、出入国管理という法務省の白書によると、「我が国における平成28年末現在の中長期在留者数は204万3,872人,特別永住者数は33万8,950人で,これらを合わせた在留外国人数は238万2,822人であり,27年末現在と比べ15万633人(6.7%)増加してい」ます。

特別永住者というのは、戦前からわが国に暮らす朝鮮半島出身者を含む在日外国人であり、その数は継続的に漸減しているので、現在、増加している人々はニューカマーの外国人達です。

政府統計のよると、平成29年のわが国の総人口が約1億2670万6千人なので、これとの比較で、外国人の割合が、約1.9%となります。

また、注意が必要なのは、この統計は在日外国人の人口なので、帰化した人達は含まれません。全体で外国出身の定住、永住者はもっと増えることになります。どこからを移民と捉えるべきかは別途問題となりそうです。3世まで?4世や5世はどうでしょう。

特別永住者である朝鮮半島出身者は既にその世代となっています。ちなみに朝鮮半島が第二次世界大戦前にわが国の領土であった時代、そこに住む人々は大日本帝国臣民でした。その人達が、サンフランシスコ平和条約の発効と同時に、韓国ないし朝鮮籍になったのですが、わが国に住む、これら外地戸籍に編入されていた人々が、その途端、在日外国人になったという経緯のある人達です。

余談ですが、朝鮮半島出身者と結婚した日本人女性が、戸主である男性の在籍する外地戸籍に編入されていたのです。この女性達がどうなったか分かりますか? サンフラシスコ平和条約が発効すると、外国人となったのです。

元々、日本で暮らす日本人女性が日本で朝鮮半島出身者と結婚して、そのまま日本に生活しながら、ある日、突然、外国人となる。想像を絶します。

話を元に戻します。先の在日外国人の統計の中には、約22万8千600人の技能実習生が含まれます。以前も言及したように、この資格は、同一人に対して、一生に一度だけ認められるものです。他の資格に転換できない限り、更新が認められないのです。3年ないし5年(新制度)を過ぎると必ず帰国し、その後は技能実習生としては、日本で就労できません。

技能実習生は家族の帯同が認められないので、日本で子を設けるということもありませんし、子弟の教育という問題も生じません。

その外国人にとっては、3年ないし5年間、家族と離れて暮らすのです。真の意味の技能実習、すなわちわが国の技術を習得して、その国の経済開発に役立てるという場合が、逆に少数派であるとすると、その他は、単身やってくる日本への出稼ぎ労働者であるということになります。

また、話が飛びますが、わが国の高度経済誌長期、昭和30年代以降、地方出身の出稼労働者が東京など大都市圏で蒸発するということが社会問題化したことがあります。単身で、3年、5年と、都会で働く一家の大黒柱が、仕送りを止めて蒸発してしまうのですから、残された家族も大変でしょう。

在日外国人である技能実習生の場合、母国に帰国する必然があるので(期間を超過すると不法滞在となり強制送還の対象となります)、わが国で蒸発することはなかなか困難だろうと思われます。日本人ですら、長期間家族と離れて、都会で暮らす孤独に苛まれ、自暴自棄になりかねないのですから、その心中はどのようなものでしょう。

わが国で、比較的長期間働く外国人達が、母国で暮らす家族に手紙を書きながら、仕送りを続ける様子が目に浮かびます。せっかく一定の技術を身につけて、日本の生活にも慣れ親しんだとしても、帰国しなければならず、そして受入事業者にとっても、研修等の手間と費用をかけて育てた働き手が、技術の継承すら危ぶまれるのに、その人を手放す必要があるのです。また一から新人(外国人)の研修から始める必要があります。

もちろん、資格を「技能」などの他の資格に転換できれば良いのですが、現在の所、その可能な職種は相当に高度な技術や知識を提供する業務に限定されるので、ハードルが高いのです。この間の政府の政策をみると、そのハードルを下げる議論があるように推察されますが、具体的にはまだよく分かりません。

例えば、町工場の旋盤職人はどうでしょう、牡蠣など魚介類の養殖業はどうでしょう。日本の優秀な技術の継承者がなかなか見つからないので、日本の製造業の基盤が揺らぎ、地方の地場産業が立ちゆかない。技能実習で来た人達が、とても良い人達で、熱心に働き、せっかく技能技術やノウハウを身につけたのに、それぞれの事業所はその人材を手放すことになります。


3,移民受入れの提言

単純労働について、将来的に必ず帰国する人達(外国人材)をこのまま増やし続けるのでしょうか。わが国に対する帰属意識ももちろん希薄でしょうし、ここで暮らすために、その文化やモラルに同調する必要も感じられないかもしれません。このような外国人材のみがどんどん増え続けるのでは、決して、より良い社会が形成されるとは言えないように思います。

それでは、人口減少に対処するために、高齢者ないし女性の労働を活用し、AIとロボット技術に頼ることで足りると言うべきでしょうか。前者の限界は明らかでしょうし、後者について、技術的発展が更に飛躍的に見込まれたとしても、社会の構成として、少数の人とロボットだけで良いかは、思想的、根本的な議論が必要です。

私は、上述の資格転換によって、単純労働者としての定住者を、正規に受入れる余地を更に認めるべきであると考えます。

そのために、技能実習制度の目的として、真正の国際貢献の目的を有する制度を別途設けた上で、単純労働の受入れという目的に焦点を合わせなければなりません。現在も労働法規制の対象となっており、管理体制の強化も図られているところですが、これを更に発展させ、違法な事業所の取締を進めることも必要です。

同時に、将来的に資格転換の余地があることを大前提とした制度設計とする。そして、外国人に対する受入説明において、このことを明記し、わが国における労働意欲の向上を図り、技術習得と、日本の文化的価値観や道徳意識の涵養に向けた自己啓発を促す。かくて、技能的な資格を取得できれば、「準」高度人材外国人として定住してもらう。その資格は一世の外国人が真面目に技術習得に努めれば、5年内に取得可能な、比較的ハードルの低いものにしなければ、これも絵に描いた餅になります。

日本語教育や公民教育、一世である子弟の初等、中等教育の負担増などの初期投資が必要であるとしても、これらの人々の社会保障の費用負担については、人口増に伴うものとして、ある程度予測可能な範囲に留まるのではないでしょうか。

西欧諸国は、長い歴史の中で、無軌道に単純労働者を受入れ、居住区のスラム化と精神的荒廃を招いたという移民問題です。また膨大な難民の受入れは特殊事情によるものです。いずれにせよ、既存の住民社会と、急激に増加した移民社会の分断を来しました。

反対に、わが国の単純労働者の移民受入れは、これから始まろうとしています。現在まで、単純労働の移民受入は拒絶してきたのです。0からの出発なのです。どのような労働者に、どの程度来てもらい、どの範囲で定住化を図るか。その移民の制度設計をこれから進めるという問題なのです。

以前、言及したように、高度人材外国人の定住化、永住化の政策は既に取られています。政府は否定していますが、この意味では、わが国は既に移民政策に転換していると、考えています。高度人材には来て欲しいが、言語や風習、社会制度の相違から、むしろ外国人がこれを嫌い中々進まないとすれば、上のような準高度人材から始めることにも一考の余地があるでしょう。定収のある人々がわが国で家庭を持ち、子弟を育て、日本の社会構成員となって行くのです。

また、逆に、単純労働者が生活しやすい社会に、わが国がなるなら、生活上必要な施設の説明や災害時情報の連絡における多言語化や、そのほか外国人に必要な社会インフラの整備が進むことを意味します。その人口増がこれを促すというのが必然です。そのことでまた、高度人材の住みやすい国となり、これら外国人も集まりやすくなるのではないでしょうか。留学生にもっと来てもらうことにも通じるでしょう。

日本版クラスアクション2018年09月09日 00:08

1,東芝に対するアメリカのクラスアクション提起

昨年末、東芝がサウスカロライナ州住民から、損害賠償を求めるクラスアクションを提起されました。同州で原子力発電所が建設されるプロジェクトがあったのですが、建設を請け負う東芝の子会社であるウエスチングハウス社が経営破綻し、建設が中止されたからです。原発を発注していた電力会社が、9年間に渉り建設コストを電気料金に上乗せしていたため、建設中止により、その上乗せ分の損害を被ったとして、ウエスチングハウス社の親会社である東芝を訴えたのです。
(東芝、米住民から集団訴訟 原発事業巡り(2017/12/27 12:11 日経新聞電子版))

クラスアクションとすることを求めているとする記事です。クラスアクションとは、アメリカ法上特有の集団訴訟制度のことです。東芝の訴訟では、代表者2人が訴訟を提起していますが、クラスアクションとして認められると、同じ電力会社から電気の供給を受けていた住民が原告となります。訴訟提起時点では、原告が特定されておらず、最終的な損害額も決まっていません。上の条件に合致する住民の全てが対象となります。相当の人数となる可能性はあります。

原告の名前も人数も確定しないまま訴訟が始まるし、従って、請求額も決まっていないというのは、日本の訴訟制度では原則として認められません。日本の集団訴訟は、少々多くなっても、原告となる者の一覧表が最初から訴状に添付され、請求する損害額も決まっています。特定の原告と被告との間の、確定した損害に関する紛争が開始されるのです。


2,福島原発事故とクラスアクション?

福島原発事故を巡る住民の署名活動があるというweb記事がありました(少し古い記事なので、経過を調査する必要はあります)。訴訟ではありませんが、アメリカにおける東芝の事件と少々似ています。この署名は、福島原発事故の後処理のために莫大な費用がかかっており、その費用が電気料金に転嫁されようとしているというのです。
経産省が、「原発を保有している大手電力会社の送配電網を利用している消費者全てに転嫁する考えを明らかにしており、東電管内の消費者は福島第1原発の廃炉費用の追加負担も強いられることになると予想され、賠償や処理費用の総額は数兆円に上るとされている。」反対運動を展開する市民団体が昨年2月8日、1万8318人分の反対署名を経産省に提出したそうです。
(原発事故費転嫁の阻止を!
http://blog.livedoor.jp/inakakisya/archives/52651300.html

政府の方針として、2020年度から40年間の間、全国の電気料金に上乗せして、標準的な家庭で年間に252円の負担になると言います。
(スマートジャパンのHP
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1702/10/news108.html

消費者に負担を求めるのではなく、本来、電力会社の自己負担によるべきだとする意見もあります。

電力会社の過失に基づき、この総額を損害額として、わが国の消費者が損害賠償請求訴訟を提起したとするとどうなるでしょう。わが国訴訟制度の本則によれば、原告として名乗りを上げる人を名簿に載せて、その人数×252×40円が電気料金の超過負担分となります。

更に、先の記事によると、「大量の電力を使用する企業になると負担額は膨大である。たとえば年間に20億kWh以上の電力を購入しているJR東日本の負担額は1億円を超える見通しだ。その費用は電車の運賃を上昇させる要因になり、われわれ消費者の負担が拡大する」。電車運賃の上昇分も消費者の損害となります。

これらを何とか計算して、仮に、一人当たり、1万円程度として、

一体何人の人が、是非原告となりたいと、手を上げるでしょうか?

もしも日本で、米国のようなオプト・アウト型のクラスアクションが認められるとするなら、上の訴訟原因に基づき、まず代表となる者が、ほんの数人でも大丈夫です、原告として訴えを提起することになります。そして、クラスアクションとして相応しいと裁判所に認められると、このことにより損害を被る人の全員を原告として、すなわち電気を使用する消費者の全てを原告として、損害額は、電力会社負担部分のみで、政府見積もりの約2.4兆円ということになりそうです。この賠償を求める訴訟を、原発を保有する電力会社、少なくとも福島原発を保有する東京電力を被告として提起するということになるでしょう。

仮に、損害賠償が認められるとすると、企業から支払われた損害賠償金(分割払いもある)を、裁判所が基金としてプールしつつ、これを運用して、損害賠償を受ける条件を備えた人に、一定の証明を要件として、支払うということになります。この費用、人件費を含めて、これも裁判所が賠償金から支払いながら事務処理を行うのです。

東京電力は恐らく倒産するでしょうね。アメリカはそれでも構わないと考えるのです。

もっとも、これはおとぎ話でして、アメリカでも、クラスアクションの認証要件が厳密であること、また、上記の場合には地震による不可抗力の抗弁が電力会社から提出されるでしょうから、実際に、そのような巨額の賠償が認められるかは不分明です。

また、先の日本の事例では、政府決定に基づくので、電気料金の値上げが、必ずしも企業自体の責任と結びつかない可能性があります。従って、電力会社の自己負担によるべきであるし、それが可能であったとすると、政府の決定によらず、電力会社が独自に、それにも関わらず値上げしたとすると、そのようなクラスアクションがあってもおかしくないように思えます。


3,日本とアメリカのアスベスト訴訟

なお、アメリカのクラスアクションは、大企業を相手取り巨額の賠償請求がなされるので有名です。アスベスト(石綿)訴訟では、1980年代に、ジョンズ・マンビル社が相次ぐ大規模クラスアクションと賠償によって、倒産に追い込まれました。長年にわたり、危険性を認識しながら製造販売を継続していた責任を問われたものです。そして、実際に、上記のような基金方式が採用されています。

日本の集団訴訟では、例えば、薬害訴訟等では、政府の薬剤承認における過失を問いつつ、製薬会社の他、共同被告として政府を巻き込むことが良くあります。被害者にとって過酷な数次にわたる薬害訴訟の結果、社会保険的な医薬品副作用被害救済制度の制定に至りました。

同様に、わが国のアスベスト事件については、多くの集団訴訟が国及びメーカー等を相手取って提起されています。国の関係について、法務省のHPがよくまとまっています。http://www.moj.go.jp/shoumu/shoumukouhou/shoumu01_00026.html

これによると、工場労働者型と建設労働者型の区別があります。

そして、工場労働者型については、一定の解決方法が示されています。
工場内で作業に従事する場合、アスベスト粉塵を排出する装置を設置するべきであり、その危険を認識することができたはずなのに、そのような装置の設置を義務付ける規制を行わなかった国の過失が、最高裁判決によって認めらたからです。

その結果、国は、アスベスト被害を被った元工場労働者や遺族に対して、一旦、国を相手取り訴訟を提起させた上で、迅速に和解を行う方針を示しています。

「アスベスト(石綿)訴訟の和解手続について」(厚生労働省HP)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000075130.html

和解の要件は、次のとおりです。
昭和 33 年 5 月 26 日から昭和 46 年 4 月 28 日までの間に、局所排気装置を設置すべき石綿工場内において、石綿粉じんに、ばく露する作業に従事したこと。その結果、石綿肺、肺がん、中皮腫、びまん性胸膜肥厚など石綿による健康被害を被ったこと等です。

そして、被害者が訴訟を提起した後、前記の要件を満たすことについて、「日本年金機構発行の「被保険者記録照会回答票」、都道府県労働局長発行の「じん肺管理区分決定通知書」、労働基準監督署長発行の「労災保険給付支給決定通知書」、医師の発行する「診断書」などの証拠によって確認できることを条件として、和解手続を進めることになります」とされています。

建設労働者型の場合、今なお、国や建材メーカーとの集団訴訟の渦中にあります。

「2審も国の責任認定 東京高裁判決」
毎日新聞2018年3月14日 21時10分(最終更新 3月14日 21時33分)
https://mainichi.jp/articles/20180315/k00/00m/040/089000c

「元建設作業員と遺族計354人が国と建材メーカー42社に総額約120億円の賠償を求めたもので、327人に約22億8000万円を支払うよう命じ」ました。

この記事によると、14の同種訴訟の内、高裁判決が2件目であり、国が連敗を続けているそうです。


4,愛媛県のアスベスト訴訟が日本で最初のアスベスト訴訟だった!

日本で最初に、石綿労災事故について訴訟が提起されたのが、愛媛県でした。

愛媛労働安全衛生センター編『石綿曝露―四国電力労災死事件訴訟』(2001)
この書籍は、
日本初の石綿労災事故死を巡る、遺族と四国電力との訴訟の記録です。

この訴訟の当時、日本ではその種類の石綿が健康被害に通じることが認識されておらず、四国電力は過失を認めませんでした。中皮腫というのは、呼吸が困難になる非常に苦しい病気だそうです。その夫を看病し、死を見とった妻が、雇用主を訴えた事件です。当時はまだ労災認定もなされませんでした。長年月の裁判の間、「裁判なんか起こす」ことにむしろ批判の目を向ける人々も居たそうです。親戚からは村八分のような状況に追い込まれたこともあったと言います。

日本人は裁判嫌いのようです。自らが裁判提起を躊躇するだけではなく、他人が裁判を起こすことをも、白眼視する気風があるようにも見受けられます。

すでに、アメリカではアスベストの大規模訴訟が頻発しており、多くの判決によって、企業の責任が肯定されていたころです。

その後、2005年には、農機具メーカーとして有名なクボタ社が、大阪の工場周辺住民に石綿による健康被害が発生していることを公表しました。随分、驚いたことを覚えています。
2005年06月30日付け クボタ社HP「アスベスト(石綿)健康被害に関する当社の取組みについて」
その後、自主的に救済基金を設けています。
https://www.kubota.co.jp/kanren/index1.html

このことが社会問題化して、2006年には石綿健康被害救済法が成立しています。石綿を扱う事業者から徴集した金銭をプールして、石綿被害の認定を受けた被害者に対して、医療費などの一定の給付がなされます。労災保険による補償が優先されるので、労災保険を受けられない場合の、補助的性質を有します。労災を含めて、国が行う事業として、社会保険的な仕組みであると言えます。

石綿曝露から、疾病の顕現までの期間が非常に長いことが石綿被害の特徴であり、時限爆弾のようなものなので、労災給付の可能な期限を過ぎて、症状が顕現する場合に備えて、石綿被害に関しては5年間延長が認められています。

しかし、その後も、前述のような集団訴訟が継続しているのです。

上記の法が社会保険的仕組みを備えるとしても、上手く被害の補償をまかなえていないからでしょう。被害の全体像を把握することが困難な石綿被害ですから、制度設計が難しかったとは言えるでしょう。

ちなみに、日米の、訴訟に対する考え方が異なります。ここで少し言及しておきます。

法文化の相違と言えます。アメリカは、基本的に事後的に訴訟によって解決する。そのための訴訟制度が整備されており、クラスアクションとその他のアメリカ独特の手続制度を併せて、社会の裏側にあるかもしれない巨悪を許さない、そのために訴訟に大きなインセンティブをもたせています。大企業の意図的な悪行がある場合に、その組織内にある証拠資料を、強力な証拠開示手続(ディスカバリ)によって引きずり出すことも可能です。個人・住民が大企業相手に互角に立ち回ることを可能にします。

もっとも、その代わり乱訴による企業活動への悪影響が問題視されています。また、大規模クラスアクションは、一攫千金を夢見る弁護士の方途ともなり得るのですが、他方で、大企業相手の訴訟準備に相当の費用がかかるので、失敗すると破産するという大勝負ともなります。

日本とヨーロッパの法は、このようなアメリカの法とは異なるのです。アメリカのクラスアクションは個人対私企業の争いとなるのが通常ですが、日本の集団訴訟では先にも述べたように国を被告として引き込みます。事実解明や補償についても、むしろ国に期待していると言えるでしょう。そして、社会全体の解決方法として、大規模訴訟の頻発によるのではなく、社会保障的な給付によって、利益を得ている企業等から徴集した金銭により、広く浅く補償するという方法を好みます。

社会保障的方法による方が、社会全体でのコスト・パフォーマンスに優るというのが、法と経済という学問分野では定説となっているようです。訴訟というのは、当事者にも裁判所という国家機関、弁護士にとって、時間、労力、費用のとても係る非効率な方法だからです。行政的な機関が、一定の定型的要件を認定して、定額を直ちに給付するという仕組みを早期に作り上げる方が、安上がりだとは言えるでしょう。


5,日本版クラスアクション

クラスアクションの利点は、少額多数の被害の救済に向くということです。最初に取り上げた電気料金の例を思い出して下さい。

原発事故というような特異な事例ではなく、企業努力により、電気料をもっと低額にできるはずだという場合、公開を求めた資料等を証拠として、電気料金が高すぎる分を、損害として、消費者が賠償を求めるようなことも可能となります。個人で訴えると、弁護士費用等を考えるなら、全く割に合わないとしても、少額の被害を多数併せることで訴訟が可能となるかもしれないのです。

もっとも、ただ集団訴訟が可能となれば足りるというのではありません。この例の場合も、電力会社にある会計資料の詳細など、組織内にある資料を引き出すことを可能とする強力な開示手続が、消費者側に与えられてなければ、証明が困難となり、絵に描いた餅に終わります。

「全国の地方公共団体や独立行政法人国民生活センターが行っている消費生活相談窓口があります。には、年間90万件を超える数の消費生活相談が寄せられています。消費者は、購入した物・サービスについて、多くの不満・苦情を抱え、さらには被害を訴えているのです。しかし、企業に対する損害賠償請求の裁判にまで発展する例はそのうちごくわずかです。一人一人の被害額が少額にとどまるため、勝つか負けるか分からない裁判のために高い弁護士費用と手間暇をかけるという消費者はほとんどいませんでした。こうして、精神的にも経済的にも消費者は裁判から遠ざけられてきました。」

https://bdti.or.jp/2016/11/07/classaction/(公益社団法人会社役員育成機構(BDTI)のHP)

しかし、2016年に、消費者団体訴訟制度が施行されました。

「消費者団体訴訟制度」の活用を!(政府広報のHP 2018.08.10)
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201401/3.html

アメリカのクラスアクションとの比較について、既に多くの研究があるようです。アメリカのクラスアクションは一般的に誰もが代表者となり得るのですが、日本版は、国により認められた特定の消費者団体が提起できるだけです。そして、アメリカのものは不法行為事件の損害賠償請求も可能なのですが、日本版は、契約事件に限定され、消費者に一方的に不利な条項や詐欺的な商法に対する、差止を求めることと、差止の場合よりも更に限定された数の消費者団体のみが、賠償請求まで可能とされます。

現在まで、そのような訴訟は提起されていないようです。一瞥したところ、日本版の方は、消費者団体の要件が厳密であり、集団訴訟の手続が煩雑で、むしろ乱訴の心配が優先されたように思われます。

なお、先の民事訴訟法改正により導入された、一般的クラスアクションの代替策としての選定当事者制度や、ディスカバリ制度の代わりの文書提出命令についても、実際の所、あまり活用されていません。当事者にとって要件等が加重であったり、裁判所が使いたがらない制度となっているようです。

最近、面白い試みを発見しました。
https://enjin-classaction.com/ というホームページです。
「被害者が救われる社会に 馴染みのない集団訴訟制度をもっと多くの人に知って欲しい。少しでも多くの人が救われるように、より良い社会を創っていくために」と、あります。

詐欺消費者問題、医療問題、個人情報漏洩問題、その他のカテゴリー別に、集団訴訟となるべきプロジェクトを作り、そのようなプロジェクトに参加する原告を募集するというホームページです。このような試みが、消費者団体や弁護士と連携して、社会に埋もれている問題を掘り起こし、集団訴訟として明るみにだすことで、この社会がより良くなるということであれば、アメリカのクラスアクションの理念に通じるものがあります。

せっかくできた日本版クラスアクションが積極的に活用されるように、もう一段の手続法的な工夫と、民間のイノベーションが求められています。

多国籍企業と児童労働2018年08月31日 18:48

今日のテーマは、多国籍企業のサプライチェーンと児童労働の問題です。

1,オレンジと太陽

児童労働との関係で、「オレンジと太陽」という映画があります。

上のパンフレット参照。

2010年のイギリス・オーストラリア合作、ジム・ローチ監督の作品です。

私は見ていませんが、イギリスの、孤児など貧困層の子供達をオーストラリアに移住させ、強制労働に従事させたという問題を告発した女性の活動を描いた映画です。次のブログに紹介されています。

「オレンジと太陽 ~児童移民について~」
http://blogos.com/article/39395/

児童移民の数は、1920年から1970年代まで、13万人の上り、児童移民が組織的に行われ、政府レベルでも合意があったというのです。このことが明るみにでたのが、ようやく2009年のことで、英国及びオーストラリア政府が正式に謝罪しているそうです。


2,多国籍企業と児童労働

多国籍企業が、原材料を購入し、あるいは部品を製造、購入し、最終製品を販売するという場合、原材料の調達先、部品等の製造拠点、購入先、最終製品の販売拠点をどの国に置くかは、その国の労働法制、環境規制等の法規制を考慮しつつ、低賃金であることや技術的観点から設置する国を選び、運送の利便・運賃や関税の観点から販売拠点を設ける国を選びます。最も利益が多くなるようにサプライチェーンを組み立て、販売拠点を選ぶ訳です。要するに、安く作り、高く売ることができるように心がけます。企業として、利潤を最大にすることを第一に優先することは必定でしょう。

ここで労働法制を取り上げてみると、製品を安価に製造することができるということは、もっとも費用のかかる人件費を抑制できることが早道です。日本のように労働法制が完備されていない発展途上国では、例えば、最低賃金や、1日当たり労働時間規制、週当たり労働時間規制がないかもしれません。また、労働契約を締結できる年齢の下限が規定されていない場合があります。

単に生活水準が低いために賃金が安いというのであれば良いのですが、日本もかつてそうであった「女工哀史」の描くような社会で、半強制的に働かされる子女の低賃金を、グローバルに展開する大企業が利用すると道義的な問題を生じるでしょう。

そのような安価な労働力として、児童労働があるわけです。例えば、西アフリカ地方のカカオ栽培においては、農園から遠く離れた国から誘拐され、人身売買が伴われることもある、そのような環境で、全く訳も分からず働かされる子供達がいるのです。父や母と住んでいた家から引き離された子供が教育も受けさせてもらえないまま、劣悪な環境で酷使されます。子供は文句を言いません。力も弱く、容易に支配されます。自分たちで組織を形成して反抗することもできないでしょう。

国際労働機関(ILO)の発表によれば、世界には1億5200万人の子どもが児童労働をしています。
羽生田 慶介「「児童労働1億5200万人」という暴力-“フェアな貿易”の後進国、日本」(2018.8.24)より。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/070600051/082100014/

日本のスーパーでチョコレートを買うとき、このチョコレートの原材料となったカカオが、コートジボワールで奴隷のように働く児童労働を用いて栽培されたのではないだろうか。ホームセンターで買うこのレンガは、インドで強制労働に従事させられた幼い子供が作ったものではないだろうか。そんなに安価である理由は適正なのだろうかと、疑ったことがあるでしょうか。

世界的な食品メーカーであるネスレは、「サプライチェーンにおける児童労働を防止し根絶します」と宣言しています。(「児童労働を根絶」ネスレ日本のHP)
https://www.nestle.co.jp/csv/old/people-compliance/childlabor

あの有名なチョコレート菓子のキットカットには、児童労働を用いて栽培されたカカオ豆を使用しないそうです。


3,国際的な批判に曝される多国籍企業

ネスレを始めとするチョコレートメーカーやカカオ豆商社などの、多国籍企業が児童労働を認識しながら、そのようなカカオ豆を購入していたとして、国際的な批判に曝されています。

その嚆矢となったのが、2000年にイギリスで公表されたドキュメンタリーです。イギリスのジャーナリストが西アフリカでの児童労働の実態を独自に取材したものです。これが大きな反響を呼び、イギリスやアメリカの世論を喚起しました。

ネスレ、カーギル、ADMが、2005年に、カリフォルニアの連邦地裁に訴えられた事件があります。原告らは、マリからコートジボワールに連れ去られ、強制的にカカオ豆栽培に従事させられていたと主張しています。アメリカの外国人不法行為法(Alien Tort Statute)に基づき、差し止めと損害賠償を求めており、この訴訟が、提訴より12年を経過した2017年に、外国人不法行為法の適用の要件を充たさない、具体的にはアメリカとの関係が薄いという理由で、却下されました。しかし、この訴訟を支援しているアメリカの国際人権団体らが控訴を行うとしているようです。
”Nestlé, Cargill and ADM cocoa child slavery lawsuit dismissed”(15-Mar-2017 By Oliver Nieburg.)
HTTPS://WWW.CONFECTIONERYNEWS.COM/ARTICLE/2017/03/15/NESTLE-CARGILL-AND-ADM-COCOA-CHILD-SLAVERY-LAW


次のブログで紹介されている事例は、投資家から、企業が訴えられたものです。アメリカで、年金基金によって、ハーシーという有数のチョコレートメーカーが訴えられています。
「進展する児童労働撲滅に向けた動き 〜企業が新たな担い手に〜」(Sustainable Japan のHP)
https://sustainablejapan.jp/2014/08/30/child-labour/11782

多国籍企業が、原産地における児童労働の存在に気付きながら問題にすることなく、安価であることを良いことにその商品を購入していることが、鋭い社会的批判を招き、不買運動や訴訟に直面しているのです。

児童労働の被害者が外国で被った被害について、もしそれがわが国の企業が関係するとしたら、わが国でも提訴する余地はあります。しかし、わが国では、不法行為がなされたのが外国であると、その国の法が適用されるので、損害賠償が認められるかには疑問の余地があります。アメリカは、そのような場合にも賠償を可能とする国内法が存在する世界でも珍しい国なのです。

また、投資家の立場から、投資先企業の不法な行為に関心を有し、資料を提供させることや何らかの告発を行う方法も、アメリカ法ではより充実していることが予想されます。


4,児童労働と国際法

児童労働を禁止する条約があります。児童労働に関するILO条約です。これは幾つかの条約と基準からなります。
https://www.ilo.org/tokyo/areas-of-work/WCMS_239915/lang--ja/index.htm

就業の最低年齢に関する条約 (第138号条約、1973年)の批准国が2018年5月時点で、171カ国、最悪の形態の児童労働に関する条約(第182号、1999年)の批准国が同じく181カ国です。批准の観点からは、極めて成功している条約であるとは言えます。条約であるので、批准している国以外には国際慣習法とならない限り、法とならず、拘束力を生じません。また、国際法は原則として国家を義務付けます。児童労働を禁止する措置を講じるように加盟国を義務付けるのですが、その国が有効な対策を行わない限り、その目的が実現されません。

条約の中に、各国がその内容を実施するための仕組みを組み込んではいるのですが、基本的には加盟国が自主的に従うしか実効的な方法がないのです。具体的な措置の基準を定める勧告も、加盟国にその内容を奨励するものであり、決して法的義務であるとはしていません。

国内的な何らかの措置・法令により取り締まることが唯一の方法であるのに、児童労働が行われている国が有効な取り締まりを行わない限り、野放しとなります。内政干渉に当たるので、他国がその国の労働法制に口出しができないのです。加盟国が上記条約に違反することが明確であると、国際法違反であるとして非難をすることは可能なのですが。

そこで、国際法に違反するような違法な児童労働を看過して、世界中で儲けているとすれば、そのような多国籍企業が、その経済力からしても、自ら有効な対策を講じることを求められるのです。

次に、FTAやEPAのような国際法としての通商ルールにおける労働問題の扱いについて、前述の羽生田氏のブログに言及されています。

「2019年に発効予定のTPP(環太平洋パートナーシップ協定)においては、「強制労働(児童の強制労働を含む)によって生産された物品を他の輸入源から輸入しないよう奨励する」という言葉が盛り込まれたことは特筆に値する。が、これも「自国が適当と認める自発的活動を通じ」という前提だ」と、しています。

アメリカ抜きのTPP11ですが、国際通商法の内容として、例えばWTOにおいても労働問題を取り上げるべきだとして、従来からアメリカが強力に主張していたのです。労働法制を完備しない国が、労働者を劣悪な労働環境の下に置き、低賃金で安価な製品を製造することで、国際的な競争を歪めているというのです。そこで、労働基準の最低限をWTOにおいても規定するべきだとするのです。現在これは実現されていません。

違反に対する強力な対抗手段があり、WTOの実施方法が他の国際法に比べて明確なので、そのような強力な義務づけを、主として途上国側が嫌っているからです。労働問題はILOでするべきだという立場に立っています。

WTOに比べて、その枠内で締結されるFTAやEPAは、少数の国々の間で労度基準の保護の最低基準を合意できる可能性がより高いとは言えるのですが、労働問題が伝統的に内政干渉を嫌う国内問題であり、途上国が入る場合、中々肯んずることがないとは思えます。

それでも、羽生田氏のブログは、「まず日本から世界に「提案」してみてほしい。」「途上国との「フェアトレード」についてリーダーシップを発揮する国が必要なのだ。」と主張しています。


5,まとめ

外国における児童労働に対処するために、消費者として、企業として、それぞれできることに分けて、考えてみます。

まず、われわれ消費者自身の意識を高めることが必要でしょう。最近の賢明な消費者は、ただ安ければ良いという選好をする訳では無く、高くても品質の良いものを求めるようです。特に、安心・安全の観点から、農薬の心配のある外国産より、国産品を好む傾向があるように思われます。消費者の健康志向に乗って、有機栽培の農産品が見かけられるようになりましたし、特殊の栄養成分の割合を高めた機能性農産品と言えそうなものもありますね。

ここで高くても良いものの中に、農産物のグローバルな取引における公正さという価値観を加えてみてはどうでしょう。児童労働による原材料を用いていない食品をできれば買ってみる。そのために、少々高くても、フェア・トレード・マークを掲げた食品を求めるのです。フェア・トレード・マークは、国際的認証機関によって、原産地における児童労働などの違法性のないことが確認されている商品にのみ付けることが許されるものです。

グローバルな企業が購入するから児童労働を使用した商品が無くならないというのが、原産地国の人々の、あるいは先進的消費地国の人々の主張でした。その企業の商品を買うのが消費者なのです。消費者が最終の責任を負うとも言えます。児童労働を用いたことの明らかな商品を買わないことが、まず消費者としてできる第一のことでしょう。

次に、企業としては、その社会的責任を自覚することが必要です。そうはいっても利潤の獲得こそが企業使命であると言われるかもしれません。日本では、少々高くても良いものが売れるとすると、前述した価値観、すなわち取引の公正さが値段に入っていることのブランド価値を消費者に訴えることができるかもしれません。フェア・トレード・マークがブランドの証しなのです。企業として児童労働撲滅のために取り組んでいることを、その商品自体の価値として積極的に消費者に訴えることで、商品の付加価値を高める、そのためにその価値観自体の宣伝・広告を展開し、社会の意識を改革することがあっても良いように思えます。ただ消費者の指向に併せるばかりではなく、新たな価値の創造に携わることも、企業の社会的責任の発露ではないでしょうか。

サプライチェーンを見直して、児童労働に関与する可能性を排除して行くこと、あるいは第三者機関の認証を受けることをしていかないと、グローバルに展開する日本企業が、日本や、あるいはどこかの国で、消費者の抗議を受け、前述したような訴訟などの法的問題に直面しないとも限りません。

最後に、国として、わが国政府は、わが国社会において、上のような価値観の醸成に努めること、ILOなどの国際機関において重要な役割を占めながら、価値観の国際的な発信を行うこと、セーブ・ザ・チルドレンなどの国際的NGOに対する支援を行うことなどが考えられます。また、労働基準を組み込んだ国際的な通商法ルールを形成することも、少なくとも、その努力を行うことが有り得るでしょう。

国際経済の持続的な発展に与することが日本として求められるとも言えます。世界中の全ての人々に、充分、パンが行き渡ることが、戦争を無くすこと、テロを無くすこと、そして、子供達が悲惨な状況に遭遇しないことに通じるのです。

国籍の効果と、帰化2018年08月17日 21:31

台風がどこかを進んでいるのでしょう。強い風が吹いて、今日は随分涼しくて、良い心地。前回に続いて、国籍のお話です。

1、タイ洞窟奇跡の救出と国籍?

次のニュースをご存知の方も多いでしょう。

「タイ洞窟、救出の少年ら4人無国籍 付与の手続き進める」(朝日新聞Digital 2018.7.20付け)

「タイ 無国籍者問題に光 洞窟生還4人に付与 なお48万人」(日経新聞電子版朝刊2018.8.17付け)

「タイ洞窟救出の4人は無国籍 移動の自由なく、国内に同情論も」(西日本新聞電子版 2018.7.18付け)

上の三つの記事をまとめてみます。

少年サッカーチームの選手達が雨のため洞窟に閉じ込められ、無事救出されたニュースに、世界中の人々が安心しました。その選手らとコーチの4人が無国籍であったことが判明したのです。

ミャンマーとの国境付近のその地域には多くの無国籍者が居るそうです。朝日新聞の記事によると、タイ国籍法は、前回のブログでお話しした血統主義と生地主義の双方を採用しているので、親がタイ人であるか、タイで生まれた場合に、タイの国籍が与えられます。

しかし、親が出生届出でを怠っていたり、出生証明書が不明確である、タイで生まれた証明ができないなどの理由で、タイの国籍が与えられないことがあるようです。タイ北部山岳地帯の少数民族の中で、50万人近い人々が無国籍であると云います。ミャンマー北東部のいわゆる「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」は麻薬密造で有名な地域で、武装勢力とミャンマー国軍との武力衝突もあり、タイに逃れる人々も多いようです。

救出された選手の両親がタイ人でなく、タイで生まれたのでもないのであれば、国籍法上の要件を充たさないので、本来、無国籍者とならざるを得ないはずです。

しかし、タイ政府は、多くの国籍申請者の中で、その4人の手続を優先して国籍を付与しました。タイの報道の中には、国籍取得を決定するのは法の要件であるとして、国籍付与自体は評価しながら、このことに批判的な記事もあったようです。

なぜ、タイ政府が国籍付与の手続を急いだかというと、サッカーのイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドから招待されていたからです。タイを出国して、イギリスに行くためには、パスポートが必要です。そのために国籍がないと、外国に行けない可能性があり、国内外から同上の声が上がったのです。

日経新聞の記事によると、タイにおいて、国籍の取得により、教育や福祉サービスを受けることが容易になり、国内外への移動の自由が与えられる。しかし、なお多くの無国籍者がタイ国籍の取得を求めており、行政手続の不公平性が浮かび上がったとしています。


2、日本における外国人の地位

(1) 国際法上の国籍

まず、国際法上、国籍がどのように扱われるかについて解説します。

ある国の国籍はその国の国籍法が決定する、と前回のブログで述べました。他の国は、そのことを承認するのが原則です。自国の国籍の取得や喪失についてその国が決定しますが、他の国の国籍の得喪を勝手に決定することはできないし、文句を付けることも原則的にできません。内政干渉になります。

従って、二重国籍や場合によっては三重国籍、逆に、無国籍を生じます。

また、国籍国への入国の自由が認められます。世界に一国だけは、無条件で自由に入国が認められる国がある、それが本国です。

更に、自国民が外国領域内で危難に遭遇した時に、自国民の人権を救済するための措置を講じることができる権利が、その本国に認められます。これが外交保護権です。

(2)国内法上の外国人の地位―公的側面

次に、日本の国内法上、国籍がどのような意味をもつかをみます。

公的な側面と私的な側面に分けて考えると分かりやすいです。

公的な側面は、市民権とよばれることもあります。憲法の保障する基本的人権を外国人も保障されるかという問題です。参政権を含みます。

最高裁マクリーン事件判決(昭和53年10月4日)という有名な判決があります。
これによると、「憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ・・・」とされているので、原則として、人権保障が及ぶということになります。

しかし、制限される権利もあるわけで、その「性質上日本国民のみを対象としていると解されるもの」が何かが重要です。

その一が、参政権です。現在のところ、選挙権と被選挙権の双方について、国政及び地方の参政権が外国人には認められていません。憲法が、日本国の主権は国民に存するという国民主権の原理に拠っていることから、主権の主たる作用である参政権は、日本国籍を持たない人には認められないとされています。もっとも、地方参政権については議論があります。

また、公務就任権といって、公権力を行使することになる公務員になる権利を制限されます。更に、入国の自由を制限されます。これは出入国管理法が規定しています。

現在、わが国の社会保障制度において、国籍によって受給資格を制限することが、ほとんどなくなっていますが、かつては児童手当、児童扶養手当などの社会手当三法、国民年金法、国民保険法上、国籍要件がありました。外国人にはこれらの給付が認められず、国民年金や国民健康保険への加入もできない時代がありました。

民間企業に勤める場合、雇用保険や労災、企業年金、社会保険については、その企業と労働者が原資を提供するものですから、当時から、そもそも内外人の差別はありません。

従って、自営業者は、例えば、公的な健康保険制度にも加入できないということです。私保険以外に、病気になったときの保障がないことになります。そう裕福ではない外国人がわが国に定住している場合、将来の生活保障もないし、日本はとっても住みにくい国だったでしょう。

しかし、ILO102号条約(社会保障の最低基準に関する条約)(1976)、国際人権規約(社会権規約)(1979)、難民の地位に関する条約(1981)、の各条約をわが国が括弧書きの年に批准し、これら諸条約が社会保障制度の内外人平等を規定しているので、これに併せて、上の諸法にあった国籍要件を撤廃したのです。

なお、本論から外れますが、私の疑問は、社会保障制度の平等があるべきなら、わが国が条約に加入したので、条約に反すると国際法違反となるから国内法を改正するという以前に、条約に無関係に、社会保障に関する内外人平等を実現できたはずではないか、ということです。

健康で文化的な最低限度の生活を保障する生存権については、わが国の最高裁判決によって、外国人については立法府に広い裁量が認められています。限られた財政の中で、日本人を優先することも有り得るということです。

もっとも、わが国の行政実務において、生活保護について外国人も日本人と同様の条件で給付が行われているようです。争われているのは不法滞在者への生活保護給付があるべきかという点です。これを否定しても憲法違反の問題を生じないといのが判例だということになります。従って、行き倒れの(特に不法滞在の)外国人を救済すると、そのための医療費等支出しても、その人からは返してもらえないことになりそうです。

これについても、わが国に暮らす外国人一般に税金納付の義務があるので、社会権についても「外国人」に対する不平等が不当であるとする見解もあります。

(3)国内法上の外国人の地位―私的側面

私法上認められる個人の権利を「私権」と呼びます。わが国の民法3条には、次の様に規定されています。

1項 私権の享有は、出生に始まる。
2項 外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。

すなわち、人は生まれると権利を享有することのできる存在となるということで、ここにその根拠となる法規定があります。外国人についても、憲法の範囲内で、権利を享受できることになります。

ここでも法令により外国人の権利制限が可能とされています。

例えば、外国人の鉱業権、漁業権、船舶・航空機の登録が制限されています。
なお、外国人の土地所有について現在わが国の法令上制限がありません。しかし、大正14年にできた外国人土地法という法律がまだ廃止されておらず、土地所有の制限が可能であるとする法自体は存在するのですが、そのために必要な政令が施行されていません。

更に、法人の私権については、民法35条2項が規定しています。

「外国法人は、日本において成立する同種の法人と同一の私権を有する。ただし、外国人が享有することのできない権利及び法律又は条約中に特別の規定がある権利については、この限りでない」。

外国企業の権利についても内外人平等が原則です。

しかし、外国企業がわが国で事業を行うときに、多様な制限が課されることがあります。上に述べた制限等のほかに、例えば、サービス貿易を行う外国企業による事業に対して多くの制限を設けています。

例えば、電気通信会社や放送会社については、外国人の持株比率が制限されています。外国企業が外国政府と結び付き、わが国の電気通信事業を支配したり、テレビ・ラジオ放送において宣伝することが、国の安全保障に関わると考えられているからです。このことは、外国為替及び外国貿易法に規定されています。

国際法であるWTOはわが国が加入している多国間条約ですが、サービス貿易については、WTO協定の一つであるGATSにおいて、内国民待遇が一般的な義務とされていません。内国民待遇というのは、内国企業と外国企業を差別しないという原則です。GATSでは、加盟している国が自由化を約束する項目をリストに載せて、これに拘束されるという方式を採ります。自由化を約束するか否か、何をどの程度約束するかも、その国が自由に決定できるのです。しかし、約束した以上は、WTO上それに義務付けられます。

そこで、電気通信事業や放送事業について、わが国が法令に規定する限度で自由化を約束しておけるのです。


以上、国籍には様々な法的効果が存在します。


3、帰化

外国人が日本に住む場合、上のような権利制限を被ることになります。

帰化というのは、後天的にある国の国籍をその意思に従い取得することです。外国人が日本国に帰化することももちろん可能です。多くの芸能人やスポーツ選手で帰化した人達が活躍していますね。

帰化の条件が国籍法5条等に規定されています。

①5年以上日本に居住していること、②年齢20才以上で行為能力があること、③素行が善良であること、④生計を営むことができること、及び⑤従来の国籍放棄義務等です。

なお、もともとの国籍を放棄する義務については、本人が真摯に努力しても、その国が国籍を放棄させてくれない場合に、法務大臣が帰化を認めることができます(5条2項)。

法的に言うと、帰化による国籍付与は、法務大臣の許可処分に係ります。しかも、羈束行為ではなく、自由裁量行為です。従って、国籍法5条の条件を満たしたとしても、帰化の申請を行った者の権利として帰化が認められるということになりません。条件を充足しても、法務大臣が、理由は必要ですが自由に拒否できるのです。帰化を拒絶された場合、裁判所に訴えることができると解されるようになりましたが、法務大臣の決定を覆すことは極めて難しいのです。

素行条件や生計条件に関して、法務省のお役人が、申請者の生活状況をその住居において検分する実務があります。そのときに、「靴を脱いで家に上がる」、「日本語ができる」などを確認していたようです。随分ハードルが高いことが伺えます。

日本文化・伝統への定着、同化を帰化に優先させるべきかについては、私は反対です。国籍は法的な権利義務の基準に過ぎないと考えると、刑事犯罪等に問われていない、定職があり一定の収入要件を充たす、ことで足りると解するべきです。わが国に暮らす外国人が帰化を希望するなら、公的生活においてわが国に組み込まれることで、わが国社会への同化は自然に促されるでしょう。

国籍放棄義務とともに、法務大臣の自由裁量に係る許可処分であることが、在日外国人にとって、わが国に生まれ育った3世4世であっても、帰化を躊躇させる要因となっています。相当の時間を要する、随分面倒な手続きなのです。

以下、立法論です。

私は、帰化を一層、容易化することが望ましいと考えます。そのために、帰化の際の国籍放棄義務の廃止、二重国籍の容認、権利帰化と手続の簡易化などの方策が有り得ます。

なお、帰化ではありませんが、生地主義の範囲を拡大することも国民の範囲を増加させる手段となります。ちなみに、アメリカやオーストラリアなどの移民受入国に生地主義が多いのは、その国民を増加させる必要があったからです。

わが国が一定程度、移民を受け入れる時代になれば、国民と外国人の共同体が対立するような事態を避け、社会統合が適切になされるために、外国人がその意思を有するなら、条件を満たす限り国籍を与えて、公的生活において平等に扱い、特に参政権を与えて、社会的決定に参加させる必要があると思います。

自分たちの住む国の構成員として、その社会をより良くすることを真剣に考えるために必要なことです。

しかし、帰化の容易化と二重国籍の容認が実現されるとして、その場合に国籍の取得により完全な市民権を一挙に取得すると考える必要もないでしょう。例えば、居住年数に従い一定の市民権について留保されるとか、二重国籍者については国政の被選挙権がないなど、居住年数や他国の国籍放棄などの条件を充足するにつれて獲得する権利が増えてゆき、最終的に完全な市民権を取得するというような制度設計も可能なのではないでしょうか?

移民と二重国籍2018年08月12日 15:10

次のスポーツ選手に共通の属性は何でしょう?
ダルビッシュ有、大坂なおみ、ケンブリッジ飛鳥、五十嵐カノア。
野球。テニス。陸上。サーフィン。

皆が認める一流アスリート達です。

答えは、・・・・






二重国籍の保有者である(あった?)ことです。

ダルビッシュ有選手がイラン人の父親と日本人の母親の間に誕生した二重国籍者であることは有名ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%9C%89(Wikipedia)

大坂なおみ選手は、日本人母とハイチ系アメリカ人の父親に生まれた子です。
http://www.naomiosaka.com/profile/(公式HP)

ケンブリッジ飛鳥選手は、日本人母とジャマイカ人父の子。
https://www.nihon-u.ac.jp/sports/interview/vol_19/(日本大学 アスリートインタビューVol.019)

五十嵐カノア選手は、日本生まれ日本育ちの両親の間の子供です。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13615584.html?_requesturl=articles%2FDA3S13615584.html&rm=150(「(ひと)五十嵐カノアさん 東京五輪に挑む米国育ちのサーファー」朝日新聞Digital)

??? 上の三人は分かるけれど、五十嵐選手はどうして?


1,国籍取得の要件と二重国籍

まず、それぞれの国がその法によって、どのような場合に、自国の国籍を与え、失わせるかを決定します。例えば、ダルビッシュ選手の場合、日本の国籍がどうなるかは、日本の国籍法が決定し、イランの国籍がどうなるかはイランの国籍法が決定します。

生まれたときの国籍取得のための要件として、諸国の法において、血統主義と生地主義が存在します。血統主義は親の国籍が子に承継されるとする立場です。子の誕生のときに親がどこに住んでいようとも関係しません。血統主義には、更に、父系優先主義と父母両系主義があります。前者は父親の国籍が子に承継され、母の国籍は無関係であるとするものです。後者は、父と母のいずれが自国民であっても、その国籍が承継されるというものです。

日本は、以前は父系優生主義であったのですが、女子差別撤廃条約が日本にいて効力が発生することを契機に、国籍法を改正し、現在は父母両系主義によっています。イランは、父系優先主義でした。

そこで、ダルビッシュ選手は、父の国籍も、母の国籍も、それぞれの国籍法により与えられることになります。誕生のときに、日本とイランの二重国籍者となるのです。

次に、生地主義は、子が生まれたときに所在していた国の国籍が与えられるとする立場です。

五十嵐選手の両親は日本生まれの日本人なのですが、両親がアメリカに移住した後、アメリカで生まれたのです。そこで、日本の国籍法により親の国籍が子に与えられ、生まれた国であるアメリカの国籍がその法により与えられます。血統主義と生地主義の国籍法により、生まれたときに日本とアメリカの国籍を取得することになります。

なお、前記記事によると、五十嵐選手が生まれ育ったのは、カリフォルニア州のハンティントンビーチで、幼い頃よりアメリカの強化育成チームに入った「天才サーファー」で、アメリカ国内の主要大会で優勝経験のある、アメリカでは有名なアスリートです。現在、日本の企業と契約し、日本代表で東京五輪をめざすそうです。

なぜ、わざわざそんなことが記事になるかというと、アメリカ国籍も持っているのであれば、アメリカのナショナルチームで活躍し、メダル候補となることが可能だからです。そこで、五十嵐選手が日本を選んだことで、アメリカ国内のサーファーからは怨嗟の声も聞かれるようです。


2,国籍選択に悩む17才

2015年8月28付け毎日新聞のオピニオン欄に掲載された記事を紹介します。日本で生まれた二重国籍の高校生が、日本の法制度について意見を述べています。

「 私は17才、日本人の母とフランス人の父を持つ。
  日本で生まれ育った私にとって、日本は、飛行機を降りた時に「ただいま」と、一安心する大好きな故郷である。同時に、フランスも自分のルーツの国である。私の中で日仏は、黄色と青が混ざって緑色をなすように一つになっている。そんなことも気にせず、政府は5年後までに、私に「国籍選択制度」によって、一方を、切り捨てるよう命じる。・・・容赦なく一つを切り捨てさせる。・・・「国籍選択制度」が、重国籍者にとって、どれほど、自分のアイデンティティーを否定されているようで苦しいか。」

少し引用が長くなってしまいましたが、この高校生の切実な訴えが胸に迫ります。


3,外国籍放棄義務―国籍選択制度、国籍留保制度、帰化要件

日本法は二重国籍が生じることに対して消極的な立場をとっています。

国籍法上、日本で生まれた二重国籍者は、22才になるまでに国籍選択宣言をしなければ日本国籍を失うことが規定されています。しかも、このときに、外国国籍を放棄する義務があるのです。

また、外国で生まれた日本国籍をも有する二重国籍者について、出生の時に国籍留保をしなければ日本国籍を喪失します。出生後間もない赤ちゃんがこれをすることができませんから、親が行うことになります。そして、その子が22才になるまでに、やはり国籍選択宣言をしなければ、日本国籍を失うことになります。

更に、生まれた後で日本国籍を取得する帰化の場合にも、従来保有していた外国国籍を放棄する義務があります。

国籍が国に対する忠誠義務を発生させるものであることから、かつて二重国籍に対して否定的な態度がとられていた時代があります。忠誠義務といっても内面の良心や態度を指すわけではないので、重要なのは兵役義務ということになります。二重に兵役を課される個人にとって重大な負担となるからです。

しかし、わが国には、兵役義務はありません。自衛隊への入隊を募集するポスターを見たことがあるでしょう。若い男女の自衛官が格好良い制服を着て、微笑んでいるものです。彼ら・彼女らは国家公務員である自衛官を、自ら希望して給料をもらっている人々です。

また、先進各国においては、兵役義務が廃止される傾向にあります。

そのほか、実定的に困難があるとされてきたことは、現在ではほぼ解決済みですので、問題が無いのです。むしろ、複数の国籍を保持するメリットの方が大きいとも言えます。そこで、個人のアイデンティティーに関する無慈悲な選択を避けるために、先進国では、二重国籍に寛容な法制度を採用する国が大多数となっています。

二重国籍者にとって、現在生活をしている本拠地である国、生まれ育ったとすればまさに故郷である国の国籍を実効的な国籍として、他方の形骸的な国籍も、心理的アイデンティティーの一として保持することを認める寛容さが必要でしょう。

最近次の記事を目にしました。

菅野 泰夫「W杯が浮き彫りにする日本の国籍放棄問題-「移民大国」日本は二重国籍を議論する時期に」
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/185821/070500017/

「成人の二重国籍保有を認めていない国はG7の中では日本のみである(G20まで拡大しても、日本は少数派に属する)。同様に二重国籍を認めていなかったお隣の韓国でも2010年に国籍法が一部改正され、対象範囲を限定した上で韓国籍取得者の外国籍放棄義務が緩和された。
・・・・
経済協力開発機構(OECD)の外国人移住者データを見ると、2016年の移民流入数のトップはドイツの172.0万人、2位の米国118.3万人、3位の英国45.4万人に次ぎ、日本は4位で42.7万人に及んでいる(日本への移住者の定義は、有効なビザを保有しかつ90日以上滞在する外国人)」

ますます外国人が増加する日本において、国籍放棄義務について、もう一度考え直してみて、二重国籍に関する国籍法改正を考えるべきではないか。このブログの筆者も、その基本的趣旨には同感です。


4,わが国の人口問題と外国人

2017年4月11日付け日経新聞朝刊の記事です。
「人口、2053年に1億人割れ-厚労省推計、50年後8808万人 働き手は4割減」
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の発表した推計です。

厚生労働省の「平成30年 わが国の人口動態」という政府統計資料によると、年々わが国の出生数が低下し、最新の出生率統計でも1.44です。出生数から死亡数を引いた自然増減数は、10年連続マイナスであり、よく言われるように本格的な人口減少社会である傾向は変わりません。全体に男女とも晩婚化の傾向も続いています。

他方、在留外国人の数は、平成28年末で、238万2822人で、総人口に占める割合が1.88%(入国管理局白書より)です。福島原発事故のときに一次的に減少したものの、全体として一貫して増加しています。

また、夫婦の一方が外国人である国際結婚の件数は、平成28年の一年間で、2万1180組です。もっと多かった年もあるのですが、この4年ほどこの辺りの件数で推移しています。

平成27年に実施された国税調査の結果(「総人口,日本人人口及び外国人人口の推移-全国(昭和50年~平成27年)という表)によると、日本人の人口が減少して行くのに対して、外国人人口は、年に数%程度増加を続けています。移住者のみならず、日本で誕生した子供の数も増加していることが予想されます。ちなみに、平成25年の一年間に日本で誕生した子供の総数104,2813人に対して、夫婦の一方が外国人である場合、19,532人であり、夫婦とも外国人である場合、10,695人の子供が生まれています(非嫡出子を除く)。この年に、日本の国籍をも有する二重国籍者ではなく、外国の国籍のみを有する外国人が12,997人、日本で生まれています(非嫡出子を含む)。

以前のブログでもお話ししたように、日本は単純労働者を正式には受け入れてきませんでした。技能実習という国際貢献を隠れ蓑として、年々その数を増やしてきたのです。この在留資格は、その外国人にとって一生に一度だけ、従来は最長3年、新制度によって場合により最長5年を限度に、日本で働けるという資格です。農業や介護など(単純労働とは言えないかもしれませんが)、以前は認められていなかった職種においても技能実習生を受け入れ可能とします。もう背に腹は代えられない、ということでしょう。

高度人材外国人については、すなわち単純労働に当たらない在留資格については、ポイント制により永住資格を早期に取得できるとするなど、わが国は積極的な受け入れ政策を採っています。技能実習以外の資格については、更新が可能なので、更新を繰り返すことで、わが国に定住する、ないし永住することもできます。

もっとも、調理師などを「技能」という資格で受け入れることは行われているので、技能実習とは紙一重の側面もありそうです。もともと技能実習の資格保有者が、他の在留資格の資格要件を備えると、そちらの資格に転換すれば、定住化が可能なのです。

先日、政府が発表した外国人材の受け入れ政策は技能実習制度の拡充が主で、技能実習生が他の資格を取得することを可能とするというものでしたが、恐らくはそのことを容易化するという意味であると考えられます。

この点で、政府の施策が移民政策とは一線を画するという説明がなされているようです。上の日経ビジネス・オンラインの記事では、以上を含めて「移民」と呼ぶので、政府の説明は違和感があります。いずれにせよ移民の言葉の定義の問題なので、むしろ実態を踏まえた実質的な議論が必要でしょう。

ちなみに、私は、一生に一度の単純労働の資格に留まる限り、移民とは呼ばず、それ以上の定住、永住の可能な場合を移民と呼ぶのが分かりやすいと考えています。

その上で、政府の政策を全体としてみると、高度人材の「移民」は大歓迎であるし、単純労働者の資格転換を促進するとすれば、これも移民化させるということなので、既に移民の受け入れ政策に転じていると見ています。

世界の先進国、金持ちの国々との間で、高度人材は言うに及ばず、単純労働者についても、獲得競争が始まっています。外国人労働者から見て、日本が選ばれる国とならなければ、この競争に勝ち残れません。近隣の、韓国や台湾の施策が先行しているのです。


5,二重国籍に寛容な国へ

以上の、国際情勢や、わが国の人口問題及び在日外国人の現況に鑑みると、二重国籍に寛容である法制度に改正することが有り得る選択肢であるように思われます。

高度人材やわが国にとって必要な人材を獲得するためには、生まれ育った母国であった国の国籍をアイデンティティーの一つとして認めつつ、わが国の国籍取得を容易にすることが重要です。その意味で、帰化の際の従来国籍の放棄義務を緩和する必要もあります。

また、わが国で生まれた二重国籍者、わが国の国籍を留保する二重国籍者についても同様です。母の国と父の国の間で引き裂かれるような思いを、そのような若者に抱かせることは無用でしょう。

二重国籍を認めると言っても、二つの祖国に仕えることを強いるという意味ではありません。その国に暮らし、生計を営み、税金を納め、家族や多くの友人知人の居る国、一生その国に住み続けるであろう、その意味で生活の本拠である国の国籍を保有して、その文化や習慣に同化するべきはしつつ、社会の構成員となり、法制度上、今も残る外国人の区別を回避する、特に公民権の関係での不利益を避けることができます。

もとより権力の集中する公職に就く場合には一定の考慮をしなければならないとしても、選挙権を有することで、真の意味で、その社会の構成員となると言えるのです。

朝鮮半島に出自を有するいわゆる在日の人々のドキュメンタリーを見ていたとき、大阪の生野区にあるキムチ屋の若主人が次のように述べていたのが印象的でした。結婚や就職差別がなお残るこの国にあって、父や母のことを思うと、帰化にはためらいがあったが、選挙権を行使してみて、「ああ、やっとこの国の一員になれた」と実感したと言うのです。

著名な政治学者である姜尚中氏は、自伝である『在日』(集英社)の中で、日本に生まれ育った在日2世として、朝鮮半島にアイデンティティーを持つ選択を敢えてするとします。

日本の社会の中にあり、この国の教育を受け、その文化的伝統に同化しつつも、なお父や母の国への思いを抱き続けることを、日本という国は許すことができないのでしょうか。心理的アイデンティティーの一である国籍を保持しつつ、自分の暮らす国の実効的な国籍を持ち、選挙権を行使することで、自分の属する社会のことを真剣に考えることが可能となるのではありませんか。

益々、外国人が日本に暮らす(一定程度の)移民受入国となるにつれて、日本国籍を保持しない外国人の集団が増えるなら、その人達は国に代表を送っていないのに、その法の適用を受けるという集団を、ひょとすると日本の社会的決定や政治に無関心な集団を、大きくしてしまいます。

公のこと、「祭り」に参加することが、定住者自身の社会への参加であると感じられ、定着と同化を自然に促すことで、その社会の統合が図られるのだと思います。